我こそは十四番隊隊長(自称) 作:かなりゆっくりめ
妻・砕蜂を失い、普段の姿からは想像できないほど深く沈んでいる。
山本元柳斎重國
護廷十三隊総隊長。古男とは現在の護廷十三隊が形作られた時代から続く古い友人。
京楽春水
古男を「先輩」と呼ぶ古参隊長。現在の彼を気遣う一人。
日番谷冬獅郎
砕蜂殺害を前に、古男の反応にも苛立ちを覚える。
藍染惣右介
五番隊隊長。事件現場の不自然さから、独自に犯人像を考え始める。
壁へ突き立った刀が、砕蜂の身体を支えている。
足元には黒ずんだ血が広がり、両腕も首も力なく垂れている。
集まった死神たちは壁を見上げたまま、近づくことも目を逸らすこともできない。
「な…………何だこれは……ッ!?」
日番谷の声に答えられる者はいない。人垣の前へ転がり出た大前田は、血で膝を汚しながら壁へ這い寄る。
「隊長ォォッッ!!! 隊長ォォォッッ!!! なんで……なんでこんなことになっちまったんだァァァッッ!!!!」
伸ばした手は血溜まりの手前で震え、何度伸ばしても向こうへ届かない。
やがて拳へ変わり、石畳を叩く。
泣き声が響く中、ただ一人、身じろぎもしない男がいる。
焦点の定まらない目は、砕蜂の顔よりも胸を貫く刀へ向いている。
両手は下がったまま、刀へ伸びない。
「……………戸川先輩」
京楽の呼びかけにも、横顔は動かない。
「戸川先輩……?」
返事はなく、瞬きさえ見えない。京楽は笠のつばを上げ、硬直した肩へ手を置く。
「……戸川くん!!」
肩が震え、ようやく顔が横を向く。壁の前に集まる死神と血に濡れた白壁へ、そこで初めて視線が動く。
「……ああ、春水か。どうした? ……クックック……なんだ? いつもの俺への意趣返しか? そんな大掛かりな人形で俺を驚かせようとしても……その手には乗らんぞ」
笑い声は乾き、途中で掠れる。京楽の手へ伝わる肩の震えは止まらない。
「……先輩。気持ちは………わかるよ……。でもさ……」
言葉を継げないまま、肩を掴む指へ力が入る。
人垣の後ろから白い羽織が見える。救護具を抱えた隊員たちが道を開けてもらう間に、卯ノ花が壁際まで進む。
「………お待たせいたしました」
回道の光が砕蜂の胸元を照らす。傷口から反応は返らない。
壁の裏へ食い込んだ刀を抜くと、支えを失った身体が前へ傾く。その重みを卯ノ花の腕が受け止める。頸へ指を当て、胸元へ手をかざし、最後に開いたままの瞼を閉じる。
「………これは………すでに、お亡くなりになっています。……古男さん……」
現実を告げる言葉にも、視線は卯ノ花の腕の中を避け続ける。
乾いた唇の端が、先ほどと同じ笑いの形へ歪む。
「そうか…………。誰がやったか……徹底的に調べてくれ」
卯ノ花の腕の中で、砕蜂の髪が揺れる。背へ回した手が、亡骸を抱き直す。
「はい。必ず……」
卯ノ花の返事に迷いはない。砕蜂の顔を胸元へ隠すように抱き直し、四番隊員と共に回廊から消える。
姿が回廊の先へ消えても、虚ろな目は血の残った壁へ向いている。
日番谷の足が血溜まりを踏み越える。胸倉を掴んだ拳が締め上げても、抵抗は返らない。
「おい……戸川ッ!! お前……妻が殺されたっていうのに、涙一つ流さねえのかよッッ!!!」
至近距離から浴びせられる怒声より、新しい隊長羽織の方へ視線が落ちる。日番谷の手も怒りも存在していないかのように、目は羽織から動かない。
「…………クックック……。その新調した隊長羽織、しっかり使いこなしているようだな……冬獅郎」
胸倉を掴む拳に力が入り、襟元が軋む。
「あァ!? 今そんな話してねえだろうがッ!!何がクックックだ、ふざけてんのか!!」
拳を振り上げかけた腕を、京楽が横から押さえる。虚ろな目を前に拳は上がり切らず、舌打ちと共に胸倉が放される。
人垣の外から、聞き慣れた穏やかな声が届く。
「なんの騒ぎだい? 一体何が――」
藍染の足元まで、血溜まりが伸びている。
その姿へ顔が向き、掠れた声が落ちた。
「藍染………………蜂の子が………死んだ」
血溜まりを避けていた足が止まる。
「な………なに……? どういうことだい……!? 砕蜂隊長が……!?」
藍染の問いへ答えず、血を避けることもなく歩き出す。足裏が赤い跡を残し、歩幅も次第に崩れていく。
「………………俺は………疲れた………。しばらく、休ませてくれ」
「ああ…………。今は、何も考えずに休むといい」
京楽の返事が届いたかどうかは分からない。曲がり角の壁へ肩をぶつけ、それでも振り返らずに姿を消す。
◇◇
招集の鐘を受け、各隊の隊長が一番隊へ集められる。
「隊首会というものは……そう頻繁に行われるものだったかね? 研究の邪魔なんだがネ」
列の中から漏れたマユリの不満を、狛村の低い声が押し返す。
「仕方あるまい。極めて由々しき事態だ」
上座から床を打つ杖の音が響く。石突きの下へ亀裂が走り、残っていた私語が消える。
「――二番隊隊長・砕蜂が、昨夜何者かによって惨殺された。これは……瀞霊廷開闢以来、類を見ぬ凶行であるッッ!!」
山本の言葉を聞いても、列の一角にいる東仙の顔色は変わらない。声には、いつもの断定ではなく問いが混じる。
「総隊長殿……下手人は、侵入した旅禍でしょうか?」
杖を握る手に力が加わる。答えを持たないことへの怒りに押され、床が軋む。
「わからぬ……! わからぬ以上は、万全の備えをせねばならん。――本日この時より、隊長格の死神全員に対し、瀞霊廷内での『卍解の使用』を正式に許可する!! 戦時特例の中でも、最大級の警戒態勢を敷けッッ!!」
隊長羽織の裾が一斉に翻る。
「はっッッ!!!!」
短い返礼が重なり、天井まで震える。
「では、解散!」
隊長たちが列を解き、扉へ向かう。最後尾の二人が敷居を越える前に、背後から呼び止める声が届く。
「…………春水。あやつは………今、どうしておる?」
京楽の足が止まり、笠のつばが下がる。
「戸川先輩ですか? ……自宅に籠もって鍵を閉めてますよ。まあ……当然かと……思うけどねえ」
杖の先へ落ちていた視線が、さらに沈む。
「………そうか」
傍らから、浮竹の声が届く。
「先生……もしご心配であれば、ぜひ直接あの方の元へ行かれては……?」
閉じた拳が膝の上で震える。立ち上がろうとはしない。
「…………今は戦時中じゃ。総隊長たる儂が……私情で今行っては……示しがつかん……」
二人分の足音が遠ざかり、扉が閉まる。広い執務室に残るのは杖を握る老人と、千年前の声ばかりになる。
◇◇
護廷十三隊が生まれたばかりの頃、瀞霊廷の地には戦の臭いが染みついていた。
倒れた者たちの間を、一人の男が歩いていく。鞘へ収まる刀の鍔から、まだ血が滴っていた。
「どこへ行く気じゃ??」
背中越しに返った笑いは、勝者のものには聞こえない。
「俺は……こういう泥沼の殺し合いには、もう心底疲れたよ。この先は戦わずに、平穏な人生というものを探してみるさ」
「これからの護廷には、まだお主の力が必要じゃ! ……皆、いなくなってしまったではないか」
足を止めた男の周囲にも、返事をする仲間は残っていない。
「八千流や長次郎たちが残っているだろう? 今更、俺のような男が表舞台にしゃしゃり出ることもないさ」
「……………ならば、これまで積み重ねてきた血の責任はどうするのじゃ」
「ん??」
まだ帰るつもりの目へ、山本の眼差しがぶつかる。
「ここまで血を流して護廷の礎を築いてきたのは、儂らじゃ。お主には……この組織の行く末を最後まで見届ける義務がある。……違うか?」
懐から取り出した辞令を、血の臭いが残る手へ差し出す。
「――これを受け取るがよい」
紙面に記された席次を見て、男の頬が苦笑に緩む。
「八番隊五席……。随分と中途半端な席次を押し付けてくれたものだな」
「お主が目立たず、見届けるには……これくらいがちょうどよかろう」
「……そうだな。ああ……そういえば、あいつ――鹿取の墓にはまだ参っていなかったな。……俺の名は、今日から『戸川古男』だ」
山本の喉から、それ以上の問いは出ない。
「…………そうか」
◇◇
山本の手にはまだ辞令を渡した感触が残っている。
平穏を探すと言った友を引き止めた日の答えを、今は正しかったと言い切れない。
爪が食い込んだ掌から血が滲む。
「……………。儂は………あやつに、強いただけで……まだ何一つ報いておらぬ。……我が友よ………すまぬ……………」
◇◇
十番隊へ戻る回廊で、日番谷の耳が背後の足音を捉えた。
「――日番谷隊長」
「藍染…………」
柔らかな物腰は普段と変わらない。眼鏡の奥から向けられる視線にも、敵意は見えない。
「砕蜂隊長の遺体……君はおかしいとは思わなかったかい?」
光景が脳裏へ戻る。胸を貫いた刀と、鞘に収まったままの雀蜂。
あの場では古男への怒りが先に立ち、考えをまとめる余裕がなかった。
「………ああ。争った形跡……抵抗の跡がまったく見当たらなかった」
「そうだね。隠密機動の総司令であり、極めて警戒心の強い彼女を無傷で捉え、一撃で仕留めることなど……我々隊長格であっても容易ではないはずだ」
「………つまり、下手人は彼女にとって『親しい人物』……気を許した相手が最も怪しいと言いたいんだな」
「………そうだ。彼女が個人的に心を許していた人物など、この瀞霊廷でもごく限られている」
その言い方に、日番谷の眉間へ深い皺が寄る。
「…………おい、そういう言い方は故人を貶めるぞ」
「君も、内心では同じ仮説に辿り着いていると思うがね」
反論を探しても、鞘に収まったままの雀蜂が脳裏から消えない。
「………戸川はもちろんとして、副官の大前田、現世で彼女に近かった旅禍たち、あとは………」
指折り数えかけた手が止まる。藍染の方から、自分の名を候補へ加える。
「僕や京楽隊長も、戸川君を通して彼女とは頻繁に顔を合わせていたがね……」
名前を挙げるたび、知った顔に砕蜂の血が重なる。
「………………まず、夫である戸川は?」
「…………実行を企てるなら、夫である彼が最も容易に、確実に達成できただろうね。――だが、彼には妻を殺害する動機が皆無だ」
あの虚ろな笑いを演技だとは思えない。次の名が口から出る。
「大前田はどうだ」
「そもそも彼は昨日の深夜、護廷内で別の隊士たちと公式な夜間任務に当たっていた。アリバイがある以上、不可能だね」
大前田にアリバイがあると聞き、胸に詰まっていた息が抜ける。
「旅禍……の可能性は?」
「可能性としては否定できない。……しかし、隊長を暗殺できるほど奥深くまで侵入しておきながら、肝心の黒崎一護を奪還しに向かわないのはあまりに不自然すぎる」
腕を組んだ指が袖へ食い込む。次の名も、身近な者から選ばなければならない。
「……志波海燕は? あいつも戸川や砕蜂とは親しいはずだ」
「……………彼が砕蜂隊長を殺害する動機が、僕には全く思い当たらないな」
残った視線が、目の前の眼鏡へ戻る。
「……なら、お前自身はどうなんだ?」
「僕は昨夜、ずっと自室で執務をこなしていた。……証明してくれる第三者はいないから、アリバイはないね。――君は?」
返された問いに、今度は答えが詰まる。
「俺も同じだ……一人で部屋にいた。……京楽は?」
自分にも疑いが返り、舌の裏に苦みが広がる。
「彼も同じだろうね。……だが、それを言い始めれば、他の隊長たちも皆同じ条件になってしまう」
頭に浮かぶのは、昨日まで味方だと思っていた顔ばかりだ。
耐えきれなくなった拳が壁を打ち、表面に細い亀裂を走らせる。
「………………チッ。結局、味方の中に裏切り者がいると疑わなきゃならねえのか……! 裏を返せば、動機さえあれば『隊長格の誰でも実行可能だった』ってことかよ。反吐が出るぜ……!」
押しつけた拳の上に、藍染の手が重なる。
振り払おうと顔を上げると、眼鏡の奥には悲しげな色がある。
「…………僕は今、塞ぎ込んでしまった戸川君が何より心配なんだ。……何とか僕たちで、真相を突き止め、真犯人を捜し出さないかい?」
壁を殴った痛みより、肩へ置かれた掌の方がはっきり伝わる。
「……………わかった。俺も協力する。絶対に許さねえ」
血の残る拳が固く握られる。その肩から、藍染の手は離れない。
■ 戸川古男という名
現在の「戸川古男」は、護廷十三隊成立期以降に本人が名乗り始めた名前。
それ以前の彼には別の名と経歴があり、山本元柳斎とは護廷十三隊創設以前からの付き合いを持つ。
■ 八番隊五席
古男が現在まで名乗り続けている席次。
護廷十三隊成立当初、表舞台から退こうとした古男を山本が引き留めるために与えたもの。
高すぎず低すぎず、組織に残りながら前面へ出ずに済む位置として意図的に選ばれている。
■ 隊長格への卍解使用許可
瀞霊廷内部では、被害規模や味方への巻き込みを避けるため、隊長格であっても無制限に卍解を使用するわけではない。
今回は二番隊隊長が瀞霊廷内部で暗殺されたことで、敵戦力を最悪の水準まで見積もり、戦時特例として全面的な使用許可が出されている。
■ 砕蜂殺害現場の不自然さ
砕蜂は隠密機動総司令であり、警戒・索敵・瞬歩にも秀でる。
にもかかわらず現場には大規模な戦闘痕がなく、斬魄刀「雀蜂」も鞘に収まったままだった。
このため、単純な正面戦闘による敗北では説明しにくい状況となっている。