黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_58X それぞれの思惑

 マギーちゃんは、蚤の市近くの喫茶店の軒先で涼んでいた。マギーちゃんの生業は、行商人である。先刻まで露店や屋台を廻っては、ガラス瓶だの空き缶、皮革や襤褸布だのを買い込んでいた。物資に乏しい居留地や集落ではそんな代物でも売れるのだ。背嚢一杯に詰めた荷の幾らかは、間借りした食料品店の一角に貯め込んである。

 

 蚤の市においても、些か値上がりしているものの普段よりも豊富な品揃えが並んでいた。働き者の行商人たちにとっては一稼ぎする好機に違いない。近隣の居留地や農村からも背嚢や鞄を携えた同業者がやってきては、手頃な掘り出し物がないかと鵜の目鷹の目で探している。鉄板となると、古い酒瓶や空き缶だろう。其の儘に水入れとしたり、多少の細工で皿やコップにも使える。ブリキなどは、溶かして鉄塊にしても使い出があるのだ。

 

 マギーの入り込んだ喫茶店も、今にも崩れそうな土壁の建物の奥。古い酒瓶に水などを詰めて棚に並べてある。西部劇などで気安く割られる酒瓶は、実際には19世紀でも使いまわしが当たり前の高級品であった。酒瓶が大量生産され、安価な品となるのは西暦も20世紀に入ってからで、それ以前は数千年の間、高級品の地位を占めており、割れたガラス片も貴重な素材として再利用されていた。

 文明崩壊後、ガラス製造に関する知見は広く膾炙し、一定の技能を持ったガラス職人たちが点在している世にあっても、安価に瓶を量産する設備は失われて久しく、瓶は割っても惜しい程度の品として地位を復権させていた。

 

「まったく、額に汗して稼ぐことほどよいものは無いわい」呟きながら、マギーちゃんはぬるい水をラッパ飲みした。相棒のニナも、少し離れた椅子で蕎麦のパンに豆を挟んだものを食べていた。

 のんびりした夏の昼、マギーちゃんが眩しげに太陽を見上げてると、長椅子の隣の席に若い娘が腰掛けた。装いからすると、自由労働者に見える。柔らかい身体が触れ合うので、マギーは目をくれると、相手の娘が微笑みかけてきた。

「……リディアを見かけました。リディア・ソーン」口元をマギーの耳元に寄せて囁いた。

「……アハエトゥラ(アジア・ツリヘビ)か」

「貴方たちに付いて、色々と嗅ぎまわっている様子。今は遊牧民。大地の子(サンズ・オブ・アトラス)とか言う小氏族の傭兵頭をしているそうで」若い娘が囁き終わるとマギーは頷き、大振りの銀貨を数枚、握らせた。若い娘は嬉しそうにマギーの手を握り返し、口元に運んで赤い割れた舌(スプリット・タン)でチロリと舐めた。

「ウロボロス。貴方に氷の王クロムの祝福があらん事を」囁いている娘の袖口から除いた肌には、蛇の鱗を思わせる刺青が見え隠れしていた。

 マギーは薄く微笑み「君の旅路が恙なきことを」と言葉を返した。

 

 かつての部下の一人が立ち去ると、マギーは髪をかき上げた。寄る辺なき黄昏の時代(トワイライトエイジ)、昔の仲間が一人でも健勝に生きている姿を見るのは素晴らしい事だった。僅かに肯いてから、深い思考へと沈み込む。

『大地の子(サンズ・オブ・アトラス)』は新参の徒党にしては、迂闊な動きが多い。都市での活動に慣れていないのだろう、動きを補足するのはそう難しくなかった。想定よりは危険な存在だが、内心で危惧していた程は深刻な脅威ではない。恐らく、争うことにはなるまいが、一応の警戒は続けるべきだろう……

 そんな風に考えていたマギーちゃんだが、腹部にボスッと衝撃を受け「おふぅ……?!」無様にと息を漏らした。

「マギーは、悪いレズだよ」音もなく近づいていたニナが、そう抗議しながらマギーの腹筋にポスポスと拳を打ち込んできた。

「わあ、止めなさい。違うのだ」

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 自由都市ズールの外郭地区は、古来より自由と危うさの同居する土地であった。

 バシカは、都市防壁の外側に点在する古い外郭地区である。防壁内ほどには庇護を受けられない代わりに、税や都市の干渉も随分と少ない。都市の統治機構――商会連や貴族、議会などからあまり干渉を受けたくない者たちや、よそ者や放浪者が身を休めるには都合のいい土地であるが、力の空白地帯に強力な外来者がやってくれば、其の儘に地区の顔へと居座ってしまうことも起こり得る諸刃の剣だ。

 

 新参の遊牧氏族である大地の子(サンズ・オブ・アトラス)は、今のところ、地区の一角を占めるだけで満足してはいるように見えた。

 かなり強力な武装と人数を所持しているにも拘らず、古くからの地区自警団と揉める様子も見せずに、大人しくしているのは、旧来の住人たちにとってまずは良い傾向だろう。しかし、一方で、外から無法者《アウトロー》や逸れ牧者、傭兵などが流れ込んで日に日に勢いを増しているのは、やはり不気味な兆候でもあった。

 

 バシカ地区の路地を歩けば、一帯の角に『大地の子(サンズ・オブ・アトラス)』の歩哨の姿が目に入ってくる。手製の武器を構えた若者や、革鎧をまとった者が、通行人たちを警戒するように眺めていた。通行人の行く手を遮るような真似はしない。今は、まだ。

 

 

 ―――――

 

 

 バシカは廃市街としては、それなりにしっかりした建物も多く残っていた。ズールに近いだけあって、壊れた建物も資材として都市の住人に回収された為、広い空き地もよく目立った。

 そうした空き地の一角、『大地の子(サンズ・オブ・アトラス)』のささやかな宿営地のひとつが設営されている。

 

 雑然とした地面に布張りの小さな天幕、帆布《タープ》を屋根に泥壁で急造された小屋。縫い合わせた古い敷物や毛布の天幕。小屋の壁は乾いて割れ目の入った泥。雨が降ればすぐ崩れそうに見えて一度、陽光で乾燥すれば中々に堅さを保つ。見すぼらしい印象を与えるかも知れないが、力のない放浪者の徒党など、こんな建物すら都合するのも困難なのだ。

 

 幾つかの簡素な焚火からは煙が立ち上り、食べ物を焼く匂いが漂っている。氏族の者らがそこかしこに腰かけて駄弁ったり、のんびりと荷を片付けてたりしている。老人が木陰で猫と居眠りしていたり、少年たちが木の棒で遊んでいたり、古びたライフルを抱えた見張りも木柵の近くに佇んでいた。また赤子に乳を飲ませている若い娘の姿もあれば、一家で鍋を囲み食事をとっている風景もあって最近、落ち着いたばかりである流れ者の割には、食べ物に困っているようにも見えなかった。

 

 氏族の幹部コルと配下たちの天幕は、その空き地に建てられていた。コルと配下の十数家族であり、それだけで単独の小氏族を形成しているとも言えた。草原に暮らす遊牧民の生活様式に、不満があれば部族を離脱し、見込みのある別に指導者の集団に加わるのは珍しい事例でもない。故に族長《ニウヴ》と言えども、基本的に有力者たちの意向は無視できなかった。特に『大地の子(サンズ・オブ・アトラス)』結成当初から物資面でなにかと部族を支え続けてきたコルは、押しも押されぬ有力者であったが、しかし、今は馬上の数人に向かって恭しく頭《こうべ》を垂れている。

 

 

――此方は、女王《シーヴ》シーラからの書状です。

 

――女王《シーヴ》シーラの好意に感謝を。此方は礼状と、ささやかな貢物です。東部の情勢について書き記したものが此方に。

 

――確かにお預かりしました。女王《シーヴ》に必ずお届しましょう。

 

――女王《シーヴ》シーラの援助もあって、我らもなんとか食いつなぐことが出来ました。今後は、自由都市ズールにおいて活動するとお伝えください。

 

 コルが恭しく、シーラの使者に頭を下げている。デン王の配偶者にして女王《シーヴ》の使者を迎えるとなれば、弱小部族の一有力者が頭を下げるくらいは当たり前なのだろう。或いは、放浪当初にコルはシーラの援助を受けたのだろうか?

 

 使者たちとコルの会話する間近な小屋の影――密偵のように息を潜めながら、作業に疲れた人夫のように顔と作業着を泥で汚した族長《ニウヴ》ルキウスは、盗み聞きに耳を澄ませていた。コルとて多少の警戒はしていようが、絶対に秘密を守り抜くとまでは想定しておらぬだろう。西方の誰かしらと連絡を取り合っていることは、氏族の他の有力者には半ば、公然の秘密であったし、ルキウスも狙って忍び込んだ訳でもない。族長《ニウヴ》みずからが民草の新たな小屋を建てる為、資材を運び込んで作業に一段落ついたところに、接近してくる人影を見かけて、身を潜めたのだった。

 

 ルキウスは、かつての婚約者シーラを思った。人に拠っては裏切り者とも呼んでいる。シーラの立ち回りは驚くほどに見事であって、あの内気な娘が、これほどの才知を持っていようとは想像もしていなかった。もし、もっと打ち解けるように振舞っていれば、本来、デン高原に新たな王国を築いていたのは――――族長《ニウヴ》ルキウスは首を振った。空想を抱いて羨望や懐古を募らせるだけの矜持を保つには、日々の生活は惨め過ぎた。追放直後、供された食事の粗末さに怒りを覚えて地面にぶちまければ、年下のジークにすら容赦なく叩きのめされ、コルの食事とて豆を煮ただけの似たような代物だった。

 

 

 かつて持っていた牧草地の縄張りも、新たな牧畜王国の物となるか、他の遊牧民や牧者衆に奪われるかして、大地の舎人(キーパーズ・オブ・ランド)の残党は困窮した。有力者たちは、自分の氏族を食わせるために何でも仕事をした。定住民に媚びもすれば、割の悪い契約も呑み込み、商売の真似事もする。時に、放浪民や渡り人(オーキー)の小集団を襲って、なけなしの資材や食料を奪い取りさえした。しかし、それは他人の赤子の乳を奪い取るのと同じであっただろう。

 今はようやくに赤子が餓えて死ぬこともなくなり、潤沢な弾薬の補充と壁のある生活に、怪物に脅え、寒さに震える日々からも遠ざかった。贅沢など滅多に味わえないが、それでも戦続きの【嵐の王】の時代よりも、ましかもしれないと苦笑していた。

 

 さて、果たして女王《シーヴ》シーラは、腹違いの兄の活動を把握しているのか。 

 それがルキウスにとっては、どうにも気に掛かってならない。

 シーラは間抜けではない。王《ムーテ》タリウスの所在は把握している筈だ。

 コルが手元に置いている事も承知していよう。

 

 では、タリウスの活動に関してはどうか?タリウスの元に反乱分子が集っていること、兵を募っていることは?ほぼ確実に、それも掴んでいる。

 いかに東西に離れてるとは言え、自由都市ズールは曠野で第二の都邑である。

 少なくとも、ルキウスであれば密偵の二、三人は絶対に潜ませる。

 

 では、なぜ、放置している?かつてタリウスとシーラの兄妹仲は、それほど悪くなかったのを覚えている。だが、生かしておくのは、惻隠の情か?女王《シーヴ》シーラは、それほどに甘い相手だろうか。力あるものほど、多くの敵を持つものだ。王ともなれば、反逆者の大半を鏖殺しても尚、敵を殺し尽くす事などはできぬだろう。

 或いは……腹違いの兄を、面倒な敵を一つにまとめておくが為の囮としたか?

 分からない。(……読めんな)とルキウスは素直に認めた。

 新王国に叛意を抱くものらを纏めておくための生餌がタリウスとすれば、恐ろしい女だと思う。それとも、若き王の策謀かな?

 天幕の影。膝に近寄ってきた猫を抱きかかえて喉を撫でながら、ルキウスはため息を漏らした。まったく、誰も彼もが油断ならなくて嫌になる。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 人口の薄い大地。商業都市連盟やその他自由都市の一部経済学者たちは、乏しい人手を補い、世界を癒すための一石二鳥の方法が奴隷売買を組み込んだ自由経済である、と唱えている。

 兎も角も、人々が協力し合い、近隣だけでも統合された経済圏を造り出せば、人類圏はより強固になると言うのが、自由都市ズールの言い分であり、近隣の農村地帯などは経済的利点を理解して、進んだ経済システムを取り入れつつあるのに対し、辺境の居留地はいまだに根強い保護経済を敷いて頑強に抵抗している。

 

 特にポレシャ市などは再三に渡る自由都市ズールの協力要請に対して、経済協議に出席する素振りすら見せず、傲慢にも独自の経済圏を形成しつつあった。

 大勢の人を幸福にする自由経済の普及を諦める訳にはいかず、粘り強く交渉を持ち掛ける自由都市ズールに対し、精兵と頑強な防壁を頼みとしたポレシャ市は奢った態度を崩さずに、特に奴隷売買は良民を脅かし、治安を悪化させるので辞めろなどと主張して、両者の協議は物別れに終わるのが常であった。

 

 

 

 

 

 

 ズール市の新聞は、ポレシャ市の頑迷さを非難していた。物は言いよう、と言うか。要旨を纏めれば、繁栄と平和を構築する為に、ポレシャ市は反省して人身売買を認めるべし、と主張してる。奴隷貿易時代には、どの列強も大なり小なり、似たような主張で自己正当化を図ったが、黄昏の時代に新しく勃興してきた勢力も、また似たような行為を繰り返すのだろうか。

 

 いずれにせよ、ズールの言い分は随分と牽強付会、かつ傲慢な物言いだった。ズールは平和と繁栄のためにこれほどに犠牲を払っているのだから、近隣の居留地や集落も身を削って協力すべきである云々。どのような言い分も取り繕うことはできようが、流石に厚顔無恥にも程があると言うのが、ポレシャ市の自由都市に対する評価で、人狩りに狙われやすい貧しい放浪者などは全面的に賛同するしかない。今まで読んでいた新聞紙を丸めてくしゃくしゃにすると、焚火に放り込んだ。危険な曠野を辛うじて生き延びている身からすれば、また「ポレシャに戻りてぇなぁ」と懐かしく思う土地だった。

 

 当たり前だが、正直で働き者の渡り人(オーキー)や放浪者にとっては、ポレシャ圏の方が随分と暮らしやすい土地である。勿論、夜な夜なに屍者が徘徊し、変異獣は跋扈するのは何処も変わらないが、人狩りや奴隷商人には滅多に遭遇しなかった。 例え、奴隷所持は認められ、奴隷同然に扱われる丁稚小僧や召使い、奴婢などがいるとしても名目上、一応の人身売買が禁止されてるのは当事者にとっては大きい。

 

 人が人を売ることが公式には禁止されていることは、人々の倫理感・秩序感を担保し、支える為の重要な要素だと、違法な奴隷商人一味を公開処刑する際、副保安官の一人が演説していた。曠野にマシな土地があるのであれば、確かに、それはポレシャに違いない。できれば、ずっと暮らしていたい土地ではあったと思いつつも、人々はズールへと流れてくる。仕事が多く、広域通貨を稼げるのはやはり大きな自由都市の利点であった。

 

 

 

 

 

 

 自由都市ズールに拠る際、貧しく、比較的に善良な渡り人(オーキー)や自由労働者たちが屯うのは、曠野の野営地か、さもなくば精々が安全そうな廃屋の影であった。他の都市であれば、橋の下などもあるだろうが、生憎とズールはやや標高が高く、井戸が主体で市内に河川は存在していない。運が良ければ市内に廃屋も見つけられるが、駄目なら防壁近くの廃区画に身を潜めることになる。都市近郊は警備隊によって、怪物や屍者、巨大蟻の多くが駆逐されていた。

 

 自由都市ズールは過去、幾度かの戦火に晒されており、都市防壁内部には、今も少なくない廃屋がぽつぽつと点在している。完全な廃市街などはないが、治安の悪い貧民窟もあれば、住民の希薄な地区も存在しており、後者の廃屋は旅人にとっても潜り込みやすい場所であった。

 

 日が沈む頃になると、壁の崩れかけた廃屋の片隅で、焚火の炎が灯された。近くの街路に渡り人(オーキー)の子どもが駆けまわっていた。錆びた鉄缶を転がし合い、笑い声をあげている。何時の時代も、子供とは身の回りに楽しみを見出すものだ。

 背後の壁には、古い文字がかろうじて残っている。昔の旅人が誰かに向けた伝言だろうか。幾つかの文字は薄れていたが、もはや待つ人々もいないだろう。都市内には、こうして旅人たちが集う廃墟が幾つかあった。金も払わずに寝泊まりする他所者たちに近隣の住人たちもいい顔はしないが、しかし、流れ者は都市にとって貴重な労働力でもあり、見逃されている。

 

 渡り人(オーキー)の大人や年寄りたちは、昼は日雇いの口を求めて市に出る。荷を担いだり、土砂を運んだり、働き口があればどんな仕事でもして食い扶持にありつくが、運に恵まれない日もあって、空手で戻るしかない。夕暮れ時に、大人たちが三々五々と戻ってきている。一か所には精々、二、三家族。余り大勢集まると住人に警戒されるため、十人を越えるのは少なく、知り合ったばかりの者もいる。貧しい旅人の間に、安全に寝泊まりできる居場所は噂として膾炙しており、此処で旅の仲間を見つける者もいれば、落ち着けそうな土地や職場の情報を交換したり、時にはなにかしらの仕事を紹介する事もあった。

 

 火に掛けられた鍋では、鼠肉と野菜に大麦などが煮え立ち、粥となっていた。そして何より山羊のバターと乳。早速、気の早い子どもたちが腹を押さえて覗き込んでいる。

 楽しげな子供らとは裏腹に、若干の大人は見通しの良さそうな崩れかけた石造りの階段に腰かけ、周囲へと警戒の視線を走らせていた。都市内でさえ、崩れた防壁の一部や地下トンネルを通って曠野の怪物やら屍者、巨大昆虫などが侵入してくることもあれば、盗賊や人攫いの類が夜陰に乗じて旅人を餌食としたり、荷物を狙うこともある。黄昏の世に油断は禁物だった。

 

 勿論、ズールは、強力な軍を所有し、地区ごとに自警団も抱えている。自由都市の治安は悪くないが、市内には人攫いも潜んでいる。奴隷には債務奴隷、流民狩り、戦争捕虜と種類があり、奴隷商人にも公的免許の所持者によそ者、モグリに人狩りと種類がある。そして、人狩りが跋扈する土地では、武装した市民さえ、おのれの良く知っている区画から出たりはしない。故に奴隷を売買する自由都市にも、奴隷を扱うなりの理屈や道理があるようで、目立つものは排除されている。違法奴隷の流通は意外と少なく、モグリの奴隷商人も滅多に見ない。

 

 商会に貴族、密輸同盟なども強力な私兵を抱えており、獲物を間違えた外部の奴隷商人が兵団ごとに縛り首にされた事件などもあって、ズール圏内で大規模な人狩りが活動することは許されていない。しかし、法や権力が真っ当であろうとも、一方では抜け道や小規模な違法行為が残るのも世の常だ。違法な人攫いと人身売買は、ささやかなれど、常に一定数のシェアを保ってもいた。債務奴隷だけは認められつつも、外部で拉致されて奴隷にされた者が売られてくるのも珍しくはないし、身分の確かならぬ流れ者が奴隷に落とされるのも、またよく聞く話であった。

 

 

 

 

 

 小屋が密集した狭い路地の隙間から、細い影が飛び出した。

 すわ。屍者か、怪物か、と警戒してこん棒や盾に粗末な槍を手に取った渡り人(オーキー)の大人たちであったが、マントを羽織った人影が旅人たちの焚火を認め、屍者ではない、と示すようにフードを取って、手を振りながら走ってくる。

 

 街に潜り込んだ野犬なり、ゲッコーなりに追われたか、と警戒する渡り人(オーキー)たちだが、続いて路地より飛び出してきたのは、こん棒などを手に手に、数人の男たち、いや女も混ざっていたか。いかにも猛悪な面構えのならず者めいた面構えの一団が五、六人に渡り人(オーキー)たちはあからさまに怯んだ。

 飛び込んできた娘が「た、助けて」と息も絶え絶えに助けを請うてくるも、渡り人(オーキー)たちに大した武器はない。戦えそうな人数だけは辛うじて拮抗しているも、後ろは老人と女子供。渡り人(オーキー)の粗末な装備に対して相手は幅広の短剣に槍、火縄銃まで携えている。

 

 困惑している一団ににこやかに追手の頭目と思しき男が親しげな声を掛けてくる。

「よう、お兄さん方。後ろの娘を渡しちくんな。そいつは逃亡奴隷なんだ」

「うそ……嘘です……奴隷じゃない。仕事をするって連れて来られて、なのに閉じ込めて」娘が喘ぐように言うも、せせら笑った男が何やら書類を翳した。

「ほら、逃亡奴隷の追跡依頼書だ。ちゃんと役所に認められた仕事だぜい」

 顔を見合わせた渡り人(オーキー)たちに止めの一言。

「兄さん方、どうか邪魔はしねえでくんなよ」凶暴そうな笑みに渡り人(オーキー)たちの一団が思わず、視線を逸らして、道を開けた。

 娘が喘ぐような悲鳴を小さく上げるも、誰も助けようとしない。

 

 

 身内の女子供が毒牙に晒されれば、命がけで抗うであろう男たちも、しかし、見知らぬ娘と追手の揉め事に首を突っ込んでいいかは逡巡を見せた。

 若い女と見ればちょっかいを出してくる者は何処にでもいるものだ。これが追われる娘とあからさまな悪漢であれば、或いは不利をものともせずに介入した勇敢な若者もいたかも知れないが、相手は法的手続きを匂わせてくる。貧しい旅人にとって、下手に抗って都市司法そのものの不興を買えば、致命的な事態を招きかねない。

 

「手間かけさせてお仕置きせんとな」粘りつくような視線に脅えも露に後退る娘だが、助けの手は出そうにない。

 と、その時、横合いで焚火に当たっていたフードの女が口を開いた。

「その書類……ただ単に、うちの家から誰それと言う奴隷が逃げたと言う届け出だよ。誰でも提出する事が出来るし、法的な拘束力は一切ない」

 

「おい、おい。姐さん。適当な事言うんじゃねえよ」と追手の頭が笑みを浮かべながら、しゃがれ声で脅すように言った。

「よそ者騙すには充分だけど、ちょっと法律知ってたら、そんなんねぇ」相手にせずに、フードの女はしわがれた声で呟いている。

「最近、人攫いが増えてるから注意、と警備隊が張り紙をしていたし、お姉さんがもし浚われたって言い張るなら、警備隊詰め所に向かってみたら、どうかな?」提案に反応したのは、むしろ渡り人(オーキー)たちだった。顔を見合わせている。

 

「ちゃんとした身分登録されてるなら、相手が奴隷登録していようが問題ない。むしろ相手側が悪辣な人身売買として処罰される。誰か、ひとっ走り、詰所に行ってみたら?」気にした様子もなく続けられるフードの女の言葉。

「なんだ!てめぇは!口挟んでんじゃねえぞ!」追手の一人が怒鳴りつけるも、「お前こそ、動くな!」渡り人(オーキー)が気を取り直したようにこん棒を突き付けた。

 

「おい!誰か詰所に行ってみろ!」渡り人(オーキー)の一人が叫び、後ろで見ていた青年の一人が立ち上がって、街路を走り出した。

「ふざけんな!」追おうとするも、近隣の他の廃屋やら小屋から、渡り人(オーキー)や住人たちが様子見から姿を見せ始めていた。今は中立を保っている様相だが、追手たちを見る目には険が含まれている。誰も彼もがこん棒や槍を携えており、そして大概の貧乏人たちは、人狩りや人攫いを憎んでいる。

 

 天を見上げた追手の頭は大きく舌打ちし、腰かけていたフードの女にずかずかと大股に詰め寄ると、「てめえ、どういうつもりだ」胸倉を掴み上げた。

 元は牧者なのか、女は杖を手にしているも、武器に使う様子も見せない。

「やめてよ」億劫そうにしわがれ声で呟いた女のフードが外れると、意外にも、声からは想像も付かない。かなり容貌が整った若い女で追手の頭は軽く目を見開いてから、笑みを浮かべて、腕を掴んだ手に力を入れた。

「ふん、姉ちゃんに替わりに稼いでもらうのもよさそうだな」囁きかける。

「やめて。放して。うちの子が怒るよ」としわがれた声の女。

「子供がいるなら、一緒に面倒を見てやるぜ」と追手の頭が笑って、腕を引っ張りあげる。

「シーザー」しわがれた声の女が呟いた瞬間、背後の瓦礫から白い影が飛び出して、素早く追手の頭を押し倒した。

 呻き声を洩らし冷や汗を掻いている追手の頭の喉笛を、白い犬が軽く噛みついて保持していた。其の儘の姿勢で追手の頭を封じ込めているが、合図一つで食い破れるだろう。

「てめえ!」追手の一人が喚きながら、マスケット銃を向けようとするも、銃身が破裂した。

 フードの女が杖を構えていた。杖の先端から、硝煙が立ち昇っている。

 外見が杖型の後込め式ライフル。フードの女は素早い動きで手元に次弾を装填し、さらに別の追手の槍を中ほどからへし折った。後込め式の仕込み杖を前に、追手たちが怯んでる中、「もうやめようよ」追手の武器を無力化した女は、淡々とした口調で提案してみた。

 

 

 追手たちはあっさりと引き下がった。フードの女に喝破されたように、やはり違法な人買いだったのだろう。 連中が逃げるように立ち去ってから、ようやく場の空気も弛緩すると、追われていた若い娘は、思い出したように渡り人(オーキー)やフードの女へと歩み寄った。

「た、助けてくれてありがとう」まだ震えながらも、しっかりした声で礼を述べる。

「助かってよかったねぇ」フードの女は頷きかけながら「今度からは、もう少し信用できる雇い主を探した方がいい。昨今は、危ない連中がうろうろしてる」

「一度、家に帰ります」ほろ苦い笑みを浮かべた若い娘に、それがいい、と何もしなかった老人が訳知り顔で頷いている。

「やるねぇ」後ろに隠れていた旅人の女がフードの女を称賛して、水を差しだした。

「あんた、法律に詳しいなぁ」渡り人(オーキー)の一人がやや的外れな賞賛を送ると、フードの女が苦笑を浮かべた。

「でも、後難が恐いな。ちょいと気をつけなよ」と渡り人(オーキー)たちが口々に言った。

 

 若い娘も気づいたのだろう。ハッとした様子で「ごめんなさい。貴方が狙われるかも」と告げるも、「いいよ。いいんだ」とフードの女は気楽に手を振った。

「でも、あ、あの」戸惑う娘に、フードの女は「奴隷にされるのは嫌なもんだからねぇ」呟きながら、銀の腕輪を付けた腕を上げ、髪をかき上げた。

 月明かりの下、長い歳月、首輪を付けていた名残だろうか。女の首には、深い引き連れた痣が幾重にも走っていた。

 

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