◇
「ちょ、ちょっと。
こんなところに連れ出してどうする気よ。
それもあんなに強引に......」
女がどこか艶めいた声を上げた。
「ダメなんだ。
俺はもうこの気持ちを抑え切れそうにない」
男が熱のこもった声で答えた。
往来のど真ん中である。
それも《はじまりの街》の転移門広場だ。
このアインクラッドでも有数の人口密集地である。
道行く人々が何事かと振り向く。
足早に歩を進める男に手を引かれる女。
ちょっと危ない光景なのだが、男女のトラブルなどあまり関わり合いになりたくない状況の筆頭である。
横目で見た限りでは女のほうもなんだか満更でもなさそうなので、大騒ぎするほどのことでもないだろう。人々は見て見ぬふりを決め込んだ。
「ねぇ。ねぇってば!」
やがて人気の少ない路地に差し掛かった頃、状況に流されるままでいた女はようやく男の手を振り解いた。
案外呆気なく手を離してもらえたことを意外に思いつつも警戒を怠ることはできない。
そしてそれは向こうとて同じことのようで。男は鋭い目つきで女を見やり、その一挙手一投足に気を巡らせている。
どこか修羅場めいた空気を察したか、ただでさえ少なかった人気が消え去った。
触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものである。
「どういうつもりなの?
何が目的?
あ、あたしに何する気よ?」
身をかき抱く女は何やら頬を上気させている。
それがどういった感情によるものなのかは推測の域を出ないが、怒りや困惑の色が滲んでいるのは確かであった。
無理もない。
女にはこうされる理由も事情も皆目見当がつかなかったのだ。
彼女には自覚がある。
自身には他者から恨まれる筋合いはあっても厚意を受けるような筋合いなどないと。
そして今のこの状況はどちらかというと後者のそれであり、事実として彼女は絶体絶命の窮地を脱したばかりだったのだ。
他ならぬ眼前のこの男の手によって。
だからこそ不可解だ。
有り体に言って、どうしてこの男が自分を助けたのか。
「
名を呼ばれた。
知られていたことに不思議はない。
自分はそこそこ有名人だという自負があった。
裏の顔がどこまで知れ渡っているのかはともかくとして、表においては彼女はこのアインクラッドでも数少ない女性プレイヤーなのだから普通に目立つ。
ましてやこの美貌。すれ違った10人中7,8人くらいは振り返るんじゃないかしら。もうちょっぴり若ければ9人もいけたわ。
などと中途半端な自信を抱いている女でもあった。
「な、なぁに?」
そう考えると辻褄が合う気もしてきた。
なるほどよく見ればこの男チャラそうである。よこしまな気持ちで助けてくれたのかもしれない。
たった今、口から飛び出した自分でもびっくりするくらいの渾身の猫撫で声、これでワンチャンいけるんじゃないかしらと思った。
見目もなかなか悪くないし、あんたならちょっとくらいあたしに触れてもよくてよ、と。
「頼む。
結婚してくれ。こち」
「ふぁッ⁉︎」
段階すっ飛ばし過ぎじゃないかしら⁉︎
感情表現が過剰となるこの世界。
ロザリアの頬はその髪色に負けず劣らず真っ赤に染まった。
男は身振り手振りも交えて情熱的にロザリアのことを口説いている。
突然のことに全然話が頭に入ってこない。
ちょっと急展開が過ぎる。
着いていくのが難しいが、しかし......
そんなにドストライクだったの? あたしに運命感じちゃったの?
ふぅん、そうなの。
ロザリアときたら人生最大の窮地に颯爽と現れ助けてくれた王子さまにコロッと靡きかけていた。
その王子さま、実は結構な悪人ヅラなのだが、個人的にはかなり有り寄りの有りなのであった。彼女の好みは悪そうな歳下の男である。
吊り橋効果? 知らん知らん、そもそも求めてきてるのは向こうだし。
「え、えぇー......」
髪を指に巻きつけくるくると。
正直なところ年甲斐もなくする仕草では到底ないのだが、女はいくつになっても少女であるというのが彼女の持論だ。
情熱的な救出劇からのプロポーズを演出するような男なのだし、これは効くであろう。
けどあたし安くはないのよ。
これでもたくさんの男共をはべらせて言うこと聞かせてきたんですから。
そんなちっぽけな自尊心から、すぐに返事はしてやらない。
身をくねらせもじもじと勿体つけまくる。
「時間が惜しい。今すぐ返事をくれ」
ちょっと、気の早い男はダメよ。
なんて調子に乗りつつも繰り返される求愛に気分は有頂天である。自己肯定感アゲアゲだった。
彼が言うように時間を気にしたほうがいいのは確かだ。
この愛の逃避行を邪魔する
男は真摯な眼差しでこちらを見つめている。
この歳になると色々とわかることもある。
身体目当てかそうじゃないかなど容易くわかってしまうのだ、大人の女には。
いつも侍らせているあいつらとは違ってこの人はそんな下卑た想いは一欠片たりとも持ち合わせていない。そのような確信がロザリアの乙女な気持ちを後押しした。
「ふふ、仕方がないわね。
あんまりがっつく子は好きじゃないのだけど。
受け入れてあ・げ・る」
ぶっちゃけ嘘である。
本音では歳下に強引に迫られるのが
認めたら色々と崩れ去りそうだから認めてないだけである。
腕を組み、その豊かな胸を押し上げるようにして悩殺ポーズを決める。バッチコイと。
男はにわかに目を輝かせた。
拳を握りしめている。
そうでしょ、嬉しいでしょ。
大丈夫、あたしもよ。
ロザリアは余裕たっぷりにほくそ笑んだ。
「よし、交渉成立。
やったな、第一段階突破だ。
男が浮ついた様子で横を振り向いた。
そこには誰もいやしなかった。
かと思えば。
ひょろりと、いつからそこにいたのか定かでない軽薄そうな笑みを浮かべた男が路地の角からちんたら歩いて出てきた。
どこか愉快げに喉を鳴らしながら。
「やべウケる。
違うっす、俺じゃねぇっす。
アヤさんに靡いてんすよ、その人」
こいつ誰⁉︎
「誰ぇ⁉︎」
誰なの!?
◇
「改めて。こいつは
愉快なことが好きなだけのイカレ野郎だ。
どれくらいイカレてるかというとだな。
元々ここで待ち合わせてたし最初はちゃんと姿も見せてたのに、途中からハイドしやがったせいで、俺があんたを口説いてるみてぇな図になるよう仕立て上げたうえで陰でニヤニヤ笑ってやがった程度のイカレ具合をしている。いつもこんな感じだ」
「ども。只今ご紹介に預かりました。
この人のイカレ仲間のモルテっす。
言うまでもねーっすがこの人のほうがイカレてるっす。その辺よろしくっす」
ロザリアは意気消沈していた。
あまりにも酷い状況に陥れられたからである。
「正直悪かった。
そんなに、その......俺に期待されるなんて思ってもみなかった」
「なに律儀に謝ってんすか。
元から利用する気満々で近づいたくせに」
「馬鹿お前。こういう傷つけ方をする気はなかったんだから謝んのは当たり前だろうが」
「これから改めてクソみてぇな提案するのにっすか?
イカレてますねぇアヤさんは。そういうとこマジ好きっす」
目の前でイカレポンチの女の敵が二人してイチャついている。
ロザリアの自尊心はすでにボロボロだが、これからもっと酷いことになるのが予想できる。会話の端々からそれが漏れ聞こえているから。
「なんなのよあんたら。
特に、アヤ。あんたよあんた。
思わせぶりなこと言ってあたしのこと弄んで。
とんだ恥かかせてくれたわね」
キッと睨みつけてやった。
「あー......あんまこういうこと言いたくねんだが。
よくそんな態度取れるな。
俺、あんたらみたいなのを取り締まる側なんだけど」
「ひぇ」
冷ややかに一瞥されて思わず竦み上がった。
ここが現実世界なら少しばかり粗相をしていたかもしれない。
何ならリアルの肉体のほうは今頃は看護師さんを困らせているかもしれない。シーツまでいってるかもしれない。
そうだった。
すっかり乙女な思考回路がショート寸前であったために半ば忘れかけていたが、本来ならばロザリアにとって彼は天敵なのであった。
《追撃者》
《罪人狩り》
《棺桶潰し》etc...
下僕の男どもが口々に呼んでいたそれらの二つ名はいずれもこの男を指すものである。
どれか一つに統一しなさいよと思わずツッコんだものであったが、ここ最近の彼の行動が由来となってそのように呼ばれるようになったのは事実だ。
彼は時に自らもオレンジカーソルになることすら厭わずにオレンジプレイヤーを探し出し、叩きのめし、次々と牢屋に放り込んでいる。
風の噂によれば彼に捕縛された凶悪犯罪者は、逆さ吊りで水に沈められたり手足を端のほうから五寸刻みにされたり、牛型モブに引かせた縄で括られた四肢を左右に引き裂かれたりするらしい。怖すぎ。
そしてロザリアはそんな彼の粛正対象だ。
オレンジギルド《タイタンズ・ハンド》を率いる彼女は当然悪党である。
厳密に言えば率いていた、が正しいか。
なにせギルドはほんのつい先程壊滅したばかりである。今や娑婆にいるのはロザリアただ一人だ。
この男とはまた別の......よくわかんないけどありえないくらい強い黒ずくめの剣士にやられたのである。
前々から付け狙っていた乳臭いガキを脅しつけてレアアイテムを提供させてやろうとしたら、何故か同行していたその剣士に圧倒的強者ムーブを見せつけてられて呆気なく牢屋に放り込まれてしまったのである、彼女以外。
そういえば。
結局、あの黒いやつの魔の手から自分を救った理由は一体何だ。
あの時、突然どこからかふらりと現れたアヤは「悪い! この女だけちょっと借りてくぞ!」などと言いながらロザリアの手を引いてその場を離脱した。
誰もが呆気に取られる救出劇であった。ロリっ子は腰を抜かしていたし、あの黒いのさえもポカンとしていた。もちろんロザリア自身も。
そうして冒頭のくだりへと至る。
今にして思えば全然救われてなどいないのかもしれない。
ちょっとシチュエーションが好みだったものだから熱に浮かされてしまっていたが、状況としてはむしろ悪くなっているのかもしれない。
おとなしく牢屋に入っていたほうが、この男に連れ去られるよりマシだったのではないか、と考えてしまう。
「アヤさーん、もうめんどくないっすか?
どーせ言うこと聞くしかないんすよこの女。
交渉とかせず命じてやりゃいいじゃないすか」
「線引きを間違えんな。私刑に走ってどうする。
危ねぇ連中で裁ける法もねぇから仕方なく牢にぶち込んでるだけなんだ。武力をチラつかせるのも本来不本意だよ俺は」
「そんなトゲトゲの武器持ってる人がそれ言うのウケる」
先程から三下ムーブをかましまくっているこのモルテとかいう男もアヤに負けず劣らず不気味である。
と、いうか。話の流れ的にロザリアはひょっとしたらこれから......
「さてロザリア。
さっきは勘違いしていたようだが、あんたには俺とではなくこのモルテと夫婦になってもらいたい。
こいつのほうは既に了承済みだ。あとはあんたの返事次第。
結婚システムについて検証したいことが色々あってな。それに打ってつけの人材なんだよあんたは」
「やっぱり! 絶対イヤよ!」
「爆速でフラレんのウケるわー」
こいついつもウケてんな。
何が悲しくて乙女の純情をこんな軽薄そうな男に捧げてやらなければならないのか。
確かにこいつも悪そうではあるがいささかヒョロっちい。琴線に触れない。
「まあそうなるよな。
じゃあこいつの魅力をしっかりプレゼン......しようにもなぁ。
モルテ、お前の魅力って何よ。ごめんけど思いつかんぞ俺には」
「俺と一緒になったら毎日楽しく過ごせるっす」
「婚活エージェントにダメ出し食らいまくりそうな自己紹介シート提出してきたな......」
婚活エージェントはダメよ。あいつらろくな男紹介してこないから。
若くて稼ぎが良くて高身長で顔も良くて女に尽くしてくれる男とか紹介してくれないから。
ロザリアは心の中で現実世界に思いを馳せた。ここは断じて現実ではないのに現実逃避であった。
「実際無いっしょ魅力とか。
アヤさんてこういう時はマジでポンコツなんすから、気持ちとかそういうのに訴えたりせずに手っ取り早く利益を教えてやったほうが万倍話が早いっすよ」
「......ド正論すぎるな。一応最終手段のつもりでいたんだが、仕方がねぇ。
ロザリア。この話はあんたにとってもメリットがある。
それを見せるからとりあえず着いてきてくれ。
言っとくが逃げても無駄だ。追跡手段はすでに用意してる。地の果てまで追い回すぞ」
軽快に話していたかと思えば最後には底冷えするような声。
やっぱり怖すぎる。
何をするのか、させられるのかはわからない。
一応断る権利は用意されているらしいが、その場合はそれこそノータイムで牢獄送りだろう。
少しでも長く娑婆の空気を吸うには話を聞いてみるしかない。
これが年貢の納め時というやつなのか。
そんなことを思ったロザリアは、結局のところ大人しく彼らに着いていくしかなかったのだった。
◇
連れて行かれたのは牢獄エリアであった。
NPC衛兵たちが多数詰めているこちらは犯罪者にとっては近寄りたくないエリア堂々の一位を飾る場所である。
というか、犯罪者でなくともこんなところ普通のプレイヤーは近寄らない。
アヤはどうやらこちらのNPCたちと顔見知りのようなので普通に挨拶など交わしながらどんどん奥へと進んでいくが。
「見ての通り陰気な場所だ。
それも当然な話で、このゲームの時代背景はどうやら中世のようだからな。現代で言うところの刑務所とは似てるようで違う。
牢獄とは更生を促すための施設じゃない。裁きを受けるまでの一時的な収容所でしかねぇんだ。
そしてここでこのゲームのガバガバポイントがひとつ。そもそもプレイヤーに裁きを下す機関が存在しない。
システム上......例えば倫理コードなんかに抵触して転移させられた場合には時間経過で出られるが、それ以外の方法で直接的にここにぶち込まれた場合にはその限りではない。
この牢屋に囚われたが最後、基本的に出る手段は存在しないってことになる。だって無いもん裁きが。受けられない裁きを延々とここで待ち続けるはめになるのさ」
つらつらと恐ろしいことを説明していくアヤの口ぶりは、その足取り同様に澱みない。
「これから見せるものの魅力を引き立てるためにも、あんたには囚人の暮らしについて先んじて説明しておこう。
まず、牢屋の中は基本的に内外からのありとあらゆる干渉を受け付けない。壁面も鉄格子も破壊不可オブジェクトだし、メッセージなどの連絡手段も使えなくなる。ガバガバのフレーバーで用意されたスポットではあるが、一応牢屋として機能するようになってるんだな。
脱獄はかなり難しいだろう。なにせ牢屋内に入ると自動的に囚人服に装備品が切り替わるうえに所持品はすべてドロップする。それは看守に回収されちまう。仕様だから対策はおそらく無い。
つまりは、ほぼ素寒貧の状態で狭い空間に閉じ込められる。いつ出られるかもわからず無為に時間を過ごすことになる」
ゾッとする話を淡々と説明された。
もし事実なら、そんなの心が死ぬではないか。
これから先ずっと......それこそこのゲームがクリアされるまで。いや、クリアされるかもわからない。実質無期限で。
冷たい牢屋の中で余生を過ごせというのか。
「一応、何かの手違いで入っちまったやつへの救済措置はある。
が、期待はすんな。クソ面倒臭いうえにレベルに応じた多額の献金も要求されるクエストを牢の外のプレイヤーにクリアしてもらって恩赦を賜る形だ。
ベータ時代にやってみたことはあるが、二度とやりたくねぇなあれは」
「ありましたねぇそんなクエ。監獄関係でおもしれーこと全然できねーっすもんね。
あ。あれは好きでした。
衛兵を壁にめり込ませて遊んでたら無限召喚衛兵に袋叩きにされたやつ。最後のほう街ん中が衛兵で溢れかえってましたねぇ」
「あのバグ速攻で修正されたなぁ」
人が怖い思いしてる時になに昔話に花咲かせてんだこのサイコ野郎共は。
というかなにやってんだ昔のこいつらは。
「まあとにかく。あんたの未来は暗い。
俺たちは必ずこのゲームをクリアして見せるが......その時が来るまであんたは檻の中だ。
ラフコフに触発されただけの小悪党如きにやり過ぎだと思うかい?
だがな、ゲームクリアを妨げる行為への対処としてはそれしか無いんだよ。
一刻も早く、このエリアという狭い括りではなく、このゲームそのものという広い檻から全プレイヤーを解放しなきゃいけないんだ。
それを邪魔するやつに俺は容赦はしない」
ロザリアに反論の余地はなかった。
オレンジギルドを率いて悦楽のままに悪党の振る舞いをしてきたのは事実だ。恐喝や窃盗など日常茶飯事だった。
殺しは......
ギルドを立ち上げた頃にはこのアヤという犯罪者狩りが堂々と活動していたのだ。情け容赦のない男であると噂に聞いていた。こいつから
小悪党如きでいたならば、こいつはもっと悪いやつのほうに行ってくれるだろう、と。
結果としてはこの通り。見逃してはもらえなかったのだが。
そうこうしているうちに、アヤは牢獄エリアの奥地、その一角で立ち止まった。
「さて、初めに言ったな。
この話はあんたにもメリットがあると。
実を言うと厳密には少しニュアンスが違う。
あんたに与えられるのはデメリットの緩和だ。
俺の検証欲を満たすのに付き合ってくれたなら、他の囚人よりほんの少しだけマシな暮らしを送れるよう取り計らおう」
そこには当然の如く牢屋がある。
ただし、その趣は他とは一線を画する。
「前々から思ってたっすけど、何食って生きてたらこんな発想になるんすか。アホでしょあんた」
今だけはモルテの発言に同意である。
なにせ。
「牢屋の中に物を置いたら時間経過で消えたりすんのかな、って検証をかつてしてたんだけどよ。
一向に消えたりしないもんだから、せっかくなんでスイート牢獄にしてみたんだよね。
ほら、扉を閉める前だったら普通に行き来できるからさ」
ベッドもあればチェストもあるし、鏡台や本棚まで揃っている。
壁は流石に干渉できずどうにもならなかったようだが、床にはちゃんと円形ラグが敷いてある。
ラグの上にはダイニングテーブル、そのまた上には造花。
さほど広くもないスペースを有効活用し、生活感のある様子に仕上がっている。モデルルームでも作ろうとしたのかこいつは。
「何がせっかくなんすかイカレすぎでしょ」
またもやモルテと同じ感想を抱くこととなり大変遺憾であるが、やはり同感である。この男は頭のネジが外れている。
「システム的に許されてることをやってみただけだよ。やってみたら出来ちまった。
出来たはいいけど使い道はない。
だから、これをあんたへの報酬としよう。
依頼する以上は見返りを用意しないといけないからな」
「......結局は牢には入れられるってわけね」
「そりゃそうだ。
俺は犯罪者を裁いてるわけじゃない。罪と罰の妥当性なんて専門家じゃないんだから知らん。
ただ俺が邪魔だと思うから俺のエゴでぶち込んで回ってるだけ。それに例外はない」
まるでぶれない強い視線。
ゾクリとする。
「犯罪者相手だからって無理に要求を通す気はない。だからこそ旨味を見せて交渉している。
人間を実験動物みてぇに扱ってる自覚はある。
貴重な女性プレイヤーかつ犯罪者。この条件に合致する人間を俺は求めていた。そう、あんたは都合良く検証に使える人材だ。
けどよ、研究者だってモルモットの餌やりくらいはする。
畜産農家だって屠殺する前提でも家畜を育てる。愛を込めて。
感情と理屈はいくらでも切り分けて考えられるのさ」
先程の自分はこんな化け物に靡きかけたのか。
ロザリアは顔から血の気が引いていくのがわかった。
この男はある種、殺人者よりも恐ろしい。
そしてまた、その誘いを断る理由も今の自分には、無い。
断ったとて押し込められる環境が悪くなるだけだということがわかっているからだ。
「とはいえだ。
武力を背景に捕えてる以上、この交渉も単なるエゴでしかない。ほんの気慰めに過ぎない」
彼はここを見せるのは最終手段だと言っていた。
なるほど確かに。
暗い先行きの途中に灯るほんのささやかな光。それを見せられたらもう誘われてしまうしかない。
実質一択だ。交渉の体を成していない。
「元からフェアなトレードじゃないのさ。
生殺与奪がどうしても付き纏う。武力を持った人間同士、そういうもんだ。不本意だがな。
あんたもそうして搾取してきただろう。
運の尽きだと思って今度は俺に利用されてくれ。
そうしたら少しは贔屓もする。協力的なやつには情が湧くからな、俺だって」
支配される感覚。
またもゾクリとしたものがロザリアの背筋を走った。
いっそ倒錯的で背徳的な何かに目覚めてしまいそうであった。
そうしたほうが絶対に楽だから。
「これだからすげーんすよねこの人。
才能っしょ。死ぬよりこえー目に遭わせて人にこんな表情させられんのって」
モルテという見るからに愉快犯然とした男が彼に付き従っている理由がほんの少しだけわかった気がした。
◇
「アヤさーん、おつかれっすー」
「おうおつかれ。どうだった?」
アヤが本日の別件として訪ねていた鍛冶屋の家屋から出たところで、モルテに呼び止められた。
割といつもへらへらしているアヤと同様に、モルテもまた負けじとへらっへらしている。傍目に見て似た物同士であった。
「預かってた文書に結果書いときましたんで目ぇ通してください。
口で説明すんのダルいっす」
そう言って紙束を渡してくる。
仕事したんで飯奢ってくださいよ、などと要求されたので連れ立って近場の店へ入る。
第19層主街区《ラーベルグ》
めちゃくちゃ殺風景で陰気な場所だ。
攻略の最前線ではない今となってはプレイヤーは用事がなければ立ち寄らないだろうし、何ならNPCもほとんど外を出歩かないのでひたすら静かな街である。騒がしいのが苦手な人には良い街なのかもしれない。
観光名所......とは到底言えないだろうが、街外れの《十字の丘》という文字通り西洋風の十字架のお墓が立ち並ぶロケーションはほんの少しだけ壮観だ。
こんな街であるからして、食事処もそれほど多くない。
場所を変えようかとも考えたのだが、モルテが相手だし別にいいかとも思った。
アヤは彼の扱いが結構雑である。
注文してすぐに届いた、量は多いが具材は少ないウサギ肉のシチューに口をつけつつ話をする。
「いやはやぁ。
まさか俺が嫁をもらうことになるなんてね。
このゲームが始まった時には思いもしなかったっすよ」
「その嫁さん檻の中だけどな。
いやぶち込んだの俺なんだけどさ」
陰気で人気のない街で良かったと思えるとんでもない会話である。
この店に他に客がいないからこそ出来る話であった。
「問題はそれだけじゃねーっす。
そもそも矢印が完全にアヤさんに向いてるっす、あの女」
「はぁ? んなワケあるか。
どこの世界に自分を牢屋にぶち込んだやつに入れ込むアホがいる」
「いやマジマジ。
去り際に訊かれましたもん。
あの人は今後も会いにきてくれるのか、って」
「......どゆことよ。意味わからん」
本当に意味がわからなかった。
アヤは自分の思考回路がおかしいことを重々承知しているが、そんな彼でも理解できないほどにロザリアの思考がわからなかった。
「あんたも罪な男っすね。
一人の女を確実に歪めましたよ今日で。
今度首輪でも買って行ってやったらどうです?」
「おいお前、それはさすがに冗談だろ?
冗談だよな?」
アヤの背筋が冷たくなった。
「あんだけ入念に
次会ったらたぶん
良かったっすね。ちょいと薹が立っちゃいますが美女のテイムに成功っすよ」
「こッのゲス野郎が、なんてこと言いやがる」
「いや事実ですし。
あれは完全にそういう目でしたし。
会いに行きゃわかりますって。
そしたらどっちがゲス野郎なのかの証明完了っす」
モルテは心底愉快そうにしている。
そのありありと窺える自信からあながち嘘とも思えない。
こいつは他人の苦悩する様に悦びを見出す真性のゲス野郎である。
アヤとモルテは実はベータ時代からの知人なのだが、そんなに付き合いは多くない。だが、精神性にどこか似通ったところがあるのはお互いに察している。
今回のように悪いことをするときにはこれほど気兼ねなく声をかけられるやつは他にはいない。
だからこそぞんざいに扱うことができるし、それは向こうにとっても同じことだ。
アヤの愕然とした面持ちは、確実にこのゲス野郎の養分となっていた。心なしかモルテの肌が艶めいて見える。
アヤは頭を抱えた。
恨まれているほうが万倍マシだろ、と。
「ごちそうさまっす。
あ、このシチューのことじゃないっすよ。
あの女のツラも良かったですし、今のアヤさんのツラも最高っす。
生を実感できますねぇ」
「お前本当になんで犯罪者じゃねぇんだ?
実は今でもお前のこと疑ってんだけど俺。
全然
こんなゲス野郎であるからして、アヤはモルテのことは全然信用していない。
そもそもからしてこの男、ベータ時代にはPKの常習犯であった。
あの当時は本当にただのゲームだったのだからそういうプレイスタイルのやつがいてもいい。ただ、デスゲームと化した今はそうもいかない。
アヤは《ラフィン・コフィン》が活動を始めた当初、その調査を始めるにあたり、まず真っ先にこのモルテのことを徹底的に探った。
ところがまるで何も出てこない。アルゴの協力も得て四六時中見張っていても、こいつは何もやらなかった。
やってそうなのにやってないのだ、この男。
「これ言っても信じてもらえねーと思うすけど。
たぶんキモいって思われるっすけど。
アヤさんに会ったからっすよ。俺が一線越えてねーのは」
「あぁ?」
「ほらキモいって思われた。傷つくっすわー」
キモいのはキモいのだが、いまいち要領を得ていない。
アヤとしては自分がモルテに良い影響を与えた覚えなどかけらもないのだ。
なんなら扱いはぞんざいであるし、面と向かってお前を疑ってるぞなんて言えてしまう。
モルテはやれやれと肩をすくめた。
そして、やはりへらへらとした面構えで言うのだ。
「俺はね、まあこんなんすから。
PKやってたのだって楽しいからっすから。
もしこの世界にあんたがいなかったら、俺はきっと今頃ラフコフにいましたよ。これほぼ確信持って言えるっす。
でも、今はあんたみてーなイカレたやつとつるんでるほうが楽しいと思ってる。歪な理由っすけど、マジっす」
「......今日は色々とでけぇ感情を向けられる日だなオイ」
アヤはそれしか言えなかった。
まさかこんな形で潜在的な危険人物に首輪をつけていたとは、と。
「次に何かやる時はまた呼んでくださいよ。
それこそオレンジを狩るのだって手伝うっすよ。
あんた気にしてんでしょ、自分以外が傷つくこと。
ここに傷ついてもいいやつがいるっす。対人戦もお手のもの。
こんな都合の良いやつ、使わないのはもったいなくないすか?」
「お前はやり過ぎそうだ。
もうちょっと扱いやすくなってから出直せ」
「そりゃ残念。
ま、そういうわけっす。
これからもどうぞ探ってください。
俺はマジで何もやってねーしやらねっすから。
あんたと敵対したくないっすからね」
シチューをスプーンで綺麗に浚い、水までも一息に飲み干すと、モルテは立ち上がった。
ごちそうさまも言わない無作法なやつである。いや言ったけどさっき。別の意味で。
あれだけ喋り倒して食事もかきこんで満足したのか、もう行くらしい。
へらりと笑い、一言。
「ツガイの犬がペットになりましたね、アヤさん」
「......吐いてもいいか」
いいっすよ、などと言い放ちつつモルテは軽妙な足取りで立ち去って行った。
空前絶後の圧倒的キモさを誇る別れの台詞を吐きながら。
ひとり残ったアヤはもはや食欲が失せていた。
こんなことになったのは当然のことながら俺が悪い。俺が悪いのはわかってるが、予想できないところからイイパンチ打ってくんのはやめて欲しい。
苦汁を舐めるようにそう思っている。
エゴイズムを通すとこういうこともある。
人を呪わば穴二つ。身から出た鯖。因果応報。
好きにやるなら代償を支払えと誰かに言われているような気がした。
「残しちゃわりぃよな......」
生真面目にシチューを舐めつつ具を噛み締める。
味覚エンジンがバグりでもしているのか、アヤはこのゲームを始めてからおよそ初となる「飯が不味い」という感情を抱いた。