異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice 作:折無堂
霊夢は物置を掃除した翌日、縁側に四人を呼んだ。
華扇、萃香、天子、紫。
呼んだ、と言っても、正確には少し違う。華扇はいつものように説教の気配を感じて来た。萃香は茶を持って来た。天子は地獄コーラを飲みに来た。紫は最初から聞いていたような顔で隙間から出てきた。
霊夢はその四人を見て、少しだけ言いづらそうにした。
「昨日、物置を見たのよ」
「ええ」
華扇が頷いた。
「それで?」
「古い記録とか、壊れた陰陽玉とか、昔の装束とか、いろいろ出てきた」
「見つけたのね」
紫が扇で口元を隠した。
霊夢は紫をじっと見た。
「あんた、知ってたでしょ」
「さあ」
「その顔は知ってた顔ね」
「古いものは、古い場所にあるものよ」
「答えになってない」
「いつものことでしょう」
霊夢はそれ以上追及しなかった。今は、そこではない。
「それで思ったんだけど」
四人の視線が霊夢に集まる。
霊夢は湯呑みを置いた。
「修行は、してもいいと思う」
沈黙。
次の瞬間、四人がほぼ同時に言った。
「異変ですか?」
「異変ね」
「異変だね」
「異変だわ」
「異変じゃない!」
霊夢は即座に怒鳴った。
「昨日もそれやったでしょ!」
華扇は真面目な顔で言った。
「昨日は“修行した方がいいのかな”でした。今日は“修行してもいいと思う”です。進行しています」
「病気みたいに言わないで」
萃香は湯呑みを揺らした。
「霊夢が自分から修行かあ。これは酒より珍しいね」
「どうでもいいわよ」
天子は地獄コーラの瓶を抱えたまま、少し楽しそうに身を乗り出した。
「いいじゃない。修行。天人っぽいわ」
「あなた、ちゃんと修行してるの?」
霊夢が聞くと、天子は一瞬だけ目を逸らした。
「……していたこともあるわ」
「今は?」
「天人は存在そのものが修行みたいなものなのよ」
萃香が笑った。
「してないね」
「してるわよ。退屈に耐える修行を」
「それは修行というより暇じゃないの」
「うるさいわね」
紫はにこにこと霊夢を見ていた。
「理由を聞いてもいいかしら」
「魔理沙がやっているから」
あまりにあっさり言ったので、四人は少しだけ黙った。
華扇が最初に口を開いた。
「……霊夢さんらしいですね」
「そう?」
「ええ。変に大義名分を持ち出さないところが」
萃香も笑った。
「うん、霊夢らしいね。魔理沙が真面目にやってるなら、ちょっと気になる。あいつに置いていかれるのは嫌だ。そういうことでしょ」
「別に置いていかれるとは思ってないわよ」
「思ってないけど、面白くはない」
「……まあ、そうね」
天子が瓶を掲げた。
「対抗心ね。良いわ。分かりやすい動機は強い」
紫は扇を閉じた。
「魔理沙が自分の可能性を広げようとしている。なら、博麗の巫女も自分の可能性を狭める必要はない。そういうことね」
「そこまで綺麗に言うと、なんか嫌ね」
「あなたの言葉ではなく、私の言葉ですもの」
「でしょうね」
華扇は姿勢を正した。
「では、私からは仙人として協力します」
「何をするの?」
「以前にもやったでしょう。身体と気の流れを整えるところからです」
霊夢は少し嫌そうな顔をした。
「またあれやるの?」
「今度はあなたが自分から修行すると言ったのでしょう」
「言ったけど」
「では、やります」
華扇はきっぱり言った。
「霊夢さんは勘と霊力でだいたい何とかしてしまいますが、基礎の姿勢や呼吸は今でも少々雑です」
「まだ雑?」
「まだ雑です」
「言い切ったわね」
「前にも言いました。あなたは強いですが、強いことと丁寧なことは違います」
霊夢は少しむっとした。
「魔理沙みたいなこと言われてる気がする」
「魔理沙さんの方が今は記録を取っている分、丁寧かもしれません」
「やるわ」
華扇は微笑んだ。
「動機はともかく、よろしい」
萃香は湯呑みを置き、縁側から立ち上がった。
「じゃあ、私は鬼としてだね」
「酒飲み修行ならやらないわよ」
「酒も飲むし、お茶も飲むよ。でも今は飲み物の話じゃない。鬼として教えるのは、力の抜き方だよ」
「鬼が?」
「鬼だから」
萃香は腕を軽く回した。
「霊夢は力を抜いてるようで、肝心なところでは全部を一瞬で決める。そこは強い。でも、長く続ける時の力の置き方は、まだ人間っぽい。鬼は力を出すより、力を持ったまま壊さないでいるのがうまいんだよ」
「萃香が壊さない話をするの、変な感じね」
「壊せるからこそ、壊さない加減を知ってる」
霊夢は少し黙った。
それは、フランドールが桃の木に言った「壊れないでね」とどこか似ていた。
「なるほどね」
「あと、宴会の修行もある」
「それは要らない」
「大事なのに」
天子が得意げに胸を張った。
「私は天人として協力してあげるわ」
「具体的には?」
「地面を見る」
「……いつも見てるけど」
「見えてるのと、見てるのは違うのよ」
天子は足元を指した。
「山、谷、水、岩。その間を通る気。場所がどこにあるかじゃなくて、何と何がつながっているかを見るの」
「それ、天人の修行なの?」
「天人の視点よ」
紫が少しだけ目を細めた。
「珍しくまともなことを言うのね」
「私はいつもまともよ」
「そこは怪しいけれど、今のは悪くないわ」
霊夢は天子をじっと見た。
「でも、あんた、自分の修行もあんまりできてなさそうよね」
天子は堂々と言った。
「だからこそ、できていない者の気持ちが分かるのよ」
「すごい開き直りね」
「天人だから」
「天人って便利ね」
萃香が笑った。
「でも、天子の言うことも分かるよ。霊夢は神社の真ん中にいるから、神社の外から神社を見るのは下手かもしれない」
「私の神社なのに?」
「自分のものほど、外からは見えないものだよ」
霊夢は少しだけ考えた。
それは、魔理沙が自分の魔法を記録するのに苦労していたのと似ているのかもしれなかった。
紫が最後に口を開いた。
「では、私は幻想郷の賢者として」
「一番面倒そうね」
「ええ。一番面倒なことを教えるわ」
「やめようかな」
「もう遅いわ」
紫は微笑んだ。
「あなたには、境界を見てもらう。人間と妖怪。日常と異変。神社と外。退治と共存。勝つことと勝ち過ぎないこと」
霊夢は、物置で見つけた古い記録を思い出した。
妖怪を退治すること。
妖怪を滅ぼすこと。
この二つを混同してはならない。
「それ、昔の記録にもあったわ」
紫は少しだけ目を細めた。
「そう」
「驚かないのね」
「博麗の巫女を長くやっていれば、似たところで悩む人もいたでしょうね」
「それ、あんたが教えたんじゃないでしょうね」
「さあ」
「やっぱり怪しい」
霊夢はじとっと紫を見たが、すぐに諦めた。
「で、具体的には何するの?」
華扇が答えた。
「朝は呼吸と姿勢」
萃香が続ける。
「昼は力の加減と持久」
天子が言う。
「夕方は地面を見る」
紫が締める。
「夜は境界について考える」
霊夢は顔をしかめた。
「一日潰れるじゃない」
「修行ですから」
「やっぱりやめようかな」
「魔理沙さんは続けていますよ」
華扇の一言で、霊夢は黙った。
そして、少しだけ唇を尖らせた。
「……やるわよ」
四人が、どこか満足そうに頷いた。
翌朝。
霊夢は境内に立っていた。
華扇が正面に立ち、背筋を伸ばすように言う。
「肩の力を抜いて」
「抜いてるわよ」
「抜けていません」
「抜いてる」
「抜けていません」
「母親か何かなの?」
「仙人です」
霊夢はしぶしぶ息を吐いた。
華扇は手厳しかった。
足の置き方、呼吸、視線、袖の揺れ、札を投げる前の重心。
以前にも似たようなことを言われた覚えはある。
その時はその時で直した。けれど、異変を解決し、妖怪を退治し、いつものように札を投げているうちに、また「できるからやる」に戻っていた。
今回は少し違う。
言われた通りに直すだけではなく、自分が普段どうやっているのかを、霊夢自身も確かめていた。
「今のは速いですが、雑です」
「当たればいいでしょ」
「前にも同じことを言いましたね」
「覚えてないわ」
「私は覚えています」
霊夢は不満そうにしながらも、やり直した。
昼。
萃香は境内の端に座り、霊夢に小さな杯を渡した。
「何これ」
「水」
「酒じゃないでしょうね」
「水だよ。最近の私は健康志向だからね」
「そこは信用していいのかしら」
「いいよ。で、それを持ったまま札を投げて」
「水をこぼさずに?」
「そう。力を入れすぎるとこぼれる。抜きすぎると札が飛ばない。ちょうどいいところを探す」
霊夢はやってみた。
札は飛んだ。水も飛んだ。
萃香が笑った。
「ほら、人間っぽい」
「うるさいわね」
「鬼なら杯を持ったまま喧嘩するからね」
「だから鬼はおかしいのよ」
「おかしいから強いんだよ」
何度かやるうちに、霊夢は少しだけ力の置き場所を変えた。
札が飛ぶ。水は揺れる。こぼれない。
萃香がうなずいた。
「そうそう。強い力は、暴れる前に座らせる」
「表現が鬼ね」
「鬼だからね」
夕方。
天子は霊夢を神社の裏手まで連れていった。
「で、何するの?」
「地面を見る」
「ずっと見てるけど」
「見えてるだけでしょう」
天子は足元を軽く踏んだ。
「ここ、何がある?」
「土」
「そういう答えをすると思ったわ」
「じゃあ何よ」
「山から下りてくる地面の流れ。水が集まる場所。岩盤の向き。気が通りやすいところと、溜まるところ」
霊夢は眉をひそめた。
「そんなもの見えるの?」
「私は天人よ」
天子は得意そうに胸を張った。
「地上の人間は、土地を道とか畑とか家がある場所として見るでしょう。でも地面はその下でも続いてるの。山があって、谷があって、水が流れて、それに沿って気も動く」
「天人ってそんなこと考えてるの?」
「少なくとも私は地震を起こす時には考えるわ」
「急に信用したくなくなった」
天子は気にせず、神社の向こうを指した。
「あっちに山がある。こっちに人里がある。森があって、湖があって、その間を地面が全部つないでる」
「それくらい知ってるわよ」
「場所を知ってるのと、つながりを見てるのは違うわ」
霊夢は黙った。
妖怪の山がどこにあるかは知っている。
人里も、魔法の森も、霧の湖も知っている。
空を飛べば、全部見える。
だが、それらを一枚の地面として考えたことは、あまりなかった。
天子はもう一度、足元を踏んだ。
「博麗神社だって、ただ端っこに建ってるわけじゃないでしょう」
「それは……まあ」
「空から見える場所だけ見ても分からないものが、地面にはあるのよ」
霊夢は少し考えてから、足元を見た。
「じゃあ、ここはどういう場所なの?」
「自分で考えなさいよ」
「教えるんじゃなかったの?」
「答えまで言ったら修行にならないでしょう」
「急に先生みたいなこと言うわね」
「天人だからね」
「それ便利な言葉ね」
夜。
紫は境内の隅に隙間を開いた。
霊夢はその前に座っている。
「で、境界って何をするの」
「見るだけよ」
「見るだけ?」
「ええ。あちらとこちら。その間に何があるか」
隙間の向こうには、人里の夜が見えた。
別の隙間には、妖怪の山の灯りが見えた。
また別の隙間には、魔理沙の家が見えた。小さな明かりがついている。まだ実験記録でもつけているのかもしれない。
霊夢はそれを見て、少しだけ目を細めた。
「覗きじゃないの」
「境界観察よ」
「便利な言葉ね」
「魔理沙は続けているようね」
「……そうね」
紫は微笑んだ。
「あなたも続ける?」
「まあね」
「魔理沙がやっているから?」
「それもある」
「それだけではない?」
霊夢は少し考えた。
「それだけじゃないわね」
紫は満足そうに扇を開いた。
「よろしい」
「偉そうね」
「賢者ですもの」
「それも便利な言葉ね」
霊夢は立ち上がり、境内を見た。
朝は華扇に姿勢を直され、昼は萃香に杯を持たされ、夕方は天子に土地のつながりを教えられ、夜は紫に境界を見せられた。
面倒だった。
かなり面倒だったが、まったく無駄ではなかった。
自分の神社の見え方が、少しだけ変わった。
自分の札の飛び方が、少しだけ分かった。
自分の力の使い方が、少しだけ見えた。
自分が立っている場所が、少しだけ厄介だと分かった。
「修行って面倒ね」
霊夢が言うと、紫は笑った。
「ええ。だから皆、なかなかやらないのよ」
「天子は本当にやってなさそうだしね」
少し離れた木の上から、天子の声がした。
「聞こえてるわよ!」
「聞こえるように言ったのよ」
萃香が笑い、華扇がため息をつき、紫が扇で口元を隠した。
霊夢はその真ん中で、少しだけ笑った。
異変ではない。
まだ異変ではない。
ただ、魔理沙が自分の魔法を見直し始め、霊夢が自分から修行をやり直した。
それだけのことだ。
幻想郷では、それだけのことが、時々いちばん面白い。