獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
雪が舞う。
鈍色の空が夜闇へと移ろうその狭間、胸の痛みも、動かない思考も置き去りにしてただ足だけを動かす。
きっと夢だ。
ぼんやりと浮かぶ言葉とは別に、これは夢だという確信が芽生える。
駅の階段を上る。
退勤には早すぎて、学生たちの帰宅には遅い時間だったのだろう。
まばらな人影が目についた。
対向のホームに青いラインの電車が止まる。電光掲示板を見上げれば、次の電車は通過の快速。
一刻も早くこの駅から離れたかった。
何もかも忘れて無かったことにするしかない。それ以上のことは考えたくもない、人生最悪の日。
ぼんやりと、降りゆく雪の元へと視線を上げた、その矢先。
幾度となく見た夢と同じく、落ち窪んだ目の男が私にぶつかり押しのけて、他の人々も押しのけて、最前列まで一直線に進んでいく。
――そして、かつて見た現実と同じように、血飛沫が舞う。
ふっ、と目が覚めた。
懐かしいと言いたくもない悪夢を振り払い、時計を見る。
まだ5時だ。だが二度寝する気も湧いてこない。このまま起きてしまおう。
買い置きの冷凍パスタを温める間、ポットで湯を沸かす。
なんでこんな夢を見たのか。理由はわかっている。
私が今考えている計画は、この夢の再演だからだ。
18年前、その事件は起きた。
学生に不正行為を暴かれ地位を失った教師が、逆恨みの末にその学生を線路に突き飛ばしたのだ。
無論、私が事実を知ったのは後日の新聞報道のおかげであり、事故直後に何があったのかなどわかるはずもなかったが。
線路に向かって泣き叫ぶ男子学生と、狂ったように笑う男と、顔を拭った時に手についた被害者のものであろう血の痕だけは、今でも鮮明に思い出せる。
――追い詰められた人間ほど恐ろしいものはない。
特に、人生の絶頂から転落して失うものさえも無くした人間は。
しかし、復讐の矛先をコントロールすることさえできれば、これほど足のつきにくい
私はただ、
あとは愚物を王座から追い落とさせて、何もしなかった愚民どもが存分に石を投げつけられるよう段取りを整えてやればいい。
誰を恨めばいいのかだけわからせておけば、あとはただ待つだけ。
心の歪んだ人間が、自分を省みることなどできるものか。
膨らむ憎悪は必ず殺意に変わる。早いか遅いかの違いだけだ。
……ところでなんで私はミートソースパスタを温めてしまったのだろうか。
ちゃんとパッケージを見ていなかっただけだが、もう少し夢見と食欲を考えて選ぶべきだった。
起床が1時間早かろうと、学校に行く時間は同じだ。
通勤ラッシュに巻き込まれたら体調なぞ1発で悪化する。
そういうわけで2限目に間に合うよう職員室に顔を出すと、珍しく他の生徒がいた。
どうやら何か問題を起こしてしまったらしく、国語の教師に軽く叱られている。
「ああ、明智くん、おはよう」
「おはようございます」
別の席に座っていた公民の教師に出席を取ってもらいつつ、横目で説教中の2人を見る。
その視線に気づいたのか、教師はそっと教えてくれた。
「ああ、あの子は寝坊しただけだよ。
バイトと学業を両立させようって頑張ってる子なんだけど、だいたい睡眠時間削るしかないからねえ。
君ほど学力飛び抜けてれば良かったんだろうけどね……まあ難しいよね」
「あ、あははは……いや、僕も身体が問題なければ学校には顔を出したいですよ?」
「はは、珍しく調子のいいこと言うね?
去年だって仕事優先して出席日数落としかけてたじゃないか」
「あははは……今年はそうならないようにしますよ。本当に」
――などと他愛のない会話を続けていると、突然スマホのバイブレーターが鳴った。
「おや? 言った傍から事件か?」
「どうでしょうね? 単に友人からの連絡かも――」
受け答えをしながら通知をタップするとチャットが開く。
新島真から。内容は……
『明智くん、大変! たった今、誰か飛び降りたみたいなの!』
「どうする? 授業出るかね? それとも止めとくか?」
「……出ます。今から向かっても、どうしようもないので」
職員室を出てから返事を送る。『昼前に着くよう急ぐよ』。
そのままスマホの電源を切って鞄の中へ。
一応昼食を諦めはするが、それ以外は変える気などない。
それに私に課された課題は学力確認のためのペーパーテスト。スマホなぞ触っていたらカンニング扱いだ。
さっさと解いて提出し、余った13分は仮眠に使う。
慌てようが騒ごうが事後は事後。早寝分を取り戻して体調を整えた方がマシだろう。
そういうわけで今日のノルマをきちんと終えてから、スマホを再起動してチャットをチェックした。
新しいメッセージは2個。
『2年の鈴井さんが救急車で運ばれていった。付き添ったのは高巻さん』
『信じられない』
飛び降りたことか? それとも教師が付き添わなかったことか?
……両方か。高校生には衝撃が強かろう。
しかし――よりによって鈴井、か。
「――鈴井志帆さんが授業中に飛び降りた。前日、君と言い争っていたと聞いている」
秀尽に着くなり『校長室に行ってください』と言われた時点で嫌な予感はしていたが、やっぱりこうなるか。
そうだよな。小早川。お前は探偵の調査など最初から受け入れたくないものな。
実に都合の良い事件が起きてくれて助かったなぁ?
「何か弁解することはあるかね?」
「昨日、高巻杏さんと会話した時に真横に鈴井志帆さんがいたことは認めます。
しかし、会話の内容が鈴井志帆さんに対してどう影響したかは判断しかねます」
「かなり強い言葉を浴びせていたと聞いたが?」
「受け取り方は人それぞれだと思いますが……そこまで断言されるのであれば、僕を警察に突き出したらいかがですか?
強い言葉だと判断できる程度には会話内容を把握している証言者がいらっしゃるのでしょう?
幸い、僕は外部の人間です。警察を呼んで事件化したところで、秀尽の評判は下がらないでしょう。
むしろ探偵王子が自殺教唆の犯人だったなんてセンセーショナルな報道じゃないですか。注目度が上がって喜ばしいのでは?」
「……い、いや、そういうことをしたいわけじゃない。
そういう形で注目を浴びても学校にとってはマイナスだ」
「しかし、警察は呼ぶべきでは? 人が飛び降りているのですよ?」
「学校内での調査が先だ!」
……染み付いているなあ。隠蔽体質が。
そうやって隠し続けるから、サンクコストに縛られて鴨志田を切れなくなっているんだろうが。
「遺書はあったのですか?」
「は?」
「屋上や彼女の教室に遺書はありましたか? 学校内での調査が先なのですよね?」
「君に説明する義務は――」
「まるで鈴井さんの飛び降りが僕のせいであるかのようにおっしゃられている以上は、相応の証拠がお有りでしょう?
僕は僕への疑いを晴らす権利と義務がある。遺書に僕のことが記されていたのか否か、確認するのは当然では?」
「……ない。遺書は見つかっていない」
「なるほど――証言者は鴨志田先生ですか?」
「な……何を言っているのかね?」
目線の動きも制御できない人間が、しらを切ろうとするなどと笑わせる。
――まあいい。元より、今日中に調査を打ち切る予定だったのだ。
「と、とにかく、被害者が出た以上はこれ以上君の調査を認めることはできん!
直ちに引き上げを――」
「わかりました。しかし、僕が急に姿を消せば調査協力者達も不審に思うでしょう。
せめて今日一日、引き上げのための後処理はさせていただきたいですね。
小早川校長からしても、余計な騒ぎが増えたら困るのでは?」
「……今日一日で終えるのだな?」
「はい。間違いなく」
「……ならば、許可する。しかしそれ以降、この学校内で君を見かけたら不法侵入者として通報させてもらう」
「当然の措置ですね」
必要な要求は通した。
私からしても、もうこいつに用は――ああ、そうだ。
「では、失礼します。
この学校のことは、笹木さんと星野さんに訊ねてみることにしますよ」
「――は?」
「僕は未だ政界には携われぬ身ですが、
懇意にしていただいている方々に相談して、情報を集めることにします。それでは」
まさか陸上部の件の揉み消しを依頼した相手の名前を、ピンポイントで出されるとは思わなかったのだろう。
唖然としている小早川が我に返って騒ぎ出さないうちに、さっさと校長室を出る。
「――あっ」
「あ」
……階段に向かおうとした瞬間、雨宮蓮とばったり出会った。
まだ昼休みのチャイム鳴ってなくないか? ――と思えば、2-D教室だけ扉が空いて、ばらばらと生徒が出てきている。
ちゃんと時間いっぱい授業しろよ。ツッコミどころしかないのかこのクソ学校。
「田中先輩……もしかして、呼び出し受けたのか?」
「あー。まあな」
「……鴨志田が、先輩のせいだって言い回ってるみたいだ」
「知ってる。つか前々から思ってたが、この学校って噂回るの早すぎねえ?」
「早い。おかしい。東京って怖い」
「東京で括るな。この学校だけだからな? 多分才樹や洸星はまともだぞ?」
「さいき? こうせい?」
「近隣の高校だよ」
……この田舎者のガキがよ。
なんでこんな奴に殴られただけで死にかけた、というか死んでるんだ?
まともじゃない学校にまともじゃない現実、目の前にいるのは何も知らない自分の仇。そろそろ頭がおかしくなりそうだ。
「……ごめんなさい」
「は?」
「俺達が……俺が先輩を巻き込んだせいで、先輩の立場まで悪くなった。
………迷惑をかけた」
「お前の都合とか知ったことかよ。俺は俺の目的があってそうする必要があっただけだ。
見当違いなことで謝ってこられてもムカつくだけだから止めろ」
「……でも」
「だいたい俺は病院に戻る予定だって言っただろ。
どっちみち学校に顔出すのは今日が最後だ。何も知らねえ愚民どもが騒ごうが関係ねえよ」
「え……?」
「なんで驚くんだよ。どうでもいいだろ、俺のことなんざ」
――と、ぼやいたところでようやくチャイムが鳴った。
昼休みだ。さっさと用件を済ますとしよう。
「それより、坂本は――」
「あっ! 田中先輩!? ……と雨宮も」
「……探す手間が省けたな。
お前ら、どっか人気のない場所案内しろ。俺から一つ相談がある」
「――結局ここかよ」
いつもの中庭の自販機コーナーだ。
確かに人気がない。飛び降り現場に人気があってたまるか、とも言う。
「飛び降りがあったばかりだから、ここが一番人来ねえかなって思ってさ」
「むしろ封鎖してねえことが驚きだよ。いくら自販機があるからって、現場保全すべきだろ」
「どうしようもねえクソ教師ばっかだからな、この学校。
鈴井に付き添ったのだって高巻だし……!」
「……ああいう時は先生が行くものだと思ってた」
……新島真の次にまともな人間がこいつらって、本当にこの学校どうなってるんだろうな。
それと私はあと何回この疑問を抱くことになるんだろうな。
――いや、止めておこう。さっさと本題に入るべきだ。
「まあ役立たずの教師はどうでもいい。
それよりお前ら――というか坂本、バレー部と陸上部の
「え? 卒業生?」
「ああ。陸上部潰されたのが去年なら、鴨志田の問題行動は去年の時点で起きてたってことだろ?
だったら
バレー部が鴨志田の告発に踏み切れないのは自分たちの夢が絡んでいるからだ。
卒業生にはもう関係がない。何ならバレーそのものを辞めている者も相当いるはずだ。
もちろん中には『後輩の夢を潰したくない』というお優しい先輩もいるだろうが、それで鈴井志帆が飛び降りたと伝えれば、考えを改めるものも出てくるだろう。
それでもどうしようもない時に備えて、陸上部の卒業生からも証言をもらっておきたい。
「陸上部のセンパイ達はわかるけど……俺、絶対恨まれてると思うんだよな。陸上部潰れたのは俺のせいだって」
「お前の名前なんか出さねえよ。岡田さんの名前借りて、俺が――もしくは知り合いに頼んで話をつけてくる」
さすがに『岡田理事に依頼されて鴨志田の問題行動を調査している』と言えば納得する者が1人は出てくるはずだ。
――もちろん昨日の間に岡田の連絡先はもらっているし、調査の際に名前を出す許可も得ておいた。
当然、調査結果の引き渡しについても話をつけているとも。きちんと成果報酬を支払ってくれるというからありがたい。
「卒業生が何人いるかはわからねえが、バレー部と陸上部合わせりゃそれなりに数はいるだろ。
1人でも協力してくれりゃ、そいつからも説得を手伝ってもらえばいい」
「……坂本。三島にも協力してもらうか?」
「あっ! そうだ、あいつバレー部だもんな!」
「三島……って昨日言ってたやつか? 手のひら返してくれたのか?」
「ああ。……いや、巻き込んだだけかも。坂本を止めるのに」
「う、うっせうっせ!! 鴨志田がクソすぎんのが悪いんだろ!!
なんだよ、俺達はまだしも三島まで退学にするとかよお!」
「は? マジであいつ、退学って札切ろうとしてるのか?
嘘だろ? 昨日岡田さんと話つけたばかりだぞ? たかが体育教師が、理事会にそこまで影響力持てるかよ」
「……鴨志田はこの学校を、自分の城だと思ってる。
だから、……なんでも自分の思い通りになるって、本気で信じてる……ってことだと思う」
……田舎者のくせに妙に的確な表現をするものだ。
どうして前科持ちの人殺しの分際でそれなりに利用できそうな素質を持っているんだろうな。
前科持ちどころか足のつかない暗殺能力を売り込んできた明智吾郎といい、この世界には危険性の高いクソガキほど有能な法則でもあるのか。
「まあいい。その三島って奴、連れてきてくれ。
顔ぐらい合わせておかないとお互い信用できねえだろ」
「わかった」
「よっし。教室いるかわかんねーし、2人で探すか!」
ガキ2人が教室棟へと戻っていく。
誰もいない中庭は明らかに踏み荒らされた跡が残っている。恐らく飛び降りた鈴井志帆の血痕すらそのままになっているのだろう。
――なぜ、鈴井志帆は今日、飛び降りたのか。
無論、私の言葉が引き金になった可能性は否定しきれるものではない。
昨日の会話を記録したボイスレコーダーは持ってきている。校長が私を警察に突き出す判断をした時のための備えだ。結局無用だったが。
しかしこの程度で――と思うのは発言者が私自身だからだろう。この点に関しては互いに平行線の感情論にしかならない。
それよりも………可能性として高いのは、やはり鴨志田卓の暴力性が彼女に向けられたからではないのか。
昨日、岡田が鴨志田に説得を行ったとする。
鴨志田がどうやりすごしたとしても、校長より上の権力者に口を挟まれるのは相当に不愉快であったはずだ。
そのストレスのはけ口として女である鈴井が選ばれ、今まで以上の暴力を振るわれて絶望して、飛び降りた――
――あるいは、鈴井が口を割ることを恐れて、飛び降りを強要したという線もある。
高巻杏との口論を聞いていれば、鈴井が坂本から告発に協力するよう促されていたことは推測可能だったはずだ。
さらに、昨日の今日ならば私というスケープゴートに罪をなすりつけることも容易い。
なにせ口論していたのは階段だ。鴨志田卓以外にも、高巻杏と鈴井志帆と私の姿を目撃した者はいるだろう。
そして一度『鈴井志帆と男子生徒が口論していた』と印象付けられれば、他の目撃者の記憶もそちらに引っ張られて――
『――他人に策を利用されるなんて獅童さんらしくないですね。
――ッ……!?
『初めて会った時も追い詰められてましたよね。
他人を追い落とそうとした隙を狙われて。僕、覚えてますよ』
クソ……急にッ……! こんな、鏡があるわけでもない場所で……!!
落ち着け、どうせいつもの幻聴だ……死人の声なんか、聞こえるわけが……
『どうですか? 僕のありがたみ、理解してくれましたか?
獅童さんがどれだけ自滅しそうになったって、僕がいたから何とかできたんですよ』
――声を出すな。反論するな。所詮は幻だ。
だいたい長えよ。自滅したのはお前だろ。勝手に変な手術に同意して命を投げ捨てたクソガキが。
『認めてくださいよ。あなたの成功は全部僕がいたからだって』
ふざけるな。お前に会う前から国会議員やってただろうが!
たかだか2年、承認欲求に煽られるまま鉄砲玉やってただけのガキが、何様のつもりだ……!
『僕が生まれてきたおかげで、今、あなたは生きていられるんですよ?』
だからうるせえんだよ! あの日、あの雪の日、お前の母親さえ歯向かわなければ――!!
「う、うう……ぐうっ、ううっ……!」
「――先輩!? 大丈夫か!?」
――肩が揺さぶられる。
目を開けると、別の意味で見たくもない顔が、焦ったような表情をこちらに向けている。
そいつだけじゃない。金髪のガキと黒髪のガキ。……雨宮と坂本と、多分、三島。
「あ……ああ。悪い……発作が出てた………みたいだ。
……もう、収まった……多分、大丈夫だ、……俺は、……大丈夫。平気、だ」
「発作って……すげえ苦しそうだったけど……」
「元々……病気だからな。言っただろ、いずれ病院に戻るって。
頭痛みたいなもんだ……落ち着けば、もう問題ない。
……それより、三島ってそいつか?」
「あ、は、はい。一応、雨宮と坂本から話は聞きました。
その……先輩たちと連絡取って、告発に協力できる人を探すって」
……話が早いな。
それとも、幻聴に囚われていた時間が私の体感よりもずっと長かったのか。
「俺が直接連絡取れる人は、去年面倒見てくれた先輩2人だけだけど……
ネット探せば、連絡先見つかるかもしれないから。
坂本から陸上部の先輩の名前も聞いて、一緒に調べてみる……つもりです」
「そうか……お前、もしかして割とネット詳しい?」
「あ……はい。その、ネット……情報収集とか好きで……掲示板立てたりもしてます」
……高校生で情報を集めるのが得意、か。
使い所がありそうな人材だ。
「……そういうことなら、俺とお前で手を組んで動かねえか?
俺は身体はアレだが、頭や口ならそれなりに回せる自信があるし、力を貸してくれそうな大人の知り合いが何人かいる。
それに雨宮と坂本は元々組んで色々やってるんだろ?
二組に分かれて、雨宮達が校内メインで、俺と三島が校外メインで動けばどっちかは成果上げられねえか?」
「あー! それ良いかもな! 俺達が下手打っても何とかなるかもって思えるの、かなりでけぇし!」
「えっ? えっえっ?」
「……アリだな。アリアリのアリ」
「えっ? 俺の意思は!?」
「嫌なのか? 上手く行ったらお前、ヒーローになれんのに?」
「ひ、ヒーロー……?」
自分の得意分野では饒舌になり、それ以外ではおどおどと不安げになる奴は、英雄願望をくすぐってやると釣れる事が多い。
要は自尊心が高いのに自己評価が低いということだ。だからこそ、評価を上げるきっかけに飢えている。
「考えてみろ。鴨志田を告発するために先輩たちに顔を繋いで、証言集めて、理事に提出するんだぞ。
こんなもん普通は学生がやることじゃねえ。大人がやることだ。
それを『俺がやりました』って言えたら最高にかっこいいと思わねえ?」
「う……そ、それは……」
「雨宮。坂本。お前らどう思う?」
「三島、超かっこいい」
「おうよ! お前だってやるときゃやるんだって、鴨志田に目にもの見せてやれ!」
……振ってみてなんだが、調子がいいな。
まあ、ノリが悪い奴らよりは動かしやすくていいのだが。
「うう……みんなして……!」
「――というわけだ。協力しようぜ?
俺には知り合いに弁護士と検事がいるから、相談相手には事欠かねえ」
「け、検事ィ!? なんでそんな人と!?」
三島って奴、すぐビビるな。前科持ちの雨宮が身構えるのはまだわかるが。
「知らねえ? ここの生徒会長の姉貴なんだけど。
東京地検特捜部の検事だからバリバリのやり手だぞ」
「生徒会長って……あの、新島さん?」
「おうよ。――ああ、言い忘れるところだった。
現役バレー部員で鴨志田の告発に協力していいって奴がいたら、生徒会長に相談させておけ。
教えてくれたら協力できたかもしれないのに、誰も相談に来てくれなかったってすげえ拗ねてた」
「えっ!? あの会長サンって、そういう人だったのか!?
なんか大人の言う事聞いてる優等生って感じだし、絶対鴨志田の味方しやがるとばかり……!」
「……俺、そもそも会ったことない」
田舎者の転校生はともかく、坂本の方は相談してみても良かったんじゃなかろうか。
まあヤンキー丸出しの不良と優等生じゃウマが合わないだろうと、お互いに避けていたのかもしれないが。
「言っとくけどあいつ、感性もまともだし頭も良いからきちんと説明すれば話は聞くぞ。次からちゃんと頼ってやれよ。
……ま、今の状況で坂本と雨宮が会いに行ったら生徒会長まで目をつけられちまうから、本当に次からにしとけって話だが。
向こうにも、バレー部員から相談あったら動いてやってくれって頼んであるからよ」
「わかった。……手伝ってくれる人、いるんだな」
「ああ。一時はどうなることかと思ったけど、これならなんとかなるかもな!」
「安心してねえでお前らもなんか働けよ? 三島が全部持っていっても知らねえぞ?」
「お、俺?! 本当に俺が先頭に立たされるの!?」
「――冗談だよ。面倒だってなら俺に連絡先さえよこしてくれれば十分だ。
告発にも手順って奴があるし、日曜にでも会えないか総当りして、引っかかった奴に話を聞きに行く」
「う……い、いや、全部任せっきりにするのもカッコ悪いし……
俺も……鈴井のこと、見て見ぬふりしてきた分、取り返したい。
だから……俺も、話をしに、い、い、行きます……!」
……ふむ。実際に後輩の声を聞かせるのもアリと言えばアリだ。
どれぐらい使えるか試すのにもちょうどいい。失敗しそうならフォローしてやればいいだけだしな。
「わかった。とりあえずお前とはチャット交換しとくか。
どっちが連絡するにしても、お前が状況説明して俺が細かいやり方を詰めるって形で同席した方がいいだろ」
「は、はい」
「……俺達は?」
「お前らはいいや。三島か生徒会長経由すりゃいいし」
「えー」
えーじゃねえんだよ。誰のせいで私がこんな目に合ってると思ってるんだ。
……いや本当に誰のせいにするのが正解なんだろうな?
「……それにしても、なんで先輩が鈴井と言い争ったなんてことになってんだ?
鈴井が人に言い返すタイプじゃねーなんてこと、誰でも秒でわかんだろ」
「確かに」
「……まあ、そんなことすら秒でわかんねえ連中ばっかりなんだろ。
一応、切り忘れたボイレコにそん時の録音残ってたから証言用に残してあるけど――聞いてみるか?」
「え? マジで?」
私がどう思うかと、他人が聞いてどう思うかは別の話だからな。
実際にこのガキどもに聞かせてみて、3人がどう反応するかは確かめてみる価値がある。
ジャージの左ポケットから録音済みのボイスレコーダーを取り出して再生開始すると、高巻杏が鈴井志帆を案じる声が響いた。
『大丈夫? 志帆、もしかして坂本に――』
――
『――失礼いたします』
「「「…………」」」
3人とも顔を見合わせている。どういうリアクションだ、ガキども。さっさと感想を言え。
「ガチめに怖い。謝ってるのに挑発してるとか、これが京都弁に対抗する東京弁……?」
「鈴井じゃなくても言い争いたくねえよ、こんなん。
むしろ高巻、よく食い下がる気になったな……ちょっと、いやだいぶ見直したわ」
「お、俺、先輩に逆らったりしないんで! 本当にお手柔らかにお願いします!」
どういうリアクションだガキども。
あと雨宮は東京をなんだと思ってるんだ?
「だけどよ、高巻も高巻なんだよな。なんでこんなこと言うんだよ」
呆れるように眉をひそめる坂本に、雨宮はただでさえ曇りがちな表情をさらに暗くする。
何か知っているのだろうか――と思った矢先、淡々と喋り始めた。
「……高巻さん、鴨志田と付き合ってることにされて、逃げ場がないって……泣いてた。
鈴井さんをレギュラーから外すって脅されて……部屋に来いとか言われてるけど、もう無理だって」
「えっ?!」
「はぁ?! なんだそれ!? 初耳だぞ!?」
「――へぇ? それで?」
「……多分、高巻さん、坂本や先輩が思ってるような意味で言ったんじゃない。
本当に鈴井さんのことを守りたかっただけだ。上手いやり方が思いつけなかっただけで」
全く、情にほだされやすいガキだな。
そんなことは最初からわかってるんだよ。
「あのな。善意で人は救えねえし、恐怖は免罪符にならねえよ。
助かりたいなら声を上げろ。助けたいなら自分で動け。それもできねえならせめて動いている奴を信じて頼れ。
何もしないってのは現状維持を選んでるんじゃねえ、現状悪化を選んでるだけだ。ましてやそんなものを他人に勧めるな。
――まあ、高巻って女の境遇自体は同情してやってもいいけどよ。それを理由にしたところで、発言への考慮なんざできねえな」
「……っ、だけど」
「俺がお前らに協力する気になってるのだって、お前らが自分で考えて動こうとしてるからだ。
人間は考える葦だってなら、考えねえ人間は無力な葦。人間になる努力もできずに手折られるのを待つだけの葦なんざ、構ってられるか。
だいたい俺は
俺は救世主でも博愛主義者でもない死にぞこないだからな。別に葦まで救いたい奴がいてもいいが、俺に望むのは止めてくれ」
――私がそう言うと、またもや3人とも顔を見合わせた。
「ダメだ。今は勝てる気がしない……もっと博識かつライオンハートな人間にならないと……!」
「お、お前はよく頑張ったよ! マジで!! 絶対今ので度胸鍛えられたって!」
「てかさ、この人絶対プロのレスバトラーだよ!! 怖いよォ!!」
「だからどういうリアクションなんだよガキどもッ!
俺が知りたいのはこれで鈴井と言い争ってる判定になるかどうかと、飛び降りの原因に繋がるって言えるのかって事なんだよッ!」
「え……ええー」「うーん」「……うう」
今度は仲良く首傾げやがって。男子高校生ってここまでガキだったか?
身近なサンプルを思い浮かべようとしたが、
あいつらが平均的高校生から外れていることは私でもわかる。
――なら、逆説的にあの2人とかすりもしないこいつらは、やっぱり平均的高校生なのかもしれない。
「まあ、高巻と言い争ってるけど、鈴井に対してって感じかってーとなんか違げぇし……
言い方キツすぎてマジこえぇのは確かだけど、鴨志田の方が絶対影響してるよな?」
「うん……俺もこんな詰められ方したら泣くかチビる自信あるけど、鴨志田の暴力よりひどいとは……思わない、かな。
言ってること、キツイけど……実際、そのとおりだって思うこともあるし……キツイけど……」
「高巻さんを泣かせた原因だとは思うけど、鈴井さんは……違う気がする。
昨日、放課後に会った時は、俺に話しかけてくれたし」
「あ? なんだ、お前鈴井にも会ってたのか?」
「ほんの少し。俺の噂、気にしないほうがいいって言ってくれた。
もし、先輩の言葉に本気で傷ついてたなら……俺のこと気にする余裕なんてない、と思う」
「ふーん……」
雨宮の証言というのが気に食わないが、放課後時点での鈴井志帆は正常な思考を保っていた可能性がある、と。
「……昨日鈴井が呼び出されたの、かなり遅い時間だった。
雨宮が鈴井に会ったのって、きっとその前だよな?」
「放課後になってすぐ。帰る途中で」
「なら、やっぱり……呼び出しのせいだ。俺が……何されるかわかってるのに、鈴井に伝えたから……」
「終わったことをウジウジしてもしょうがねえよ。
決断したなら前を向いて動けよ。やっちまった分、取り返したいんだろ?」
「う……は、はい。が、頑張ります! とにかく先輩たちを日曜日に呼んで話ができればいいんですよね!?」
「ああ。場所は都内ならどこでもいい。4人以下しか集まらないならファミレスでもカフェでも好きにしろ。
それ以上集まりそうなら、最寄り駅だけ指定してくれればこっちで良さげな店を抑えてやる。
それと、お前以外に連れが1人来るとだけ伝えとけ。体調次第じゃ他の大人に頼むかもしれねえ」
「わ、わかりました! あ、あと、陸上部の人たちは……バレー部の俺のこと、嫌ってるかも……」
「なら、そっちは連絡先だけ探ってよこせ。夜や他の曜日に会えねえか聞いてみる。
――っと、そういや時間、大丈夫か?」
結構長く話してしまったが、今は昼休みだ。
さすがに昼飯抜きにさせてしまうと不平不満の原因になる。
「うわっ!? もうこんな時間かよ!」
「悪い、話し込んじまったな。奢ってやるから1本ずつ買ってけ」
「えっ? いいんすか?」
「昼休み半分食っちまっただろ。あ、極甘酒はナシな」
「わかってますって! 俺、モンタにしよーっと!」
「ええ……坂本、昼に炭酸行くの? 俺はお茶にしとく」
「先輩。アルギニドリンクはアリ?」
「ダメに決まってんだろ。千円札入れてるんだからこっちから選べよ」
「ちぇっ……じゃあ盆ジュースで」
――そうしてやかましいガキども3人を見送ったあと、残った釣り銭で胡椒博士NEOを買い、もう一度ベンチに座る。
思い通りに行かなかった計画などいくらでもある。
取り返しなど後からつければいい。
どれほど紆余曲折しようと、最終的に辻褄が合えば……
「おや? 君1人かい?」
……誰だ? 初めて見る顔だが、ここの教師か?
柔和な雰囲気にどうにもくたびれた印象の男。見た目的に30代前半ってところだが。
「お邪魔しちゃって悪いけど、ちょっと休憩させてもらってもいいかな?」
「……構いませんよ。俺1人の場所でもないですし。
飛び降りがあったばかりだから誰も近づかないだけなんでね」
「えっ!? と、飛び降り?!」
……知らないということは、外部の人間だろうか。
かくいう自分もそうだが。
「俺も詳しくは知りません。別室登校でいつも昼からしか来ないんで。
ただ、相当騒ぎになってるし、直接見た奴も多いみたいですね」
「そんな事件が……もしかして、僕に声がかかったのって……」
「……失礼ですけど、スクールカウンセラーかなんかで?」
「ん? ああ、そうなるかもしれないね。
僕は丸喜拓人っていうんだ。個人でカウンセリングをやっていて、今日は通院している子の様子を見に来た……んだけど。
校長先生にお声をかけられて、突然非常勤のスクールカウンセラーにならないかって言われてね」
「それはまた急ですね。
……しかし、そんなに患者がいるんです? こんな学校にわざわざ見に来られるなんて」
「いや、1人だよ。1人なんだけど……症状が重くて、お父さんが心配されてるんだ」
……すごい心当たりがあるな。
「もしかして、芳澤伸一さんの娘さんですか?」
「えっ!? 知ってるの!?」
「お父さんの方だけお会いした記憶があります。向こうが覚えてるかどうかは知りませんが。
……テレビ局務めの知人が嘆いてました。娘さんが心を病んで可哀想だと言っていたので、もしかしてと」
「そ、そうか………うん。そうだよ。
だから僕としても、ここのスクールカウンセラーになるというのは、ありがたい申し出ではあるんだ。
……あるんだけど……もう少し早く来ていたら、良かったのかな」
丸喜はぼんやりと中庭の方を見た。見たこともない鈴井に同情しているようだ。
こいつもお人好しの善人か。他人の悩みを延々と聞き続けるカウンセラーが、果たしてそれでやっていけるのだろうか。
「間が悪いことなんていくらでもありますよ。
それに、飛び降りを目撃して衝撃を受けている生徒も少なくないはずだ。
そういう子達の心を助けてあげると思えば、手遅れってこともないのでは?」
「……確かに、そうだね。
なんだか君と話していると、僕より年上の人と話しているような気分になるよ」
「――よく言われますよ、発想がオッサンくさいって。
俺だって年相応になりたいんですけどね。どうすればガキらしく振る舞えるんだか」
「ははは……心も身体も、成長速度は人それぞれだからね。
もちろん成長が早すぎたり遅すぎたりして生きるのが大変だったら問題だけど――
そうじゃないなら、自分は自分ってことでいいんじゃないかな? いつかはみんなおじさんになるわけだし」
「……丸喜先生みたいに、ですか?」
「ええっ?! 僕まだおじさんなんて……年、なのかなあ?」
「俺からすれば、20代後半以降は全部オッサンですね」
私が初めてオッサン扱いされたのもそれぐらいの年だったしな。
それに丸喜の場合、服装や髪型が野暮ったいせいで実年齢以上に老けて見える。
きちんと白衣を着て髪を整えたら、5歳ぐらいは印象が変わるのではないだろうか。
「そんな……君ですらそうなら、みんなにもおじさん扱いされちゃうかなぁ……」
「覚悟は決めておいた方がいいんじゃないですかね。
――それじゃ、俺は先に行きますんで。どうぞごゆっくり」
飲み終わった空き缶を捨て、実習棟側に戻る。
昼休みも残り少なくなった。
この学校の教師陣で唯一世話になった教頭に最後の挨拶をして、新島真にはチャットで事情を送っておこう。
ロクでもない学校での調査は終わりだ。
明日から――……
………明日は休みにしようか。土曜だし。
さすがに疲れた。本当に何なんだこの学校。もう来ねえよ。
Q:どこかで見たような夢ですね?
A:どこかで起きた事件です。この世界では運悪く現場に居合わせてしまったようですね。
Q:ミートソースパスタはどうなりましたか?
A:食べました。なんとか一口食べたら、味の方に思考が飛んでそのまま食べ切れたそうです。
それはそれとして流血沙汰が絡む悪夢はまあまあ見るので、今度から赤くない冷凍パスタを中心にストックしようかと考えているようですね。
Q:昨日、雨宮&坂本に買わせた胡椒博士NEOはどうなりましたか?
A:飲んでません。未開封のまま持ち帰ってきてしまったので、冷蔵庫に入れてどこで入手したか忘れた頃に飲もう、と思っています。
そういうものに限って入手経路をいつまでも覚えていたりするものですが。
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次回更新は少し間が空いてしまって10月24日土曜日の21時15分になりますが、これからも頑張って書いていきますのでよろしくお願いします!