TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日の朝。
啓介はマンションのリビングのソファに深く腰掛け、マグカップのコーヒーを飲みながらスマートフォンの画面を漫然と眺めていた。
今日一日のスケジュールは、完全に白紙だった。
政府の久世たちからの連絡待ち案件もない。三崎との医学的な検証の予定もない。相馬から経営に関する打ち合わせを持ちかけられているわけでもない。
そして何より、新しく国から借り受けた「廃校」へ出向いて、建物の保守点検や業者の手配をする必要もない。
魔法と社会との接続という怒涛の展開が続いていたここ数週間の中で、珍しくポッカリと空いた、完全な「何もない休日」だった。
啓介の足元の少し離れた場所では、アカネが自分の木製のおもちゃのリングを前脚で転がして遊んでいる。
啓介は、そのまましばらくニュースサイトの記事を読んでいたが。
ふと、アカネがリングを転がすのをやめたことに気づいた。
トテトテと部屋の隅へ歩いていく。
そこには、『お出かけ用のキャリーケース』が置かれている。
アカネは、そのすぐ近くで立ち止まった。
キャリーケースを見る。
それから、金色の瞳で啓介をジッと見つめてきた。
「あぎゃ」
「……何だ?」
啓介が声をかけると、アカネはもう一度、横にあるキャリーケースを見た。
啓介は、そこではたと気がついた。
ここ最近の自分の週末の行動を思い返す。
廃校の事前視察。鍵の引き渡し。初めての他者使用カードの基礎試験。行政との打ち合わせ。
自分の部屋から出て、外へ向かう用事が立て続けに入っていた。
そしてその間、アカネは。
「危ないから」「まだ安全確認が終わっていないから」という極めて真っ当な理由で、常にこのマンションの部屋で『留守番』だったのだ。
休日に、キャリーケースを持たずに啓介が一人でバタバタと出かけていく。
アカネにとって、そんな日々がかなり長く続いていた。
「……もしかして」
啓介は、ソファから立ち上がった。
「お前。……山、行くか?」
「あぎゃ!!」
アカネの反応が、露骨に変わった。
短く鳴き声を上げ、その場でピョンと小さく飛び跳ねるようにして、パタパタと翼を動かした。
本当に「山へ遊びに連れて行け」と要求していたのかまでは、啓介にも分からない。
ただ、「山」という言葉を聞き、啓介が立ち上がった直後から、明らかにアカネの動きが速くなった。
「よし、じゃあ準備するか」
啓介は、準備を始めてから、あることに気がついた。
車のトランクへ積んだ荷物が、いつもの山行きと比べて異様に少ない。
人間用の飲料水。アカネ用の清水。タオル。救急箱のセット。コンビニで買った簡単な昼食。アカネの木製リングのおもちゃ。そして、小さく切ってタッパーに入れた加熱済みの鶏肉。それに長靴と軍手。
それだけだった。
啓介は、トランクを閉めようとして、中が妙にスッキリしているのを見て呟いた。
「……あれ?」
工具箱もない。
木材も、波板も、電動ドライバーもない。
以前、雨上がりの簡単な点検だけで山へ行った時も大掛かりな工具は持っていかなかったが、今日は点検用のノートや予備部品すらほとんどない。
「山へ行く荷物なのに、作業道具がないと妙にスカスカだな」
今までの山行きは、ほとんど何かしらの『管理』や『作業』とセットだった。
危険木。管理通路。作業拠点。雨水タンク。監視設備。
山へ行けば、何かを確認するか、直すか、作る。それが完全に習慣になっていた。
「そうか」啓介は苦笑した。
「今日は、本当に遊びに行くだけなんだな」
青梅の山林へ到着した。
車を停める。
出発前に遠隔カメラの映像は確認してあり、ここ数日、目立った異常は映っていなかった。
現地でも、車から《アカネの守り巣》まで歩きながら周囲をざっと見る。新しい倒木も、大きな土砂流出も、設備の明らかな破損も見当たらない。
それだけ確認すると、啓介はキャリーケースの扉を開けた。
「よし、行っていいぞ」
その瞬間だった。
バサッ!
アカネが、ケースから勢いよく飛び出した。
「おっ」
啓介が驚くほどの勢いだった。
いつもより明らかに動きが速い。
そのまま《第一管理通路》の上を低く飛び、《アカネの守り巣》へ一直線に向かう。
門をくぐり、内扉を開けて家の中へ突入する。
そして、数秒後にはもう外へ飛び出してきて、バサバサと舞い上がり、啓介の頭上を大きく旋回し始めた。
「おい、落ち着けって」
啓介が呆れて声をかけると、上空から。
「あぎゃあ!!」
と、ひどく元気な鳴き声が降ってきた。
これまでも、アカネは山へ来ると活発に動き、帰る時間になってもなかなか帰りたがらないことがあった。
久しぶりの山で、今日も同じように動き回っている。
啓介は、アカネが飛び回っている間に、無意識のうちに山の入り口から歩き始めた。
「えーっと、まずは《第一管理通路》の路面状況から見て、次に《第一作業拠点》の雨水タンクの水量を確認して、危険木の跡地周辺の……」
スマートフォンを取り出し、メモアプリを開いて『雨水タンク……』と入力しかけた時。
視界の端で。
アカネが、啓介が地面に置いたトートバッグのすぐ横に降り立ち、短い前脚でバッグをツンツンと小突いているのが見えた。
そのバッグの中には、アカネのおもちゃである『木製のリング』が入っている。
アカネが啓介を見る。「あぎゃ」
バッグを見る。
また啓介を見る。「あぎゃ?」
啓介は、スマートフォンの画面と、アカネの顔を交互に見て。
そして、小さく息を吐いてスマホをポケットにしまった。
「……はいはい。そうだった。今日は、仕事じゃなかったな」
危険がないことは、もう確認した。
今日はそこから先を、わざわざ点検作業へ変える必要はない。
「ほらよ」
啓介はバッグから木製リングを取り出し、アカネの目の前で地面を転がした。
コロコロコロ……。
アカネが、反応して走り出した。
短い足でトテトテと追いかける。
途中からフワリと低く飛び上がり、空からリングを追いかけ始めた。
リングが、木の根元にぶつかってコテンと倒れて止まる。
アカネも、そのすぐ横にふわりと着地して止まった。
啓介が声をかけた。
「よし、アカネ。持ってこい」
アカネは、落ちているリングを見た。
そして、啓介の方を振り返り。
「あぎゃ?」
と、首を傾げた。
持ってこない。
啓介は眉を寄せた。
「……お前、それ前はできてただろ」
まだ名前すらなかった頃、投げたペットボトルのキャップや小物を咥えて持ち帰る遊びを何度もしている。
できないわけではない。
今日は、やる気がないらしい。
アカネはリングの横にちょこんと座ったまま、啓介を見ている。
「今日は俺が取りに行くルールなのかよ」
結局、啓介が自ら歩いてリングを取りに行く羽目になる。
拾い上げ、もう一度、逆方向へ転がす。
コロコロ……。
アカネが、また楽しそうに飛んで追いかける。
リングが止まる。アカネも止まる。
啓介が歩いて取りに行く。
「……これ、絶対に俺の運動量の方が多くないか?」
「あぎゃ!」
アカネは、リングの横で羽をバタバタさせていた。
数回目のリング拾い。
啓介が、地面に落ちたリングに手を伸ばして拾い上げようとした、その直前。
バサッ。
アカネが、リングのすぐ横から飛び立ち、数メートル先の少し高い切り株の上へと移動した。
啓介がリングを拾い、その切り株の方へ歩み寄る。
すると、啓介があと一歩で近づく、というタイミングで。
バサッ。
またアカネが飛び立ち、今度は別の低い枝の上へと移動した。
啓介は足を止めた。
「……お前、それ、絶対わざと分かってやってるだろ」
「あぎゃ!」
アカネが、枝の上から見下ろすように鳴いた。
本当に啓介をからかっているのかは分からない。
だが、啓介の目から見れば、完全に『鬼ごっこ』を誘っているようにしか見えなかった。
そこから、山の中での二人だけの追いかけっこが始まった。
啓介は、安全のために《第一管理通路》と整備済みの拠点の範囲からは出ない。
アカネも、啓介の目の届く低空を飛び、啓介が近づいてくるとフワリと離れる、という行動を繰り返した。
三崎の前で行ったような高負荷の限界飛行訓練ではない。
純粋な、ただの『遊び』だった。
少し疲れて、啓介は休憩をとることにした。
到着してすぐ、持参した清水で《アカネの守り巣》の水皿は入れ替えてある。
アカネは遊びの途中でふと守り巣の中へ入り、しばらくしてまた外へ出てきた。
啓介は、ちょっとしたイタズラ心を思いついた。
アカネが家の中に入っている間に、音を立てずに素早く移動し、近くの太い木の裏側にスッと隠れたのだ。
数十秒後。
アカネが、守り巣の内扉を開けて外へ出てきた。
さっきまで啓介が立っていた場所を見る。
……誰もいない。
アカネの動きが、ピタッと止まった。
「あぎゃ?」
周囲を見渡す。
トテトテと数歩歩き、首を右へ、左へと大きく動かす。
少しだけ空中に浮かび上がり、上から周囲を確認しようとする。
以前、留守番カメラのスピーカーから名前を呼んだ時に、マンションの中で啓介を探し回った時とよく似た動きだった。
木の裏で、啓介は声を殺して笑いを堪えていた。
だが、すぐに限界が来た。
啓介が少しだけ体勢を変えようとして、足元の落ち葉を「カサッ」と鳴らしてしまったのだ。
その瞬間。
アカネが、落ち葉の音のした方向へ鋭く顔を向けた。
そして、一直線に啓介が隠れている木の裏へと飛んできて。
ドンッ!
と、啓介の肩に少しだけ強めに着地した。
「あぎゃあ!!」
耳元で、いつもより大きな鳴き声が響いた。
「わ、悪かった、悪かったって!」
啓介は慌てて謝った。
見失った啓介を探し、見つけるとすぐ飛んできて、大きな声を上げた。
そこから先の感情まで、啓介には正確には分からない。
ただ、アカネはそれからしばらくの間、啓介の肩から降りようとしなかった。
短い前脚で啓介の服をギュッと掴み、そのまま肩の上に居座っている。
それはそれで、かなり可愛かった。
昼食。
啓介は、作業拠点の椅子に座ってコンビニのおにぎりを食べた。
アカネには、持参したタッパーから加熱済みの鶏肉を極小片だけ出してやった。
「ほら」
アカネは、すぐに鶏肉を食べた。
生命維持のために食事を必要とするわけではないが、アカネが加熱した鶏肉を好んで食べることはもう分かっている。
だからといって大量に与える理由もない。量は、いつも通りごく少量だ。
「今日はよく動いたしな」
「あぎゃ」
午後。
啓介は、完全に何もしない時間を過ごした。
木陰に置いた折りたたみ椅子に深く座り、ただぼんやりと山林の景色を眺めている。
スマートフォンも出さない。仕事関係の資料も開かない。魔法のノートも書かない。
アカネは、啓介のすぐ近くで自由に過ごしている。
少し飛んでは戻り、守り巣へ入ってはまた出てきて。
そのうち遊び疲れたのか、啓介の足元の草の上で、身体を丸めて休み始めた。
木漏れ日が、啓介の膝と、足元のアカネの赤銅色の鱗に落ちている。
風が吹いて、木の葉がサワサワと鳴る音だけが響いている。
啓介は、深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「……俺、この山に来てから『何もしない時間』を過ごすのって、ほとんどなかったな」
この山は、啓介にとって。
魔法の力を生み出す『マナ源』だった。
維持しなければならない『管理対象』だった。
アカネを守るための『安全設備』だった。
そして、週末のDIYに汗を流す『作業現場』だった。
でも今日は。
ただ、アカネと一緒に遊びに来て、一緒に休んでいるだけの場所だ。
この土地の持つ意味が、啓介の中でまた一つ、新しく増えたような気がした。
何かシステム表示が出るわけでもない。
《名もなき雑木地》のカードが変化するわけでもない。
それでも、啓介にとっては十分だった。
夕方。
撤収の時間が近づいてきた。
啓介は、立ち上がって荷物を片付け始めた。
足元で目を覚ましたアカネに声をかける。
「最近、ずっとマンションで留守番ばっかりだったもんな」
「あぎゃ」
「今日は、楽しかったか?」
「あぎゃ!」
アカネは、短い尻尾をパタパタと振った。
啓介は、そこで言葉を止めた。
「……寂しかったんだな」とは、言わなかった。
アカネが本当にどう感じていたのかまで、人間の都合で決めつける必要はない。
啓介は少し考えてから、ただ一言。
「……まあ、お前が何考えてたかは正確には分からないけど」
しゃがみ込んで、アカネの頭を軽く撫でた。
「また、一緒に来ような」
「あぎゃ」
それくらいが、ちょうどいい距離感だった。
啓介は、残った荷物を車へ積み込み、最後にキャリーケースの扉を開けた。
「よし。じゃあアカネ、帰るぞ」
だが。
アカネは、《アカネの守り巣》の屋根の上にちょこんと座ったまま、一歩も動こうとしなかった。
「……おい。帰るぞ」
「あぎゃ」
短い返事はするが、そこから動かない。
以前にも、この山からなかなか帰ろうとせず、啓介を困らせたことがある。
今回も同じだった。
啓介は、屋根の上のアカネと、開いたキャリーケースを交互に見て、大きなため息をついた。
「……お前、今朝マンションを出る時は、あんなに嬉しそうに行きたがってたのに」
「あぎゃ」
「今度は、帰りたくないのかよ」
結局、最後はちゃんと自分の足でキャリーケースに入ってくれたが、それまでに十分ほど説得する羽目になった。
今日は、国の未来も、不治の病の治療も、魔法のシステム解析も、何一つ進まなかった。
ただ、仕事をしないで小竜と山で遊ぶことだけを目的にして、一日が終わったのだった。
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