◇
「はい、どうぞ」
「ありがとう。
うん、いい香りだ」
ローテーブルに挽きたてのコーヒーが供された。
不要だと存じているはずだが、クリーマーも横に並べられて。
その日の気分次第で使うかもしれないでしょ、いらなかったらわたしがたくさん使うからいいよ、と。似たようなやりとりを常日頃している。
せっかくの気遣いであるし、偶には使うか。
と、湯気を立てるカップの中に真っ白いミルクを申し訳程度に注ぎ入れた。
真っ黒だったそれが薄茶色に変わる。
「そうそう。
ブラックで飲むと胃に良くないらしいからね」
それ空腹時の話な。
あと仮想世界で関係あるかなそれ。
なんて野暮なことは言わない。
どこか満足げに微笑むサチに、同じように微笑み返した。
平和だ。実に平和な朝のひと時である。
アヤは新聞紙を広げ、そこに目を落とす。
近頃は悪いニュースも無く、プレイヤーたちはどこか気が抜けている。
ラフコフとは一体なんだったのか、なんて声も市井からは聞こえてきたりする。
この新聞記事だって、まるでネタ切れとばかりに結構どうでもよさそうな内容が大部分を占めているのがそれを象徴しているかのようだ。
俺が事を急いで一気に制圧した弊害かね。
かくいう俺も少し気を抜いてしまっている。引き締めなければ。
アヤはコーヒーに口をつけ、そう思った。
立ち上がり、ダイニングテーブルのほうにいたサチへと新聞を渡す。
まだ半分も読んでいないそれを。
「あれ、もういいの?」
「うん。ネタ切れ感満載だし」
苦笑と共に手渡したそれに、今度はサチが目を通し始める。
「あっ」
アヤがローテーブルへと戻り、ソファに腰を沈めてインベントリの整理をすることしばし。
静かに新聞を眺めていたサチが短く声を上げた。
特に興味を抱かなかったアヤに対して、彼女はそうでもなかったようで。ある一面を食い入るように眺めている。
そんなに面白いこと書いてたのかな、と記事そのものではなくサチへの関心からその様子を窺い見る。
サチが顔を上げた。
新聞を手にこちらへ歩み寄ってくる。
そのままごく自然にアヤの膝の上に腰を下ろすと、こちらにも見えるように新聞を広げた。
二人がけのソファなんですがこれ。いいけど。
「アヤ、3位らしいよ」
「え。なにが」
俺の名前載ってた?
いきなり告げられた謎の好順位に目を瞬かせる。
「ほらここ」
サチが指差した箇所を注視してみればそこには......
『道行く女性プレイヤーの真実の声!
パーティを組みたい男性プレイヤーランキング(精神的な意味で)』
との文字が。
なんじゃこのランキング。
「は。なかなか低俗でいいじゃないか。
新聞じゃなくて週刊誌じみてっけど」
アヤは苦笑した。
平和で何よりだ、と。
こんなのを大々的に取り扱い始めるくらいには新聞屋は困っているようだ。事件がない証拠である。
「てか3位なんだ俺。意外だわ。
確かに顔は広く知られてると思うけど、ヤバいやつって認識が大多数を占めてると思ってた」
かつての奇行を抜きにしても最近は犯罪者狩りなんてイリーガルなことやってたし。それに伴ってあえて残虐な印象になるような噂も流させたし。
謎の好評価に疑問を抱くが、おそらく知名度が高いせいでそうなったのだろうと一人勝手に納得する。
「選考理由のコメントもあるよ。
えーっとね。
・お金持ってそう
・危険な香りに惹かれる
・シンプル外見が好み(奇抜なファッションはNG)
・うちのお店のお得意様なの。猫ちゃん好きなのかしら。猫柄のものをよく注文してくださるのよ。意外と可愛いなって思ったらキュンときちゃうわ!
だってさ。ふーん」
「最後のコメント知り合いだろそれ。
本当に女性プレイヤーだけなのか聴き取り相手」
たぶんだけどその人男性だと思うんですけど。
確かにもう振り切っちゃってる感はあるみたいですけど最近は。
特定の人物を思い浮かべ、アヤはげんなりした。
「なんか複雑ぅ」
膝の上のサチがこちらを見上げる。
むすぅっと頬を膨らめながら。
とりあえず両手で挟んで空気を抜いてやった。
目で抗議される。
選考理由にろくなこと書いてなかったけどこれはモテてるって言えるんですかね。
こんなんで妬かれても、とアヤとしては苦笑しか出てこない。
再び、二人して紙面に目を落とす。
「俺が3位ってこたぁ、1位と2位は......
なるほど。まぁ妥当だな」
自らの名の上に連なる堂々たるツートップを確かめ、頷いた。
「1位はディアベルさんだね。納得。
2位の人は......知らないや」
ことん、と身ごと預けるように頭を胸に乗せられる。
「ばりばりの前線組だからな、あの人は」
サチが彼のことを知らないのも無理はない。
しかし、前線のプレイヤーで彼のことを知らぬ者は中々いないだろう。
攻略組きっての両手剣使いである彼は、時に冷静沈着に状況を見極め、しかし機と見るや一気呵成に攻め立てる歴戦のダメージディーラーである。
装備の充実度まで含めた総合的な戦闘力は攻略組全体で見ても1、2を争うほどと目されており、ユニーク両手剣《カラドボルグ》をまるで手足のように自由自在に操り並み居る敵手を屠るその姿はさながら小型の竜巻のよう。
そのような戦いぶりに反して人柄は公明正大であり、常に穏やかな口調で言葉を紡ぐ紳士でもある。
いささか堅物ではあるもののそれは彼が規律を重んじているからこそとも言え、彼を慕う者は男女問わず少なくない。
そんな彼は大ギルドたる《血盟騎士団》に籍を置いている。その実力と人望から幹部への昇進も度々打診されているそうだが、未だ若輩ゆえと固辞し続けているという謙虚な一面も持ち合わせている。
その生き様からついた二つ名は《鉄仮面》。なかなかどうして、硬派な彼にふさわしい名だと言えるだろう。
「ベタ褒めだね。
へぇ。そんなにすごい人なんだ」
アヤの説明を聞きつつ、頭をぐりぐり押しつけてくる。
懐いた猫みたいな仕草だ。なわばりだと思われているのかもしれない。否定はしないが。
されるがままになりつつ、改めて記事に目を落とす。
しょーもない内容ではあるが、順位としてはやはり大体妥当だ。
少なくとも自身より上に名を連ねる二人の人物については、間違いなくそうだろう。
「そ。すごいんだよ。
攻略組随一の両手剣士。
《鉄仮面》のクラディール。
彼はきっと、このデスゲームがクリアされた暁には歴史に名を残すであろう。
◇
後日。
「クラディールが逮捕されたゾ」
「は?」
鉄仮面は汚名を残した。
どうやらただの仮面だったようだ。
◇
第50層主街区《アルゲード》
雑然と通路の入り組んだ迷路のような街である。
慣れたプレイヤーですらも油断すれば迷子になりかねないと言われるこちらの街にはキリトのホームがある。
「すまなかった。
ラフコフの管轄は俺だ。
気を抜いていた。
全て、俺の責任だ」
「ちょ、いきなり⁉︎
待てってなんで土下座⁉︎
頭、まず頭上げろって!」
アポを取ったのちにそちらに押しかけたアヤは、玄関先でまず地に頭を着けた。
彼にはキリトに、そしてキリトのそばで唖然としているアスナに、謝罪をしなければならない理由がある。
事の経緯は複雑であるが、おおよそのところは聞き及んでいる。
それを咀嚼した結果、アヤは居ても立ってもいられなくなり、こうしてここを訪ったのだ。
「ええと、どこまで知ってるんだ?
というか正しく認識してるのか?
こっちとしては、何でお前が謝ってんのか全然わかんないんだけど」
キリトは困惑している。
アヤは居住まいを正し、しかし立ち上がることはなく正座の姿勢をとった。
「いや正座もいいからとりあえず上がれって。
こっちが居心地悪いんだよそうされると!」
促され、部屋に上がる。
家主であり謝罪相手にそう言われたのでは仕方がない、と。
「探索中のお前たちがラフコフの関係者から襲撃を受けたと聞いた。それがあのクラディールだと。
俺の見落としだ。
すまない。危険な目に遭わせた」
アヤが聞き及んだ限りでは事実をそう認識している。
「何の謝罪か知らんけど、こっちの話をまず聞け。
丁度良い。話すつもりだったんだ」
「すまん。そうしてくれると助かる」
まず始まりは小さな諍いだったそうだ。
アスナが副団長を務める《血盟騎士団》は大ギルドらしく様々なルールによって団員が統制されている。幹部格の人間には護衛がつく、というのもそのルールのひとつである。クラディールはアスナの護衛であり、言わば身辺警護役だった。
生真面目な堅物......の皮を被った彼は、その役目にかこつけてアスナから四六時中離れようとしなかったという。さながらストーカーのように。実際に求婚までされたことがあるそうだ。
「だからキリトくんを頼ったんです。
その、男避け......的な意味で」
護衛ならしばらくの間キリトに頼むからいい、彼の実力は知ってるはずだ、と。
しかし、拒絶されたクラディールとしては当然のことながら面白くない。いくら攻略組最強と噂されるキリトといえど、これはギルドの問題だと彼に詰め寄ることとなる。
「で、実力示せって言うから。
デュエルでその......」
「俺の時のようにボコボコにしたと」
「根に持ってる?」
「持ってない。持ってない......」
言われた通りに実力は示した。
するとクラディールは大人しくキリトのことを認めて引き下がったという。この時点では彼は本性を隠していたのだからそれもそうだ。
問題はここからである。
「後日、プライベートには踏み込まないようにするからせめて団員として護衛の役目は果たさせてくれ、って。
私たちのパーティに合流させてほしいって頼まれたんです。キリトくんにもしっかり謝りながら。
この時は彼のことを疑ってはいなかったので、反省の色も見られましたし、ギルドとしての体面もあるので認めちゃったんです」
「実際、強い剣士なのは俺も認めてたからな。
確執がなくなったんなら戦力にもなるしいいかと思ってさ」
彼を加入させてからフィールドのマッピングはとんとん拍子に進んだという。
それもそうだ。攻略組でも指折りの実力者3人による進撃だ。その歩みを止められる者などそうそういやしない。
そうして探索を進め小休止を挟んだ頃、クラディールが先日の謝罪の意味を込めて用意したという物資を受け取った時に事は起きた。
「アヤの忠告はちゃんと聞くもんだと痛感した。
"自分で用意した物以外は口にしない"だっけ」
異物混入PK。
飲み水などに毒薬を仕込み、それをプレイヤーに服用させることでバッドステータスに陥らせる悪質なPK手法である。
このゲームにおける毒薬類の効果の程は、薬品そのものの品質はもちろんのこと、その摂取方法によっても左右される。
刃物に塗り付けるなどしてそれで攻撃される分には効果が低くとも、経口摂取すると効能が跳ね上がるようなものがいくつか確認されている。
それにまんまと口をつけてしまったキリトは《麻痺》の状態異常にかかった。
数十秒にわたり行動不能と化す、このゲームでも指折りの凶悪な行動阻害状態に。
「私は無事でした。
以前キリトくんからもらったイヤリングが、低確率で状態異常を無効化する効果を持っているので、それで」
アスナが、今も身につけている耳飾りを愛おしげに撫ぜた。
その仕草にはどこか艶がある。
ん?
アヤはなんとなく違和感を覚えたが今はそんな時ではないので触れないことにした。
「一生の不覚を取った俺に危害を加えさえないため、アスナがクラディールに立ちはだかった。
アスナは強い。だが、クラディールはそれ以上だ。ヤツは曲がりなりにも魔剣を持った歴戦の猛者。これまで弛まず研鑽を重ねてきた攻略組でも指折りの剣士だ。
俺はただ、追い詰められていくアスナを見ていることしか出来なかった。
あれほど悔しい思いをしたことはない。俺の目の前で、他でもないアスナを傷つけられて。それなのに何も出来なくて」
ん?
アヤは再び言い知れぬ違和感をおぼえたが、おそらく気のせいだと思って話の続きを聞くことにした。
そもそもなんかキリトの口数多くない?
俺が自分の不手際を誠心誠意謝罪しにきたパートなんじゃなかったか、今って。
いやたぶん気のせいだよな。
言い聞かせた。
「アスナは持ち堪えた。
俺の麻痺が解けるまでだ。あの《鉄仮面》とも呼ばれたクラディールの攻撃を捌き切ったんだ。
アスナへと、聞くに堪えない、愛憎入り混じった言葉を吐きつける、あの執着心の化け物のような男の猛攻に耐えてくれたんだ」
「キリトくんを守りたかったから。
あの人の言葉なんて聞いてなかったよ」
「......」
なんかこの二人、距離近くない?
気のせいじゃないよねたぶん。
「麻痺が解けるなり、キリトくんは私をかばうように前に出て、クラディールの前に立ち塞がりました」
「当然だ。君をあれ以上あいつの視界に入れたくなかった」
「キリトくん......」
「うん、ちょっとストップ」
アヤは我慢できなくなった。
ここに来た時からずっと二人への申し訳なさは抱えたままでいることに変わりはないのだが、ちょっとこの空気は流石に耐えかねた。
「なに?」「なんですか?」
ほら息ぴったりだし。
「あのさ。
もしかしてお前ら、そういう?」
「なんだよはっきり言え」
「とうとう付き合うことにしたのかっつってんの。やっと自覚したんかお互いに。あんだけ仲良かったのに、今更になって」
確信を持って言い放った。
いくら鈍いと自覚するアヤでもさすがにわかる。
よくよく見ればキリトとアスナとの距離感は自身とサチとのそれと遜色ないことに気が付いたのだ。
「な、何故それを⁉︎」
「見りゃわかんだよ見りゃ」
というか、キリトとアスナがベッドに二人並んで腰掛けていた時点で早々に気づくべきだった。
何故キリトは狼狽えているのか。わからないと思ったのか。丸わかりだった。
「さすがはアヤさんですね......」
さすがでもなんでもないんだわ。
これでも遅いんだわ。
お前らがわかりやすいだけなんだわ。
言わなかった。
「ともかくおめでとう。祝福するよ。
ああ、この先はもう言わんでもわかる。
目の前で相方が命の危機に瀕して、ようやくになって互いの想いに気が付いたんだろう。固く抱きしめ合っちゃったりして、しかと確かめ合ったんだろう。ぬくもりを。鼓動を。
何なら盛り上がっちゃってキスくらいまでその場の勢いでしてるだろうという確信まである」
「お前どこかで見てた?」
「ちょ、ちょっとキリトくんっ!」
「合ってんのかい......」
アヤはため息を吐き出した。
なるほど。時間の問題だとは思っていたが、まさかこんなタイミングでか、と。
第一層の頃から度々バディを組んでは息の合った連携を取っていたこの二人。
戦いの場においてそうであるからといって必ずしも私生活においてまで息が合うというわけではないだろうが、それにしたって。
そもそも最初からアスナはキリトに心を許していた節がある。攻略会議の夜にこの二人の間に何があったのかは知らないし訊くつもりもないが、おそらくはあの時をきっかけとしてそれからずっと。
あの刺々しかったアスナが少しずつでも笑うようになり、人との交流を持つようになっていったのは、彼女の人柄が生来優れているからなのには違いなかろうが、その心をまず最初に溶かした者の影響が少なからずあるはずだ。
そしてそれはきっと......
まったく、これまでヤキモキさせやがって。
アヤはニヒルに笑った。まるで若い二人の成長を見守ってきて、その行く末を見届けた者のようなムーブであった。
そんな彼の内心がもし二人に伝わっていたとしたら、こう返ってくるだろう。
お前が言うな、と。
◇
「改めてだけど、俺は謝罪をしにきた。
初めに言ったけど、今回の事件は俺の不手際によるものだからだ。
確かにラフコフの捜査には全ギルドへの協力要請をしていたとはいえ、最終的に情報を統括し対処するのは俺の仕事。
クラディールがラフコフと繋がりを持っていたことに気がつくことが出来なかったのは俺の落ち度だ。首魁の足取りばかりに気を取られて身内への警戒を怠っていた。
だから、すまなかった。
そして礼も言わせてくれ。
二人が無事で、本当に良かった。ありがとう」
「律儀なやつだな本当に。
お前が俺に昔言ったのをそのまま返すよ。
納得できないなら、そのうち何らかの形で
改めて謝罪の言葉を口にすると、キリトは呆れたようなため息と共に頬杖をついた。
アヤとしてはそう言われるとどうしようもない。かつての自分の言葉が返ってきた形だからだ。
「そもそもアヤさんの責任ではないと思います。
クラディールは巧妙でした。
というか、その......自分で言うのもどうかと思いますけど、私が絡まなければ彼は今もいい人の演技を続けてたでしょうし」
アスナはそう言って苦笑する。
まるで魔性の女を自認するみたいで気恥ずかしかったのであろうが、事実として彼女の美貌は羞花閉月、まったくもって過剰ではなく。
あの男の如何にも公明正大に振る舞うロールプレイの仮面が剥がれたのは、彼女への焦がれんばかりの愛憎がその理由の一端となっていたことだろう。
何故なら彼は、それ以外は満たされていたはずなのだから。
「......わかった。
二人の寛大さに感謝するよ」
謝罪は受け入れられた。
そうとなれば、だ。
「邪魔したな。
じゃ、あとは若い二人で......」
「待ってくれ。実はまだ話は終わってない」
「あ?」
文字通り自分がお邪魔虫であると思ったアヤは退散しようと腰を浮かしていた。
しかし、どういうわけかキリトに呼び止められ中腰で固まるはめになる。
「なに。惚気ならいらんぞ」
「正直それも聞かせてやりたい。
だって普段散々お前らに見せつけられてるから」
「き、キリトくんっ」
こいつブレーキペダルどっかやってんな。
付き合い立てってこういう不思議な勇気湧くもんなのかな。こっちは段階すっ飛ばしていつの間にか嫁になってたからわかんないんだよな。
アヤは思った。
とはいえなにやら他に真剣な話があるらしいので再び着座する。
中腰のままで聞いていられるほど短い話ではなさそうだった。
「その話については私から。
というのもギルド絡みのことなんです」
「ほう?」
アスナが言うからには《血盟騎士団》のことだろう。彼女はそちらの副団長であるからして。
「私、また昔みたいにキリトくんとのバディに戻ろうと思ってて。
責任ある立場ですから、ギルドを辞めるわけじゃないんですけど、それでも。離れたくないっていうか......ああ、そうじゃなくて。
とにかくそのことを団長に相談したんですよ」
こっちもこっちでブレーキのオイル足りてなくない?
「ヒースクリフは何て?」
もうツッコむのも面倒臭いので、単刀直入に、アヤを持ってしても未だ何を考えているのか全然わからない不可思議な男の意向を尋ねた。
「キリトくんが、団長と決闘することになりました」
「はぁ?」
マジで何考えてんのかわからん。
そんな心持ちが声になって出た。はぁ?である。
「副団長を引き抜くとはいい度胸だ、ってな。
欲しいなら勝ち取ってみろって言われたもんだから、俺もその、売り言葉に買い言葉で。
俺が負けたら、逆に俺がギルドに入れってさ。どっちにしても一緒にいられるようにしてやるから悪い話じゃないだろって。
ちょっと面白そうに言われた」
「はぁ......」
はぁ、としか言えなかった。
ヒースクリフの意図が読めない。
いや、言い分はわからないでもないのだ。
大ギルドの副団長という地位は重い。ましてやアスナは《血盟騎士団》創設期においてヒースクリフがじきじきに声をかけたプレイヤーのうちの一人だ。
その美貌、その実力共に唯一無二のものであり、これほど象徴性に優れたプレイヤーは他にはいない。
そんな貴重な人材を、いくら同じ攻略組といえど部外者にくれてやるわけにはいかない。そう言っているのはわかる。
「あのおじさんそんなバトルジャンキーだっけ?」
「あまりそういう印象はないんですけど......」
アスナが言うように、ヒースクリフのキャラとはあまり合致しないような提案である。
あの男はいつも淡々としている。どんな時でも熱くならない。その有り様はどこかアヤにも似通っている。
欲しいなら勝ち取ってみろなんて安い挑発、アヤならば何か理由がなければしない。
理由、ね。
「なんか心当たりある?」
「......打てる手は全部打て、そうでなければ《神聖剣》には勝てない、とは言われたな」
キリトの返答には首を傾げざるを得ない。
「何を当たり前のことを。
戦う上でそんなの大前提......」
だが。繋がった。うっすらと。
当たり前のことなのだからそれを心当たりとして挙げるはずがない。
裏を返せばそれは、キリトには
そしてそれについてはアヤにも思い当たる節がある。
「......キリト」
「皆まで言うな。
いや、隠してて悪かった。
実はその、俺にもあるんだ。
ユニークスキルが」
キリトはどこか気まずそうにしている。
そうしつつも、メニューウィンドウを開いて、自身のスキルセットを見せてくる。
あまり褒められたことではない。いくら見知った仲といえど、自身のスキルを口頭ではなく画面ごと見せるなど、警戒心が薄い。
それだけ信頼されているのだと思うと嗜められやしないが。
「《二刀流》ね。
だからか。
俺とのデュエルの時、左手に意識をやっていたのは」
そこに表示されていたスキルを見て得心がいった。
両手に剣を持つことが可能となり、専用のソードスキルまである。
「あー、言葉を返す。
皆まで言うな。
お前がこれを隠してた理由はわかる」
ゲーマー心理、というやつだろう。
この手のゲームにおいてはプレイヤーは誰しも心のどこかで己の唯一性を求める。
たとえば「他の誰かと装備が被ったらなんか嫌」みたいな小さなこだわりでさえもある意味ではそれに当たるだろうが、それはまだ自分でコントロールできる範疇の話である。
それとは逆で、欲しいのに手に入らないものにこそ人は手を伸ばす。現実ではなかなか欲しいものなんて手に入らない。でもゲームの中でなら。
一つしかないものを欲しがるのは、ある種自然な欲望だ。
ユニークスキル、だなんて。ばっちりド真ん中撃ち抜いてしまうことだろう。文字通り唯一無二なのだから。
その結果何が起こるかといえば、良からぬ妬み嫉み、それによる不要なトラブルといったところか。
力を振り翳さず、温和に生きるキリトにとっては出来ることなら避けたいことだろう。
「その、今まで黙ってて......」
「お前が謝る理由としてはこうだろう。
攻略を急いでる俺に、力を隠してたこと。
言うなれば出し惜しみしてたこと」
「ッ」
キリトが息を呑んだ。
おそらくは、図星。
年相応、あるいはそれに見合わぬ幼さを残す面立ちに影が差す。
後ろめたく思う必要はないよ。
アヤは立ち上がり、彼へと歩み寄る。
そうして、頭に手をやった。
サチへとそうする時のように。
「見縊んな。
これ以上お前に何を求めるものか。
お前はすでに最強なんだぜ。
そんなもんなくても散々助けられた。
逆だ。俺が力不足を恥じるべきだ」
「お前......」
「ヒースクリフは見てぇようだ。
いつ勘付いたんだが知らんが、本気のお前を。
せっかくだからお披露目してやれよ」
そう言って、手を離す。
「なんだかんだで初めてだよな。
いよいよお前にも
なっちまえ。《二刀流》のキリトに」
笑いかけてやれば、視線で強く射抜かれた。
キリトはもう、少年から剣士の顔に戻っている。
「ああ。
俺は負けない。
お前が俺を最強だと信じてくれるなら。
それを証明してくる」
男二人。
突き合わされる拳。
アスナは思った。
アヤさんひどい。元々は私のための決闘だったはずなのに。キリトくんとられた。
乙女心とは複雑なのであった。
◇
《聖剣騎士団》本部、団長室にて。
思わぬ来客があり、ディアベルは緊張の面持ちでその対応を行っていた。
「訪問者の名を聞いた時は驚いたぞ。
あなたがわざわざここに出向くとは。
まあ、かけてくれ」
「失礼する」
ディアベルの対面に腰を下ろす壮年の男。
彼は真紅の外套を身に纏っている。
よく手入れされた長髪を一つ結びにし、上品に垂らしている。
その顔にはどこか底知れぬ微笑み。
「俺たちトップ同士はともかくとして、下のやつらはお互いに対抗意識を燃やしている。
この部屋に来るまでに団員から何か失礼な対応はなかっただろうか。心配だ。
しかしそれにしても、あまりフットワークが軽すぎるのも困りものだぞ。ヒースクリフ」
二大ギルドの団長同士。
攻略会議で顔を突き合わせる機会は多々あれど、どちらか片方がもう一方へと出向くというシチュエーションは少ない。
呼ぶ呼ばれるなどと、些細なことでもいらぬ噂は立ちかねない。対等な関係性であることを内外に示すこともまた政治のひとつというものだ。
「ああ、すまない。
実務的なところはアスナくんに任せ切りなものでね。そういった配慮が足りていなかった」
ヒースクリフは飄々と言った。
相変わらず掴みどころのない男だ。
「まあいい。用向きは何かな」
ディアベルは頭を回す。
次の攻略会議の段取りはすでにアスナと済ませている。
狩場の調整についてもアスナと。
物資の融通も......アスナだ。
いや全部アスナじゃないか。こいつ普段何してんだよ。同じ団長なのになんでこんなに業務量が違うんだよ。
いらんことに思考のリソースを割かれた。
で、そんな働いてない疑惑が浮上しているヒースクリフはというと。
「いやなに。
ちょっと身内でトラブルがあってね。
私とキリトくんとで決闘をすることになった」
「はぁ?」
はぁ?であった。
言葉足らず過ぎて意味不明なことを言い始めたのだ。
頭を回しても無駄なので、続きを促す。
「たまには私も仕事をしようかと思ってね。
興行として美味しいだろう。私と、攻略組最強と名高い彼のデュエルは。
攻略もいいのだが、息抜きは必要だ。プレイヤーへの娯楽提供も兼ねて、私たちの試合を観戦できるよう取り計らってみるのも悪くないと考えたのだ。
どうかね。《聖剣騎士団》も一枚噛まないか」
やっぱ普段仕事してないのかよ。
ディアベルは思った。
しかし。なるほど。
「ふむ。悪くないな。
だが片手落ちだ。
どうせなら他に参加者も募り、大会のようにするのはどうだ。
興行だと言うのならそれくらいはしないと席代は払わせられないぞ。
賭けは......まぁ勝手にやるやつもいるだろうからこちらでは主導しなくともいいな」
ディアベルは頭の中で算盤を弾く。
ギルドの資金繰りは何だかんだでいつもギリギリだ。高品質の装備、物資を揃えるには金がいる。
いくら攻略組といえども、下層プレイヤーからの徴収など論外だ。
かつて実際に提案されたことなのだが、プレイヤーから税金を徴収してはどうか、などと一部の部下たちが言い始めた時は頭を抱えたものだ。
即却下である。俺たちは貴族ではない、と。
とはいえ金が要るのは確か。ならば。
合法的に、自主的に金を払わせるような、大して元手のかからないことをすれば良い。
ヒースクリフの提案は渡りに船であった。
騎士にして策謀家たる《はじまりの騎士》。
綺麗事は綺麗事。汚い事は汚い事。それらは分けて考える。
薄く浮かべられた笑みは仄暗い。
「ふふ。
先に君に話を持ってきて正解だったよ。
アヤくんは反対に回るかもしれないからな。
あれでいて生真面目だ彼は」
「わかってないな。あいつは乗るよ。
興行が金になることなんてわかってる。
金がいることもわかってる。
そもそもあいつはゲーマーだ。
攻略を急いでいても、楽しむ時には楽しむやつさ」
悪い顔した大人が二人。
もはや渦中の人物であるアスナのことは完全そっちのけで、はかりごとを推し進めていた。
どの世界で生きるにしても、人間には金が要る。
開発メモ
私の勇者が無名すぎる。
もっと広く名が知れ渡ってほしい。
そうだ、決闘しよう。