(画数では《萩に猪》だ……けどよぉ、それはあまりに素直すぎる答えじゃねえか)
(梅……“紅”い花だ。紅葉にも"紅"の字がある)
(幸から鹿への連想が薄いのは気になるけどよ、梅と紅葉がしっかりと繋がるから……)
「──《紅葉に鹿》だなァ!」
イマリは少しだけ、目を伏せた。そして静かに告げた。
「お兄さんは、梅が“紅”いって、思ったんだね。紅葉も“紅”の字が入っているから、繋がると思ったんだね」
「その考え、すっごくきれいだよ。本当に。でもね、ちょっとだけ意地悪な問題にしたんだよ」
「この問題のともだちは、色じゃなくて"画"を運ぶの」
「葉は十二画で鹿は十一画、ちゃんと合ってる。でも紅は九画で……どこにも合わない子なの」
ウッドの背筋が寒くなる。この言い回しはまさか
──彼は嫌でも察した。自らが不正解への道を、突き進んでしまった事を。
「梅は一つの花でしょ。幸も一つの言葉でしょ。だからともだちも、一つずつに届くの。紅葉はね、紅と葉、二つの字でひとつの花だから……紅のところに、届けてあげる子がいないんだよ」
「だから、正解は《萩に猪》」
不正解の宣告を下されたウッドは、ほとんど放心状態だった。
「オレの…………負けか…………」
───────────────
ウッドはしばらく、ただそこに座っていた。
(正解は《萩に猪》……画数で……全部、合ってたんだ)
頭の中で、遅れて数字が整合する。
梅は十画。幸は八画。
萩は十二。猪は十一。
一匹で+1、二匹で+2、三匹で+3。
計算は完璧だった。答えまで、確かに届いていた。けれど──
(余分な連想が、邪魔をしちまった……)
梅は紅い。紅葉にも紅の字がある。それだけのことで全てが狂った。論理に詩情を混ぜた。ただそれだけの話だ。
「……ハハッ」
おかしくなって、口の端が持ち上がった。
「どうしたの?」
「いや。……梅が紅えぇからってよォ、随分と詩的な負け方したもんだと思ってよ」
笑える、と気づいた。悔しいのと、可笑しいのと、納得するのが、全部一緒に来ている。血と硝煙の世界で生きてきた男が、余計な詩情で足をすくわれた。そう思うと、不思議と清々しくすらあった。
ウッドはゆっくりと立ち上がった。膝が笑っていたが、どうにかなる。座ったまま終わる気はなかった。
仁王立ちとまではいかなくとも、せめて立って向き合う。最後くらいは、それだけのことをする。
「負けたら好きにする。……言ったことはよォ……しっかりと……守るぜェ……」
声が、落ち着いて出た。
「虚勢じゃねえ、流儀ってヤツだ」
(……本当はよォ)
脳裏をよぎる光景があった。行きつけの飯屋の喧騒。仲間たちと飲む酒の味。砂埃だらけのレヴィールの空気。帰りたかった、と思う。思ってしまう。でも、もうそういう話じゃない。
(全力でやった、それだけだなァ)
それだけは、揺るがない。
「なぁ、イマリ」
「……花札も、ブラックジャックも、花酔遊戯も。全部面白かったぜ。本当によォ……テメェは強かった」
「テメェに負けるなら、悔いは無いさ……」
それ以上は言わなかった。言えることが、それだけだったから。
イマリは弾むような足取りでウッドに歩み寄ると、躊躇なくその大きな身体に小さな掌を伸ばした。
ひんやりとした指先が、服の布地越しにウッドの胸に触れる。触れたときに、自身のどくっ、どくっ、どくっ、どくっ、と早鐘を打ちながら悲鳴を上げる心臓の鼓動を感じ取れた。
「うん、ありがとね」
イマリはウッドの顔を見上げず、触れたままの体勢で問いかける。笠の影になったその表情は窺えないが、声には期待が混じっていた。彼女はゆっくりと顔を上げ、約束を履行する時が来た事を伝える。
「イマリはね、ずっとずっと、寂しかったんだ」
「だからね、イマリのこと、忘れられないくらい、ずーっと好きになってほしいな」
彼女がそう囁いた瞬間、ウッドの姿が、ぽんっ!と可愛らしい音を立てて煙に包まれた。その瞬間、指先から何かが変わり始めた。
(──ッ?)
感覚がある。手がある。足がある。体がある。なのにそれが、みるみる縮んでいく。圧縮されるのでも、溶けるのでもなく──ただ、収縮する。
叫ぼうとした。
「きゅう!」
間の抜けた音が、喉から出た。
(な……何だァ?!)
もう一度。
「きゅいきゅい!」
言葉にならない。声は出る。ただし、言葉の形をしていない。どれだけ意志を込めても、どれだけ喉を震わせても、出てくるのは小鬼のヘンテコな鳴き声だけだ。
視線が下がっていた。さっきまで見下ろしていたはずのイマリの顔が、正面に来た。次の瞬間には、上にある。畳が近い。天井が遠い。世界のスケールが、根本から変わっていく。
手を見ようとした。
赤い。
小さい。
丸っこい。
銃を握ってきたあの手が、地面を踏み荒らしてきたこの足が、どこにもない。体がほぼ頭部のみの一頭身で構成されている。あるのはただ、ちょこんと角が生えた、赤くてまんまるい姿のみ。
「わ……! わ……! かわいい……!」
歓声を上げると、彼女はためらうことなくその赤い小鬼を両手で抱き上げた。
「これが、新しいお兄さん? かわいいね!ちっちゃくて、まるくて!」
「これからずっと、ずっと一緒だよ。たくさん、いっぱい、遊んであげるからね!」
(これが……オレの……姿なのか……赤くて、まんまるいなァ……)
それでも、思考だけは残っていた。鴨撃ちのウッドとしての意識が、魂が、小さくて丸っこい体の中に、かろうじて収まっていた。消えていない。失われていない。ただ、入れ物だけが変わった。
──かつてウッドだった赤い小鬼は、イマリの腕の中で、必死に状況を整理しようとしていた。
(落ち着け。落ち着くんだオレ……パニクっても仕方ねぇ)
「きゅいい……」
(足も短すぎて走れねェ。声も言葉にならねェ、オレらしくねぇ、ヘンな鳴き声が出やがる……)
「きゅうう……」
(だがよォ。思考がある。オレはまだ、オレだ。それだけは確かだぜェ!)
「きゅいっ!」
それだけが、砂上に転々とする足跡のように、かろうじて残っていた。イマリの腕は温かかった。けれど、ひんやりとした指先が、お腹の下のあたりをそっと支えている。
この手だ、とウッドは思った。花札を混ぜていた手。ブラックジャックで札を引いていた手。あの時、向かい合っていたはずの手が、今は自分を抱えている。
悔しい、とは不思議と思わなかった。小鬼たちが、数匹集まってくる。大きさも色も様々なそれらが、興味深そうに自分を取り囲む。「きゅい」、「きゅう」、と声が重なる。
(……こいつらも、かつては──)
一匹と目が合った。青色の、ずんぐりとした小鬼と、一瞬だけ。その瞳の奥に、何かがある気がした。感情と呼ぶには薄すぎる、記憶と呼ぶには断片的すぎる、何か。
次の瞬間にはそれも消えて、青の小鬼はころころと別の方向へ転がっていった。
(あれは…………)
それだけで、なんとなく分かった気がした。あの小鬼も、かつては言葉を持っていた。考えることができた。今は転がっている。
ということは自分も、いつか──。
(あの時、テメェに負けるなら悔いは無いとカッコつけたがよぉ、ああなっちまうのは、やっぱ……嫌だなァ)
「きゅいぃぃ……」、と鳴いた。それが嫌だという意志なのか、別の何かなのか、もう自分でも判然としなかった。思考と感情の間に、得体の知れない霧が立ち込め始めていた。
───────────────
しばらくすると、広間の隅の影から、わらわらと何かが姿を現した。先ほどまで、二人の遊戯の邪魔をしないように身を潜めていた、数体の小鬼たち。
イマリの腕の中の新たなおともだちを愛おしげに撫でながら、他の小鬼たちに目を向ける。彼女の声は、寂しさと満足感が入り混じっていた。
彼女は小鬼を胸に抱いたまま、他にいる小鬼たちの方へくるりと向き直った。
「ねえ、みんな! 新しいおともだち、だよ! とっても頭がいいの!」
その声に、小鬼たちは興味津々といった様子でわらわらと集まってくる。
ある者はぴょんと跳ねながら、ある者はころころと転がりながら、新入りの周りを取り囲んだ。そんな小鬼のかわいらしい仕草に、イマリの頬がさらに緩む。
「みんな、覚えてる? 前に遊んだお兄さんとお姉さんたち。怖がったり、襲ってきたりして、言うこと聞いてくれなかったんだ」
彼女の言葉に、小鬼たちはこくこくと頷いたり、奇妙な鳴き声を上げたりする。
奥の方にいる桃色の小鬼は、その様子をじっと見ていた。そして、か細い鳴き声を発した。
「……きゅう」(……怖かった)
鳴き声しか分からずとも、何となく言いたい事の想像がついた。
あの鬼ごっこ。薄暗い廊下。迷い込んだ小部屋。イマリの声が近づいてくる恐怖。自分も同じだった。逃げた。叫んだ。
そして──負けた。
恐らくだが、それが奴の末路だったのであろう。
(こいつらもよォ、同じ目に遭ったわけかァ……)
何匹いるのか分からない。
大きさも色も様々な小鬼たちが、座敷の中に満ちている。
それぞれに名前があり、語るべき物語があったはずだ。だが、そんな記憶はこの屋敷の中では何の意味も持たない。疾うの昔に、忘れ去られてしまった。
「でもね、ちゃんとごめんなさいしたから、みんな許してくれたの。それからは、すっごくいい子になったんだよ」
赤い小鬼は、その言葉の意味を考えようとした。
(謝ったら、許してくれた)
謝れば許される。
でも──何が謝罪で、何が許可なのか。この場所の論理が、自分のそれとずれている気がする。
ずれている、気がする。
──気がした。
イマリの指が、最初にできた小鬼の頭を優しく撫でる。謝れば、許される。それがこの座敷の理。
思い通りにならないものは、そうして自分の思い通りになるように作り変えるだけ。
「この子もすぐ、みんなみたいにイマリのこと、だーいすきになるから」
その瞳の奥で、何かが静かに燃えていた。自分で作ったおともだち。自分だけの遊び相手。謝ることで全てを解決できると信じて疑わない、歪んだ愛の形がそこにあった。
───────────────
それから、どれほど経ったのか。座敷には変わらず「きゅい」「きゅう」が満ちている。
赤い小鬼は、今日も花札の周りをころころと転がって遊んでいた。萩に猪の一枚をぽてぽてとつついてみる。
その後に止まって、じっと見る。なぜかは分からない。ただ、どうしても見つめてしまう。
(……なんだっけ、なァ)
何かを知っていた。この絵柄に、何か大事な意味があった。確かに知っていたはずだ。だが言葉にならない。言葉、というものが、随分と遠くなった。
「きゅい!」と鳴いた。
イマリが振り返る。
「どうしたの?」
首を傾げた。答えたいことがある気がするのに、答え方が分からない。
「おなかすいたの?」
「きゅうぅぅ……」
「そっか。一緒に食べよ」
ひょいと抱き上げられる。温かい腕。ひんやりした指先。その腕の中で小鬼は朧気に考える。
(……ずっと、こうだったっけ)
記憶の輪郭が、白く滲んでいる。もともとここにいたような気がする。でも違う気もする。
どこか別の場所で──何かをしていたような。
(……なんだったっけ)
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九十九の巡りを経ても、消えなかった恨みがあった。
忘れられた神の、誰にも知られなかった願いがあった。
遊び手は来て、遊び、残った。
紅葉に鹿を選んで──まんまるな小鬼と化した。
恩讐は鎮まったか。
願いは叶ったか。
まだ分からない。
座敷は今日も賑やかだ。
「きゅう」「きゅい」と声がいくつも重なり合う。
ずっとずっと人を待っていた神に、
新たなおともだち。
ただ、その瞳の奥が笑っていないことを、
誰も知らない。
BAD・END 《寂寞心情》
──あり得たかもしれない、もう一つの未来。