ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第二章 おヒゲのおじちゃん

 

 イーストシティへ赴任してから、数日が過ぎた。

 

 東方司令部での仕事にも少しずつ慣れ始め、巡回区域も自然と頭へ入るようになってきた。

 

 ヨキは、一人で街を巡回していた。

 

(今のところ、大きな事件もない。)

 

(これなら、本当に何もなく終われるかもしれない。)

 

 そんなことを考えながら、ゆっくりと街を歩く。

 

 通りには露店が並び、人々の笑い声が響く。

 

 子どもたちが走り回り、商人が元気よく客を呼び込んでいた。

 

 平和だった。

 

 だからこそ、この日常が続いてほしいと自然に思えた。

 

 その時だった。

 

「アレキサンダー!」

 

 元気な少女の声が聞こえる。

 

「まってぇー!」

 

 白く大きな犬が、嬉しそうに通りを駆け抜けていく。

 

「わふっ!」

 

「まちなさいってばー!」

 

 ヨキは思わず立ち止まった。

 

 犬は人混みを器用にすり抜けながら、どんどん先へ進んでいく。

 

 その後ろを、小さな少女が息を切らしながら必死に追い掛けていた。

 

「はぁ……はぁ……。」

 

「アレキサンダー!」

 

「とまってぇ!」

 

 どうやら本人は遊んでいるつもりらしい。

 

 尻尾を大きく振りながら、時折振り返っては、

 

「早くおいで!」

 

 と言わんばかりに少女を待っている。

 

 ヨキは思わず苦笑した。

 

「遊んでもらってると思ってるんだろうな。」

 

 タイミングを見計らい、犬の進路へ回り込む。

 

「よっと。」

 

「わふ?」

 

 首輪を優しく掴むと、大人しくその場へ座った。

 

「よしよし。」

 

 頭を撫でると、犬は嬉しそうに尻尾を振る。

 

 数十秒遅れて、少女が駆け寄ってきた。

 

「はぁ……はぁ……。」

 

「ありがとう……。」

 

 汗で前髪が額に張り付いている。

 

 息も上がっていた。

 

 ヨキは近くの売店へ目を向けた。

 

「ちょっと待ってて。」

 

 冷えた飲み物を一本買い、少女へ差し出す。

 

「はい。」

 

「まずは水分補給。」

 

 少女は目を丸くした。

 

「いいの?」

 

「もちろん。」

 

「ありがとう!」

 

 嬉しそうに受け取り、ごくごくと飲み始める。

 

「ぷはぁ!」

 

「おいしい!」

 

 その無邪気な笑顔に、ヨキもつられて笑った。

 

「このまま追い掛けっこしてたら、日が暮れちゃいそうだね。」

 

「えへへ……。」

 

 少女は照れくさそうに笑う。

 

「お家は近い?」

 

「うん!」

 

「じゃあ、送っていこうか。」

 

「ほんと?」

 

「うん。」

 

「ありがとう!」

 

 少女は満面の笑みを浮かべた。

 

 犬も嬉しそうに一声鳴く。

 

「わふっ!」

 

 

 三人はゆっくりと住宅街を歩いていた。

 

「お嬢ちゃん、お名前は?」

 

「ニーナ!」

 

「ニーナ・タッカーです!」

 

 ヨキは穏やかに頷いた。

 

「俺はヨキ。」

 

「軍で働いてるんだ。」

 

「知ってる!」

 

 ニーナは嬉しそうに笑う。

 

「おヒゲのおじちゃんだ!」

 

「おヒゲのおじちゃんかぁ。」

 

 ヨキは苦笑する。

 

「それも悪くないね。」

 

 アレキサンダーがその横を嬉しそうに歩く。

 

「わふっ!」

 

「アレキサンダーも、おヒゲのおじちゃん好きだよね!」

 

「わふわふ!」

 

「そっか。」

 

「仲良くしてくれてありがとう。」

 

 ヨキは頭を撫でる。

 

 アレキサンダーは気持ちよさそうに目を細めた。

 

「お父さんは?」

 

「パパ?」

 

「パパは国家錬金術師なの!」

 

 ヨキの足が止まる。

 

「……国家錬金術師?」

 

「うん!」

 

「すごいんだよ!」

 

「毎日、研究してるの!」

 

 ヨキは静かに前を向く。

 

(国家錬金術師。)

 

(ニーナ。)

 

(アレキサンダー。)

 

(……まさか。)

 

 胸の奥がざわつく。

 

 頭の中で、一人の男の姿が浮かんだ。

 

(ショウ・タッカー。)

 

(いや。)

 

(そんなはずは……。)

 

 歩きながら、何度も自分へ言い聞かせる。

 

(まだ分からない。)

 

(同じ名前かもしれない。)

 

(俺の知っている未来とは違うかもしれない。)

 

 そう思いたかった。

 

 

「ここだよ!」

 

 ニーナが嬉しそうに指差した。

 

 一軒の家。

 

 見覚えがある。

 

 いや。

 

 見覚えがありすぎた。

 

(この家……。)

 

(まさか。)

 

 玄関が開く。

 

「ニーナ。」

 

「お帰り。」

 

 眼鏡を掛けた男が姿を現した。

 

「パパ!」

 

 ニーナが駆け寄る。

 

「ごめんなさい!」

 

「またアレキサンダーが走ってっちゃって。」

 

 男は苦笑した。

 

「困った子だ。」

 

 そしてヨキへ向かって頭を下げる。

 

「娘がお世話になりました。」

 

「ショウ・タッカーと申します。」

 

 その名前を聞いた瞬間、ヨキは静かに目を閉じた。

 

(やっぱり……。)

 

 ヨキも軽く頭を下げる。

 

「ヨキと申します。」

 

「巡回中にお会いしまして。」

 

「家までお送りしました。」

 

「ありがとうございます。」

 

 タッカーは穏やかな笑みを浮かべた。

 

 その姿だけ見れば、ごく普通の父親だった。

 

 ニーナはアレキサンダーを抱きしめながら笑っている。

 

 平和な家族。

 

 その光景が、ヨキの胸を締め付けた。

 

 

 帰り道。

 

「またね!」

 

 ニーナが玄関先から大きく手を振る。

 

「またね、おヒゲのおじちゃん!」

 

「またね。」

 

 ヨキも笑顔で手を振り返した。

 

 その笑顔は、角を曲がった瞬間に消えた。

 

(……どうする。)

 

 足取りが重くなる。

 

(ニーナとアレキサンダー。)

 

(間違いない。)

 

(俺の知っている二人だ。)

 

(あの二人は。)

 

(俺の知ってる未来では。)

 

(タッカーの錬金術によって合成獣にされる。)

 

 拳を握る。

 

(でも。)

 

(証拠はない。)

 

(軍を動かせる立場でもない。)

 

(どうやって助ける。)

 

 何度考えても答えは出なかった。

 

 それでも、一つだけ思う。

 

(あんな子が。)

 

(あんな目に遭うのだけは。)

 

(絶対に止めたい。)

 

 しかし、その方法が分からない。

 

 長い沈黙の末、ヨキは小さく息を吐いた。

 

(……いや。)

 

(俺の知っているタッカーとは違う可能性もあるかもしれない。)

 

(まずは調べよう。)

 

(明日、大佐にお願いして、タッカーの資料を見せてもらおう。)

 

 そう結論づけることで、今は無理やり自分を納得させた。

 

 まだ。

 

 この時のヨキは。

 

 自分が、これから深く巻き込まれていくことになるとは、思ってもいなかった。

 

 そして、その決意が自らを危険へ追い込むことになるとも。

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