獅童正義は明智吾郎として生きることになった。   作:枝野トナナ

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第29話――4/16『A Matter of Perspective』

 なぜ人は働くのか。

 それは休日のありがたみを実感するためだ――という説がある。

 砂漠を彷徨った果てのオアシス。もっと身近な例えなら、真夏の駅前で街頭演説した後のビール。

 ……我ながら高校生らしさの欠片もない発想しか出てこない。

 仕方ないだろ。昨日の丸喜のセリフじゃないが、自分は自分なのだから。

 記憶が全て消えでもしない限り変わりようなどないし、本当に変わりたいわけでもない。

 ――ただ、違和感を持たれない程度に高校生らしく振る舞えるようにならないと、面倒事を招きかねないというだけだ。

 

 ともあれ、今日は土曜日。貴重な休日。

 一日ぐらいはあれこれ深く考えず、心の休息を優先したっていいだろう。

 

 例によって2時限目だけの出席を終え、帰宅して服を着替える。

 年甲斐もなくテンションが上がっていることに気づくが、致し方ない。

 思い返せばこの一週間、気の休まる暇がなかった。

 月曜日は新島冴と一緒に精神暴走事件と地下鉄事件の調査。火曜日は秀尽学園潜入の下準備。

 そこから3日間はなぜか自分の仇に協力して、握りつぶすはずだった体罰を表に出すための調査活動。

 何を取ってもストレスしかない。そりゃあ幻聴も出るわな、と納得してしまう。

 ――だからと言って奴の声を聞きたいわけではない。大人しく死んでいろ。

 

 家を出ようとした矢先、通知が鳴る。

 喜多川祐介からのチャットだ。

 

『すまん、連絡し忘れていたが土曜は午前中授業だ。昼前には終わる』

『了解だよ。適当に渋谷をぶらついてるから、いつもの場所に着いたら教えて』

『心得た』

 

 都立高校でも土曜授業か。そういえば教育委員会が、『脱ゆとり教育』や『都立の復権』を掲げていたな。

 しかし学力なぞ結局は個人の資質と努力次第なのだし、週6日登校は教師も生徒も負担が増えるだけだと思うのだが……

 きっちり週2日休んで平日の質を高めた方が良いのではなかろうか。

 ――などと考えたところで、今の私は文科省に提言できる身でもない。

 大人しく勉強をこなして大学に行って数年社会の歯車をやって、ようやく元の立場に戻れるかどうかだ。

 

 駅に着いた。電車に乗る。

 ぼんやりと窓の外を眺める。よく晴れた空、見慣れすぎた街並み。

 

 ……果たして、7年後のこの国はどうなっているのだろうか。

 面倒な事件や災害に巻き込まれていなければいいが。

 仮に大江達の横槍にめげず与党が上手くやり続けたとしても、海外で有事が発生する可能性もある。

 主に隣の赤い国ども。それと北。あと中東。ついでにアメリカも。

 

 ――やっぱり強い国、作りたくなるよなあ。

 

 別に具体的な計画などない。

 以前は認知訶学を利用して云々程度には考えていたが、今はぼんやりとしたヴィジョンがあるだけだ。

 『平和を望むならば戦争に備えろ(Si vis pacem, para bellum)』、それがかつて師事していた政治家(オヤジ)の口癖だった。

 冷戦終結と社会党の躍進で非暴力路線に傾いたかと思えば、湾岸戦争が起きて国際貢献論が沸き起こる、激動の時代。

 そんな中で軍備増強を唱え続ける人だったから、党内でもまあまあ浮いていたし……裏工作が得意でなければ、早々に消されていただろう。

 まあ、結局は私が30歳になる前に潰されてしまったが。まったく政界は魑魅魍魎の集まりだ。

 

 日本がどれほど平和ボケしていようが、諸外国はそれぞれの都合で勝手に動く。

 資源に宗教、領土問題。意見の相違に指導者のメンツ。世に争いの火種は尽きまじ。

 真の平和など、それこそ世界全てを獲らねば手に入らない。

 だから多くの大衆は『とりあえずここにある今』が続くことを望む。

 なんとなく平和で、なんとなく平穏で、なんとなく過ぎていく普通の一日が、だらだらと続けばいいという願望。

 

 東京は――渋谷は、ある意味その象徴と言える。

 

 目まぐるしく行き交う人々と、潰れる店と新しく立つ店。

 何十年もの間に様々なものが入れ替わり、今だって色々な場所で工事をやっているのに、どういうわけか代わり映えがしない。

 いつだって活気があり、どこを見ても人が溢れていて、雑然としているくせにすまし顔をして、新宿や池袋と並ぶ東京の代名詞を気取っている。

 

 つい数日前に起きたばかりの地下鉄暴走事故さえも、まるで無かったことのように続いていく街。

 別に嫌いというわけではない。好きか嫌いかで問われれば好きだと答えるだろう。

 ――ただ、渋谷という街を観察していると。

 平和という共有幻想の上に成り立っている虚構のような、平穏という牢獄に閉じこもった囚人が見ている夢のような。

 無理やり言語化するなら地(・)下(・)鉄(・)の(・)線(・)路(・)と(・)同(・)じ(・)、(・)無(・)限(・)に(・)続(・)く(・)よ(・)う(・)に(・)見(・)せ(・)て(・)い(・)る(・)だ(・)け(・)の(・)均(・)一(・)な(・)錯(・)覚(・)――

 ……そういう得体のしれない印象を覚える時がある、というだけだ。

 

 

 

 などと色々益体のないことを考えているうちに、渋谷駅に着いてしまった。

 どう考えてもだいぶ早い。

 セントラル街の方に行って本屋でも見るか。

 さすがにこの服装なら明智吾郎だとは気づかれにくいはずだ。

 ペケッターを初めとするネット上の盗撮写真のせいで例の私服の印象も強いだろうし――

 

 ……いや、やっぱりどうにかできないか? 肖像権侵害をやってるバカどもへの対策。

 

 今の服装だって、一度写真に撮られて勝手にアップロードされて拡散されたら、明智吾郎の私服として紐づいてしまうわけだろう?

 見せしめに1人か2人訴えた方がいいのだろうか……それとも、良識に訴えて自発的に止めてもらうか……

 そもそも2代目探偵王子として売り出した明智吾郎が、探偵活動や警察及び検察への協力を行っているのは自明の理。

 本物のファンならば、明智吾郎の安全を守るための協力をすべきでは?

 ――と、私でさえそう思うのだが……そんな考えも及ばないバカしかいないから写真が拡散されてるんだよな。

 ペケッターをスマホにインストールしてエゴサとやらをしてみたが、まあ出るわ出るわ。

 本物の明智吾郎の盗撮写真はもちろん、退院後の私の写真もそこそこにある。

 喜多川だけじゃなく、笹木や新島冴と一緒に映ってるものもある。私以外は全員スタンプで顔を隠されてはいるが。

 

 ……はっきり言っていいか? 正直怖いんだが?

 

 1人がやっているならまだわかるが、複数の人間がそれぞれ別の場所や時間で、スナック感覚と言わんばかりに気軽に盗撮している。

 みんなやってるから自分もやりたい。あるいは誰かがやって注目を浴びたから自分もそうなりたい。

 こんなもの、何をどうしたら止められるんだろうか。

 私が総理になって『常識を学ばない者からスマホを取り上げる法律』でも作ればいいんだろうか。

 ……いや、さすがにないか。大衆が反発するものな。

 今の日本はスマホがないと生きていけない奴らばかりだ。電子マネーのみならず、バーコード決済の普及も見え始めている。

 いずれは財布の代わりにスマホが必須になり、現金の方が使いにくくなるだろう。 

 IT系はいつもそうだ。

 技術ばかりが先行発展していき、肝心の人間側のモラルとマナーと法整備が追いつかない。

 

 どうしたものか――と思いながら、若者向けのファッション雑誌と総合週刊誌を軽く立ち読みする。

 内容だけざっと見ておいて、良さそうな雑誌を帰りがけにまとめ買いしようと思ったが……どれも微妙だな。

 政財界の動きも予想の範囲内。地下鉄事故の影響以外、大きなニュースもない。

 唯一気を引いたのは、斑目一流斎の個展『斑目展』の予告だ。渋谷で開催するらしい。

 この週刊誌だけ買うか。一冊だけなら今買ってしまってもいいな。

 しかし斑目展か。さすがに喜多川祐介も準備や手伝いに駆り出されるだろうが――来週ならまだ時間は作れるか?

 来週から開催される上野の若冲展も、相当気合が入ったものになりそうだ。1人で見て回るのはいささか惜しい。

 

 芸術とは多角的なものだ。

 1人の視点から見える角度は一つだけ。複数人が集まってそれぞれの視点から見ることで、ようやく全貌が見えてくる。

 語り合うことで感じ方を分かち合い、理解を深められる――

 

 ……まあ、だから、ペケッターのようなSNSが流行るのだろうな。

 

 本屋を後にしてセントラル街を歩く。一瞥しただけでも歩きスマホをしている奴らが目立つ。

 チャットやペケッターを開いている者も相当いるだろう。

 

 SNSは手軽に他人の意見を聞ける。

 現実世界で誰かに会うまでもなく、無数に思える視点が手に入る。

 実際は使用者の好みに合わせた、ほぼ同一角度の視点の集合体でしかないのに。

 そのことを承知で使うならばいいが、ほとんどの愚民は自動的に流れてくるタイムラインを何も考えず『みんなの意見』と受け取るだろう。

 運営企業が『みんなの意見』を自分たちで勝手に作り上げて垂れ流すリスクなど、想定すらしまい。

 

 ましてやペケッターの運営に携わるIT企業が認(・)知(・)訶(・)学(・)研(・)究(・)に(・)手(・)を(・)貸(・)し(・)て(・)い(・)る(・)など、私と奴ら以外の誰が知っているというのだろうか。

 

 認知とは、色眼鏡を通して見る世界の姿。

 そして色眼鏡も世界の姿も、与えられた情報に影響されて変わりうるし変わりゆく。

 だからこそ大本の情報を操れるマスメディアとインターネットは、認知への影響力が強い。

 そこに認知訶学という『個人の認知している世界を外部から観察し、最終的に認知世界そのものの直接的操作を目指す学問』を組み合わせると、どうなるか?

 

 ――全国に拡散する認知操作メディアの出来上がりだ。

 

 実用化には程遠く、机上の空論の段階ではあったが……それでも万が一完成すれば、大変なことになるだろうな。

 私が私として生きていたら、まだ穏当な使い方に留めたが。

 

 そもそも私は政治家だ。

 全ての国民が私を支持することが理想なのであって、物言わぬ人形を国民にしたいわけでも、死体の上に孤独な王座を築きたいわけでもない。

 いくら快適な船を作ったとしても、船長が船内全てを見て回ることは不可能だろう。

 部品は摩耗する。海も常に凪いでいるわけではない。問題は必ずどこかで発生する。

 だからこそ乗客たる国民一人ひとりが己の意思を持つことが肝要なのだ。

 大衆が改善点や問題点を見つけ出し、私が対応策を考え実行する。それでこそより良い国が出来上がる。

 

 しかし企業は違う。利益追求が目的である以上、大衆の意思など最初から存在しないほうがいい。

 このセントラル街にも店を構えるビッグバン・バーガー、その経営者たる奥村邦和が、自社社員を替えの効くロボットか何かとしか考えていないように。

 何も言わずに働き、何も比較せずに利用し、何も考えずに金を払う――そんな自由意志のない奴隷だけの世界にした方が、単純に儲かる。

 そ(・)う(・)い(・)う(・)使(・)い(・)方(・)をされてしまったらどうしようもない。私でさえも。

 

 ……本当にさっさと財界側で潰してくれないものか。3月にリークしてるんだからさすがに南条には届いているはずだよな?

 例のIT企業を丸ごと買収して、あの社長を追放してくれれば済むのだが――

 

 ――ピロピロピロン♪

 

 チャットの通知が来た。どうやら喜多川が渋谷駅に着いたようだ。

 急いで――は無理だが、可能な範囲で早く戻ろう。

 

 

 

「すまん。遅くなった」

 

 いつもの待ち合わせスポット。

 制服姿は初めて見るが、長身痩躯ゆえか洸星の洗練されたデザインがよく似合っている。

 

「そんなことないよ。僕がズルして早く抜けてるだけだしさ。

 それより荷物置いてこなくていいのかい?」

「ああ。今日は大したものは入ってないからな。画材がないからいつもより軽いくらいだ」

「へえ……美術科って、土曜日はどんな授業してるの?」

「文学と体育、数学だな。実技は2コマ使うから平日に集中している」

「なるほど。ちなみに、洸星の先生ってどんな感じ?

 才樹(うち)は私立だからか意外とフランクな人も多いけど、やっぱり都立となると真面目な人が多いのかな?」

「そうだな……そこまで厳しいわけでは無いが、真面目といえば真面目だろうな。

 わからないことがあれば聞けば教えてくれるが、向こうから絡んでくることは少ない。

 やはり小中学校の先生方とは距離感が違うな。俺としては今のほうが過ごしやすいが」

「それなら良かった。生徒が過ごしやすいと感じてるなら、先生方が優秀だって証拠だ。

 ……やっぱさ、普通の高校ってそういうものだよねえ」

「?」

「ああいや、なんでもない」

 

 いかん。うっかり愚痴を吐いてしまいそうになった。

 突然他校の、しかも通ってさえいないはずの高校の話をされたら喜多川祐介でなくても困るだろう。

 それこそ笹木や吉阪ですら困惑するわ。

 

「それより、今日は何食べる? 昼、まだだろ?」

「考えてはいるんだが、あまり思いつかなくてな。

 牛丼はなんだか勿体ないし、ラーメンもピンとこない」

「なら、どっかファミレス入る?

 またロイボでもいいし、ベニーズとかジョイサンとかでもいいし、セイゼリヤでデザートまで食べるのもアリだし」

「その中なら――ジョイサンがいいな。見たことはあるが入ったことがない」

「ああー、わかるわかる。

 セイゼやガスツほど安くもないし、ロイボほど振り切ってもいないから、なんか選択肢から外れがちだよね」

 

 話しながら歩き始める。

 今日はこのまま何事もなくあれ。

 百歩譲って知人にばったり出くわすぐらいならいいが、新島真以外の秀尽関係者とは会いたくねえ。

 フラグだの何だのじゃないからな。本当に止めろよ?

 

 

 

「あれ? 明智くん? 珍しいね、外で会うなんて……今日は友達と一緒かい?」

 

 ――セーフ。

 小林プロデューサーならセーフ。

 ちょうどジョイサンに入ろうとしたところで出くわしたから驚いたが。

 

「知り合いか?」

「うん。小林さんって言って、お世話になってるテレビ番組のプロデューサーさんだよ。

 小林さんは、今日はお仕事で?」

「ああ。打ち合わせが終わって、先方には先に帰ってもらったところさ。

 本当はこんな場所で話すような相手じゃないから、緊張しちゃったよ」

「小林さんがそこまで言うなんて、相当大物だったんですね」

「大物というか……実業家の久我(こが)さんっていう、旧華族として有名な人なんだよね」

 

 ……あいつか。旧華族同士のネットワーク目当てで廃人化ビジネスに噛ませてた奴だ。

 

「久我さん……? もしかして、午後に先生がお会いすると言っていた人だろうか……?」

「え? 君の先生って……?」

「ああ、喜多川は斑目画伯の弟子なんですよ」

 

 旧華族という家柄に拘っている久我は、美術品収集にも関心を寄せている。

 故に、日本画の大家として名を馳せている斑目と関係を持つこと自体は何もおかしくない。

 ましてや斑目は個展を開く直前だ。スポンサーなのか顧客なのかは知らないが、関わっているならば話ぐらいはするだろう。

 

「斑目先生のお弟子さん!? へぇー、そりゃすごい!

 明智くんが友達を連れ歩くなんて珍しいと思ったけど、才能ある若者同士、類は友を呼ぶって奴だねえ」

「あははは。僕の才能なんてたかが知れてますよ。

 他人の秘密を暴くしか能がない探偵と、無から感動を生み出す芸術家を比べたら、さすがに喜多川の方が上です」

「そんなことはないだろう。お前の観察眼は俺に見えなかった真実を見抜く力がある」

「いやいや、どっちもすごいよ。君たち2人とも高校生だろう?

 才能溢れた若者2人に挟まれたら、大人の肩身が狭すぎるってもんだ」

 

 小林プロデューサーはあっはっは、と笑ったあと、「そういえば」とポケットからクーポンを取り出した。

 

「ドリンクバーの百円引き券、ちょうど会計でもらったからさ。

 良かったら君たちで使っちゃいなよ」

「あ、ありがとうございます」

「それじゃあまたね、明智くん。

 ――あ、そうだ。ゴールデンウィークあたり声かけるかもしれないから、そうなったらよろしく頼むよ」

「はい。小林さんからのオファーなら何としてでも引き受けますよ」

 

 探偵ごっこで精神を摩耗している現状を鑑みれば、番組出演の誘いは実にありがたい話だ。

 出演料自体は微々たるものだが、簡単に知名度が稼げるのは大きい。

 少しだけ晴れやかな気分を取り戻しながら、店内に入る。

 昼時だから待たされるかと思ったが、すんなり席に通された。

 今日は軽めに食べたい気分だからドリアにしよう。足りなければデザートでもつければいい。

 

「すみません。野菜のドリアとドリンクバーで」

「チキングリルてりやきソースかにクリームコロッケとオニグラセットとドリンクバーを」

 

 ……がっつり行ったな。

 私だったら胃もたれしそうだ……いや、今の身体なら私でも行けるのだろうか。試す気はないが。

 

「控えめだな。後で追加するのか?」

「まあ、そうだね……食べられそうなら甘いやつ行こうかな。

 ――ところで、喜多川は来週時間作れそう? 若冲展のチケット、そろそろ買う予定だからさ。日にちだけ決めないと」

「ああ……もうそんな時期か。早いな」

 

 少し遠い目をしながら、喜多川は自分のスマホをチェックする。

 

「……土曜日なら大丈夫だ。学校があるから、先生も呼び出さない」

「呼び出し? ……ああ、もしかして渋谷でやるっていう個展の準備?」

「知っていたのか。耳が早いな」

「さっき買った週刊誌に広告が載っていたからね。

 さすがは斑目画伯、大々的に取り上げられてるよ」

「ああ……先生も気合を入れている。俺も頑張らないと」

 

 ――などと他愛もない会話をしていると、早々に注文が届いた。

 一旦、お互いに食べることに集中する。

 野菜を売りにしたドリアというのは珍しいが、なかなか悪くない。だが熱い。

 冷ましながらゆっくり食べていたせいか、向こうの方が量が多いはずなのに、ほとんど同時に食べ終えた。

 

「うむ。やはり肉はいい。カニもいい。

 生きているという実感を得られる」

 

 壮大なことを言っているが、単に空腹だったから腹いっぱいになって満足しただけじゃないのか。

 ――などといちいち指摘するのも野暮だろう。ドリンクバーでジンジャーエールとコーラを汲んでくる。

 胡椒博士NEOのおかげで、酒を飲みたい欲求が炭酸飲料でかなりごまかせることに気がついた。

 もちろん酒以上に飲みすぎれば身体に悪いことは間違いないが、どうせ頭脳労働が多いのだ。適切な量の糖分はほしい。

 

「……明智、お前、疲れてるのか?」

「え?」

 

 席に戻るなり言われた。

 確かに疲労は溜まっているが、そんなに顔に出ていたのだろうか?

 

「確かに忙しかったけど、どうして?」

「いや……飲み物が……」

 

 ? 飲み物がどうかしたのだろうか。

 最初に飲んだのがホワイトソーダで、次に持ってきたのがモンタと1UP。今汲んだ2杯を足しても5杯だ。普通だと思うが……

 ……いや、普通じゃない、か? 普段、こんなに甘い炭酸ばかり飲んでたか?

 

「……何か悩みとか愚痴とかあるなら聞くぞ?」

 

 高校生相手に、そんな真顔で心配されるほどでは……

 ……しかし、冷静に考えると、結構なストレスが溜まっている気がする。

 

「ありがとう……そうだね。少し話した方が楽になれるかもしれない。

 ただ――きっと聞き苦しいだろうから、真面目に聞かないで聞き流してくれると嬉しいかな。

 スマホ見ててもいいし、何ならイヤホンあれば音楽とか聞いてていいし――ああ、あと良かったらこの雑誌読んでいいよ」

「……そこまでか?」

「うん。一応触りだけ説明するね。

 ちょっとね、今週は探偵としての仕事で、秀尽学園に潜入捜査してたんだよ。蒼山一丁目にある私立のさ。

 火曜日にアポとって、水木金の3日間。4限目の途中から放課後まで、別室登校の生徒になりすましてたんだ」

「ほう。別の学校に――どうやって?」

「校長に許可取ってジャージ買ったんだよ。教頭先生にも協力してもらった。

 あと生徒会長が新島さん――ほら、春休みに渋谷駅で会った子。彼女にも力を貸してもらってさ。

 そこまで面倒な仕事にはならないだろうって、最初は思ったんだよね。最初はね。最初はね、本当にね」

 

「……そうか。雑誌借りるぞ」

 

「いいよ、読んで読んで。思い返せば校長の態度が既にアレだったよね。

 調査してほしくなかっただろうしね。まあこっちも理由は知ってたんだけどね、最初から。

 それはそれとして秀尽学園自体に用があったのも事実だし、自分の仕事の実績作りもしたかったからさ。

 一旦真面目に調査して、依頼主に報告できることがあれば報告して、めぼしいものがなければありませんでしたで済ます気だったよ」

「…………」

「まさかあそこまで腐ってるとは思わなかった。校長は何をやってるんだろうね。少しは諌めてほしいんだけど。

 体罰教師を好き勝手にのさばらせてないでさ。救急搬送に生徒を行かせるのもアレだしさ。事件現場も封鎖しようよ。

 それになんで飛び降りの原因を僕にしようとしたのかな? 校長は僕が誰か知ってるはずだよね?

 高巻さんと言い争ったのは事実だけど、それを利用して僕に原因を押し付けることが僕のことを社会的に抹殺するに等しい行為だって気づいてないの?」

 

「――すまん、飲み物持ってくる」

 

「ああ――はぁー……チッ、ありえねえよあの学校。何回揉み消しすること前提なんだよ。

 政治家がそこまで暇だと思ってんのか? 金さえ積めばなんでもやるとでも思ってんのか? 何のために金集めてると思ってるんだ?

 高校生なんて数年すれば1人1票に変わるし保護者だっているんだぞ? 全員天涯孤独の身だと思ってんのか?

 1学年に学生が何人いて、その親が何人いると思ってるんだ? 学校関係者の数十票と端金で引き換えになると思ってんのか?

 反省しねえ体罰教師の尻拭いでいったい何百票ドブに捨てるリスクを冒さないといけないんだ? 数学じゃなくて算数の問題も解けねえのか?

 どこにそんな政治家がいると思ってるんだ? だいたいもういねえから後釜探しで人を探してたんだろ?

 それにあの学校の噂の拡散速度おかしすぎるだろ。アレで揉み消しがバレたらどうなるんだよ。

 誰が揉み消したか伝わった時のリスク考えてるのかよ。クソ校長にクソ教師。いつまでも金ですませるんじゃねえよ」

 

「…………」

 

「そりゃ最初の1回だけならまだ頼むのはわからなくもねえよ。やっちまったもんは仕方ねえからな。

 だが1回やったんだから次はねえぞでシメるべきだろうがよ。校長が。何を放任してるんだ。何のための校長だ。

 坂本や陸上部だってちゃんと育てられりゃ優秀な人材になってただろうがよ。カネも人も無駄に使いやがって。

 鴨志田だって最初の揉み消しの後にギチギチにシメときゃまだ持ち直した可能性だってあったはずだろ。

 何放置して悪化させてんだ。元金メダリスト腐らせやがって。そんなことしてるから体罰だの売春だのがブン屋の耳に届くんだよ。

 バレー部もバレー部だがガキが頭足りねえのは仕方ねえよ。大人が頭足りねえのは許されねえだろうが」

 

「……………悪化、か……」

 

「飛び降りの件だってそうだ。警察入れろよ。不良生徒のケンカじゃなくてバレー部のレギュラー部員の女の飛び降りだぞ。

 誰がどう口止めできるってんだ。保護者が抗議するに決まってるし、内々で始末する前にSNSで拡散されてるわ。

 それともアレか? 拡散した奴を処罰して揉み消すってか? だから誰に何回揉み消させるつもりなんだよ。通じるかクソ。

 いい加減切り捨てろってんだよ。体罰教師をよ。なんでお前らの尻拭いのためにこっちが駆けずり回ってんだよ。

 なんで前科者の田舎者とヤンキーがまともな側に入るんだよ。新島に雨宮に坂本に三島、あとギリギリで教頭と養護教諭だけじゃねえか。

 片手だけで数えられないからセーフだと思ってんのか? つか理事会も動けよ、岡田以外の奴もさっさと動いて校長の首切りに行けよ。

 いっそもう俺が知ってることも知らねえことも全部表に出してやりゃいいのか? どうせ潰せる材料出てくるだろ、あの隠蔽体質ならよ」

 

「………本当に、大変なんだな……」

 

「もう秀尽学園絡みの調査とか絶対受けないからな。校長がクソすぎて論外にも程がある。

 人を甘く見やがって。しかも鴨志田の野郎、こっちに飛び降りの原因押し付けようとしやがって。

 おまけにあのクソ校長、諌めるどころか放置して拡散しやがってよ? 散々舐めた真似して許すと思うなよ。

 お前らの不始末でこっちの探偵としての評判まで落とされてたまるかよ。絶対に追い込んでいずれ消――」

「お前に比べたら……――のことなど、些事か……」

 

 ――ん?

 

「……喜多川、何か言った?」

「うわっ!? い、いや、なんでもない。

 その……明智も、大変だなと思っただけだ」

 

 なぜそんなに驚くんだ? ……ああ、いや、だいぶ長い間愚痴を吐いていたのか。

 あまりにもストレスが溜まりすぎていたせいで、途中からトランス状態になっていたようだ。

 

「……その、本当にごめんね。

 ここまでぶちまけるつもりはなかったんだけど、話している間にどんどんムカついてきちゃって。

 柄にもなくみっともないところを見せた。口調も崩れてただろ?」

「ま、まあ……意外と口が悪いんだなとは思った。そっちが素なのか?」

「あはは……探偵として信頼してもらうために、人前では丁寧に話すよう心がけてはいるんだけどね……

 完全に気を抜くとああなっちゃうな。見苦しいところを見せちゃって本当に申し訳ないよ」

「いや……構わん。少なくとも気を抜ける間柄だと思っていてくれているということだろう?」

 

 ……まあ、曲がりなりにも友人枠としてカウントしていることは間違いないな。

 素面でああいう態度を取れる相手は、他には星野(ゴミカス)ぐらいだし。

 さすがにアイツと喜多川を比べたら喜多川に失礼だ。

 

「そう言ってくれると助かるよ。

 おかげで胸のつかえも取れたし、明日からまた頑張れそうだ」

「明日? 日曜なのに?」

「秀尽バレー部と陸上部のOB相手に交渉だよ。体罰教師を告発しないかってさ。

 三島って奴も協力してくれるし、会って話して条件詰めて名前と連絡先を貰うだけだからまだ気が楽だ。

 体罰の証拠となると病院の診断書とかもほしいところだからね。そこらは全部秀尽の理事に投げて、とりまとめてもらうよ。

 ――あ、でも陸上部へのアポは今日取らないとまずいな。今日から頑張ることにするよ」

「……もはや大変という言葉すら生ぬるくないか?」

「まあ、その分報酬はふんだくってやるからいいさ。

 来週には僕の仕事は一段落つくだろうからさ。若冲展行った帰りに、パーッと美味しいものでも食べようよ」

「えっ?」

 

 ……なんで驚くんだ?

 

「いいのか? お前の仕事の対価だろう?」

 

 ……図太い割に、変なところを気にかけるな。

 仕事の対価だからこそ、享楽に費やす意味があるというのに。

 

「いいっていいって! 1人で使ったって面白いこともないしさ。

 色々見て、感想とか話し合って楽しく過ごそうよ。

 働いて遊んで、また働いて遊んでの繰り返しが人生であるべきさ。辛いことの後には楽しいことがないと」

「……そうか。そうだな。

 ――それなら俺も、来週を楽しみにするとしよう」

 

 良かった。

 我ながらバカか? と思う勢いで愚痴を撒き散らしたから、さすがに呆れられたかと思った。

 来週はこいつの機嫌を取ることを優先したほうがいいだろうな。

 それでなくても斑目の手伝いと学業の両立で忙しくなるはずだ。

 誰かしらが息抜きの機会を用意してやらないと、耐えられるものも耐えられなくなる。

 ――ましてや喜多川の場合、体力の基礎となる食生活からして怪しいし。

 

「そういえばさ。個展開くってことは、斑目先生は渋谷にいるんだよね?

 食事の方は喜多川が用意してるの? それとも先生が食べに連れて行ってくれるの?」

「俺の食事は俺が作っているな。

 先生は……打ち合わせのついでに、外で食べてこられることが多い。

 今日も、さっきの……久我さんという人と、夜まで話をする予定が入っていると聞いた」

「ふぅん……喜多川は久我さんと会ったことがある?」

「いいや。先生と懇意にされているから名前だけは聞いているが、直接お会いしたことはないな。

 先生は清貧を尊ぶから今の家に住んでらっしゃるが、さすがに旧華族を招くとなると適切ではなかろう。

 それで外で会っているんだと思う」

 

 ……なるほど、ねえ。

 自分たちだけ美味い飯を食っておいて、喜多川はわざと放置している、という可能性も考えられるが……

 久我は必要以上に血筋を重視する男だ。

 『生まれも定かでない人間が同席するのは許さない』ぐらいのことは、平然と宣う。

 私でさえ奴の血統主義には辟易させられたから、斑目が喜多川を連れて行かないこと自体は納得できてしまう。

 

「……喜多川。何か困ったことがあったら遠慮なく僕に言いなよ?」

「えっ?」

「忙しくて疲れたとか、もやしばっかりでお腹すいたとかさ。

 相談してくれたら手を貸せることはいくらでもあるからね」

「……いや、今は大丈夫だ。気持ちだけ頂戴する」

 

 そう言い切った喜多川の表情は、いつも通りに冷静だった。

 ほんの少しだけ口元を緩めた、――い(・)つ(・)も(・)通(・)り(・)の(・)顔だった。




Q:渋谷駅地下とか奥村社長とかに、実際に何(・)か(・)が見えてるんですか?
A:聞いてみました。
「変なものは見えてませんよ。単なる印象の話です。
 誰だってあるでしょう? 何か見た時に全く別の物を連想することは。
 なんなら雨宮や坂本も言ってたじゃないですか。鴨志田のことを『学校を城だと思ってる』『王様気取り』って。
 実際僕だってそう思いましたしね。自分が愚か者だと誰も指摘してくれない裸の王様だろ、と。
 他にもありますよ。テレビですまし顔の斑目見てると『贋作で稼いでるくせに清貧だとかバカ殿のコントかよ。本人が一番の贋作だろ』とか。
 ……まあ、とどのつまりは僕が渋谷や彼らをそういう風に認知しているってだけでしょうね」

Q:全ての国民に支持される事が理想なら、廃人化ビジネスより先に洗脳技術を研究すべきでは?
A:聞いてみました。
「人を殺すのとマインドコントロール、どちらが簡単だと思います?
 実用性じゃなくて、実現可能性の問題なんですよ。
 明智吾郎というサンプルだって廃人化と精神暴走しかできない。精神暴走を洗脳に応用しようにもそこを繋ぐ理論すら出来ていない。
 技術開発はできることから積み重ねていかないと。
 そして完成した技術は活用法がある限りは活用した方がいい。
 今の日本で権力を握るには、邪魔者の排除という手段は実際に有効ですからね。
 現実はいつだって理想には程遠い。しかし理想を追うからこそ、人は現実を変えられる。
 僕は理想と現実の折り合いをつける主義なんです。
 ――まあ、今となっては認知訶学研究そのものを全て破棄させるしかないんですけどね。
 7年あったらさすがに洗脳技術にも到達するでしょうし、廃人化だって脅威だ。
 僕は僕(・)の(・)意(・)思(・)で(・)使(・)え(・)な(・)い(・)も(・)の(・)に(・)固(・)執(・)す(・)る(・)ほ(・)ど(・)バ(・)カ(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)ん(・)で(・)す(・)」



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 次回更新は少し間が空いてしまって10月27日火曜日の21時15分になりますが、これからも頑張って書いていきますのでよろしくお願いします!
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