妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
七章 同じではない
男はスマホを持ち上げたまま、冴子さんを見ていた。
画面がこちらを向いている。
録画しているのか、写真を撮ろうとしているのかは分からない。
ただ、その構え方だけで、嫌な感じがした。
冴子「撮影は、ご遠慮ください」
冴子さんの声は小さかった。
怒っているようには聞こえない。
ただ、静かに事実を告げているだけだった。
男「あんたか? 冷たい女」
冴子「何のことでしょう」
男「とぼけんなよ。白い髪、奥の資料室、冷える場所。条件そろってんじゃん」
私は一歩、男の前に出た。
##「撮影禁止なんですから、ルールは守りましょうよ」
男が、初めて私をまともに見た。
##「警察沙汰になりたくないでしょ?」
言いながら、私は少しだけ思った。
最近、この地域、どんどん治安が悪くなっていないか。
迷惑な犯罪者。
怪談のような噂話。
そして、それを見に来ている野次馬。
……最後の一つは、あまり人のことを言えない。
男「お」
男はにやっと笑った。
男「なんだ、お前も仲間?」
##「仲間って何ですか」
男「だからその女、雪女の仲間」
##「雪女が雪も降らない街にいると思ってるんですか?」
男「違う?」
##「何にも知らねえんだな」
男は一瞬きょとんとした後、鼻で笑った。
男「お前に関係なくない?」
##「ここは公共施設なんでルールを守ろう、それだけです」
男「あー、そういうこと?」
男は冴子さんと私を交互に見た。
嫌な笑い方だった。
男「口説いてた?」
##「そういう話ではないです」
男「じゃあどういう話だよ。お前もこの女に用があったんだろ?」
##「私は郷土資料を見に来ただけです」
男「はいはい。郷土資料ね」
##「本当です」
男「じゃあ俺も郷土資料だわ」
男はスマホを下げない。
冴子さんは、何も言わずに男を見ていた。
その表情は、笑っているようにも、冷えているようにも見えた。
冴子「声を落としてくださいね」
男「声? このくらい普通だろ」
冴子「ここは図書館ですよ」
男「知ってるよ」
冴子「では、静かにしてください」
男「だから、あんたが噂の女か聞いてるだけだって」
男の声が少し大きくなった。
近くの棚の向こうで、誰かが身じろぎする気配がした。
空気が張る。
##「だから、そういう聞き方が迷惑なんですって」
男「迷惑?」
##「はい」
男「本人でもないのに?」
##「見れば分かるでしょう」
男「何が?」
##「嫌がってるじゃないですか」
男は冴子さんを見た。
冴子さんは、静かに男を見返した。
男「嫌がってるように見えないけど」
##「それはあなたが見ようとしてないだけです」
男「うわ、出た。正義マン」
##「正義とかじゃなくて、ルールの話です」
男「ルールルールってさぁ」
男はスマホを少し振った。
男「お前も見たいんだろ? この女が本物かどうか」
私は一瞬、言葉に詰まった。
それは、完全には否定できなかった。
見たい。
知りたい。
本当に、こういう人がいるのか確かめたい。
でも。
見たいという欲だけなら、私も同じだ。
だからこそ、違いだけは分かった。
私は彼女を持ち帰りたいのではない。
怖いまま、そこにいてほしかった。
##「……見たい気持ちはあります」
男の顔が、勝ち誇ったように歪んだ。
男「ほらな。同じじゃん」
##「でも、同じではないです」
男「何が違うんだよ」
##「本を雑に扱ってない」
男「は?」
##「撮影禁止の場所で撮ってない」
男「細か」
##「大声で追い回してない」
男「追い回すって、まだ何もしてねえだろ」
男はそう言って、冴子さんの方へ一歩近づいた。
スマホのレンズが、また冴子さんに向く。
##「やめましょう」
男「やだね」
##「本当に警察呼ばれますよ」
男「呼べば? 俺は別に触ってないし」
##「撮ろうとしてるでしょう」
男「公共の場所にいる人を撮って何が悪いんだよ」
##「悪いです」
男「お前、つまんねえな」
男は私の肩越しに冴子さんへ声をかけた。
男「なあ、あんた。雪女なんだろ?」
冴子さんは答えない。
男「閉館後に息が白くなるんだってな。今やってみろよ」
私は自分の中で、少し温度が上がるのを感じた。
怒り、というより、違和感。
いや、怒りだ。
この男は、怖がっていない。
怖いものを、怖いものとして扱っていない。
ただ撮って、無理やり答えをつけて、持ち帰ろうとしている。
それが、妙に腹立たしかった。
##「やめろよ」
男がこちらを見る。
男「あ?」
##「そんなによぉ……大声で追い回してよぉ……」
自分でも、声が少し震えているのが分かった。
男「何だよ、お前」
##「本当に雪女だったとしたらどうするんだよ!」
郷土資料室が、しんとした。
男はぽかんとした顔をした。
男「は?」
##「違うかもしれない! ただの噂かもしれない! でも、もし本当にそういう人だったらどうするんだよぉ!」
男「意味わかんねえよ」
##「追いかけ回していいのは向こうなんだよ!」
男「はあ?」
##「俺たちは、怖がって、逃げ回って、それでも振り返っちゃう側だろうがよぉ!」
言った。
言ってしまった。
でも、もう止まらなかった。
##「それで、こわーい思いさせてもらってよぉ!」
男の顔が、少し引いた。
##「もしかしたら殺されちゃうかもしれねぇ! 消されちゃうかもしれねぇ!」
男「お、お前、何言って……」
##「そういう理不尽さ込みで、怖い噂なんだろうがよぉ!」
男「いや、だから意味が」
##「そんな覚悟もない奴がよぉ!」
私は、男のスマホを持つ手首を掴んだ。
##「こわい噂追ってんじゃねーよ!」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
ただ、この男が怪談を怖がらず、勝手に持ち帰ろうとすることだけは許せなかった。
男「キモ……」
男が、心底引いた顔でそう言った。
それは否定できなかった。
##「キモいのは認める!」
##「でも、お前のは違うだろうがよぉ!」
男「何がだよ!」
##「お前は怖がりに来たんじゃない! 撮りに来ただけだろ!」
男の顔が歪む。
男「うるせえな、離せよ!」
##「離したら撮るでしょうが!」
男「撮るわ! そのために来たんだよ!」
##「最悪だな!」
男「お前の方が最悪だろ!」
それも否定しづらかった。
しかし、今はそれどころではない。
男が腕を振り払おうとし、私はそれを止めようとする。
結果として、二人でぐらつきながら棚の方へ寄っていった。
冴子「……」
冴子さんは、口元に手を当て、静かに見ていた。
その目が、男ではなく、私を見ている気がした。
冴子「本当に雪女だったとしたら、ですか」
小さな声だった。
でも、私には聞こえた。
冴子「くす」
その笑い声の直後。
男の肘が、本棚に当たった。
棚が揺れる。
古い郷土資料が一冊、二冊、床に落ちた。
乾いた音が、郷土資料室に響いた。
その瞬間。
部屋の温度が、すっと下がった。
冴子さんの笑みが、変わった。
冴子「あら」
男も、私も、動きを止めた。
冴子さんは落ちた本を見て、それから男を見た。
冴子「私の棚が、乱れましたね」
八章 静かになりましたね
男「あ? なにが私の棚だ、偉そうに」
俺は、思った。
こいつは当たりだ。
絶対に、当たりだ。
白い髪。
冷たい空気。
郷土資料室の奥。
意味ありげなことを言う女。
どう見ても、普通じゃない。
絶対に雪女だ。
いや。
本当に雪女かどうかなんて、もうどうでもよかった。
本物でも、偽物でも、怪しければいい。
白い髪で、冷たい部屋にいて、少しでも怯えた顔をすれば、それだけで使える。
動画にして、タイトルをつける。
『市立図書館の奥で雪女を発見』
『冷たい女に声をかけた結果』
『白い髪の怪異、ガチでいた』
本物かどうかなんて、誰も最後まで見やしない。
噂なんて、面白おかしければ勝手に広がる。
コメント欄が騒げばいい。
怒るやつがいれば、なおいい。
炎上すれば、もっといい。
男「偉そうにしてんじゃねえよ」
俺はスマホを握り直した。
男「撮られて困るなら、こんなとこに出てくんな」
白い女は、怒らなかった。
ただ、床に落ちた本を見ていた。
それから、ゆっくりと俺を見た。
冴子「あら」
声は小さい。
なのに、耳の奥ではなく、頭の奥に直接入ってきた。
冴子「撮られて困るなら、出てくるな」
女は、口元に手を当てた。
冴子「面白い考え方ですね」
男「何がだよ」
冴子「では、あなたは」
白い髪が、ほんの少し揺れた。
冴子「冷やされて困るなら、熱くならなければいいのでは?」
意味が分からなかった。
だが、その瞬間、空気が変わった。
冷房なんてものじゃない。
皮膚の表面を撫でる冷たさではない。
骨の内側に、白い針を一本ずつ刺されるような冷たさだった。
最初に、指先の感覚が消えた。
スマホを握っているはずの右手が、急に遠くなる。
自分の手なのに、自分のものではない。
男「……っ」
声を出そうとした。
出なかった。
喉の奥が乾いたわけではない。
凍っている。
唾を飲み込もうとしても、喉が動かない。
舌の上に、細かい雪を乗せられたみたいだった。
冴子「撮影禁止の約束を破りましたね」
一歩。
冴子「図書館で大声を出しましたね」
もう一歩。
足音はしない。
なのに、近づくたびに、俺の体の中から音が消えていく。
心臓の音。
呼吸の音。
血が流れる音。
人間の体の中には、こんなにたくさん音があったのかと、初めて気づいた。
そして、それがひとつずつ止まっていく。
冴子「私の静かな時間を、壊しましたね」
違う。
俺はそう言おうとした。
違う。
ちょっと撮ろうとしただけだ。
動画にして、少し盛って、コメント欄で騒がせるだけだった。
いつものことだ。
誰も死んでいない。
大したことじゃない。
そう言いたかった。
でも、言えない。
口が動かない。
代わりに、頭の中で、自分が上げてきた動画のサムネイルが次々に浮かんだ。
怪奇現象は実在した。
人間社会に紛れ込む妖怪女性。
この女は人間ではないという嘘の投稿。
コメント欄の笑い声。
「ガチ?」
「怖すぎ」
「女さん逃げてて草」
「本物なら続報求む」
「追え追え」
その文字が、全部、白く凍っていく。
画面の中の女たちの顔が、こちらを向いた。
俺が勝手に怪談にした女たち。
俺が勝手に名前をつけた女たち。
俺が勝手に怖がらせて、勝手に笑いものにした女たち。
その全部が、冷たい目で俺を見ていた。
冴子「私を雪女だと決めましたね」
白い女が、静かに言った。
冴子「そう名乗ったわけでもないのに」
冴子「何も知らずに」
冴子「私に何をしても構わないと思った」
口元の笑みが、少しだけ深くなる。
冴子「でしたら、私も、あなたを静かにしてしまっても構いませんね」
俺は首を振ろうとした。
振れなかった。
冴子「あなたは、やりすぎました」
足元で、ぎゅ、と音がした。
雪を踏む音だった。
図書館の床なのに。
郷土資料室なのに。
俺の靴の下には、いつの間にか白い雪があった。
いや、あるはずがない。
床は床だ。
本棚は本棚だ。
蛍光灯は蛍光灯だ。
なのに、視界の端で、白いものが降っている。
紙片か。
埃か。
雪か。
分からない。
冴子「あなたが見たものを、外へ持ち出してはいけません」
冴子「私の場所を、見世物にしてはいけません」
冴子「私の静かな時間を、騒がせてはいけません」
男「……」
俺は言おうとした。
もうしない。
そう約束すれば、許される気がした。
雪女の話には、そういう約束がある。
見たことを言わなければ助かる。
言わなければ帰れる。
秘密にすれば、生きられる。
そう思った。
だが。
俺のスマホの画面が、勝手に光った。
下書き。
予約投稿。
撮影済みの写真。
作りかけのタイトル。
煽り文句。
『市立図書館の奥で白い女を見つけた』
『このあと公開』
俺は、それを見てしまった。
冴子「もう、言うつもりだったのですね」
男「……っ」
違う。
まだ投稿していない。
まだ言っていない。
まだ外に出していない。
そう叫びたかった。
でも、声は凍っている。
冴子「では、約束はできませんね」
白い女が、さらに近づいた。
目の前に立っている。
近い。
白い髪。
冷たい目。
口元に添えた指先。
その唇から、白い息がこぼれた。
冴子「寒いですか?」
息が、俺の顔に触れた。
ただの息ではなかった。
吹雪だった。
目を閉じる暇もない。
まつ毛が凍る。
頬の感覚が消える。
耳の奥が白くなる。
胸の中で、心臓が一度だけ大きく鳴った。
どくん。
次が来ない。
来い。
鳴れ。
鳴れよ。
俺は体の中で叫んだ。
けれど、体は反応しなかった。
手も。
足も。
喉も。
舌も。
肺も。
心臓も。
全部が、俺から少しずつ離れていく。
雪の中に置き去りにされたみたいに。
冴子「それはよかった」
何がよかったんだ。
やめろ。
もういい。
撮らない。
投稿しない。
追わない。
逃げる女に声もかけない。
でっちあげもしない。
噂にしない。
だから。
そう思った。
思っただけだった。
口は動かない。
声は出ない。
スマホの画面が見えた。
録画ボタンは押されていない。
画面の中には、俺の顔が映っていた。
真っ青だった。
唇が紫色になっている。
目だけが見開かれている。
さっきまで、怪異を暴く側のつもりだった顔。
今は、ただの獲物の顔だった。
冴子「怒る熱も」
床に落ちた本のそばで、白い息が揺れる。
冴子「騒ぐ熱も」
白い髪が、静かに揺れる。
冴子「誰かを見世物にする熱も」
彼女の声は、どこまでも静かだった。
冴子「ここには要りません」
視界の端に、あの会社員の男が見えた。
さっきまで俺に掴みかかってきた、気持ち悪い男。
あいつも黙っていた。
いや、たぶん、何が起きているのか分かっていない。
見えているのは、俺が急に固まって、膝をついたところだけかもしれない。
違う。
助けろ。
そう思った。
だが、その言葉すら凍った。
心の中まで、白くなっていく。
怒りが消える。
焦りが消える。
欲が消える。
承認欲求が消える。
有名になりたいという熱が消える。
最後に、恐怖だけが残った。
恐怖だけが、やけに鮮明だった。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
初めて、本当に怖いと思った。
俺が追い回してきたもの。
俺が笑いものにしてきたもの。
俺が軽く扱ってきたもの。
その全部が、こちらを見ている。
冴子「静かになりましたね」
その声で、俺の意識は、雪明かりみたいに白く塗りつぶされた。
最後に聞こえたのは、自分の心臓が止まったような、ありえない静けさだった。