Fate/Grand Order ――反逆の堕天使と最後のマスター――   作:MIDNIGHT

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第七節 竜の森

昼を過ぎた頃。

立香たちは、古砦へ到着していた。

百年戦争の頃に使われていたというその砦は、長い年月に晒され、石壁の多くが崩れている。

門は片方が失われ、見張り台には大きな亀裂が走っていた。

それでも、宿場町よりは遥かに安全だった。

 

分厚い外壁。

水の残る井戸。

地下には食料庫として使われていた部屋もある。

 

避難民たちは壊れた扉へ板を打ち付け、風雨を防ぐための布を張り、すでにここを新たな生活の場へ変え始めていた。

 

「王妃!」

 

マリーの姿を見つけた子どもたちが、一斉に駆け寄ってくる。

 

「無事だったんだ!」

 

「怪我してない?」

 

「竜はどうなったの?」

 

次々に投げかけられる声。

マリーは一人一人へ笑顔を向けた。

 

「心配を掛けてしまったわね、でも、この通り元気よ」

 

肩にはまだ傷が残っている。

衣装も裂け、煤に汚れていた。

それでも彼女が笑うだけで、子どもたちの表情は明るくなった。

少し離れた場所でその様子を見ていたルシファーが、小さく息を吐く。

 

「無理をしているな」

 

立香は隣へ並ぶ。

 

「マリーが?」

 

「ああ」

 

「傷のこと?」

 

「それだけではない」

 

ルシファーは子どもたちに囲まれる王妃を見つめる。

 

「あの女は、自分が恐れていることを見せない。笑うことで、他人の不安を引き受けている」

 

「強いんだね」

 

「脆いとも言える」

 

「脆い?」

 

「ああいう者は、誰も見ていない場所で壊れる」

 

淡々とした声だった。

だが、そこには僅かな懸念が含まれている。

 

「気にしてるの?」

 

「勘違いするな」

 

「まだ何も言ってないけど」

 

「貴様は顔に出る」

 

立香が苦笑する。

その時、マリーがこちらへ振り返った。

 

「立香!」

 

子どもたちへ手を振りながら、駆け寄ってくる。

 

「どうしたの?」

 

「この子たちが、昨夜のお話を聞きたいんですって」

 

「昨夜?」

 

「黒い翼のお姉さんが、大きな槍を止めたお話」

 

子どもたちの視線が、一斉にルシファーへ向く。

 

「本当に素手で止めたの?」

 

「竜より強い?」

 

「空を飛べるの?」

 

「翼、触っていい?」

 

ルシファーの表情が固まった。

 

「……面倒だ」

 

「人気者ね」

 

マリーが楽しそうに笑う。

 

「立香」

 

「何?」

 

「私は森へ行く準備をする」

 

ルシファーは逃げるように立ち去ろうとする。

しかし、子どもの一人がその衣装の裾を掴んだ。

 

「お話して」

 

「断る」

 

「少しだけ」

 

「断る」

 

「どうして?」

 

「面倒だからだ」

 

幼い少女は不思議そうに首を傾げる。

 

「でも、お姉さんは助けてくれたんでしょう?」

 

「それと話をすることは関係ない」

 

「ありがとうって言いたいの」

 

ルシファーの足が止まる。

子どもたちは彼女を恐れていなかった。

 

黒い翼も。

冷たい金色の瞳も。

飛竜を容易く倒す力も。

 

彼らにとってルシファーは、自分たちを守ってくれた存在だった。

 

「ありがとう、黒いお姉さん」

 

一人が言う。

 

「ありがとう!」

 

「村も守ってくれたんでしょう?」

 

「すごいね!」

 

ルシファーは困ったように立香を見る。

 

「何とかしろ」

 

「私には無理かな」

 

「マスターだろう」

 

「こういう時だけ頼るの?」

 

「こういう時こそだ」

 

マリーが口元へ手を当てて笑う。

 

「なら、少しだけお話してあげたら?」

 

「王妃」

 

「何?」

 

「後で覚えていろ」

 

「楽しみにしているわ」

 

ルシファーは深く溜息をついた。

そして、子どもたちの前へ腰を下ろす。

 

「何が聞きたい」

 

途端に子どもたちが集まった。

 

「空はどこまで飛べるの?」

 

「天使様なの?」

 

「神様の使い?」

 

最後の質問に、ルシファーの表情が一瞬だけ曇る。

立香は声を掛けようとした。

だが、彼女は自分で答えた。

 

「違う、私は神の使いではない」

 

「じゃあ、悪い人?」

 

「……そうかもしれない」

 

「でも、助けてくれたよ」

 

少女は迷いなく言った。

 

「悪い人は、助けてくれないよ」

 

ルシファーは何も返さなかった。

ただ、その少女の頭へ不器用に手を置いた。

 

 

「随分と懐かれているようですね」

 

砦の内側にある小部屋で、ジャンヌが微笑んだ。

石で造られた簡素な部屋。

中央の机には地図が広げられている。

その場に立香、マシュ、ジャンヌ、マリー、デオン。

そして、ようやく子どもたちから解放されたルシファーが集まっていた。

 

「その話はするな」

 

ルシファーは、不機嫌そうに腕を組む。

 

「素敵でしたよ」

 

「聖女」

 

「はい」

 

「黙れ」

 

「褒めているのですが」

 

「それが面倒だ」

 

デオンが僅かに眉を上げる。

 

「王妃に対しても同じ態度なのですか」

 

「相手によって態度を変える必要があるのか?」

 

「礼節というものがあります」

 

「礼節で竜が倒せるなら考える」

 

デオンのこめかみが僅かに動く。

 

「あなたは――」

 

「デオン」

 

マリーが優しく制する。

 

「ルシファーはこういう人なの」

 

「出会って半日も経っていないだろう」

 

「でも、何となく分かってきたわ」

 

「分かったつもりになるな」

 

「照れているのね」

 

「違う」

 

立香は笑いを堪えながら、地図へ視線を落とす。

 

「そろそろ本題にしよう」

 

「先輩のおっしゃる通りです」

 

マシュが姿勢を正す。

デオンは咳払いをして、地図の東側を指差した。

 

「猟師の証言では、異変が起きているのはこの一帯です」

 

古砦から東へ数時間。

地図には大きな森が描かれている。

正式な名は、記されていない。

周辺の人々は、ただ古い森と呼んでいるらしい。

 

「元々は、狩猟と木材のために使われていた場所です」

 

デオンが続ける。

 

「ですが数日前から、森へ入った者が戻らなくなった。同時期に、周辺で飛竜の目撃が急増しています」

 

「飛竜が森から出てくるのを見た人は?」

 

立香が尋ねる。

 

「複数います。夜になると、森の上空を竜の群れが旋回するそうです」

 

「やはり巣か」

 

「親とかいるの?」

 

ルシファーが小さく頭を振り、呟く。

 

「違う。正確には、竜を生み出す魔力の集積地だろう」

 

「はい、森そのものが召喚陣になっている可能性があります」

 

マシュが端末へ視線を落とす。

 

「カルデアからも、同じ地点に高濃度の魔力反応が確認されています」

 

「聖杯ですか?」

 

ジャンヌの問いに、マシュは首を振った。

 

「聖杯そのものほどではありません。ですが、通常のサーヴァント一騎を遥かに上回る反応です」

 

「誰か、敵が守っているでしょうね」

 

マリーが静かに言う。

 

「アタランテが戻っている可能性もあります」

 

デオンの表情が、険しくなる。

 

「王妃を狙う者を逃がしたのですか?」

 

「その、逃げられて…」

 

立香がバツが悪そうに答えるが、ルシファーが訂正する。

 

「止められなかったわけではない」

 

「ならば、なぜ」

 

「デオン」

 

マリーが再び制する。

 

「彼女には、まだ心が残っているわ」

 

「王妃」

 

「敵だからといって、心まで消えているとは限らないわ」

 

「ですが、次に会えばあなたを殺すと言ったのでしょう」

 

「ええ」

 

「それでも?」

 

「それでもよ」

 

マリーは迷わず答える。

 

「私は、あの子ともう一度話したい」

 

デオンは納得できない様子だった。

だが、それ以上反対はしなかった。

忠誠を誓う王妃の意志を、彼は誰よりも理解している。

 

「森へは、全員で向かうのですか?」

 

ジャンヌが問う。

 

「いや」

 

立香は考えを口にする。

 

「デオンには、砦へ残ってほしい」

 

「私が?」

 

「避難民の護衛が必要です」

 

「昨日の戦いで、敵にここを知られた可能性もある」

 

デオンはすぐに首を振った。

 

「王妃を危険な森へ向かわせ、私だけが残るなど――」

 

「デオン」

 

マリーが彼の手へ触れる。

 

「ここを守って」

 

「しかし」

 

「今、私が一番安心して任せられるのは、あなただけなの」

 

デオンは唇を結ぶ。

 

「承知しました。ですが、必ず戻ってください」

 

マリーは微笑む。

 

「立香たちもいるわ」

 

「それが心配なのです」

 

デオンの視線が、ルシファーへ向く。

 

「特に、あの堕天使は信用できません」

 

「聞こえているぞ」

 

「聞かせています」

 

空気が僅かに尖る。

 

「ルシファー」

 

立香が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「喧嘩しない」

 

「私は何もしていない」

 

「これからしそうな顔をしてる」

 

「便利な目だな」

 

マリーが二人の間へ入る。

 

「デオン」

 

「はい」

 

「私はルシファーを信じているわ」

 

「出会って間もない者を?」

 

「時間の長さだけで、人を信じるわけではないでしょう?」

 

マリーは、ルシファーの右手を見る。

そこにはまだ、避難民の少年が巻いた古い布が残されていた。

 

「彼女は、何度も私たちの前へ立ってくれた。それで十分よ」

 

デオンはしばらく沈黙した。

そして深く頭を下げる。

 

「御意。ですが王妃…必ず、お戻りください」

 

「約束するわ」

 

そこで会議を終え、休息を終えた一行は、砦を出発した。

森へ向かうのは五人。

 

立香。

マシュ。

ジャンヌ。

マリー。

ルシファー。

 

デオンは門の前に立ち、姿が見えなくなるまで見送っていた。

 

「本当に心配性ね」

 

マリーが振り返りながら、笑う。

 

「王妃が無茶をするからでは?」

 

マシュが控えめに指摘する。

 

「私、そんなに無茶をしているかしら」

 

「矢を受けても下がらなかった」

 

ルシファーが即答する。

 

「魔力が尽きても笑っていた、敵へ自分から近づいた…数えれば、まだあるぞ」

 

「よく見ていてくれたのね」

 

「反省しろという意味だ」

 

「心配してくれてありがとう」

 

「なぜそうなる」

 

立香は二人の会話を聞きながら、少しだけ笑う。

だが森が近づくにつれ、その表情は自然と引き締まっていった。

最初に異変を感じたのは、音だった。

鳥の鳴き声がしない。

獣の気配もない。

風が枝を揺らす音さえ、森の入口を境に途切れている。

まるで、巨大な何かが息を潜めている。

 

「静かすぎます」

 

マシュが、盾へ手を掛ける。

 

「ええ」

 

ジャンヌも白旗を握り直す。

 

「森全体から、嫌な気配を感じます」

 

木々は黒く変色していた。

幹には血管のような赤い筋が走り、根元の土からは薄い煙が立ち上っている。

葉はある。

だが全て枯れたように色を失い、僅かに触れただけで灰となって崩れた。

 

「これも、聖杯の影響?」

 

立香が尋ねる。

 

「それだけではない」

 

ルシファーは木の幹へ手を触れる。

黒い魔力が、指先へ絡みつこうとする。

彼女は眉をひそめ、それを握り潰した。

 

「竜の魔力が土地へ根を張っている。森そのものが侵食されている」

 

「戻せますか?」

 

マシュの問いに、ルシファーは首を振る。

 

「核を壊せば、時間とともに戻る可能性はある。だが、すでに死んでいる部分も多い」

 

マリーは枯れた木々を見上げる。

 

「森も苦しんでいるのね」

 

「森に心があると?」

 

ルシファーが問う。

 

「あるかもしれないでしょう? 少なくとも、ここで生きていたものは苦しんだわ」

 

ルシファーは答えなかった。

代わりに、森の奥へ視線を向ける。

 

「来る」

 

立香たちは一斉に構えた。

暗がりの中で、枝が折れる。

一つ。

二つ。

四つ。

やがて無数の赤い目が灯った。

 

「飛竜……っ」

 

マシュが息を呑む。

しかし現れたものは、これまでの飛竜とは異なっていた。

身体が小さい。

人間ほどの大きさ。

翼は退化し、代わりに四肢が異様に発達している。

黒い鱗の隙間から、赤黒い魔力が漏れていた。

 

「竜牙兵ではありません」

 

マシュが端末を確認する。

 

「生体反応があります!」

 

「飛竜が、森に適応した姿か」

 

ルシファーの翼が広がる。

獣じみた竜たちは地面へ伏せ、喉を鳴らした。

数は二十を超えている。

木々の上にも。

岩陰にも。

立香たちは、完全に囲まれていた。

 

「マシュ、前方! ジャンヌは後ろを!」

 

「はい!」

 

「分かりました!」

 

立香の指示に、マシュとジャンヌは即座に臨戦態勢になる。

 

「マリーは中央で支援!」

 

「わかったわ」

 

「ルシファーは――」

 

「木の上だ」

 

立香の指示を待たず、ルシファーが上を見た。

直後、頭上から三体が飛び掛かってくる。

黒い羽根が閃いた。

一体の喉を貫き、二体目の胴体を切り裂く。

三体目は翼を掻い潜り、立香へ爪を伸ばした。

 

「先輩!」

 

マシュの盾が割り込む。

竜の爪が盾を引っ掻き、甲高い音を響かせた。

マシュは身体を回転させ、その勢いのまま竜を木へ叩きつける。

 

「はあっ!」

 

骨の砕ける音。

だが、敵は止まらない。

周囲から一斉に飛び掛かってくる。

 

「皆さん、離れないでください!」

 

ジャンヌが、旗を円を描くように振るう。

白い魔力が波となって広がり、竜たちを押し返した。

 

「今よ!」

 

マリーの杖から、色鮮やかな光弾が放たれる。

光は一体ずつ敵を追尾し、黒い鱗の隙間で爆発した。

 

「ギャアアッ!」

 

悲鳴が重なる。

しかし倒れた竜の身体から、黒い煙が立ち上る。

煙は地面へ吸い込まれ、森の奥へ流れていった。

 

「魔力が回収されています!」

 

マシュが叫ぶ。

 

「倒した個体の魔力が、森の核へ戻っているようです!」

 

「倒すほど、核が強くなる?」

 

立香の問いに、ルシファーが一体の頭を踏み砕きながら答える。

 

「一時的にはな。だが放置しても、こいつらは増える」

 

横から襲い掛かって来る飛竜を殴り飛ばし、視線を前方へ向ける。

 

「進みながら倒すしかない」

 

「大変な森ね」

 

マリーが苦笑する。

 

「気に入ったか?」

 

「いいえ」

 

「珍しく意見が合ったな」

 

飛竜たちが再び襲い掛かる。

立香たちは互いの背中を守りながら、森の奥へ進んだ。

戦闘は途切れることなく続いた。

敵を倒しても、すぐに新たな気配が現れる。

 

地面から。

木の洞から。

時には腐った幹を破って。

 

森そのものが立香たちを排除しようとしているようだった。

 

「先輩、右から三体!」

 

「ジャンヌ!」

 

「はい!」

 

白旗が、飛来する竜の爪を受け止める。

一体を押し返し、もう一体の腹部へ柄を突き込む。

三体目は、地面を這うようにマリーへ迫った。

 

「悪い子ね」

 

マリーは杖の先端を地面へ向ける。

足元から硝子の薔薇が咲き、竜の四肢を包み込んだ。

動きを封じられた敵へ、黒い羽根が突き刺さる。

 

「ありがとう、ルシファー」

 

「私が倒しやすかっただけだ」

 

「そういうことにしておくわ」

 

ルシファーは返事をせず、立香のもとへ戻る。

 

「息が上がっている」

 

「私?」

 

「他に誰がいる」

 

「走りながら戦ってるからね」

 

「後ろへ下がれ」

 

「でも、指示が出しにくくなる」

 

「貴様が倒れれば、指示そのものがなくなる」

 

正論だった。

立香は素直に、マリーの隣へ下がる。

 

「珍しく、聞き分けがいいな」

 

「珍しくって、何?」

 

「普段の行動を思い出せ」

 

「――思い出したくないかも」

 

「なら、私が話してやろうか」

 

「遠慮する」

 

「仲がいいのね」

 

そのやり取りに、マリーが笑う。

 

「どこを見ればそう見える」

 

「会話が途切れないもの、仲良しさんなのね」

 

ルシファーは、深い溜息をついた。

その直後、森の奥から、巨大な咆哮が響く。

これまでの飛竜とは、比べものにならない空気そのものを震わせる低音。

木々から灰が落ち、地面が脈打つように揺れた。

周囲の竜たちが、一斉に動きを止める。

そして立香たちへ背を向け、森の奥へ逃げていった。

 

「逃げた……?」

 

マシュが警戒を解かずに、呟く。

 

「違います」

 

ジャンヌの表情が、険しくなる。

 

「道を開けたのです」

 

正面の木々が、左右へ押し倒される。

土煙の中から現れたのは、巨大な飛竜だった。

今まで戦った個体よりも、さらに大きい。

翼を広げれば、森の一角を覆い尽くすほどの巨体。全身の鱗は赤黒く、胸部には巨大な結晶が埋め込まれている。

その結晶が脈打つたび、森全体の魔力が揺れた。

 

「核の一部です!」

 

マシュが端末を確認する。

 

「あの個体が、周辺の竜へ魔力を供給しています!」

 

「なら、倒せば森の侵食も弱まる?」

 

「少なくとも、この一帯は」

 

立香は、巨大竜を見上げる。

その頭部には、古い槍や剣が突き刺さっていた。

これまで森へ入り、戻らなかった者たちの武器。

竜の足元には、砕けた鎧と白骨が散らばっている。

 

「ここで、何人も……」

 

マリーの笑顔が消える。

巨大竜は口を開き、熱を溜め始めた。

炎ではない――赤黒い、魔力そのもの。

 

「散って!」

 

立香が叫ぶ。

刹那、竜の口から光が放たれた。

閃光が、一直線に森を薙ぎ払う。

ジャンヌが立香とマリーの前へ立ち、旗を掲げる。

 

「主よ、御照覧あれ!」

 

白い防壁が展開される。

熱線が激突した。

 

「くっ……!」

 

防壁の表面に、亀裂が走る。

その威力に押され、ジャンヌの足元が後退する。

 

「マシュ、ジャンヌを!」

 

「はい!」

 

マシュがジャンヌに、盾を重ねる。

二人の防御が重なり、光の威力を押し返していく。

 

「ルシファー!」

 

「分かっている!」

 

彼女はすでに、空へ上がっていた。

竜の死角へ回り込み、胸部の結晶へ黒い羽根を放つ。

だが、羽根が届く直前、竜の翼が大きく振るわれた。

暴風が発生し、羽根の軌道が逸らされる。

それだけに留まらず、ルシファーの身体もその風に吹き飛ばされ、木々へ叩きつけられた。

 

「っ……!」

 

木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶルシファーに、立香が叫ぶ。

 

「ルシファー!」

 

「見るな!」

 

苦悶に歯噛みしながら、彼女は翼を広げ、なんとか体勢を立て直す。

 

「前を見ろ!」

 

巨大竜の尾が、立香たちへ薙ぎ払われていた。

 

「マシュ!」

 

「はい!」

 

マシュの振り上げた盾が、尾を受け止める。

だが、質量が違いすぎる。

抑え切れず、マシュの身体が盾ごと吹き飛ばされる。

ジャンヌも巻き込まれ、地面を転がった。

防御を失った立香とマリーへ、竜の爪が振り下ろされる。

 

「立香!」

 

マリーが、彼女を突き飛ばした。

巨大な爪が大地を抉る。

マリーは間一髪で避けたが、衝撃で身体を投げ出された。

 

「マリー!」

 

「平気……!」

 

起き上がろうとする。

だが、先ほど傷ついた肩を地面へ打ちつけ、顔を歪めた。

巨大竜が、再び口を開く。

狙いはマリーだ。

 

「また王妃か」

 

ルシファーの声が低くなる。

翼が黒い光を纏う。

 

「竜の分際で」

 

彼女の姿が消えた。

次の瞬間、巨大竜の顔面へ拳が叩き込まれる。

鈍い衝撃音。

巨体の頭部が横へ大きく逸れ、放たれた光線が空を貫いた。

 

「ギャアアアアッ!」

 

竜が怒り狂い、爪を振るう。

ルシファーは翼で受ける。

黒い羽根が砕け、彼女の身体が後方へ飛ぶ。

だが、すぐに空中で姿勢を戻す。

 

「硬いな」

 

「胸の結晶です!」

 

マシュが立ち上がりながら、叫ぶ。

 

「あれが鱗を強化しています!」

 

「なら、先に結晶を壊す!」

 

立香は戦場を見渡す。

正面からでは、翼で防がれる。

上空も同じ。

狙うなら、竜が攻撃する瞬間。

翼を開き、胸部が露出する僅かな時間しかない。

 

「マシュ、ジャンヌ! 正面から引きつけて!」

 

「はい!」

 

二人が同時に駆ける。

巨大竜は迫る二人を見て、両翼を広げた。

再び、暴風を起こすつもりだ。

 

「マリー!」

 

「分かったわ!」

 

マリーが杖を掲げる。

竜の足元に無数の硝子の蔦が生まれ、四肢へ絡みつく。

 

「ダメ……長くは持たないわ!」

 

「十分!」

 

竜が翼を振るう。

だが足を固定されたことで、身体の均衡が崩れる。

暴風の軌道が、僅かに上へ逸れた。

マシュは盾を構えたまま、懐へ滑り込む。

 

「はああっ!」

 

盾の縁を、竜の右脚へ叩きつける。

ジャンヌは反対側から旗を振るい、左脚を払った。

巨体が前方へ傾く。

胸部の結晶が、完全に露出した。

 

「ルシファー!」

 

「遅い」

 

すでに、彼女は結晶の前にいた。

右手を引く。

黒い魔力が拳へ集まる。

だが、結晶の中で何かが動いた。

人の顔。

苦痛に歪んだ、無数の人間の顔。

それは、立香の目にも見えた。

 

「待って!」

 

思わず叫ぶ。

ルシファーの拳が、結晶の直前で止まる。

 

「何だ」

 

「あの中に……人がいる」

 

マシュも端末を確認する。

 

「複数の人間の、魂魄反応があります!」

 

「森で死んだ者たちの魂が、核に取り込まれています!」

 

ジャンヌの顔色が変わる。

 

「壊せば、魂まで消える可能性が……」

 

巨大竜が、身を起こそうとする。

マリーの蔦が次々と砕けていく。

 

「時間がないぞ」

 

ルシファーは拳を構えたまま立香を見る。

 

「壊すか…それとも、あれに殺されるか」

 

立香は結晶を見つめる。

中にいる人々は、すでに肉体を失っている。

助けられる保証はない。

だが、何も考えずに壊すこともできない。

 

「魂だけを切り離せる?」

 

「簡単ではない」

 

「できるか、できないか」

 

ルシファーの目が細くなる。

 

「可能性はある」

 

「なら、やって」

 

「また面倒な命令だな」

 

「お願い」

 

「……いいだろう」

 

彼女は拳を開く。

代わりに、五本の指を結晶へ突き立てた。

黒い魔力が表面を覆う。

 

「マシュ、ジャンヌ!」

 

立香が叫ぶ。

 

「あと少しだけ止めて!」

 

「はい!」

 

二人は再び、竜の脚へ取りつく。

巨大竜が咆哮し、全身を暴れさせる。

尻尾が木々を薙ぎ倒し、爪が地面を砕く。

マリーも、砕けた蔦を再生させる。

 

「急いで、ルシファー!」

 

「騒ぐな」

 

彼女は目を閉じる。

結晶の内部へ意識を沈めていく。

深く暗い闇の奥底に、意識を同調させていく。

 

冷たい。

痛い。

 

無数の声が泣いている。

 

助けて。

帰りたい。

死にたくない。

家族に会いたい。

どうして。

なぜ。

 

声は重なり、輪郭を失い、巨大な憎悪へ変わろうとしていた。

ルシファーはその中心へ立つ。

 

「黙れ」

 

声が、一瞬だけ止まる。

暗闇の中で、幾つもの光が彼女を見た。

 

人の魂。

 

森で竜に殺され、逃げ場を失い、核へ閉じ込められた者たち。

 

「ここから出たいか」

 

返事はない。

ただ、光が僅かに震える。

 

「ならば、憎しみに呑まれるな」

 

ルシファーは手を伸ばす。

 

「貴様らを利用した者へ、心まで渡すな」

 

黒い鎖が、魂へ絡みついている。

竜の魔力。

聖杯の汚染。

死者の恐怖を、燃料へ変える呪い。

ルシファーは鎖を掴んだ。

その瞬間――暗闇の奥から、別の声が響く。

 

『神に背いた者が、人を救うのですか』

 

冷たい女の声。

ジャンヌと同じ声――だが、そこに慈悲はない。

 

「黒き聖女か」

 

『滑稽ですね』

 

返答はなく、変わりに聞こえたのは嘲笑。

 

『あなたは人を見下しながら、結局は人のために傷つく。それとも、マスターに従っているだけなのかしら?』

 

「姿も見せずによく喋る」

 

『答えられないのですか』

 

「答える必要がない」

 

『ならば、教えて差し上げましょう』

 

暗闇の中に、黒い炎が灯る。

 

『人は必ず裏切る』

『救った者も、守った者も、最後にはあなたを恐れる』

『神があなたを捨てたように』

 

響く嘲りに、ルシファーの瞳が鋭くなる。

 

「私を怒らせたいなら、言葉を選べ」

 

『事実でしょう? あなたは反逆し、堕ちた。そして今は、人間の小娘に繋がれた使い魔』

 

「違う」

 

『何が?』

 

「私は、繋がれてなどいない」

 

ルシファーは、鎖を握り締める。

 

「自分で選んで、ここにいる」

 

い炎が揺れた。

 

『選んだ?』

 

「ああ」

 

ルシファーの脳裏に、無茶ばかりする立香が過ぎる。

 

「面倒なマスターを守ることも、人間の願いへ付き合うことも――全て、私が選んだ」

 

彼女の背後に、黒い翼が広がる。

 

「神に命じられたことではない。だから――価値がある!」

 

黒い鎖へ、亀裂が走った。

 

『……そうですか』

 

興醒めとばかりに、黒き聖女の声が、遠ざかる。

 

『では、その選択がどこまで続くか…見届けてあげましょう』

 

最後に、笑い声だけが残る。

ルシファーは構わず、鎖を引き千切った。

魂を縛っていた呪いが崩れる。

無数の光が、暗闇から解き放たれていく。

 

「帰る場所がある者は帰れ。ない者は、静かに眠れ。もう、竜の餌になる必要はない」

 

光は、彼女の周囲を一度だけ巡った。

感謝を伝えるように。

そして、一つずつ空へ昇っていった。

 

 

巨大竜の胸部に埋め込まれた結晶へ、無数の亀裂が走る。

 

「離れろ!」

 

ルシファーの叫びに、マシュとジャンヌが同時に飛び退く。

マリーも、魔力の蔦を解いた。

立香も身構えた。

 

次の瞬間――結晶が、内側から砕けた。

 

爆発は起きなかった。

代わりに、無数の白い光が森の空へ舞い上がっていく。

 

男。

女。

老人。

子ども。

 

光の中に、一瞬だけ人々の姿が浮かぶ。

ジャンヌは旗を胸元へ引き寄せ、静かに祈った。

 

「どうか、安らかに」

 

マリーも目を閉じる。

巨大竜は力を失い、地面へ倒れた。

森全体が大きく揺れる。

木々を走っていた赤い筋が消え始め、黒く染まった土から魔力が抜けていく。

巨大竜の身体も灰となり、風に崩れていった。

その中心に、ルシファーが立っている。

立香は、彼女のもとへ走った。

 

「大丈夫?」

 

「問題ない」

 

「本当に?」

 

「今回は嘘ではない」

 

「今回はって……」

 

立香は思わず、笑いそうになる。

だが、ルシファーの表情は険しいままだった。

 

「何かあった?」

 

「黒き聖女が、現われた」

 

「話したの?」

 

「一方的にな」

 

「何を言われたの?」

 

ルシファーは少しだけ沈黙する。

 

「くだらない挑発だ」

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

これ以上、話すつもりはないらしい。

立香は、追及しなかった。代わりに、砕けた結晶の跡を見る。

 

「みんなの魂を、助けてくれたんだね」

 

「完全に救えたかは分からない」

 

「でも、苦しみからは解放できた」

 

「ああ」

 

「ありがとう」

 

「礼を言う相手が違う」

 

「私は何もしてないよ」

 

「貴様が命じた」

 

ルシファーは立香を見る。

 

「私は、壊すつもりだった。貴様が止めなければ、魂ごと砕いていた」

 

「でも、最終的に助けたのはルシファーだよ」

 

「……本当に面倒だな」

 

彼女は、顔を逸らした。

マリーが二人へ近づく。

 

「素敵だったわ」

 

「何がだ」

 

「自分で選んだことには価値がある、というところ」

 

ルシファーの瞳が鋭くなる。

 

「聞いていたのか」

 

「少しだけ」

 

「覗き見とは、王妃の趣味は悪いな」

 

「聞こえてしまったの、だから不可抗力だわ。でも、あなたらしい言葉だと思ったわ」

 

「忘れろ」

 

「忘れないわ」

 

「聖女といい、王妃といい……」

 

ルシファーは、心底疲れたように息を吐く。

その時――森のさらに奥から、乾いた拍手が聞こえた。

立香たちは、一斉に振り返る。

黒く変色した木々の間に、一人の男が立っていた。

 

長い髪。

細身の身体。

手には、一冊の大きな魔導書。

 

笑顔を浮かべている。

だが、その目には狂気しかなかった。

 

「お見事でございます」

 

男は、大仰に両腕を広げる。

 

「まさか、死者の魂まで解放してしまうとは――実に美しい…実に忌々しい!」

 

声に苛立ちが混じり、その姿にジャンヌの顔色が変わった。

 

「あなたは……」

 

男の笑みが深くなる。

 

「お久しゅうございます」

 

彼は恭しく、頭を下げた。

 

「我が聖女よ」

 

その呼び方には、歪んだ崇拝と憎悪が込められている。

 

「――ジル・ド・レェ」

 

ジャンヌの声が震えた。

 

「どうして、あなたが……」

 

「どうして?」

 

男――ジルは不思議そうに首を傾げる。

 

「あなたが蘇られた。ならば、このジル・ド・レェが馳せ参じるのは当然でしょう」

 

「私は、あなたが待つ聖女ではありません」

 

「ええ」

 

ジルは即座に答えた。

 

「あなたは偽物だ」

 

狂気に歪んだ目が、ジャンヌを射抜く。

 

「神に縋り、祖国に裏切られ、炎へ焼かれながら、それでも赦しを口にした―――愚かな少女」

 

マシュが盾を構える。

 

「それ以上、ジャンヌさんを侮辱しないでください」

 

「侮辱?」

 

ジルは笑った。

 

「私は嘆いているのですよ。彼女があまりにも無知であったことを……神などいないと気づくには、あの炎は遅すぎた!」

 

ジャンヌは黙って彼を見つめる。だが、顔には苦痛が浮かんでいた。

 

生前の仲間。

自分を信じ、共に戦った騎士。

 

その彼が、目の前で狂気に染まっている。

 

「ジル」

 

「はい」

 

「あなたは、何を望んでいるのですか」

 

男は妖しく、微笑む。

 

「復讐です。あなたを殺した国へ、あなたを見捨てた民へ、何もしなかった神へ――全てを焼き尽くす」

 

ジルは、魔導書を開く。

紙面から、黒い触手が溢れ出した。

 

「それこそが、真なる聖女の願い」

 

「違います!」

 

ジャンヌの声が森へ響く。

 

「私は、そのようなことを望んでなどいません!」

 

「ええ…だから、あなたは偽物なのです」

 

地面が割れる。

巨大な触手が次々と這い出し、立香たちを囲んでいく。

森の魔力が、再び濁り始める。

砕いた竜の核とは別の力――ジルの魔術だ。

 

「今度は、話し合いで済みそうにないな」

 

ルシファーの翼が広がる。

 

「待ってください」

 

ジャンヌが彼女の前へ出る。

 

「私が話します」

 

「話が通じる顔に見えるか?」

 

「それでもです」

 

ジャンヌはジルを見つめた。

 

「彼は、私の仲間でした。だからこそ――」

 

白い旗を、強く握る。

 

「私が、止めなければなりません」

 

ジルは、歓喜に満ちた笑みを浮かべる。

 

「おお! ならば見せてください、ジャンヌ!」

 

彼の持つ魔術書が妖しく光り、魔術の光が迸る。

 

「あなたが神へ捧げた信仰が! 私の絶望より強いというのなら!」

 

触手が一斉に襲い掛かる。

 

「マシュ、ジャンヌを援護!」

 

「はい!」

 

「マリーは後方!」

 

「わかったわ!」

 

「ルシファー、ジルを――」

 

「殺すな、だろう?」

 

ルシファーが呆れた口調で、先に言う。立香は一瞬だけ、彼女を見る。

 

「できる限りは」

 

「予想通りだ」

 

黒い羽根が放たれ、迫る触手を切り裂く。

 

「本当に、面倒なマスターだな」

 

その間にも、ジャンヌは白旗を掲げた。

 

かつての盟友。

狂気へ堕ちた騎士。

そして、黒き聖女へ続く道。

 

竜の森での本当の戦いが、始まろうとしていた。

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