断崖の強い潮風を抜け、緩やかな坂道を下ると、ルード村の穏やかな空気と土の匂いが再び三人を包み込んだ。
村長の屋敷の居間には、薪ストーブの爆ぜる柔らかな音と、乾いたハーブの香りが満ちていた。テーブルの上には、旅の労をねぎらうために出された温かいハーブティーと、村特産の干し肉が整然と並べられている。
「……なるほど。では、あの不審な魔法使いはもう立ち去ったのですね?」
村長は深々と安堵の息を吐きだし、シワの刻まれた両手を胸の前で合わせた。
「うん」
フリーレンは手渡されたコップを両手で持ち、ハーブティーの湯気を吹きながら淡々と頷いた。白いツインテールが肩からこぼれ落ち、頭頂部のアホ毛がゆらりと揺れる。
「完全に撃退して遠くへ追い払っておいたよ。もう二度とこの村に近づくことはないはずだ」
「そうですか、それはよかった……! 村の若者たちが怪我でもしたらと、ずっと心配で夜も眠れませんでした」
「それとね、村長さん」
フリーレンは一口お茶を口に含むと、表情ひとつ変えずに言葉を継いだ。
「奥の洞窟も一通り調べてみたけれど、崩落が進んでいて危険なだけで、村の役に立ちそうなものは何も残っていなかったよ。珍しいゴーレムの残骸も、あれで全部だ。怪我人が出ないうちに、あの崖付近には誰も近づかないよう村の決まりにしておいた方がいい」
「なんと……それは残念ですが、魔法使い様がそうおっしゃるなら間違いありませんな。村の者たちには固く言い聞かせておきましょう。本当に、感謝の言葉もございません」
村長は何度も頭を下げ、あらかじめ用意されていた報酬の革袋に、さらに追加の干し肉を添えて差し出した。
「フリーレン様……」
後ろに控えていたフェルンが、小さく溜息をつきながらフリーレンの横顔を見つめた。その紫色の瞳には、依頼主へ嘘の報告をしたことに対するほんのわずかな罪悪感と、それ以上に「これでよかったのだ」という静かな納得が宿っている。心なしか、その頬が少しだけふくらんでいた。
「なに、フェルン。依頼通り安全は確保したし、余計な混乱を防いだんだから、完璧な仕事だよ」
「……まあ……今回ばかりは不問にしておきます。報酬も無事にいただけましたし」
「へへっ、これでまたしばらくは美味い飯が食えるな!」
シュタルクが安堵したように頭の後ろで両手を組み、口元を緩めた。背中の大斧の重みが、今はどこか心地よく感じられる。
村長宅を後にした三人は、村の中央へ続く緩やかな小道を歩んでいた。
屋敷の脇に広がる青々としたカボチャ畑では、西日を浴びた金属の影がゆっくりと蠢いていた。
シャキン、サクッ。
ギラリと光る刃物の腕を滑らかに動かし、完熟したカボチャの茎だけを寸分違わず切り落としては、背中の大きな竹籠へと器用に放り込んでいる。統一帝国時代の産物――フロイラインが「命の自律性」を追及する過程で作り出した、不気味なヘビ型ゴーレム。
「……あいつ、相変わらず黙々とカボチャ獲ってんな」
シュタルクが足を止め、呆れ半分、感心半分といった様子でその泥人形の作業を眺めた。
「フロイライン様も、ご自身が造ったゴーレムが、千年の後に田舎村の畑仕事で重宝されているとは思いもしなかったでしょうね」
フェルンが木製の杖を抱え直し、静かな声で言った。
「うーん、どうかな」
フリーレンは歩みを止めず、ちらりと畑に視線を向けた。
「あいつは自称・天才だったんでしょ。『ボクの作った完璧な作品なら、カボチャの収穫くらい千年間ノーミスでこなせて当然さ』って、鼻で笑うかもしれないよ」
「……ありそうな話です」
フェルンはふっと眉の力を抜き、わずかに口元を緩めた。狂気と執着の末に潰えた千年前のエルフの夢。しかし、その歪んだ情熱の破片は、巡り巡ってこうして現代の小さな村の、平穏な日常の風景へと溶け込んでいた。
村の出口へ向かう途中の広場。
そこには、三人がこの地での旅の初めに磨き上げた一基の石像が、夕暮れの橙色の光を受けて神々しく、そしてやや不自然なほど悠然と佇んでいた。
立派な蓄え髭、深く刻まれた眉間のシワ、衣服の上からでも分かるほどのたくましい胸筋と角ばった顎。どこからどう見ても、修羅場を潜り抜けてきた熟練の老戦士そのものの姿。
「……なあ、フリーレン」
シュタルクが石像の前で立ち止まり、その厳めしいおじさんの顔を見上げた。
「やっぱり何度見ても、これが大魔法使いフランメってのは無理があるだろ……。本当のフランメって人は、あのゴーレムみたいな感じの見た目だったんだろ?」
「そうだね。ほんと誰なんだろ、このおっさん」
フリーレンも足を止め、白いツインテールを風になびかせながら石像を見上げた。翡翠の瞳に、千年の時に埋もれた本物の師の面影と、そして洞窟の奥で見たあの精巧なゴーレムの姿が交差し、ゆっくりと静かな思い出へと昇華されていく。
「でも、いいんじゃないかな。この村の人たちが千年間、フランメの名前を忘れずに大切にしてきてくれたのは本当なんだから」
「……そうですね」
フェルンが隣に並び立ち、静かに頷いた。
「形や歴史がどんなに変わってしまっても、残された感謝や祈りの気持ちまで偽物になるわけではありません」
「まあな。もし俺が数百年後にゴツいおっさんの像にされてても、村の人たちが毎日大切に思ってくれてるなら……まあ、ギリ許すかもしれないな」
「シュタルク様の場合は、最初から似たようなものですから心配いりません」
「なんでだよ! 俺はこんなゴツい髭生えてねえだろ!」
呆れたように溜息をつくフェルンと、必死に反論するシュタルク。
二人のいつもの騒がしいやり取りを聞きながら、フリーレンは静かに赤い杖を持ち上げた。頭頂部のアホ毛が、夕暮れの風を受けてゆらりと揺れる。
杖の先端に、小さく温かな魔力の光が灯る。
「花畑を出す魔法」
フリーレンが小さく呟いた瞬間、石像の足元から波紋のように鮮やかな色彩が広がっていった。
赤、白、黄色、紫。あらゆる種類の可憐な野花が一瞬にして咲き乱れ、無骨な石の台座を覆い、広場の中央を一変させていく。甘く優しい花の香りが、夕刻の風に乗ってふわりと漂った。
ゴツゴツとした厳めしいおじさんの石像と、その足元を埋め尽くす色鮮やかな花畑。一見するとひどく不釣り合いで、どこか可笑しな光景。
「うわ……すごいな。一瞬で花畑になっちまった」
シュタルクが目を丸くし、足元の花を踏まないよう少し後ろへ下がった。
「フリーレン様……。綺麗……ですね。とても」
フェルンが静かに目を細める。その紫色の瞳は、花畑を見つめるフリーレンの横顔の奥にある、言葉にされない想いを静かに汲み取っていた。
フリーレンは何も答えず、ただ咲き誇る花々と石像を見つめていた。
この花は、かつて人類に魔法を広め、歴史の陰に消えていった師フランメへ。
愛した者の死を受け入れられぬまま狂気に逃げ、崩れたアトリエで一人静かに息を引き取った、かつての天才――フロイラインへ。
そして、今も暗い洞窟の奥で、終わることのない命令を守りながら主の目覚めを待ち続ける、哀しいゴーレムへ。
千年の時を超えた愛憎と執着、そしてすれ違いの結末に捧げる、ささやかな手向けの花束だった。
フリーレンはふっと口元を緩め、持っていた杖をゆっくりと下ろした。
人間の命は儚く、記憶は風化し、歴史は歪んでいく。
けれど、誰かが誰かを想った温もりだけは、変わることなく、この世界に残り続ける。
「……さて、行こうか」
フリーレンはひらひらと手を振り、歩き出した。
「フリーレン様、どこへ向かうのですか? 次の目的地はまだ決まっていませんよ」
「うーん……たしか、北の帝国方面に向かう途中に、『干し肉をジューシーにする魔法』が伝わる村があったはずなんだよね」
「またそんな、くだらない魔法ですか……。路銀の無駄遣いは許可できませんからね」
「いいじゃねえか! この村の美味い干し肉、買い足して行こうぜ!」
沈みゆく夕日が、三人の影を街道の先へと長く引き伸ばしていく。
風が吹き抜け、ルード村の緑の匂いと、新しい旅の予感を運んでくる。どこまでも穏やかで、どこかノスタルジックな時の中に、三人の足音だけが静かに響き続けていた。
あとがき
これにて「天才エルフとゴーレムの話」は完結です。
本作にお付き合いいただき、またお気に入り登録や評価をいただきまして、本当にありがとうございます。
終わりまで描き切れたのは、読んでくださる皆様のおかげです。
前作「ラインハイトの蜜月」では魔族にフォーカスした話を書いたので、本作ではエルフを主軸にした話にしてみました。
原作におけるゴーレムってレルネンの脱出ゴーレムの他には、たぶん調理用のヘビっぽいやつしか出てきてないと思うんですけど、後者ってほとんどロボですよね。キノウテイシとか言ってたし。
ファンタジーものの二次創作を作るとき、単語選びには悩みます。「機械」とか「プログラム」とか、この世界には存在しない概念なんじゃないかって。といっても他に適切で分かりやすい言葉も出てこないので、使っちゃいます!
改めまして皆様、読了、本当にありがとうございました。
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【次回作予告】
明日(8/10)の18時頃より、もう一作フリーレンの連載を開始予定です。
次はゼンゼさんが主役のライトなコメディ(全5話・毎日更新)です!よろしければぜひお付き合いください。