ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
1978年。凍てつくような冬の寒さが和らぎ、春の気配が混じり始めた二月の終わり。
ノストラード本部の玄関前で、黒塗りの車が出発を待っていた。
後部座席へ乗り込む前、ライトは仕立ての良いスーツの襟を正し、見送りに出てきたヴィクターへ視線を向けた。
「ボス。本日の競売での買い付け予算ですが、一千万ジェニーほど口座に確保しておきました。不足があればすぐに手配いたしますが」
ヴィクターが確認を取る。
「いや、そんなにいらない。今日は買うより見たいんだ」
「品物をですか?」
「客を、だ」
ライトはそれ以上説明せず、黒塗りの車へと乗り込んだ。
本日は、先月知り合った富豪ハロルド=グレンから紹介された、会員制の古物競売会の日だった。
世界規模で裏社会が熱狂するような巨大な地下競売ではない。参加者は百人にも満たない。富裕な個人収集家、一部の限られた古物商や美術商、研究機関の代理人、そして裏社会の人間が少し混ざる程度の、あくまでヨークシンの「金を持っている収集家層」が集う、クローズドな社交場だ。
いきなり十老頭が顔を揃えるような場所ではないが、ノストラード組が今後ビジネスを広げていくための、富裕層への最初の入り口としては最適な規模だった。
今回、ヴィクターには本部での実務を任せ、同行したのは古物商のエドガーと、運転手兼護衛の若い組員一人だけだ。マーロウも外している。今日は危険な無法地帯へ乗り込むわけではなく、あくまで表寄りの競売会だからだ。もちろん、マフィアの組長として最低限の警戒は怠らず、ライトは必要な時だけすぐ《凝》へ移れるよう、集中だけは切らさないようにしていた。
数時間後、ヨークシン中心部の格式高いホテルへ到着し、重厚な扉の前で招待状を提示すると、黒服のスタッフが恭しく頭を下げ、ライトたちを会場へと招き入れた。
シャンデリアが眩い光を放つ宴会場には、すでに数十人の参加者が集まっていた。大半が四十代から七十代の、恰幅が良く、一目で金と権力を持っていると分かる男たちだ。
その中で、二十二歳の若いライトは当然目立つ。あちこちから値踏みするような視線が飛んでくるが、エドガーの付き添いで来ている「どこかの地方マフィアの若造」という程度の認識らしく、すぐに興味を失って品物の下見へと戻っていく。
「来たか、ライト君」
会場の奥から、白髪を綺麗に撫で付けたハロルド=グレンが歩み寄ってきた。
「ご招待いただき、ありがとうございます」
「いやいや、君のような見込みのある若者を紹介できて私も鼻が高いよ」
ハロルドは上機嫌で、近くにいた数人の知人をライトに紹介してくれた。だが、彼がこの場にいる全員を紹介してくれるわけではない。ライトとエドガーは、挨拶もそこそこに、競売前の展示室へと足を運んだ。
展示室には、絵画、彫刻、武具、宝石、そして得体の知れない古物の数々が、美しくライトアップされて並んでいた。
ライトは、参加者たちの動きを観察した。
(……見事なまでに、バラバラだな)
ある老人は、ガラスケースに入った古代の石板から一歩も動こうとしない。
ある男は、血生臭い来歴のありそうな古い武器だけを舐めるように見つめている。
また別の人物は、巨大な珍獣の剥製を、手帳に何かを書き込みながら熱心に観察している。
そして。
あるガラスケースの前には、ホルマリンのような保存液に浸かった『人体の一部』が展示されていた。
(…………いるなあ)
ライトは、前世で漫画として読んでいたH×H世界の悪趣味な一面が、現実の商品として目の前に並んでいることを実感した。
設定として読むのと、本物の人間の一部をガラス越しに見るのとでは、やはり印象が違う。
「あれは、アルフォンス=ベルガー氏ですね」
隣にいたエドガーが、そのケースの前に立つ上品な初老の男を視線で示した。
「医療機器メーカーの経営や、病院、研究施設への投資で莫大な財を築いた実業家です。……趣味は、特異な病理標本や、医学史関連の収集だそうです」
「医学史ねえ」
上品なスーツを着こなし、穏やかな微笑みを浮かべるベルガーは、展示された標本をルーペまで使って熱心に確認していた。
特異な骨格、希少な病理標本、著名人や凶悪犯罪者の身体標本、奇形標本、珍しい眼球や臓器の保存標本。
少なくとも、ライトには一生理解できそうにない収集分野だった。
やがて、競売が始まった。
競売人が登壇し、次々と品物がさばかれていく。
そして、例の保存標本の番が来た。
『百年以上前に処刑された、著名な連続殺人犯の保存右手。医学資料として長く某大学で保管されていたもので、正式な所有記録がございます。最低価格、八十万ジェニーから』
開始の声が落ちると、ほとんど間を置かずに札が上がった。
「百万」
ベルガーだ。穏やかな声で、平然と値をつり上げる。
「百三十万」
別の収集家が対抗する。
「百八十万」
ベルガーは表情一つ変えずにさらに札を上げる。
最終的に、その右手は数百万ジェニーでベルガーの手に渡った。
ライトは金額そのものよりも、「この商品には本当に数百万を払う客が存在する」という事実の方を頭に残した。
休憩時間。ハロルドの紹介で、ライトはベルガーと直接言葉を交わす機会を得た。
「先ほどの標本、見事でしたね」
ライトが水を向けると、ベルガーは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。切断は死後四時間以内に行われたと見えますし、腱の処理の仕方が、いかにもあの年代の特有の保存法でしてね。実に興味深い」
その口調は、珍しい古酒や絵画について語る収集家と何も変わらない。
ライトはベルガーの趣味に共感する必要はないと割り切り、営業上必要な範囲だけ話を続けた。
「ノストラード組の若い組長さんですね。ハンターとの取引も手広くされていると、噂で聞きましたよ」
どうやら、窓口事業の口コミは、ヨークシンの富裕層にも少しずつ届き始めているらしい。
「ええ。運送の手配や、雑務を少しばかり請け負っているだけですが」
「ハンターの方々なら、珍しい人体標本が手に入ることも?」
ベルガーの関心が、標本からライトへ移った。
ライトは少しだけ言葉を選んだ。
「正規に取引できる物で、入手経路と所有権がはっきりと確認できるものなら、売却先としてベルガー様をご紹介することはできますよ」
人を殺して珍しい臓器を持ってこい、という注文まで受ける気はない。しかし、合法で所有権が明確な医学資料の市場そのものを拒絶する理由もなかった。
「なるほど。お若いのに、非常に慎重だ。素晴らしい」
ベルガーは満足そうに頷いた。
ライトも名刺を受け取り、取引する場合には来歴確認が重要になる相手だということだけ覚えておいた。
競売が再開される。
次の注目商品は、古代ラカーム文明の遺跡から発掘されたという、未解読文字が刻まれた石板だった。
大きさは机に乗る程度。開始価格は二百万ジェニー。
「一千万」
あっという間に価格が跳ね上がる。
声の主は、最前列に陣取る六十代後半ほどの男だった。エドガーによれば、セオドア=マインツ。元資源会社の経営者で、現在は財団を運営し、古代文明や宗教史の研究に莫大な資金を投じているという。
セオドアは、ただ遺物を買って自室に飾るだけの収集家ではない。それがどこから出たのか、どのような文明間交流の証拠になるのかという「歴史的価値」に重きを置いているらしい。
「あのセオドアという男、遺跡なら何でも買うのか?」
ライトが小声でエドガーに尋ねる。
「いいえ。彼が好むのは、未解読文字、宗教遺物、王墓の副葬品など、学術的な価値が高いものです。それに……」エドガーは少し声を潜めた。「彼は、新しい遺跡の調査そのものに、莫大なスポンサー資金を出すことでも有名です」
「調査そのものに?」
ライトが聞き返す。
「ええ。発掘道具、人員、輸送費、研究者の派遣まで。案件によっては何年も資金を出します」
つまり、品物の買い手というだけではなく、調査そのものへ金を出すスポンサーでもある。
ライトはそれ以上何も言わず、セオドアがどんな品に札を上げるのかを見続けた。
その後も、競売は様々な欲望の形を見せつけた。
巨大な幻獣の骨格標本には、ローデリック=フェインという、広大な私設動物園を持つ珍獣コレクターが猛烈に競り合った。
他の客が「珍しい骨だ」と感心している横で、ライトは全く違うことを考えていた。
(これ、生きたまま運べって言われたら、クソ面倒そうだな。温度管理、振動対策、検疫……飛行船の手配だけでも一苦労だ)
物流屋としての視点だった。
未知の特殊鉱石が出品された時は、個人の収集家だけでなく、企業の研究所から派遣されたらしい代理人や、技術顧問らしき男たちが入札へ加わった。
(こっちはコレクターじゃないな。会社が買ってるのか)
企業の人間たちは見栄えではなく、産地や硬度、熱への反応、加工可能性について係員へ質問している。
ライトは彼らがどの企業の人間なのか、後でエドガーに確認しておこうと思った。
そして、ライトにとって非常に興味深い光景もあった。
競売会社の専属と思われる鑑定人だ。オスカー=ライルという四十一歳の男。
ライトが数秒だけ《凝》で観察すると、オスカーは出品物に素手で触れ、細いオーラを品物に纏わせた。しばらく目を閉じた後、競売人に向かって「この品は、申告された所有期間と矛盾があります」などと指摘している。オスカーがふと顔を上げたため、ライトは自然に視線を展示品へ戻した。
(念を、鑑定に使ってるのか)
これまで身近で見てきた念能力者は、マーロウのように危険な現場を仕事にする人間だった。目の前の男は、念を使って品物を調べ、その専門技術で報酬を得ている。
(……今の《凝》、気づかれたか?)
オスカーは特にこちらを見る様子もなく、次の品物の確認へ移っていた。
中盤過ぎ、一際異彩を放つ品が出品された。
古代の葬送用仮面。来歴には、「過去の所有者が何人か不可解な死を遂げた」という、いわくつきの文言が添えられている。
何度か《凝》を使ったせいか、ライトの目の奥には薄い重さが残り始めていたが、それでも仮面へ視線を向けた瞬間、今までとは明らかに違うものが見えた。
(……濃い)
先日見つけた彫刻家の工具に残っていたものとは違う。見るだけで気分が悪くなるような、どす黒く、嫌なオーラの塊だった。
物に残る念が、すべて無害とは限らない。
先日マーロウから受けた警告を思い出す。
(……これ、触りたくないな)
ライトは入札の札から手を離した。
その仮面は、競売人からバルタザール=クロイツと呼ばれた男が高値で落札していった。エドガーによれば、呪われた品や超常現象にまつわる古物を好んで集める富豪らしい。
(こういう客は、うちから積極的に売りに行く必要はないな)
危険な呪物が高値で売れると組の人間が知れば、今度はそれを探して持ち込もうとする者が出るかもしれない。
それは困る。
競売の終盤。ライトはエドガーがすすめる手頃な品を一つだけ落札した。
無名の若手工芸家が作った小型の木彫り。五十万ジェニー。技術は荒削りだが、ライトの《凝》には、微かだが熱を帯びたオーラが見えていた。
「エドガー。この作者、まだ生きてるのか?」
「ええ。まだ二十歳そこそこの無名の若手のはずです」
「連絡先だけ、念のため調べておいてくれ」
《凝》で将来の成功まで分かるわけではない。ただ、これほど熱を込めて物を作る人間なら、一度本人を見てみる価値はあるかもしれなかった。
競売が終わり、ライトとエドガーはホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら、一息ついていた。
「今日の収穫は、落札した木彫りより、客の顔ぶれだな」
ライトは記憶を整理するように、口に出して確認した。
「セオドアは古代文明。ベルガーは人体と医学史。フェインは幻獣と生体。未知素材は企業筋。クロイツは……呪物コレクター。できれば関わりたくない」
「大体その認識で間違いないかと」
エドガーが頷く。
「エドガー。帰ったら、今日顔と名前が一致した連中の情報をまとめてくれ」
「住所録ですか?」
「それじゃ足りない。氏名、資金力、欲しい分野、特に高く買う条件、過去の落札傾向、そして取引する上での注意事項だ。……『買い手台帳』を作ろう」
エドガーは少し考え、すぐに頷いた。
「それなら、売り物が来た時に最初から当たりを付けられますね」
競売へ出す前に、欲しがりそうな相手へ直接話を持ち込める品もある。
エドガー自身、長年の経験で似たことは頭の中に蓄積していたが、それをノストラード側でも共有できる形にすることには意味があった。
夜。
ノストラード本部の執務室へ戻ると、ヴィクターが、今日ハンター窓口に届いた案件のリストをまとめて待っていた。
「ボス、お帰りなさいませ。一件、窓口に少し変わった売却相談が来ています」
リストの一番上。
依頼人は幻獣ハンターだった。珍しい鳥を追って未開の山岳地帯へ入った際、崩れた石造建築の遺跡を偶然発見し、そこで『文字の刻まれた小型の石板』を拾ったという。合法的な持ち出しは確認済みだが、本人は古代文明の知識がなく、「売れるなら売りたいが、鑑定できる人間を知らないか」という相談だった。
これまでなら、まずエドガーへ鑑定を頼み、買い手についてはその後に考えていただろう。
ライトは、同封されていた不鮮明な写真と、大まかな発見場所のメモを確認した。
今日の競売で、未解読文字の石板に平然と一千万ジェニーを提示していた老人の顔が浮かぶ。
ライトは迷わず電話の受話器を取った。
「エドガーか? 俺だ」
『はい、ボス。どうされました?』
「今日会った、セオドア=マインツに連絡を取れるか?」
『……直接の連絡先は知りませんが、財団の窓口経由なら可能かと』
「うちの窓口に、古代文字らしい石板の売却相談が来てる。まずはあの人に見せたい」
電話の向こうで、エドガーが一瞬沈黙した。
『分かりました。写真と、公開していい範囲の情報を送ってください』
セオドアが興味を示すかどうかは、まだ分からない。
ただ、現物だけでなく発見場所にも関心を持つ男だということは、今日見聞きしたばかりだ。
もし話が広がるなら、その時に必要な人員や輸送を手配すればいい。
「ボス。今回は、うちでその石板を買い取らないんですか?」
不思議そうに尋ねるヴィクターに対し、ライトは受話器を置きながら答えた。
「必要ないさ。売りたい奴と、買いたい奴が、もうそこにいるんだからな」
ライトの机の上には、今日作り始めたばかりの『買い手台帳』が開かれていた。
セオドア=マインツの欄。
『古代文明。未解読文字。発掘調査への出資実績あり』
ライトはその一行を書き足し、次の未処理案件のファイルを開いた。
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