獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
『衣食住足りて礼節を知るという言葉があります。人が何かを学ぶには満たされた環境が必要です。
学校とは、ただ知識を詰め込むだけの場であってはならない。
正しい教育を行うためには、何よりも子供たちが安心できる環境を整えるべきなのです。
そうやって健やかに成長し、秀でた知恵と肉体を身につけた者が、次の世代に尽くすことで人の世はより善くなっていく。
これこそが現代社会における教育者の使命と義務であり、我々が真摯に向き合うべき課題でもあります――』
……秀尽学園非常勤理事、岡田仁成の著書だ。昨日、本屋で見かけて買ってきた。
意外なことに、宗教らしさはほとんどない。『良く』ではなく『善く』となっているところにキリスト教系の思想を感じる程度だ。
問題なのはこのまともな思想が、現在の秀尽学園に全く反映されていないという一点に尽きる。
非常勤理事だから現場を見る場面は限られているのかもしれないが……それにしたって今の状況は異常だろ。
ガタンゴトン、と電車が揺れる。
そろそろ蒼山一丁目に着きそうだ。降りる準備をしよう。
「はじめまして。明智くん」
……黒髪より白髪の割合が多いが豊かな髪に、立派な白髭の壮年紳士。さっきまで読んでいた本の著者近影と全く同じ顔だ。
受付の事務員に挨拶したら『最初に校長室に向かってください』と言われたから、何事かと思ったが……
ちらりと校長を見やる。不安が隠しきれていないな。
謝罪の場を設けるにしても、突然引き合わせたら私が怒るかもしれないと危惧しているのだろうか。
おめでとう小早川校長。
「はじめまして、岡田先生。このような場でお会いできるとは思っておりませんでした」
無論、私は仮にも政界にいた身だ。
内心どれだけ腹立たしかろうと、皮肉をオブラートでくるんで自然に見える笑顔を作るなど日常茶飯時。
後ろ手にナイフを隠しつつ、それと気づかせぬ態度で振る舞うのが政治家の仕事の1つだとも。
――そんな私の感情など知ったことかと言わんばかりに、岡田理事は穏やかな笑顔を引き締めて頭を下げてきた。
「この度は私の落ち度で君に迷惑をかけてしまい、申し訳なかった。
全てはひとえに私の責任だ。どうか、まずは謝罪を受けてもらえないだろうか?」
「……大変申し訳ないのですが、説明もなく謝罪だけを受けるわけには参りません。
それに昼休みに協力者と会う約束をしておりますし、依頼主がいる仕事をないがしろにはできません」
「うむ……もっともな話だ。
性懲りもなく私の都合を押し付けてしまってすまない」
……クソ。あまりに素直に謝ってこられると調子が狂うな。
「……いえ。もし岡田先生のご都合が許されるのであれば、6限目に改めてお話を聞くというのはいかがでしょうか?
その時間であれば調査に支障は生じませんし、僕としても説明はお伺いしたいところなので」
「ああ、問題ない。ただ、校長先生の邪魔をするのも良くないから場所は変えてもいいだろうか?
今日は天気もいいし暖かいから、屋上でゆっくり話が出来たらと思うのだが」
「屋上、ですか……構いませんよ」
勝手に決めるなとは思ったが、話が聞かれにくく、余人に見つかりにくく、邪魔が入りにくい、という要件は満たしている。
階段を登るのが多少大変なだけだ。
情報収集や仕込みは昼休み中に済ませて、5限目は生徒会室で処理に勤しむとするか。
「それでは、本日の調査に入らせていただきます。
ご用件などございましたら、放送で『3年のタナカタダシ』をお呼び出しくださればすぐに参りますので」
「はぁ……よろしくお願いしますよ」
どうにも投げやりな校長の返事に、一礼してから退室する。
同時に、昼休みのチャイムが鳴った。
バッグを置きに生徒会室に行くよりも、このまま中庭に行って例の2人を待つとするか。
どうせクソガキがこっちの事情なんざ慮るわけもないし、ゆっくり飯を食ってから来るだろうが、すれ違うよりは待つほうが確実――
「あっ! 先輩! うっす!」
「……こんにちは」
「早いなお前ら」
先に待ってやがった。そんなに録音データが欲しかったのか?
待たされるよりはマシだが……調子が狂う。
今日はずっとこんな感じが続くんじゃないだろうな?
いや、止めよう。下手にこういう事を考えると本当に的中する。
「ほらよ、約束のブツだ。スマホで読み取れるはずだから確認しろ」
「ありがとうございます。俺ので確認してみる……ます」
「胡椒博士NEOでいいんすよね?」
「ああ……ってなんで2人とも微妙な敬語使ってんだ?」
「いや、よく考えたら先輩だし、俺らもちゃんとした方がいいかなって」
「……お前らに先輩扱いされるほどこの学校に顔出してねえから。
逆に慣れなさすぎて居心地悪いから、タメ口にしてくれ」
雨宮がデータを確認している間、坂本が買った飲み物を受け取る。
こいつが出すならまだ気兼ねなく飲めるな……と思ったが、雨宮も100円渡している。割り勘か。
まあ胡椒博士に罪はない。誰の金だろうと味も中身も変わらない。
「……バッチリだ」
「よっしゃ! これで少しは――」
「おい。一応忠告してやるが、使い所を間違うなよ」
「「えっ?」」
邪魔者2人が仲良くこっちを見る。
当たり前だが私は善意で録音を渡してやったわけじゃない。
だからこそ、私の邪魔にならない形で録音を使わせるよう誘導する必要がある。
「ぶっちゃけるが、この録音だけじゃ証拠として弱すぎる。
バレー部の連中は明らかに現状を受け入れちまってるし、週刊誌にチクっても学校側に跳ね除けられる可能性が高い。
ボールぶつけ合う遊びなんだから怪我するのは当たり前だってな」
「じゃ、じゃあどうしろって? 俺ら、三島や鈴井に当たったけど拒否されちまったし……」
「……鈴井さん? 三島だけじゃなくて?」
「ああ。休み時間に聞きに行ったんだ。……やっぱダメだったけど」
そりゃお前らみたいな爪弾き者が動いたって聞き入れるわけねえだろうがよ!
……だが男と違って女は見知らぬ異性を警戒しやすいからな。
私が話したとしても似た結果しか出なかった可能性は高い、か。
「お前、鈴井って女と仲良いのか?」
「中学ん時の同級生だったんだ。昔から高巻とつるんでて、割と話すこともあった。
……今じゃすっかり距離空いちまったけどな」
なるほど。過去には友人関係ではあった、と。
それなら評価を改めざるを得ない。昔の友人で無理なら、赤の他人はもっと無理だ。
「なら、なおさらだ。この録音は
「……盾に?」
「ああ。お前らがこの先調査を続けるなら、鴨志田はお前らをハメて退学に持っていこうとするはずだ。
だが、一教師が勝手に生徒を退学にするなんてことはできねぇ。ここの仕組みで、きっちり理事会にかけて判断することになってる。
そうなったら理事の奴らにこの録音を突きつけて、バレー部がボコられてることは事実だって主張しろ。
理事の連中は普段学校にいねえから、現場がどうなってるか知らねえ。でもその分鴨志田の影響も薄いから聞いてくれる可能性が高い」
「「……」」
2人とも揃って顔を見合わせる。教師どもの体たらくがあんまりすぎて、大人なんて信用できるのかって表情だ。
これだからガキは嫌いなんだ。どうせお前らも数年後には大人の仲間入りをするというのに、自分達はそうならないと信じている。
仮面を被って心を隠すことも知らない奴らに、
「――俺も今日、岡田って理事の人と面談することになってる。今後の件でな。
その時にお前らのこと言っておいてやるよ。先に1人味方につけときゃ、無視されるってことはねえだろ」
「えっ? ……今後の件って?」
「大したことじゃねえ、病院に逆戻りするってだけだ。
さすがに出席どうすんだって話になるから、岡田さんが相談に乗ってくれる事になった。
あの人は底抜けのお人好しみたいだから、俺みたいな厄介者でも捨て置けないんだろ」
――これは私の所感だが。
岡田仁成という男は恐らく
現時点では著書の冒頭を読み校長室で少し会話をしただけではあるのだが……人間であれば多少は隠し持つはずの『裏』を、ほとんど感じない。
自然と人を落ち着かせるような、教育者というよりも聖職者めいた趣がある声や喋り方に、惑わされているのかもしれないが……
……いや、この私に限ってそれはない。善性か悪性かなどという、単純な区別で躓くなどということは有り得ない。
「病院って……先輩、どっか身体悪いのか?
全然そんなふうに見えねえけど……」
「いや……もしかして、左手?」
「……雨宮、お前意外とよく見てんな。
まあ、相応にワケありじゃなきゃ別室登校なんて認めらんねえよ」
偽装に過ぎない左手はともかく、さすがに本当の弱点を明かしてたまるか。
キレたら頭痛、鏡を見たら幻覚、走ったら目眩でぶっ倒れて最悪死ぬんだぞ? 対策しようがない。
「あと何日顔を出せるかはわからねえが、乗りかかった船だ。
回せる手は回しておいてやるから、ヤケになって突撃したりするんじゃねえぞ。
万が一鴨志田に録音聞かれて、質問してるのが俺だってバレても困るしな。
――まあ、俺の声なんざ覚えてるのは教頭か校長ぐらいなもんだろうが」
「わかった。気をつける。
……俺達も、何かできることがないか考えよう」
「そ、そうだな。先輩に任せっきりにするわけにはいかねえよな!
2人でこう、いい作戦考えんぞ!!」
おい。余計なことをするなと言っているんだが?
――だがこの流れだと止める理由が思いつかない。
それに邪魔にならない程度には動いてくれたほうが、鴨志田の意識がこいつらに向きやすいのも事実だ。
「俺は面談の準備があるから上に行くわ。
お前らもほどほどにな。熱入れすぎて昼飯食い忘れんなよ」
「「……あっ」」
バカ二人の間抜け声を背に、未開封の胡椒博士NEOをバッグに放り込んで中庭を後にする。
最初の踊り場まで登ったところで、2人組の女子生徒が降りてきた。
やけに派手でスタイルが良い金髪碧眼の女と、顔にアザを作っている黒髪の女。
なるほど。モデルをやっている高巻杏というのはこいつか。なら、怪我をしているのが鈴井志帆だろうか。
バレー部の女子レギュラーでありながら日常的に暴行を受けているという鈴井から証言を取れれば、高確率で鴨志田を追い込める。
『下手な部員への指導』と『衝動的に手を上げただけ』という言い訳を2つとも封じられるし、女子高校生というマスメディア受けする素材。
隣の高巻には劣るものの顔立ちは十分整っているし、痛々しいアザも相まって、センセーショナルな報道の立役者にはぴったりだ。
あるいは――明らかに弱っている様子の鈴井を追い込んで、自殺なり傷害なり何らかの事件を起こさせるという手も無くはない。
こちらは雨宮蓮と坂本竜司に精神的苦痛を与えられるというメリットが付随するが……
……ダメだな。
事件の内容次第では秀尽学園の評判を落としすぎるし、新島真からの反発もあるだろう。総じて明智吾郎としての名声に影響する。
やはり真っ当かつ穏便な手段で、こちらに協力させて……
「大丈夫? 志帆。もしかして坂本になにか言われた?」
――。
「ううん……何も」
「最近あいつ、様子おかしいから……昨日も変なこと言ってたし。
『みんな何したって協力しない』って忠告したけど」
「――余計なことしやがって、クソガキ」
「え?」
……高巻とかいう女がこちらを見た。
心のなかで言ったつもりが、口に出ていたらしい。
そういうこともある。自分を優しい人間だと思い込んで、親切心から他人の船を焼いて回る愚民が目の前にいたら。
「ああ悪い。本音が出ちまった。
助けようとしてる相手に後ろから切られるなんて、あのガキ2人も報われねえなって思っただけだよ」
「……誰よ、あんた」
気の強い女だな。
新島姉妹のように知性と実力が伴っていれば評価しようがあるが、吠えるだけなら犬でもできる。
「ただの通りすがりだよ。まあそうやって、体罰教師をつけあがらせてりゃいいんじゃねえの?
この世の中、無言は肯定、沈黙は賛成、白票は信任だからな。
『みんな何したって協力しない』ってのは、裏を返せば『私たちは全員体罰賛成でバレー部以外どうなっても知りません』ってトチ狂った意見表明だ。
そんなもん聞こえたら反応しちまうだろ。常識的な人間だからな、こっちは」
「そんなこと言ってないでしょ?!」
「坂本に忠告して差し上げたんだろ?
鴨志田のやってることがおかしいって気づいて、自分で考えてきちんと行動して、他の連中を助けようとしている奴にさ。
何もしないで事態を悪化させてるだけの奴が、『お前らには味方なんかいない』って止めてやったわけだ」
「う、うるさい! そんなつもりじゃないし、あんたに何が……」
「わかるわけねえだろ。お前、俺がエスパーだと思ってるのか?」
こういうバカの感情や思考の一部なら、表情や目線で多少なりとも読み取れるがな。
あるいは付き合いが長い人間に限れば脳内再現でのトレースもできるが、どちらにせよ推論の域は出ない。
ただ――
呆然と突っ立っているだけの鈴井志帆ともども、少し現実を突きつけてやるか。
「だいたい、なんでわかってやる必要がある?
自分たちさえ良ければ、仲間が殴られようが他の部活が潰れようが、友達の夢が絶たれようが知らねえって連中の考えなんざ。
それにこの学校のバレー部って、他のあらゆる名誉や実績をぶん投げて守るだけの価値があんのか?
例えば部員全員がオリンピックで12年頑張れる人材揃いで、それこそ何を犠牲にしても、死人が出てもがお釣りが来るとかよ」
「はぁ!? 死人って――」
「誰も体罰止めないなら、そうなるのは時間の問題だろ?
アレか? ゲーム脳ってやつか? 一晩寝たらどんな傷でも治るとか思ってんのか?
パンチドランカーって聞いたことねえのか? 頭へのダメージが蓄積して最悪死ぬ奴――」
「おい! 何してるんだ!」
……耳障りな叱声が上階から響いた。
目を向ければ、暑苦しい髪型の男が怒りも顕わに降りてくる。
渦中にして問題の人物、鴨志田卓だ。
高巻の援護に来たのか。二人がかりだと面倒だな――と視線を戻すと、当の高巻杏と鈴井志帆は逃げるように階段を降りていっていた。
徹底的に足を引っ張られる覚悟はしていたが、最悪の事態は避けられたようだ。
こいつ1人なら、この場に限ればやり過ごしようがある。
この学校を支配する勢いで大人気な暴力教師への対抗策、それは――
「大変申し訳ありません。ディベートに熱が入りました」
――さっさと頭を下げてしまうことだ。
暴力を振るう余地を無くし、出鼻をくじくために。
「ディベートだと!? そんなわけあるか!」
「申し訳ありません」
「ふざけるな! 聞いていたんだぞ! 高巻と――」
「申し訳ありません」
「このっ……!!」
「
謝罪というものは使い方次第で武器になる。
――ほら。
ぷるぷる震えて言葉を詰まらせているなぁ。ハハハッ、この場を切り抜けるだけなら暴力なんぞ要らんのだよ。
「申し訳ありません。図書室に本を返却しに行きますので、失礼します」
すっと横を通り過ぎ――ようとした矢先、性懲りもなく鴨志田が食い下がる。
「待て! まだ話は――」
「ああ――重ね重ね騒ぎ立てて申し訳ありません。
他の生徒や先生方の邪魔になると申し訳ないので、失礼していいですか?」
お前の声がうるさいから野次馬が集まってくるぞ。
そう言外ににじませると、ようやく黙った。
こちらを睨んで歯ぎしりしているがどうでもいい。
「
「――ということがあったんだよ。いやあ、この学校の生徒会長だなんて大変だね」
「……なんでそれを私に話すの? 明智くん」
「坂本と雨宮以外のまともな生徒が新島さんしかいないからだよ」
鴨志田に影響されてなさそうな情報源は、現状
ならさっさと事情を明かして味方につけておいた方がいい。
「はぁ。まさかバレー部がそんなことになってたなんて……」
「さすがに依頼主と岡田理事に報告するから、新島さんは動かなくて大丈夫だよ。
何か言われたら『生徒会室を貸しました、それだけです』で突っぱねてね」
「……でも、坂本くんと雨宮くんに申し訳ないわ。
私が動かないといけないことなのに、辛い立場の2人に負担を押し付けて……」
「生徒会長の君を頼らない選択をしたのはあの2人なんだから、気にする必要はないさ。
彼らにも事情はあるわけだし――仮に君を巻き込んだとしても事態が好転するかはわからない。
それでなくても坂本には陸上部を巻き込んだ負い目があるだろうし、自分たちで解決する方が、周りに迷惑をかけないと思ったんだろう」
「……」
一応フォローは入れているが、どうも新島真は責任感が強すぎるようだな。
新島冴にも似たようなところはあるが、あちらはまだ実績を積み上げて手柄にするという実利が伴っている。
だが所詮高校の生徒会なんざ、生徒間の問題を取り上げたり学校行事をつつがなく運営すればそれでいいのだ。
下手に教師の問題に首を突っ込んだところで、良い結果など出てこない。
「それより、僕から新島さんにお願いがあるんだけどさ。
チャットの連絡先、交換してもらってもいい?」
「それは……別にいいけど。でも、どうして?」
「鴨志田先生に目をつけられて顔と名前を控えられただろうからね。
バレー部員が口止めされるのは確実で、秀尽内での噂の広がり方も考慮したら、生徒からの聞き込みはもう無理だ。
土曜は来れないし――明日中に目処をつけて、ここでの調査は一旦打ち切りにしようと思ってる」
小早川がもう少しまともであれば粘ることも考えたが、アレを庇い立てし続けて放任している時点で無理だ。
だったら陸上部の件をもみ消しした張本人である笹木と星野から情報を集めて、2人を表に出さずに鴨志田の悪行だけ広める策を考えるほうがいい。
あるいは――もうひとつ考えている調査ルートがあるが、それが使えるかどうかは明日の状況次第だろう。
「明日、雨宮と坂本に伝言を頼んでおくつもりだ。
もし鈴井さんや他のバレー部が告発に踏み切るようなら、校長ではなく生徒会長である君に言えってね。
そうなったら僕に連絡をよこしてほしい。信頼できるマスメディアに繋ぐからさ」
閑職に飛ばされたといえ、大宅一子がなかなか厄介なジャーナリストであることは間違いない。
ゴシップ記事で取り上げるにはもったいないニュースに仕上げてくれれば、上層部も重い腰を上げるはずだ。
――なにせ、秀尽学園を守っていた
「だから新島さんには悪いけど、バレー部員が君に接触するまでは、何とか我慢してほしいな。
君からすれば現状があんまりすぎて、座して手をこまねくのが嫌になるとは思うけどさ。
新島さんと僕が繋がってるって鴨志田先生に気づかれたら、本当にどうしようもないんだ」
「……わかったわ。正直、納得できないこともあるけど。
でも、確かにバレー部の子達が助けを求めに来た時に対処する人がいないと困るわよね。
……本当は、校長先生の仕事だと思うんだけど」
「それはそう。本当にそう。僕もそう思う」
先ほどは大人を信じようとしないガキどもの姿勢にケチをつけたものの――『学校内の教師』に限れば私ですら信用できる要素がない。
特に校長がアレなのがどうしようもなさに拍車をかけている。辛うじて教頭が比較的まともそうだ、という程度。
おかしいよな。
誘拐未遂犯を突き止めて締め上げて、ついでに大宅に売る情報を集めて、ついでに雨宮蓮の現状を調べて適切な苦痛を与えられればそれで良かったのに。
実際には誘拐未遂の黒幕が素直に謝罪してきて、過去に私の秘書が揉み消して庇った相手を告発する必要が生じて、復讐対象の雨宮が協力者の座に収まっている。
どうしてこうなったんだ。
政界だったなら敵と味方が入れ替わることなどよくあることだが、民間の学校内でこんな目に合うとは思わなかった。
「――ああ、もうこんな時間ね。私は教室に戻るわ。
明智くんはこのまま残る?」
「そうだね。5限目の間に、録音データの処理をしておきたい」
持ち歩いているボイスレコーダー3本のうち1本は、調査中ずっと回しっぱなしにしている。
聞き逃した噂を拾う可能性があるし、突然重要人物に話しかけられた時にそのまま会話を記録できるからだ。
今日で言うなら、高巻杏や鴨志田卓への対応のようにな。
「終わったら片付けて岡田理事と話をしてくるよ。
その後はそのまま帰っちゃう予定だけど――もしかして、本当は施錠しとかないとまずい?」
「大丈夫よ。使用している人がいる間は開けておいていいことになっているから。
見回りも教頭先生だもの。昨日だって鍵はかかってなかったでしょ?」
……なるほど。2人揃って私に配慮してくれていたのか。
昨日の校長室に引き続き、また防犯意識が欠けているだけかと思った。
「そういうことなら遠慮なく使わせてもらうよ。ありがとう、新島さん」
――新島が去ったあと、ノートパソコンを立ち上げ、録音データの記録と切り分け作業を行う。
途中で教頭がやってきて軽く話をしたが、実のところ彼もバレー部の怪我が多いことについては問題視していたようだ。
実際に保健室で怪我を手当している養護教諭も、日を追うごとに負傷する生徒が増えていると相談してきているらしい。
当然その事実は校長と副校長にも報告しているが、上役2人を差し置いて教頭自身が他の教師に直接指導することは難しいとのこと。それもそうだ。
納得の行く理由だったので評価を上方修正。教頭にも明日からの調査予定を告げ、先に礼を言っておいた。
そうこうしているうちに約束の時間が迫ってきた。
5限が終わって生徒が廊下に出てくる前に、屋上へと向かう。
扉を開けると、既に岡田理事がパイプ椅子を広げてくつろいでいた。
他にも謎の机だのプランターだのが置いてある。というか机多すぎだろ。本当になんだこの学校。
「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたか」
「いや、私が早く来て休んでいただけだ。
こういう天気の日に空を見るのが好きなんだよ。青い空と春の風ほど、平和を感じさせるものはない」
岡田はにこにこと微笑みながら、座っていた椅子をこちらに譲る。
断るのも失礼だし、長い立ち話は体調に影響を及ぼす可能性が高い。大人しく厚意に与ることにした。
「ご配慮いただきありがとうございます。
――それで、大変失礼ですが、先々週の日曜の件についてご説明いただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。
……実のところ、私はメシア教会派というプロテスタントの一派を信仰している。
故に毎週日曜は礼拝に参加したあと、教会の友人達と過ごすのが常なんだが、その時に日頃の悩みを相談し合っていたんだ」
……まあ、曲がりなりにもキリスト教系なんだからミサ相当の日曜礼拝はするわな。それで?
「先月の理事会で、獅童先生亡き後の秀尽学園の経営について話し合ったが、結論は出なかった。
そのことを3月に教会で相談していて――今月の初めに、友人の1人から教えてもらったんだ。
獅童先生の相続人が君だと」
「ま、待ってください! すごい話が飛んでますけど、そのご友人は何者なんです?!
どうして僕が相続人だってわかるんですか!? 今月だったら多分戸籍ですよね!?」
「? 詳しくはわからないが……区役所で見れるんじゃないのか?」
「他人の戸籍はそう簡単に見れませんよ!? ましてや故人の戸籍なんて相応の手続きを踏まないと無理です!!」
「そ、そうなのか……? 区役所で見た、と聞いたのだが」
「……もしかして、区役所の職員ですか? そのご友人って」
「ああ」
シンプルな職権乱用じゃねえか!! 地方公務員法違反だろ! 守秘義務って言葉知らねえのかよ!!
……いかん、頭痛がしてきた。術後の傷が痛むというより普通に頭痛がしてきた。
「……もういいです。どうぞ、話を続けてください」
「あ。ああ……それでどうにか会えないかとそのまま友人に話したら、彼の息子さん達が手伝おうとしてくれたんだ。
君は有名人だし、その……ぺけった? だったか? チャットみたいなアプリで、目撃情報がたまにあるからと」
……
確かに有名人が勝手に写真を取られてたまにトラブルになっていると聞いているが――……もしかして?
「あの日、小早川校長が才樹に問い合わせたが断られたと報告してくれて……そのことを礼拝帰りの若人達に話したんだ。
そうしたら皆が事前に調べていてくれて、一週間ぐらい前から同じ服を着て渋谷付近に来ていることが多いとか、何人かが写真を撮っているとか……
実際にその写真も見せてもらった。友達と一緒に服を選んでいたところだったな。友達の方はうさぎの絵で顔を隠されていたが」
……ッなんで
どこのどいつだ!! アレか? 熱量の高いファンどもか!? 動画切り抜き見てる連中とかか!?
「それで、みんなが探すのを手伝うと言ってくれたのでお願いしたんだ。
私は駅近くの喫茶店を回ることにした。さすがに入店したら何か頼まないといけないし、若人に出費を強いるわけにはいかないだろう。
――そうしたら、どうやら不審者に間違われてしまったようだと連絡が来た。怖がらせてしまい、本当に申し訳ない」
またもや話が飛躍しているが……
人助けは大好きなくせに遵法意識が低い
そんなはずあるか! と言いたくなるが――最近の若い連中とメシアンという組み合わせだけで有り得るラインに入ってくるのが実に嫌らしい。
これだから宗教関係は近づきたくないんだ。宗教内部の善悪にこだわってるくせに、人間社会での善悪を勘案する意識が低すぎる。
「……これだからメシアンは、と言われてしまうのだろうな。
ともあれ、全ては相談という体で結果的にみんなを利用してしまった私の不徳の致すところだ。
昨日、小早川くんと相談し、若人と共に警察署に出頭してきた。理事も辞して君に対する責任を果たすつもりだ」
待て。待て待て待て待て。
「止めてください。理事を辞するとはどういうことですか?
今の秀尽学園の状況をご存知ではないのですか?
この状況を放置して、僕ごときへの責任などと宣っている場合じゃないでしょう!?」
「……どういうことかね?」
――首を傾げる、空気を読めない岡田理事に対し、私は久々に熱弁を振るった。
陸上部の暴行事件とその揉み消し。鴨志田の体罰がエスカレートした現状。機能不全を起こしている学校運営。
バレー部の証言と雨宮と坂本の宣言も出して、それはそれはもう本気の演説をしてやったさ。
そして事態を飲み込みさえすれば、根はまっとうな教育学者だ。岡田の表情が引き締まる。
「そんなことになっていたとは……正しい教育以前に、生徒達を守る環境すら失われているじゃないか……」
「おわかりいただけましたか?
誘拐未遂についてはこちらの弁護士に和解で済ませるよう頼んでおきますから、辞職だけは止めてください。
今、あなたが秀尽学園から離れようものなら、小早川校長を制して環境を是正できる人間が減ってしまう。そちらの方が大問題だ」
本当だったら示談金をぶんどってやりたいところだが、岡田のような人間には金を搾り取るより恩を売ったほうがいい。
法律に疎いメシアンという欠点にさえ目をつぶれば、この手の善人は無限に恩を返そうとする。
なんなら欠点すら長所になり得る。法に縛られない情報源と考えればな。
何より――話していてわかったが、この男には
「岡田先生。僕はメシア教会派には詳しくありませんが、確か相互理解を重視する教義がありましたよね?」
「うむ。主に対話するように、我々は様々な人と対話を重ねなければならない。
例え異教の民であろうとも、会話を通して互いの心を理解しようと務めることは、主の御心を解するための善き経験となるだろう。
だからこそ敵意や断絶に諦めること無く、話し合いの場を持たなければならない――というものだが」
「ありがとうございます。それと、改心についても重要視すると聞きますが」
「ああ。人はみな原罪を受け継ぐ以上、罪や過ちと切り離して生きることは難しい。
故に己の中の過ちを自覚し改心することが、主への信仰へ回心する第一歩だ」
「――ならば、鴨志田先生に過ちを自覚させ、改心を促すよう対話していただくことはできませんか?
僕の見たところ、岡田先生は
僕のような外部の若輩者が声を上げるよりも、岡田先生が話されたほうが、良い結果に繋がるでしょう」
カリスマ、すなわち人を惹きつける才能には、種類がある。
『この人に認められたい。見捨てられたくない』と思わせるもの。
『この人なら信じられる。全てを委ねて任せたい』と感じさせるもの。
そして、『この人に喜んでもらいたい。悲しい顔をさせたくない』と自発的な奉仕を誘発させるもの。
岡田仁成は3番目に特化したタイプだ。
だからこそ周りの人間がああも勝手に動き回り、はた迷惑ながらも一応の成果を上げてしまう。
さらに生まれついての声音と、善性が生んだ落ち着いた喋り方は、否応にも人の耳を傾けさせる力がある。
端的に評するなら、この男は『話せばわかる』を飛び越えて、『
現に私でさえ、先ほどの胡乱な説明をすっかり受け入れている。
嘘をついている様子がないという点を差し引いても、普段の私ならばもう少し疑ってかかるというのに。
――限りなく新興宗教の教祖に向いた、しかし一介の教育学者という人生を選んだが故に世俗で生きていられる善人。
扱いこそ難しいが、利用価値は高い。
今の私であれば――政治家・獅童正義ではない探偵・明智吾郎であれば、コネを結ぶ価値はある。
「ふむ。確かに私としても鴨志田君を諌めるべきだと考えている。
しかし理事会も通さず、小早川校長を飛び越えて、私が直接話すというのは――」
「事態を表沙汰にしないで解決するには、早急に鴨志田先生に行動を改めてもらう他ありません。
校長先生もさすがに内心ではわかってらっしゃるはずだ。
岡田先生が説得を引き受けると申し出れば、喜んでお願いすると思いますよ」
「そうか……ならばやってみよう。
私がどこまで役に立つかはわからんが、生徒達の学びの場を守らねば理事の意味がない」
「あ……ありがとうございます!
――それで、差し支えなければ1つお願いがあるのですが」
私は頭を下げながら、予備のボイスレコーダーを取り出す。
そして記録済みの音声を再生しながら、岡田に告げた。
「もしも鴨志田先生が自らの過ちに気づき、心を入れ替えるようであれば――
この、
今回の件でもっとも苦しんでいるのはバレー部員でなく、傷ついた者のために声を上げようとした彼ら2人だ。
その声を届かせる義務が、あなたにはあるはずです」
善意は、時に悪意よりも迷惑だ。
善人は、時に悪人よりも厄介だ。
「――わかった。君たちの心は、私が責任を持って預かろう。
不肖の身ではあるが力を尽くし、鴨志田君を正しい道に引き戻してみせるとも」
この男にはわかるまい。
話せばわからせられる人間の天敵は、話を聞かない人間ではない。
私は知っている。
私だけが知っている。
ちゃんと昨夜のうちに確かめておいたとも。
例え岡田に卓越した話術や才能があろうとも、真っ当な説得なんぞ通るわけがない。
認知そのものがねじ曲がるだけの心の歪みがあるからこそ、一色若葉のビューアに引っかかる認知世界が誕生するのだ。
そして心が歪む人間は、外面を取り繕う能力が高い傾向にある。
――これは単に、外面を取り繕えなければ心が歪み切るまえに周囲に異常を発見されて対処される、ということかもしれないが。
どうあれ、秀尽学園内における鴨志田卓の人気や評価を鑑みれば、奴もまた猫を被るのが得意なのだろう。
そういう輩なのだから、面倒な説教なぞ聞き流し、しおらしい態度だけを見せて場を乗り切ろうとするはずだ。
頑張って案内してやってくれ。
あのクソガキとその道連れを、
Q:カリスマ分類のイメージがわかりません。既出キャラで教えてください。
A:『この人に認められたい』を1、『この人に任せたい』を2、『この人を喜ばせたい』を3とします。
獅童正義→1+2。政治家あるある。明智()は効力が弱まってる。
雨宮蓮→2+3。愛されリーダー。ジョーカーの時は2寄り、雨宮蓮の時は3寄り。
南条圭→1特化。成長して強化された。部下や執事がめっちゃ忠誠心持って働いてる。
春日部統志郎→2特化。任され系すぎてマイナスに働くタイプ。
「すみません。僕のカリスマって弱くなってるんですか? 笹木さんから見ても?」
「私は吾郎さんについて知っているので、以前と変わらないように感じますが……
ですが、単純に身体が弱い高校生に対して『この人に任せれば安心だ』と思う者は少ないかもしれません」
「吉阪さんは?」
「そうですね……威厳という点では、以前の獅童先生の方が当然オーラがありましたよね。
吾郎くんの見た目だと高校生感が強くて、俺でも『年下っぽいな』って思う時があります」
「……」
「俺には聞かないんすか?」
「うるせえよ
どうせ見た目ガキと見た目50代の印象が同じなわけねえって言うだけだろ」
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次回更新は少し間が空いてしまって10月22日木曜日の21時15分になりますが、これからも頑張って書いていきますのでよろしくお願いします!