共同訓練から二日後、零たち三人は凛に連れられて、支部の装備区画へ来ていた。
ここへ来る予定が入ったのは、先日の共同訓練を終えた直後だった。
これまでは三人とも個別訓練が中心で、支部から渡された簡易な訓練着や動きやすい服があれば足りていた。しかし九条班が正式に発足し、今後も共同訓練を含めて継続的に能力を使うことになった以上、間に合わせの服を使い続けるより、身体や能力の使い方に合わせた装備を先に用意しておいた方がいいらしい。
凛からは、活動服を作ることと実働隊員になることは別だとも念を押されていた。支部内の訓練や、今後個別に許可された活動で能力を使う時、私服や簡易な訓練着より安全に動けるようにするための装備だという。
そうして三人の予定を合わせたのが今日だった。
医療区画ほど白くもなく、訓練室ほど殺風景でもない。壁際には靴やグローブ、生地の見本が並び、中央の長い机には濃紺のジャケットとパンツが一組置かれている。左上腕にはAEGISのエンブレムが付き、縫い目に沿って細い青のラインが走っていた。
「これが元になる活動服ですか?」
裕太が机の上を見ながら尋ねると、装備担当の女性職員が頷いた。
「基本形はこれです。ただ、三人へ同じ型のサイズ違いを渡すわけではありません。今日は採寸の前に、普段どう動くのか、今の服で困ることがあるかを聞きます。それを元に一度試作品を作って、実際に着て動いてもらってから完成させます」
「試作品まであるんすね。サイズ測って、そのまま完成品もらうのかと思ってました」
「普通の服ならそれでもいいんですけどね。活動服は、立っている時に着られるだけでは困ります。走る、しゃがむ、能力を使う。その時に初めて分かることもあるので、試作品は直すために作ります」
職員は机のジャケットを広げ、生地へ触れてみるよう三人へ勧めた。見た目より柔らかく、零が袖を少し引くとわずかに伸びる。
「素材と基本色、AEGISの所属識別は共通です。一般の服より擦れや切り傷、熱には強くしてありますが、これだけで強い攻撃を受け止めるための防具ではありません。転倒や瓦礫、ガラス片みたいな二次的な怪我を減らしつつ、本人の動きを邪魔しない方を優先しています」
「鎧みたいに固くするより、動ける方が大事なんですね」
「そういうことです。そこから先は三人とも変わります。では、結城さんから聞き取りと採寸をしましょうか」
*
零の前へ置かれたのは、完成した設計図ではなかった。
標準活動服を正面、横、背面から描いた下絵と、まだ空欄の多い確認表だけが机に置かれている。
「訓練記録で翼の動きは見ていますが、記録だけでは服の使いにくさまでは分かりません。まず、今の服で困ることがあれば教えてください」
「困ること……」
零は肩越しに翼を見た。
「生活用の服は、背中が開くように作ってもらってます。最初は母に後ろを留めてもらってたんですけど、毎回頼むのは嫌で……今はできるだけ自分で着るようにしてます」
「では、一人で着たり脱いだりできることは設計条件に入れましょう。活動服だけ毎回誰かの手を借りる形にはしない方がいいですね。他にはありますか?」
「翼を前に出す時、背中だけじゃなくて脇の辺りまで動くみたいです。服によっては、ちょっと引っ張られる感じがして」
「そこは今日、実際に動かして確認します。下半身の形はどうでしょう」
画面に標準型と細身型のパンツが表示された。どちらも動きやすさに大きな差はないという。
零は少し見比べてから標準型を指した。
「だったら、ぴったりしてない方がいいです」
「分かりました。見た目の希望も使いやすさの一部なので、そこは遠慮しなくて大丈夫ですよ」
答えを入力してから、職員は背面図へ戻った。
「今聞いた内容と訓練記録を合わせると、普通のジャケットへ翼用の穴を二つ開ける方法は使わない方がよさそうです。穴の縁が付け根へ当たりますし、翼を前へ回した時に背中の布が引かれる可能性があります。最初から背面を分けて、肩と身体の横、腰で前後を繋ぐ形から考えます」
「背中はずっと開いたままになるんですか?」
「全部を開ける必要はないと思います。ただ、どこまで布を残せるかは今決めません。結城さんの翼が実際にどこまで動くのかを見てから線を引きます」
職員は下絵へ仮の線を数本引いただけで、そこでペンを止めた。
最初から完成した翼用の形があるわけではないらしい。
「着る時も翼を穴へ通す方法にはしません。前か身体の横で開閉できるようにして、付け根の後ろへ手を回さなくても留められる形を試します。試作品ができたら、結城さん一人で本当に着られるかも確認しましょう」
「それなら助かります。活動服まで毎回誰かに手伝ってもらうのは、ちょっと嫌なので」
「使うたびに嫌になる服では困りますからね」
通信機や識別端末を付ける場所についても話し合った。
翼を畳んだ時に当たる可能性があるため、腰の後ろは候補から外す。身体の前か側面へ必要なものだけを分散させ、今後持ち物が増えた場合もその都度追加することになった。
色はダークネイビーを基調とするところまでは三人共通だった。
「翼が白いので、肩から脇に白を少し増やす案も作れます。全部標準色の方がよければ、それでも問題ありません」
「真っ白っぽくなるのは嫌です。でも、少しなら……実物を見てから決めたいです」
「では標準色を多めにした案と、白を少し増やした案を用意します。機能に関係しない部分は、試作品を見てから変えられますよ」
希望の確認が終わってから、採寸へ移った。
肩幅や腕、腰回りなど普通の服と変わらない部分を先に測り、その後で翼の可動範囲を確認する。職員は翼そのものを押さえず、零にゆっくり動かしてもらいながら、背中から脇がどの程度連動するかを記録していった。
「まず自然に畳んだ状態から見ます。そのまま右だけ少し開いてください」
「これくらい?」
「はい。次は、普段防ぐ時みたいに前へ回せますか。速く動かさなくて大丈夫です」
右翼を肩の横から前へ出すと、職員の目は付け根だけではなく、脇腹の方まで動いた。
「思っていたよりここまで動きますね。脇へ留め具を置く案はやめましょう」
「もう変わるんだ」
「そのために先に動いてもらってますから。身体を服へ合わせるんじゃなくて、服を実際の動きへ合わせます」
左側も同じように確認した後、最後に両翼を大きく開いた。凛が壁や天井との距離を見て、零が翼を広げられる位置を確保する。
「次、肩から腰までの位置を確認します。翼には触らず、脇の服の上から触りますね」
「はい」
何かへ触れる前には毎回声をかけられた。
翼の付け根へ硬い部品が来ない位置、前へ回した時にも布が引かれない位置を探しながら、下絵へ少しずつ線が増えていく。
その線を見ているうちに、零は翼を動かす手を止めていた。
生活用に急いで作ってもらった服とは違う。この先も何度も翼を広げたり畳んだりすることを前提に、今の身体へ合わせた服を作っている。
「一度休みますか?」
職員の声で、零は自分が止まっていたことに気づいた。
「……いえ。ちょっと考えてただけです。まだ続けられます」
「分かりました。でも、今日中に全部終わらせる必要はありません。疲れたり、嫌になったりしたらその時点で止めましょう」
「はい」
零は一度息を吐いてから、もう一度右翼を前へ動かした。
*
零の採寸が終わる頃には、彰人と裕太も別の担当者と打ち合わせを始めていた。
彰人は標準型の試着用ジャケットを羽織り、腰へ手を当てながら身体を大きく捻っている。
「俺、これもうちょい短い方がいいっす。走った時、裾が腰に当たりそうで」
「こちらでも短めを想定しています。橘さんは腰と脚の動きが大きいので、標準丈より上げた案を作りましょう。腕も上げてもらえますか?」
彰人が両腕を上げ、続けて肩を大きく回す。
「これなら肩は平気。でも《倍化》使った時は分かんないです」
「そこは試作品ができてから、低い倍率で実際に確認します。今日は通常動作で必要な余裕を取りますね」
近くの机にはグローブの見本も並んでいた。
拳を厚く覆うものではなく、手首と掌を中心に補強した薄手の型で、彰人は二種類を交互にはめて握り直している。
「こっちの方がいい。手首は支えてるけど、握った感じあんま変わんない」
「では、そちらを基準にしましょう。目的は拳を固くすることではなく、転倒した時の掌と手首の保護です。感覚を変えすぎない方がいいですね」
一方、裕太は標準活動服を羽織り、椅子へ座ったり立ったりしていた。
「腰の後ろに端末があると、座った時に当たりそうです。あと、ポケットもこんなにいらないと思います。多いと何をどこに入れたか分からなくなるので」
「では端末は身体の横へ移します。予備ポケットも、今の運用で使わないものは削りましょう。必要になれば後から追加できます」
彰人が自分のグローブを外しながら裕太を見る。
「天海、絶対制服きっちり着るタイプだろ。襟とか毎回ちゃんと閉めてそう」
「何だよ急に。支給された服なら普通に着るだろ」
「ほら、やっぱり」
「何が『ほら』なんだよ」
零は二人のやり取りを聞きながら、自分の下絵へ目を戻した。
彰人のジャケットは短くなり、グローブも本人が使いやすいものへ変わる。裕太も端末やポケットの位置を変えている。
自分の背中だけが、標準から変わっていくわけではなかった。
*
四日後、三人は再び装備区画へ呼ばれた。
今度は採寸ではなく、試作品の確認だった。
ハンガーへ掛けられた三着は完成品に近い形をしているが、AEGISのエンブレムや青い識別ラインはまだ入っていない。一部には仮生地が使われ、縫い目の近くには調整用の印も残されている。
「今日は見た目より、着た時と動いた時の確認を優先します。問題があればその場で言ってください。試作品は、問題を見つけて直すために作っていますから」
零は自分の試作品を受け取った。
背中より先に目へ入ったのは、前面だった。
「これ、前が全部開くんですね」
「インナーも同じです。翼をどこかへ通したり、背中側で誰かに留めてもらったりしなくて済むようにしました。最初に着方だけ説明しますから、その後は一人で試してみてください」
前を大きく開いた状態で腕を通し、肩の布を身体へ沿わせる。留め具は身体の横から前に集められていて、翼の付け根近くへ手を回す必要はない。腰の調整も前側だけでできた。
説明を見た後、零は更衣スペースへ入った。
最初の留め具を逆に合わせかけたものの、形を見直せばすぐ直せた。翼を無理に畳むこともなく、数分で最後まで着られる。
「……着れました」
外へ出ると、担当職員が布の余りや引かれている場所を見ながら尋ねた。
「一人で難しかったところはありましたか?」
「最初の留め具だけ少し迷いました。でも、慣れれば大丈夫そうです」
「そこは分かりやすくできるか見てみます。次は翼を動かしましょう」
自然に畳んだ状態から片側ずつ開き、その後、訓練でよく使うように前へ回す。
右翼を大きく前へ出したところで、脇から腰にかけて布が引かれた。
「あ、ここだけちょっと。痛くはないけど、右を前に出すと引っ張られます」
「そのまま止まってもらえますか」
職員が位置を確認し、小さな印を付ける。
「右側だけ布の分割を一つ増やして、伸びる方向を変えます。左も同じ動きをお願いします」
零が左翼を前へ出した。
「左は平気です」
「では右だけ変えます」
「制服なのに、左右違ってもいいんですか?」
「身体が左右まったく同じように動かないなら、服だけ左右対称にしても意味がありません。見た目より、自然に動ける方を優先します」
零はもう一度、右翼を前へ動かした。
翼の位置を服に合わせるのではなく、引っかかった服の方へ印が付けられている。
最初に言われたことが、少しだけ分かった気がした。
両翼を開き、前へ寄せ、ゆっくり畳むところまで一通り確認した後、職員は首や肩、背面の布にも問題がないかを見た。
「他に気になるところはありますか?」
「今は大丈夫です。背中も当たらない」
「では、右腰の修正と、最初に迷った留め具を触っただけでも向きが分かる形へ変えます。次は完成品に近い状態でもう一度確認しましょう」
「そこまで直すんですね」
「そのための試作品ですよ」
鏡の中の服はまだ色も途中で、完成品ではない。だが、生活用の服を無理に訓練へ流用している姿には見えなかった。
*
彰人の動作確認は、零よりずっと大きかった。
短くしたジャケットで屈伸し、脚を上げ、肩を回す。通常動作に問題がないことを確認した後、担当職員と凛が安全範囲を決め、低い倍率で《倍化》を使った。
床の線まで短く加速し、指定位置で止まる。彰人は裾を引っ張って腰を捻った。
「これなら引っかからないっす。前より全然いい。ただ、グローブは右だけもうちょい手首きつくてもいいかも」
「では固定を一段だけ調整します。締めすぎると逆に動きを邪魔するので、完成品でもう一度確認しましょう」
裕太は走る代わりに、立つ、座る、腕を上げる、端末を操作する動きを繰り返していた。
腕を曲げると端末の角が当たる箇所があり、取り付け位置を少し外へずらすことになる。不要だと言っていた予備ポケットも外された。
「天海、めっちゃ細かいな」
彰人が笑うと、裕太は自分の袖を直しながら呆れた顔をする。
「使う服なんだから当たり前だろ。お前だってグローブ何回直してもらってんだよ」
「俺のは大事だから」
「俺のも大事なんだよ」
三人の試作品は、最初に見た標準活動服からそれぞれ違う方向へ変わっていた。
*
さらに数日後、三人は三度目の装備区画へ呼ばれた。
同じ部屋のハンガーに、今度は完成した三着の活動服が並んでいる。
基本色は共通していた。ダークネイビーからチャコールに近い色を基調に、白と青のラインが入り、左上腕にはAEGISのエンブレムがある。
けれど、三着を並べても同じ形には見えなかった。
彰人のジャケットは標準より短く、腰や肩を大きく動かしても裾が引っかかりにくい形になっている。裕太のものは基本形に近いが、端末位置とポケットが整理され、全体がすっきりしていた。
零の服は、背面から違う。
胴体の濃い色は残しつつ、肩から脇には本人が選んだ量だけ白が入り、背中の布は翼の付け根を避けて分割されている。細い青のラインも背中で途切れず、身体の横から前へ続いていた。
「今日は修正したところを最終確認して、問題がなければ受領です。支給後でも、使っていて気になるところが出たら調整できます。完成したから我慢して使う、にはしないでください」
零は自分の服を受け取り、更衣スペースへ入った。
今度は着方で迷わなかった。
前を開き、腕を通して肩を整え、身体の横から順に留めていく。最初に迷った留め具には小さな形の違いが付けられていて、見なくても指で順番を判別できた。
着終えると鏡の前で翼を開く。
試作品で引かれていた右腰には、何も感じない。右翼を前へ回しても、布が一緒についてこなかった。
「どうですか?」
外から聞かれ、零は左右の翼をもう一度順番に動かした。
「大丈夫です。右も引っ張られなくなりました」
「では、外でも確認しましょう」
更衣スペースを出ると、彰人と裕太も完成品へ着替えていた。
「おお、零の背中、試作品よりちゃんと服になってる」
「試作品も服だったでしょ」
「そういう意味じゃなくてさ。繋ぎ目とか、あんまり目立たなくなってる」
彰人が背中側へ回ろうとすると、凛が肩をつかんだ。
「ジロジロ見るなら本人に一言聞け」
「普通に見てただけじゃん。零、見てもいい?」
「僕は別にいいよ」
「ほら」
「最初から聞けって言ってんの」
裕太は少し離れたところから零の服を見る。
「白、最初の案より少なくしたんですか?」
「うん。これくらいにしてもらった。全部白っぽくするより、こっちの方がいいかなって」
「翼と並んでも、服だけ浮いて見えないです」
零も鏡へ目を向けた。
白い翼と、濃紺の活動服が映っている。
「橘くんのも似合ってるね」
「だろ?」
「即答するんだ」
「似合ってんだからいいじゃん。天海も予想通りだな。襟まできっちり閉めてるし」
「ちゃんと着ただけだって。何で毎回そこに引っかかるんだよ」
「悪いって言ってない。普通に似合ってる」
「だったら最初からそう言えよ」
装備担当は三人の動きと修正箇所を最後に確認し、受領用の端末を差し出した。
「問題がなければ、これで初回支給になります。指定された訓練や活動で使ってください。汚れや破損が出た場合は、勝手に切ったり縫ったりせず、こちらへ持ってきてもらえれば直します。身体や能力の使い方が変わった時も同じです。その場合は服の方を見直します」
「自分で切る人いるんすか?」
彰人が聞くと、職員は真顔のまま頷いた。
「います。だから言っています」
「いるんだ……」
彰人が少し引いた顔で受領欄へ署名し、裕太も続く。
零は最後に自分の名前を入力した。
結城零。
受領済みの表示が出る。
「これで三人とも支給完了です」
凛が自分の活動服の胸元をつまみ、三人を見比べた。
「アタシのも同じ系統だから、四人で並んだら一応それっぽく見えるんじゃない?」
「九条班っぽく?」
「その呼ばれ方、まだアタシが一番慣れてないんだけど」
「責任者なのに?」
裕太にまで言われ、凛が嫌そうな顔をした。
零は笑いながら、もう一度鏡を見る。
最初に机へ置かれていた標準活動服と比べれば、三人とも少しずつ違っている。
零は右翼を前へ出し、それからゆっくり畳んだ。
どこにも引っかからない。
濃紺の背中から伸びる白い翼も、今は最初からそう作られた服の一部のように鏡へ収まっていた。