ミナトは自分の字が好きではない。
読みやすいとは言われる。
術式に向いているとも言われる。
線が一定で、余白が揃い、あとから見返しても何を意図したか分かる。
それは褒め言葉なのだろう。
けれど、自分で古い封印式を見ると、性格の悪いところまで全部残っているようで落ち着かない。
「相変わらず、逃げ道が多い」
自来也が言った。
火影塔の地下資料室。
机には、若い頃のミナトが書いた封印式の写しが十数枚広がっている。
「安全設計です」
「心配性って言うんだ」
「失敗してから考える先生よりいいでしょう」
「ワシは現場対応力がある」
「計画性がないだけです」
「お前、火影になって口悪くなったな」
「先生相手だけです」
隣でヒルゼンが煙管を置いた。
「遊ぶなら外でやれ」
「遊んでません」
二人の声が重なった。
机の端には、自来也の旅帳がある。
今日確認するのはナルト本人ではない。
これまでに外側から取った反応だけだ。
一年前。
口寄せを使おうとした時の位相反応。
冬宿りの小屋で簡易封印を張った時の反応。
春、街道沿いの結界石を通過した時。
夏、古い時空間術式の跡地を遠巻きに通った時。
そして十月十日。
自来也は毎回、距離と時刻と反応の強さを書いていた。
最初は乱雑だった。
途中から表になった。
ミナトはその変化を見て少し笑った。
「先生、途中から真面目ですね」
「最初から真面目だ」
「最初の三ページ、“腹が光った”“すぐ消えた”“機嫌悪い”しか書いてない」
「三歳児抱えながら書いたんだぞ」
「それは……ありがとうございます」
急に素直に言われ、自来也が黙った。
「そういうのやめろ」
「何がです」
「調子狂う」
ヒルゼンが小さく笑った。
◆
ミナトは旅帳の値を別の紙へ写した。
横軸に時間。
縦軸に反応強度。
そして、使われた周辺術式の種類を記号で入れる。
「口寄せだけに反応してるわけじゃない」
「最初からそう言っとる」
「でも共通点が見えた」
自来也が身を乗り出す。
「何だ」
「“場所を指定する術”」
「場所?」
「口寄せ。時空間結界。遠隔転送の補助式。全部、ここからどこかを指定する」
ヒルゼンが紙を見る。
「普通の結界には?」
「反応が弱い。遮断や警戒だけの結界はほぼ無反応です」
「つまり、ナルトに残っとるのはチャクラ量に反応する傷じゃない」
「位置を定義する処理へ反応してる」
自来也が腕を組む。
「それなら、あの日の裂け目とも筋は通る」
「まだ筋が通るだけです」
「分かっとる」
ミナトは別の資料を出した。
四年前の十月十日。
クシナの出産場所を囲んでいた外周結界の記録。
こちら側では侵入者は内部へ入らなかった。
だが、出産の最中。
外周の一点で短い時空間異常が観測されている。
「この座標」
ミナトが指す。
「ナルトが一年後に強く反応した時、自来也先生がいた場所を基準にした式へ変換すると」
紙を重ねる。
完全一致ではない。
距離も国も違う。
けれど。
「空間座標そのものじゃない」
自来也の目が細くなる。
「そうです」
「位相の印が同じ」
ヒルゼンが聞く。
「説明できるか」
ミナトは少し考えた。
「同じ家の、違う部屋みたいなものです」
「雑じゃな」
「三代目様向けです」
「喧嘩売っとるのか」
「もっと正確に言うなら、場所の三つの座標は違う。でも“どの層に属しているか”を示す補助値が、四年前の異常とナルトの残滓で一致している」
「それは通常?」
「あり得ません。少なくとも、木ノ葉が使っている時空間術式体系では」
自来也が旅帳をめくる。
「ワシが各地で拾った既知術式にもない」
「先生が知らない術は多いですよ」
「一言多い」
「でも、未知の術者が作った可能性は残る」
「そうじゃな」
ヒルゼンは頷いた。
「まだ“別世界”しか説明できんわけではない」
「はい」
ミナトはそこで止めた。
答えを急がない。
それがこの数週間で一番難しい仕事だった。
◆
午後。
今度は封印式を見た。
ナルトの腹部へ直接入らない。
前回、外層へ薄くチャクラを触れさせた時に浮かんだ線を、ミナトが記憶から紙へ起こしている。
完全な式ではない。
扉の外から錠前の輪郭をなぞった程度だ。
それでも自来也は、紙を見た瞬間に嫌な顔をした。
「お前だな」
ミナトの筆が止まる。
「早すぎません?」
「形じゃない」
「じゃあ何です」
自来也が一か所を指す。
「ここ」
外周から内側へ入る線。
途中で二つに分かれ、一方が戻る。
「普通なら、一本で足りる」
「非常時用の戻しです」
「だからお前だって言ってる」
別の場所。
「ここも」
「何が」
「封印対象が暴れた時、器側へ直接圧を返さず、一度外周へ逃がす」
「安全のためです」
「お前は昔からそうだ。力で押さえ込めるのに、押さえ込めなかった時の道を先に作る」
ミナトは黙った。
自分で見れば、似ていると思う。
だが自分の作品だからこそ、そう見たがっている可能性もある。
師に言われると重さが違った。
「文字を真似された可能性は」
「ある」
「術式を盗まれた可能性」
「ある」
「じゃあ証拠には」
「単独ではせん」
自来也は即答した。
「ただな」
紙の隅へ指を置く。
「術ってのは、何を怖がるかが出る」
「怖がる?」
「お前がこの式で一番怖がってるのは、封印対象が逃げることじゃない」
ミナトは目を上げた。
「器を壊すことだ」
部屋が静かになる。
「対象を閉じ込める線より、器側へ負荷が行かない逃がしが多い。若い頃から変わらん」
自来也は笑わなかった。
「これを作った奴は、“中身を閉じ込める”より“子供を生かす”方を優先してる」
ミナトの喉が動いた。
四年前。
向こうの自分が何を選んだのか。
ナルトは知らない。
自分たちも、まだ推測しかできない。
それでも。
もし。
もし本当に自分なら。
「先生」
「何だ」
「俺だったら、そうします」
「知っとる」
短い返事だった。
◆
その日の夕方。
ナルトは火影塔の屋上で、ミナトが描いた地図を広げていた。
「ここ、カカシ」
「うん」
「ここ、ジッチャン」
「そう」
「ここ、クシナ」
指が波風家で止まる。
言い方に少し迷ったらしい。
「……ミナトも」
「俺もいるよ」
「じらやは?」
「今はこっち」
宿舎の位置へ丸を描く。
「でも先生はまた旅に出るから、ずっとそこじゃない」
ナルトの指が止まった。
ミナトはすぐ気づいた。
「帰ってこないって意味じゃないよ」
「いつ?」
「まだ出る日も決まってない」
「出たら?」
「先生が自分で言う」
「ミナト知ってる?」
「聞く」
ナルトは地図を見た。
「じらや、地図にいない」
「じゃあ」
ミナトは紙の端へ、小さな丸を一つ描いた。
木ノ葉の外。
「ここを先生の丸にしよう」
「どこ?」
「決まってない場所」
「へん」
「旅する人だからね」
ナルトが考える。
「でも戻る」
「戻る」
「じゃあ線」
「線?」
ナルトが鉛筆を取る。
地図の端の丸から、木ノ葉へ線を引いた。
曲がっている。
途中で紙の文字を突っ切る。
それでも最後は木ノ葉の丸へ届いた。
「帰る道」
ミナトはしばらく何も言えなかった。
「そうだね」
その線を消さなかった。
自分の家へだけ線を引かせるつもりはなかった。
帰る道は一つでなくていい。
それを言葉ではなく、地図の上で先に教えられた気がした。
◆
夜。
ミナトはクシナへ今日の結果を伝えた。
「先生は?」
「かなり似てると言った」
「あなたは?」
「俺も」
「じゃあ」
クシナが言いかける。
ミナトは首を振った。
「まだ」
クシナは唇を噛んだ。
「怖い?」
「うん」
「私も」
二人の間に、四年前の木札がある。
ナルト。
まだ棚へ戻していない。
「次は?」
クシナが聞く。
「外層へ入る」
「あなたが?」
「うん」
「大丈夫なの」
「分からない」
「ナルトは」
「本人に説明する。嫌ならしない」
「もし、中で何もなかったら」
ミナトは木札を見る。
「それも答えの一つ」
「もし、いたら」
今度は長く黙った。
「それでも、ナルトに何をしてほしいかは決めない」
クシナが目を伏せる。
「……うん」
「証明と、家族になることは別だから」
「分かってる」
「分かってても、俺は忘れそうになる」
「私も」
それを言えることが、少しだけ救いだった。
次の確認は。
火影でも封印術者でもなく。
父親だったかもしれない男として、一番怖い場所へ入ることになる。