貴族とはいえしょせんは人の子です。いくら外見を飾り立てようと、内には隠し切れぬ醜さもあるもの。家柄、財産、才能、美貌に伴侶。他人との比較は劣等感を生み、羨望の中に嫉妬の炎を燻ぶらせ。
なので年頃の男女が一所に集う学院では、ソレはさして珍しくもない光景となるのでした。
「あーらフォルさん。今日も露出の多い下品なドレスですのね」
「毎度違った男にエスコートされるだなんて、いい御身分ですわー」
「ちがっ……私は別に、そんなつもりじゃ……」
放課後。人目の少ない中庭の片隅では、私を囲うように女子生徒達が集まっていました。遠目に見れば、まるで猟犬が獲物を追い詰める絵面そのものでしょう。
一人では吠える勇気も無いのだけど、群れてしまえばワンワンとまぁ威勢よく声を荒げて。はっきり言って退屈ですわ。欠伸を噛み殺すと、目尻にジワリと涙が浮かんでしまいました。
そうだ。早く泣いてしまえばいい。
この子達も直接手までは出す気が無さそうだし、このまま負けを認めるのが得策でしょう。
よくある話。どこにでもある話。暴力の前に人知れず誰かが涙を溢して、ハイお終い。
ああ、なんて詰まらない筋書だと、上手い切り上げ方を考えていれば――私の前へ突如に大きな影が割り込み、彼は凛と立ち塞がるのでした。
「か弱き乙女を大勢で囲むとは不届き千万! 事情は知らないが、泣く子を見て見ぬ振りは出来ないな。それ以上やるのであれば、俺が相手をするぞ?」
吠える犬を黙らせる様子は、さながらに獅子の咆哮。ただの一声で誰が強者か分からせる声量です。お陰で眠気も吹き飛び、私は目を見開いて、その殿方に見惚れてしまいました。
騎士科の白い制服が似合う逞しい肉体。夏の空よりも濃い紺碧の髪が爽やかに揺れ。
なにより、己の正義を疑いもしないような澄んだ水色の瞳が、強くこちらを見つめています。
「その赤髪赤眼。さては貴女が悪名高きクレア・エルツィオーネか」
「あら嬉しい。私の名前をご存じですのね、騎士様」
「智爵家の令嬢を知らぬ者など、この学園にはいないだろうさ」
名前を呼ばれて、つい返事をすれば。彼は隠すようにフォル嬢を庇います。
もう大丈夫だと言わんばかりの姿勢に、背後に居る桃色髪の少女は気が緩んだか。甘ったるい声で「怖かったですぅ」なんて囁いていて。
その態度に、取り巻きが顔を赤くして牙を向き。一緒に私もブチギレそうになりました。フォル・ナルフェン。子爵家の長女である彼女は、どうにも男が守りたくなる愛嬌があるらしいです。
らしい、というのは同性にはいまいち共感が出来ないのよね。
背が低くて、男にはまるで小動物のように可愛がられているけれど、女には甘い声なんて聞かせないのですから。
「やっちまいますか、クレア様?」
「……いえ。今日の所は彼に免じて大人しく引き上げましょう。ところで騎士様、貴方のお名前を伺ってもよろしくて?」
「シャルール家が長男、ユーリスだ」
「そう。その名前、覚えたわ。また会いましょうね」
キャーお名前を聞いてしまいました。ユーリス・シャルール。素敵な響き!
私は彼に見送られながら校舎へと向かいます。これはもう運命と言っても過言ではない出会いでした。
◆
「ってな事が、学園であったわけよ」
「へーそう」
自宅に帰った私は、夕飯の最中に家族へ今日の出来事を話していました。しかし返ってくる声は、如何にも興味ありませんという態の気の抜けたもので。
話を聞けや。胸の怒りを表現するように食卓を叩くと、倒れそうなグラスを慌てて受け止める弟のプロクス。私と同じ赤髪赤眼の少年は、表情に浮かぶ面倒臭さを隠そうともしていません。
「シャルール家って伯爵位じゃないか。あまり大きな喧嘩になると、また母上に怒られるぞ。僕を巻き込まないでくれ」
「うるさいわね。羽を伸ばせるのなんて親の居ない今だけでしょ」
ここは王都にある別荘で、住むのは使用人を除けば私と弟の二人だけでした。
両親は揃って自領に居るので、少々のおいたもバレません。学園を卒業くらいまでは自由にやらせて貰いましょう。
幸いなことにプロクスはユーリス様と面識があるようです。いえ、きっと私も挨拶くらいはしているのですが、所属する派閥が違いすぎるのですよね。
聞くのであれば、やはり同性。コイツは魔法科に所属するわりに、騎士科の生徒にも精通しています。彼の趣味や交友関係を尋ねれば、愚弟は食事を止めて神妙な声でこう答えるのです。
「んー。真面目な人だから賄賂は通じないね。買収するなら、教師の方が早いかもよ」
「誰が口封じをしたいって言った!」
「えっいつもみたいに脅迫のネタが欲しいんじゃないの!?」
残念ながら今回は違うのだよ君。
では何が目的かと問われるもので、少々言葉に詰まってしまいます。一目惚れをしたとは言い辛いわね。頬に手を当て、顔が熱を持つのを自覚しながら呟きました。
「ぼ、妨害工作……ちょっと恋の邪魔になりそうな娘を排除しときたいなって」
事情を知った弟は、屋敷中に響くほどの大声で「あひゃひゃ」と下品に笑いました。血の繋がりがなければ、うっかり殺していたところです。
話は使用人にも広まってしまい。お嬢様がとうとう恋をと、涙ぐむ者もいれば。旦那様に知らせなくてはと馬車を出そうする者まで居ました。待って待って落ち着いて。特に親への連絡は本当に止めて。
「あー笑いすぎてお腹が痛い。まさか真っ先に妨害を考えるとは恐れ入るよ」
「仕方ないでしょ。相手に婚約者でも出来たら、始まる恋も始まらないじゃない。というか、居ないわよね?」
「大丈夫。先輩は今のところ剣一筋さ。グランディアにオルトリア、騎士の家系には強豪が多いから」
ほっと胸を撫でおろしました。恋は椅子取りゲーム。彼の隣を奪うためならば、手段を選んではいられません。
だいたいの子は卒業までの間に相手くらいは見繕っていて。このプロクスですら、今度の里帰りにはターニャさんという彼女を紹介するそうです。
私も、うかうかしていられない。頑張っちゃうぞ。ステーキにナイフを入れて、溢れ出る赤い肉汁を見つめながらほくそ笑みます。
社交界の方は大丈夫でしょう。これでも手札が多いので、お友達に虫を払うように頼めばいい。問題は個人的なお見合いね。
情報も入り辛いし、なにより見合い自体を潰すのは家の面子を傷付けてしまいます。穏便に運ぶには失敗して貰うのが一番かしら。相手を特定して、不審火に注意するようにと忠告しておきましょうか。
ああ、彼の両親にも挨拶をしないと。まずはお近づきの印にエルツィオーネ領の特産品でもお送っておこうかな。
「さて、忙しくなってきたわね。明日からがとても楽しみだわ」
「あのさぁ姉上……最後に一つだけ聞いていい?」
メイドが空いた食器を下げる中、食卓に頬杖をつきながらニマニマと表情を緩めるプロクス。赤い瞳の奥には、からかいと好奇心が混在し、優しい笑みでこちらを見ていました。
質問の内容は、惚れた決め手はなんだったのかと言う、まぁ予想の範疇をでないもの。私は脳裏にユーリス様の顔を思い浮かべながら、すぅと目を細めます。
彼が正義の味方であるのなら。私は倒される悪役。そう、悪役令嬢とでもいった立場でしょう。でも、もし隣を歩けたならば。愛されたならば。
私も物語のヒロインになれるのではないか。そんな子供じみた願望を人に話せる訳もなく、唇に人差し指を当てて答えました。
「ふふ……秘密よ」
◆
そして一月ほどの時が経ちまして。
「ご機嫌よう、今日もいい天気ね。あらノルン、いけません。リボンが曲がってますわよ」
「あ、ありがとうございます。なんだか最近楽しそうですわねクレア様」
「そりゃもう、絶好調!」
ただ通学をするだけなのに、彼に会えるのではと思えば淡い期待に胸はドキドキ。馬車の窓からでも、ついつい青い髪を探してしまいます。
騎士科の生徒から集めた情報で妄想は捗るし、恋敵になりそうな令嬢も粗方潰し終えたから心も時間もゆとりがあって。
ああ、恋をするってなんて素晴らしいのでしょう。
この一月、頭の片隅には常にユーリス様が居ました。するとただの日常も輝いて見えます。まるで世界が薔薇の香りに包まれているようかのように華やかなものになりましたわ。
「それに、少し趣味もお変わりになりましたか?」
「あら、お分かりになる?」
「私も思いました。けど、以前よりお美しくなられたかと」
教室で席につけば、いつものように学友が自然と集ってきます。変化を気取られて少しばかり照れくさくなりました。
あれから髪や肌の手入れに一層の気合を入れていますからね。
彼は騎士科の化粧気の無い女を見慣れているから、あまり派手にならないようにメイクも変えて。香水は彼の好むというアイリスの匂いを薄っすらと。私服の色や趣味だって、あの人の好みに合わせたわ。
これで完璧なはず。そう思うだけの自負はあるのに、けれど自信が湧きません。
ふふ。褒められることが当然だった私が、ただ一人の感想に怯えるなんてね。けれど、こんなにもオシャレが楽しいのはいつぶりでしょう。
例えるのであれば、お気に入りの靴を履いて、お散歩をするような心地。
汚れて欲しくは無いのだけど、自慢したくて、誰かに見て欲しくて、ついつい歩調が軽くなるのです。
「でも、いつまでも眺めているだけじゃね。そろそろ仕掛けるか」
「ま、まるでこれから戦争を始めるような眼をしてやがりますわ!?」
教室に鞄を置いて。付いて来ようとするクラスメイトも置いて。私は一人で廊下を歩き出しました。
向かう先は、あの日ユーリス様と出会った中庭。ここは広さではグラウンドや闘技場には劣りますが、花壇やベンチもあり寛げる空間だけに日中はそれなりの利用者が居ました。
色とりどりに咲き誇る花を愛でながら歩道を行くと、芝の敷かれる広場につながり。
視線を巡らせ愛しき人を探していれば、片隅からブンブンと空気を裂く荒々しい音が聞こえて来ます。
「精が出ますのね、ユーリス様」
「……誰かと思えば、君か」
こちらは彼のルーティンなど当然に把握済みです。
場所も時間も情報通り。一人で鍛錬をしていたユーリス様は、白いシャツが汗で湿り地肌に張り付いて、なんとも言えぬ色気を醸し出ておりました。
花と美男子のコラボ。とても眼福でございますね。香り立つフェロモンに思わず鼻孔が広がってしまいそう。
「息を整えたい。話があるのなら、少し待ってくれないか?」
剣を鞘に納めて、ふぅと短く息を吐き出すユーリス様。大粒の汗が首筋から鎖骨にそって流れ落ち、なんとも扇情的です。腕まくりされたシャツから覗く上腕二頭筋も素敵。
待てと言うのでれば、いつまでも眺めていることが出来るのですが、動かねば来た甲斐も無いというもの。良かったらコレを使ってくださいまし、用意していたタオルをそそくさと手渡そうとするのですが。
彼は既に、近くのベンチに置いてあったタオルで体を拭き始めていました。
テキパキと身なりを整えていくユーリス様を前に、私は背後でタオルを強く握りしめます。どういう事よ。桃色で、可愛らしい刺繍まで入って。あれは絶対に女物じゃねえか。
「もしかして、私より先に、ここへ来ていた人がいるのかしら?」
「君に言う必要があるのかい。最近は俺の周囲を嗅ぎまわったり、相変わらず卑怯な事をやっているようだねクレア嬢」
「そんな事は……」
無いと言いかけて、目が泳いでしまいます。なにせ心当たりしかないもの。
牽制したり見合いを潰していたのがバレたでしょうか。私を咎めるように、水色の瞳が氷のように冷たい視線を放っていました。
彼はそれでも「俺になんの用だ」と会話の機会をくれるのですが。この流れでは、断られると分かっているデートの誘いなど出来るはずもなく。
「……っ計画が狂ったわね」
「話が無いのであれば行かせて貰うよ。そろそろ授業の準備をしたいんだ」
「時間を取らせて、ごめんあそばせ」
「……ああ、そういえば」
シャツを着替えて白い上着を羽織ったユーリス様は、私に背を向けながら、思い出したかのように言いました。
「家に贈り物をくれたそうだね。俺は気持ち悪がっていたのだけど、両親はとても喜んでいたよ。ありがとう」
「っ!!」
しゅきぃ。私への心象は良くないだろうに、ユーリス様はそれはそれとして、感謝の言葉をくれます。でも、会話が出来たのはたったそれだけ。やってしまったと自己嫌悪に陥りました。
敵意にも憎悪にも慣れている身ですけれど、まさか好きな人からの侮蔑の視線が、こんなにも心を抉るだなんてね。お陰で幾度となく想定してきた会話のパターンが全て吹き飛んじゃったわ。
この好感度で、ユーリス様と恋人になんてなれるのかしら。一瞬、無理という言葉が脳裏を過り、ブンブンと頭を振ってかき消します。なんのこれしき。エルツィオーネの女は代々諦めが悪いのですから。
「見てなさいよ。次こそギャフンと言わせてやるのだから!!」
「何があったのかしら。クレア様が荒ぶっておられるわ!?」
「えっ怖ぁ……」
◇
気分転換には体を動かすのが一番だ。
最近はどうにも面倒な事が増えたので、無心になるべく、休日だというのに朝からランニングへと出掛ける事にした。
「ふぅ……ふぅ……」
俺はこの時間がわりと好きだったりする。
学園で走っても殺風景なグラウンドを周回するだけだが、街中には人の営みがあるからだ。
貴族街の庭はどの家も手入れが行き届くもので、季節の花を目で楽しめた。
そして庭師の鋏、使用人の箒、行き交う馬車の車輪の音を耳で味わい。景色の中を通り過ぎるだけで街の目覚めを肌で感じる。
ああ、火照る体には初夏の生温い風でも心地良い。走る距離が伸びるに連れて余裕が消えて、だんだんと思考から雑念も薄れてくる。足は石畳を蹴ることだけに夢中になり、前へ前へと視野も狭まり始めて。
「あら、奇遇ですわね!」
「ぶふぅ!?」
噴き出してしまう。なにせ、悩める原因がそこに立っていたのだから。
出来るならば人違いだと思いたかった。人違いであって欲しかった。けれど現実逃避はさせぬとばかりに、クレア・エルツィオーネは笑顔でこちらへ手を振っていた。
遠目でも良くわかる、薔薇のように存在感のある女性だ。そして、美しい花には棘があると言う言葉を体現する人物でもある。
「待ち伏せしておいて奇遇だとは、なんて白々しい」
友人から俺の事を探っている奴が居たとは聞いたけれど、彼女が手下を使い、周辺を嗅ぎ回っているのは本当らしい。
思えば先輩に誘われて行った社交界も様子がおかしかった。勇気を出して女性を円舞に誘ったのに「ひぃ、ごめんなさい」と泣いて逃げられたのだ。あの時は心が折れそうになったな。勘が告げる。ここで関わったら終わりだと。
「うぉおお!!」
「あっ、お待ちくださいな!? ……ふーん。いいもんねーだ」
木陰の下で、さながら自身がゴールとでも言わんばかりに手を広げているクレア嬢。俺はその隣を、全力疾走で駆け抜けていく。無論、背後なんて振り向かないし、暫くペースも落とさない。
足が止まったのは、精も魂も尽き果てたときだ。
息は荒く、心臓もバクバクと暴れる。体が鉛のように重い。ここまで疲労したのは久しぶりで、自分でも何を本気出しているのやらと可笑しくなってしまう。
「流石に、後までは付けてこなかったか」
周囲に赤髪なし。不審な馬車もなし。念入りに辺りを確認して、俺はとぼとぼと帰路についた。習慣とは恐ろしいもので、特に道順を考えることなく走ったのに、予定していたコースからは外れていないらしい。なら、たまにはあそこへ寄ってから帰るかな。
休憩も兼ねて行きつけの店に顔を出そうと考える。好物の岩トカゲのステーキを想像したら、お腹はぐぅと鳴くのに足は少しだけ軽くなった。
「お待ちしておりましたわ!」
「……えぇ」
そして店に辿り着き、いつもの席へと向かえば、そこには赤髪の少女が先に居た。
見なかった事にして帰りたかったけれど、膝はガクリと床につき、もう立ち上がる元気も出て来ない。
分かった。俺の負けだよ。次は自宅にでも押しかけてきそうなので、仕方なくクレア嬢との会話の席へ着くことにする。
「色々と聞きたい事はあるんだけど、何故俺がこの店に来ると分かったんだ?」
これは単純な興味。冷たいお茶を飲み干して、真っ先に理由を聞いた。
尾行に気づかないほど間抜けではないし、なにより店に寄ろうとしたのは思い付きだったからである。
すると赤髪の少女は、心底不思議そうな顔をしながら、こう言う。
「ユーリス様が今日走っていた道は、この店に来る為のようなものでしょう。休む言い訳まであるのだから、寄らない方がおかしいわ」
俺は彼女の言葉に、確かにと納得をしてしまった。
ランニングコースは複数あるのだが、中でもこのコースは一番距離の長いものだ。思えば気合を入れたい時に選んで、ご褒美としてステーキを食べるまでがセットに近い。
習慣を見透かされていたか。ならば出会った時点で、彼女にはゴールが見えていたのだろう。
「……分かった。それで、君の用件は?」
降参と両手を上げてしまう。
美しい所作でパンケーキを口に運んでいたクレア嬢だが、ゴクリと料理を飲み込んでから、机の上へ2枚のチケットを並べた。
俺はソレに目を張った。王都でも有名な劇場だ。それもいま話題の劇団が披露する演目は、ちょうど見たかった勇者ファルスの物語ではないか。しかも優待席。
「良かったら、この後一緒にどうかと思いまして」
「驚いたな。俺が勇者ファルスに憧れていることまで調べたのか?」
「……いいえ。劇を見るのが趣味と聞いたので、ユーリス様ならばお好きな話だろうなと」
当たりましたかと赤い瞳をくにゃりと歪ませて笑うクレア嬢に、背筋がゾクゾクするような悪寒を感じた。
彼女はただ俺の趣向を調べただけではない。情報をかみ砕き飲み込んで、ユーリス・シャルールという人間を理解しようとしているのだ。
ここまで把握されているのであれば、気分で選んだランニングのコースを当てるのも造作が無いわけか。彼女が学院で恐れられている理由の一端を垣間見て、同時に思う。
そういえば俺は、人から聞いた話ばかりでクレア嬢のことを、何も知らないなと。向き合うにはちょうどいい機会なのだろう。行くよと渋々に頷く。
「ところで、よく券を取れたな。俺も見たかったんだけど、ずっと満員で、しばらく予約も取れないと言われたが」
「でしょうね。夏休み間際だと、恰好のデートスポットですし」
けれど私は出資者だから。何事も無いかのような返答に固まっている間に、注文していた料理がドンと置かれた。
◇
「まさか家にも帰してもらえないとは……」
「オホホ。逃がしませんことよ」
「全力疾走した件なら謝っただろう」
料理を食べた後、俺は有無も言わさずに馬車へと詰め込まれた。運動して汗もかいているので、体を綺麗にしたかったのだけどな。
まず連れていかれたのは服屋だ。流石に観劇をする格好ではないと、上着を見繕われる。
なおランニングに出ただけの俺が、服を買うだけの持ち合わせなどあるはずもなく。世にも恐ろしい人物に借りを作ってしまう。
「お似合いでしてよ。やはりユーリス様には白がピッタリですわ」
「それはどうも……君も……素敵な恰好だと思うよ」
「っ!!」
そうして劇場に足を運んだ俺たちだが、隣には当然のようにクレア嬢が座っていた。
あまり彼女の服にまで気を向ける余裕は無かったけれど、話題に出れば別だろう。
見れば白のワンピースに薄緑の肩布を掛けた、春を感じるような清涼感ある姿で。オシャレに詳しくない俺だが、好ましいと思えるほどに着こなしている。
褒めればクレア嬢は口元を手で隠しながら、フフと目元を歪ませた。思わず照れくさくなり、床に視線を逃がしてしまう。
ああ、彼女は美人だ。それも近くで見ると、こんなにも綺麗な顔をしていたのかと溜息を吐きたくなる。それに動くと薄っすらと花の良い香りがして。情けがないのだが、隣に座ってからというもの、俺はドギマギしっぱなしだ。
「これメニューですわ。急な話に付き合って貰ったので、今日は私が持ちます。どうぞお好きに頼んでくださいな」
「ありがとう……って高いな。暴利じゃないか!?」
優待券で座れた場所は、それは良い席である。半円の劇場の二階。それもど真ん中の最前列と来た。観劇好きとして気分が上がっていたのだけど、冷や水を掛けられたように冷静になってしまう。
俺とて貴族の端くれ。そういう層の座る席は、サービスの値段も高いのは知っている。けれど渡されたメニューには、その上であんまりだと言いたく料金が記されていた。
「いいのですよ。言ったでしょう、出資者だって」
「そういうものかい? 逆に手厚く歓迎されそうなものだけど」
首を捻りながら、おつまみさえ頼むのを躊躇っていると。見かねたクレア嬢は、あれもこれもと本当に好き放題に注文をした。
今ので金貨が何枚消えたやら。オイオイと少し引きながら、その横顔を見れば。先ほどのニマついた眼が嘘のように真剣だ。
「人が生きていく上で、娯楽は絶対に必要というわけではないのです。それこそ、日々の糧を得るのに精一杯な者には、劇など遠い見世物でしょう」
「……うん」
「でも、だからこそ芸術は保護されるべきと私は考えますわ。人は楽しみを胸にするべき。夢を目指して走るべきなのです」
芸能という文化は、市民に生活の余裕がなければ、真っ先に消えるもの。
逆を言えば、楽しむことが生に余裕を生むからこそ、彼女は率先して金を出して市民へ届くようにしていた。
クレア嬢は貴族の義務だと、あっさりと告げるけれど。その気高さに俺は今度こそ、目を合わせるのも恥じてしまう。
「まぁ、私の家は土地持ちですので、やはり価値観は違ってしまいますわよね」
「ならば、何故だ。そんな立派な考えを持ちながら、どうしてフォル嬢を。他の生徒達を虐げるというんだ」
言ってしまった。顔を見ずとも空気が強張るのは分かり。せっかく楽しみにしていた劇の幕が上がろうと、ちっとも心は弾まない。
実のところ、あの件以降フォル嬢はずっと俺の元へ、助けてくれと。イジメが止まないのだと訴えに来ていた。
頼る相手が居ないと言われれば、何とかしたくなるのが男だろう。でも、一人の言い分で判断するほど愚かではないつもりである。クレア嬢がこちらを調べたように、俺なりに彼女の事を探ってはみた。
結果は言うまでもなく真っ黒。イジメどころではない。脅迫や恫喝など軽いもので、放火にまで手を付けているらしい。
そして、それを知ったタイミングで家に届いた贈り物。爆弾ではないかと疑うくらいには怖かった。以前朝練中に出会った時は、いよいよ口を封じに来たかと心臓が止まりそうになったものだ。
「なにやら誤解をなさっているようですけれど、私が周囲にイジメを指示したことはありませんわ。それに、あの日もやりすぎない様に監視として付いて行っただけです」
「……なに?」
「居るのよね、私の傘下だからと気が大きくなってしまう子」
クレア嬢は、悪名が一人歩きをするだけで自分はむしろ抑える側だと主張する。顔を上げて、その赤い瞳と目を合わせれば、退屈な話題と言わんばかりのものだった。
「監視に行くくらいなら、止めればいいじゃないか。君ほどの影響力があるならば抑える事も出来るだろう」
「いいえ、ユーリス様。それは王にだって出来ないわ。だからこそ貴方は騎士として剣を握るのでしょう?」
圧し掛かる正論に、心がぐしゃりと潰されそうになってしまう。
失言だった。口だけで仲良くしようと言ったところで、争いは必ず起きるのである。
或いはクレア嬢の前からは消えるのかも知れない。
ただ、それは目に入らなくなっただけで。より隠れて、より陰湿に行われる事になるだろう。
人の心の汚さを知る故に、彼女はあえて悪役を演じて、学院の平和を管理しているというのか。
これでは一つのイジメに拘る俺が馬鹿みたいだ。大局を見るならば、大勢を救っているのは間違いなくクレア嬢の方で。何が正義かすら見失いそうになってしまう。
「世は綺麗ごとばかりではございません。人が居る限り、比べる限り、誰かが弱者になってしまうのですわ。ならば私は最低限の被害で許容いたします。これも領主の視線なのかしらね」
「分かるが、分かりたくないな。俺は誰も泣かないような、平和な世界を目指したいよ。それは絵空事なのだろうか」
「ふふ、目指せばいいのですよ。あの日、颯爽と現れた貴方は最高に格好良かったわよ」
「……あんなの、男として当然の事をしたまでだ。騎士ならば皆そうする」
「ならばいいのですけどね。少なくとも、相手を私と知りながら、なお正面から悪と断ずる殿方は今までいませんでしたわ」
まるで勇者のようだった。そう言われて、ぼんやりと眺めていた舞台へ焦点が合う。甲冑を着込んだ体格の良い男が、剣を掲げて我こそが勇者だと啖呵を切る場面だった。
勇者ファルスは子供の頃から俺の憧れだ。
彼は富でも名誉でもなく、正義を理由に行動した英雄である。あまりに真っ直ぐな生き方だったので、摩擦もあったり、罠に嵌められたりもしたそうだけど。
『私は自分が正しいと胸を張って言える。掛かってこい、悪党!』
俳優の叫びが胸に刺さった。不覚に涙腺が緩み、しばし舞台に魅入ってしまう。
沈黙に付き合ってくれるクレア嬢。笑わずに、茶化さずに、頬が乾くまで、ただ待ってくれた。
触れると火傷しそうなほどの悪だけど、その心根に優しい部分もあるのだと、少しだけ彼女を理解出来た気がして。
「誤解については謝ろう。そして、君に無理でも、俺は平和を目指して誰かを助け続けたい。シャルールは騎士の家系。泣いている人を見過ごしは出来ないんだ」
俺が向き合うべきは、糾弾する悪ではなく、己の正義なのだろう。原点に立ち返ることが出来たお陰で、今度は眼を見てハッキリと言うことができた。
「ええ。それはとても素敵な事だと思いますわ」
「今日は舞台に誘ってくれて、ありがとう」
幕が閉じた後、俺たちはすぐに別れる。
クレアは送ると言って聞かなかったけれど、どうしても走りたい気持ちだったのだ。
◆
「オホホのホ。あーらエミリ、前髪が乱れてますわよ。直してあげるわ」
「あ、ありがとうございます。なんだか楽しそうですわねクレア様」
「そりゃもう、絶好調!」
なにせユーリス様とデートしちゃいましたからね。これはもう付き合っていると言っても過言ではないでしょう。
しかも帰り際には「クレア」だなんて名前を呼び捨てにされてしまって。つ、次は私もダーリン、じゃなかった。ユーリスと呼んだ方がいいのかしら。
「とはいえ、順調でも障害になるなら排除しておくべくよねえ」
「ひぇえ。殺る目だ、あれは誰かを殺る目だ!」
間てきにもそろそろ焦って仕掛けてくる頃でしょう。
まぁ、何をしてくるかは傾向を見れば一目瞭然です。少し遅れれば危なかったけれど、もう大丈夫なはず。なら少し釣りを楽しんで見るのも一興かしら。
「ちょっと席を外すわね」
当然のように誰かしらが付いて来ようとしましたが、一人になりたいと振り切ります。
向かう先は、そうね。騎士科がいいかしら。ユーリスを含め、彼女のお友達が多そうだもの。
ルンルンとスキップをして廊下を進めば、やはりと言うか彼女はそこに居て。私の顔を見るや、いつもの様に小動物みたいに縮こまってしました。
「ク、クレア様。騎士科の校舎に何か御用でしょうか?」
「ええ。ユーリスを昼食にでも誘おうと思って。そうだ、貴女も一緒にどうかしら。フォルは彼とも仲が良いのでしょ」
背の低い桃色の髪をした少女は、その言葉に目を見開きます。
知っていたのかと言わんばかりの態度に、むしろ何故気が付かないと思うのかと言ってやりたくなりました。
「あら失礼。貴女が仲のいいのはユーリスだけじゃなかったわね。メルフラフに、テネドールにタベルナ。この前劇場で一緒だったのは、クリンガット家の次男だったかしら?」
イジメが止まらないとは、どの口で。
本来、私が立ち会う予定だったのは制裁なのです。この子はどうにも人の物を見ると欲しくなるようで、恋人を取られたという相談が相次ぎました。
一件くらいならば恋愛の縺れもあり得るけれど、重なっては言い逃れも出来ないでしょう。
「そ、そうか。目が合ったのは偶然だと思っていたけれど、あれはわざと見せつけていたのですね」
「せこせこと悪評を振りまいてくれちゃって。今度は私のユーリスが欲しくなっちゃったの? 悪い子ね」
「何が私のだ。あの人は、ユーリスは私の騎士様だ!」
敬語も忘れて語彙を荒げるフォル嬢。小さく見えていたのは、背を丸めていただけなのか、叫ぶ姿に意外と大きいという感想を覚えました。
しかし、追い詰められているという自覚はあるのでしょう。呼吸は浅く、顔色も青ざめています。それもそのはずで、食事の誘いはユーリスに悪事をバラすという脅しに他なりません。
恋心は厄介ですね。今までも彼女を悪と糾弾する者は居たのに、こんな可愛い子がそんな事をするはずがない。嫉妬をしているのだと、話をまともに聞き入れないのだから。
でもユーリスならば、話を聞いた上で公平に判断してくれるでしょう。
「もう終わりよ。ちょっとおいたが過ぎたわね。適当な相手で満足しておけばいいのに」
「うるさい。金も地位も美貌も、全部持ってるアンタに何がわかるのよ!」
ここは人目の少ない中庭ではなく騎士科の廊下です。
大声で叫べば自然に注目は集まり、刺すような視線が向けられて。怯えるようにキョロキョロと顔を動かしたフォルでしたが、やがて一点を見つめてニヤリと下品な笑みを浮かべました。
「一体何を……」
「キャアーー!!」
やられた。
あろう事か、彼女は私に押されたかのように演技して、階段を転げ落ちたのです。
踊り場に倒れるフォルは、打ちどころが悪かったのか頭から軽い出血をしていて。そんな少女に「大丈夫か!?」と声を掛けながら近づく、青い髪の男性。
「おい、君はフォルじゃないか。一体どうした!?」
「ユ、ユーリス様……私、クレア様に突き落とされてぇ」
キッと鋭い視線が私を射抜きます。
落ちた瞬間は多くの人が見たのに、角度的に手元が見えなかったでしょうか。彼女の言葉を違うと断言する者はおらず、私の非道だけが波紋のように広がっていきました。
やがて騒ぎを聞きつけたのか、取り巻きの子達も駆けるのですが。ふざけた事に第一声はこう。
「やっぱり殺ったんですね!」
「やってない。私じゃないわ、本当よ」
「分かってます。クレア様はやってません!」
「なにも分かってないじゃない」
今まで黒を白と言ってきた弊害でしょう。話を聞いてくれません。
いえ。この子だけではなく、皆がそう思っている。あのクレア・エルツィオーネならやりかねない。そんな感想を抱くからこそ、誰も否定してくれないのでした。
「ふ、うふふ。あひゃひゃひゃひゃ!!」
私はもう、おかしくて笑いが止まらなかったわ。
ユーリスの影で勝ち誇った笑みを浮かべるフォルを見下しながら、お腹が捩じ切れそうになるほど声を出します。
「な、何を笑ってるのよアンタ」
あまりに不気味だったのか、頬を引きつらせる桃色髪の少女。どうやら状況をまだ理解していないようですね。
ハッキリと言えば、人を廊下から突き落とした程度の悪評が増えたところで、私は痛くも痒くもありません。唯一に恐れるのであれば、それはユーリスに勘違いをされること。
この誤解は痛く。弁明をする毎に、フォルを糾弾する毎に、私の評価は下がっていく事でしょう。そう、以前ならね。
「確認をしておくが。クレア、君がやったのか?」
「いいえ。私ではないわ」
「そうか、信じるよ。とりあえずは彼女を医務室へ運んでから詳しい話を聞こう」
周りが誰も信じてくれない中、彼だけが私の言葉を受けいれてくれました。その一言だけで、ヒロインにでも成れた気分です。
「な、なんでこんな奴の言う事を信じるのよ」
フォルは筋書きと違ったか、抱えようと手を差し伸べたユーリスを拒絶。なんとも恨みがましい視線を私に向けて来ました。
「貴女、ユーリスの好きな食べ物を知っている?」
「はぁ? なんで今そんな事を……」
答えられるはずもありませんよね。彼女が欲しかったのは自分を守ってくれる騎士様で、自分を裏切るのであれば、もう用済みなのですから。
どうせ今までのコミュニケーションも、子猫の様に甘えるだけ甘えていただけなのでしょう。
「ねぇユーリス、私を信じて。あの悪女をやっつけてよ」
「ああ、君の発言が本当ならね。言っておくが、あの時君を助けたのは本当に困って見えたからだ。でも今は、涙を武器にしようとしている」
そういうのは弱者とは言わないんだよ。突きつけられる事実に、尻もちをついたまま後退る少女。けれど、救いの手は人垣を掻き分けて現れました。
3本も。良かったわね、騎士が多くて。
「フォルじゃないか。怪我をしてどうした!?」
「誰だ俺のフォルを傷つけたのは!?」
「俺のだと。彼女は僕のものだが!?」
ええ、修羅場ですわね。あまりに目立ったせいで、仲の良いお友達と鉢合わせてしまったようです。もはや私の事はほったらかしに、フォルは詰められて。泣きそうな声で、こう呟きました。
「嘘よ。なんで私がこんな目に……」
「なんでって自分で落ちたのでしょう?」
果たして私の言葉は彼女に届いたのでしょうか。とりあえずに医務室へと運ばれて行きましたが、3人に付き添われてです。こうなっては、もはや追及は逃れられないでしょうね。
やれやれと肩を竦めていれば、階段を上がってきたユーリスに声を掛けられました。
「なぁ、さっき君の弟から義兄さんと呼ばれたんだが」
「まぁ気が早いのねプロクスったら」
「彼に一体どんな話をしたんだ!?」
ユーリスは君も嘘が多いなと呆れたように言い、それでと続きを促して来るではありませんか。
私はフォルを見習い、コテンと可愛らしく首を傾げるのですが、彼の声はハメただろうとちっとも色仕掛けに惑わされない冷たいものです。
「何処からが君の筋書きだった?」
「ふふ、もちろん秘密よ」
「はぁ。相変わらず悪巧みは上手いんだな。……これはしばらくクレアから目を離してはいけなさそうだ」
赤くした頬をポリポリと掻くユーリス。私は間抜け顔で立ち呆け、いまの言葉の意味を理解すべく頭の中で反芻して。おや。あれ。これは?
「プロポーズよね。ど、どうしましょう。ご両親に挨拶へ行った方がいいかしら? 子供の名前は男のならヴェイグ、女の子ならアトミスがいいわ」
「気が早いにも程がある!」
ごめんなさい、私はもう少し改心出来そうにありません。
勢いと思い付きで書きました