十番隊副隊長・松本乱菊は酒に目がない。日本酒洋酒、甘口辛口を問わず、美味いと聞けばなんでも呑む。そして強い。ザルを超えてワクである。
類い稀なる美貌の持ち主ゆえ、酔わせて持ち帰ろうとする不埒な男が多かったが、皆返り討ちにされた。今では純粋に酒が好きな者だけが乱菊と同席する。
八番隊隊長の京楽春水と九番隊副隊長の檜佐木修兵、そして十一番隊第四席の
〇〇〇
「十兵衛さーん。今日ヒマ?」
書記官室の窓の外から身を乗り出すようにして松本乱菊が声をかけてきたのは、絵島が今まさに三時の休憩にしようと背伸びしていた時だった。
「また抜け出してきたのかえ、子猫ちゃんは」
絵島が苦笑する。乱菊は「まぁね」と茶目っ気たっぷりにウィンクし、するりと入ってきた。
そのまま絵島の膝を枕に寝転がる。波うつ金髪を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
「そんなにサボっちゃ日番谷の坊ちゃんが気の毒だよ」
「だーいじょうぶ。うちの隊長優秀だから♡」
「困った副官だねえ」
絵島はくすくす笑った。
乱菊は優秀だが、飽きっぽいのが玉に瑕だ。とりわけ事務仕事を毛嫌いしており、飽きるとすぐに絵島の元に遊びに来る。
十番隊隊長の日番谷はそのたびに叱りつけているらしいが、おそらく馬に念仏を聞かせる方がまだ有意義だろう。気の毒な話だ。
「ねーぇ十兵衛さん。今から飲みに行こうよ」
甘えた声で誘う乱菊に、絵島は
「今夜」でもなく「今度」でもない。
いまの今、飲みに行こうとは。
「また随分急だねえ」
「なーんか飲みたくなっちゃって」
あっけらかんと言う乱菊だが、その目の下に薄い隈があるのを絵島は見逃さなかった。
────五番隊隊長・藍染惣右介による謀叛は、あまりにも唐突で、周到だった。
中央四十六室の殺戮、副官・雛森桃を始めとする仲間たちへの攻撃。虚圏への逃亡。矢継ぎ早に入ってくる情報はどれもみな信じ難いものばかりで、隊舎の留守を預かっていた絵島は、旅禍による撹乱を疑ったほどだ。
すべて真実だと知ったときは、流石に呆然としてしまった。
だが何よりもこの乱菊を打ちのめしたのは、幼馴染の市丸ギンが藍染と共に去ってしまったことだろう。
流魂街時代から苦楽を分かちあった相手が、ある日突然居なくなる。一体どれほどの衝撃であり、喪失感であろうか。
絵島は梅の香りのする煙草を深く味わってから、薄く微笑んだ。
「行こうか」
「さっすが十兵衛さん」
乱菊は嬉しそうに身を起こした。
〇〇〇
飲み会は八番隊隊舎の京楽春水の私室で開かれることになった。
適当な飲み屋に入るつもりが、散歩中の春水にばったり出くわし「飲みたいの? それなら僕んとこおいでよ」と誘われたためである。
「八からこっちはサボり魔の多いこと」
絵島の言に、春水は悪びれもせず肩を竦めた。
「なぁに言ってんの。上のモンがサボらないとみんなが休みにくいデショ?」
「そーだそーだー」
乱菊が合いの手を入れる。
実際、真面目一徹の隊は統制が取れている反面息苦しそうな空気も漂っており、特に二番隊と六番隊の隊士からは羨ましそうな目を向けられることがよくあった。
たしかにメリハリは大事だ。それにしたって、この人達はたるみ過ぎな気もするが。
私室に到着するや、春水は手際よく酒宴の用意を整えた。
小ぶりな円卓には徳利と少々のつまみだけ。飲み明かすのにこれ以上のものは要らない。
「それじゃ、かんぱーい」
「かんぱぁい」
春水は漆器、乱菊はぐいのみを、絵島は猪口を掲げた。各々の器を満たすのは滅多に手に入らない高級純米酒である。
「あー美味い。いいんですかぇ春水さん、こんないいものを頂いちまって」
春水秘蔵の酒だ。相当値の張る代物なのは匂いだけでも分かる。春水は朗らかに笑い、
「いいのいいの。こんな美女ふたりに安酒なんて飲ませられないよ」
と言い切った。
「さっすが京楽隊長! 大好き!」
乱菊が調子のいい相槌を打つ。途端に春水の鼻の下が伸びた。
「本当ォ? それならどうだい乱菊ちゃん、今度デートでも」
「それは要りません」
「瞬殺だァ」
春水がトホホと項垂れる。いつもの茶番に絵島の頬も緩んだ。
〇〇〇
それから数え切れないほどの杯を重ね、気が付くと、乱菊が真っ先に潰れていた。
「あらー。珍しいこともあるもんだね」
正体もなく眠りこける乱菊に、春水が己の羽織をかけてやる。煙管に新たな刻みたばこを詰めながら、絵島はぼそりと呟いた。
「……雛森の嬢ちゃんが心配なんだろうよ」
その名に、春水の肩がぴくりと跳ねた。
雛森桃。霊術院時代から優秀な成績を収めていた才女で、柔和な物腰と真面目な性格は多くの隊士から愛されていた。
五番隊の副隊長として日夜業務に励んでいたのだが────
「よりによって藍染くんに刺されたとあっちゃねえ……」
卓に戻った春水の顔は暗い。
漆器に酒を注いでやる絵島もまた、浮かない顔だった。
雛森桃は己の隊長である藍染惣右介を愛していた。敬慕以上の念があることは、誰の目にも明らかだった。
だが真面目な彼女は仕事に私情を持ち込むことを良しとせず、副官としての立場を堅持していた。そのいじらしさに、乱菊や絵島を始め、女性隊士のほとんどが応援していた。
そんな愛おしむべき部下を、藍染の凶刃は貫いた。
日番谷と乱菊の発見があと数分遅れていたら、雛森は助からなかったろう。
一命は取り留めたものの、いまだ四番隊の集中治療室に入院中だ。二日に一度、日番谷が見舞っているが、雛森はこんこんと眠り続けているという。時折、眠ったまま涙を流しているとも聞いた。
卯ノ花いわく、精神的なショックが大きすぎて脳が目覚めるのを拒否しているらしい。
これが平隊士ならば、心神耗弱を理由に護廷十三隊から除籍し、平穏な日々を送らせることも出来たかもしれない。
だが雛森は副隊長だ。ただでさえ隊長三名が離脱して混乱の極地にある瀞霊廷を静める義務がある。
覚醒すればすぐにでも、山のように仕事を任されるだろう。
たとえ、休暇が必要だと分かっていても。
だから、乱菊は飲まずにおれなかったのだ。
寝ても覚めても苦しめられる雛森が、あまりに不憫で。
「酷だよねぇ」
春水の言葉に、絵島は
立場ある者とはそういうものだ。個人の苦悩や絶望よりも、集団の和をこそ優先し、尊ばねばならない。
だが、理解していることと、納得できるかは全く別の問題なのだ。
そこから先は何を話す気にもならず、二人はひたすら酒を呷った。
〇〇〇
翌日。
絵島はどうにもすっきりしない気持ちで目を覚ました。
顔を洗い、歯を磨き、死覇装に着替えてなお気分が落ち込んでいる。あと一時間もすれば業務開始時間だが、とても筆を握る気になれなかった。
「二日酔い──ってわけでもなさそうだねえ」
煙管を指先で回しながら嘆息した。
絵島は十一番隊唯一の文官である。
絵島が仕事を放棄すれば、一切の書類と事務手続きが滞る。
だから休むことは許されない。
「…………仕方ない。木刀でも振ろうかね」
汗だくになるまで素振りをすれば、余計なことを考えずに済むだろう。
絵島は書記官室ではなく、道場の方へ足を向けた。
ところが、絵島にとって嬉しくないことに、道場には先客がいた。
十一番隊隊長・更木剣八である。
百畳近い道場でたった一人、上裸になって木刀を振るっていた。
玉のような汗が全身から吹き出ている。二時間は素振りをしていなければ出ない汗量だ。
「お早いこと」
たすき掛けをしながら声をかけたが、剣八は口を噤んだまま絵島を見つめた。
その、物言いたげな眼差しに、絵島もすっと唇を結ぶ。
数秒の沈黙を経て、剣八が言った。
「負けた」
誰に、とは聞かずとも分かる。
最強の死神だけが名乗れる号「剣八」を冠した男が旅禍に敗れた──という報は、なによりも絵島を驚愕せしめた話である。
しかもその旅禍は、つい数ヶ月前に死神の力を手にしたというではないか。ならば刀を握った年月も極わずかということ。
それで、剣八のみならず朽木白哉までも下した。
後者にいたっては卍解まで使ったというから、もはや言葉もない。
カン、と軽い音が響いた。剣八の木刀の
剣八ならば木刀でも虚を倒せる。圧倒的な膂力と霊圧が可能にする離れ業だ。
そんな化け物じみた力が、強さが、通用しなかった。
「……だから、鍛錬してるのかえ」
絵島も、壁際に置かれた専用の木刀を手に取る。
通常よりも短く造られたそれを二本握り、剣八の前に立ちはだかった。
「なら、独りで振ってたって無意味でしょう。お相手仕りますよ」
右手を上段、左手を下段に構えて微笑む。十一番隊唯一の二刀流を前に、剣八も獰猛な笑みを返した。
そのまま有無を言わさず突進してくる。
激しい衝突音が、隊舎中に響き渡った。
〇〇〇
「なんだァっ!?」
足元がぐらつくほどの霊圧を感じ、斑目一角が頓狂な声をあげる。
隣で髪を
「この霊圧……更木隊長と十兵衛さんだ!」
二人は当然、剣八と絵島が恋仲であることを知っている。よもや隊舎内で痴話喧嘩かと慌てて道場に駆けつければ、血を流していないのが不思議なレベルの死闘が演じられていた。
二本の木刀が掬い上げるように剣八の顎を狙うと、剣八は僅かに頭を反らせて回避し、すぐさま反撃に出る。当たれば即死する脳天割りを、絵島は片脚を軸に半回転して躱した。
続くフェイントまじりの連撃を鮮やかに捌ききった剣八は、戸口に立ちすくむ一角たちに気づき、口角を吊り上げた。
「お前らは後だ! 戸を閉めろ! コイツの霊圧にやられるぞ!」
絵島の霊圧は触れた者の正気を奪う特殊な性質を備えている。普段ならば特別製の煙草を吹かして緩和しているが、稽古中のいまは無論、煙管を咥えていられるはずもない。
「「しっ、失礼いたしました!」」
一角たちは慌てて頭を下げ、速やかにその場を立ち去った。
〇〇〇
決着は、およそ十五分後に着いた。
汗だくで床に横たわる絵島の眼前に、剣八が木刀を突きつける。見上げるほどの
「全く……可愛げのない……おひとだね……」
ぜいぜいと喘ぐ絵島に、剣八は「あん?」と片眉を上げた。
「この俺とこれだけ撃ち合えるのがどれだけ居ると思ってんだ。お前も充分可愛くねえよ」
「……ははっ」
絵島は大儀そうに身を起こし、煙管を指先の炎で炙った。火気厳禁など知ったことか。
「あー、旨い」
桃によく似た匂いの紫煙が立ちのぼる。
汗を拭いながら、剣八は言った。
「綱吉」
「あい?」
「お前も稽古の時間、増やしておけ」
ぴたりと動きを止めた絵島に、剣八は顎をしゃくった。
視線の先は瀞霊廷の空、遥か彼方を見据えている。
それは、藍染が行方を晦ました方角だった。
「あの野郎が長年企んできたんだ。すぐに面倒くせえ事が起きる。次はお前も出てもらうぜ」
旅禍騒動の時は、隊舎を護るという名目で留守を命じられた。
次は出撃せよという。
絵島は即座に姿勢を正した。
「かしこまりました、更木隊長」
「──ん」
剣八が指をちょいちょいと曲げる。
絵島が近づくと、噛みつくように口づけられた。
「今日の煙草はうめぇな」
剣八はニヤリと笑い、素振りを再開した。
剣八っつぁんの次に好きな隊長、春水さん。
アニメでは大塚明夫氏の声が良すぎて出るたび悶えてます。あんな声に生まれたかった。