貴族社会では、術師としての優秀さが全てを決める。学んだ魔法は国を支える兵器として、また豊穣を齎す秘術を扱える者として、都の繁栄に必要不可欠な人材となる。
親が地位を築いていようと跡取りの才能が無いなら、没落するのみ。だからこそ貴族たちはこぞって子を産み育て、学院に自身の家の命運を賭けるのである。
特に第二学舎はその思想が顕著だ。日々優れた術師を決めるため、数値やランクではかり苛烈な競争が起こっている。上級生であっても容赦なく蹴落とし、教導役と総長に向けて示すのだ。
己が未来の教導役に相応しいこと、または投資先として有望だということを。
そのため学び舎では、魔法以外の学問はできて当然とされる。
高度な算術、話術、論理学。何れ領地を守る上で必須な戦略、馬術、経営学などだ。
幼い内から叩きこまれた思考力こそが、高度な魔法の理論を紐解く。感覚のみで行使するなど愚の骨頂であり、理論と感覚どちらも持ち合わせて初めて、貴い術師と言えるのだ。
掬われることはなく、落ちこぼれは去るのみである。
魔力量、魔法の習熟度、精度。この三つを主軸とし、習得した魔法が多ければ多いほど良い。
そして評価される基準の最上位は、「月」を見出すことだ。解術された魔法を複数体系習得できるの僅かでも、「月」を学ぶ資格があるとは限らない。これこそ圧倒的に、天性の才に左右される事象だった。
だがこの過ぎる苛烈さは、貴族社会の腐敗をある程度防ぐことに一役買っていた。凡俗は権力を失い、優れた領主によって民を潤す。
彼ら貴族が上から物を言うだけでなく力を振るうために、異相付きの被害を抑えることができる。そうして下々は安心して畑を耕せるのだ。
遠い昔から突き通した成果が出たか、それとも若き総長に活気づいたか。第二学舎には現在、才ある若者たちが豊富に揃っていた。
中には、ルリベナから目をかけられるほどの天才も混じっている。己より明確に劣っている術師をあからさまに見下しても、構わないほどの寵愛を受けていた。
金と桃色を混ぜたような独特な髪を二つ結びにしており、薄い青色の瞳は性格を表わすように、いつでも自信ありげに細められている。
テンセン・シラオイという名の少女、大陸の極東に領地を構える貴族の娘だった。
その第二学舎で幅を利かせている娘は、唐突にルリベナから命令を受けた。
何故自分がと思うほどの単純な任。第二学舎周辺を囲む森を、魔法「観測」で監視し続けろというのだ。そして獣ではない魔力を感じ取ったら、それだけに注力しろと。
幾ら森が広かろうと、テンセンほどの才女ならものの数十分で見つけ出せる。魔力の放出具合からして、紛れもなく人間だ。
テンセンの見立てでは、特筆すべきところはない。異相付きに遭遇したら激しく魔力を消耗し、また彷徨う。あまりにも変化が見られない。少しばかり魔法が使える、テンセンにとっては明確に格下の術師だった。
しかも事前に与えられていた情報から、不快な気持ちは高まる。何とこの術師は、ここ数週間のルリベナの心労だというのだ。
偉大なる術師の貴重な時間を消耗させた屑。テンセンの認識は概ねそのように定まっていた。
「はあーあ……退屈。うろちょろしてるこいつを捕まえるとかなら、少しは暇潰しになるのに」
「テンセン様そんなところに肘をつかれては、御召し物が……」
「うるさいっ! ルリベナ様の命令なんだから、衛兵如きが話しかけるな!!」
「は……申し訳ございません!」
テンセンは防壁の上に陣取っており、学び舎を守る衛兵が近づくも吠えて近づけさせない。
少女が魔力を掌に凝縮させると、衛兵たちは慌てた様子で謝罪を繰り返し、その場から逃げていった。
しばらく睨みを利かせた後、テンセンはまた地味だと感じる監視に戻る。これもルリベナに気に入られるためだと、何とか納得して。
昼から始まった監視は、日が暮れるまでかかった。
ルリベナに監視は終わりだと告げられるまで、彼女の鬱憤はたまりにたまっていた。
「――よくやった。先ほどまで監視していた人間だが、これから好きなように甚振ってやれ。試し撃ちには丁度良いだろう」
「あはっ……私、そのお言葉を待っておりました! ルリベナ様のお時間を無駄にした屑を、叩きのめして……!」
「そう。見出した『月』を使って、下郎に思い知らせるのだ」
だが彼女からの労いと続けられた言葉に、ストレスが一気に解放された。
ただでさえ、閉鎖的な競争社会に若くして揉まれているテンセンからすれば、この上ない息抜きになる。ルリベナに連れられ、彼女は顔も知らない術師を甚振る準備を始めた。
相対する戦士は、自らが思う「修行」とは全く違っていると気づかないまま。
◆
森を駆けずり回って十時間。異相付き十頭分の素材を集めろという、達成させる気がない無茶苦茶な指示のせいでへとへとだ。
夕陽が沈んでいくのを木に背中を預けながら見て、一箇所に集めた獣の骸に視線を戻す。これからこの育ち切った重い荷物を、運ばなければならない。
どれだけ体を鍛えて実戦で魔法の精度に磨きをかけても、いっぺんには運搬できない。
風の解術魔法を応用すればいけるのではとも思ったものだ。こういう部分こそファンタジーらしくあってほしいのだが、嘆いても仕方ない。
俺は紐を手に、蠅の群がる骸を縛り上げた。二頭を五往復、完璧な作戦と言ったところか。
「……重いな。だがもうすぐだ。もう少しで実用に移れる……!」
ルリベナから提案された修練は、「月」を扱える術師との撃ちあいだ。彼女自身が技を見せたのは、俺を殺しにかかった初日だけだった。
作中屈指の術師であり、見ず知らずの人間相手に手ほどきをするほどお人よしでもない。理論書を貸し出してくれたことは奇跡的で、感謝すべきであるが。
知識にある限りルリベナは知り合い相手だろうと、目線を合わせない女だ。それがルリベナより月を知らずとも、練習相手がもうすぐできる。バリエーションを見ること、理論書だけでは分からない部分を埋めるには丁度良い。
上位種を殺せる武器にするには、まずは基礎を固める必要があるのだから。
それに俺は楽しみで仕方ない。あのルリベナが認めるほどの術師がいたとは思いもしなかったのだ。
無駄なことは考えず、夜が訪れる前に目的を達しよう。俺は一旦先のことを考えるのをやめ、血のつまった重たい骸を小屋に向けて運んでいった。
そして数時間経って、隠し小屋にルリベナが戻ってくる。
彼女は俺が積み上げた骸をちらと見た後、腕を組んだ。いつでも機嫌が悪く怒り眉のせいで、俺の成果に満足したかどうかも定かではない。
「……当然、準備は出来ているだろうな。我輩についてこい。妙な気を起こすなよ」
「はっ……」
やはり目線を向けただけで研究資材については何も言わず、ルリベナは指を後方に示す。踵を返す彼女の後ろをついていく。
辿り着いた先、単なる森と学び舎の境目で特徴のないそこには、俺の予想を超える人影があった。
「ふうん……この小汚い奴が、ルリベナ様を……」
「ルリベナ様、この子が本当に修練の相手と――」
その少女は、あまりにも小さかったのだ。特徴的な髪色だが、覚えがない。
すぐにルリベナから名を聞けたが、それも全く手がかりにならなかった。思っていた以上に、この舞台は広いのかもしれない。
「……両者距離を取って構えろ。戦闘の継続が不可能になった時点で勝敗を決める」
感情の乗らないルリベナからの指示に、俺は黙って従う。テンセンという名前らしい少女は、小さな掌を俺に向けた。
数舜後、凄まじい速度の暴風がすぐ脇を通り抜ける。ばきばきと木々が折れる音がしたが、俺の足は完全に固まっていた。
テンセンが口元をおさえて、ニヤニヤと笑った。明確にこちらを嘲笑っている。
「ええー、よっわ~! この程度も感知できないんですかー? 次は当ててあげますからね~」
「……なるほど。これが学院の術師というわけか」
ふうと一旦息をついて、次に備える。当ててくるというのなら、それを防ぎきるまでだ。月を見なければ、この修練に意味はない。
俺は掌を突き出し、テンセンの腕が動いたと思ったその時、魔法を行使した。エドムンドが死の瞬間まで頼り、継承してからも俺が磨き続けた唯一の守りを。
「『聖光の盾』――!」
ごおおと俺の耳元を、風の音がうねる。それが終わる頃には、テンセンはもう次の魔法に移っていた。
眼前に広がったのは、大量の魔力で出来た波。風と違って、巻き込まれれば鎧に溜まって窒息する。そうしたら終わりだ。
俺は必死で、疲労で固まりかけた脚を動かした。
「ちっ!」
「…………」
どうやら相手方も少しだけ余裕がなくなったようだ。優位を与えてやるつもりはない。
「……『聖光撃ち』!」
「『岩の穿』! あっはは! 大の大人が、押し負けちゃうなんて恥ずかしくないんですか~?」
俺が磨いてきたリシディア騎士の「聖光」は、悉くテンセンの魔法にかき消される。それだけ魔法の精度に差があるということだ。
(……なあ繧√$縺ソ。酷いことだけど、今楽しいと思っている自分がいるよ)
まだまだ改善点はあるということ。手探りで進んできたが、この世界の術師から学び、最適化していく段階に俺は今いるのだ。
高揚で俺の口から本心が漏れる。地獄耳か、テンセンのにやけた顔が苦虫を嚙み潰したように変わった。
「ふ、負けないぞ……!」
「……生意気っ!」
昨晩ルリベナの言った通り、この練度の術師相手に接近は難しい。どちらかが魔力切れを起こすまで、撃ちあいは続くだろう。
聖光撃ち、聖光の盾。剣に宿す光は使えないため、為せるのはシンプルな攻守の魔法のみだ。
だがテンセンの技の引き出しは比べ物にならないほど多い。観察している余裕なんてなく、どの魔法なのかも分からない。圧縮された理論を耳で聞いてすぐ判断できるものか。
このままでは月を見れずに終わってしまう。
俺は学んだばかりの「月」を、テンセンが撒き散らした水を使って映し出す。水面に輝いていた二つ月が塗りつぶされ、俺が模った偽りに変わった。
「『月映し』――さあここから、君の『月』を見せてもらおうか……!」
「……っ!」
テンセンの掌から青い光が零れた。俺はそれを魔力の盾と、足を動かして回避しようとする。
当たる度ばちばちと防護は剥がれ、返す「聖光撃ち」も解術魔法とぶつかったのとは比べ物にならないほど当てにならない。
やはり、これこそが。やがて俺が至るべき境地、上位種を討ち滅ぼす光なのだ。
そう思えたとき、分裂した月の魔法に視界が奪われる。あらゆる方向から青い光が飛び、俺の鎧に衝撃を与えた。