蓮太郎はかつて、警察に捕まり取り調べを受けた経験がある。問われた罪は冤罪だったが、それを信じてくれる者はおらず、顔見知りの警部に厳しく尋問された苦い記憶だ。その後東京エリア中を逃げ回りながら謎の組織の殺し屋と警察の両方と戦うはめになったこともあり、前世の蓮太郎の人生の中で嫌な記憶の一つだ。
もっとも、目や右腕、右足、下腹を無くした痛みだったり、何百人もの人と怪物の死体が転がる大地の光景だったり、親しい人たちの死にざまだったりと記憶の中の蓮太郎はろくな目にあっていないので、警察の取り調べはまだマシな方である。
そんな余裕が態度に現れてしまったのか、やけに落ち着いている蓮太郎に、聴取を担当した警察官が不審の目を向けてくる
「君、本当にただの高校生?銃は撃てるわ、格闘で軍人を倒すわ、警察に来ても緊張してないわ、怪しすぎるんだけど」
「だから、さっきから普通の高校生だっつってるだろ」
双方ともにぐったりと疲れ果てるころ、ようやく尋問は終わった。結局蓮太郎は治安の維持に協力しただけで、犯人を倒したのは正当防衛、拳銃の発砲も緊急避難の範囲内ということに落ち着いた。
ため息をつきながら警察署の中を歩いていた蓮太郎に、ぬっとわきの部屋から銃口が突き付けられた。
「…警察署内に不審者とは、治安も落ちるところまで落ちてんじゃねぇか」
「やっぱり君、ただの一般人じゃないねぇ」
部屋から銃を持った男が出てくるのを、蓮太郎はさりげなく重心を整えながらにらみつけた。さらに、右側の階段からタバコを加えた柄の悪い女が、左側の階段からは馬鹿でかい拳銃をもった同じく柄の悪い女が下りてくる。
蓮太郎は舌打ちしながら、その場で飛び跳ねた。狙いは背後の窓。都合よく開いていた窓から身を投げ、空中で義手の加速機能を発動、2階下の窓ガラスを割って再び建物の中へと転がり込む。
そのまま近くの警察官に銃で脅されていたことを訴えていた蓮太郎だったが、一人の男が出てきた時点で風向きが変わってしまった。
「つまりなんだよ」
「つまりですね、君の行動には不審な点が多いということです。ただの高校1年生にしては、戦闘能力が高すぎる。なにか武道を習っていたならばまだ言い訳にもなりますが、そういうわけでもない。躊躇なく窓から飛び降りる度胸まであるとなると、いささか普通の高校生とはいいがたいですね」
「上で襲ってきた3人はあんたが差し向けたのか」
「あなたの能力を確認するためです」
蓮太郎の追及の視線にも男は全く揺らがず、飄々とした態度を崩さなかった。恐ろしいことに、にらめばにらむほど男の顔や気配の印象が薄れていく。
「申し訳ないのですが、君がやったことはそれぐらい重大なのです。思想に染まった上に非正規とはいえ訓練を受けた部隊を身一つで鎮圧したとなれば、君はもはや歩く凶器です。もちろん人を助けるために尽力したのは感謝するべきですが」
やっぱり面倒事というのは向こうからやってくるものなのかと嘆息しそうになる。銀行強盗などに遭遇したのが運の尽きだった。自分の力を使ったことに後悔はない。いや、もしかしたらもっとうまくできたのかもしれないが、あの時の行動は、子どもや力なき人々を助けた行動は決して間違っていない。延珠や木更に言われた、正義を遂げよという言葉がフラッシュバックする。
しかし、それにしてもここまで面倒事を引きずることになるとは蓮太郎も予想していなかった。
「それで、どうすんだよ。まさか、このまま留置所行きじゃねぇだろうな」
「それこそまさかです。里見蓮太郎君。君には東京武偵高校に転入してもらいます。もちろんこれは君の自由意志に任せられますが、断った場合公安警察などの監視がつく可能性があります。できれば素直に転向したほうがいいと思いますね」
蓮太郎は舌打ちした。やっぱり警察にはいい思いがない。もともと前世の民警時代から、警察とは管轄の問題で仲が悪かった。多田島警部のような例外もあるが、蓮太郎は警察が嫌いだ。今も嫌いになる理由が一つ増えた。
「……転校してやんよ」
「ご協力ありがとうございます。ああ、言い忘れていました。私は東京武偵高校の校長をしている緑松といいます。よろしくお願いしますね」
「ふん。よろしくしたくはねぇけどな」
ひねくれた蓮太郎の返事に笑顔を見せた緑松は、そのまま気配を消してどこかへと消えてしまった。蓮太郎は知らないものの、周囲の警官からは『見える透明人間』という単語が飛び交っている。
蓮太郎はため息を一つついてから、家へ帰ることにした。周囲を囲んでいた警官に手でどいてくれとジェスチャーをして、開いた人垣の隙間から歩を進めた。ちなみに周りにいた警官の数は20人を超えていた。緑松が来た頃からどんどんと増え始め、警察署のロビーを蓮太郎と緑松を囲むようにして円を描いていた。緑松は外野のことはまるで気にしていなかったが、根が小心者の蓮太郎は居心地が悪くてたまらなかった。
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武偵というのは、つまるところ前世の民警とほぼ同じである。金をもらって武力が必要になるような依頼を遂行する職業である。異なるのは、武偵憲章9条により殺人が明確に禁止されていることぐらいだった。
民警の荒くれ者と同業者として付き合ってきた蓮太郎としては、この条文があるのは正解だと思っている。銃と剣を持っている連中を制御するなら、3倍刑ぐらいないと難しいだろう。
そして今、なんの因果か蓮太郎は再びスプリングフィールドXD拳銃をその手に取っている。
薬室を確認し、弾倉を挿入、スライドを引いて射撃準備を完了する。
東京武偵高校の射撃場に蓮太郎は連れてこられていた。比較的小さな射撃場だが拳銃だけでなく小銃などの射撃もできるよう、最大500メートル先まで的が用意されている。
「銃が撃てるかを確かめるだけの試験だ。好きに的に撃ってかまわないが、的に当てられるだけよい評価となる」
「了解」
照準の先に人型を捉え、蓮太郎は引き金を引いた。9ミリ弾の反動に腕を蹴られながらもそれを抑え、次々に弾丸を的の中心へと命中させていく。蓮太郎はあっという間に弾倉一つ分を打ち尽くした。
「次、15メートル」
弾倉を入れ替え、さらに5メートル先の的を見つめると、蓮太郎は再び引き金を引いた。
「次、20メートル」
問題なく全弾を命中させると、弾倉を入れ替え、構えなおす。
拳銃の平均交戦距離は7メートルと言われている。もちろん拳銃に慣れた人間ならば10メートルだろうが20メートルだろうが命中させるが、もともと至近距離での発砲が前提の武器だ。
それでも今、30メートル先の的を見据えながら、蓮太郎は全く外す気はなかった。かつて身に着けた『人銃一体の境地』の感覚を蘇らせながら、引き金を引いた。
命中。次は50メートル。
50メートル先の的を見つめた瞬間、蓮太郎は義眼を作動させた時と同じ感覚を覚えた。視界が明瞭になり、時の流れが停滞へと逆流する。
発砲。命中。次は75メートル。
発砲。命中。次は100メートル。
射撃中ゆえに自分の顔は見えないが、おそらく義肢を使用した時と同じように前世の義眼と同じ幾何学模様が瞳に描き出されているだろうと蓮太郎は思う。
発砲。命中。次は150メートル。
発砲。命中。次は200メートル。
ここでようやく蓮太郎は連続射撃を中止した。200メートル先の的を射抜くことは今の蓮太郎にはできない。
息を吸い、吐き出し、目を閉じ、自分の心音に耳を澄ませる。
天の理と万物の調和を保つ条理に心を致し、同化させ、自分を研ぎ澄ませていく。
義肢が使えたのだ。当然、義眼の力も使えるはずだ。
目を開ける。たった200メートル先の的を、蓮太郎の瞳がとらえる。蓮太郎は自分の心を探った。かつて、民警として戦った日々を思い出す。あの懐かしくも、つらく、悲しく、痛みと苦しみに満ちた悲哀の世界を思い出す。
蓮太郎はあの時、常に正義のために戦った。守るべき人間の夢と希望を束ねて背負い、木更や延珠、ティナ、聖天子様の思いを背負って戦った。何も忘れてはいない。守れなかった命も、自らの手で摘み取った命も、その死闘のすべてを覚えている。
記憶を探るうちに、視界が涙でにじんだ。けれども、蓮太郎は泣いてはならない。涙で視界が曇る暇があるならば、敵を討たなければならないのだから。
一滴の涙が左目から零れ落ちたとき、蓮太郎の視界ははっきりと世界を捉えていた。かつての義眼が蘇ったかのように。
考える前に、蓮太郎は引き金を引いていた。
タァァン!と銃声が響くのと同時、200メートル先の的の真ん中を銃弾が貫いていた。
静かに息を整え、残心の後に蓮太郎はXD拳銃をホルスターに収めた。拳銃を返却しようと振り返ると、教官役の男は驚愕の表情で蓮太郎を見つめていた。
「あー、なんだ。一応一通り撃ったんだが」
「あ、ああ。射撃試験はこれで終わりだ。次は近接格闘の試験だから、伝えた場所に移動するように」
もちろん、近接格闘は蓮太郎の得意とするところである。その自信に違わず、蓮太郎は相手役の教官を一瞬で倒してしまった。
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「そんで、どうやったんや。石田先生に山田先生」
東京武偵高の職員室で、蘭豹に聞かれた二人はそろって首を振った。
「蘭豹先生。あれは、いったい何ですか。あれは人を殺したことがある者の眼をしていた。こう見えても俺は犯罪者や戦場の兵士と戦う機会が多かったから分かります。あれは人を殺したことがある者の目をしていた。戦場の兵士ならばともかく、ただの高校生がしていい眼じゃありません!」
「只者ではないという点では石田先生に同意だ。怪我で引退したとはいえ、Sランク武偵だった俺が、30秒と持たずに倒された。ひよっこどもに倒されるのはもっと先だと思っていたのだがな。ただな、石田先生。彼は武道家だな。洗練された動きと、俺を倒した後の油断なく美しい残心。ぜひまた手合わせをしてもらいたいものだ」
「なるほどなぁ……まあ、校長の言っていた通り、今は様子見でいいやろ。一応、過去の素行も問題はないみたいやし。ランクはとりあえずAから始めさせるか」
二人の教官の指摘はどちらも正しい。蓮太郎はこの世界ではない世界で、人を殺している。自らの手で殺した人間は両手の指では収まらず、間接的には何百人もの人間を死に導いた。そして彼は一人の武道家であり、かつては兵士でもあった。
民警から武偵になった彼の未来はどうなるのか。それは神のみぞ知ることである。