人狼の騎士 ~統一王朝崩壊史~   作:ポオツマス亭

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第13話 狼の泉と統一王朝建国舞踏会

統一王朝の誕生を告げる大聖堂の大鐘が、澄み切った大気を震わせて鳴り響いていた。

 

かつてコンラートとロザリアが愛を誓い、アルフレッドとミリアルデが互いの孤独を分かち合ったその神聖な大聖堂に、いまや世界全土の王侯貴族が集結していた。

 

頭上にそびえる荘厳なステンドグラスからは、七色の聖なる光が降り注ぎ、無数の蝋燭の火が金銀の装飾に反射して眩いばかりの光彩を放っている。

 

皇帝即位式典──それは、人類の歴史が新たな節目を迎えた瞬間に他ならなかった。

 

壇上には、深紅と黄金の皇帝外套を羽織り、揺るぎない覇者の威厳を纏ったコンラート。

 

その隣には、人間の豊かな歳月を美しく重ね、神聖な気品を漂わせる皇后ロザリアが立っている。

 

その周囲を囲むのは、かつての王国を支え抜いた重臣たちであり、さらにその背後には、新たに統一王朝の軍門に下った北部・中央・南部大陸の諸侯たちがずらりと列をなしていた。

 

式典が滞りなく進行し、コンラートが新時代の絶対的な主たることを示された後、この大偉業を成し遂げた家臣たちへの叙任と授爵が執り行われた。

 

そして、その名が広間に響き渡った瞬間、会場の空気が目に見えて引き締まった。

 

「──『人狼の騎士』、アルフレッド・ベルンハルト」

 

静寂の中を、漆黒の軍服に身を包んだ男がゆっくりと歩み出た。

 

不老不死の怪物。二十六歳の若い姿のまま、黄金の瞳に変わらぬ孤高を宿した男。

 

これまで王室の権力や華やかな栄誉からは最も遠い場所に身を置き、ただひたすらに国の平和を希求して、血と硝煙の中で戦い続けていた怪物。

 

新参の諸侯たちの間から、隠しきれない動揺と不快感が波紋のように広がっていく。

 

「まさか、あの血生臭い化け物に伯爵の爵位を与えるというのか……」

 

「王室の影として死体を積み上げてきただけの獣ではないか。我ら気高き貴族と同列に並べ、権能を与えるなど正気とは思えぬ」

 

「どれほど武功があろうと人狼は人狼だ。格式ある宮廷に不吉な怪物を招き入れるなど、王家の威信を損なう失策だぞ」

 

人々の間に渦巻くのは、恐れと嫉妬、そして根深い蔑視であった。

 

これまで特権を貪ってきた者たちにとって、権勢を求めずただ武功のみで歴史を動かしてきたアルフレッドの存在は、己の小ささを突きつけられる不快な鏡に過ぎなかった。

 

だが、皇帝コンラートの眼光に揺らぎは一切なかった。

 

コンラートは玉座から一歩を踏み出し、自らの手でアルフレッドの肩に剣を触れさせると、朗々と響き渡る声で宣誓した。

 

「我が師であり、我が最強の家臣であり、一人の誇り高き男であるアルフレッド・ベルンハルト。汝が流した血と、三百年間にわたり王国を支え続けた不滅の武功に対し、統一王朝『伯爵』の位を授ける。この決定に異論を唱える者は、我が帝国の歴史そのものを否定する者と見なす」

 

覇王の絶対的な宣言に、反発の声を上げる者は誰一人としていなかった。

 

アルフレッドは静かに膝をつき、胸に手を当てて深々と頭を下げた。

 

爵位や権力など、彼にとっては一枚の紙切れほどの価値もない。

 

だが、かつて自分が手塩にかけて育て上げた幼い王子が、いまや立派な皇帝として自分に敬意と報いを示してくれたその真摯な情義を、彼は無言のうちに受け入れたのだった。

 

だが、その神聖な授爵の光景を、一人の人物が冷ややかな視線で見つめていた。

 

聖杖法院の三大魔法使いにして、悠久の時を生きる大魔法使いゼーリエ。

 

彼女は小さく鼻を鳴らし、かつて自分がアルフレッドへ投げかけた冷酷な言葉を思い出していた。

 

(……化け物の狼、気を付けろよ。お前は必ずいつか、人間の本性を知って絶望するぞ)

 

人間は愚かで、移り気で、どれほど尽くしても最後には怪物を恐れ、排除しようとする生き物だ。

 

いま祝福を授けているコンラートとて、いつまでその純粋な敬意を保ち続けられるか分からない。

 

ゼーリエの瞳には、人間の歴史が繰り返してきた醜い裏切りの兆候が、すでに予見されているかのようだった。

 

 

夜が訪れ、宮殿のグランドボールルームでは、歴史上もっとも華やかで絢爛たる舞踏会が開催されていた。

 

晶洞石の燭台から放たれる柔らかな光が広間を満たし、管弦楽団が奏でる優美な旋律が大気を満たしている。

 

色とりどりのドレスを纏った貴婦人たちと、金銀の刺繍が施された礼服を着た男たちがグラスを交わし、統一王朝の誕生を祝っていた。

 

その広間の片隅、巨大な柱の陰に、世俗の歓楽を嘲笑うかのような一角が存在していた。

 

「まったく、聖杖法院長たちと来たら、新しい時代の到来だなんだと浮かれて……自分たちの権能が皇帝の傘下に組み込まれたことにも気づいていないのは愚かだ」

 

不機嫌そうに毒を吐いたのはゼーリエだった。

 

その傍らには、十数年の歳月を経て二十代の凛とした大魔法使いへと成長を遂げた弟子フランメが静かに控えており、さらにその隣には、相変わらず一言も喋らずに冷めた瞳で佇む無口な魔法使いミーヌス、そしてグラスの酒を煽っている放浪の大魔法使いミリアルデがいた。

 

「いいじゃないのゼーリエ。お堅い話は抜きにして、今夜くらい美味しい酒を飲めばさ。聖杖法院の老いぼれたちの小言を聞かずに済むだけでも、私は大満足よ」

 

ミリアルデが長耳を揺らしながらクスクスと笑っていると、不意に重厚な靴音が近づいてきた。

 

三人が見上げると、そこには見慣れぬ、しかし圧巻の存在感を放つ男が立っていた。

 

漆黒の軍服。

 

その胸元には、彼が三百年間の戦場で積み上げてきた無数の勲章が隙間なく並べられ、燭台の光を受けて鈍い銀色の輝きを放っている。

 

そしてその肩からは、本日新たにコンラート皇帝より授与された勲章と、深紅の大綬が斜めにかけられていた。

 

『人狼の騎士』アルフレッド・ベルンハルト伯爵。

 

不老の狼が纏うその姿は、血生臭い戦場の死神でありながら、同時に王国の三百年の歴史そのものを背負った気高き大貴族の趣を漂わせていた。

 

ゼーリエはアルフレッドを一瞥すると、意地悪く口元を歪め、隣のミリアルデに向かって言い放った。

 

「ミリアルデ、私があいつに言ったことを覚えているな。……よく見張れよ。あいつが正気を忘れないように……人間の醜い奸計に騙されて、いつか暴走でもされたら目も当てられないからな」

 

口悪く罵りながらも、その言葉の裏には不老の同胞に対するゼーリエなりの不器用な懸念が込められていた。

 

アルフレッドはその皮肉を冷ややかな黄金の瞳で受け流すと、ゼーリエとミーヌスに一礼することすらなく、ただまっすぐにミリアルデを見つめた。

 

そして、不意に右手を差し出した。

 

「ミリアルデ、踊ってくれないか?」

 

「……えっ?」

 

ミリアルデはグラスを口元から離し、薄緑の瞳を丸くして固まった。

 

思いもよらない申し出に、さしもの大魔法使いも素で面食らっていた。

 

「な、なに言ってるのよ、アルフレッド。あんた、正気? 舞踏会なんて柄じゃないでしょう?」

 

「構わない」

 

アルフレッドは低く、だが一切の迷いがない声で言葉を重ねた。

 

「……今日という日は、二度と来ないからな」

 

人間たちの歴史が完成し、若い皇帝と気高き皇后が輝かしい未来へと歩み出すこの特別な夜。

 

そして、自分たちが不老の怪物として、二度と戻らないこの美しき瞬間を目撃しているという事実。

 

その重みを噛み締めるアルフレッドの言葉に、ミリアルデの胸がどきりと跳ねた。

 

アルフレッドは迷うことなく、ミリアルデの華奢で白い手を取った。

 

三百年もの間、華やかな舞台や社交界の表舞台から徹底して身を遠ざけ、暗闇の『影』として生きてきた人狼の騎士。

 

その男が、今、王国の三百年の歴史と傷跡を全身に背負い、エルフの大魔法使いの手を引いて、煌びやかな舞踏会の中央へと歩み出ていく。

 

その光景を目にした瞬間、広間全体が水を打ったように静まり返った。

 

周りで着飾って踊っていた王侯貴族や各国の将軍たちが、信じられないものを見る目で足を止め、口々に囁き始める。

 

「な……まさか、あの人狼の騎士が!?」

 

「踊るというのか? 華やかな舞台をあれほど嫌い、戦場と暗がりだけに生きてきた怪物が……!」

 

「統一王朝を祝うためか……? それにしても、不気味すぎる。あの殺気が舞踏会に似合うはずがない」

 

新参の諸侯たちの間から漏れる嫉妬と蔑みの混ざった悪口。

 

だが、アルフレッドはそれらの雑音を完全に黙殺していた。

 

彼の黄金の瞳には、周りの有象無象など映っていない。

 

ただ目の前に立つ、少し戸惑い気味の美しきエルフだけが映っていた。

 

舞踏会の真ん中に二人が立ち上がると、ミリアルデは自身が纏う深い藍色のドレスの裾をかすかに揺らした。

 

それは十数年前、あの大聖堂でロザリアから贈られ、アルフレッドから「綺麗だ」と心を打ち明けられたあの思い出のドレスであった。

 

悠久の時を越えてもなお色褪せぬ衣装を身に纏い、ミリアルデは少し頬を染め、アルフレッドを見上げて囁いた。

 

「大丈夫かしら……だって、私、舞踏なんて千年は踊っていないわよ?」

 

アルフレッドは口元に微かな、しかし酷く魅力的な苦笑を浮かべ、彼女の細い腰にそっと手を回した。

 

「俺以外の誰と踊ったのだ?」

 

「……っ!?」

 

不意に突かれたその言葉に、ミリアルデの顔が一瞬で真っ赤に染まった。

 

数千年の悠久を生き、どんな試練にも動じないはずの大魔法使いが、まるで初恋を知った乙女のようにうろたえ、長耳を赤くして視線を泳がせている。

 

アルフレッドは彼女の手をしっかりと握り締めると、正面の玉座に向かって静かに向き直った。

 

二人は、温かい眼差しで見守る皇帝コンラートと、胸の前で手を組み慈愛に満ちた笑みを浮かべる皇后ロザリアに向かって、深く、そして完璧な気品を込めてお辞儀をした。

 

演奏が新たな一小節を刻む。

 

アルフレッドの力強い足取りと、ミリアルデの軽やかな身のこなしが調和し、二人は滑らかに踊り始めた。

 

それは、誰もが予想していた「無骨な怪物の踊り」などではなかった。

 

三百年間の孤独と気品、そして不老の時を生きる者だけが持ち得る静謐なる美しさ。

 

アルフレッドの無駄のない洗練されたステップと、かつてロザリアから託されたドレスの裾が描く幻想的な軌跡は、まるで夜空に浮かぶ月と星が重なり合って踊っているかのような、神聖なまでの美を放っていた。

 

戦場の死神と呼ばれた男の正装と、数千年の悠久を纏うエルフの幻想的な姿。

 

二人が描く円舞(ヴァルツ)の圧倒的な輝きに、周囲の王侯貴族たちは息を飲み、ただ呆然と見とれるしかなかった。

 

先ほどまで陰口を叩いていた者たちも、そのあまりの気高さと完璧な美の調和の前に、言葉を失って打ちのめされていた。

 

「……すごい」

 

気後れして壁際に引っ込んでいた若い貴族や淑女たちが、二人の踊りに深く感化され、惹きつけられるように一人、また一人とフロアへ戻り、再び踊り始めた。

 

広間全体が、二人が生み出した神聖な熱量によって、真の意味で一つに包まれていく。

 

フロアの隅で、その光景を見上げていたゼーリエは、面白くなさそうに腕を組み、小さく鼻を鳴らした。

 

「ふん……浮かれて。踊りなど無駄なことだ……まったく理解できんな」

 

小言を呟くゼーリエだったが、その瞳の奥にはどこか呆れつつも、同胞たちの気高い姿を認めざるを得ない微かな諦念が浮かんでいた。

 

その傍らでは、成長したフランメが凛とした瞳で舞踏の二人に静かな感銘を寄せるように見入り、無言のミーヌスもまた、酒杯を手にその奇跡のような舞踏をただ静かに見つめ続けていた。

 

言葉は発しないものの、その静かな瞳には、永劫の時の中で今この瞬間にしか存在しない「奇跡の美しさ」を刻み込んでいるかのようだった。

 

舞踏会の夜は、どこまでも深く、静かに更けていく。

 

絢爛たる光の中、かつて世界の陰りに生きていた人狼の騎士とエルフの大魔法使いは、互いの体温と絆を確かに確かめ合いながら、永遠の静寂の中へと寄り添うように踊り続けるのであった。

 

 

(第14話に続く)




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