ハリー・ポッターと東洋の魔剣士 作:キャン
十二月二十三日、月曜日。
日本から届いた木箱は、悠太が想像したより大きかった。
変身術の教室の前方を、机二つ分も占領している。
周囲には、英国魔法省の検査済みを示す紫色の封印と、日本魔法省の赤い印が並んでいた。
箱の側面には、墨で宛名が書かれている。
『英国ホグワーツ魔法魔術学校
グリフィンドール寮
渡辺悠太殿』
自分の名なのに、城の中で漢字を見ると、誰か別の生徒へ届いた荷物のように見えた。
「ずいぶん大きいね」
ハリーが言った。
「君も中に入れそうだ」
「僕を送り返す為の箱じゃない」
「まだ開けてないから分からないぞ」
ロンは箱の裏側を覗き込んだ。
「日本魔法省が、休暇中に問題を起こしそうな留学生を回収するのかもしれない」
「それなら、君も一緒に入って」
「僕は英国の問題だから管轄外だ」
「二人とも、箱から離れなさい」
マクゴナガル先生の声で、ハリーとロンが同時に一歩下がった。
教卓の上には検査記録が三枚置かれている。
「国際魔法協力局と本校による確認は終了しました。危険な呪物、違法な生物、未申告の魔法薬は入っていません」
「生物も送れるんですか?」
ロンが尋ねた。
「申告しても、学生宛てには認めません」
「残念だな」
「何を期待したの?」
「日本の魔法生物には八つの頭を持つ蛇とかいるんだろ?」
「飼育できると思う?」
「思わないから面白いんだろ」
マクゴナガル先生が眼鏡の上から見た。
ロンは口を閉じた。
「ワタナベ。開封しなさい」
「はい、先生」
悠太は赤い封印へ手を伸ばした。
紙は魔法で箱に貼りつき、端を引いても動かない。
「杖で印の中央に触れてください」
「はい」
縄文杉の杖先が赤い印へ触れる。
封印の文字が一度だけ金色に光った。
硬かった紙が乾いた葉のように剥がれる。
箱の蓋が、少し持ち上がった。
最初に流れ出したのは、木と茶の匂いだった。
ホグワーツの石壁にも、暖炉の煙にも似ていない。
けれど悠太の身体は、頭で考えるより先に息を吸った。
「故郷の匂い?」
ハリーが尋ねた。
「たぶん」
「たぶん?」
「木箱の匂いかもしれない」
ロンが蓋の隙間へ鼻を近づけた。
「僕には菓子の匂いがする」
「君は何でもそこへ結びつけるね」
「当たっていれば才能だ」
蓋を開けると、一番上に白い封筒があった。
個人の名はない。
左下に『日本魔法省教育局』とだけ印刷されている。
悠太は中の便箋を開いた。
「何て書いてある?」
ハリーが隣から覗く。
「交換留学生、渡辺悠太殿。冬季休暇中の生活と訓練に必要な物品を送付する。食品は同級生および教職員と分けても差し支えない。訓練具の使用は在籍校の規則に従うこと」
「それだけ?」
「うん」
「よいクリスマスを、とかは?」
ロンが尋ねる。
悠太は便箋の裏も見た。
「ない」
「役所から来た手紙だな」
「英国の役所も同じなの?」
「父さんの話を聞く限り、もっと長く書いて、言ってることは同じくらい少ない」
マクゴナガル先生の口元が、ほんの少し動いた。
悠太は便箋を封筒へ戻した。
手紙は短い。
それでも、宛名は間違っていなかった。
箱の中には、薄い木箱がいくつも重ねられていた。
煎茶。
玄米茶。
羊羹。
饅頭。
金平糖。
ハリーとロンには読めない文字を、悠太が一つずつ声に出す。
「最後のは何?」
「砂糖菓子。星みたいな形をしてる」
「それは僕が英国を代表して確認しないと」
ロンが小箱へ手を伸ばす。
悠太は箱を持ち上げた。
「クリスマスまで待って」
「検査は終わったって先生が言った」
「君の我慢の検査が残ってる」
「そんなの不合格でいい」
「では、没収します」
マクゴナガル先生が言った。
ロンの手が止まった。
「待てます」
「よろしい」
食品の下には、紺色の布包みが入っていた。
広げると、綿の入った羽織が現れた。
光の当たり方で、濃紺の表地に細い波模様が浮かぶ。
家紋も、華美な刺繍もない。
袖を通してみる。
肩の位置も、袖の長さも合っていた。
「似合う」
ハリーがすぐに言った。
「ローブより軽そうだな」
ロンは袖を触った。
「でも温かい」
「寸法を知らせたのですか?」
マクゴナガル先生が尋ねる。
「いいえ。留学の書類には身長を書きましたけど、肩幅や袖の長さまでは」
「教育局が制服の記録を持っているのでしょう」
「そうかもしれません」
悠太は袖口を見た。
少しも余らない。
成長する十一歳へ送る服なら、普通はもう少し大きく作るはずだった。
けれど、今の自分には正確に合っている。
箱の底に、最後の布包みがあった。
細長い。
悠太が持ち上げると、腕の中へ馴染む重さが返ってきた。
結び目を解く。
白樫の木刀だった。
「それが訓練具?」
ハリーが尋ねる。
「うん」
「杖じゃないのか?」
ロンは不思議そうに見た。
「魔法を使わない剣術の稽古に使う」
「魔法使いが、魔法を使わずに?」
「箒の練習だって、ずっと呪文を唱えてはいないだろ」
「落ちる時には唱えたいけどな」
悠太は柄を握った。
指を置く場所を、確かめる必要がなかった。
右手。
左手。
二つの拳の間を少し空ける。
切っ先を下げない。
肩の力だけを抜く。
誰にも教えられていないのに、身体が順番を知っていた。
木刀を箱と平行に寝かせる。
動かしたのは、それだけだった。
それでも教室の空気が一瞬だけ静かになった。
「今、何かした?」
ハリーが尋ねる。
「持った」
「持っただけには見えなかったぞ」
ロンが言う。
「日本では、どう持つかも稽古のうちなんだ」
悠太はそう答えた。
自分がいつ、誰から、それほど繰り返し教わったのかは考えなかった。
考えると、鏡の中の顔のない人々まで近づいてくる気がした。
「その木剣には、魔法的な危険はありません」
マクゴナガル先生が言った。
「しかし、木であっても人を傷つけます。寮の寝室や廊下で振ることは禁止します」
「はい、先生」
「稽古をする場合は、私かフリットウィック先生へ事前に申し出なさい。場所と時間を指定します」
「分かりました」
「ウィーズリー相手に試さないこと」
「僕は何も言ってません」
ロンが抗議した。
「言う前に禁止しました」
「先生は未来が見えるんですか?」
「あなたの考えることは、未来を見るほど難しくありません」
ハリーが笑いを堪える。
悠太は木刀を布へ戻した。
紐を結び直す手も、最初から結び方を知っていた。
教育局の手紙には、送った者の名がない。
誰が茶を選んだのか。
誰が甘い物を入れたのか。
誰が自分の腕に合う木刀を知っていたのか。
答えは、どこにも書かれていなかった。
*
木箱を談話室まで運んだのは、パーシーだった。
正確には、パーシーが杖で浮かせ、三人が周囲の生徒へ道を空けるよう頼んだ。
「階段の途中で蓋を開けないこと」
「開けません」
悠太が答える。
「中身を廊下へ落とさないこと」
「落としません」
「双子に見せないこと」
「それは難しいと思います」
曲がり角の向こうから、二つの赤い頭が同時に現れた。
「何を見せないんだ?」
「僕らへ何を隠している?」
「教育局から届いた荷物です」
悠太が答えた。
「危険物はありません」
「君がそう言うと、かえって期待できる」
「箱がこの大きさなら、ブラッジャーを十二個は隠せるな」
「隠しません」
「十個?」
「零個です」
パーシーが箱を双子の頭上まで浮かせた。
「道を空けろ」
「監督生が後輩の贈り物を独占しているぞ」
「権力の濫用だ」
「談話室で見せますから、先に行ってください」
悠太が言うと、二人は素直に道を空けた。
「日本の後輩は交渉が分かる」
「弟とは違う」
「僕もここにいるぞ」
ロンが言った。
「知ってる」
双子は同時に答えた。
箱が談話室へ着く頃には、残っていた生徒のほとんどが集まっていた。
悠太は日本茶と和菓子をクリスマスに分けると約束した。
それから、木刀を寝室の自分のトランクへしまった。
羽織は寝台の柱へ掛ける。
濃紺の布が、赤い天蓋の横で静かに揺れた。
日本の物なのに、そこへあることを拒んでいるようには見えなかった。
「それで、これは何?」
ハリーが尋ねた。
悠太の寝台の上には、別の小包が四つ並んでいた。
「贈り物」
「僕らに?」
「二つはね」
ロンが一番大きな包みへ手を伸ばす。
悠太はその手を払った。
「クリスマスまで」
「またそれか」
「あと二日だよ」
「菓子を前にした二日は、普通の二日とは違う」
「誰が菓子だと言った?」
「違うのか?」
「言わない」
「じゃあ菓子だ」
ロンは満足そうに結論づけた。
細長い二つの包みには、すでに宛名があった。
ハーマイオニー・グレンジャー。
パーバティ・パチル。
「どうやって送る?」
ハリーが尋ねた。
悠太は答えなかった。
ハリーが窓の外を見た。
雪の上を、一羽の梟が低く飛んでいる。
「梟便だね」
「他の方法は?」
「梟便」
ロンも言った。
「二回言っても、別の方法にはならないよ」
「先生に頼む?」
ハリーが尋ねる。
悠太は二つの包みを見た。
渡したいのは自分だった。
鳥が怖いからと、贈るところまで誰かへ任せたくはない。
けれど、一人で梟小屋の中へ入れるとも思えなかった。
「明日、二人とも一緒に来てくれる?」
「もちろん」
ハリーが答えた。
「菓子なら、運び賃を一つもらう」
ロンが言う。
「違ったら?」
「確認してから決める」
「君には見せない」
「それは不公平だ」
悠太は細長い包みを持ち上げた。
ハーマイオニーへ送るのは、日本魔法の入門書だった。
マホウトコロの初学者向けに作られた、英訳つきの薄い本。
留学の荷物へ入れてきた一冊で、端には悠太自身の書き込みが少しある。
『いつも英国の魔法と英語を教えてくれてありがとう。
今度は、僕が少し知っている方です。
質問は新学期に。よいクリスマスを。
悠太』
英語で書いた文章を、ハリーが一度読み、ロンが一か所だけ直そうとした。
ハリーと悠太は、その修正を採用しなかった。
パーバティへ送る包みは、もっと細い。
中には竹で作られた小さな栞が入っている。
青い紐と、波を重ねた模様。
悠太が日本から持ってきた教科書に挟まれていた物だった。
『最初の日に地図を作ってくれたこと。
課題の表と、試合の幸運の糸もありがとう。
そのお礼です。よいクリスマスを。
悠太』
恋愛の言葉は一つもない。
悠太の中にも、そのつもりはなかった。
もらった親切の数を覚えていたから、同じ数だけ礼を書いただけだった。
それでも、受け取る者にとっては、数えられていたこと自体が贈り物になる場合がある。
悠太は、まだそれを知らなかった。
*
十二月二十四日の朝、梟小屋には五十羽以上の梟がいた。
悠太には百羽ほどに見えた。
石の塔の内側を、羽音が何度も往復する。
止まり木の上。
梁の陰。
開いた窓の縁。
どこを見ても丸い目がある。
「入口で待ってもいいよ」
ハリーが言った。
「ここまで来たから」
悠太は答えた。
足は入口の石を越えていなかった。
「ここも梟小屋の一部だよ」
「そういうことにする?」
「うん」
ロンは笑わなかった。
大きな灰色の梟が頭上を横切る。
悠太の身体が壁へ寄った。
木刀を握った時には迷わなかった指が、小包の紐を強く掴んでいる。
「小さいのを選ぼう」
ロンが小屋の中を見回した。
「二つだから、二羽いる」
「一羽に二つは?」
「宛先が違う。途中で本人が混乱する」
「梟が?」
「僕が」
赤褐色の小さな梟が、低い止まり木で片足を上げた。
隣には、白と茶の斑になった梟がいる。
二羽とも、大型の鷲梟よりはずっと小さい。
「あの二羽は?」
悠太が尋ねた。
「よさそうだ」
ハリーが近づく。
赤褐色の梟は腕を差し出されると、ためらわず移った。
ハリーの肩ほどの高さに上がっただけで、悠太の呼吸が浅くなる。
「これ以上は近づけなくていい」
「でも、僕の荷物だ」
「だから、紐を渡して」
ハリーが手を伸ばした。
悠太は包みを渡す。
逃げたわけではない。
怖くないふりをして、落としたり梟を驚かせたりするより安全な方法を選んだ。
マダム・フーチの再試験で覚えたのと同じだった。
「これはハーマイオニーへ」
「分かった」
ハリーが包みを脚へ結ぶ。
ロンはもう一羽を止まり木のまま扱い、パーバティの包みを結んだ。
「住所は?」
「マクゴナガル先生に確認してもらった。封筒の内側にある」
「準備がいいな」
「ハーマイオニーに教わった」
「本人がいなくても働いてる」
二羽の梟が羽を広げた。
悠太は身を固くしたが、目を閉じなかった。
「お願いします」
日本語で言う。
赤褐色の梟が一度だけ首を傾けた。
「通じたと思う?」
ロンが尋ねる。
「君よりは理解してる顔だった」
「それは基準が低いぞ」
二羽が窓から飛び出した。
雪の空へ、小さな影が二つ遠ざかる。
悠太は、見えなくなるまで立っていた。
怖さは消えなかった。
次に大きな梟が羽ばたけば、やはり肩が動くと思う。
それでも、贈り物は飛んでいった。
「戻ろう」
ハリーが言った。
「うん」
「運び賃は?」
ロンが尋ねる。
「君は何も運んでないだろ」
「梟を選んだ」
「あとで金平糖を一つ」
「一箱」
「一粒」
「間を取って半箱」
「間が広すぎるよ」
三人の声が螺旋階段を下りていった。
小屋に残った梟たちが、誰も追いかけてこないことを確かめるまで、悠太は一度だけ振り返った。
*
同じ日の午後、グレンジャー家の台所の窓を、赤褐色の梟が叩いた。
ハーマイオニーの母親は、手にしていた布巾を落としかけた。
ハーマイオニーは椅子から飛び下りた。
「学校の梟よ。大丈夫」
「あなたたちの学校では、それで十分な説明なの?」
「たいていは」
窓を開けると、冷たい風と一緒に梟が入ってきた。
脚から包みを外し、用意していた梟用の餌を渡す。
日本語の文字が見えた時点で、送り主は分かった。
包みの中から、英語と日本語が並んだ魔法入門書が現れる。
ハーマイオニーは最初の頁を開いた。
欄外に、悠太の文字がある。
『この術は英国の浮遊呪文と似ているが、紙か布にしか使わない』
次の頁には、別の書き込み。
『先生は簡単だと言った。簡単ではなかった』
ハーマイオニーの口元が緩んだ。
「お友達から?」
父親が尋ねた。
「ええ。日本から来た同級生」
「クリスマス休暇にも勉強の本を贈るの?」
「これは勉強だけじゃないわ」
答えてから、もう一度表紙を見た。
たしかに本だった。
しかも、質問したい箇所は目次だけで七つある。
ハーマイオニーは便箋を出した。
『受け取りました。ありがとう。
まだ第一章だけだけれど、質問が十二個あります。
新学期までには増えると思います。
それから、三人だけで立入禁止の棚へ行っていないでしょうね。
よいクリスマスを。
ハーマイオニー』
最後の一文を書いたあと、少し考える。
『本当にありがとう』
その一行を加えた。
*
パチル家へ着いた斑の梟は、屋根の上で雪を落としてから窓辺へ降りた。
包みを開けたパーバティは、竹の栞を両手で持った。
青い紐。
細い波模様。
紙に挟めば隠れてしまうほど小さい。
「誰から?」
向かいにいたパドマが尋ねた。
「同じ寮の友達」
「名前が書いてあるわ」
「見れば分かるでしょう」
「悠太」
パドマが読んだ。
パーバティは手紙を裏返した。
「勝手に読まないで」
「名前しか読んでない」
「それで十分よ」
「地図と、課題表と、幸運の糸のお礼」
「読んでるじゃない」
「表から透けて見えたの」
「嘘」
パーバティは手紙を包み紙の中へ戻した。
栞は、持ってきた教科書ではなく、寝台の脇に置いていた物語の本へ挟む。
一度閉じた。
すぐに開き直し、栞が折れていないことを確かめた。
恋人からの贈り物ではない。
悠太は、そんな意味で送っていない。
それでもパーバティは、青い紐が頁の外に見える場所を選んだ。
*
十二月二十五日、水曜日。
「起きろ。クリスマスだ!」
ロンの声で、悠太は目を開けた。
天蓋の外はまだ薄暗い。
窓には雪が張りつき、硝子越しの空が青白く光っている。
寝台の足元には、昨夜までなかった包みが積まれていた。
「本当に寝てる間に増えるんだ」
悠太が起き上がる。
「クリスマスだからな」
ロンはもう自分の包みを一つ破いていた。
「普段だったら盗難だよ」
「贈り物に最初から名前が書いてあるだろ」
ハリーも眼鏡を探しながら身体を起こした。
手が枕元を二度さまよう。
悠太は何も言わず見ていた。
それから、自分の足元へ目を戻す。
三つの包みがある。
一つにはハリーの文字。
一つにはロンの文字。
一つには、きちんと揃ったハーマイオニーの文字。
日本魔法省の印はない。
役所の定型文もない。
誰が選んだのか、尋ねる必要がなかった。
「先に開けていい?」
「そのための朝だろ」
ロンが言った。
ハリーからの包みには、黒い毛糸の手袋が入っていた。
掌と指の内側だけ、箒の柄を握っても滑りにくい革で補強されている。
「練習の時、いつも指が動かなくなってただろ」
ハリーが言った。
「見てたの?」
「同じ練習にいるからね」
悠太は手袋をはめた。
少しだけ指先が余る。
来年にも使える大きさだった。
「ありがとう。次の練習で使う」
「雪が下から降らなければ」
「その条件、まだ残ってたんだ」
ロンの包みからは、橙色の小さな徽章が出てきた。
大砲の絵と、チャドリー・キャノンズの頭文字がついている。
縁には少し傷があった。
「同じのを二つ持ってたんだ」
ロンが言った。
「本当に?」
「昔は」
「今は一つしかないね」
「細かいことを気にするなよ」
悠太は徽章を羽織の胸元へ留めた。
濃紺の布に、橙色の大砲はよく目立つ。
「そこにつけるのか?」
「嫌?」
「全然」
ロンはすぐに答えた。
ハーマイオニーの包みには、小さな英語辞典が入っていた。
普通の単語だけでなく、英国魔法界で使われる言い回しが載っている。
最初の頁に手紙が挟まれていた。
『ロンから新しい表現を教わった時は、使う前に確認すること。
でも、全部を本で覚えようとしないこと。
会話は間違えても続けた方が上達します。
ハーマイオニー』
「どういう意味だ?」
ロンが尋ねる。
「君の英語は信用できないって」
「そんなことは書いてないだろ」
「最初の一行に書いてある」
「僕にも見せろ」
悠太は辞典を閉じた。
「贈り物だから、貸さない」
「ハーマイオニーみたいなことを言うなよ」
「本をもらったから、少し移ったのかも」
ハリーが笑った。
「今度は僕らの番だ」
悠太は寝台の下から、前日に隠した二つの包みを出した。
ロンへ渡した箱には、金平糖が入っている。
蓋を開けると、白、桃色、黄色、薄緑の小さな粒が並んでいた。
「本当に星みたいだ」
ハリーが一つ覗く。
ロンは三つまとめて口へ入れた。
「甘い」
「砂糖菓子だからね」
「色で味が違う?」
「少し」
ロンは黄色と緑を続けて食べた。
「同じくらい甘い」
「違いを調べる前に数がなくなるよ」
「研究には標本が必要だ」
「食べたら標本じゃない」
ハリーへの包みは、薄くて硬かった。
中から出てきたのは、濃い緑色の眼鏡入れと、柔らかい布だった。
「眼鏡?」
「入れ物。いつも枕元へそのまま置いてるから」
「君、それで見てたのか」
ロンが言った。
「見ないと気づかないだろ」
悠太が答える。
ハリーは眼鏡を外し、新しい布で拭いた。
何度も洗われて細くなったテープ。
少し曲がった蔓。
特別な魔法は何もない入れ物へ、眼鏡を一度収める。
蓋が小さく鳴って閉じた。
「ぴったりだ」
「眼鏡用だからね」
「ありがとう」
ハリーは、もう一度眼鏡をかけた。
高価な物ではない。
両親のことも、傷痕のことも、生き残った男の子であることも書かれていない。
毎日使う物を、同級生が気づいて選んだだけだった。
ハリーには、それが嬉しかった。
「これ、母さんからだ」
ロンが別の包みを開けた。
暗い赤色の手編みのセーターを持ち上げる。
「またこの色だ」
「嫌なの?」
悠太が尋ねる。
「毎年同じなんだ。母さんは僕が暗い赤を好きだと思ってる」
「違うの?」
「嫌いじゃない。でも、毎年だぞ」
ハリーの包みからは、鮮やかな緑色のセーターと、手作りのファッジが出てきた。
添えられた短い手紙を読んで、ハリーの表情が変わる。
「君の分もあるのか?」
「うん」
「母さんに、君が休暇中も学校に残るって書いたんだ」
ロンは、自分のセーターを頭からかぶった。
「よかったな。これで君も、毎年同じ色を送られる入口に立った」
「僕はこの色が好きだよ」
「最初の年だからだ」
ハリーは笑いながら緑のセーターを着た。
ほかにも贈り物があった。
ハグリッドからは、粗く削られた木の笛。
ハーマイオニーからは、蛙チョコレートの箱。
ダーズリー家からは、短い紙片と五十ペンス硬貨が一枚。
「これだけ?」
ロンが硬貨をつまんだ。
「うん」
「マグルのお金だろ。変わった形だ」
「日本の硬貨とは違うね」
悠太が見た。
「使えるの?」
「学校では使えない」
「じゃあ、どうして送ったんだ?」
ハリーは肩をすくめた。
「送らなかったとは言われたくなかったんじゃないかな」
ロンは硬貨を返した。
「僕なら、金平糖の方を選ぶ」
「比較する相手が違うよ」
贈り物の山の下に、もう一つ包みが残っていた。
差出人の名がない。
薄い茶色の紙に、ハリーの名だけが書かれている。
「誰から?」
悠太が尋ねた。
「分からない」
ハリーは紙を開いた。
中から、銀色がかった布が滑り落ちた。
水をそのまま布にしたように、床の上で光が流れる。
「まさか」
ロンが息を呑んだ。
「何?」
「着てみろ」
ハリーが布を肩へ掛けた。
次の瞬間、首から下が消えた。
眼鏡をかけた頭だけが、寝台の前に浮かんでいる。
「身体がない」
悠太が言った。
「あるよ」
見えない手が、悠太の肩を軽く押した。
「透明マントだ」
ロンは寝台から飛び下りた。
「本物の。こんなの、ものすごく珍しいぞ」
ハリーはマントを外した。
身体が銀色の布の下から戻ってくる。
包みの中には、もう一枚、小さな紙があった。
「君のお父さんが、昔これを預けた。返す時が来たので、君へ返す。大切に使うように。よいクリスマスを」
ハリーが読み上げた。
「名前は?」
ロンが尋ねる。
「ない」
「父さんの物だった」
ハリーはもう一度マントを広げた。
鏡の中で笑っていた、眼鏡をかけた黒髪の男性。
自分と同じように、後ろの髪が立っていた。
その人が、この布を肩へ掛けていた。
ハリーには、まだ見たことのない姿まで想像できた。
「触ってもいい?」
悠太が尋ねた。
「もちろん」
布の端を受け取る。
冷たくない。
温かくもない。
重さも、ほとんど感じない。
それなのに、指先から胸の奥へ、理由のない懐かしさが走った。
初めて城を見た時とは少し違う。
城は、大きな場所そのものが自分を覚えているように感じた。
この布には、誰かが笑ったあとの温度だけが残っている気がした。
顔は浮かばない。
声も聞こえない。
何をしていたのかも分からない。
ただ、知らない物へ触れたのではなく、長く返ってこなかった物を見つけたようだった。
「悠太?」
ハリーが呼んだ。
悠太は手を離した。
「ごめん」
「どうした?」
「懐かしい気がした」
「日本にもあるのか?」
ロンが尋ねる。
「隠れ蓑の昔話はある。でも、本物は見たことがない」
「なら、どうして懐かしいんだ?」
「分からない」
その答えを言う回数が、ホグワーツへ来てから増えていた。
鏡の中の人々。
木刀を握る手。
今度は、ハリーの父が残した透明マント。
どれも、知っている感じだけが先に来る。
名前と出来事は、あとから来なかった。
「これがあれば、誰にも見つからずにどこへでも行ける」
ロンが言った。
ハリーはマントを見つめた。
「鏡の部屋にも」
声が少しだけ低くなる。
悠太は何も言わなかった。
ダンブルドア先生は、鏡を移すと言った。
探さないようにも。
止めるための言葉を選ぶより先に、ハリーが自分でマントを畳み始めた。
「行かない」
「いいのか?」
ロンが尋ねる。
「父さんの物で、父さんを探しに行くのは変な気がする」
銀色の布を、慎重に包み紙へ戻す。
「それに、ダンブルドア先生が移したって言ってた」
「探せば見つかるかもしれない」
「探さない」
ハリーはもう一度言った。
鏡を忘れたわけではない。
両親を見たくなくなったわけでもない。
それでも、自分で畳んだ。
悠太は、何も褒めなかった。
褒めれば、我慢していることまで終わったように聞こえる気がした。
「じゃあ、立入禁止の棚は?」
ロンが言った。
ハリーと悠太が同時に彼を見る。
「ニコラス・フラメルだよ。このマントがあれば、マダム・ピンスにも見つからない」
「ハーマイオニーと約束した」
悠太が言った。
「休暇中に行かないって」
「あれはマントが来る前の約束だ」
「道具が増えたら約束が消えるの?」
「消えないけど、少し薄くなる」
「ならないよ」
ハリーが言った。
ロンが振り向く。
「君まで?」
「ハーマイオニーが戻ってから、四人で決めよう」
「立入禁止の棚へ行くかどうかを、ハーマイオニーと決めるのか?」
「たぶん、行かないことに決まるね」
悠太が答えた。
「会議の結果がもう分かってる」
「それでも待つ」
ハリーはマントを自分のトランクへしまった。
鍵を掛ける。
父から届いた道具を、父を追うためではなく、今いる友人との約束を守るために閉じた。
少なくとも、その朝は。
「朝食へ行こう」
ハリーが言った。
「その前に、金平糖をもう一つ」
ロンが箱へ手を伸ばす。
「朝食前だから一つだけ」
「さっき三つ食べた」
「だから、もう終わり」
「計算が厳しい」
「ハーマイオニーの辞典で、我慢を調べようか?」
「載ってないことにしてくれ」
*
大広間には、十二本の樅の木が立っていた。
枝には金色の灯りが浮かび、細い氷柱が音もなく伸び縮みしている。
天井から降る雪は、長卓へ届く前に消えた。
残っている生徒は少ない。
四つの寮の長卓は壁際へ寄せられ、中央に一つの大きな食卓が置かれていた。
ハリーは緑のセーター。
ロンは暗い赤のセーター。
悠太は濃紺の羽織。
胸には橙色の大砲がついている。
「その組み合わせは、日本で正しいのか?」
パーシーが徽章を見た。
「たぶん、英国でも正しくありません」
悠太が答える。
「贈り物だから正しいんです」
ロンが隣で胸を張った。
「君が言うと、規則違反の説明に聞こえる」
「今日はクリスマスだぞ、パーシー」
フレッドが肩へ腕を回した。
「監督生の徽章にも休暇を与えろ」
ジョージが徽章を外そうとする。
「触るな」
パーシーは二人の手を払った。
朝食のあと、外では雪合戦が始まった。
双子は最初から二人で一人を狙うという、平等から最も遠い作戦を採用した。
ハリーは雪の壁を作った。
ロンは壁の後ろから投げた。
悠太は新しい手袋で雪を固め、二人の間へ正確に返した。
「小さな将軍が防衛線を作ったぞ」
フレッドが叫ぶ。
「では、補給を絶つ」
ジョージが、ハリーの壁の後ろへ雪玉を投げ込んだ。
最初の一つがロンの頭へ当たる。
二つ目は悠太の羽織の袖へ入った。
冷たい雪が肘まで落ちてくる。
「降参」
悠太はすぐに言った。
「早いな」
「服の中へ入れるのは戦争じゃない」
「クィディッチなら?」
「審判が見ていなければクィディッチだ」
双子が同時に笑った。
「教えた甲斐があった」
城へ戻る頃には、全員の髪と靴が濡れていた。
悠太の手だけは、新しい手袋の中で温かかった。
*
クリスマスの昼食は、悠太がそれまでに見たどの食事より多かった。
大皿の鳥料理。
山のようなじゃがいも。
何種類ものソース。
炎を上げるプディング。
紙の包みを引くと、中から帽子や玩具や白い煙が飛び出した。
ハグリッドは花柄の帽子をかぶり、似合うかと三回尋ねた。
ダンブルドア先生は、青い紙帽子のまま真面目に食事をしている。
マクゴナガル先生だけは、銀色の猫耳がついた帽子を机の横へ置いていた。
「先生、かぶらないんですか?」
悠太が尋ねた。
「かぶりません」
「似合うと思います」
「減点されたいのですか?」
「今日は寮別の席ではありません」
マクゴナガル先生の目が細くなる。
「規則の隙間を探すのが上達しましたね」
「友人に教わりました」
悠太が左右を見る。
ハリーとロンは同時に料理へ視線を落とした。
「僕らじゃないぞ」
「まだ何も言ってない」
食事のあと、悠太は日本から届いた茶と菓子を出した。
厨房から運ばれた湯を、一度別の器へ移して冷ます。
「どうしてすぐ入れないんだ?」
ロンが尋ねる。
「熱すぎると苦くなるから」
「紅茶は熱い方がいい」
「これは煎茶」
「茶にも規則があるのか」
「パーシー先輩より少ないよ」
「聞こえているぞ」
離れた席からパーシーが言った。
湯を注ぐと、細い葉が器の中でゆっくり開いた。
香りは、木箱を開けた時より柔らかい。
悠太は最初の杯をマクゴナガル先生へ渡した。
「荷物を確認していただいたので」
「ありがとうございます」
先生は一口飲んだ。
「よい香りです」
「苦くありませんか?」
「ウィーズリーの淹れる紅茶よりは」
「僕は淹れてません」
ロンが言った。
「だからでしょう」
ハリーは饅頭を半分に割った。
中の黒い餡を見て、少しだけ迷う。
「甘いよ」
悠太が言った。
「君が甘いと言うなら、かなり甘いな」
一口食べる。
ハリーの目が少し大きくなった。
「本当に甘い」
「だから言った」
ロンは羊羹を指で持ち上げた。
「これは、固めたジャム?」
「小豆と砂糖」
「豆?」
「うん」
ロンの手が止まる。
「甘い?」
「うん」
「なら食べる」
判断は早かった。
フレッドとジョージは、玄米茶の香りを嗅ぎ、茶の中へ金平糖を入れようとした。
「それは別々に食べてください」
悠太が敬語で言った。
「先輩への敬意が、内容にない」
「日本の茶道では禁止されているのか?」
「僕の前で禁止します」
「新しい流派だ」
「渡辺流」
「今日できたばかりです」
ハグリッドは饅頭を二つまとめて食べた。
「こりゃ、うまいな」
「ありがとうございます、ハグリッド」
「日本じゃ、クリスマスにこれを食うのか?」
「いいえ。僕も、日本でどう過ごしていたかはあまり覚えていません」
答えたあと、偽りではないのに、言葉の奥へ小さな空洞ができた。
布団店。
閉じた戸。
もういない両親。
思い出そうとすれば景色はある。
そこに、誰と茶を飲んだのかだけが見えなかった。
「なら、今年のを覚えとけばいい」
ハグリッドが言った。
「最初の英国式だ」
「日本の菓子ですけど」
「細けえことはいい」
ハグリッドの大きな手が、悠太の肩を軽く叩いた。
「はい」
悠太は答えた。
ダンブルドア先生は、向かい側で静かに煎茶を飲んでいた。
一瞬だけ、濃紺の羽織へ目を留める。
何も尋ねなかった。
悠太も、誰が寸法を知っていたのかを尋ねなかった。
今日は、答えのない問いより、目の前で空になっていく菓子箱の方が大切だった。
*
夕方、グリフィンドールの談話室へ小さな梟が飛び込んできた。
悠太は羽音で肩を強張らせた。
ハリーがすぐに立ち、梟を卓上へ誘導する。
「君宛てだ」
脚から手紙を外し、悠太へ渡した。
「ありがとう」
梟が飛び去るまで、悠太は少し離れて待った。
封筒にはハーマイオニーの文字がある。
「もう返事?」
ロンが覗き込む。
「第一章だけで質問が十二個あるって」
「休暇中だぞ」
「まだ増えるらしい」
「恐ろしい本を送ったな」
「それから、立入禁止の棚へ行っていないでしょうね、だって」
ロンは暖炉を見た。
「本人がいないのに見られてる気がする」
「鏡より効くね」
ハリーが言った。
「最後に、本当にありがとうって」
悠太はその一行をもう一度読んだ。
字はほかの行と同じように整っている。
けれど、最初から書くと決めていた文ではないことが、少しだけ狭い行間で分かった。
「返事を書く?」
ハリーが尋ねる。
「明日」
「質問に答えるの?」
「まず、休暇中だから十二個までにしてって書く」
「もう十二個あるぞ」
「だから、増やさないでって」
「無理だな」
ロンが断言した。
暖炉の前には、昼に残った金平糖と蛙チョコレートの箱が置かれている。
ハリーは蛙を一つ開けた。
茶色い蛙が箱から跳び、ロンの暗い赤のセーターへ貼りつく。
「僕のだ」
「僕が開けた」
「僕の上にいる」
「居場所で持ち主は決まらないよ」
悠太が言った。
「その理屈なら、僕のセーターも君の物になるぞ」
「いらない」
「色を馬鹿にしたな」
「君が朝からしてた」
蛙はロンが捕まえる前に、もう一度跳んだ。
ハリーとロンが同時に追う。
悠太は笑いながら、散らばった包み紙を拾った。
日本魔法省からの便箋。
ハリーが書いた小さな札。
ロンの曲がった文字。
ハーマイオニーの手紙。
鏡の中の人々には、まだ名前がない。
透明マントに残る懐かしさにも、持ち主だったハリーの父以外、何の記憶もつながらない。
それでも、今ここにある物には、誰が選んだのか分かるものが増えていた。
温かい手袋。
橙色の徽章。
英語辞典。
緑の眼鏡入れ。
空になりかけた金平糖の箱。
クリスマスは、知らない誰かが過去を返す日だけではなかった。
今そばにいる者が、自分を見ていたと分かる日でもあった。
「悠太、蛙がそっちへ行った!」
ハリーが叫ぶ。
悠太は包み紙を置き、卓の下へ逃げた蛙を追った。
誰かが自分の名を呼ぶ方へ、今度は迷わず身体を向けた。
その夜、三人は透明マントを使わなかった。
立入禁止の棚へも行かなかった。
探していたニコラス・フラメルの名は、遠い棚の奥ではなく、クリスマスにもらった蛙チョコレートの箱の中で待っていた。
けれど三人は、最後の一つを翌日に残した。