「綺麗…」
そんな天国にある日突然、
「では、最終審査を受ける皆さまはこちらへ」
3万人の応募者のうちの4人だけが進める、俳優発掘オーディション・最終審査。
その4人の中の1人にどういうわけか選ばれた私は、他の3人と一緒に控室からオーディションが行われるスタジオへ向かう。いま見ているこの景色をまだ心のどこかで夢かもしれないと思っている節があるからか、未だ実感が湧かない。
「(あれだけ言ってた唯菜も、私が
こんなときに頭をよぎった、元凶もといきっかけになった友達。ちなみにこのオーディションの結果は“家族と学校関係者以外には絶対に口外しないように”と言われているから、唯菜には“書類で落ちた”と伝えている。
「失礼します」
前の人たちに続いて、スタジオに入りその場で頭を軽く下げてご挨拶。
最終審査まで進んだせいかこういう挨拶に少し慣れてきた自分が、ちょっとだけ恐い。
「(…うわ、カメラある)」
位置に着く合間に大きなスタジオを一通り見渡すと、審査員やスタッフの人たちの後ろでカメラマンと音声さんがスタンバイしているのが見えた。
もしかしてこれって、明日になったらテレビとかネットに流れるのかな?
だとしたら私がこのオーディションに出てたことが拡散されるわけだから……これどっちにしろオーディション終わったら唯菜とか学校のみんなにバレるやつだ。
グッバイ。普通の日々。
「審査を始める前に言っときますが、今日のオーディションの様子はあくまでアーカイブで残すんでテレビで流れるだとかネットに出回るだとかの心配はしなくて大丈夫です。何にも気にせずやってください」
ちょうど浮かんだ不安に、共に5次審査からいる星アリサさんの隣に立つひげの映画監督がややガサツな口調で答えてくれた。
偶然なんだろうけどメンタリストがテレビの番組とかで披露する
「じゃあ全員揃ったということで、俺のほうから最終審査の課題を発表します」
最終審査まで進んだ4人が位置についたことを目視で確認して、映画監督は心の準備をする暇を与えず淡々と最後の課題を応募者たちへ告げる。
「最終審査は“
最終審査の課題は、“
経験といえは、友達といるときにふざけてやった記憶があるようなないような。つまりは余裕で未経験。
「……」
始まる前に他の3人を一瞥して、すぐに視線を前に戻す。
1人はアクションクラブ出身のモデルさんみたいにスラっとした背丈のクールな美人。
1人は雑誌の専属モデルで活動しているいかにも芸能人って感じの華やかで可愛い人。
1人は他の2人と比べると雰囲気は少し大人しめだけど劇団に所属している実力派な人。
「(一斉だから4人一組……どうせだったら1人ずつがよかったな…)」
そして友達に騙された演技経験ゼロの普通の高2。もう既にどこかしらの事務所や劇団に所属している3人と、周りから勝手に可愛いと言われてきただけのJK。
普通に考えて公開処刑。幾らなんでも、
「始める前に、私からもひとつ」
後は審査開始を待つだけというところで、星アリサさんが腕を前で組んだまま4人へ視線を向ける。
「私は
直後に流れる、みんながみんなピンと来ていないせいで生まれる変な空気。
いま言われたことで私が理解できたのは、実力なんて関係ないということ。でもだからって未経験で役者になれなかったらなれなかったでいいってぐらいの心意気の人がグランプリになんてなったら、“スター”になるためここに立っている他の3人の気持ちはどうなるのだろう。
何も知らない自分が思うのも烏滸がましいが、やっぱり私は本気で夢を追いかけている人こそ夢を掴むべきだって思う。
「あんたが他人の幸せを決めるのか?」
隣に立って4人を見る映画監督が、ボソッと呟く。
無言を貫く星アリサさんの表情が、一瞬だけ強張ってすぐに戻ったように見えた。
果たしてこれが何を意味するかなんて、芸能界を目指しているわけではない私には分からない。
「(…
私からすれば、スクリーンの中にいる人たちはみんな幸せにしか見えない。だってあの中にいる人たちは“こうなりたい”という夢を叶えて、自由に生きている選ばれた人たち。
だから星アリサさんの言ってる幸せも、映画監督が呟いた他人の幸せも、普通に生きてきた私にはどっちもよく分からない。
知っているのは、一番好きな映画の
「_それで設定だが」
「野犬よ」
隣で映画監督がパントマイムの設定について説明しようとするのを遮り、代わって星アリサさんが端的にその設定を告げる。
「(…野犬?)」
さすがに“野犬”だけじゃ設定も何も分からず、困惑の感情で頭は埋め尽くされる。
ちょっと今回ばかりは、他3人の横顔を伺う余裕がない。
「あなた達の目の前には、
元女優らしい抑揚のある言い回しが聞こえた後、私たち4人の目の前に一匹の野犬が現れる。
「(…いや設定難しすぎるでしょ)」
はずもなく、その野犬がどんな状態で私たちの前にいるのか何一つ説明がないから全くイメージが湧かない。そもそもいま目の前にいる野犬は森の中にいるような血に飢えた凶暴な犬なのか、住宅街の道端で二度と迎えに来ない飼い主の帰りを待ちながら彷徨う野良犬なのか。
難しいのは犬一匹に対して、ここにいる4人で一斉に演じなくてはならないこと。
「(せめて誰かが動いてくれたらイメージが分かるんだけど…)」
何秒経ったか、他の3人も中々動いてくれない。だからイメージしようにもぼんやりしていて、私も全く動けない。
誰でもいいから動いてくれないと、何にも始まらないのに。
「(……一か八か野良犬の
って、夢を叶えたいわけじゃないのになんでちょっとだけ
「…お前たちは、深い森へ迷い込んだ」
誰も動こうとしないところに、監督の静かな呟きが加わる。どうやら私たちは住宅街ではなく森に迷い込んだらしい。
あと1秒早く身体が動いていたら、危なかった。
「そして出口を求め彷徨うお前たちの前に、一匹の野犬が現れた」
しかしまいったな。こういうタイプの野犬はホラー映画でしか見たことがないから、イメージは湧くけど自分の視点で見れないから、結局どう動けばいいのか分からない。
例えるなら、野犬と迷い込んだ森の景色はイメージ出来るけど、スクリーンの囲い越しで観ているような感覚で、
「野犬に出逢うとは運が悪かったな…」
演技なんて分からない。でも私が見ている
「鋭く尖った瞳。牙。爪……全てがお前たちに向けられている…」
イメージする。迷い込んだ深い森の奥で野犬に視線を向けられ、標的にされるイメージ。
今にも襲い掛かろうとする。殺気に満ちた眼。
恐怖。でも、恐さの正体が分からない。
スクリーン越しでしか殺気は向けられたことがないから、どうしても
ならどうする?スクリーンの外で見てきたものの中で、限りなく近いものをイメージして補う?
でもどうやって?血に飢えてる野犬に視線を向けられるのと同じくらい自分にとって嫌なものって、あったっけ?
「…ああ、あと_」
そうだ。
「そいつ腹空かせてるぞ」
自分の視界を捉えて離さない鋭い瞳に、鳥肌がぶわっと上がり思わず後退る。
「…っ」
どこまで逃げようとも無駄とばかりに、野犬は私を睨み続ける。一瞬たりとも目を離してくれない恐怖で身体が強張り、心拍数が上がり始めて呼吸が浅くなる。
「……」
私から目を逸らしてくれと祈りながら、息を殺す。
息を殺しながら、ゆっくりと、音を立てないように暗闇の中を後ずさる。
“好きなこと”をプロフィールに書いて、友達から気味悪がられて他人の視線が恐くなったあの頃。
授業中も、休み時間も、習っていたバレエ教室のときも、過剰に視線を感じて外の世界が恐くなって、本当の自分を隠すようになった7歳の
「ねえ、千世子は映画のどこが好きなの?」
「んー……映画だったら友達のこととか気にしないで横顔見れるところ」
外の世界で自分を曝け出すことが出来なくなった私は、スクリーンの世界へ逃げた。ここならどれだけ画面に映る横顔を見ても、誰も文句なんて言わない。
私にとって映画を観ている時間は、本当の自分を曝け出せる“天国”だった。
「綺麗…」
そんな天国にある日突然、
肩に掛かるくらいの少し癖がある黒い髪から覗く、これが演技だと言うにはあまりにも生々しくリアルな
彼女のようで、彼女じゃない。
「…会ってみたいな。一度でいいから」
一番好きになった映画の中に映る
「……なに言ってんだ私」
そしてエンドロールが流れ囲いの中が真っ暗になって、私は
「…っ」
もしかしたらこのまま逃げられるかもと油断した気の緩みか、つい足音を鳴らしてしまった。
僅かに緩んだ殺気が、再びドッと押し寄せて酸素をまた薄くする。
目の前の野犬はいつ襲い掛かってもおかしくない。かと言って私には、この野犬を倒せる度胸なんてない。
タッ_
こうなったらもう、何が何でも死に物狂いで逃げるしかない。
「!?」
背を向け一気に走り出そうと踏み出したした瞬間、足がもつれた。
立ち上がろうとする間もなく真っ直ぐに私へ襲い掛かってくる野犬の姿が見えて、腰から下の力が抜ける。
逃げろ_
本能はそう呼びかけるも、強張った身体は言うことを聞かず不格好な姿勢で地面に座り込んだまま、小刻みに震えている。
たった一匹の犬から向けられる殺気が、100人くらいの他人が至近距離で私に向かって一斉に視線を向けるかのように突き刺さる。
やばいっ_
すぐそこまで迫りくる恐怖に、逃げることを諦めて目を瞑る。
何の意味もない。ただ自分が
ダンッ_
何かが当たる音がして、閉じていた目を開ける。
「(標的が変わった…)」
視界の左斜め前で、スラっとした背丈の人が後ろから何かを取り出して、右手でそれを構えながら野犬と間合いを取っている。持ち方からして、ハンティングナイフだろうか。
ともかくこの人のおかげで、標的になった私は命拾いした。
ダッ_
緊迫の中で少しの安堵が流れた次の瞬間、野犬は持っていたハンティングナイフで怯えながらも立ち向かおうとする彼女へ襲い掛かる。
ズンッ_
襲い掛かってきた野犬をどうにか交わしたあと、覚悟を決めて一瞬の隙にナイフで急所を一突き。まだ残る意識の中で足掻こうとする前に、
今までの喧騒が嘘みたいに静まり、4人へ向けられていた殺気はスンと音を立てるように消えていく。
「そこまで」
何秒かの沈黙のあと、“そこまで”と4人へ告げる一言が静かに響いて、拍手と共に称える声がスタジオを包み込む。
広い空間を覆い尽くしていた暗く重い空気が一瞬にして明るくなり、森が解けていくのと比例して強張っていた身体も軽くなる。
「(…終わった)」
私の最終審査は、襲い来る
「(もう終わっちゃった…)」
でも、普通に楽しかった。
「俳優発掘オーディション。グランプリ受賞者は_」
「来週から中間テストなので、そろそろ各々で自習するなどして赤点にならないよう対策を取るように。では起立_」
スターズのオーディションから2日が経ち、私の通っている学校は中間テストを来週に控えて部活動がオフになり、クラスの中は少しの愚痴を交えながら静かに勉強モードへと入り始めた。
「ももちー、この後ゴストで
帰りの
「うん。家帰っても暇だし行く」
親はどっちも放任主義だからLIMEで一言言っておけば大丈夫と、二つ返事でOKを出す。
「絵麻ー、葉月ー、ももちも勉強会参加するってさ」
「ありがと~百城さん」
「勉強できる百城さんがいると心強いから正味助かる」
オーディションが終わって友達や周りにバレないように接する必要はなくなったから、なんだか気が楽だ。実をいうと書類審査どころか最終審査まで進んだってことは、やっぱり今はまだ唯菜にも黙っておくとして。
「あはは、頼りにされるとプレッシャーだからちょっと困るかも…」
「俳優発掘オーディション。グランプリ受賞者は………剣崎アクションクラブ所属、
俳優発掘オーディションでグランプリを獲ったのは、最終審査で見事なアクションを披露して野犬を倒した人だった。
もちろんグランプリを獲れなかった私は不合格。“スター”になることは出来なかった。
「じゃあみんな揃ったところで行きますか」
終わってみれば当然の結果だった。あの4人の中で誰よりも動き、自分の得意分野を駆使して見せ場を作った人がグランプリに輝いた。
あの人と比べたら私はただ殺気に怯え犬から逃げようとしただけ。よく分からないまま最終審査まで進んでしまったけど、最後の最後でちゃんと
「というかあたし、百城さんとちゃんと話すの初めてかも」
「言われたら確かに」
「絵麻は1年のとき違うクラスだったからね~」
観客席の向こう側に広がる世界は、普通の人じゃ立ち入ることのできない世界。
私は襲い掛かる敵を容赦なく殺せる無茶苦茶な勇気なんてない普通の
「数学ってⅡから急に難しくなるよね?」
「うわそれめっちゃわかる!」
「微分積分とかね~」
「まず微分積分の覚え方がよくわからん」
「微分が“一瞬の変化”で積分が“変化の積み重ね”だったと思う」
「さすがももち頭いい~」
行けなかった代わりに、私にはこうやって放課後に勉強の愚痴だとかを同じクラスの親友や友達と一緒に話したり、貯金に余裕が出来たらその友達と一緒に休みの日に街に出て映画を観に行ったり周りに迷惑をかけない範囲で遊んだり……そんな映画やドラマのシナリオになんて到底なれやしないありふれた
「ねえ、中間テスト終わったらこの4人で映画観に行かない?」
「いいね!」
「って言ったそばからなに観る?」
「んー…そういえば『4月1日』まだわたし観れてないわ。夜凪景出てるやつ」
「それうちとももちで一回観てるよ」
「じゃあ却下か~」
「でもちょうどそろそろ上映終わるかもだから観に行こうよせっかくだし」
最後に見せ場を全部持ってかれたこと。グランプリを獲れなかったこと。
別に本気で役者になりたかったわけじゃないから、悔しいって気持ちは全く湧かなかった。
私は今が十分幸せだから、全部が終われば結果は駄目でも後味良く満足できると思った。
「関係ないけどももちって4月1日生まれだよね?」
「えっマジなのそれ?」
「うん。実はエイプリルフール生まれ」
「てことは一日遅く生まれてたら後輩だったってこと??」
「そうなるね」
「やばっ」
ただ、オーディションが終わってからずっと、この身体の奥底で
「ちなみにここだけの話。ももちの推しは夜凪景です」
「へぇ~百城さんって夜凪景好きなんだ初めて知った」
「“ファン”って意味だけどね」
「いやめっちゃいい趣味してるよ百城さん」
「いい趣味?」
あれから夢を2回分見ても、生まれて初めて芝居というものをした
「やっぱりさあ……これはもう神様がももちに“オーディション受けてください”って言ってるようにしか思えないんだよねえ」
思い上がりもいいところだけど、ほんの一瞬だけ、憧れと
今の幸せで満足しているはずなのに……
「百城さん」
昇降口へゆっくりと足を進めていた背後から、生徒指導の秋山先生の呼ぶ声。
「ももち何かした?」
「いや心当たり全くない」
悪戯に小さく笑う唯菜から軽く揶揄われつつ振り返る。
少なくとも悪いことをした心当たりはないとはいえ、生徒指導の先生からこんなふうに呼ばれると心配になる。
「百城さんの親戚の人が向こうの家に置いてあった忘れ物を届けに来たから、すぐ玄関口まで」
「親戚って……忘れ物した覚えないしわざわざ
「とにかく待っているからすぐに向かってあげなさい」
どうやら親戚の人が私に“忘れ物”を届けに来たらしい。
心当たり以前に突っ込みどころが多すぎて意味が分からない。
「はい。分かりました」
ただ私だけがド忘れしているパターンも無きにしも非ずだから、少し悩んで先生の言う通り玄関口へ向かうことにした。
「ごめんちょっと時間かかるかもだからみんな先に行ってて」
「オッケー。南口のとこね」
「ほんとごめんね」
「全然大丈夫だよー」
唯菜たちと一旦別れて、早足で玄関口へ急ぐ。
「(絶対忘れ物なんかしてないのに……ていうか親戚ってどの親戚なの??)」
どう記憶を遡っても、正月に逗子の家へ泊まりに行った以外で親族や親戚の家には行ってないし、考えれば考えるほど色々と辻褄が合わない。
「…これで来た人が“親戚を名乗る不審者”だったらどうすんのよ」
いっそ無視して唯菜たちがもういるはずの昇降口へ引き返してやろうかと思いつつ、周りに聞こえない範囲の声量でイライラを吐き出して、先生や来客の人が出入りする玄関口に着いた。
「え…」
外光に照らされた人影が見えて、少し近づいて顔が分かった瞬間、言葉を失った。
「どっかの社長がうっかり落としてきた“忘れ物”を取りに来たんだが、どうやら街中を探し回る必要はないみたいだな」
私を待っていたのは親戚ではなく、不敵な笑みを浮かべた“
「俺は
「…百城千世子。ただの高校生です」
最終審査の展開についてですが、さすがに千世子は景みたいに襲い掛かる野犬を躊躇なく仕留めるようなことはしないだろうということで、順当に和歌月さんがグランプリを獲るに相応しい活躍をしたという感じにしました。
さてついに原作1話のラストのように相対した千世子と黒山監督。果たして“忘れ物を取りに来た”という黒山監督の目的はいかに……