ビワコがナルトの存在を知ったのは、本人に会う前日の夜だった。
ヒルゼンは食卓へ三冊の記録を置いた。
一冊は自来也の旅帳。
一冊は四年前の出産記録。
もう一冊は、十月十日の警備記録。
「話がある」
「その顔で帰ってくれば分かるよ」
ビワコは煮物の鍋へ蓋をした。
「何だい」
ヒルゼンは最初から最後まで話した。
省略しなかった。
自来也が一年間、身元を伏せて保護していたこと。
子供の名。
年齢。
誕生日。
外見。
四代目を死者として知っていること。
自分を現役火影として知っていること。
クシナとミナトの反応。
封印の異常。
「……ナルト、か」
ビワコはそれだけ言った。
「明日、会ってくれるか」
「私が必要なんだろ」
「証人としては」
「証人だけかい」
「何が言いたい」
「四年前、あの子を取り上げたのは私だ」
ヒルゼンが黙る。
「名前を聞いただけで、平気でいられると思ったかい」
「……思っておらん」
「なら最初からそう言いな」
ビワコは椅子へ座った。
「会うよ」
「うむ」
「ただし」
「何じゃ」
「私を見て『知ってる』って言わなくても、がっかりした顔するんじゃないよ」
ヒルゼンが目を上げる。
「向こうで私がどうだったかなんて、あの子は知らないかもしれない。死んでいたのか、会わなかっただけなのか、それも分からない」
「分かっておる」
「分かってる人間は、そんな顔しない」
「どんな顔じゃ」
「また一人失ってたのか、って顔だよ」
ヒルゼンは返事をしなかった。
「知らないことは、知らないまま置きな」
「……うむ」
それは、この調査で何度も必要になる言葉だった。
◆
翌日。
猿飛家の玄関で、ナルトはビワコを見るなり自来也の後ろへ半歩隠れた。
「こわい?」
自来也が小声で聞く。
「ちょっと」
「聞こえとるよ」
ビワコが言った。
ナルトがさらに半歩下がる。
「逃げるな。飯は食わせる」
「飯?」
「そこに反応するのかい」
ヒルゼンが咳払いした。
「ナルト。妻のビワコじゃ」
ナルトは首を傾げる。
「じっちゃんの?」
「そうじゃ」
「ほんとにいた」
ビワコの眉が上がる。
「何だって?」
「オレのじっちゃん、奥さんいなかった」
「いなかったと決めるな」
ヒルゼンがすぐ訂正した。
ナルトは言い直す。
「知らなかった」
「それでいい」
ビワコが頷く。
「私はお前を今日初めて見る。お前も私を今日初めて見る。それだけ覚えときな」
「ビワコ?」
「様」
「ビワコばーちゃん」
「誰がばーちゃんだい!」
「じっちゃんの奥さん!」
「理屈が雑だよ!」
自来也が吹き出す。
ヒルゼンは顔を背けて肩を震わせた。
「笑うんじゃない!」
「すまんすまん」
その怒鳴り声で、ナルトの緊張が少し解けた。
怖いが、分かりやすい人だと思ったらしい。
◆
食事の後、ビワコはナルトを庭へ出した。
「ヒルゼン。自来也。ミナトも来るんだろ」
「ああ」
「大人の話をするなら、子供を横へ置いとくんじゃないよ」
「誰が見る」
「カカシを呼んだ」
ちょうど門から銀髪が現れた。
「呼ばれました」
「ナルトと外で遊んどいで」
「オレ、子守役ですか」
「嫌かい」
「逆らえる雰囲気じゃないですね」
「分かってるじゃないか」
ナルトは庭へ出ながら言う。
「カカシ、ビワコばーちゃん怖い」
「オレもそう思う」
「聞こえてるよ!」
二人が同時に背筋を伸ばした。
戸が閉まる。
そこでようやく、四年前の十月十日が卓上に開かれた。
◆
「まず、こちらの記録」
ミナトが警備記録を開く。
「出産開始から約二時間後。外周時空間結界に一度だけ異常反応」
「覚えとる」
ヒルゼンが頷く。
「内周は?」
ビワコが聞く。
「破られてない。誰も出産室へ侵入していない。少なくとも記録上も、立会人の証言上も」
「九尾は」
「クシナから頑張ってくれた。封印は出産で緩んだけど、俺が維持して戻した」
ビワコが出産記録を開く。
「赤子は一度産声を上げた」
ミナトの指が止まる。
「……はい」
「髪は金。頬に左右三本の痕。呼吸、最初はあり。封印を戻した直後、母体側のチャクラに大きな揺り返し。その直後、赤子の脈が急落」
「原因は」
自来也が聞く。
「当時は九尾由来のチャクラ障害と判断した」
ビワコは言葉を切る。
「でも、今なら“それだけ”とは言わない」
「外周の時空間異常か」
「関係した可能性はある。ない可能性もある。記録だけでは結べない」
ミナトが頷いた。
「そこは未確定のままにします」
「そうしな」
次に、自来也が旅帳を開く。
「向こうのナルトが言えることは少ない」
最初の一か月。
『木ノ葉』
『ジッチャン、火影』
『四代目、死んだ』
『大きな狐』
言葉が増えてからも、大筋は変わらなかった。
三代目が現役火影。
四代目は九尾から里を守って死亡。
両親の名は知らない。
ビワコの名も知らない。
「重要なのは、知らないことまで埋めないことじゃ」
ヒルゼンが言う。
「向こうの十月十日について、ナルト本人が知っているのは後から聞いた英雄譚だけ。出産室の出来事は知らん。知れるわけもないが。」
「じゃから、比較できるのは里の状況と生活の痕跡」
自来也が紙を並べる。
「三代目が現役。四代目が故人。ナルトの住居についての記憶。木ノ葉の店の配置。あと一年の旅で、本人が嘘を維持するには細かすぎる断片がいくつも出た」
「嘘ではない、までは心理評価でも出てる」
ミナトが言う。
「ただし、記憶が真実かは別」
「そう」
ビワコが短く答える。
「本人が信じてることと、実際に起きたことも分ける」
全員が頷いた。
◆
次に、ミナトは一枚の紙へ二本の線を引いた。
左――ナルトの記憶側。
右――こちらの確認記録。
左。
十月十日、九尾襲撃。
四代目死亡。
三代目復帰。
右。
十月十日、外周に時空間異常。
九尾襲撃なし。
四代目生存。
三代目引退継続。
出生したナルト死亡。
二つの歴史は、一か所を境に逆方向へ開いている。
「これだけ見ると、分岐に見える」
自来也が言う。
「見えるだけです」
ミナトが答える。
「証明はまだ」
「慎重だね」
ビワコが言った。
「そうしないと、俺が一番先に答えへ飛ぶから」
誰も否定しなかった。
「じゃあ次は何を見る」
ヒルゼンが聞く。
ミナトは旅帳の後半を開いた。
「先生の一年間の記録」
日付。
場所。
周辺術式。
反応の強度。
一年分の記録がある。
「十月十日前後だけ、外部刺激なしでも反応が上がってる」
「今年は像まで出た」
自来也が補う。
「次に、ナルトの封印。クシナが触れて“知っているが自分ではない”反応を感じた」
「感覚は証拠に弱い」
ビワコ。
「だから客観反応を取る」
「九尾か」
ヒルゼンの声が低くなる。
「クシナ側の九尾が何を感じるか。ただし、ナルト本人には中身の名を教えない。まだ必要がない」
「本人の同意は?」
「外からの反応確認だけ。触れる前に説明する」
ビワコがようやく頷いた。
「それなら進めな」
◆
大人の話が終わった頃、庭からナルトの声がした。
「カカシずるい!」
「忍は工夫するものだよ」
「子供相手に本気出すな!」
自来也が戸を開ける。
二人は木の駒を石の上へ投げ、どちらが線に近く止められるか競っていた。
ナルトの駒は線から一尺。
カカシの駒は線の上。
「大人げない」
ミナトが言う。
「手を抜くと怒るんですよ」
「当たり前だってばよ!」
ビワコが動きを止めた。
「今の」
クシナがいない。
だから比較対象をその場で聞かない。
「何?」
ナルトが振り返る。
「いや。変わった喋り方だね」
「普通」
「普通じゃないよ」
「クシナも言う!」
「そうかい」
ビワコはそれだけで終えた。
後でクシナ本人へ確認すればいい。
その場で血縁の証拠のように騒がない。
似ているものは似ている。
それ以上でも以下でもない。
「ナルト」
ビワコが呼ぶ。
「何?」
「腹減ったかい」
「ちょっと」
「煮物が残ってる」
「肉ある?」
「野菜を先に食べな」
「えー」
「嫌ならなし」
「食べる!」
即答した。
ビワコが鼻を鳴らす。
「現金な子だね」
でも、皿は一枚多く出した。
四年前の証言をいくら積み上げても、今日の夕飯にはならない。
過去を確かめる仕事と、今いる子供へ飯を食わせる仕事。
どちらも必要だった。
そして後者は、正体が確定するまで待つ必要がなかった。