少し、時は遡る。
エドとヨキが第五研究所の内部へ足を踏み入れた頃。
外で待機していたアルの前にも、一体の鎧が姿を現していた。
暗闇の奥から、ゆっくりと金属音が近づいてくる。
現れたのは、ナンバー48と名乗る一本の刀を携えた鎧だった。
鋭く尖った兜。
全身に刻まれた無数の傷。
刀の柄へ手を置いた立ち姿には、僅かな隙もない。
アルは静かに拳を構えた。
◇
抜き放たれた刃が、月明かりを反射する。
「悪く思うなよ。」
「待ってください。」
アルが声を上げた。
次の瞬間。
ナンバー48の姿が、アルの視界から消えた。
「――っ!」
右。
アルは反射的に身を捻る。
鋭い刃が肩口を掠め、甲高い金属音と火花を散らした。
ナンバー48は、振り抜いた刀を即座に返す。
返しの刃が、アルの胴へ迫った。
アルは両腕を交差させ、刃を受け止める。
「くっ……!」
「ほう。」
ナンバー48が感心したように声を漏らす。
「その巨体で、その身のこなしとは。」
アルは刀を押し返し、相手の懐へ踏み込んだ。
右の拳を振るう。
ナンバー48は上体を逸らしてかわした。
しかし、アルはその勢いのまま身体を回転させる。
長い脚が、鎧の脇腹を薙いだ。
「むん!」
ナンバー48の身体が横へ飛ばされる。
だが、倒れない。
片手を床へつき、勢いを殺さずに身を翻す。
着地と同時に、刀を低く薙いだ。
刃がアルの脚を狙う。
アルは床を蹴った。
刀が、宙へ浮いた両脚の下を通り過ぎる。
「ほう!」
ナンバー48が楽しげに声を上げた。
「見事な身のこなしだ。」
アルが着地する。
その瞬間には、既に次の斬撃が迫っていた。
上段。
袈裟斬り。
返す刀で横薙ぎ。
間髪を入れない突き。
一本の刀が、まるで何本にも分かれたようにアルへ襲いかかる。
アルは腕で受け、身体を傾け、紙一重でかわし続けた。
刀が鎧へ触れるたび、鋭い音が周囲へ響き渡る。
「速い……!」
「はっはっは!」
ナンバー48は、愛刀を楽しげに振るう。
「久しぶりに手応えのある獲物だ。」
「嬉しいぞ!」
「僕は嬉しくありません!」
アルは迫る刀を、両手で挟み込んだ。
白刃取り。
動きを止められたナンバー48の腕を掴み、その身体を背負うようにして投げる。
ナンバー48の巨体が宙を舞った。
「うぬ!」
だが。
ナンバー48は空中で身を捻り、両足から着地する。
間髪を入れず、刀を横へ振り抜いた。
アルは後方へ飛ぶ。
刃先が胸元を掠め、鎧の表面へ一本の傷を刻んだ。
ナンバー48は刀を構え直す。
「やるな。」
僅かな間。
「私よりは弱いがな。」
「まだ、決まっていませんよ!」
アルが地面を蹴る。
拳と刀が、再び激しくぶつかり合った。
◇
何度目かも分からない剣戟が響いた。
アルの鎧には、無数の斬り傷が刻まれている。
ナンバー48の鎧にも、拳や蹴りによるへこみが幾つも残されていた。
それでも。
互いに決定打を与えられてはいない。
アルの拳が、ナンバー48の兜へ迫る。
しかし。
直前で拳の軌道が逸れた。
アルの拳は、兜の横を通り過ぎる。
ナンバー48は刀の腹でアルの胴を打ち、距離を取った。
「……妙だな。」
刀を下ろし、アルを見据える。
「何がですか?」
「先ほどから。」
ナンバー48は静かに問いかけた。
「私の動きを封じる機会は、幾度かあったはずだ。」
「だが、貴様は決定的な一撃を避けている。」
アルは答えない。
「なぜ、殺しに来ぬ。」
「……殺したくないからです。」
「ふん。」
ナンバー48は鼻を鳴らした。
「甘ったるいことを。」
「このような身体の私が、人と呼べる代物だと思っているのか。」
ナンバー48は、自らの胸部を開いてみせる。
内部は、肉体など存在しない空洞だった。
「ただ、鎧を破壊するだけだ。」
「違います。」
アルは、はっきりと答えた。
「僕は、あなたをただの鎧だと思っていません。」
アルもまた、自らの胸部を開いてみせる。
その内部も、同じように空洞だった。
「僕も。」
「魂を鎧へ定着された人間だからです。」
「なんと……。」
低く落ち着いた声が夜へ響く。
「表の世界にも、私と同じような存在がいるとは。」
ナンバー48の声から、初めて余裕が消えた。
短い沈黙。
「僕の中にも、肉体はありません。」
「兄さんが、僕の魂をこの鎧へ繋ぎ止めてくれました。」
アルは静かに頷く。
「それでも、僕は人間です。」
「兄さんは僕を弟として扱ってくれる。」
「みんなも、僕を人間だと思ってくれています。」
アルは、ナンバー48を真っ直ぐに見た。
「だから。」
「あなたを人間ではないなんて、僕には言えません。」
「あなたを殺すことも。」
「破壊することも、したくありません。」
風の音だけが、二人の間を通り過ぎる。
ナンバー48は、暫く何も言わなかった。
「……ありがたい言葉だ。」
やがて。
低い声が静かに響いた。
「だが。」
刀が再び持ち上がる。
「私は、生前。」
「スライサーと呼ばれた殺人鬼だ。」
「多くの命を奪い、表向きには二年前に死刑となった。」
「その後、腕を買われ。」
「実験材料となり。」
「今は、この研究所を守る番犬だ。」
切っ先がアルへ向けられる。
「ここへ入り込んだ者を斬る。」
「それ以外の生き方など、とうに残されておらぬ。」
「故に、私に選択肢はない。」
アルは拳を構え直す。
「本当に、そうでしょうか。」
「……。」
ナンバー48は答えなかった。
僅かに腰を落とす。
「いざ。」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ――。
地の底から這い上がるような振動が、研究所全体を揺らした。
「何!?」
「む……。」
アルとナンバー48が、同時に周囲を見回す。
壁に亀裂が走る。
窓が、次々と砕ける。
直後。
ドォォォン!!
建物の外壁が、爆発するように吹き飛んだ。
「なっ――!」
巨大な壁と梁が、アルの頭上へ崩れ落ちる。
避けられない。
アルは咄嗟に両腕を上げた。
その身体へ。
横から、激しい衝撃が叩き込まれた。
「えっ――」
ナンバー48だった。
アルの巨体が、安全な場所へ弾き飛ばされる。
直後。
崩れ落ちた壁と梁が、ナンバー48を呑み込んだ。
轟音。
土煙。
地面を揺らす衝撃。
「……。」
アルはゆっくりと身体を起こす。
視界を覆っていた土煙が、少しずつ晴れていく。
先ほどまでナンバー48が立っていた場所には。
巨大な瓦礫の山だけが残っていた。
「……そんな……。」
アルは呆然とする。
自分が突き飛ばされたことは分かる。
誰が助けたのかも分かっている。
だが。
『私に、選択肢はない。』
先ほどの言葉と。
今の行動が、どうしても結びつかなかった。
「どうして……。」
アルは、瓦礫へ近づこうとする。
「アル!!」
聞き慣れた声が響いた。
振り返る。
崩れ始めた通路の奥から、エドとヨキが走ってきた。
「兄さん!」
エドがアルへ駆け寄る。
「無事か!?」
「う、うん。」
「大丈夫。」
エドは安堵したように息を吐く。
だが、すぐに周囲を見回した。
「ここも崩れ始めてる。」
「急いで逃げるぞ!」
「アルフォンス君!」
ヨキも、息を切らしながら声を上げる。
「研究所全体が崩壊しています!」
「立ち止まっている時間はありません!」
「……。」
アルは瓦礫を振り返る。
アルが言葉を発しようとした瞬間。
更に大きな振動が走る。
エドがアルの腕を掴む。
「アル!」
「何してんだ!」
「いくぞ!」
アルは瓦礫を見つめたまま、一瞬だけ動けなかった。
「……。」
ヨキはその様子を見つめている。
しかし。
エドに腕を引かれ、アルは走り出す。
三人は落下する瓦礫を避けながら、研究所を駆け抜けた。
壁が崩れる。
背後から、幾つもの爆発音が迫る。
「出口です!」
三人は敷地の外へ飛び出した。
背後では第五研究所の一部が、大きな音を立てて崩れ続けている。
土煙が夜空へ立ち上る。
三人は立ち尽くしたまま、崩れていく建物を見つめていた。
◇
「お二人は、宿へ戻ってください。」
研究所から少し離れた場所で。
ヨキはエドとアルへ、はっきりと告げた。
「何でだよ。」
エドが眉を寄せる。
「こんな騒ぎになってるのに――」
「だからこそです。」
ヨキは軍服についた埃を払いながら答える。
「現在、スカーはまだ捕まっていません。」
「護衛対象であるお二人に何かあれば。」
「ロス少尉とブロッシュ軍曹が責任を問われます。」
エドは言葉に詰まった。
「それに、お二人が無断で第五研究所へ入り込んだと知られれば。」
「大目玉を食らうだけでは済まないかもしれません。」
「……。」
「ロス少尉達は、お二人を宿で見失っていない。」
「そういうことにしましょう。」
「今すぐ戻れば、ロス少尉達に気づかれる前に宿へ戻れるはずです。」
「落ち着いたら。」
「エドワード君はアルフォンス君へ出来事の共有をお願いします。」
「ただし記録は残さないように。」
「私達の記憶の中に留めるだけにしましょう。」
エドとアルは静かに頷いた。
「ヨキさんは、どうするんだ。」
「私は。」
「この騒動に駆けつけたことにします。」
「爆発音を聞き、現場へ向かった。」
「その方が自然でしょう。」
「逆に現場から離れている姿を見られる方が不自然でしょうね。」
ヨキは穏やかに笑う。
「では。」
「お気をつけて。」
「ああ。」
エドはアルの肩を叩き、宿の方角へ歩き始めた。
ヨキは二人の背中が見えなくなるまで、その場に立っていた。
そして。
軍人としての表情へ戻る。
崩れ続ける第五研究所へ向かい、歩き始めた。
◇
暗闇。
瓦礫の奥で、金属が軋んだ。
「兄者……。」
鎧の胴体から、先ほどとは異なる若い声が漏れる。
「すまねぇ。」
少し離れた場所。
瓦礫に挟まれた兜から、落ち着いた声が返った。
「何を詫びる。」
「あの坊主を。」
「咄嗟に、助けちまった。」
「そうか。」
兜は、静かに答えた。
「後悔しているのか。」
「……いや。」
「ならば、それでよい。」
短い沈黙。
「兄者。」
「俺達、ここで終わりかな。」
「恐らくな。」
「そっか。」
胴体の声が、小さく笑う。
「まあ。」
「最後に自分で選べたんだ。」
「悪くねぇよな。」
「うむ。」
兜から、穏やかな声が返る。
「悪くない。」
再び、暗闇へ静寂が戻った。
その時。
瓦礫の隙間から、一筋の光が差し込んだ。
「……む?」
石が動く。
上から、少しずつ瓦礫が取り除かれていく。
「誰だ……。」
眩い光の向こう。
一つの人影が、鎧の胴体と兜を交互に見下ろしていた。
「なるほど。」
静かな声が響く。
「一つの鎧に、二つの魂。」
「実に興味深い。」
人影は、ゆっくりと手を伸ばす。
「さて。」
「救出の時間です。」