読み切り
今回は、はち×なずです。

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【含まれる要素】
・学園パロディー
・比企谷八幡×花芽なずな
・独自設定、設定改変
・恋愛要素
・キャラクター解釈

原作、ご本人、所属団体および関係者各位とは一切関係ありません。


お姫様はお世話したい!

 

 花芽なずなは、馬鹿である。

 

 断っておくが、悪口ではない。本人に聞いたところで、胸を張って肯定するはずだ。

 

 現に先週、数学教師から「この問題が分かる者」と聞かれた花芽は、勢いよく手を挙げた。

 

なずな:「はい! 分かりません!」

 

 教室が笑いに包まれる中、数学教師だけが頭を抱えていた。

 

 その翌日には、購買で買ったパンの袋を開けようとして勢い余り、中身を机の向こうまで飛ばした。

 

 拾ってくれたクラスメイトに向かって、

 

なずな:「三秒以内だから食べられるよ」

 

 と言い放ち、自分で落としたパンを相手に勧めていた。

 

 人間には、他者の理解が及ばない領域がある。

 

 花芽なずなは、たぶんそこに住んでいる。

 

 天真爛漫という言葉を使えば聞こえはいいが、要するに考えるより先に口と身体が動くのだ。

 

 いつも笑っていて、よく喋り、よく間違え、失敗しても翌日には忘れている。

 

 そんな人間が、俺は苦手だった。

 

 明るい人間は、暗い場所にいる人間を見つけると、勝手に光を当てようとしてくる。

 

 俺は別に照明を求めていない。薄暗い場所で静かに暮らしたいだけだ。

 

 にもかかわらず、花芽は俺を見かけるたびに話しかけてきた。

 

なずな:「比企谷、おはよー」

 

八幡:「おう」

 

なずな:「今日、目つき悪いね」

 

八幡:「今日も、だろ」

 

なずな:「あ、そっか。じゃあ健康だね」

 

 何をどう解釈すれば、その結論に至るのか。

 

 こいつと話していると、会話の途中で橋が崩落する。しかも花芽本人だけは向こう岸へ到着しているので、取り残されたこちらが悪いような気分になる。

 

 だから俺は、なるべく関わらないようにしていた。

 

 そのはずだった。

 

   ◇

 

 目を覚ますと、天井が回っていた。

 

 厳密には、天井は回っていない。仕事を放棄しているのは俺の三半規管のほうだ。

 

 枕元の時計は午後一時を示していた。朝、学校へ欠席の連絡を入れてから、五時間近く眠っていたらしい。

 

 喉は痛み、身体は鉛のように重い。体温計を脇に挟めば、表示された数字は三十八度四分。

 

 なるほど。健康体とは程遠い。

 

 こういう日に限って、両親は仕事で帰りが遅い。小町も学校行事の宿泊研修で不在だ。

 

 冷蔵庫には何か入っていたはずだが、取りに行く気力がない。

 

 一食くらい抜いたところで死にはしない。

 

 そう判断して再び目を閉じた直後、玄関のチャイムが鳴った。

 

 無視する。

 

 もう一度鳴る。

 

 無視する。

 

 さらに三度、間隔を空けずに連打された。

 

 宅配業者なら諦めろ。俺は今、社会との接続を一時的に解除している。

 

 だが、四度目の音が家中に響いたところで、無視を続ける気力のほうが先に尽きた。

 

 やむを得ずベッドを抜け出し、壁に手をつきながら玄関へ向かう。

 

 扉の前まで来たところで、外から聞き覚えのある声がした。

 

なずな:「比企谷ー。生きてるー?」

 

 どうしてお前がいる。

 

 聞き間違いであってほしかったが、直後にもう一度チャイムが連打される。

 

なずな:「返事ないんだけど。これ入っていいやつ?」

 

八幡:「駄目に決まってんだろ……」

 

 思わず答えると、玄関の向こうで「あ、生きてた」と明るい声がした。

 

 ドアを少しだけ開けると、その隙間から花芽なずながこちらを覗き込んできた。制服姿のまま、片手に学校の封筒を持っている。

 

なずな:「うわ、顔やば」

 

八幡:「病人に対する第一声がそれか」

 

なずな:「目つきだけじゃなくて顔色まで悪い。進化したね」

 

八幡:「退化だろ」

 

 花芽は俺の返答を聞くと、少しだけ表情を緩めた。

 

なずな:「喋れるなら、まあ大丈夫か」

 

 軽口を叩いていたわりに、その目は俺の顔を注意深く観察している。

 

なずな:「平塚先生からプリント。あと、今日配られた進路希望の紙。月曜までだって」

 

八幡:「わざわざ悪いな」

 

なずな:「ん。じゃあ、お大事に」

 

 意外にも、花芽は封筒を渡すと素直に背を向けた。

 

 余計な励ましもなければ、部屋へ入ろうとする素振りもない。

 

 俺は少し拍子抜けしながらドアを閉めようとした。

 

 そのとき、腹が鳴った。

 

 廊下にまで響く、実に情けない音だった。

 

 花芽が足を止める。

 

 振り返る。

 

なずな:「……ご飯、食べた?」

 

八幡:「食べた」

 

なずな:「何を?」

 

八幡:「食物を」

 

なずな:「嘘つくの下手すぎない?」

 

 花芽は戻ってくると、閉まりかけたドアへ靴の先を差し込んだ。

 

 訪問販売でも、もう少し遠慮がある。

 

なずな:「冷蔵庫、何かある?」

 

八幡:「知らん」

 

なずな:「朝から何も食べてない?」

 

八幡:「水分は摂ってる」

 

なずな:「それ、ご飯食べてない人の言い方じゃん」

 

八幡:「一食くらい抜いても死なない」

 

なずな:「じゃあ二食抜いたらちょっと死ぬかもしれないでしょ」

 

 人間の生死を足し算で考えるな。

 

 しかし反論する前に、花芽は俺の肩を押して玄関へ入ってきた。

 

八幡:「おい」

 

なずな:「靴、脱いだよ」

 

八幡:「そういう問題じゃない」

 

なずな:「大丈夫。看病だから不法侵入じゃない」

 

八幡:「看病でも不法侵入は不法侵入だ」

 

なずな:「警察呼ぶ?」

 

八幡:「病人に余計な仕事を増やすな」

 

 俺の抗議を無視し、花芽は廊下の先へ顔を向けた。

 

なずな:「キッチンどっち?」

 

八幡:「帰れ」

 

なずな:「どっち?」

 

八幡:「……右」

 

 答えてから、自分が負けたことに気づいた。

 

 花芽は満足そうにうなずき、迷いなくキッチンへ入っていく。

 

 俺も止めようと後を追ったが、リビングに着いた時点で限界だった。ソファへ座り込むと、花芽が冷蔵庫を開けて中身を確認する。

 

なずな:「卵ある。ご飯もあるね。ネギは……あった。これならおじや作れる」

 

八幡:「作れるのか」

 

なずな:「何その顔」

 

八幡:「包丁を握らせたら、刃のほうを持ちそうだと思ってた」

 

なずな:「なずぴのこと何だと思ってるの?」

 

八幡:「馬鹿」

 

なずな:「正解。だけど馬鹿でも料理はできます」

 

 花芽は胸を張ってから、慣れた手つきで戸棚から鍋を取り出した。

 

 場所を教えていないのに、いくつか扉を開けただけで必要な道具を見つけている。

 

 米を鍋へ移し、水とだしを加える。ネギを細かく刻み、卵を器へ割り入れる。

 

 危なっかしさはまるでない。普段の言動からは想像できないほど、動作に無駄がなかった。

 

八幡:「……本当に作れるんだな」

 

なずな:「だから作れるって言ったじゃん」

 

八幡:「食べられる物が完成するまでは信用できん」

 

なずな:「失礼だなあ。なずぴ、こう見えて生活力高いんだからね」

 

八幡:「自分で言うやつは信用できない」

 

なずな:「そういう比企谷は、生活力低そうだけど」

 

八幡:「俺は一人で何でもできる」

 

なずな:「ご飯食べないで寝てた人が?」

 

八幡:「今日は病気だからノーカウントだ」

 

なずな:「病気の日に一人で何もできないなら、一人で何でもできるとは言わないんじゃない?」

 

 正論だった。

 

 こいつに正論を言われると、通常の三倍ほど腹が立つ。

 

 鍋が煮えるまでの間に、花芽は新しいコップへ水を入れ、テーブルへ置いた。

 

なずな:「薬は?」

 

八幡:「棚の上」

 

なずな:「病院行った?」

 

八幡:「ただの風邪で行くほどでもない」

 

なずな:「三十八度超えてる?」

 

八幡:「……少し」

 

 花芽がこちらを見る。

 

 笑ってはいるが、目が笑っていなかった。

 

なずな:「何度?」

 

八幡:「三十八度四分」

 

なずな:「普通に高いじゃん!」

 

八幡:「声がでかい。頭に響く」

 

なずな:「あ、ごめん」

 

 花芽は即座に声量を落とした。

 

 それから薬箱を探し、市販の風邪薬を取り出す。箱の説明を読み、俺へ確認するように差し出した。

 

なずな:「これ、飲んだことある?」

 

八幡:「ある」

 

なずな:「アレルギーは?」

 

八幡:「ない」

 

なずな:「じゃあ、ご飯食べたあとね。飲んだ時間、スマホにメモしといて」

 

八幡:「お前、母親かよ」

 

なずな:「違いますー。姫ですー」

 

八幡:「姫が他人の家でおじやを作るな」

 

なずな:「民の健康を守るのも姫の仕事だから」

 

八幡:「急に統治者としての自覚を持つな」

 

 話しているうちに、鍋から湯気が立ち始めた。

 

 花芽は火加減を弱め、溶き卵を流し入れる。蓋をして少し蒸らしてから、茶碗へ丁寧によそった。

 

なずな:「はい。熱いからゆっくり食べて」

 

 差し出されたおじやから、だしと卵の匂いが立ち上る。

 

 一口食べる。

 

 優しい塩気が、痛んだ喉を通っていった。

 

なずな:「どう?」

 

八幡:「普通」

 

なずな:「普通かあ」

 

 花芽が少しだけ残念そうな顔をする。

 

 不味いわけではない。むしろ普通に美味い。

 

 だが、素直に褒めるのは何となく癪だった。

 

八幡:「病人に食わせる物としては合格だ」

 

なずな:「それ、褒めてる?」

 

八幡:「最大限にな」

 

なずな:「比企谷の最大、ちっちゃ」アハハ

 

 花芽は笑いながら、残った鍋へ蓋をした。

 

なずな:「夜の分、ここに置いとく。食べるとき水ちょっと足して温めて。薬はご飯のあと。スポーツドリンク買ってこようか?」

 

八幡:「そこまでしなくていい」

 

なずな:「でも――」

 

八幡:「花芽」

 

 名前を呼ぶと、彼女は口を閉じた。

 

八幡:「もう十分だ。本当に助かった」

 

なずな:「……そっか」

 

 俺が真面目に礼を言うとは思っていなかったのか、花芽は少し目を丸くした。

 

 それから、照れ隠しのように鼻の下を指でこする。

 

なずな:「まあ、姫だからね」

 

八幡:「そこは関係ないだろ」

 

なずな:「あるよ。姫は民を見捨てないので」

 

八幡:「設定が行方不明になってるぞ」

 

なずな:「細かいこと気にするとハゲるよ」

 

八幡:「病人に追加の呪いをかけるな」

 

 花芽はけらけらと笑うと、使った道具を手早く洗い始めた。

 

 鍋だけでなく、流しに置いてあった朝のコップまで一緒に洗っている。

 

 洗い物を終えると、濡れた台を布巾で拭き、ゴミをまとめた。

 

 俺が口を挟む余地もなく、キッチンが来たときより綺麗になっていく。

 

 言動だけを見れば、たしかに騒がしいだけの人間だ。

 

 しかし、生活能力が低いわけではない。むしろ逆だ。

 

 誰かが何を必要としているのかを見つけることに関しては、驚くほど目端が利く。

 

なずな:「じゃ、寝なよ」

 

 帰り際、花芽は玄関で振り返った。

 

なずな:「何かあったら連絡して。寝てても起きたら見るから」

 

八幡:「連絡先、知らないんだが」

 

なずな:「あ」

 

 花芽は口を開けたまま固まった。

 

 数秒前までの頼もしさが、一瞬で消滅する。

 

なずな:「じゃあ交換しよ」

 

八幡:「今のためだけに?」

 

なずな:「今後も使うかもしれないじゃん」

 

八幡:「何に」

 

なずな:「病気になったり、怪我したり、遭難したり」

 

八幡:「俺の人生を過酷なものにするな」

 

なずな:「あとゲームするとき」

 

八幡:「それが本命だろ」

 

なずな:「ばれた?」

 

 結局、俺たちは玄関先で連絡先を交換した。

 

 花芽が帰ったあと、スマートフォンに最初のメッセージが届く。

 

『薬飲んだらスタンプ押して』

 

 続けて、やけに偉そうな王冠をかぶった猫のスタンプが送られてきた。

 

 俺はしばらく画面を見つめてから、了解の意味を示すスタンプを返した。

 

 すると、間髪を入れずに返信が来る。

 

『よろしい!』

 

 こいつ、帰宅途中もスマホを見てるのか。

 

 危ないから前を見て歩けと送ると、

 

『今コンビニだから大丈夫』

 

 と返ってきた。

 

 大丈夫の基準がよく分からない。

 

 それでも俺は、少しだけ笑ってしまった。

 

   ◇

 

 週明けには熱も下がり、俺は学校へ戻った。

 

 教室へ入るなり、花芽がこちらへ駆け寄ってくる。

 

なずな:「比企谷、生きてる!」

 

八幡:「見れば分かるだろ」

 

なずな:「ちゃんと夜も食べた?」

 

八幡:「食べた」

 

なずな:「薬は?」

 

八幡:「飲んだ」

 

なずな:「お風呂入った?」

 

八幡:「お前は本当に母親か」

 

なずな:「姫だって言ってるでしょ」

 

 そう言いながら、花芽は安心したように笑った。

 

 俺は礼として買ってきたプリンの袋を、花芽に差し出した。

 

八幡:「これ」

 

なずな:「なに?」

 

八幡:「治療費」

 

なずな:「やった!」

 

 中身を見た花芽は、子供のように目を輝かせた。

 

なずな:「二個もある!」

 

八幡:「一個は手間賃だ」

 

なずな:「じゃあ今日のお昼に食べよ」

 

八幡:「好きにしろ」

 

なずな:「比企谷も一緒にね」

 

八幡:「俺の分はないぞ」

 

なずな:「半分あげる」

 

八幡:「いらん」

 

なずな:「遠慮しなくていいのに」

 

八幡:「お前の食べかけを受け取る関係ではない」

 

なずな:「じゃあ、どういう関係になったら受け取るの?」

 

 どういう意味だ。

 

 花芽は深く考えていないのだろう。こいつはそういうことを、呼吸するように言う。

 

八幡:「少なくとも、クラスメイト以上だな」

 

なずな:「ふーん」

 

 花芽は意味ありげに笑うと、袋を自分の机へ持っていった。

 

 嫌な予感がした。

 

 あの顔は、何か余計なことを思いついた顔だ。

 

 

 昼休みになると、予感は的中した。

 

 花芽は弁当箱とプリンを抱え、当然のように俺の前の席へ座った。

 

なずな:「一緒に食べよ」

 

八幡:「嫌だ」

 

なずな:「クラスメイト以上になる練習」

 

八幡:「練習で関係性を昇格させるな」

 

なずな:「じゃあ本番?」

 

八幡:「何のだよ」

 

 花芽は楽しそうに笑いながら、弁当箱を開けた。

 

 卵焼き、唐揚げ、ほうれん草の和え物。彩りまで考えられた、まともな弁当だった。

 

 俺の視線に気づき、花芽が得意げに胸を張る。

 

なずな:「これも自分で作ったんだよ」

 

八幡:「姫設定を維持する気はないのか」

 

なずな:「姫だってお弁当くらい作りますー」

 

八幡:「侍女の雇用を検討しろ」

 

なずな:「人に作ってもらうより、自分で作ったほうが早いもん」

 

 花芽はそう言って、唐揚げを口へ運んだ。

 

 その直後、隣の席から呼ばれる。

 

女子生徒A:「なずちゃん、昨日言ってた文化祭の飾りなんだけどさ」

 

なずな:「うん、材料まとめといたよ。放課後持ってくね」

 

 別の生徒が近づいてくる。

 

男子生徒:「花芽さん、ゲーム大会の参加表ってできてる?」

 

なずな:「できてるできてる。あとで共有する」

 

 さらに別の女子が、裁縫道具を借りに来た。

 

なずな:「いいよ。ロッカーの上の段にあるから持ってって」

 

 次から次へと人が来る。

 

 花芽は嫌な顔ひとつせず、すべてに答えていた。

 

 そして昼休みが終わるころ、弁当箱には半分以上のおかずが残っていた。

 

八幡:「お前、食わないのか」

 

なずな:「あとで食べる」

 

八幡:「いつ」

 

なずな:「放課後とか?」

 

八幡:「傷むぞ」

 

なずな:「じゃあ五時間目の休み時間」

 

 五時間目と六時間目の間は十分しかない。

 

 呼ばれれば、また誰かの世話を焼くのだろう。

 

八幡:「貸せ」

 

なずな:「え?」

 

 俺は花芽の机から、文化祭の参加表を取り上げた。

 

八幡:「これ、提出先は?」

 

なずな:「実行委員のところだけど」

 

八幡:「俺が持っていく」

 

なずな:「でも比企谷、関係ないじゃん」

 

八幡:「おじや代の残金だ」

 

なずな:「プリンで払ったんじゃないの?」

 

八幡:「利息だよ」

 

なずな:「利息高くない?」

 

八幡:「病人の家に不法侵入した慰謝料を相殺してやってるんだ。ありがたく思え」

 

 花芽はしばらく俺を見ていた。

 

 やがて小さく笑い、弁当箱の蓋を開け直す。

 

なずな:「じゃあ、お願い」

 

八幡:「ああ」

 

なずな:「比企谷」

 

八幡:「何だ」

 

なずな:「唐揚げあげよっか?」

 

八幡:「いらん」

 

なずな:「食べかけじゃないよ」

 

八幡:「そういう問題じゃない」

 

なずな:「クラスメイト以上になる練習なのに」

 

八幡:「まだ続いてたのかよ」

 

 花芽は俺の弁当箱へ、勝手に唐揚げを一つ入れた。

 

 返そうと箸でつまむと、花芽が「あー」と口を開ける。

 

 餌を待つ雛鳥か。

 

八幡:「返すぞ」

 

なずな:「うん」

 

八幡:「口を閉じろ」

 

なずな:「なんで?」

 

八幡:「教室で餌付けしてるようにしか見えないだろ」

 

なずな:「誰に?」

 

 周囲を見る。

 

 数人のクラスメイトが、にやにやしながらこちらを眺めていた。

 

 俺は無言で唐揚げを自分の口へ放り込んだ。

 

 悔しいが、美味かった。

 

 花芽は満足そうに笑った。

 

   ◇

 

 文化祭前日の放課後。

 

 帰宅途中で教室にスマートフォンを忘れたことに気づき、俺は学校へ引き返した。

 

 日はすでに傾き、校舎にはほとんど人が残っていない。

 

 教室の扉を開けると、花芽が一人で床に座っていた。

 

 周囲には段ボールと装飾用の色紙、ゲーム大会で使用する機材が並んでいる。

 

八幡:「何してる」

 

 花芽が顔を上げる。

 

なずな:「あれ、比企谷。帰ったんじゃなかったの?」

 

八幡:「忘れ物だ。お前こそ、まだいたのか」

 

なずな:「ちょっと準備が残ってて」

 

 ちょっと、という量ではない。

 

 教室の後方には未完成の飾りが積まれ、机の上には参加者用の名札が並んでいる。ゲーム用コントローラーの動作確認まで、花芽が一人で行っていたらしい。

 

八幡:「他の連中は?」

 

なずな:「帰ったよ」

 

八幡:「何でお前だけ残ってる」

 

なずな:「みんな、それぞれ用事あるから」

 

八幡:「お前にはないのか」

 

なずな:「なずぴは平気」

 

 即答だった。

 

 だが、いつもの声より少しだけ力がない。

 

 近づいて顔を見る。

 

 目の下に薄く影ができていた。昼休みも準備に追われ、まともに食事をしていなかったはずだ。

 

八幡:「今日は何時に寝た」

 

なずな:「えーっと」

 

八幡:「何時だ」

 

なずな:「四時くらい?」

 

八幡:「それは今日じゃなくて明け方だ」

 

なずな:「でも二時間くらい寝たよ」

 

八幡:「胸を張るな」

 

 花芽はへらへらと笑う。

 

 いつもと同じように見える。

 

 だが、指先は思うように動いていなかった。

 

 色紙を切ろうとしたハサミが、線から大きくずれる。

 

 花芽は「ありゃ?」と首を傾げた。

 

 俺はその手からハサミを取り上げた。

 

八幡:「今日は帰れ」

 

なずな:「まだ終わってない」

 

八幡:「明日の朝やればいい」

 

なずな:「間に合わないかもしれないじゃん」

 

八幡:「だったら他の連中にもやらせろ」

 

なずな:「でも、なずぴがやるって言ったし」

 

八幡:「全部お前が引き受けたのか」

 

なずな:「全部じゃないよ」

 

八幡:「これだけ残ってれば同じだ」

 

なずな:「なずぴ、こういうの得意だから」

 

八幡:「得意なら疲れないとでも思ってんのか」

 

 声が思ったより強くなった。

 

 花芽の笑みが、わずかに固まる。

 

なずな:「別に、疲れてないよ」

 

八幡:「嘘つけ」

 

なずな:「本当だって」

 

八幡:「病人が食事をしたかは見抜けるのに、自分の状態は分からないらしいな」

 

なずな:「それとこれは違うじゃん」

 

八幡:「違わない。お前が俺にしたのと同じことを言ってるだけだ」

 

 花芽は黙り込んだ。

 

 静かな教室で、校庭から運動部の声だけが遠く響いている。

 

なずな:「……なずぴがやったほうが早いんだよ」

 

 しばらくして、花芽が呟いた。

 

なずな:「みんなに頼んで、説明して、間違ってたら直して。それなら最初から自分でやったほうが早い」

 

八幡:「だからって全部抱えるのか」

 

なずな:「別に嫌じゃないし」

 

八幡:「嫌じゃなければ、無理してもいい理由にはならない」

 

なずな:「比企谷には関係ないでしょ」

 

 花芽の口から初めて、俺を拒絶する言葉が出た。

 

 いつもなら笑って流すはずの人間が、眉を寄せてこちらを睨んでいる。

 

 怒っているというより、困っているように見えた。

 

八幡:「そうだな。関係ない」

 

 俺が答えると、花芽の視線が少し揺れた。

 

八幡:「俺とお前は、ただのクラスメイトだ」

 

なずな:「……うん」

 

八幡:「だから、お前が勝手に俺の家へ入って飯を作ったのも、本来は関係ないことだった」

 

なずな:「それは比企谷が――」

 

八幡:「でも、お前はやった」

 

 言葉を遮る。

 

八幡:「俺が困ってたから。放っておけなかったから。関係があるかどうかなんて、あとから考えればいいと思ったんだろ」

 

 花芽は答えなかった。

 

八幡:「なら俺が今、お前を放っておかないのも同じだ」

 

なずな:「同じじゃないよ」

 

八幡:「何が違う」

 

なずな:「私は、そういうの慣れてるから」

 

 花芽は膝を抱えた。

 

なずな:「誰かの手伝いしたり、ご飯作ったり、準備したり。そういうの、昔からやってるし」

 

八幡:「慣れてることと、平気なことは違うだろ」

 

なずな:「でも私、いつもこんな感じだし。変なこと言って、騒いで、笑ってれば、みんなも楽しいじゃん」

 

 いつもの明るい声ではなかった。

 

なずな:「私が疲れた顔してたら、変でしょ」

 

 そこでようやく分かった。

 

 こいつが笑うのは、楽しいからだけではない。周囲に心配させないために笑うこともある。

 

 おちゃらけているように見えるのは、本人が真剣でないからではない。真剣な部分を見せないように、わざとふざけているのだ。

 

 誰かを安心させることに慣れすぎて、自分が安心する方法を知らない。

 

八幡:「変じゃない」

 

なずな:「え?」

 

八幡:「疲れたら疲れた顔をしていい。お前が黙ってたって、世界は滅びない」

 

なずな:「でも、空気悪くなるかも」

 

八幡:「それで悪くなるような空気なら、一度換気したほうがいい」

 

なずな:「何それ」

 

 花芽が小さく笑う。

 

 ようやく、作ったものではない笑い方に見えた。

 

八幡:「それに、お前は馬鹿だ」

 

なずな:「急に悪口?」

 

八幡:「違う。確認だ」

 

なずな:「何の確認?」

 

八幡:「困ってる奴を見たら放っておけない。頼まれたら断れない。自分がやったほうが早いと思って全部抱える。正真正銘の馬鹿だ」

 

なずな:「そこまで言う?」

 

八幡:「だが、何も考えてないわけじゃない」

 

 俺は床に散らばっていた色紙を拾った。

 

八幡:「むしろ考えすぎてる。自分以外のことを」

 

 花芽が顔を上げる。

 

八幡:「だから、お前が自分のことを忘れたとき、代わりに気づく奴が一人くらいいてもいいだろ」

 

 口にしてから、我ながらずいぶん恥ずかしい台詞だと思った。

 

 ここに奉仕部の連中がいたら、雪ノ下あたりは鼻で笑い、由比ヶ浜が妙な声を上げていただろう。

 

 花芽は目を丸くしたまま、俺を見つめている。

 

なずな:「……それ、比企谷がやってくれるの?」

 

八幡:「おじや代がまだ残ってるからな」

 

なずな:「いつまで分割払いなの?」

 

八幡:「金利が変動制なんだよ」

 

なずな:「悪徳業者じゃん」

 

八幡:「嫌なら今すぐ帰れ」

 

なずな:「帰らない」

 

 即答だった。

 

 花芽は立ち上がると、机の上の名札を半分こちらへ寄せた。

 

なずな:「じゃあ、これお願い」

 

八幡:「急に遠慮がなくなったな」

 

なずな:「困ってるなずぴを放っておかないんでしょ?」

 

八幡:「言質を取られた……」

 

なずな:「あと、お腹すいた」

 

八幡:「知らん」

 

なずな:「ご飯食べさせて」

 

八幡:「俺はお前の母親じゃない」

 

なずな:「じゃあ何?」

 

 花芽が覗き込んでくる。

 

 顔が近い。

 

 楽しそうな目をしているが、その頬は少しだけ赤かった。

 

なずな:「クラスメイト以上?」

 

八幡:「……まだ練習中だ」

 

なずな:「そっか」

 

 花芽は笑った。

 

なずな:「じゃあ、早く本番にしないとね」

 

   ◇

 

 翌日。

 

 文化祭のゲーム大会は、予想以上に盛り上がった。

 

 花芽は開始早々から参加者に混ざって騒ぎ、圧倒的な実力で相手を倒し、初心者には操作を教え、負けた生徒には「今の惜しかった!」と声をかけていた。

 

 見ているだけなら、いつものお調子者である。

 

 ただ、昨日までとは一つだけ違うことがあった。

 

 何かを頼まれるたびに、花芽は周囲を見回すようになった。

 

 そして時々、こちらを見る。

 

 俺が首を横に振ると、

 

なずな:「今ちょっと無理! そっち手が空いてる人お願い!」

 

 と、きちんと断った。

 

 小学生の成長を見守る保護者の気分である。

 

 昼過ぎ、客足が落ち着いたところで、花芽が俺の袖を引いた。

 

なずな:「比企谷、休憩しよ」

 

八幡:「お前はまだ交代時間じゃないだろ」

 

なずな:「休むのも大事なんでしょ」

 

八幡:「極端なんだよ」

 

 俺たちは人の少ない非常階段へ移動した。

 

 花芽は鞄から二段の弁当箱を取り出す。

 

なずな:「昨日帰ってから作った」

 

八幡:「早く寝ろと言ったはずだが」

 

なずな:「ちゃんと七時間寝たよ」

 

八幡:「ならいい」

 

なずな:「褒めて」

 

八幡:「人間として標準だ」

 

なずな:「厳しいなあ」

 

 弁当箱を開けると、二人分のおかずとおにぎりが詰められていた。

 

八幡:「何で二人分なんだ」

 

なずな:「比企谷の分」

 

八幡:「頼んでない」

 

なずな:「知ってる。昨日手伝ってくれたお返し」

 

八幡:「礼を要求した覚えはない」

 

なずな:「なずぴがお礼したいの。比企谷は黙って食べる係」

 

八幡:「勝手に俺の役職を決めるな」

 

 花芽はおにぎりを一つ、俺へ差し出した。

 

 受け取らずにいると、少しだけ不安そうな顔になる。

 

 その表情を見て、俺は諦めて受け取った。

 

なずな:「美味しくなかったら言ってね」

 

八幡:「自信あるんじゃなかったのか」

 

なずな:「比企谷に食べてもらうのは、ちょっと違うから」

 

八幡:「何が」

 

なずな:「分かんない」

 

 花芽は自分でも戸惑ったように笑った。

 

なずな:「昨日のこと、考えてた」

 

八幡:「忘れろ」

 

なずな:「嫌」

 

八幡:「即答するな」

 

なずな:「だって嬉しかったから」

 

 真っ直ぐ言われると、逃げ道がなくなる。

 

なずな:「私さ、誰かの世話するのは好きなんだよ。料理作るのも、準備するのも、別に嫌じゃない」

 

八幡:「ああ」

 

なずな:「でも、自分が世話されるのは慣れてないみたい」

 

 花芽は膝の上で指を組んだ。

 

なずな:「だから昨日、どうしていいか分かんなくて、ちょっと怒った」

 

八幡:「知ってる」

 

なずな:「ごめん」

 

八幡:「別にいい」

 

なずな:「あと、クラスメイト以上になりたいっていうのも、本気かもしれない」

 

 危うく、おにぎりを落としかけた。

 

 花芽は俺を見ないまま続ける。耳が赤くなっている。

 

なずな:「比企谷、口悪いし、目つき悪いし、すぐ人のこと馬鹿って言うけど」

 

八幡:「褒める要素が一つもないぞ」

 

なずな:「ちゃんと見てくれてるから」

 

 花芽がこちらを向く。

 

なずな:「私が笑って誤魔化しても、見つけてくれた」

 

 そんなふうに言われる資格が、俺にあるとは思えなかった。

 

 俺はただ、人間の善意を疑っているだけだ。笑顔の裏を探し、好意の条件を考え、いつか裏切られる可能性を先に計算する。

 

 今回は偶然、それが花芽の無理を見つけることにつながっただけだ。

 

八幡:「俺は性格が悪いから、他人の粗を探すのが得意なだけだ」

 

なずな:「じゃあ、一生私の粗を探しててよ」

 

八幡:「粗しかないから過労死するぞ」

 

なずな:「大丈夫。ご飯は作ってあげる」

 

八幡:「労働環境の改善になってない」

 

なずな:「お給料も出す」

 

八幡:「いくらだ」

 

なずな:「唐揚げ一個」

 

八幡:「最低賃金法を調べてこい」

 

 花芽は声を上げて笑った。

 

 それから、少しだけ真面目な顔になる。

 

なずな:「ねえ、比企谷」

 

八幡:「何だ」

 

なずな:「付き合ってみる?」

 

 あまりにも普通の調子で言うものだから、理解するまでに数秒かかった。

 

八幡:「何と」

 

なずな:「私と」

 

八幡:「どこへ」

 

なずな:「誤魔化すの下手すぎない?」

 

 病気の日に言われた言葉を、そのまま返された。

 

 花芽は楽しそうに俺を見ている。

 

 ただ、その指は制服のスカートを強くつまんでいた。

 

 こいつでも緊張することがあるらしい。

 

八幡:「……お前、俺のこと好きなのか」

 

なずな:「たぶん」

 

八幡:「たぶんで告白するな」

 

なずな:「だって初めてだから分かんないんだもん。でも、比企谷にご飯作りたいし、疲れてたら休ませたいし、私が無理してたら見つけてほしい」

 

 それを好きと呼ばずに、何と呼ぶのだろう。

 

 少なくとも、俺にはほかの名前が思いつかなかった。

 

なずな:「比企谷は?」

 

八幡:「何が」

 

なずな:「私のこと、好き?」

 

 答えに詰まる。

 

 花芽は騒がしくて、距離感がおかしくて、他人の家へ勝手に入る。自称姫のくせに家事能力が高く、自分の食事を後回しにして他人の面倒を見ている。放っておけば、誰かのために勝手に無理をする。

 

 面倒な人間だ。

 

 だが、もうその面倒を他人事にはできそうになかった。

 

八幡:「……審査期間が必要だ」

 

なずな:「審査?」

 

八幡:「クラスメイト以上になる練習中なんだろ」

 

なずな:「あ、うん」

 

八幡:「だったら、試用期間からでいい」

 

なずな:「それって、付き合うってこと?」

 

八幡:「解釈は任せる」

 

なずな:「やった!」

 

 花芽が勢いよく立ち上がった。

 

 その拍子に、膝の上の弁当箱が傾く。

 

 俺は咄嗟に手を伸ばし、落ちる寸前で受け止めた。

 

八幡:「危ねえだろ!」

 

なずな:「ナイス、比企谷!」

 

八幡:「告白直後に弁当をひっくり返す奴があるか!」

 

なずな:「でも取ってくれたじゃん」

 

八幡:「反射だ」

 

なずな:「なずぴのことちゃんと見てたからでしょ?」

 

八幡:「偶然だ」

 

なずな:「ふーん」

 

 花芽はにやにやしながら座り直した。

 

なずな:「じゃあ、これからも見ててね」

 

八幡:「善処する」

 

なずな:「そこは約束するって言ってよ」

 

八幡:「一生お前の行動を監視するなんて約束できるか」

 

なずな:「一生?」

 

 しまった。

 

 花芽の笑みが深くなる。

 

なずな:「比企谷、一生一緒にいるつもりなんだ」

 

八幡:「違う。言葉の綾だ」

 

なずな:「なずぴはいいよ?」

 

八幡:「話を聞け」

 

なずな:「その代わり、洗い物担当ね」

 

八幡:「どうして将来の家事分担まで決まってるんだ」

 

なずな:「なずぴが料理するから」

 

八幡:「誰も同居するとは言ってない」

 

なずな:「じゃあ、まずはお昼だけね」

 

 花芽は弁当箱から唐揚げを一つ取ると、俺の口元へ差し出した。

 

なずな:「はい、あーん」

 

八幡:「やめろ」

 

なずな:「クラスメイト以上になったからいいでしょ」

 

八幡:「よくない」

 

なずな:「じゃあ彼氏として」

 

八幡:「審査期間だ」

 

なずな:「仮彼氏?」

 

八幡:「その呼び方はやめろ」

 

なずな:「お試し彼氏」

 

八幡:「通販商品みたいに言うな」

 

 拒み続けても、花芽は唐揚げを引っ込めない。

 

 仕方なく口を開けると、嬉しそうに放り込んできた。

 

 噛めば、しっかり味の染みた肉の旨味が広がった。

 

なずな:「どう?」

 

八幡:「普通」

 

なずな:「またそれ?」

 

八幡:「彼女候補としては合格点だ」

 

 花芽は目を丸くした。

 

 次の瞬間、満面の笑顔になる。

 

なずな:「じゃあ絶対、正式な彼女にしてもらうからね」

 

八幡:「審査は厳しいぞ」

 

なずな:「大丈夫。なずぴ、こう見えて真面目だから」

 

八幡:「知ってる」

 

 そう答えると、花芽は少しだけ照れたように笑った。

 

 花芽なずなは、馬鹿である。

 

 他人のためなら手間を惜しまず、自分のことになると途端に計算ができなくなる。

 

 だからたぶん、これからも余計な世話を焼くのだろう。俺が風邪を引けば料理を作り、昼食を抜けば勝手に弁当を差し出し、頼んでもいないのに隣へ座る。

 

 そして俺も、そのたびに文句を言う。体調を確認し、無理をしていれば止め、食べ忘れていれば休ませる。

 

 まったく、面倒な話だ。

 

 ただし――。

 

 その面倒を悪くないと思い始めている俺も、きっと同じくらい馬鹿なのだろう。




ということで、はち×なずの読み切りでした。

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