さよなら天さん ~今度こそナッパを倒す~ 作:鈴木デストロイヤー
天空闘技場。
観客席は、すでに滅茶苦茶になっていた。
悲鳴を上げながら逃げる観客。
階段へ殺到する人々。
その間を縫うように走り回る人形。
闘技場では、クロロ=ルシルフルとヒソカ=モロウが戦っている。
そんな中、一人の老人だけが、逃げるでもなく席に座ったまま戦いを眺めていた。
「ほう……」
感心したように顎を撫でる。
「二人とも強いのう」
隣の席にいた中年の男が、焦ったように老人を見る。
男も念能力者だった。
だが、別に名の知れた使い手ではない。
念を覚え、それなりに修練し、普通の人間よりは遥かに強い。
その程度の男だった。
だからこそ分かる。
目の前で戦っている二人が、自分とは比べものにならない化け物だということが。
「爺さん!」
「ん?」
「何してんだ! 早く逃げろ!」
老人は不思議そうに男を見る。
「何故じゃ?」
「見りゃ分かるだろ!」
また爆発が起きる。
男が肩を竦めた。
「こんな所にいたら巻き込まれて死んじまうぞ!」
「そうかのう」
「そうかのうじゃねえよ!」
老人は再び闘技場を見る。
「いやあ。しかし凄い戦いじゃ」
「感心してる場合か!」
男は頭を抱えた。
何でこんな爺さんの心配をしているんだ。
名前すら知らない。
今日たまたま隣の席になっただけだ。
それでも、目の前で死なれたら寝覚めが悪い。
「ほら、爺さん!」
男が立ち上がる。
「早く――」
その時だった。
歓声と悲鳴の向こうから。
ヒソカが観客席へ飛び込んできた。
「……!」
男の顔色が変わる。
その後を追うように。
何人もの人間が一斉にこちらへ走ってくる。
「まずい!」
男には分かった。
あれは普通の観客ではない。
ヒソカを追っている。
「爺さん、伏せろ!」
次の瞬間。
ヒソカのすぐ近くまで迫った人間たちが。
爆発した。
凄まじい爆風が。
周囲の観客席ごと呑み込んだ。
◇
「…………」
耳鳴り。
煙。
焦げた臭い。
男は床へ倒れていた。
「ぐっ……」
身体を起こす。
念で多少は身を守れた。
致命傷ではない。
男は咳き込みながら周囲を見る。
そして思い出した。
「爺さん!」
すぐ隣を見る。
老人が倒れていた。
「おい!」
駆け寄る。
「爺さん!」
返事はない。
老人の身体は、爆発をまともに受けていた。
もう助からない。
「……だから」
男が歯を食いしばる。
「だから逃げろって言っただろ……」
その時。
老人の指が動いた。
「…………?」
男が止まる。
老人の腕が動く。
ゆっくりと身体を起こした。
「……おい」
老人が立ち上がる。
明らかに死んでいる。
だが、動いている。
男は老人の身体から立ち上る念を見た。
生前とは比べものにならない。
濃い。
異様な念。
「……まさか」
男の顔が引きつる。
「死後の念……?」
老人がこちらを見た。
男も老人を見る。
老人が一歩、こちらへ歩いた。
男が一歩下がる。
「待て」
また一歩。
「おい、待て」
老人がさらに近づいてくる。
「何で俺の方に来るんだよ」
老人が走り出した。
「何でだよ!!」
男も走った。
◇
「来るな!」
観客席を駆け抜ける。
「来るなって!」
老人が追ってくる。
「俺じゃねえぞ!」
走る。
「お前を殺したの俺じゃねえからな!」
老人は止まらない。
むしろ、どんどん距離を詰めてくる。
「俺は逃げろって言った側だろうが!」
必死に階段を駆け上がる。
後ろを見る。
いる。
「何で俺なんだよ!」
老人が追ってくる。
男は念能力者だった。
だから余計に怖かった。
死後の念。
死によって強まった念が、どれだけ厄介なものになるか。
知識としては知っている。
「ふざけんな!」
走る。
人を避ける。
階段を飛び越える。
それでも老人は追ってくる。
「おい!」
肩へ手がかかった。
「待て!」
振り払おうとする。
だが、老人は離れない。
背後から、がっちりと抱きつかれた。
「離せ!」
男が暴れる。
「爺さん! 俺、お前のこと助けようとしたんだぞ!」
老人の口が、ゆっくりと開く。
「さようなら天さん……」
「誰だよ天さん!!」
老人の腕に力が入る。
「どうか死なないで」
男が必死に老人を振りほどこうとする。
だが、離れない。
白い光が膨れ上がった。
◇
爆発した。
◇
少し時は戻る。
ヒソカは、クロロとの戦いを続けていた。
次々と襲いかかってくる人形。
爆発。
飛び交う観客。
クロロは、人間も、人形も、能力も、すべて利用してヒソカを追い詰めていく。
ヒソカも、まだ笑みを浮かべていた。
けれど、状況は悪い。
かなり悪い。
爆発で身体を削られ、逃げ道も少しずつ塞がれていく。
それでもヒソカは考え続ける。
クロロがどこにいるのか。
次に何をするのか。
どの人形が爆発するのか。
どう動けば、まだ戦えるのか。
だが最後には、大量の人形がヒソカへ殺到した。
次々と身体へ群がる。
押さえつけられる。
視界が人形で埋まっていく。
逃げられない。
ヒソカは、その中で静かに思った。
ああ。
ボク。
死ぬのかな?
それなら。
試してみよう。
死んだ後。
さらに強くなった念で。
心臓と肺を、もう一度動かす。
自分の念へ、そう命じる。
直後。
爆発が、すべてを呑み込んだ。
◇
白い。
◇
ヒソカは目を開けた。
「……?」
何もない。
真っ白だった。
自分の身体を見る。
手がある。
脚もある。
傷もない。
死ぬ直前まで失われていたものが、すべて元に戻っている。
「…………」
ヒソカは少し考えた。
死ぬ直前、自分の念へ命じた。
死後さらに強まった念で、心臓と肺を動かすように。
それで蘇るつもりだった。
けれど、ここは天空闘技場ではない。
床も、壁も、天井も何もない。
どこまでも続く真っ白な世界。
ヒソカは、しばらく周囲を眺めた。
そして。
「ああ……」
口元に小さく笑みが浮かぶ。
「失敗しちゃったみたいだね♣」
もう一度、白い世界を見る。
「ここ、死後の世界なのかな♦」
その時。
横に誰かいることに気づいた。
ヒソカが見る。
「…………」
見覚えがある。
どころではない。
ついさっきまで殺し合っていた相手だった。
「あれ……」
ヒソカが笑う。
「団長?」
クロロがヒソカを見る。
「ヒソカ」
ヒソカは少し首を傾げた。
「どうして団長までいるのかな♦」
「俺も死んだらしい」
「へえ」
ヒソカの笑みが少し深くなる。
「ボクに勝ったんでしょ?」
「ああ」
ヒソカはさらに首を傾げた。
「団長までなんで死んでるの?」
「おそらく」
クロロが答える。
「あの老人だ」
「老人?」
「戦っている最中、少し見えた」
クロロは淡々と続ける。
「爆発に巻き込まれて死んだはずの老人が、別の男に抱きついていた」
「その直後、その老人が爆発した」
ヒソカが目を細める。
「お爺さんが?」
「ああ」
「その爆発に団長も巻き込まれたってこと?」
「おそらくな」
ヒソカは少し黙った。
「ふうん……♥」
クロロは周囲を見る。
「あの老人も死んでいるだろう」
「ここが死後の世界なら、いるかもしれない」
ヒソカが笑う。
「じゃあ、探してみようか♣」
クロロも歩き出した。
◇
しばらく進むと。
怒鳴り声が聞こえてきた。
「このクソ爺!」
ヒソカとクロロがそちらを見る。
半透明の身体になった老人と、その老人へ何度も殴りかかっている中年の男がいた。
何度殴っても、拳は老人の身体を素通りする。
クロロが老人を見る。
「あの爺さんだ」
ヒソカもそちらを見る。
男はもう一度老人を殴ろうとして、ふと二人に気づいた。
「…………」
拳が止まる。
さっきまで天空闘技場で殺し合っていた二人。
男は思わず動きを止めた。
「……あんたら」
ヒソカは男を一瞥した。
クロロはそのまま老人へ近づく。
「聞きたいことがある」
老人がクロロを見る。
「なんじゃ?」
「あの爆発は、あなたの念能力か?」
老人は頷いた。
「そうじゃ」
「詳しく教えてくれ」
「構わんぞ」
老人は、自分の念能力について説明した。
クロロは黙って聞いていた。
ヒソカも少し興味深そうに老人を見る。
中年の男も、老人を睨んだまま話を聞いている。
やがて、老人の説明が終わった。
クロロはしばらく黙っていた。
頭の中で、聞いた内容を整理する。
そして口を開いた。
「なるほど」
「生前の念出力を一割に制限」
「自分が他者に殺された時に発動」
「死亡後、死後の念によって肉体が動き」
「近くにいる人間を追跡する」
「対象へ抱きつき」
「決められた言葉を口にした後、自爆する」
老人が頷く。
「そうじゃ」
クロロは続ける。
「さらに、能力者本人はその時点ですでに死んでいる」
「つまり」
「追いつけたか」
「最後まで能力が発動したか」
「爆発がどれほどの威力になったか」
「目的を果たせたか」
「その結果を、自分では永遠に確認できない」
「うむ」
クロロは少し黙った。
生前の出力制限。
他殺という発動条件。
死後の念。
結果を確認できないという制約。
さらに九十年。
ただ自爆の威力だけを鍛え続けた。
そこまで重ねれば、あの異常な威力になること自体は理解できる。
念能力としての仕組みには、筋が通っている。
だが。
クロロには、どうしても分からないことがあった。
「何のために」
老人を見る。
「ここまでの能力を作った?」
老人は即答した。
「ナッパを倒すためじゃ」
「…………」
クロロが黙る。
ヒソカも老人を見る。
クロロが聞く。
「ナッパは、この世界にいるのか?」
「おらん」
老人はあっさり答えた。
「この世界には存在せんのう」
「…………」
クロロはさらに黙った。
念能力としては理解できる。
制約も。
誓約も。
あの威力も。
すべて理屈は通っている。
だが。
この世界には存在しない相手を倒すために。
九十年。
人生のほとんどを使い。
生前の念まで制限し。
自分が殺された後にしか使えない能力を、ただひたすら完成させた。
それだけは、クロロにも理解できなかった。
その時。
横で黙って聞いていた中年の男が震え始めた。
「…………」
老人を見る。
そして叫んだ。
「そんなふざけた念能力で俺を殺しやがったのか!」
老人が振り向く。
「このクソ爺!!」
男が老人へ殴りかかった。
だが。
半透明の身体を、拳はそのまま素通りした。