星を渡って、ただいまを 作:ka_na
波風家で暮らし始めて最初の一週間。
ナルトは毎朝、旅袋を作った。
寝間着を畳む。
手拭いを入れる。
地図を入れる。
自来也の本。
木の駒。
最後に、クシナが用意した着替え。
全部入れて、口を縛る。
一日目。
クシナは何も言わなかった。
二日目。
ミナトも見ているだけだった。
三日目。
ナルトは旅袋を背負って朝食を食べた。
「重くない?」
クシナが聞く。
「へいき」
「どこ行くの?」
「カカシ」
「帰ってくる?」
ナルトが止まる。
自分がいつも聞く言葉を、クシナから聞かれた。
「帰る」
「何時?」
「夕飯」
クシナが笑う。
「分かった。待ってる」
その日の夕方。
ナルトは帰ってきた。
旅袋も一緒だった。
四日目。
また全部入れた。
五日目。
本だけ棚へ残した。
六日目。
寝間着も残した。
七日目。
旅袋は空のまま、部屋の隅に置かれていた。
誰も褒めなかった。
誰も「やっと家だと思った」と言わなかった。
ナルト自身も何も言わない。
ただ、朝飯を食べて。
「行ってきます」
と言った。
「行ってらっしゃい」
二人が返した。
それで十分だった。
◆
以前、ナルトは一度だけ二人を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んだ。
その後はミナトとクシナに戻る日もあった。
二人とも訂正しなかった。
呼び方が、考えて選ぶ言葉ではなくなったのは、もっとどうでもいい時だった。
クシナが洗濯物を干していた。
ナルトは庭で木の駒を投げている。
風が強い。
干したばかりの布が一枚飛んだ。
「ナルト、取って!」
「どれ!」
「白いやつ!」
「いっぱい白い!」
「一番大きいの!」
布が庭の端へ飛んでいく。
ナルトが追う。
捕まえる。
「取った!」
「ありがと!」
持って戻ってきて。
何気なく。
「母ちゃん、これ?」
クシナが止まった。
ナルトも止まった。
「あ」
言った本人が一番驚いている。
クシナは泣かなかった。
泣いたら、ナルトが引っ込める気がした。
「そう、それ」
普通に受け取った。
「ありがとね」
ナルトは耳まで赤くなった。
「今の」
「何?」
「……間違えた」
「そっか」
「クシナでもいい?」
「もちろん」
「母ちゃんでも?」
クシナの指が布を強く掴んだ。
「もちろん」
ナルトは少し考えて。
「じゃあ、母ちゃん」
今度は自分で言った。
クシナは洗濯物へ顔を隠した。
「母ちゃん?」
「ちょっと待って」
「泣いてる?」
「泣いてない」
「声へん」
「風!」
「風しゃべらない」
「細かい!」
結局泣いた。
その日の夕方。
ミナトが帰宅すると、玄関でクシナに捕まった。
「今日ね」
「何?」
「呼んだ」
「誰が」
「ナルト」
「何を」
クシナが両手でミナトの肩を掴む。
「母ちゃんって!」
ミナトは固まった。
「……そう」
「それだけ!?」
「いや、だって」
「もっと喜びなさいよ!」
「喜んでるよ!」
「顔!」
「顔どうすればいいの!」
揉めているところへナルトが来た。
「何してんの」
二人が同時に振り向く。
「なんでもない!」
クシナ。
「助けて」
ミナト。
ナルトは少し考えた。
「父ちゃん弱い」
ミナトが止まった。
クシナも。
ナルトは自分が言ったことに気づかないまま、台所へ行った。
「今日何?」
二人だけが玄関に残る。
ミナトが小さく笑った。
「今、聞いた?」
クシナが泣きながら笑う。
「聞いた」
「俺、何もしてない」
「良かったじゃない」
「うん」
二人とも。
追いかけてもう一度言わせることはしなかった。
次に自然に出るまで待った。
◆
自来也が旅へ出る日。
ナルトは朝から不機嫌だった。
「三日じゃ」
「長い」
「一年より短い」
「一年は一緒だった」
「そうじゃな」
自来也は荷を背負う。
波風家の玄関。
ミナトとクシナもいる。
「四日目の昼までには戻る」
「昼?」
「遅れたら蝦蟇を寄越す」
「絶対?」
「できる限り」
「絶対って言え」
「忍に絶対を言わせるな」
「じらや、前も言った」
「覚えとったか」
「覚えてる」
自来也はしゃがむ。
「帰ってくる」
今度はそれだけ言った。
ナルトは頷く。
「行ってらっしゃい」
「おう」
「じらや」
「何じゃ」
「オレ、ここいる」
自来也は一瞬だけ目を細めた。
「知っとる」
「帰ったら来いよ」
「ここへ?」
「うん」
「飯あるか」
クシナが横から言う。
「先生の分くらい作りますよ」
「なら帰る」
「飯で決めるな!」
ナルトが怒る。
自来也は笑って出ていった。
ナルトは門の外まで見送った。
姿が見えなくなる。
以前なら。
しばらくそこから動けなかった。
今日は。
「昼、カカシ行く」
振り返って言う。
ミナトが頷く。
「地図持った?」
「いらない。覚えた」
「一応持って」
「父ちゃん心配しすぎ」
ミナトは嬉しくて、少し傷ついた。
「父ちゃんだからね」
「関係ある?」
「あることにして」
ナルトが笑う。
◆
その日は、カカシのところで昼を食べた。
午後は猿飛家へ行った。
「野菜を残すな」
ビワコに怒られた。
「肉も食べる!」
「野菜を食べたらね」
「ジッチャン、言って!」
「ワシを巻き込むな」
ヒルゼンは逃げた。
帰路に着く。
日が傾く。
ナルトは一人で道を歩いた。
もちろん完全に一人ではない。
遠くに護衛の気配がある。
でも、本人には必要以上に近づかない。
地図は持っている。
使わない。
角を曲がる。
店。
橋。
細い道。
波風家。
もう迷わない。
◆
その夜。
流星が多かった。
クシナが庭から声を上げた。
「ナルト! 星!」
「どこ!」
外へ飛び出す。
一本。
二本。
三本。
夜空を白い線が流れる。
ナルトはしばらく見ていた。
三歳の夜。
自来也に拾われた街道のことは、もう断片しか覚えていない。
暗い道。
大きな白い髪。
水筒。
背中。
あの時、空に星があったかどうかさえ思い出せなかった。
「お願いする?」
クシナが聞く。
「何を?」
「流れ星」
「なんで」
「お願いすると叶うって言うでしょ」
ナルトは考えた。
「何お願いする?」
ナルトは空を見る。
自来也は四日目に帰る。
カカシの棚には自分の手拭いがある。
ビワコは次も野菜を出す。
サスケとは再戦する。
父ちゃんは仕事から帰る。
母ちゃんは朝、洗濯物を干す。
欲しいものはいっぱいある。
でも。
今、星へ頼まなければ消えてしまいそうなものは思いつかなかった。
「ない」
「ないの?」
「うん」
クシナは少し驚いて。
それから笑った。
「そっか」
流星がまた一つ落ちる。
「寒いから中入ろう」
ミナトが言う。
「父ちゃん先入って」
「何で」
「もう一個見る」
「風邪ひくよ」
「すぐ!」
「一個だけだよ」
「父ちゃん細かい」
「誰に似たんだろうね」
クシナがミナトを見る。
「あなたでしょ」
「君も細かいところあるよ」
「どこよ!」
二人が言い合いながら家へ入る。
ナルトは最後にもう一本だけ星を見た。
それから。
自分も玄関へ向かった。
戸を開ける。
暖かい空気。
味噌汁の匂い。
台所から鍋の蓋が鳴る。
靴を脱ぐ。
もう旅袋は背負っていない。
「ただいま」
少し間があって。
二つの声が重なった。
「おかえり、ナルト」
ナルトは笑った。
星の向こうから来た道は、もう見えない。
しかし、もうひとつの帰る道がここにはあった。