ポレシャ人一行は、ルガリエ地区の傾斜した田舎道をのんびりと歩きながら、銃弾を注文した工房へと向かっていた。ルガリエ地区でも、質の良い紙薬莢弾を製造してる工房はそう多くはない。母体である自由都市ズールですら、定住人口は五千人前後。建物の散らばりから一見、広大に見えるルガリエ地区も実際の住人数は、千に遠く届かないだろう。
流れの職工や職人崩れが構えたモグリの工房を除けば、工房を構える親方と職人衆ごとに得意とする分野も明確に異なっている。剣や槍、鎧の制作を得意とする親方もあれば、マスケット銃を安価に作れる職人もいる。精度の高いクロスボウを誇る職人衆に、機械を巧みに操って銃身を作る職工。弾薬と雷管の調合を得意とする技術者たちもいた。
「銃身や鎧が欲しいなら『黒鉄《くろがね》工房』か『鋼心《こうしん》カンパニー』。弾薬の注文なら『燐火《りんか》工房』と今から向かう『雷鳴舎《らいめいしゃ》』が双璧です」【蛇】のマギーが丁寧に説明してくれた。
普段であれば、ルガリエ地区の工房においては数発の弾薬と火薬。一丁のクロスボウやマスケット銃に予備部品のひとつから販売しており、孤独な旅人の銃の整備から纏まった徒党の大口注文まで受け付け対応が可能であるが、流石に大交易市の開催時期ともなれば、遠来からの来訪者で大いに賑わう中、小口の注文は後回しにされ、大きな注文でも予約が必要となりがちであった。その点、ルガリエ西口の大手工房『雷鳴舎《らいめいしゃ》』においては、いい仕事をしてくれたのだろう。それなりに貴重な紙薬莢の注文についても、予め聞き取っていた口径や薬室に合わせて短時間で製造してくれ、威力も調整してくれた。
一般的な黒色火薬は、硝石75%・木炭15%・硫黄10%前後で生産されている。このうち、硫黄成分は着火温度を下げ、燃焼を安定させる役割を持つ一方、燃焼後に硫酸塩を残すため、鉄製の銃身や薬室に対して強い腐食性を発揮する。黒色火薬でも腐食性である硫黄成分が少ない調薬は可能であるが、しかし、硫黄を抜くことで点火温度が上がり、着火性は悪化してしまう。しかし、ここに職人芸があり、高性能な雷管や特殊な着火剤で補うことが可能であった。つまりマスケットやミニエーでは無理だが、紙薬莢を使う銃であれば、雷管を仕込むので、硫黄成分を減らした薬莢が可能となる。
硫黄を減らした紙薬莢は、白煙が少しだけ減り、喉や目への刺激性がやや弱くなる。コストがやや高くつくものの玄人好みの弾薬で、エマ・デイヴィスやルーク・アンダーソンなどの手練の銃使いは、受け取った弾頭を各々三発ほど試射してから満足したように頷いた。工房裏手の荒野に置かれたマネキンに見事にハートショット、ヘッドショットを決める二人の腕前に、太い腕を組んだ工房の親方も、賞賛の口笛を吹いている。ジーナ・
大きな工房の裏手で二、三時間ほどを費やしてから、満足したように各々が都市紙幣やギルド通貨、或いは銀貨などで支払いを行っている。
手持無沙汰な【リドリーの娘】ミリーは、試射を眺めていたものの、ライフルや弾薬についての技術的な質疑応答に関してはちんぷんかんぷんで右の耳から左の耳へと聞き流してしまったし、何が面白いのかも全然、分からなかった。ルーク・アンダーソンは何かしらの紹介状を持っていたらしく、受け取った親方に支払いが三割引もされている。受け取りのサインを書いたにも関わらず、親方の故郷が云々、親戚が云々と、そこからさらに土産話で話が長引きそうになっている。
老いた職人と数人の徒弟が屋根の下でお茶を飲んでおり、「こっちゃ来い。菓子喰うか?」と手招きしてくれたので、ミリーは射場を離れてぷらぷらと歩き出した。マギーは一回り大人だし、ニナもあまり話の合う相手ではない。
無論、あまり遠くに行くつもりもない。エマや同行者たちの視界の届く範囲に留まり、機械や職人たちの働く姿を眺めているだけだったが、どうやら工房には他にも来客がいたようで、遊牧民風のゆったりした服を着た一団の男女が、同じように銃弾について説明を受けていた。十人近い剣呑な雰囲気の集団であったが、一際、豪奢な装いをしてる青年がいる。額には金に輝く精緻なサークレット。外套には光沢ある銀狐の襟があしらわれており、他者を見下すような視線から(なんか偉そうな人だな)と言うのが、ミリーの感想だった。
簡素だが、口当たりの良いオレンジのパイ菓子を分けてもらいつつ、三十分ほど所在なく見物しているうち、話も終わったのか。エマやマギーたちが此方へとやってきた。エマが頷いている。マギーは何時ものように鋭い視線で周囲を眺めていたが、ふと、視線が一か所に静止した。遊牧民の集団、例の一人だけ派手な装いをしている青年がマギーを凝視していた。
マギーは微かに眉を顰め、他のポレシャ人たちも異常な気配を感じ取ったか、戸惑いつつも身動ぎしていた。青年は腕をゆっくりと上げるが、その手がトングのようにC型の義手であることにミリーは気づいた。マギーを差しながら、青年は信じられないような大声で怒鳴った。
「その女を殺せェえええ!!!」
次の瞬間、起きた事態は、余りにも目まぐるしかった。
遊牧民の数名が当惑の表情を見せながらも、マギーに向かってライフルを構える。同時にマギーが、顔は呆然としながら、近くの小テーブルを蹴りつけた。冗談みたいに小テーブルが飛んで遊牧民たちに飛び込むと、義手の青年に衝突してひっくり返した。マギーはそのまま駆けて、遊牧民たちと一緒にいた身なりのいい女性に飛び掛かった。いち早く、混乱から立ち直った遊牧民の女がマギーに狙いを定める。壁を背にしたマギーが市民と思しき女性を盾にしたまま、ナイフを喉に突き付ける。若い女性の顔が引き攣っていた。ニナがクロスボウを引き抜いて、座った目でマギーを狙う女の首に狙いを定める。
少し遅れて、遊牧民の男性がライフルでニナに狙いを定め、それを見たイザベル・ミラーとルーク・アンダーソンが逆に彼に狙いを定める。エマ・デイヴィスも硬直しているミリーを後ろへ後ろへと庇いながら、素早く銃を構えていた。
「なんだ、これ……なんだ、これは」
ぶつぶつと愚痴りながら、銃を構えたジーナ・
室内に、静かな呼吸音が響き渡っていた。恐怖と緊張の匂いが立ち込めている。職工たちが戸惑いの表情を見せながらも、素早く他の部屋へと避難していく。「警備を呼べッ!」と言う叫び声に年嵩の遊牧民の表情が強張るも、銃口を突きつけ合った状況に、誰もが迂闊な動きを見せられない。
「よくも……よくもぉ」と怨嗟の呻きを洩らしながら立ち上がった義手の青年を前に、マギーも微かに目を細めながらも「お嬢さん、巻き込んで申し訳ないね」と市民らしき若い女の耳元に詫びるように囁いていた。
「そう思うなら、放して欲しいんだけど」お嬢さんは、意外と余裕のある返答をするが、「わたしもそうしたいけど、まだ事情がよく呑み込めないんだ」マギーが困ったように言いながら、じりじりと味方側へと動いていた。当然、人質を放したりはしない。
「殺せ!その女を殺せぇ!」「止めろ!なにをしてる!お前ら、撃つな!銃を下ろせ!」同時に叫んでいるのは、二人とも遊牧民だった。派手な装いをした義手の青年は殺せと喚いており、頬に凄まじい傷を持った壮年の男性が牽制するように声を張り上げている。二人ともに地位の高そうな雰囲気を纏っているからか。ミリーには分からないが、遊牧民たちも戸惑いつつも、先に銃を下ろす決断が出来ないように見えた。
「……貴方は誰だろう?どこかで会ったかな?」令嬢を盾にしつつマギーが問いかけると、義手の青年が血走った表情でC型の手を見せた。
「ふざけるな!この手を見ろ!貴様に奪われたこの手を……ッ!」叫んだ青年の手を見つめてから「ううん、心当たりはない」遊牧民全体の動きに視線を走らせつつ、マギーは本当に困ったように告げると、義手の青年は怒り狂った。
「構わん!その女ごと撃ち殺せ!」「止めろ!絶対に撃つな!やめろ!」被せるような年嵩の遊牧民の声は重々しく強さがあるが、地位自体は義手の青年の方が上にも思える。
マギーを睨みつけながら「ムーテの命令なるぞ!」喚き散らしているが、年嵩の方が重んじられている様子で状況はやや拮抗していた。それでも何が起こるか分からない中、打ち続く緊張感に耐えきれなくなったか。若い遊牧民の二、三人が後込め式ライフルの狙いを定めるように、片眼を閉じ、首を微かに傾斜させた。
死の気配が濃密に立ち込めてきた。小型クロスボウを構えたニナが目を細めた。ルーク・アンダーソンの表情から感情の色がすっと抜けた。イザベル・ミラーは楽しげに笑い、エマ・デイヴィスは微かに唇を噛んだ。頭を抱え込んだミリーがしゃがみ込んで、背後からはジーナ・
曠野では、親しい他人との別れが唐突に来る。知っていたはずだが、ミリーは耐えられそうになかった。祈るような気持ちで喘ぐように涙を零したが、唐突に「止めろ」と凛とした声が後方から掛けられた。
「銃を降ろせ。全員だ」僅かに汗を掻きながら、新たな青年が部屋に入ってきた。工房の親方もいる。数人の遊牧民が微かに安堵の吐息を洩らしたが「……しかし」と若い一人が躊躇いを見せる。
「先に降ろせ。この町で派手な撃ち合いをしてみろ。生きては帰れん。いや、そこまでではないかも知れないが」若者の釘を刺すような言葉に、頷いてから、ゆっくりと銃を下ろした。心なしか、雰囲気が弛緩する中「ルキウス……ッ!なぜ、止めるのだ!貴様の父の仇であろう!」義手の青年が絶叫を続けた。
「ムーテ」と義手の青年に恭しく一礼しながらも、ルキウスはマギーを一瞥した。
「この女が御身《おんみ》の腕を斬り落としたと?」
「貴様も見たであろう!」とムーテが絶叫している。
「嵐の夕刻、顔にドーランを塗っていた娘は、本当にこの女ですか?あやつとは身長が随分と(二十cmほども)違うようですが……」言われたムーテがマギーを改めて見つめた。マギーの背丈を見て、血走っていた瞳が僅かに揺らいだ。
「いや……この女……この女の筈だ。間違いない。その蛇のような目……絶対に間違いない」しかし、確信が揺らいだように呟きは徐々に弱まっていった。
「四人目か。いや五人目ですな。貴方が騒ぐのは。また哀れな女を殺すのは」と年嵩の遊牧民が面倒臭そうに口を挟んだ。
「違う。今度こそ、本当だ。余……余は……」ムーテは急に自信が無くなったようだ。瞳が不安定に揺れている。崩れ落ちそうになっている義手の青年を支えるように、女性たちが寄り添った。
「全員、ゆっくりと銃を下ろせ。出来れば、そちらも降ろしてくれ」遊牧民たちに命じつつ、ルキウス青年は、ポレシャ人一行にもそう告げた。
三人目の有力者の命令が出たからか、遊牧民たちが互いの顔を見廻してから、先にゆっくりと銃口を下ろした。ポレシャ人たちも銃口を外し、マギーも人質の首からナイフを放すも、まだ盾に出来るよう抑えてはいた。
それでも誰もが安堵の息をホッと洩らす中、二人。蛇の刺青の女遊牧民は最後までマギーを冷たく睨み、長身の美丈夫は獰猛な笑みを口元に張り付けていた。マギーやニナも当然に気づいてはいただろう。
ポレシャ人たちも距離を取り、ルーク・アンダーソンやエマ・デイヴィスも遮蔽を取りながら銃を下ろすと、ルキウスはムーテに穏やかに語り掛けた。
「ムーテ。御身《おんみ》は疲れておいでです。曠野は広い。このような処で十年来の宿敵に出会うなど、あり得るでしょうか」
固唾を呑んで見守りながら、部外者のミリーもコクコクと頷いてみた。
「だが……だが、あの女は」唇から洩れた言葉は、先刻までの確信に欠けていた。
女奴隷が手にした水筒から、そっと銀の杯に芳醇な赤いワインを注いで恭しく差し出した。それを一息に呷ったムーテは、何処か焦点の合わない視野でルキウスたちを見つめ返す。
「さあ、ムーテ。ささやかですが宴を準備しています。貴方の忠実な支持者たちも、会うのを楽しみにしていますよ」
「ああ……うむ、忠実な支持者たちに会うのも、ムーテたるものの責務故にな。会わねばならぬ」奴隷や侍従たちに付き添われ、フラフラと歩き出したムーテの背をポレシャ人や工房の者たちはじっと見送っていたが、勿論、誰も話しかけたりはしなかった。ようやく立ち上がったミリーは、エマの腕に抱き着くと、溜息を洩らした。足はまだ震えていた。
ぶつぶつと呟いている義手の青年が宥められながら誘導されて外へと出ると、大半の遊牧民たちもそれに続いて立ち去った。去り際に、ルキウスが年嵩の遊牧民に向けて頷いた。頬に傷の刻まれた遊牧民が頷き、その場に残ってマギーたちに対して相対した。
「ムーテ、か」何故か、嘲るように口元を歪めて呟いたマギーが、そっと人質に囁いた。
「お嬢さん、手荒に扱ってすまなかったね」マギーが放すと、壮年の遊牧民が丁寧に受け止める。
「このことは忘れませんから」ツン、として告げた令嬢の顔色は蒼白で、足は震えていたが、気丈そうにマギーを睨みつけている。
「出来れば、警備が来る前に互いに立ち去りたいところだけれど……」呟いているマギー。
「無関係の令嬢の扱いにしては、些か乱暴に過ぎるな」年嵩の遊牧民が告げると、一瞥した【蛇】のマギーが、微かに目を瞠った。
「コル」
「わたしを覚えていたのか」名を呼ばれた年嵩の遊牧民が意外そうに告げると、マギーは薄く肩を竦めた。
「手強かった相手は、大体覚えてる……たしか、デン戦争で敵味方だったと思うが」呟いたマギーは、記憶のなにかが繋がったのか。
「それにリディアもいた……『
「懐かしい名前を聞いた……今の我らは、残党に過ぎないが」淡々と言ってから、しかし、コルは観察するように静かな視線をマギーに向けた。
「……スネイクバイトは割れたそうだな」コルが投げかけた言葉に、「わたしも残骸のようなものだ」マギーは苦い笑みで応じた。だが、コルを見せながら、指先は油断なくナイフの柄を弄んでいる。
「昔の怨みを晴らすなら、格好の機会だな」自嘲するように頷きながら、コルに向き直り、鋭い眼差しを返した。
コルはゆっくりと頬の傷に触れた。しかし、「今さらの挑発は止せ……互いに守るべきものもあるだろう」と淡々と告げながら、ポレシャ人一行を一瞥する。
と「なら、ありがたい」マギーもあっさり頷いた。遊牧民たちも、ポレシャ人たちも一度、殺し合いの緊張感が抜けているためか。互いになんとも言えない脱力感を感じながら、視線を交えていた。
コルが数瞬を考えてから「お前こそ、我々を憎んでいるのではないか?」と尋ねかけた。
「それこそ……今さらだろう。誰が死んだ。誰それが殺したと言い出したら、限《きり》がない」とマギーは応えたが、言葉とは裏腹に、消化しきれていないのだろうか。声は僅かに掠れていた。
マギーとコルは、互いの内実を推し測るようにポツポツと会話を交わしていた。何人か残った遊牧民も、ポレシャ人一行も口を挟まずに二人を取り巻いていた。
陰気な沈黙が二人の間に舞い降り、少し迷いを見せてからコルは首を振りつつ、【蛇】のマギーに告げた。
「そう警戒するな。我々から、理由もなく仕掛けることはしない。願わくば、お前の側も、そうであって欲しいものだが」
「……ムーテが復讐に執着したらどうするね?抑えられるのか?」マギーは疑わしそうな口調で尋ねたが「あれは神輿に過ぎない。実際には、なんの実権もないのさ」コルは肩を竦めながらそう告げた。