脱線した無限列車は、荒野を何度も跳ねながら横倒しになり、ようやく停止した。
轟音が消えたあとに残ったのは、砕けた車体と舞い上がる土煙。そして、あまりにも静かな夜だった。
「う……ぐっ……!」
炭治郎は腹部を押さえながら、荒野の地面に倒れていた。
魘夢との戦いで深く負った傷に加え、列車の横転による衝撃まで重なっている。呼吸をするたびに腹の奥が焼けるように痛み、身体を起こそうとしても力が入らない。
「炭治郎!」
遠くから伊之助の声が響いた。
「炭治郎、大丈夫か!? おい、返事しろ!」
「……伊之助……俺は、大丈夫……」
「大丈夫な奴がそんな顔してるかよ!」
伊之助が駆け寄ろうとする。
しかし、その前に黄金色の羽織が翻った。
「待て、嘴平少年!」
炎柱・煉獄杏寿郎だった。
煉獄は炭治郎の隣に膝をつくと、傷口を確認する。
「竈門少年、意識はあるな?」
「はい……でも、血が……」
「ならば慌てるな。傷そのものを恐れる必要はない。まずは呼吸を整えろ!」
煉獄の声は力強かった。
その声に導かれるように、炭治郎は目を閉じる。
吸う。
吐く。
吸う。
吐く。
痛みに乱れていた呼吸を、少しずつ一定に戻していく。
「そうだ! その調子だ!」
煉獄は炭治郎の腹部に手を当て、傷の状態を確かめながら言葉を続ける。
「血管を意識しろ。力を無駄に使うな。傷口を押さえつけるだけではない。身体そのものを落ち着かせるのだ!」
「身体を……」
炭治郎は必死に集中した。
自分の鼓動。
血液の流れ。
腹部の傷。
そして、そこから失われていく生命力。
一つ一つを感じ取る。
「……止まれ……!」
炭治郎が歯を食いしばった。
やがて、傷口から流れていた血が少しずつ弱くなっていく。
「よし!」
煉獄が満足げに頷いた。
「見事だ、竈門少年!」
「……できた……!」
炭治郎自身も驚いていた。
「ありがとうございます、煉獄さん……!」
「うむ! 生き残るために使えるものは何でも使え! 剣士にとって、己の身体もまた重要な武器だ!」
その言葉に、炭治郎は力強く頷いた。
「はい!」
その時だった。
ザッ……。
砂を踏みしめる音がする。
振り返ると、黒地に金色の雷模様が刻まれた羽織が土煙の向こうから現れた。
「……ようやく止まったか」
鳴柱・獪岳。
その手には、すでに抜かれた日輪刀が握られていた。
「獪岳さん!」
「おう」
獪岳は炭治郎の姿を一瞥する。
「腹をやられたか。生きてるなら上出来だ」
「はい。煉獄さんに止血してもらいました」
「そうか」
獪岳は短く答えた。
だが、その視線は炭治郎ではなく、暗闇の向こうへ向けられていた。
「……まだ終わってねえ」
「え?」
炭治郎が眉を寄せる。
獪岳は刀を握る手に力を込めた。
「喜んでる場合じゃねえって言ってんだよ」
「獪岳……」
煉獄も立ち上がる。
獪岳の表情を見た瞬間、煉獄は察した。
彼は警戒している。
それも、先ほどの魘夢とは比較にならないほどの何かを。
「どうした?」
「……匂いが違う」
炭治郎の鼻にも、少しずつ異変が届き始めていた。
焦げた鉄。
血。
鬼の匂い。
だが、それだけではない。
もっと濃い。
もっと重い。
肌にまとわりつくような、異様な圧力。
「なんだ……この匂い……」
炭治郎の身体が震えた。
その瞬間――。
ズンッ!!
大地が沈んだ。
「なっ……!?」
伊之助が目を見開く。
「地震か!?」
「違う!」
獪岳が叫んだ。
「構えろッ!!」
ドォォォンッ!!
荒野の一角から、猛烈な土煙が巻き上がった。
その煙の向こう。
ゆっくりと、一つの影が姿を現す。
桃色の髪。
全身に刻まれた紺色の刺青。
そして、異様なほどに澄んだ金色の瞳。
男はまるで散歩でもするような足取りで、こちらへ近づいてくる。
「……素晴らしい」
男は笑った。
「下弦の鬼を倒したのか。しかも、これほどの若者たちが……」
炭治郎の背筋に、凍りつくような悪寒が走る。
「鬼……!」
煉獄が刀を抜いた。
獪岳も同時に構える。
バチバチバチッ!!
青白い雷が日輪刀から迸った。
「テメェ……何者だ」
獪岳が低く唸る。
男は答えた。
「俺の名は猗窩座」
そして、その瞳に刻まれた文字が月明かりを受けて浮かび上がる。
『上弦』
『参』
「……上弦の参」
炭治郎の喉が鳴った。
魘夢とは、明らかに違う。
存在そのものが別次元だった。
立っているだけなのに、空気が震えている。
獪岳は刀を握り直した。
「下弦を倒して、ようやく一息つけると思ったら……今度は上弦かよ」
口元が不敵に吊り上がる。
「上等だ」
煉獄もまた、静かに刀を構えた。
「獪岳!」
「ああ」
二人の柱が並び立つ。
炎と雷。
その背後には、傷つきながらも立ち上がろうとする炭治郎たち。
猗窩座はそんな彼らを見渡し、嬉しそうに笑った。
「いいぞ……実にいい」
「強者が揃っている」
「俺は強い者と戦うことが好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、獪岳の目つきが変わった。
「……強者?」
刀身に雷が集束する。
「勘違いすんなよ、鬼」
青白い雷光が夜の荒野を照らした。
「俺たちは強くなるために戦ってんじゃねえ」
一歩。
獪岳が前へ出る。
「守るために強くなったんだ」
煉獄も一歩前へ。
「その通りだ!」
炎の気配が爆発的に膨れ上がる。
「ここから先は、貴様を竈門少年たちの前へ通すわけにはいかない!」
猗窩座の笑みが深くなる。
「ならば――」
拳を構える。
「その覚悟、俺に見せてみろ!」
夜の荒野に、凄まじい殺気が激突した。
無限列車の悪夢は終わった。
しかし――本当の戦いは、ここからだった。
下弦の壱を討ち取った炭治郎たちの前に現れたのは、鬼舞辻無惨が誇る最強の鬼の一角。
上弦の参・猗窩座。
そして、炎柱・煉獄杏寿郎と鳴柱・獪岳。
二人の柱が並び立つ夜は、まだ終わらない。
むしろ――これからが、本当の夜明け前だった。