『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
あの夜から、何日かが過ぎた。
玄関の隅に置きっぱなしになっていた買い物袋も、ようやく本来の役目を果たしている。
「財布」
「あるよ」
「ほんとに?」
「あるって」
「見せて」
「そこまで信用ない?」
「一回忘れてるから」
「一回だけでここまで信用落ちるんだ……」
夕方のスーパーを歩きながら、GVは少し肩を落とした。
隣を歩くシアンはそんな様子を気にすることなく、差し出された財布をしっかり確認する。
「はい。ちゃんとある」
「僕の財布なのに、何でシアンが安心してるの」
「またレジまで行ってから気付いたら面倒でしょ」
「今回は忘れてないよ」
「今回はね」
「厳しいなあ」
ようやく行けた買い物だった。
あの日は出発直前に任務が入り、そのまま行けなくなった。
その後のことを思えば、たかが買い物に行けなかったくらい、どうでもいいと言えばどうでもいい。
それでもシアンは、改めて二人で店へ来たことに妙な安心を覚えていた。
GVが隣にいる。
カゴを持っている。
棚の前で立ち止まって、値札を見比べている。
何を買うかでどうでもいいことを言い合っている。
そんな当たり前のことが、前より少しだけ大事に見えた。
「シアン、これどう?」
「いらない」
「早い」
「冷蔵庫にまだあるじゃん」
「でもこっち新しい味だよ」
「だから?」
「試してみたくない?」
「GVが食べたいだけでしょ」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「シアンも食べたら感想聞けるかなって」
「じゃあ最初からそう言えばいいのに」
「入れていい?」
「一個だけ」
「やった」
嬉しそうに商品をカゴへ入れるGVを見て、シアンは小さく息を吐く。
こういうところは、本当にいつも通りだ。
むしろ、あれだけのことがあったのに普通すぎるくらいだった。
イオタとの戦いで一度倒れ、シアンの歌によって戻ってきた。
その事実を抜きにすれば、GVは何も変わっていないように見える。
エリーゼ3に怒られれば適当に謝り、ジーノと通信すればどうでもいい話をして、モルフォに突っ込まれれば軽く返す。
朝は少し寝癖があるし、食事の時は考え事をすると箸が止まる。
以前と同じ。
だからシアンも、以前と同じように接しようとしていた。
少なくとも、そうしているつもりだった。
「……あ」
不意に、GVの足が止まった。
「GV?」
シアンも立ち止まる。
店の外を通った車のライトが、ガラス越しに一瞬だけ差し込んでいた。
白い光。
それがGVの横顔を照らして、すぐ消える。
「どうしたの?」
「……何が?」
「今、止まった」
GVは少し考え、自分でも分かっていなかったように瞬きをする。
「眩しかっただけじゃない?」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「別に変じゃなかったでしょ」
「……うん」
シアンはそれ以上聞かなかった。
GVもすぐ歩き出した。
店内の明るさに紛れて、さっきの一瞬は何事もなかったように消える。
けれど。
シアンの中には、小さく引っかかったままだった。
◇
その夜。
シアンは、小さな物音で目を覚ました。
時計を見る。
まだ深夜だった。
最初はエリーゼかと思った。
誰かが水でも飲みに起きたのかもしれない。
もう一度目を閉じようとして――止まった。
聞こえる。
微かな呼吸。
少し速い。
「……?」
シアンは身体を起こした。
耳を澄ませる。
隣の部屋。
GVの部屋だ。
少し迷ってから、ベッドを降りる。
廊下へ出て、扉の前まで行く。
「GV?」
返事はない。
「起きてる?」
やはり返らない。
けれど、中に人がいる音はする。
シアンは少しだけ扉を開けた。
「入るよ?」
それでも返事はない。
部屋の中は暗い。
カーテンの隙間から僅かな街灯の明かりが入っているだけだった。
GVはベッドの上にいた。
眠っている。
けれど穏やかではない。
眉間に皺が寄っている。
呼吸が浅い。
手が僅かに動く。
「GV」
シアンは少し近づく。
「GV、起きて」
反応がない。
「GV」
今度は少し強く呼ぶ。
その瞬間。
「……っ!」
GVが大きく息を吸って目を開けた。
身体を起こし、しばらく何もない壁を見ている。
何が起きたのか分からないような顔だった。
「GV?」
名前を呼ぶと、ゆっくりこちらを見る。
「……シアン?」
「うん」
声を聞いてようやく現実へ戻ってきたのか、GVの肩から少し力が抜けた。
「ごめん。起こした?」
「わたしが聞きたいんだけど」
「え?」
「大丈夫?」
GVは数秒黙った。
それから小さく笑う。
「夢見てただけ」
「どんな?」
「……あんまりいい夢じゃなかった」
「また死ぬ夢?」
GVの顔が止まった。
「何で分かったの?」
「何となく」
本当に何となくだった。
白い光を見た時の一瞬。
買い物中に止まったGV。
それが頭に残っていた。
GVは視線を落とす。
「まあ、そんな感じ」
「……イオタの時?」
「うん」
声は軽い。
けれど、いつもの軽さとは少し違う。
「白いのが来て、押し返せなくて」
そこで一度止まる。
「それだけ」
シアンはGVを見る。
「それだけ?」
「夢だからね」
「夢だったら大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない夢ってある?」
「あるでしょ」
「起きたら終わりだよ」
GVはそう言ってベッドから降りようとした。
「水飲んでくる」
「持ってくる」
「自分で行けるよ」
「いいから」
シアンの声が思ったより強くなった。
GVは少し驚く。
「……じゃあお願い」
「うん」
部屋を出る。
キッチンで水を入れながら、シアンは自分の手を見る。
少し震えていた。
「……」
グラスを握り直す。
何で自分がこんなに怖がっているのか。
分かっているような気もしたし、分かりたくないような気もした。
GVはもう生きている。
隣の部屋にいる。
さっきだって話した。
それなのに、寝ているGVが苦しそうにしているだけで、胸の奥が強く締め付けられた。
◇
それは、一度だけではなかった。
二日目。
今度はGVの方が先に目を覚ましていた。
シアンが夜中に水を飲みに来ると、キッチンにGVがいた。
「……何してるの?」
「水」
「それは見れば分かる」
「じゃあ聞かなくてもよかったんじゃない?」
「何で起きてるの」
GVは少し困った顔をした。
「寝られなくなったから」
「夢?」
「……まあ」
「また?」
「昨日と同じ」
「毎日見るの?」
「まだ二日目だよ」
「二日続いたら十分じゃない?」
「そうかな」
GVは水を一口飲む。
「そのうち落ち着くと思う」
「ほんとに?」
「たぶん」
「またたぶん」
「未来のことだから」
そんなことを言って笑う。
シアンは笑えなかった。
三日目。
今度は物音すらなかった。
それなのに、シアンは目を覚ました。
何となく嫌な予感がして、廊下へ出る。
GVの部屋の扉は閉まっている。
耳を澄ませても何も聞こえない。
少し迷う。
さすがに勝手に入るのはどうかと思った。
「……GV?」
小さく呼ぶ。
返事はない。
「寝てる?」
少しして。
「……起きてるよ」
中から声がした。
扉を開ける。
GVはベッドの上に座っていた。
「また?」
「うん」
「何時から?」
「今起きたところ」
「ほんと?」
「ほんと」
シアンは部屋へ入る。
「今日は叫んでなかった」
「僕叫んでる?」
「叫んではないけど、苦しそう」
「そうなんだ」
他人事みたいに言う。
「自分じゃ分からない」
「……GVさ」
「何?」
「昼は普通だよね」
「そう?」
「普通」
「なら大丈夫じゃない?」
「何でそうなるの」
「昼も変だったら困るでしょ」
「夜だけならいいってこと?」
「いいっていうか」
GVは少し考える。
「寝れば夢くらい見るよ」
「毎晩?」
「今のところは」
「それが普通なの?」
「普通かどうかは知らないけど」
シアンは口を尖らせた。
「ほんっとにGVは……」
「何?」
「何でもない」
それ以上言っても、今は仕方ない気がした。
そして四日目。
五日目。
完全に同じ夢ではないらしい。
けれど毎回、最後は同じだった。
白い光。
押し切られる蒼雷。
遠くなる声。
そして。
自分が最後に口にした言葉。
――ごめん、シアン。
そこで目が覚める。
GV本人は、それを大したことではないと思っていた。
少なくとも、そう振る舞っていた。
昼間はいつも通り。
だからこそ、シアンは余計に気になった。
◇
『またその話?』
「まだ何も言ってない!」
『顔見れば分かるわよ』
「何その言い方」
『ここ数日ずっと同じなんだもん』
昼。
GVがフェザーへ顔を出している間。
シアンはソファに座り、モルフォを睨んでいた。
「だって聞いてよ」
『昨日も聞いた』
「昨日とは違う」
『何が違うの』
「今日は朝、普通にパン食べてた」
『普通じゃない』
「いや、それが逆に変なの!」
『どうしてよ』
「夜あんなに苦しそうなのに、朝になると何もなかったみたいにしてるんだよ?」
『それはまあ、GVだし』
「それで済ませるの?」
『アンタも済ませてないじゃない』
「済ませられないよ」
シアンは膝を抱える。
「ほんっとにGVは……もう」
『それ今日何回目?』
「数えてない」
『アタシは数えるのやめた』
最初の頃、モルフォはむしろ微笑ましそうに聞いていた。
シアンがGVのことでこんなに気を揉むこと自体、少し面白かったのだろう。
けれど、それが毎日のように続くと話は別だった。
「昨日もさ、また『大丈夫だよ』って言うんだよ?」
『言いそう』
「大丈夫じゃないから起きてるんじゃん」
『本人は大丈夫だと思ってるんでしょ』
「それが腹立つの」
『何でアンタが怒るのよ』
「心配だから!」
『はいはい』
「はいはいって何!」
『分かったって意味』
「絶対めんどくさがってる」
『だってめんどくさいもの』
「ひどい!」
『最初はね? シアンがGVのことであれこれ言ってるの、ちょっと面白かったわよ』
「面白がってたの?」
『今はもういい』
「何で!」
『毎回同じところに着地するから』
「してない」
『する』
モルフォはシアンの口調を真似するように言った。
『「ほんっとにGVは無茶するんだから。でも困ってる人を放っておけないのがGVなんだよね」』
「……」
『「そういうところがGVなんだよなあ」』
「やめて」
『「だから心配なんだけど、でも――」』
「やめてって!」
『ほら』
シアンの顔が赤くなる。
「違うもん」
『何が』
「全部言い方が嫌」
『内容は否定しないのね』
「……」
『はい、終わり』
「終わってない!」
モルフォは露骨に面倒そうな顔をした。
『まだあるの?』
「ある」
『何』
シアンは少し黙る。
「……イオタの時のこと、もっと聞いた」
モルフォの表情が少し変わる。
『誰に?』
「モニカさん」
『何て?』
「GVが、皇神の人助けたって」
『それは知ってるじゃない』
「細かいところまでは知らなかった」
シアンは膝を抱えたまま、視線を落とす。
「その人、自分は置いていけって言ってたんだって」
『へえ』
「助けたら任務失敗するって分かってて」
『……』
「イオタも、その人も、みんな止めたのに」
『それで助けた』
「うん」
シアンは頬を膨らませる。
「バカじゃん」
『まあ』
「ほんっとにバカ」
『そこまで言う?』
「だってそのせいでEP使って、そのあと戦って死んだんでしょ」
『正確にはその後も撤退しなかったからだけど』
「もっと悪いじゃん!」
シアンは顔を上げる。
「何でそこまでやるの」
『本人に聞けば?』
「聞いた」
『早いわね』
「『放っとけなかった』って」
『言いそう』
「それだけ」
『……』
「それだけなんだよ?」
怒っている。
怒っているはずなのに。
シアンの声は、途中から少し変わっていた。
「皇神の兵士なのに」
『うん』
「自分を止める側だった人なのに」
『うん』
「その人が自分で残るって言ってたのに」
『うん』
「それでも、助けたんだよ」
『……シアン』
「何」
『顔』
「何?」
『めちゃくちゃ嬉しそう』
「嬉しくない!」
『嘘』
「怒ってる!」
『怒りながらその顔できるの、器用ね』
「だって……!」
言い返そうとして止まる。
分かってしまった。
モルフォが言いたいこと。
そして、自分の中にあるもの。
「……そういうところなんだよ」
『出た』
「うるさい」
『今日も着地した』
「うるさい!」
それでも、シアンは否定できなかった。
GVが誰かを助けるたびに心配する。
無茶をすれば腹が立つ。
今回なんて、本当に死んだ。
だから、本当ならもっと怒っていてもいい。
それなのに。
事情を知れば知るほど、胸の奥に別の感情が広がっていく。
敵だったから。
命令に従っていたから。
自分とは関係ないから。
そんな理由で人を見ることをやめない。
能力者かどうか。
皇神かフェザーか。
過去に何をしたか。
それより先に、目の前にいる相手を一人の人間として見る。
シアンは、そのGVを知っている。
誰よりも知っている。
自分自身が、そうやって救われたから。
皇神にとって、自分は利用するための能力者だった。
電子の謡精を生み出す存在。
フェザーにとっても、最初は任務の対象だった。
けれどGVは違った。
シアンを、シアンとして見た。
だから。
皇神の兵士を助けた話を聞いて、腹が立つくらい納得してしまう。
「……ほんっとにGVは」
『はいはい』
「まだ言ってない!」
『どうせ「もう」って続くんでしょ』
「……もう」
『ほら!』
◇
その日の夕方。
GVが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
シアンは反射的に答えた。
その言葉を口にすると、少し安心する。
GVは靴を脱ぎながらシアンを見る。
「何?」
「何が?」
「今ちょっと安心した顔した」
「してない」
「したよ」
「してない」
「まあいいけど」
GVはそれ以上追及しない。
それが少し悔しい。
「フェザーどうだった?」
「特に何も。身体のチェックと、アシモフにちょっと話聞かれたくらい」
「また任務?」
「今日は違うよ」
「今日は?」
「……その言い方怖いな」
「だってまた行くんでしょ」
「まあ、必要なら」
シアンの表情が少し固まる。
GVはすぐ気付いた。
「シアン」
「何」
「そんな顔しなくても」
「どんな顔」
「心配してる顔」
「してるよ」
「僕はもう大丈夫だから」
その一言。
ここ数日、何度聞いたか分からない。
シアンの中で、何かが引っかかった。
「……それ」
「え?」
「GVが決めることじゃないよ」
GVが目を瞬く。
「何が?」
「わたしが心配するかどうか」
「いや、でも僕のことだし」
「GVが大丈夫かどうかをGVが決めるのはいいよ」
「……うん」
「でも、わたしが心配するかどうかまでGVが決めないで」
思ったより強い声が出た。
GVが黙る。
シアンも、自分が何を言ったのか少し驚いた。
でも、止めなかった。
「わたしは心配なの」
「シアン」
「わたしが」
最後の言葉だけは、はっきり言った。
GVはしばらく何も返さなかった。
それから、少しだけ視線を落とす。
「……そっか」
「うん」
「ごめん」
「また謝る」
「今のは謝っていいところでしょ」
「……まあ」
「心配しないでって言えば、シアンも心配しなくなると思ってた」
「ならないよ」
「そうみたいだね」
GVは小さく笑った。
でも、その笑い方は少し考えているようだった。
「じゃあ、心配してもいいよ」
シアンは眉を寄せる。
「許可されると腹立つ」
「難しいなあ」
「そうじゃなくて」
「分かってる」
GVは少し困ったように笑う。
「シアンが決めること、でしょ」
「……うん」
「覚えた」
それだけ言って、GVは部屋へ入っていった。
シアンはその背中を見ながら、何となく胸の奥が落ち着かない。
言えた。
自分の気持ちを。
GVがどう思うかではなく。
自分がどう思っているか。
「……わたしが」
小さく呟く。
その言葉が、思った以上に自分の中へ残った。
◇
「わたしが、か」
『何よ』
「さっきGVに言った」
『聞いてた』
「いたの?」
『いたわよ』
「なら何も言わなくてよかったじゃん」
『アンタが勝手に喋り始めたんでしょ』
「……」
夜。
シアンは自室のベッドへ座りながら、モルフォを見ていた。
「ねえ」
『何』
「わたし、何でGVのこと好きなんだろ」
モルフォが一瞬黙る。
それから露骨に嫌そうな顔をした。
『とうとうそこまで聞く?』
「真面目な話!」
『分かってるわよ』
「じゃあ答えて」
『嫌』
「何で!」
『アンタの気持ちでしょ』
「モルフォはわたしなんだから分かるんじゃないの?」
『ある程度はね』
「じゃあ教えてよ」
『嫌』
「ケチ!」
『逆よ』
モルフォは腕を組む。
『アタシが「アンタはこうだからGVが好きなんだ」って決めたら、それでいいの?』
「……」
『皇神にいた頃みたいに、誰かがアンタのことを決めて』
シアンの表情が少し変わる。
モルフォも、それ以上強くは言わなかった。
『アンタが何を思ってるかは、アンタが決めなさいよ』
「……自分で」
『そう』
シアンは膝を抱える。
考える。
GVを好きになったのはいつからか。
ミニ四駆で一緒に遊んだ時。
くだらないことを言い合って笑った時。
それより前にも、きっと何度もあった。
助けてもらった時。
名前を呼ばれた時。
普通の生活を教えてもらった時。
それだけではない。
「最初は、助けてもらったからだと思ってた」
『うん』
「優しくしてくれたし」
『うん』
「わたしのこと、ちゃんと人として見てくれた」
言葉にすると、胸が少し熱くなる。
「でも、それだけじゃないんだよね」
『何で?』
「だって、一緒にいるうちに嫌なところもいっぱい見たもん」
『例えば?』
「無茶する」
『うん』
「自分のこと軽く見る」
『うん』
「変なところで頑固」
『それはそう』
「人の心配はするのに、自分が心配されるとすぐ大丈夫って言う」
『それもそう』
「あとたまに変なところで財布忘れる」
『それは恋愛関係ないでしょ』
「でも見た」
『はいはい』
シアンは少し笑った。
「それでも好きなんだよ」
今度は、すぐ言えた。
「助けてもらったからじゃない」
モルフォが黙って聞いている。
「助けてもらったのは嬉しかったし、それがきっかけだったのかもしれない。でも、それだけじゃなくて」
シアンは言葉を探す。
「一緒にいて、話して、遊んで、怒って、心配して」
少し間を置く。
「GVがどういう人か知って」
そして。
「わたしが、好きになった」
静かな声だった。
でも今度は迷わなかった。
モルフォが少しだけ笑う。
『そう』
「何その反応」
『別に』
「もっと何か言うかと思った」
『何を?』
「分かんないけど」
『アンタが決めたなら、それでいいんじゃない』
「……うん」
シアンは少しだけ嬉しそうに笑った。
それから、また考える。
「でもさ」
『まだあるの?』
「ある」
『長いわね今日』
「大事な話だから」
『はいはい』
「GVはどうなんだろ」
モルフォが目を細める。
『何が』
「わたしのこと」
『それは本人に聞けば?』
「聞けないよ!」
『何で』
「今聞いたら、答え出させるみたいじゃん」
モルフォの表情が少し変わる。
シアンは続けた。
「わたしだって、自分で考えて好きになったんでしょ」
『うん』
「だったらGVにも、自分で決めてほしい」
『……へえ』
「何」
『いや』
モルフォが少しだけ楽しそうになる。
『アンタ、ちゃんと考えてんのね』
「何その言い方」
『前なら、「GVもわたしのこと好きかな」だけで終わってそうだから』
「前っていつ」
『少し前』
「そんな子供じゃないし」
『十分子供だったわよ』
「モルフォ!」
『はいはい』
シアンは頬を膨らませる。
けれど、否定しきれないところもあった。
少し前まで。
GVが自分をどう思うか。
そればかり気になっていた。
でも今は違う。
自分がGVを好きだ。
それは自分で決めた。
ならGVの気持ちも、GVのものだ。
自分が好きだからといって、同じ気持ちを返してもらえると決めつけることはできない。
それでも。
「……好きになってほしい」
『ん?』
「GVにも」
少し恥ずかしくなって、目を逸らす。
「わたしのこと、恋愛的に」
『言うようになったわね』
「モルフォが言わせたんでしょ!」
『聞き返しただけよ』
「……」
『で?』
「だから」
シアンは少し考える。
「GVが、自分でわたしを好きになってくれたらいいなって」
『もう大事には思われてるでしょ』
「それは分かってる」
『分かってるんだ』
「分かるよ」
GVはシアンを大切にしている。
それは疑っていない。
命を懸けて助けてくれたからではない。
今までの生活の中で、何度もそう感じてきた。
「でも、大事と好きは同じじゃないでしょ」
『まあね』
「だから、いつか」
シアンは少し笑った。
「GVに、わたしだから好きって思ってほしい」
言ってしまうと、思ったよりすっきりした。
モルフォはしばらくシアンを見ていた。
『欲張り』
「そうかな」
『十分』
「でも、それがいい」
『じゃあどうするの?』
「え?」
『好きになってほしいんでしょ』
「うん」
『待つだけ?』
シアンが止まる。
考えたことがなかった。
いや。
少しはあった。
でも形にはしていなかった。
「……待つだけじゃ、嫌かも」
『じゃあ?』
「わたしのこと、もっと知ってもらう」
『どうやって』
「自分から話す」
『何を』
「好きなものとか」
『うん』
「やりたいこととか」
『うん』
「行きたいところとか」
『うん』
「あと……GVに好きになってもらえそうなこともする」
『急に雑ね』
「だってまだ分かんないもん!」
『例えば?』
「……一緒にいる」
『いつもいるじゃない』
「もっと」
『重いわよ』
「そういう意味じゃなくて!」
シアンは少し考える。
「GVが帰ってきた時、わたしがいたら安心するようにしたい」
『へえ』
「帰ってきたら話したいとか」
『うん』
「一緒に何かしたいとか」
『うん』
「……わたしのところに帰りたいって、思ってもらいたい」
モルフォが一瞬、言葉を止めた。
シアン自身も、言った後で少し驚いていた。
でも。
それが一番しっくりきた。
GVは外へ行く。
誰かが困っていれば助ける。
それを止めることはできない。
むしろ。
そのGVだから好きになった。
なら。
帰るところを作ればいい。
帰ってきたいと思える相手になればいい。
「……うん」
『何』
「決めた」
『何を』
「GVに、帰ってきたいって思われるようにする」
『宣言する相手アタシでいいの?』
「本人には言わない」
『何で』
「言ったら意味ないじゃん」
『そう?』
「GVが自分でそう思ってくれないと」
『……なるほどね』
モルフォは少しだけ感心したように笑う。
『じゃあ頑張れば?』
「うん」
『でも一個だけ』
「何?」
『毎日GVの話聞かせるのはやめて』
「何で!」
『もう十分知ってる!』
「でも明日何かあるかもしれないじゃん!」
『ある度に聞かされるアタシの身にもなって!』
「モルフォはわたしなんでしょ!」
『だから余計にめんどくさいのよ!』
◇
その夜。
また夢を見た。
白い光。
ゼロブレイド。
押し返せない。
通信の向こうから声がする。
退け。
帰れ。
それでも動かない。
青い光が少しずつ細くなる。
最後に浮かぶのは、家。
玄関。
置いたままの買い物袋。
シアン。
――ごめん。
「……っ!」
GVは目を覚ました。
息を吸う。
暗い天井。
しばらく動けない。
夢だった。
分かっている。
なのに、胸の奥だけがまだあの日に置いていかれている。
「……」
手を見る。
動く。
蒼雷も出る。
生きている。
それでも。
目を閉じるのが少し怖かった。
「また寝ればいいだけなんだけど」
小さく呟く。
その時。
扉の向こうから声がした。
「起きてる?」
「……シアン?」
「入るよ」
返事を待つより少し早く、扉が開いた。
シアンが入ってくる。
「また?」
「……うん」
「毎日?」
「今のところ」
「最初から?」
GVが少し黙る。
「何が?」
「わたしが気付く前から」
「……」
「GV」
「二日くらい前からかな」
「もっとじゃん!」
「そんな怒る?」
「怒るよ!」
シアンはベッドの横まで来た。
「何で言わなかったの」
「言うほどのことじゃないと思って」
「毎晩なのに?」
「夢だよ」
「またそれ」
「でも本当に」
「夢なら何でもいいの?」
GVが止まる。
シアンは自分でも少し声が大きくなっているのが分かった。
「わたし毎日聞いてるんだよ」
「何を」
「GVが苦しそうにしてるの」
「……」
「昼は普通に笑ってるのに、夜になるとずっとあの日のところに戻ってるじゃん」
GVは少し俯く。
「そんなに分かる?」
「分かるよ」
「そっか」
「そっかじゃない」
シアンは少し息を整える。
「怖いなら、怖いって言ってよ」
GVの目が揺れた。
「……怖いのかな」
「知らないよ」
「シアンが言ったんでしょ」
「だってわたしはGVじゃないもん」
「……」
「でも、わたしは怖い」
GVが顔を上げる。
「何が?」
シアンは答えようとして。
一瞬止まった。
「GVが」
喉に引っかかる。
「……いなくなるのが」
GVは少し黙る。
それから、静かに答えた。
「僕はここにいるよ」
「今はね」
「明日もいる」
「ほんとに?」
GVはすぐには答えなかった。
その沈黙で、シアンにも分かった。
「……絶対って言わないんだ」
「言えない」
GVの声は思ったより静かだった。
「前に言って、守れなかったから」
「……」
「帰るって言ったのに、帰れなかった」
「でも帰ってきた」
「一回死んでからね」
少し笑おうとした。
でも笑えなかった。
「もう簡単に『絶対帰る』って言うの、ちょっと怖いんだ」
シアンは初めて、はっきり理解した。
自分だけが怖いわけではない。
GVも。
あの日から、何も変わっていないわけではない。
昼間に普通にしているから。
笑っているから。
いつものGVだから。
勝手に大丈夫だと思っていただけだった。
「……そっか」
「ごめん」
「また謝る」
「だって」
「謝らなくていい」
シアンは少し考える。
それから、GVのすぐ近くに座った。
「じゃあ、絶対って言わなくていい」
GVが少し驚く。
「いいの?」
「うん」
「さっきまで言ってほしそうだったけど」
「言ってほしいよ」
「どっち」
「でも、言えないんでしょ」
「……うん」
「ならいい」
シアンは自分の膝を見る。
「その代わり」
「何?」
「帰ろうとして」
GVが黙る。
「何があっても、帰ること諦めないで」
今度はGVが考える番だった。
「それなら」
「うん」
「約束できる」
シアンが顔を上げる。
「ほんと?」
「うん」
GVは少しだけ笑った。
「帰ろうとする。何があっても」
「……うん」
「今度はちゃんと」
「それは言わなくていい」
「厳しいなあ」
「一回破ってるから」
「そうでした」
少しだけ空気が軽くなる。
シアンはそのまま立たなかった。
GVが気付く。
「戻らないの?」
「今日はここにいる」
「え?」
「寝るまで」
「僕、大丈夫だよ」
「それ禁止」
「何が?」
「大丈夫って言うの」
「今日だけ?」
「今日からしばらく」
「厳しくなった」
「嫌なら寝て」
「理不尽だなあ」
それでもGVは少し笑った。
シアンは満足そうに頷く。
「何か話す?」
「何を」
「何でも」
「シアンが来たんだから、シアンが決めてよ」
「じゃあ……明日のご飯」
「そこから?」
「大事じゃん」
「まあ」
「冷蔵庫に何あったっけ」
「卵と肉と、昨日買ったやつ」
「あれもう食べる?」
「新しい味の?」
「GV食べたかったんでしょ」
「シアンも食べるなら」
「食べるよ」
「じゃあ明日」
「うん」
そんな話をした。
何を食べるか。
エリーゼ3が昼間また何かに怒っていたこと。
ジーノが今度妙な店へ連れて行きたがっていること。
モルフォが最近シアンの話を聞いてくれないこと。
「何の話?」
「言わない」
「じゃあ僕に言う意味ないじゃん」
「聞いてくれないってことだけ知って」
「理不尽だなあ」
どうでもいい話。
でも。
GVの呼吸は少しずつ落ち着いていった。
「シアン」
「何?」
「ありがとう」
「……うん」
「今日は寝られそう」
「ほんと?」
「たぶん」
「またたぶん」
「未来のことだから」
「それ好きだね」
「便利だから」
「便利って言わないで」
GVが目を閉じる。
シアンは黙る。
少しして。
「……寝た?」
返事はない。
「GV?」
やはり返らない。
今度は穏やかな呼吸だけが聞こえる。
「……」
シアンは少し安心して、その顔を見る。
寝ている。
ちゃんと。
苦しそうではない。
それだけで胸が軽くなる。
『寝た?』
小さな声。
モルフォが姿を現す。
「……うん」
『今日は静かね』
「うん」
『アンタも寝たら?』
「もう少しだけ」
『見張るの?』
「違う」
『じゃあ何』
「……いるだけ」
モルフォは何も言わなかった。
シアンはGVを見る。
少し前まで。
この人に助けてもらったから、一緒にいるのだと思っていた。
大切にされたから、自分も大切にしている。
そういうところも確かにある。
でも。
それだけではない。
自分が見た。
自分が知った。
自分が好きになった。
「ねえ、モルフォ」
『何』
「わたしさ」
『うん』
「やっぱりGVのこと好き」
『知ってる』
「そういう言い方しないで」
『何回聞いたと思ってるのよ』
「でも今はちゃんと分かったから」
『何が』
「助けてもらったから好きなんじゃないって」
モルフォは黙って聞く。
「わたしが好きになったんだって」
『うん』
「だから」
シアンは少しだけ笑う。
「GVにも、いつかわたしを好きになってもらいたい」
『恋愛的に?』
「……うん」
『今更そこ照れる?』
「うるさい」
少し間を置く。
「でも、GVが自分で決めてほしい」
『アンタがそうしたみたいに?』
「うん」
「助けたからとか、わたしが好きだからとか、そういうんじゃなくて」
GVの寝顔を見る。
「わたしだから」
その言葉が、一番しっくりきた。
「わたしだから好きって、思ってもらいたい」
モルフォが少しだけ目を細める。
『じゃあ頑張りなさい』
「うん」
『何するの』
「まず」
『うん』
「もっとわたしのこと知ってもらう」
『まあ普通ね』
「わたしが好きなものとか、やりたいこととか」
『うん』
「あと、帰ってきたら楽しいって思ってもらう」
『なるほど』
「わたしのところに帰りたいって思ってもらう」
『……』
「何」
『いや』
モルフォは少し笑った。
『いいんじゃない』
「ほんと?」
『アンタにしては』
「余計」
『でも』
モルフォはGVを見る。
『そこまで決めたなら、もうアタシに毎日「ほんっとにGVは……」って言わなくてもよくない?』
「それは別」
『何でよ!』
「明日も何かするかもしれないじゃん」
『その度に聞かされるの!?』
「だって聞いてほしいし」
『嫌!』
「モルフォ!」
『アタシもうGVの行動日記じゃないんだけど!』
「わたしの一部なんでしょ!」
『だから余計に知ってるのよ!』
小声で言い合う。
GVは起きない。
シアンは慌てて声を落とす。
「起こしたらどうするの」
『アンタが先に大きい声出したんでしょ』
「モルフォが!」
『はいはい』
「またそれ!」
それでも。
シアンは笑っていた。
◇
翌朝。
GVは目を覚ました。
しばらく天井を見る。
「……」
いつもなら。
最初に白い光を思い出す。
ゼロブレイド。
途切れる蒼雷。
最後の言葉。
でも今日は違った。
「……朝?」
夢は見た。
多分。
何か白いものを見た気がする。
けれど、そこで目を覚まさなかった。
途中から何を見ていたのか覚えていない。
身体を起こす。
ベッドの横。
シアンが座ったまま寝ていた。
「……本当にいたんだ」
昨日の会話を思い出す。
帰ることを諦めない。
そう約束した。
絶対に帰るとは言えない。
それでも。
帰ろうとすることはできる。
「シアン」
「……ん」
「朝だよ」
「……GV?」
「うん」
シアンが目を擦る。
それから一番最初に聞いた。
「夢は?」
「少し見た気がする」
シアンの顔が曇る。
「でも」
「何?」
「前よりマシだった」
「ほんと?」
「うん」
その瞬間。
シアンの顔が明らかに明るくなった。
GVは少し笑う。
「シアンのおかげかな」
「……」
シアンが固まる。
「何?」
「知らない!」
「何で急に怒るの」
「怒ってない!」
「怒ってるじゃん」
「違う!」
急に立ち上がる。
「朝ご飯作る!」
「まだ早くない?」
「作るの!」
「分かった」
シアンは逃げるように部屋を出ていった。
GVは一人残される。
「……?」
その後。
モルフォがふっと姿を現した。
『鈍い』
「何が?」
『何でもない』
「最近みんなそれ言うなあ」
『アンタがそういう奴だからでしょ』
「どういう奴?」
『知らない』
「モルフォまで?」
『はいはい』
「その言い方シアンも嫌がってたよ」
『……知ってる』
◇
朝食の支度をしながら、シアンは自分の頬を触った。
少し熱い。
「……何なの」
自分で呟く。
でも。
嫌ではなかった。
GVが眠れた。
少しでも。
それが嬉しい。
そして。
GVに「シアンのおかげ」と言われた。
それだけでこんなに嬉しい。
「……ほんっとにGVは」
『朝から?』
「何!」
『もう始まったの?』
「何が!」
『GVの話』
「してない!」
『今名前言ったじゃない』
「独り言!」
『アタシに聞こえてる時点で独り言じゃないでしょ』
「うるさい!」
『はいはい』
「その言い方やめて!」
モルフォが呆れたように肩をすくめる。
シアンは頬を膨らませながら、それでも朝食を作り続けた。
今日、何をしよう。
GVが帰ってきたら何を話そう。
今度、自分からどこかへ誘ってみようか。
GVの行きたいところについていくだけではなく。
自分が行きたいところを言ってみる。
食べたいものも。
やってみたいことも。
嫌なことも。
全部。
もっと知ってもらいたい。
自分がどんな人間なのか。
ただ助けられたシアンではなく。
ただ守られるシアンでもなく。
一人のシアンとして。
そして、その先で。
もしGVが。
自分の意思で。
自分のことを好きになってくれたなら。
きっと、それが一番嬉しい。
だから急がない。
GVの気持ちはGVが決める。
自分の気持ちは自分が決める。
その上で。
自分にできることは、ちゃんとやる。
GVが外へ行くことを止めるのではない。
誰かを助けることを嫌いになるわけでもない。
むしろ。
そういうGVだから、好きになった。
だったら。
帰ってきたいと思える場所になればいい。
帰ったら自分がいる。
話したいことがある。
一緒にしたいことがある。
今日も帰ろう。
そう思ってもらえる相手になればいい。
「……よし」
『何が?』
「決めた」
『だから何を』
「秘密」
『さっき全部聞いたけど』
「モルフォ!」
『ほんっとに面倒くさいわねアンタ』
「誰のせい!」
『GVのせいじゃない?』
「……」
『ほら黙った』
「うるさい!」
リビングの向こうからGVの声がした。
「シアン、何かあった?」
「何でもない!」
「朝から元気だね」
「GVは黙ってて!」
「何で僕まで怒られたの?」
シアンは返事をしなかった。
代わりに、小さく笑った。
きっと今日も、GVは誰かにお節介を焼く。
きっとまた心配する。
きっと腹も立つ。
そして多分。
そのたびに、また好きになる。
それでいい。
これは誰かに与えられた感情ではない。
誰かに決められたものでもない。
シアンが自分で選んだものだ。
自分で見つけた。
初めての恋。
そしてこれから、その恋をどうするのかも。
自分で決めていく。
――戦いのあとは、日常へ。
「わたし、商店街の方行きたい」
シアンとの買い物。
「一人で行ってみたいです」
エリーゼの、小さな挑戦。
そして――
「見つけたぞ、ガンヴォルト」
「……何でミニ四駆持ってるの?」
アキュラ乱入。
「シアァァァン! オレとデートしようぜ!」
「行かない」
デイトナも乱入。
その夜は――
「あ、ここ好き」
「もう始まってる。オタトーク」
スパイディを前に、GVがまさかの早口。
誰かを助けて。
遊んで。
笑って。
帰る。
第十九話
「隣人の日常」
「……今日、楽しかったな」
次回も、グッドラック。