比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――行こう。世界を守る為に。


Side Crossover――last ep

 日本国――首相官邸。

 

「―――――――――――!!」

「―――――ッッ!! ―――――っっ!!」

「――ッッ!! ――っっ!! ――ッッ!!」

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 そこには、昨日以上に、老若男女問わず、多くの人間達が集結していた。

 

 思いを、叫びを、たった二人の人間達に向けて。

 

 ただ、真っ直ぐに――届ける為に。

 

『辞・め・ろ!! 辞・め・ろ!! 辞・め・ろ!!』

 

 人々は群衆となり、最早、警備隊や警察隊だけでなく自衛隊までもが派遣されながら、それでも抑えきれない力となった国民の声は、昨日と同じく、たった二人の大臣のみが残されている首相官邸に、静かに――けれど、確かな威力を持って響いていた。

 

「……………」

「……………」

 

 だだっ広い部屋にぽつんと置かれた大きな執務机。

 歴代の使用者の中で、最も飾り気のない内装を施したとされる現在の主は――この部屋からの速やかなる退去を、あれだけの大声で国民に求められている現内閣総理大臣は。

 

 蛭間一郎は、ただ真摯なるその国民の声を、鍛え上げた背中で一身に受け止める。

 

 そんな親友に対し、同じく国民の批判の的となっている現職の防衛大臣――小町小吉は、総理大臣の執務机に尻を置きながら、天井を見上げ言う。

 

「――流石に、今回に限っては、お前が出した草案は殆ど直しが入っちまったな」

「……骨格が残っただけ儲けものだと思うべきだ。それに、修正が入ったお陰で良くなった部分も多い」

 

 世界で最も暗い会議室の暗闇に慣れ切った目を慣らすように、小吉は執務机から立ち上がりカーテンを開けて光を入れる。

 

 流石に投石が届く距離ではないが、小吉の鍛え上げられた視力は、離れた門扉の向こう側に群れる、怒りと恐怖に突き動かされた国民の姿を目に映す。

 

 小吉は、突如として入った日光が眩しかったのか、何かに耐えるように目を細めて――背を向けて、じっと両手を組む一郎へと向き直る。

 

「そうだな。特に、中国のあの若い副官――(リョ)公瑾(コウキン)って言ったか、彼は俺らの草案を潰すことに随分と躍起になっているようだった。嫌われたもんだな」

「我々を嫌っているというより、俺達と『CEO(虹鳴)』の関係を危うんでいるのだろう。彼にも叶えたい目的が――目指すべき未来があるようだからな」

「まぁ、若いもんは、そんくらいの方が頼もしいってもんだ」

 

 叶えたい目的――目指すべき未来。

 

 ただ、それだけを求めて、戦い、戦い、戦い続けた男達。

 

 幾多の困難を乗り越え、体中に傷を刻んで、心を摩耗し続けて――辿り着いた、その場所に。

 

 見据え続けたその終着点たる頂――その麓まで、ようやく辿り着いた、男達は。

 

「―――――ッッ!!」

「――――――――ッッ!! ―――――――っっ!!」

 

 その証たる、守るべき国民の怨嗟の声を背中に受けて、ただ静かに噛み締める。

 

「――これが、俺達の、選択の証だ」

 

 どうしようもなく口の中に広がる、最早慣れ親しんだ苦い味を呑み込んで、内閣総理大臣は言う。

 

「俺達は、選択したんだ。この結果を――そして、ここから繋がる未来を」

 

 繋げなければならない。

 

 汚してきた両手を握り締めて、見過ごしてきた犠牲を噛み締めて、守れなかった同胞を踏み締めて、防げなかった悪事を胸に刻んで。

 

 それでも、未来ある若者に苦難を強いてでも、彼等の未来を守ると誓ったから。

 

「私は、全てを背負い、全てを受け入れる」

 

 蛭間一郎の、その宣言に呼応するように。

 

 内閣総理大臣の執務室に――新たな夜明けを知らせる歌が響いた。

 

 

 

あーた~~らし~~いあーさがき~~た~~きぼーのあーさーがー

 

 

 

 だだっ広い室内には、窓際にある大きな執務机しかない。

 しかし、この無機質な個性のない部屋には、その他に――ただ一つ。

 

 部屋の真ん中に、ただ一つ――黒い球体が存在した。

 ラジオ体操を総理大臣の執務室に流すその不気味な球体は、三方向に開くわけでもなく、己が頭上に巨大なモニタを虚空に映し出す。

 

 そこには、荒々しいドット絵ではなく、最新テレビのような高画質で――何処かの都市のパニック映像が流されていた。

 

『きゃぁあああああ!!』

『なんだ、なんだよこれ!?』

『おい、これってこないだの池袋のヤツみたいな――』

『じゃ、じゃあコイツが! コイツ等が!? ふざけんなよドッキリじゃなかったのかよ!?』

 

 何も知らない、何処にでもいる国民の一人が、涙と混乱に塗れた絶叫を迸らせる。

 

 

『星人だぁあああ!! 星人が出たぞぉぉ!!』

 

 

 助けてくれぇぇぇ!!! ――その、罪なき命の声に、無力なる一般人の叫びに。

 

 呼応するように、一人の英雄が立ち上がる。

 

「……………………………俺が、やらなきゃ」

 

 突如として、内閣総理大臣執務室に降り注ぐ電子線。

 

 この部屋には、この首相官邸には、職員は蛭間一郎と小町小吉しか存在しない。

 

 だが、その他に、もう一人――彼らの共犯者(なかま)が、何をするでもなく座り込んでいた。

 

 部屋の隅で、壁に背を預けながら。

 近未来的な黒衣を身に纏い、真っ黒な宝剣を抱きながら。

 

 じっと大人達の会話に耳を澄ませ、助けを求める声を聞き届けたその時――閉じていた瞼を、ゆっくりと開かせて。

 

 剣のように鋭い眼差しを、冷たい瞳を露わにし、ただ、問う。

 

「俺は――殺せばいいんだな?」

 

 防衛大臣は言う。

 

「ああ。頼むぞ、英雄」

 

 内閣総理大臣は言う。

 

世界(われわれ)に、どうか希望(みらい)を繋げてくれ」

 

 

 

 

 

 そして、今日――人々は、確かな実感を持って理解する。

 

 星人という存在がいることを。

 

 漆黒の戦争が繰り広げられていることを。

 

 未来を繋げる、英雄がいることを。

 

 

 世界が、変わったということを。

 

 

 そして人々は、まだ理解していない。

 

 

 全ての終焉が、近づいているということを。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 首筋に、チリっと焼けるような悪寒が走った。

 

「…………………」

 

 葉山隼人は、自室のベッドに腰を下ろしながら、緩慢に己の首筋を摩る。

 

 何処かの会議室のように、真っ暗な部屋だった。

 窓の隙間から差し込む光だけが、外の世界が昼間であることを示していて――葉山は、その光に釣られるように、俯いていた頭を上げた。

 

「――――ッ!」

 

 そして、歯を食い縛り、ベッドの上に乱雑に広げていた――漆黒の全身スーツを、ギュッと握り締める。

 

(……まさか――本当に――っ!?)

 

 葉山は、スーツを握り締めたまま、それを己の顔面に宛がう。

 何もかも見たくないとばかりに、再び俯き、歯を食い縛って、絶叫を堪える。

 

 しかし、降り注ぐ電子線は、そんなスウェット姿の元総武高校のスターを、容赦なく回収し――転送する。

 

 昨夜、首相官邸から帰ってきてからずっと、真っ暗な自室に篭り切りだった葉山隼人は、そのまま見知らぬ部屋へと――否。

 

 知っている世界へと――思い知っている地獄へと。

 

 黒い球体の部屋へと、再び蒐集されることとなった。

 

 

 

 

 

『よく見ておけ、葉山隼人』

 

 昨夜――首相官邸にて。

 

 葉山隼人は、一頭のジャイアントパンダと共に、詰めかけた大勢の記者越しに、その記者会見を目撃していた。

 

 会見にて語られる、内閣総理大臣と防衛大臣によって明かされる真実の一つ一つに、恐らくは、あの場にいる誰よりも、身を潰すような衝撃を覚えながら。

 

『…………なん……だ……それ、は――』

 

 葉山は、一歩、一歩とふらつくように後ずさり――壁に寄り掛かる。

 フラッシュが奔流のように浴びせかけられる、その背後で、薄い暗闇の中で、たった一人――絶望する。

 

『葉山隼人。これが、今の君の立ち位置だ』

 

 パンダの言葉が、小さく、葉山の耳に届いた。

 だが、その意味は分からない。ただ、きっと、どうしようもなく、どうしようもないということだけは分かった。

 

 分かった。分かっていた。

 この世界が――現実なのだということは。

 

 黒い球体に支配された、理不尽な箱庭なのだということは。

 

 自分は、その中に気紛れに放り込まれた、只の一人(ひとつ)人形(キャラクター)なのだということは。

 

 だが――これは――こんなのは――。

 

『…………ふざ…………けるな――――っっ』

 

 葉山隼人は、どっぷりとした真っ黒な感情の中で、呻くように呪詛を吐いた。

 

 忘れない――忘れない。

 目が潰れそうな光の外側で、葉山は、何かに押し潰されそうな重圧に逆らうように――顔を上げて、焼き付けた。

 

 この光景を忘れない。この感情を忘れない。

 

 この理不尽を、決して忘れない。

 

 刻み込んで、焼き付けて、刷り込んで、痛みと共に記憶する。

 

『――そうだ。忘れるな。折れるな。潰れるな。そうすれば、お前は、きっと見返せる』

 

 誰にも光を向けられず、誰にも知らない場所で人知れず何かと戦う少年に、ただ一頭のパンダは言った。

 

 今にも潰れそうな少年に、今にも折れてしまいそうな可能性に。

 

 けれど、もしかしたら、この哀れな種火が――誰もが忘れられない英雄になれるかもしれないという分の悪い賭け。

 

 だが、パンダは――それこそが、浪漫(ロマン)だとばかりに。

 

 何の配役も与えられず、ただ数字上の一として消費される筈だったエキストラが。

 

 誰にも期待されていない成果を上げ、奇跡を起こし、物語を動かす。

 

 そんな熱い展開が芽吹くかもしれない種を、この日、とあるパンダはこっそりと撒いた。

 

(――後は、この男次第だな)

 

 人間としての尊厳を悉く失った機獣の、浪漫を求めるこの小さな遊び心が。

 

 遠からず未来、誰も予想しなかった未来を齎すことになるのだが――。

 

 それはまだ、誰も知らない。

 

 まだ誰も――彼を、知らない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その無機質な部屋には、まだ誰もいなかった。

 

 あるのは、一つの異様な――黒い球体のみだった。

 

「…………………」

 

 葉山隼人は、ただ強く拳を握りながらそれを睥睨する。

 己の全てを狂わせた球体。己の全てを終わらせた球体。

 

 そして、葉山はそのまま部屋全体を見渡す。

 染み一つなく、傷一つない。

 半年間も死んでいたのに、まるで懐かしさすら感じない。

 

 しかし、葉山隼人は、眩しげに目を細める。

 

 ただ一つ、覚える――違和感。

 

 窓の外。決して開かない窓の外――出ることが叶わない部屋の外。

 広がる景色が、見慣れた黒い夜空ではなく、清々しい青空だった。

 

(…………変わった、世界――)

 

 葉山が何を言うでもなく、何かを封じるように唇を噛み締めていると。

 

 この部屋の主である黒い球体が、二筋の電子線を室内に照射する。

 新たに招集されたのは、小柄な水色髪の少年と、艶やかな黒い長髪の少女。

 

「――あれ? こんな時間に戦争(ミッション)?」

「――まだ学校に居たのですが……まぁ、あの人と離れられたから良しとしましょうか」

 

 潮田渚と、新垣あやせ。

 昨日の【英雄会見】において、光を浴びせかけられる側にいた戦士達は、それぞれブレザーとセーラー服という恰好ではありながら、突然の黒い球体による緊急招集に対し、平然とした態度で受け入れていた。

 

 恐らくは自分よりも年下であろう、少年少女の泰然とした姿に――そして。

 その学生服の中に既に身に着けている漆黒の光沢ある全身スーツに、葉山は。

 

 未だスウェット姿の自分に、学生服すら身に着けておらずに無為に逃避だけの一日を過ごしていた自分に――右手にぶら下げたままのガンツスーツを握り締めながら歯噛みする。

 

 葉山は、二人に何と声を掛けたらいいか分からなかったが、先に渚が彼に気付き――不思議そうに声を掛けてきた。

 

「あれ? 確かあなたは――どうしてここに居るんですか?」

 

 何で葉山隼人がここにいるのかと、まるで必要性を問うような言葉に、葉山は少なからずのショックを受ける。

 

 それが嫌味でもなければ嘲りでもない、純粋な疑問のように問われたそれだったが故に――昨夜に生き返ってから既に何度目かも分からない歯噛みによって耐える。

 

「渚君っ!」

「あ、ごめんなさい、そういう意味じゃないんです。……ただ、昨日の記者会見の時にいらっしゃらなかったので。これからは、あの四人だけで戦うことになるのかって思って」

「……いや、大丈夫だ。俺が、昨日、あの場所に呼ばれなかったのは確かだからな」

 

 正確には、葉山隼人は呼ばれはしなかったが、あの場所には居たのだが――あの特殊な不可視の細工は、一般人の記者達だけでなく会見の主役だった関係者達にすら有効だったのか、それとも、ただ単純に目に入っていなかっただけなのか。

 

 なんだかアイツに似てどんどん卑屈になっていくなと、葉山は内心で己を嘲りながら、年上に無礼を働いてしまったと恐縮そうに縮こまる渚やあやせに対し、己の疑問を晴らす意味も兼ねて問い掛ける。

 

「気にしないで欲しい。それよりも、君達の言う通り、昨夜の会見には俺は呼ばれなかったから、ちょっと色々と聞きたいことがある――」

 

 葉山がそう切り出した所で、再び黒い球体から電子線が虚空に照射された。

 

 徐々に人体の断面図を晒しながら現れるのは、逆立つ鬣のような金髪の男だった。

 渚やあやせと同じく【英雄会見】にて光の側に立っていた戦士の一人。

 

 東条英虎――彼もまた、既にガンツスーツにその屈強な体を包んでいて、そして。

 その迫力たるや、東条の戦闘シーンを未だ一度も目撃していない葉山にすら、彼が強大な戦士であることを確信させる程だった。

 

「――――ッ!」

 

 思わず葉山は息を吞む――が、当の東条は。

 

 召喚されきるや否や、そのまま背中から倒れ込んで、フローリングに強かに頭を打ち付けた。

 

「え!? 東条さん!?」

「大丈夫ですか!?」

 

 そんな姿は、東条をよく知らない葉山は勿論、葉山よりかは東条と付き合いの長い渚やあやせにとっても衝撃だったようで、急いで仰向けになっている東条の元へと駆け寄った。

 

 東条は、パチッと目を開け、己を覗き込む二人を見上げると――。

 

「――お、朝か」

「「今まで寝てたんですか!?」」

 

 まさかこの人は立ったまま寝ている状態で転送されてきたのかと(でも東条ならありえるかもしれないと)二人が驚愕していると、東条は半身を起こしながら「いや、今日はちょっと頻繁に気絶しててな、すまんすまん」と何事もなかったかのように(頻繁に気絶している時点で何事もあるだろうという言葉を葉山は頑張って呑み込んだ)、心配する二人を制していると――東条は。

 

 ふと、獰猛な笑みを浮かべて、獣が舌なめずりをするような声色で呟いた。

 

「――スゲェな、全く殴れなかった。そんでめちゃくちゃ殴られた」

 

 そして、黒い拳をギチっと鳴らすと――楽しそうに、無邪気に言う。

 

「……ああ――早く帰って、喧嘩してぇ」

 

 面白いゲームや漫画を手に入れた男の子が早く家に帰って続きをやりたいと駄々を捏ねるように、東条英虎は――無邪気に、楽しげに闘志を燃やす。

 

 それは、彼の圧に慣れていない葉山にとっては、思わず悲鳴を上げかけてしまう程で。

 

(……まるで、檻の中で猛獣と相対してるみたいな感じだ……)

 

 葉山は思わず東条から後ずさってしまう。

 既に東条の威圧には慣れているのか、あやせは東条の呟きを聞いて溜息を吐いて呆れているばかりだったが、渚はそんな東条に向かって微笑みながら言葉を掛けた。

 

「いいことがあったみたいですね、東条さん」

 

 東条は、己にそんな言葉を掛けてきた渚の顔を見て、同じように笑顔で返す。

 

「――おう。お前もだろ、渚」

 

 渚は、何も言わずに、ただ笑顔と差し出した手で答えた。

 その手を掴んで立ち上がりながら(渚は東条の身体を持ち上げたことを、スーツの恩恵とは分かっているが凄く嬉しそうだった)、東条は「――さて、だ」と言いながら室内を見渡した。

 

「というわけで、俺はさっさと帰りてぇんだが、なんか化物をぶっ飛ばさなくちゃ帰れねぇんだろ。なら、とっととやろうぜ。喧嘩だ。桐ケ谷は何処だ?」

「気が早いですよ、東条さん。今回もまた、夜じゃないのに呼び出されたりしてる時点で色々とイレギュラーじゃないですか。……まぁ、わたしたちがこの部屋に来てからイレギュラーばっかりで、通常がどうなのかもよく分かりませんが」

「でも、いつミッションが始まるのか分からないのも確かですよね。それじゃあ、葉山さん――ですよね? 葉山さんもスーツを着てきた方がいいんじゃないですか」

 

 東条の言葉にあやせが額に手を当てて呆れ、それに対してフォローするように渚が言った。

 戦士歴でいえば、恐らくは渚達よりも長いであろう葉山だったが、そんな後輩にそんなことを言われて、葉山は急に恥ずかしさを覚える。

 

 この三人の(主に東条の)強烈な個性に圧倒されて呆然としていたが、彼らが放つ戦士としての雰囲気は確かで――そんな中で、未だガンツスーツすら身に着けずスウェット姿である自分が、猛烈に恥ずかしくて堪らなくなった。

 

「あ、ああ、そうだな。……それじゃあ、着替えてくるよ」

 

 そう言って葉山は、もしかしたら赤くなっているかもしれない顔を隠すように、そのまま玄関へと繋がる廊下へと出ていった。

 

「ん? 誰だ、アイツ?」

 

 扉を閉める間際、今まさに葉山の存在に気付いたとばかりの東条の声。

 そして、そんな東条を慌てながらフォローする渚の声を聞きながら。

 

「――――ッ」

 

 最早、数えるのも馬鹿馬鹿しい、何度目かも分からない歯噛みをしながら、葉山は後ろ手に扉を閉めた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 葉山隼人は、再び漆黒のボディスーツに身を包んだ。

 

「……………」

 

 昨夜はガンツスーツを身に着けた状態で復活したので、実質、自分の意思でこの戦争用の近代的な鎧を身に纏ったのは、生き返ってからはこれが初めてのことだった。

 

(…………戻ってきた……いや、逃れられなかったってことか)

 

 文字通り、死んでも逃げられなかった地獄。

 葉山は、グッと何かを確かめるように力を込めて拳を握り、そして力無く微笑した。

 

 脱いだスウェットや下着をそのまま靴棚の中に放り込み、葉山は一度躊躇いながらも、ドアノブに手を掛けて黒い球体の待つリビングへと戻る。

 

 葉山と違いガンツスーツを普段着とする覚悟を既に固めている後輩戦士であり公認戦士達――潮田渚、新垣あやせ、東条英虎。彼らもガンツスーツの上に着用していた私服や制服を脱いで、ガンツスーツのみの姿になっていた。

 

 そして、そこには――彼らの他に、混乱と焦燥に支配された表情の、五人の見たことのない人間達がいた。

 

 銀髪のルックスのいい中学生くらいの少年。

 昏い瞳で蹲るボサボサ髪の大学生くらいの女性。

 コンビニ店員服の眼鏡を掛けた壮年の男性。

 伸ばしっぱなしの髪や髭で面貌が分からないが恐らくは中高年の男。

 そして、少し癖のある髪が特徴的な爽やかな印象を受ける高校生くらいの少年――。

 

(………やはり、アイツはいないか………)

 

 葉山は、()()()、『あの男』と、そして陽乃と中坊がいないことに心中を濁らせたが、その時、ふとあることに気付く。

 

(――? あの、制服は――)

 

 葉山は、老若男女バラバラな彼らの中でも、所在なさげに立っている高校生くらいの男子の制服に目が留まる。

 特徴の強いデザインというわけでもなく、高校の制服など(特に男子の制服など)どこでも似たり寄ったりなのかもしれないが、そのブレザーの制服は、葉山にとっては思わず目に留まってしまう程に、見覚えのあるものだった。

 

 それは、自分が通う高校の近隣校ものであり、かつて、この部屋の住人だった『彼』や『彼女』達と同じ学校のものだったからだ。

 

(………………)

 

 葉山は思わず痛ましげに目を伏せてしまうが、それでも、幸か不幸か、その男子生徒は葉山が知る人間ではなく、それ故にか、葉山はこの時点でその少年に声を掛けることはなかった。

 

 というよりも、声を掛けることが出来なかったというべきか。

 葉山は本人的にはそこまでのブランクがあるというわけではないが、一度死亡したせいか、気持ちとしては一度完全に切れてしまったせいか、ガンツミッションにはお決まりのイベントがあることをすっかり失念していた。

 

 自分にとってはすっかり日常となってしまった非日常、お馴染みになってしまった地獄だけれど――当然、彼らにとっては、何も分からない不気味な現状でしかない。

 故に彼らは、お決まりといえばお決まりの如く、混乱し、恐怖し――意味ありげに揃いのコスプレスーツに身を包む、先住民に説明を求めていた。

 

「あの! お願いだから説明してくれませんかっ! 一体、何がどうなってるんです!?」

 

 一見すると不良のような銀髪の少年が、思いの外に丁寧な敬語で叫んだ。

 着崩してはいるが学生服を着ているので(こちらは葉山は見たことのないデザインのものだった)恐らくは高校生か中学生であろう少年の叫びに、コンビニの制服を着た男が続く。

 

「……君達、もしかして、昨日の会見に出てた――?」

 

 恐らくは三、四十代。パッと見は店長クラスに見えるコンビニ服の壮年の男は、渚やあやせ、東条を指差しながら呆然と呟く。

 葉山は、それは当然バレるかと少し目を伏せながらも、それに続いた酒焼けした別の男の声を聞いた。

 

「――ハッ。胡散臭いとは思ってはいたが……これは普通に悪手なんじゃあねぇのか? 政府公認組織が拉致監禁かー。売れるネタだなぁ、オイ」

 

 伸びきったの髪と髭の中に隠された顔を、恐らくはアルコールによって真っ赤に染めているであろうボロ衣の男は、窓際に座り込みながら渚達を嘲笑するように言った。

 それにしても酒はねぇのかよこの部屋はよぉと、酔っ払いの定型句のようなことを喚く男の声を掻き消すように、部屋の反対側の壁際にて蹲る女性が金切り声を室内に響かせる。

 

「黙って!! 黙ってよっっ!!」

 

 ボサボサの髪の少女は、恐らくは十代後半から二十代前半といったところだろう。

 大学生か、もしくは入社したてのOLといった容貌。先程の酒焼けの男とはまた違った意味で髪に隠れてよく顔は見えないが、そんな彼女は、真っ黒な髪の中から、嗚咽交じりの声を漏らし喚いた。

 

 静まり返った室内に、それは嘘のように響く。

 

「……なんで……あなた達…………そんなに元気なのよ? ……私だけなの? あなた達は違うの!?」

 

 アンタ達は、死んでないのッッ!!? ――と、女性は。

 

 喉が潰れるのではと思える程に痛々しい叫びを轟かせて、そのまま己の真っ黒な髪の中で啜り泣きを続けた。

 

 銀髪の少年が、コンビニ服の男が、酒焼けのホームレスが、揃って目を伏せて口を閉じる中。

 

 癖のある髪の爽やかな男が――海浜総合高校の制服を着た男が。

 

 真っ直ぐに、こちらを見て、問い掛ける。

 

「……僕達は…………一体……これから、どうなるんですか?」

 

 葉山は思わず硬直する。

 偶々なのかもしれない。普通に考えれば、昨夜の会見に出ていた渚達へと説明を求めるだろう。

 

 海浜総合の少年の揺れる目線の先にいた渚達の、その向こう側に位置取りとして葉山が居たというだけなのかもしれない。

 だが、葉山の記憶の中では、こういった新人達への説明役は自分の役割だった。自分が死ぬまでは。自分が生き返る前に生きていた頃ならば。

 

 口が開きかけた。何かを言わなければと思った。

 それが自分の役割だと思って。もうそんなことなど期待されてはいないことも忘れて。

 

「あ――」

 

 しかし――だから。

 掠れ出た葉山の声は、誰の耳にも届かなくて。

 

「――大丈夫です。安心してください」

 

 少年の――新人達の視線を、真っ直ぐに受けたあやせは、そう言って彼らに向かって微笑みかけた。

 誰の目も届かない所で口を閉じた葉山を他所に、続いて渚が口を開く。

 

「もうすぐ、僕達のリーダーが、あなた達を導いてくれますから」

 

 そして、一度小さく息を吸い込んで、何かを込めるように――微笑みと共に吐き出す。

 

「――僕達が、あなた達を守りますから」

 

 葉山はその時、一瞬だけ――彼らの横顔が見えた。

 

 潮田渚の、新垣あやせの横顔が。

 

 その顔は微笑んでいて、だけど、まるで笑っていなくて。

 悲しみを背負っているようで、けれど、悲しみを捨ててしまっているようで。

 何か変わってしまったようで、まるで、何も変わってなどいないかのようで。

 

 それは――この黒い球体の部屋の住人として、終わってしまって、壊れてしまっているようだった。

 

「――――っッ」

 

 葉山隼人は――思い出す。

 

 ああ、そうだ。この『部屋』は、こんな――そんな風な、地獄だったと。

 

「――来たか」

 

 東条英虎は呟く。

 

 黒い球体は、この部屋に最後の戦士を招集する。

 

 部屋の中心に照射された電子線は、人体の断面を描きながら、地獄に英雄を召喚した。

 

 漆黒の(スーツ)に、漆黒の(ソード)を携えて、現れた黒髪黒瞳の少年は。

 

 全身が顕現されるや否や、無機質な黒い球体に向かって歩みを進める。

 

 そして、少年が真正面にやってくるや否や――黒い球体は、歌い始める。

 

 

あーた~~らし~~いあーさがき~~た~~きぼーのあーさーがー

 

 

 五人の新人達は、その場違いに長閑(のどか)な歌に不気味さを覚え、全員が顔を上げて黒い球体を注視する。

 

 渚とあやせは表情を消して険しく佇み、東条は獰猛に笑みを深める。

 

 葉山隼人は、喉元まで競り上がってきた苦い唾を呑み込んだ。

 

(…………あぁ。始まる)

 

 そして、終わる――葉山は、真っ黒な両手をギュッと握って、何かに祈るように瞑目して天井を見上げた。

 

「――大丈夫だ。安心して欲しい」

 

 黒い球体が歌い終わる頃、他の住人達に背中を向けながら、黒い剣士は静かに呟く。

 

 

【てめえ達の命はなくなりました。】

【新しい命をどう使おうと私の勝手です。】

【という理屈なわけだす。】

 

 

 黒い少年は、真っ黒な英雄は。

 

「君達は死んだかもしれない。だけど、まだ死ぬと決まったわけじゃない。……生きて帰れれば、生きて返れる。生きていける。……だから、安心して欲しい」

 

 真っ暗な瞳で、その黒い球体に浮かび上がる何かの宣告を、たった一人で受け止めると。

 

「――これから向かうのは地獄だ。けれど、天国じゃない。戦って、勝てば、またこの地獄に戻れる」

 

 

【てめえ達はこいつをヤッつけてくだちい】

 

 

 ドガンッ!!!! と、黒い球体が三方向に飛び出す。

 

 真っ黒に輝く武器が、黒い球体の部屋の住人達へと提供される。

 

 新人達が困惑と畏怖の視線を、仲間達が覚悟と昂揚の視線を向ける中。

 

 葉山がただ一人、痛ましげな視線を向ける中で――英雄は。

 

 黒い球体の部屋に相応しい姿に成り果てた英雄は、ただ一言、こう告げた。

 

 

「――行こう。世界を守る為に」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 平穏な日常が脅かされた、日本の何処かの、とある平和だった街。

 

 数分前までの穏やかさは消え失せ、市民の怒号と悲鳴、絶叫と叫喚が轟いていた。

 

 そう、まるで、一昨日の池袋のように。

 

「いやぁぁあああああああああああ!!!」

「うわぁぁあああああああああああ!!!」

 

 車は横転し、ビルは破壊される。

 人々は波のように、その存在から少しでも離れようと死力を尽くして逃げ惑う。

 

「や、やだ、やだやだやだやだやだやだ!!」

「なんだよっ! なんでこんなんが――普通に日本にいるんだよッ!!」

「いつからここは異世界になったんだッ!? こんなの二次元だろッ! あんなの現実にいちゃいけねぇ――化物(バケモン)だろうがッ!!」

 

 それは、確かにその通り――文字通りの化物だった。

 

 異様に長い頭に、瞳のない不気味な相貌。

 唾液が滴る凶悪な牙。サーベルのように鋭い爪。

 

 およそエイリアンとして総じてイメージするような、醜悪極まりない化物が、無力な人間達を襲っていた。

 

《ふ。ふふ。まさか、ここまで大手を振って人間共を襲うことが出来る日が来ようとはな》

 

 そして、そんな化物が人間を襲っている地獄のような光景を特等席で眺めようとばかりに、既に危険を知らせる赤い光を力無く点滅する力しか残っていない信号機の上にてそうテレパシーを呟くのは、背の低い小さな悪魔だった。

 

 黒い身体。四角の頭。

 背中には殻のようなギザギザの羽が生えていて、頬と胸の中心には星のマーク。

 そして、そんなコミカルな特徴を打ち消すような、筋肉質なボディ。

 

 小さな悪魔は、赤く細長い爬虫類のような舌で己の口元を舐めながら、赤い瞳を細めて眼下を一望する。

 

 人間達が逃げ惑っている。

 己の無力さをこれ以上なく曝け出し、自分達に背中を見せながら命乞いをしている。

 

 これまでずっと、自分達こそがこの惑星の支配者だとふんぞり返り、夜の世界すら目障りに明るく照らして、我らを日陰へと、闇の中へと追いやった天敵が――こうも無様に! こうも無力に!

 

《さぁ! 殺せ! 壊せ! 解体しろ! 同胞達の無念を、今こそ晴らすのだ!!》

 

 悪魔が信号機の上で立ち上がり、その赤い瞳を一際強く輝かせる。

 

 それを合図とばかりに、数体の醜悪な化物が、転んで逃げ遅れた一人の市民に集結する。

 

「――え? なに――イヤ、やめて――っ!?」

 

 一体の化物が女性の右腕を掴み、もう一体の化物が女性の左腕を掴む。

 化物の爪が女性の柔い肌に食い込んで、それだけで信じられないくらいの激痛が走った。

 

「ヤっ――イタイイタイイタイ!! やめて!! お願い!! 助けて!! やめて!!」

 

 女性は涙を流し、首を必死に振って拒絶を示す。

 だが、化物は人間の言葉など意に介さずに、その爪と牙からは考えられない程に丁寧に、だからこそ異様に恐ろしい処刑方法を実行しようとする。

 

 女性の腕が両側から引かれる。

 否が応でも理解出来た――自分は、真っ二つに引き裂かれようとしている。

 右と左から、一切の容赦なく。まるで、無邪気な子供が、遊び飽きた人形を破壊するが如く。

 

 その時、女性は何故か――これまで気にも留めていなかった、自分を信号機の上から見下ろす小さな悪魔に気付いた。

 

 悪魔は――笑っていた。

 楽しそうに。愉しそうに。

 

 無力な市民は――発狂した。

 

「いやぁぁぁあああああああああああああああああああ!!! 助けてぇぇぇえええええええ!!!」

 

 その絶望が、この上なく美味だとばかりに、悪魔が高笑いを上げようとした――その時。

 

 

 女性を引き裂こうとしていた化物が、殺害された。

 

 右の化物は、首筋に掛けてを真っ二つに切り裂かれ。

 左の化物は、胴体の中心に風穴を開けられた。

 

 

《―――――――――――思ったよりも、早かったな》

 

 悪魔はピタリと笑うのを止め、先程までの昂揚が嘘のように冷たい眼差しで睥睨する。

 

 化物による処刑劇を無粋にも中断させた、二人の黒衣の戦士達を。

 

 天から降り注いだ電子線によって続々と現れていく、黒い球体の戦士達を。

 

『――来ましたっ! 現れましたっ!!』

 

 悪魔の更に頭上から、地獄を映し出していたヘリコプターのカメラは、そしてカメラの横でマイクを握る男は。

 

 まるで先程までの悪魔の昂揚が乗り移ったが如く、興奮のままに言葉を発し――全国へと放送する。

 

 

『それは突然でした。まるで、一昨日の池袋大虐殺の再現とばかりに、このとある地方都市に突如として、謎の未確認生物――『星人』が出現したのです』

 

 

 化物から解放された女性は、何が起きたのか分からないとばかりに呆然としていたが、化物を切り裂いた戦士――桐ケ谷和人が、ふと顔だけで振り返り、座り込む女性に向かって言った。

 

「――遅れてすまない」

 

 その顔を見て、昨夜の会見に出ていた戦士だと気づいた女性は「君は……」と、自分よりも明らかに年下の少年を、そして、その少年の隣に立つ大男を、更にその後ろに現れた水色髪の小柄な少年を、そして。

 

 

『突如として発生した異常事態。市民は戸惑い、逃げることしか出来ませんでした。このままでは、本当に一昨日の悲劇の再現になってしまう――そんな時でした。今、正に、そうなろうとしていた最中(さなか)でした!』

 

 

 やはり自分よりも遥かに年下の、艶やかな黒髪の少女が、倒れ込む女性へと手を伸ばして、微笑みと共に言った。

 

「もう大丈夫です。後はわたし達に任せて、すぐに逃げて下さい」

 

 処刑を逃れた女性は、そんな彼らを――桐ケ谷和人を、東条英虎を、潮田渚を、新垣あやせを――見て、呟く。

 

 

『――GANTZです! 対星人用特殊部隊GANTZ! 昨夜の会見にて政府より発表されました、池袋を救ってくれた英雄達が、この危機にも颯爽と駆け付けてくれました!!』

 

 

《………………》

 

 女性が一目散に逃げていくのを、小さな悪魔は冷たく睥睨していた。

 

「新垣さん、彼女が安全な所に逃げるまで護衛を。渚、敵の数が多い、五月蠅く飛び回る細かい雑魚の処理を頼む。被害を少しでも減らしたい」

 

 和人の指示に小さく首肯と了解の返事をしながら、あやせは女性の進行方向にいた化物に飛び蹴りを叩き込み、渚は駆け出して羽を広げて宙を飛んでいた化物にクラッカーBIMを叩き込んだ。

 

 BIMの衝撃が響く中、小さな悪魔は冷たい眼差しで、和人と東条を見下ろしながらテレパシーを放つ。

 

《楽しいか、人間よ》

 

 和人は一瞬、ピクリと身体を震わせるが、何も返さずに冷たく見据え返す。

 小さな悪魔は、そんな和人に対し、尚も無表情でテレパシーを送り続ける。

 

《我々は、この星を支配しようと思ったことなど一度もない。ただ、誰も気づかぬ暗闇の中で、ひっそりと暮らせればそれでよかったのだ。今も、昔も、眠れる星人(われわれ)を起こすのは、いつだって貴様ら人間だ》

 

 和人は、後ろ目で逃げ惑う市民たちを見遣る。

 真っ暗な闇の中で静かに暮らしていた星人を、こうして昼の世界に引き摺り出したのは――。

 

《忘れるな。これは、地球人(おまえら)が始めた戦争だ》

 

 パチンと、小さな悪魔が指を鳴らす。

 すると、悪魔の背後の道路沿いのビルを突き破り、倒壊させながら――巨大な怪物が登場した。

 

 和人は市民を襲っていたエイリアンのような化物を五月蠅い雑魚と称したが、小さな悪魔の背後に現れたのは、通常体の怪物を鳥とするならまるで飛行船のような大きさの怪物だった。

 だが、動きはまるで大海原を遊泳する鯨のようで、滴り落ちる唾液はアスファルトを溶かし、大きく開けた口は何もかも飲み込むブラックホールのよう――。

 

「――東条」

「任せろ――」

 

 悪魔が立つ信号機を擦過するように低空飛行を始めた巨大な怪物を、和人の前に出た東条が獰猛な笑みと共に受け止めた。

 

「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」

 

 怪物がその巨体をそのまま押し付け、東条を引き摺りながら道路を進む。

 東条は笑みのままにそれに応え、掌が唾液による溶解で煙を上げながらも、そのまま両腕の筋肉を膨れ上がらせて――。

 

「――行くぞ」

 

 片手で巨体を押さえ、もう片方ので拳を作り――怪物の脳天に、強烈な勢いで拳骨を振り下ろす。

 

 

《――大した正義のヒーローだ》

 

 小さな悪魔は、全く微笑まず、まるで人形のような無表情で告げる。

 

「……………………」

 

 和人は、脳内に冷たく響くテレパシーと――そして、轟く市民の絶叫に、一度瞑目し。

 

 斬り祓うように――剣を抜く。

 

《………………人間め………ッ》

 

 小さな悪魔は、忌々しげに表情を歪め、筋肉を膨張させていく。

 

 和人はそれに応えるように、機械音を響かせながら半身を引き、剣を構えた。

 

「俺は――世界を救うんだ」

 

 その言葉は、小さな悪魔の最後の一線を斬った。

 瞬間――星人は信号機を蹴り、和人に向かって雄叫びを上げながら飛び掛かる。

 

 桐ケ谷和人は、一切の揺らぎなく、ただ真っ直ぐに漆黒の剣を閃かせた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、黒衣が貫かれた。

 

「――がふっ」

 

 胸の真ん中を物理的に貫通した腕に向かって、戦士は己の吐いた血液を浴びせた。

 どろりとまるで血のように肩の制御部からジェルを吐き出したガンツスーツは、まるで着用者の息の根と同化するように――機械音を発するのを止める。

 

「――理解不能。正しく、理解不能だ」

 

 ずるりと、物言わなくなった戦士から引き抜いた無数の中の一本の腕は、おどろおどろしく人間の血がべったりと付着していた。

 

 だが、その腕の主はそれに対して何を言うでもなく、何も思うことはないとばかりに無表情で、無感情で、無機質で告げる。

 

「――これで、何人目だ? 殺しても、殺しても、まるで虫の如く湧いてくる。虫のように殺され続け、それでも尚も戦い続ける。黒衣(きさまら)は、一体何がしたいのだ?」

 

 否、一本の腕だけではない。

 既に、無数に生えている腕の全てを、腕だけでなく全身に至るまで、己を緋く染め上げるが如く返り血を浴び続けるその存在は、また一人、黒衣の戦士の息の根を止めて呟いた。

 

「し、島木はぁあああああああん!!!」

 

 トゲトゲ頭の男が、信じられないとばかりに叫んだ。

 ついこの間、この摩訶不思議なデスゲームに巻き込まれたばかりの男だったが、それでも――自分が所属しているらしいこのチームは、恐ろしく強いのだということへの理解はあった。

 

 とあるデスゲームで一時的ながらトップチームを率いたこともある。例え、その中心選手になれなくとも、俯瞰的にギルドの大きさを見る目くらいはあるつもりだった。

 

 現に、自分が戦士となってから、これまで苦戦らしい苦戦はしてこなかった。

 主力戦士達が戦争で遊ぶ癖があったが故に犠牲は決して少ないわけではなかったが、それ故に、主力選手に上手く取り込むことが出来れば、点数は稼げなくとも、生き残ることは難しくない筈だった――そう、その筈、だった。

 

 今日、この――京都の戦場に送られるまでは。

 

「木場ぁ! 何しとんねん! はよ逃げんかいッ!」

「せ、せやかて――室谷はん――」

 

 トゲトゲ頭の男は、自分の前に出て、島木と呼ばれた男を殺した無数の腕を持つ化物に銃を向ける男を弱弱しく見詰める。

 

 この男は、自分達が所属するチームのリーダーで、最強の男だ。

 どんな『星人(バケモン)』を前にした時でも余裕を忘れず、またその余裕を崩さないままに、なんだかんだ言って最後にはボスを屠ってきた男だ。

 

 先程、あっさりと殺された島木という男も、この室谷に続くチームの№2であり、この室谷の右腕のような男だった。

 だからこそ木場は、この二人の懐へと潜り込むことで己の身を守ることに決めて、命を守ることに決めて――そして、それは今日まで上手くいっていた。上手くいっていたのだ。

 

 だが、今――片翼の島木は殺され、そして、室谷も片腕を失っている。

 

「――はっ。ついてへん。よりにもよって、京都かいな」

 

 死ぬんなら道頓堀でグリコ眺めながら死にたかったわ――と、室谷は脂汗を流しながらZ型の銃の照準を合わせる。

 だが、既にジェルを吐き出したスーツは着用者よりも一足早く死んでおり、その巨大な銃を持ち上げるだけで精一杯の状態だ。

 

 なんでや――と、木場は膝を笑わせながら呟く。

 

 どうして――どうしてこんなことになったんだと。

 

 辺りを見渡す――死んでいる。

 室谷の彼女も。島木の彼女も。普段は真面目に戦うことすらないが、それでも過去に百点クリアをしたこともある戦士達だったのに。

 

 逆を見渡す――死んでいる。

 いつも笑って敵を殺す三人組が死んでいる。その壊れた笑顔のまま、永遠に表情を変えることもない状態で無造作に転がされている。

 

 燃えている――京都が燃えている。

 転送されてきたのは、とても有名な寺院だった。誰もが修学旅行で訪れたこともあるような。

 そんな国宝級の寺院が、この戦争によって、きっと灰しか残らないであろう程に――燃え盛っている。

 

 地獄だ――転送先は、地獄だった。

 木場には、炎の中で、全身を真っ赤に染め上げた――無数の手を持つ仏像が、最早、地獄の獄吏にしか見えなかった。

 

「――千手観音、か。『端末』の破壊例は全国で何件かあるって『支部』の奴等からは聞いとったが……『本体』がまさか、ここまでのバケモンやったとはな……」

 

 それに――と、室谷は、その千手観音の背後にいる存在に目を向ける。

 

 燃え盛る寺院の屋根に佇む、小さな老人。

 その老人を挟むようにして佇む、真っ赤な顔面に長い鼻の山伏と、水干に高烏帽子の犬の顔を持つ何か。

 

 奴等もまた、此度の戦争で死体の山を積み上げていた。

 あのたった三体で、此度の戦争で共闘した中国チームと四国チーム、九州チームの強豪戦士達を皆殺しにしたのだ。

 

(あの桑原と花咲もやられとったしなぁ……まぁ、あの二人は何とか逃げよったみたいやけど)

 

 室谷はそんな思考をしながら、モニタで残り時間を確認して、未だ動けていない木場に向かって言う。

 

「木場ぁ、何回言わすねん。はよ逃げんかいな。ここまで派手にやって未だ警察も消防も来いひんちゅうことは、恐らくここはDRや。なら、きっと制限時間が終わればちゃんと転送される。点数はリセットやろうが、死ぬよりはマシやろ」

「む、室谷はん……なに言うて――」

「さっさと失せろ言うとるんじゃ!! このモヤっとボールがッッ!!」

 

 はよせんと俺がぶち殺すぞッッ!!! ――と、室谷がその千切られた腕の断面を見せつけるようにして、木場の方を振り向いて怒声を放つ。

 

「――――ッ!」

 

 木場は、それを見て瞳に涙を溢れさせながら、よたよたと足をもつれさせながらも逃亡を開始した。

 

(……これでええ。これでアイツが生き残れば、もしかしたら100点で生き返れるかもしれへんしな。……期待薄やが)

 

 それでもまだ、終焉(カタストロフィ)までは、僅かながら時間がある。

 あんなにも楽しそうな祭り――死んでも、生き返ってでも参加したいに決まっている。

 

(ここで生き残れればそれに越したことはないんやが……後、3分か……無理やな)

 

 室谷は力無く笑う。

 既に腕の断面から血が流れ過ぎている。視界も殆ど掠れて見えていない。

 

 そして、そんな掠れた視界でも――千手観音が、なにやらとんでもない攻撃を放とうとしているのが分かる。

 

「……元気玉か? それともかめはめ波かいな?」

 

 男の子の憧れやな――という室谷の皮肉にくすりとも笑わず、千手観音は無情に告げる。

 

「悪いが、一兵たりとも逃がすつもりはない。貴様らは――やり過ぎた」

 

 千手観音は、己の居城たる燃え盛る寺院に目を向ける。

 室谷は「そらぁ、悪いことしたなぁ。……せやけど――」と言って、素面(しらふ)の片手で持ち上げるには重すぎるZ型の巨銃の銃口を、炎の中で眩く発光する球体を浮かび上がらせる千手観音に向ける。

 

「――負け逃げくらいは、させてもらうで」

 

 その時――室谷の目の前の虚空が歪む。

 バチバチバチという火花が鳴るような音と共に、京都の寺院には余りにも相応しくない、近代的な強化鎧(パワードスーツ)が登場した。

 

 恐らくは通常のガンツスーツに、幾つかの強化パーツによって武装している。

 何よりも特徴的なのは、マスクのようなヘルメットと、ゴリラのように太く大きな両腕。

 

 その圧倒的な存在感は、緋色の千手観音と相対しても遜色のない――強者のオーラだった。

 

「……ほんま、やりすぎや。いくらDRやからって、こない派手にやらかしおって。とんでもない『後遺傷』が残るに決まっとるやろ。どないすんねん、国宝(こくほー)やぞ国宝(こくほー)

 

 パワードスーツを身に纏う何者かは、背後の室谷に向かって気安く言う。

 室谷は、掠れた視界の中に現れた、かつてのチームメイトであり、ルームメイトであり――現在は『上位幹部』となっている筈の男の登場に「……おそいねん。いまさら、なにしにきてん」と、笑いながら言う。

 

(たっか)いコスト掛けてDR使おうた割に、あっさり全滅した挙句、現実世界で逃がした星人に暴れられましたーじゃ、商売あがったりっちゅうこっちゃ。せめて――しばらく暴れられへんくらいには、お返しせえへんとな」

 

 パワードスーツを纏う戦士は、膨れ上がる千手観音の光球に向けて、半身を引き、拳を握り――何も見えていない室谷に告げる。

 

「――ようやった。最後にワイのかっちょええ雄姿を、その目に焼き付けて死に」

 

 

 Cosmopolitan Integration OrganizatioN(世界主義統合機構) 

 

 JP支部戦士ランキング 8位

 

 岡 八郎

 

 

「死せよ、黒衣共」

 

 そして――千手観音による破壊光線が放たれる。

 

「隙があったら――かかってこんかい!!」

 

 パワードスーツの戦士――岡は、雄叫びを上げながら光の中へと突っ込む。

 

 そして、室谷信雄は静かに炎の中に倒れ込み、彼の雄姿を見ることもなく死亡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明け、全国のマスメディアは、京都の国宝寺院の謎の放火事件について取り上げた。

 

 近隣施設にも多大な損害を出していることから、テロリストによるテロリズムの可能性も疑われたが――すぐに、関東地方で発生した星人事件を()()()()()()()GANTZが解決したことに関するニュースへと切り替わり、その功績に対する賞賛と、救えなかった犠牲に対する批判という、お茶の間が好む話題へと人々の関心は移った。

 

 

 この日、日本にある『黒い球体の部屋』の内、中国チーム、四国チーム、九州チーム、そして最大最強の戦力を誇っていた関西チームが敗北し、致命的な被害を受けたことは、世間の誰も知ることはなかった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 総武高校の職員室の扉を、一色いろはは気だるげに開けた。

 

「しつれいしま~す」

 

 少し前までは、一色は真面目ではないが素行不良というわけでもない一般的な生徒だったので、他の生徒達と同様に職員室という空間に少なからずの苦手意識を持っており、扉を開けるのに緊張をしていた頃もあったが、生徒会長という肩書を所持するようになってから、頻繁に(悪い意味でなくとも面倒くさい要件で)呼び出されるようになってからは、この部屋に抱いていた緊張感のようなものはなくなってしまった。

 

 いくら聖職と呼ばれる教師といえど、大人である前に人間である以上いつでも聖人君子というわけではない。

 むしろ、教壇の上では聖職として勤めなくてはならない以上、生徒の目がない職員室というこの空間は、教師の大人としての駄目な部分が露見し易い場所でもある。無論、大概の教師は勤務時間である以上、職員室でも立派に仕事をしているのだろうが――。

 

「おう、一色。急に呼び出してすまなかったな」

 

 入室した一色の声に反応し、パーテーションの向こう側から白衣を靡かせてやってきたのは――平塚静。

 今年度は生徒会顧問を担当していることもあってか、一色は案の定呼び出し人が彼女であったことに溜息を吐く。そして、白衣から香ってくるその匂いに対しても。

 

「……先生。また煙草吸ってましたね」

「ああ、すまない。匂ったか」

 

 平塚は白衣を脱いで、男性用の黒いラベルの芳香剤を噴射する。

 確かに煙草の匂いはそれが一番落ちるのかもしれないが、まもなく三十の大台を跨ごうとしている独身女性としては、大事な何かを捨て去ってしまっているように思えなくもない。

 

「……で? 要件はなんですか、平塚先生」

「ん? ああ、そうだったな。すぐに他の生徒達にも伝えることなのだが、先に生徒会長である君には伝えておこうと思ってな。君も当事者の一人である行事についてだ」

 

 当事者? ――と首を傾げる一色に、自分の席に座った平塚は「この間の京都の事件は知っているか?」と問い掛ける。

 

「京都の? それって、あの有名なお寺が焼失したっていうあれですか?」

「ああ。うちの修学旅行のコースにも組み込まれていた。初めは、コースの変更の方向で話は進んでいたんだが――」

「――もしかして、修学旅行が中止になるなんていうんじゃ」

 

 一色は露骨に表情を歪ませる。

 実をいうと一色自身としては、そうなっても別にいっかくらいにしか思っていない。

 修学旅行という高校生活においても最も思い出としては残るであろう行事が中止になってしまうことは少しは残念ではあるが、一色としては今はそんな気分ではないという一言に尽きるのだ。

 

 それでも表情をここまで露骨に歪ませたのは、偏に他の生徒達の反応を思ったからだ。

 一色は自分が特殊例であることを自覚している。普通の高校生にとっては、修学旅行が中止になるなんてことは有り得てはならないことだろう。

 

 とんでもなく大きい不満が教師陣に、そして何故かなんとかしてよ生徒会長と自分の方にも強い風が当たるだろう。面倒くさいことに。面倒くさいことに。(二回繰り返すくらい大事なことだ)。

 

 平塚はそんな一色の心情を理解しているのか「安心しろ、中止にはならない」と苦笑しながらも、「だが、面倒くさいことになっているのは確かだ」と上げて落とす。

 

「当時の報道にもあったように、あの事件はテロリズムの可能性が未だに消えていないんだ。犯人も見つかっていない。故に、そんな危険な地帯で子供達に自由行動をさせるのはいかがなものかという声が大きくてな」

「……はあ。現地の高校生達は、毎日警察に護衛でもされながら登校してるんですか?」

「そう捻くれたことを言うな。誰の影響なんだ、全く」

 

 一色と、何故かそんなことを言った平塚も、一瞬痛ましげに表情を歪める――が、原因不明な感情を置き、平塚は「――結局、そんな声を消せないままに、京都での修学旅行はなしとなった」と言った。

 

 確かにテロリストが潜伏しているかもしれない場所で修学旅行など危険だという声もあるかもしれないが、あれから少なくとも数週間は経過している。それだけあれば今の時代、京都どころか世界中どこにだって逃げる気になれば逃げられるだろう――そんなことを思ってしまうのは、平塚の言う通り、何処かの誰かの影響なのだろうか。

 

 何処かの誰か――きっと、何処かにいた、誰か。

 

 一色は、自分の胸を押さえながら「……でも、中止にはなっていないんですよね」と問い返した。

 

「ああ」

「でも、よく目的地を変えられましたね。もう修学旅行はすぐなのに」

「本当に運が良かったよ。奇跡としか言いようがないな。宿もそうだが、この場所に行けるのなら、直前の変更でもそんなに不満は生まれないだろう」

 

 平塚はそう言いながら、新しい修学旅行先が書かれたプリントを一色に手渡す。

 それを見た一色は、確かにここならば不満の声も少ないだろうと思いつつも、まるでこの思考の影響を与えた誰かを忘れまいとするように、捻くれた言葉を平塚に返した。

 

「……ここって、京都と殆ど離れてないような気がするんですが。それでいいんですか?」

「声を受けて対処しましたという形を整えることが大切なんだ。クレームに対応し、なおかつ新たなクレームが生まれないようにする。それが仕事というものだ」

「……そういうものですか」

 

 まあ一色としては、己に向かってくる生徒達の不満が少なければそれでいい。

 そんなことを思いつつ、一色は、千葉の夢の国に並ぶテーマパークである、日本一有名なスタジオの名前が書かれたプリントを細めた目で、何処かの誰かの如く濁り始めた眼で見遣る。

 

 平塚は、そんな一色から目を逸らしながら言った。

 

「そんなわけで、今年の修学旅行の行き先は――」

 

 

 

――大阪だ。

 

 

 




それはきっと、忘れられない(おもいで)になる。

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