日の暮れる頃、トリステイン魔法学院の広場は黒山の人だかりとなっていた。普段は静かな場所だが、今日は「万象」の美しき使い魔と、薔薇の貴公子ギーシュによる決闘を見届けようと、多くの生徒たちが詰めかけていた。
人混みの最前列には、心配そうに眉をひそめるルイズと、その隣で「ライ、絶対に負けるなよ!」と声を張り上げるサイトの姿があった。そして誰よりも冷徹な、しかし確固たる信頼をその瞳に宿したユーリアが静かに佇んでいた。広場の中央で、ギーシュは愛用の人工薔薇を掲げ自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「平民よ、ああは言ったが一応の慈悲は与えてやろう。今ここで僕のモンモランシーをかどわかしたことを謝罪し、許しを乞うなら、手加減をしてあげてもいいのだよ?」
対するライは、仕立ての良い上着の袖を軽くまくり上げながら、至って自然体で佇んでいた。武器らしきものは何も持っていない。そのあまりにも無防備な姿に、周囲の生徒たちからは「本当に大丈夫なのか?」と不安げな囁きが漏れる。
「その必要はないよ。卿の誇りを汚したというのなら、受けて立つのが僕の役割だ」
ライのどこか達観した、それでいて凛とした声音に、ギーシュは不快そうに眉を跳ね上げた。
「ふん、強がりを! 我が呼び声に応えよ、戦いをもたらす土の精霊!」
ギーシュが杖を振ると、地面の土が生き物のように盛り上がり、瞬く間に強固な青銅の身体を持つゴーレム「ワルキューレ」が姿を現した。人間の数倍はある巨体と、鈍く光る青銅の拳。その質量と迫力に観客たちから悲鳴に近い歓声が上がる。
「行け、ワルキューレ! その不遜な平民を叩き潰せ!」
ギーシュの命令とともに、巨躯のゴーレムが地響きを立てて突進した。振り下ろされる巨大な青銅の拳。まともに喰らえば、生身の人間などひとたまりもない一撃。ルイズが息を呑み、サイトが叫び声を上げようとした、その瞬間だった。ライの身体が、まるで陽炎のように揺らいだ。
「——え?」
ギーシュが呆然と呟く。ワルキューレの放った必殺の拳は、ライがほんの僅かに上体を反らしただけで、空を切り裂いた。ライにとってこのハルケギニアの魔法によるゴーレムの動きは、前世で幾度となく死線を潜り抜けたナイトメアフレームの駆動に比べれば、あまりにも遅く、あまりにも直線的で退屈なものだった。
かつて神聖ブリタニア帝国の研究者から肉体改造を受け、そして軍人として数々の戦場を駆け抜けてきた彼の戦術眼と超人的な身体能力は、異世界へ来ようとも何一つ錆びついてはいなかった。無駄のない洗練されたステップでゴーレムの懐へと潜り込んだライは、巨体のバランスが一瞬崩れたその刹那の隙を見逃さない。
「はあぁッ!」
短い呼気とともに、ライの鋭い蹴りがゴーレムの膝の関節部分へと叩き込まれた。ただの平民の脚力ではない。体重移動と骨撃の理を完璧に把握した、軍人としての容赦のない一撃。そしてゴーレムを足蹴に跳躍し、彼は見様見真似でスザクが放っていた勢いある回転蹴りで追撃した。やがて凄まじい衝撃音が響き渡り、青銅でできていたはずのゴーレムの脚が、まるで脆いガラス細工のように粉々に砕け散った。
「な、何だと!?」
ギーシュが驚愕に目を見開く間もなく、バランスを失って倒れ込んできた巨体をライは流れるような動作で利用した。自重で崩れる青銅の腕に手をかけ鮮やかな背負い投げの要領で、ワルキューレの巨体を残った自重ごと地面へと叩きつけたのだ。轟音と共に広場の石畳が激しく砕け、土煙が舞い上がる。
完全に破壊されただの土の塊へと戻っていくワルキューレの姿に、観客たちは声も出せずに硬直していた。杖による魔法の詠唱も、武器の携帯すらなく、ただの生身の体術だけで貴族の召喚したゴーレムを紙切れのように破壊した。その圧倒的な戦闘技術に、周囲の生徒たちは恐怖すら交じった戦慄を覚えていた。
「ば、化け物……」
ギーシュがガタガタと震えながら杖を構え直そうとしたときには、すでに勝負は決していた。土煙の向こうから現れたライは一瞬にしてギーシュの間合いへと踏み込み、その首筋に鋭い手刀をピタリと突きつけていた。
「そこまでだ、グラモン卿。これ以上やっても、卿の自慢の薔薇が汚れるだけだよ」
ライの藍色の瞳に宿る、本物の「軍人」としての圧倒的な気迫。戦場で幾千もの命を背負ってきた男としての威圧感に直面し、ギーシュは完全に戦意を喪失して、その場にへたり込んだ。
「ぼ、僕の、負けだ……」
ギーシュの降伏宣言が響くと同時に、静まり返っていた広場は割れんばかりの歓声に包まれた。
「す、すげえ!」
「魔法を体術だけで破るなんて!」
生徒たちを中心に熱狂が巻き起こる。
「ライ! お前マジで格好良すぎるだろ!」
サイトの歓声に応えつつライはそっと観客席の端へと視線を向けた。そこには、周囲の喧騒など一切耳に入っていないかのようにただ真っ直ぐに自分だけを見つめるユーリアの姿があった。彼女は表向きにはクールな表情を保っていたが、その胸の内は、かつて戦場で自分たちを導いてくれた、あの無敵の「ナイトオブエイト」の雄姿がハルケギニアの地で再現されたことへの、狂おしいほどの大歓喜と誇らしさで激しく打ち震えていたのだった。