物怖じひとつせず、超然たる二人の怪物に向かい合いながら、フランメはぶっきらぼうに言い放った。
「私は皇帝に……魔法の研究の認可、王立魔法院の設置、宮廷魔法使いの教育、そして『魔法の一般化』を訴えるつもり……いずれね」
静寂が、夜の中庭を支配した。
数百年を生きてきた人狼の騎士と、数千年の悠久を生きるエルフの大魔法使い。
常人の理解を超えた長い時を生きてきた二人をして、これほど正気を疑うような話を聞かされたのは初めてのことであった。
人間社会において、魔法とは「魔族の忌むべき力」であり、恐れと弾圧の対象でしかなかった。
無知な人間たちに「魔族の手先」と疑われ、凄惨に惨殺されていった魔法使いたちを、アルフレッドは三百年の歴史の中で嫌というほど見届けてきている。
王侯貴族ですら気味の悪がる異端の力を、人間全体へ普及させ「一般的な技術」にするなど、正気の沙汰ではない。
「……正気なの、あなた?」
ミリアルデが酒瓶を置き、薄緑の瞳を細めて語りかけた。
「魔法を誰もが使う世界なんて、人間たちが受け入れるはずがないわ。ただでさえ彼らは魔法を恐れているのよ?」
彼女は心配そうにフランメを見つめ、言葉を重ねた。
「それなら、まずは聖杖法院にも働きかけてみましょうか。あそこなら、一応は人間の魔法使いの組織だし──」
「聖杖法院はもうだめだ」
フランメはミリアルデの言葉を遮り、冷ややかに吐き捨てた。
それは、聖杖法院から「大魔法使い」として認められ、その一角を担ってきたミリアルデにとって、とうてい看過できる物言いではなかった。
ミリアルデの瞳に、静かな、けれど確かな怒気が宿る。
「……なに、それ……魔法使いを否定するの?」
「そう。今の聖杖法院と、特権に胡坐をかいている魔法使いを……私はすべて否定するわ」
フランメは一切引くことなく、数千年の大魔法使いに対して正面からケンカ腰の視線をぶつけた。
空気の一角がピリピリと放電するように緊張する。
「まてまて、やめろ!」
アルフレッドが身を起こし、二人の間に割り込んだ。
「二人が争ってどうする。フランメ、言い過ぎだ。理由を言え、なぜそんな破滅的な真似を企む」
アルフレッドの重厚な制止を受け、フランメは大きく息を吐き出すと、紫煙の向こうで冷たく言い放った。
「魔法はもう、一部の特別な魔法使いだけが使うべきじゃないと言ったでしょう。誰でも使える技術にして、人間社会の基盤にするのよ。そうすれば、魔法への無知な恐怖も、不当な弾圧も消える」
そして、彼女は瞳の奥に宿る灼熱の怒りを隠しようともせず、深く、暗い声で呟いた。
「……それに。私は両親を奪った魔族が許せない」
その瞬間、アルフレッドの脳裏を激しい衝撃が撃ち抜いた。
(……俺の、せいか)
アルフレッドは、指先に残る葉巻の熱さを忘れたように、拳を強く握り締めた。
──十数年前。
フランメの両親を殺したのは、魔法に怯えた人間たちだった。
人間そのものに絶望させまいと、アルフレッドが魔剣で彼女の記憶を塗り替えたのだ。
『お前の両親は、魔族に殺された』──と。
人間への絶望から救うためについた優しき嘘が、巡り巡って「魔族を殲滅するために人間へ魔法を普及させる」という凄絶な狂気を生んでしまった。
自分が撒いた偽りの種が、いまや世界を揺るがす恐ろしい大樹となって芽吹いていた。
この記憶改変の真実を知る者は世界でアルフレッドただ一人であり、隣で案じるミリアルデですら、彼の胸を刺す残酷な因果を知る由もなかった。
アルフレッドは息を殺し、ただ呆然とフランメの横顔を見つめることしかできなかった。
「……本気なのね」
ミリアルデは、フランメの瞳に宿る消えぬ炎が本物であることを悟り、深く溜息をついた。
「人間全体に魔法を普及させるなんて……ゼーリエが知ったら、間違いなくあなたを許さないわよ」
「許されるつもりもない」
フランメは短くなった煙草を指先で揉み消すと、不遜に鼻を鳴らした。
「ゼーリエ様には、ゼーリエ様のやり方がある。私には、私のやり方がある……それだけだ」
彼女は立ち上がると、ドレスの裾を冷ややかに払い、二人に背を向けた。
「狂気だと思ったなら、皇帝に密告すればいい。私は止まらない……だけど、人狼の騎士、お前には協力して欲しい」
「なぜだ……なぜ、俺に?」
「あんたが平和を求めている騎士だから……もし、本気であんたが平和を望んでいるのなら、私の話に乗るべきだ」
「……」
「また来る。返事はそのときに……良い夜を、ふたりとも」
闇の中へと消えていく、若き大魔法使いの背中。
静まり返った噴水広場に、残された二人の沈黙だけが重く垂れこめていた。
アルフレッドは銀の小箱から最後の砂糖菓子を口へ放り込んだが、その甘さは今夜ばかりはひどく苦かった。
「……どうするの?」
ミリアルデが酒瓶を傾ける手を止め、静かに尋ねた。
「あの子の言う通りにするつもり? それとも……ゼーリエに知らせるの?」
アルフレッドは無言のまま、短くなっていた太い葉巻を深く吸い込んだ。
濃密な紫煙が夜空へ溶けていく。
自分がついたひとつの優しい嘘が引き寄せてしまった、あまりにも巨大な宿命。
フランメを暴走させないための嘘が、世界を揺るがす狂気へと芽吹いてしまったのだ。
「……俺が蒔いた種だ」
アルフレッドは黄金の瞳を暗闇に向け、低く重い声で言葉を絞り出した。
「責任を取らねばならんだろう」
ミリアルデは呆れたように肩をすくめたが、その薄緑の瞳にはどこか覚悟を決めたような優しい光が宿っていた。
「まったく、手のかかる男ねぇ……いいわよ、どこまでも付き合ってあげる」
満月の冷たい光の下、ふたつの重なり合う影が、新たな時代の狂乱の中へ歩み出すように静かに佇んでいた。
(第16話に続く)
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