イーストシティへ赴任してから、数日が過ぎた。
東方司令部での仕事にも少しずつ慣れ始め、巡回区域も自然と頭へ入るようになってきた。
ヨキは、一人で街を巡回していた。
(今のところ、大きな事件もない。)
(これなら、本当に何もなく終われるかもしれない。)
そんなことを考えながら、ゆっくりと街を歩く。
通りには露店が並び、人々の笑い声が響く。
子どもたちが走り回り、商人が元気よく客を呼び込んでいた。
平和だった。
だからこそ、この日常が続いてほしいと自然に思えた。
その時だった。
「アレキサンダー!」
元気な少女の声が聞こえる。
「まってぇー!」
白く大きな犬が、嬉しそうに通りを駆け抜けていく。
「わふっ!」
「まちなさいってばー!」
ヨキは思わず立ち止まった。
犬は人混みを器用にすり抜けながら、どんどん先へ進んでいく。
その後ろを、小さな少女が息を切らしながら必死に追い掛けていた。
「はぁ……はぁ……。」
「アレキサンダー!」
「とまってぇ!」
どうやら本人は遊んでいるつもりらしい。
尻尾を大きく振りながら、時折振り返っては、
「早くおいで!」
と言わんばかりに少女を待っている。
ヨキは思わず苦笑した。
「遊んでもらってると思ってるんだろうな。」
タイミングを見計らい、犬の進路へ回り込む。
「よっと。」
「わふ?」
首輪を優しく掴むと、大人しくその場へ座った。
「よしよし。」
頭を撫でると、犬は嬉しそうに尻尾を振る。
数十秒遅れて、少女が駆け寄ってきた。
「はぁ……はぁ……。」
「ありがとう……。」
汗で前髪が額に張り付いている。
息も上がっていた。
ヨキは近くの売店へ目を向けた。
「ちょっと待ってて。」
冷えた飲み物を一本買い、少女へ差し出す。
「はい。」
「まずは水分補給。」
少女は目を丸くした。
「いいの?」
「もちろん。」
「ありがとう!」
嬉しそうに受け取り、ごくごくと飲み始める。
「ぷはぁ!」
「おいしい!」
その無邪気な笑顔に、ヨキもつられて笑った。
「このまま追い掛けっこしてたら、日が暮れちゃいそうだね。」
「えへへ……。」
少女は照れくさそうに笑う。
「お家は近い?」
「うん!」
「じゃあ、送っていこうか。」
「ほんと?」
「うん。」
「ありがとう!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
犬も嬉しそうに一声鳴く。
「わふっ!」
◇
三人はゆっくりと住宅街を歩いていた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「ニーナ!」
「ニーナ・タッカーです!」
ヨキは穏やかに頷いた。
「俺はヨキ。」
「軍で働いてるんだ。」
「知ってる!」
ニーナは嬉しそうに笑う。
「おヒゲのおじちゃんだ!」
「おヒゲのおじちゃんかぁ。」
ヨキは苦笑する。
「それも悪くないね。」
アレキサンダーがその横を嬉しそうに歩く。
「わふっ!」
「アレキサンダーも、おヒゲのおじちゃん好きだよね!」
「わふわふ!」
「そっか。」
「仲良くしてくれてありがとう。」
ヨキは頭を撫でる。
アレキサンダーは気持ちよさそうに目を細めた。
「お父さんは?」
「パパ?」
「パパは国家錬金術師なの!」
ヨキの足が止まる。
「……国家錬金術師?」
「うん!」
「すごいんだよ!」
「毎日、研究してるの!」
ヨキは静かに前を向く。
(国家錬金術師。)
(ニーナ。)
(アレキサンダー。)
(……まさか。)
胸の奥がざわつく。
頭の中で、一人の男の姿が浮かんだ。
(ショウ・タッカー。)
(いや。)
(そんなはずは……。)
歩きながら、何度も自分へ言い聞かせる。
(まだ分からない。)
(同じ名前かもしれない。)
(俺の知っている未来とは違うかもしれない。)
そう思いたかった。
◇
「ここだよ!」
ニーナが嬉しそうに指差した。
一軒の家。
見覚えがある。
いや。
見覚えがありすぎた。
(この家……。)
(まさか。)
玄関が開く。
「ニーナ。」
「お帰り。」
眼鏡を掛けた男が姿を現した。
「パパ!」
ニーナが駆け寄る。
「ごめんなさい!」
「またアレキサンダーが走ってっちゃって。」
男は苦笑した。
「困った子だ。」
そしてヨキへ向かって頭を下げる。
「娘がお世話になりました。」
「ショウ・タッカーと申します。」
その名前を聞いた瞬間、ヨキは静かに目を閉じた。
(やっぱり……。)
ヨキも軽く頭を下げる。
「ヨキと申します。」
「巡回中にお会いしまして。」
「家までお送りしました。」
「ありがとうございます。」
タッカーは穏やかな笑みを浮かべた。
その姿だけ見れば、ごく普通の父親だった。
ニーナはアレキサンダーを抱きしめながら笑っている。
平和な家族。
その光景が、ヨキの胸を締め付けた。
◇
帰り道。
「またね!」
ニーナが玄関先から大きく手を振る。
「またね、おヒゲのおじちゃん!」
「またね。」
ヨキも笑顔で手を振り返した。
その笑顔は、角を曲がった瞬間に消えた。
(……どうする。)
足取りが重くなる。
(ニーナとアレキサンダー。)
(間違いない。)
(俺の知っている二人だ。)
(あの二人は。)
(俺の知ってる未来では。)
(タッカーの錬金術によって合成獣にされる。)
拳を握る。
(でも。)
(証拠はない。)
(軍を動かせる立場でもない。)
(どうやって助ける。)
何度考えても答えは出なかった。
それでも、一つだけ思う。
(あんな子が。)
(あんな目に遭うのだけは。)
(絶対に止めたい。)
しかし、その方法が分からない。
長い沈黙の末、ヨキは小さく息を吐いた。
(……いや。)
(俺の知っているタッカーとは違う可能性もあるかもしれない。)
(まずは調べよう。)
(明日、大佐にお願いして、タッカーの資料を見せてもらおう。)
そう結論づけることで、今は無理やり自分を納得させた。
まだ。
この時のヨキは。
自分が、これから深く巻き込まれていくことになるとは、思ってもいなかった。
そして、その決意が自らを危険へ追い込むことになるとも。