小村の農民や廃墟生活者、それに各地を彷徨う放浪民や
街道を行き交う行商人や旅商人、隊商にとって尤も悩ましい脅威のひとつが、盗賊団や略奪者《レイダー》、馬賊の襲撃であるが、一応の対策が無い訳ではない。
富裕な旅人や商人らは小型の二輪荷車から大型馬車、時に自動車も含んだ車列《コンボイ》や旅隊《キャラバン》を組むし、市民権所持者であれば、近隣居留地の警備や保安官の救援も期待できる。保険に入っていれば損害も抑制できるだろう。なにより、拮抗しうる武装と人数を有していれば、盗賊や山賊と交戦して退けたり、交渉を成立させることも出来なくはない。
通行料が物資の一部や金銭で済むこともあれば、定期的な物資の提供と情報のやりとりを通じ、盗賊団や略奪者《レイダー》が他の怪物やならず者から隊商を庇護するなど、奇妙な共存関係を築いている地域もあった。余談だが、そうして資金と物資を蓄え、一定以上の力を得た略奪者《レイダー》や盗賊《バンディット》の頭目が、関所や砦を築き上げ、中世欧州の騎士や中世日本の悪党の如く、街道一帯を支配する
だが、そもそもが交渉の余地を持たぬ貧しい者たち――単独の放浪者や、護衛も財も持たぬ旅人たちにとってより深刻なのは、
都市圏によっては困窮した農民や
放浪民の小集団を襲撃したり、防備の薄い村落や廃墟の住人を浚っては奴隷として売り払う事例も日常茶飯事で、しかし、そんな
捕らえられた者たちは、鎖で繋がれ、檻に入れられて畜獣のように売買される。襲撃後に捉えられた家族が悪漢どもの『取り分』として分配され、別々の地に売り払われるのも珍しくはない。浚われた自由民と貧困の止む無きから身売りした者たちを、どう見分けるか。遠来の地で攫われた市民が売られた先で土地の司法官に訴えで、身の証を立てて故郷へと帰り着いた例も散見されるが、大都市や居留地の正規の住民が偶々、真っ当な人々の暮らす都市や農場に転売された為に判明した、一握りの幸運な例外に過ぎない。
かなり善良な人々でも、所有する奴隷が浚われたと訴え出れば、困惑を隠しきれないものだ。大抵、奴隷を買うにはかなりの大枚を払っている。だから、善良だが余裕のない人々は自由を買い戻せる程度には奴隷に労働の対価を支払い、元を取ってから解放する。これならば浚われた人々も不運ではあったが、人生を取り戻せるし、買った側もおのれの損を抑えられるという訳だ。
さて世に生きるのは善良な人々ばかりではないし、法秩序が機能している土地ばかりでもない。危険な荒野や廃墟に住まう人々、それに鉱夫や
資金繰りが厳しく、或いはそもそも人間が少ない為、誰もが働かなければ生きていけない痩せた農地や鉱山ならば、最低でも元を取るまでは、絶対に解放などしない。誰もが残酷に死んでいく
―――
ポレシャ公邸の庭先には、金を節約したい行商人や旅人、農民と言ったポレシャ人らが宿営地代わりにして寝泊まりしていた。ポレシャ周縁部の農村や小集落、農場の住人などもいたが、村や農場主の発行した身分証などを提示するだけで敷地に出入り出来た。勿論、公邸の役人も手元の住人帳と示し合わせて、村長の名や縁戚の誕生日など幾つかの簡単な問答をしてから許可を出している。例え簡素な革製の身分証でも、有ると無しでは旅をするのに他所での扱いもかなり変わってくるのだ。
色取り取りの小さな天幕が並んでいるが、さらに貧しい者たちは木の枝に毛布を結んで屋根にした簡易天幕の下に寝転んでいる。それでも明るい表情の者が多いのは、長期の仕事を得たり、儲けの種を見つけた者など、大交易市がもたらす機会への期待があるからだろうか。長逗留できる見込みが立った者も少なからずいるようで、上手く儲け話にありついて自慢話に興じる自由労働者らがいれば、或いは、まだ見ぬ明日に想いを馳せているのか。用心深く沈黙を守りながら、寝転んでいる
一部の商人や農民は荷運びに驢馬や馬、牛を連れていたり、牧者や牧童、農民にも既に安価な羊や山羊などを買い付けている者らもいて、しかし、馬や牛などの高価な家畜を除いては、宿営地で飼い主たちの目の届く範囲にて、小さな柵や縄でくくられ、公邸の庭先に点々と繋がれている。料金を払って預けた畜舎や馬房からも、忙しなく牛や馬の嘶きが響いてくる。子供たちが飼料を運んだり、家畜の糞を荷車で持ち去る近隣の農民の姿もあった。早朝であれば、水や薪を運び込んでくる労働者たちの姿も見え、夕暮れにはし尿の処理を行う者たちが敷地の裏から出入りしている。
公邸は簡素ながらも砦のような佇まいを見せている。一応の防壁として土嚢や木箱が積まれ、誰もが武装していた。黄昏の時代にあっては、比較的に安全な都市の区画にあっても、さらに簡易な防備を整えた拠点は決して珍しいものではない。粗末なこん棒や手槍、短弓に小型クロスボウをぶら下げてるだけの者もいれば、それほど上等ではないが、火縄銃《マッチロックガン》や長弓、燧石銃《フリントロックガン》を手入れしている者もいる。中世とは裏腹に、高い信頼性と生産性において地位を向上させた鋼輪式銃《ホイールロックガン》を所持している行商人の一団もいた。
また古代から人間の友である犬を連れている旅人もいたし、公邸で飼われてる番犬たちもいる。互いに匂いを嗅ぎ、気に入らぬとフッと顔を逸らしながらも、屍者や怪物、巨大昆虫の匂いを嗅ぎつけるよう訓練された犬たちは鼻を鳴らして、外部を警戒するように歩き回っている。
敷地の片隅には商売している場も開かれている。物々交換や手に入れたばかりの都市通貨で毛布や水筒、靴に針と糸など旅の必需品を買っている者もいれば、持ち帰って利鞘を稼ごうというのか。行商人らが石鹸やチーズなどを買い付けてる。
天秤に金槌、片眼鏡がトレードマークの両替商も小さな天幕に店を構えており、ポレシャ通貨や地元の貨幣を都市通貨に両替している
滅多にない大規模な交易市への参加を前に、農民や行商、
食い物を扱う屋台では、真鍮の縁が黒ずんだ巨大な鍋が、ぐつぐつと唸りを上げていた。切り分けられた獣肉と荒く刻んだ人参や玉葱、キャベツが煮え立ち、脂と香辛料の入り混じった湯気が、腹を空かせた旅人の胃袋を激しく叩いた。傍らの素焼きの窯では、灰にまみれた職人が、小麦やライ麦を練っただけの素朴なパンを焼いている。六月の曠野に色づいたプラムや苺、指でつまめば果汁がにじみそうなベリー、早熟種の歯応えのある林檎などが籠に盛られている。安い食べ物としては貧困層にとって貴重な蛋白質となる巨大鼠の肉も売られていたが鶏や豚、羊肉の方が人気があるように見える。小金がある者たちは皮もパリパリの焼き鳥に脂身の乗った豚肉、あるいは香草を詰めて焼かれた羊料理に舌鼓を打っている。
さて、曠野の旅の最中、ずっと気を張り詰めていたのかも知れない。公邸を一応、安全と見たジーナ・
牧者にはもっといい部屋が割当されるはずだが、二人は「現役の頃ほど金がない、金がない」とぼやいていた。それでもさして気にした様子もなく、地べたに毛布で寝転びながら、パイプを回し飲みしていた。他の牧者や牧童の持ち物で、二人が少しだけ羨ましそうに眺めるのは、小さなハープや葦笛《パンフルート》、ハーモニカなどで、今回の旅には持ってくる余裕もなかったようだ。ラジオが控えめに音楽を流し、集まって演奏する牧者や牧童らもいるから、楽器は牧者の生活に根付いてるのだろうか。ご相伴に与かったミリーも、安い食事をもそもそと口に運んだ。とは言え、廃墟界隈に暮らす放浪民の食事よりは、それでも随分と上等なのだけれど。疎外されてる訳ではないが、二人は同類なのだな、とミリーは少し寂しくなった。身振り手振りで通じ合う二人の牧者娘は、ほぼ初対面から、あっという間に親しくなった感じだ。
腹を空かせた西部劇の一シーンのように小鍋を空にしたエマとジーナ・
「だ、弾薬を都合せんと。帰り道も撃つかも」と食べながらエマの台詞にジーナ・
時々、ミリーにも話を振ってくるが、どう答えていいか分からずに戸惑いを見せても「まあ、気長にやるといいさ」と慰めてくれる。【リドリーの娘】ミリーは元々、放浪団のなけなしの金を騙し取ったヘレンを追って自由都市までやってきた。エマ・デイヴィスは付き合ってくれているだけだ。優しいだけに、本当に危険に巻き込むまでして犯人を追い続ける意味があるのかと疑念に思う。弾薬の必要な事態が来るのかと恐れるほどに、ミリーの気持ちは暗く沈んでいた。
「……どうしたものかなぁ」のんびりしつつも愚痴ってるミリーの背後で、いきなり囁き声がした。
「無防備だなぁ。走屍者《ランニング・ゾンビ》か、
「うわ……ぁ」ミリーは呻いた。別に意地悪された訳でもないのだが、ニナの皮肉っぽい冷めた口調が苦手だった。幽霊のように気配も薄いので、いきなり話しかけられると心臓によろしくない。それにしても、人が滞在する野営地を危ないとか言わないで欲しいとつくづく思った。
万が一、庭先に屯っている貧乏人たちが襲われても、上階に泊まってる市民や商人たちは、生き残るに違いないとミリーは僻みっぽく思ってる。大きな居留地は何処もそうだが、区画の境界は頑丈な防壁と門扉が設えており、強力な守備隊が守っている。余程、強力な屍者《ゾンビ》なり、変異獣の大規模な群れでも押し寄せない限り、都市とは早々に陥落しない代物だ。
いずれにしてもズール自体が陥落することは、殆んどあり得ない。都市軍の救援が来るまで防火扉を閉じて立て籠もってうればいいのだ。
「都市の周囲に傭兵団やらレンジャー徒党まで展開している。仮に
「各自、石鹸はお持ち?お湯を貰ってきたよ」
「あ、あたしはいいかな?」ミリーは恐る恐る遠慮したが、ニナの後ろから少年少女がお湯の入った盥を運んでくる。
「もう三杯のお湯を注文済みだよ」告げたニナが、ミリーにいきなり顔を近づけた。スンスンと肉食獣のように匂いを嗅いでから「洗え、臭い」ニナはタオルを投げてきた。
「う……ひ、ひどい」
「ひどくない。同行者の事を考えなさいな」ずけずけと踏み込んできて物を言うニナは、仕立てのいい服を着ている。パレオめいた巻き布も、背負った鞄も質の良さが一目で見て取れる代物だった。
地区でも羽振りが良い行商人マギーの連れだから、下層地区や廃市街に暮らす貧民たちには、拾われたと思しきニナをやっかんで尻小姓とか愛人なんて陰口を叩く少女も何人かはいた。あまり他人を悪く言った覚えはないミリーも、ポレシャの浴場でマギーに裸でもたれかかっていたニナを思い出すが、しかし、エマやジーナ・
役立たずの足手纏いか、馬鹿な怠け者だと思われてるのではないか、と―――これは日常、父親に嘲笑されながら浴びせられた言葉だったが――――つい僻みっぽく被害妄想に陥りそうになる時もある。勿論、思われようが思われまいが、ミリーのやるべきことが変わる訳でもない。また、ニナが日々、努力し、研鑽している事も間違いないが、しかし、多分に家族なり、周囲にいる人から愛されてるのだろう。静かな自信に満ちたニナの振舞いには、どうにも劣等感を刺激されて息苦しくなる。呻くミリーを見、「なに?わたしに洗って欲しいの?」ニナが変なことを言い出した。
「いや、いい。遠慮しておく」新たな世界を開くつもりはないので、ミリーは断った。
「ところで、ミリー。君は少し失礼だよ」唐突にニナがそう言ってきた。
(おま、言う)とミリーは言い返そうとしたが、金魚のように口をパクパクさせるのがやっとだった。
「マギーにさ。話しかけられても碌に返事しないだろう。世話になってる態度じゃない」
怒られてるぅ。気弱なミリーは目を瞑りたくなった。責められるのは苦手だ。
「いい人間だよ」呟いたニナは、少し間をおいてからミリーを眺め、言葉を続けた。
「そして、貴方もそんなに悪い奴ではないと思えた」
「と、突然、なにを?」おや?責められてるのではないか?と雰囲気の変化を感じ取って、ミリーはそっと片目だけ開いてみた。
「いつ、なにがあるか分からない世の中で……わたしがこう言ってるのは、不仲なままで終わるのはもったいないと思ったからだ」ニナは考えながら喋ってるように見えた。
「機会があるうちに、言うだけは言っておくべきだと思った。必ずしも、解決できるとも思ってないけど」とニナ。
「か、解決って?」放浪者の娘ミリーが戸惑っていると、ニナは鼻を鳴らした。
「どう受け取るかは、あなた次第だよ。
話を理解するつもりもないと言うのなら、それもいい」口を閉じたニナだが、冷淡に話を打ち切った感じではなかった。
ミリーは救いを求めるように視線を彷徨わせてから、エマ・デイヴィスを見つめた。
「じ、自分で決めろ」とエマは告げて、それから「どんな答えでもいいから」と、少し優しい口調で付け加えた。ミリーは韜晦を装うのを止めて、少しだけ震える声で、用心深そうにそっと本音を漏らした。
「奴隷商人と付き合っている賞金稼ぎは近づきたくない。なんか、大きな刺青もしてるし恐いよ」
「奴隷商人……特に
立ち去ったニナの背中を眺めながら「……マギーを信頼していいのかな?」とミリーは呟いた。
「わ、分からない」お湯を使いながら、エマは首を傾げている。「た、ただ、わたしは、口下手だ。都市部での追跡にも不慣れである……マギーは、顔が広い」
確かにエマ・デイヴィスは腕利きの牧者だが、その技能にしろ、知識にしろ、荒野で力を発揮する類のものであって、自由都市では不慣れなよそ者の一人でしかない。
「協力が不可欠?」とミリーの疑問に「そこまでは言わない」エマは自信なさそうに首を振った。
「そう悪い奴には見えないけど、この件だと当事者じゃないからね。わたし」ジーナが無責任な立場だから、と言いつつ肩を竦めた。
考え込んでるミリーに、しかし、エマは一人でうんと頷いてからいきなり告げた。
「いやなら、付き合うこともない」
「……え?」突拍子もない言葉に、ミリーは思わず聞き返した。
「あー、違う……そもそもミリーが命懸けになる理由なんか、ない」
エマ・デイヴィスは断言した。
「ふんむ?」発言内容の飛躍に戸惑うミリーだが、エマは言葉を続けた。
「捕まえなきゃ、徒党に戻れないと思ってるかも知れないけど。無理して死んだら、元も子もない」ミリーは黙って、エマの言葉に耳を傾けてみた。
「一生懸命役目を果たそうとしてるみたいだけど、それに値する共同体《みうち》か?君は、最悪、逃げてもいいんだ。ポレシャ市でも、他の場所でも、生きていける」
「それは……」
急に言われても、と困ったような顔を浮かべた放浪者の娘を見てから、エマは口を閉じた。
「まあ、そういう考えもある。頭の片隅にでも入れて置きなよ」傍らのジーナ・
エマ・デイヴィスは、哀れむようにミリーを眺めていた。それでもエマが心配している心情だけは伝わってきたので、放浪者の娘は少しだけ泣きたい気持ちになった。