サクッと読めます。
プロローグ:さとりの苦難
「これはお空が燃やした本の始末書、こっちはお空が破壊した機械の始末書、その下が……って、全部お空のことじゃない!」
古明地さとりは椅子に座り、ガックシと肩を落とす。手首が痛くてたまらない。悲鳴を上げているのがわかる。
「はあ、全く仕事が進まない。胃がいくつあっても足りないわ」
さとりは頭を抱えてしばらく悶々としていたが、途端に無意味なことを悟った。あいつは壊れている。心を読むまでもない。
「あの子、しばらく旧地獄で謹慎させましょうか。そうだ、それがいい」
さとりは机の淵を掴み、力強く判を押した。
「しまった! これは文々。新聞の定期購読契約書だわ! 書類に紛れ込ませるなんて……賢いやつめ」
同じ烏なのにどうしてもこうも違うのか。いや同じわけがない。さとりは考えるのをやめた。
部屋の時計はボーンボーンと、一日の終わりを知らせている。
「さとり様、今日のメニューは焼き魚ですよ~。……大丈夫ですか」
「大丈夫よ、お燐。……すぐ行くから、先行ってくれない?」
『焼き』という言葉のせいで、さとりは奇しくも始末書の内容が想像できてしまった。
彼女のキャパは限界を迎え、悲鳴を上げた。
『あんの鳥頭!!!』部屋でそう叫び声が聞こえたのは、そのすぐ後のことである。
「てことがありまして、あんまりいい魚だったから買っちゃったんです。何でも地上では収穫の季節みたいで……」
「火力を調整すれば、こんなに美味しそうに焼けるのに……うまいし」
さとりはこんがり焼かれたサケの頭を見つめて、ぼんやり頷いた。
「聞いてないですね。げっそりしてどうしちゃったんですか」
「主にあれのせいよ」
さとりは目線を奥に向け、箸でお空を示した。
「焼き魚うまいな~。でもちょっと火力が足りない気がするな」
お空は自慢の制御棒を振りかざそうとした。お燐はそれに気づくと
『やめなさい! 地霊殿が煤になるでしょうか!』
と必死に食い止めた。
「ちぇー。まあいっか。魚うま~」
さとりはお空の頭の中を読むことができなかった。
『さかなうまい』。そんなの顔を見ればすぐわかる。
「……いっそこの子みたいに、頭の中を空っぽにできたらいいのに」
「ほんと、いつ見ても綺麗な瞳ですよね」
お燐はさとりの肩をぽんと叩いた。食卓は今日も賑やかである。
「お燐、皿洗い手伝うよ」
「すみません。助かります」
食後、二人は皿洗いにふけていた。
「まったく『太陽と比べたらましだろ』なんて、馬鹿言ってんじゃないわよね」
「太陽、ですか」
お燐の視線はどこか遠くを見つめていた。だが一枚、また一枚と手は止まらない。すべてのお皿が真っ白になった時、さとりは三枚も洗えなかった。
「それにしてもお燐、あなた働きすぎよ」
「それ、さとり様が言います?」
皿を拭きながら、お燐は首を傾げた。
「当たり前でしょ。ご飯も後片付けも、家事全般を任せちゃってるし」
「いや、そういうことではなくて」
「それ以上言わなくていいわ。心が読みやすくて助かる」
さとりは皿を受け取り、どんどん棚にしまっていった。時折『場所が違います』とお燐からツッコミが入る。
「別にいいんですよ。私を頼って」
お燐の表情は柔らかく、包み込むような笑顔だった。
「なるほど。明日、いや明後日なら……霊夢に相談してみるか」
「聞いてます?」
「ええもちろん。今度は五枚洗って見せるわ!」
「なんでそうなるんですか」
さとりは何とかお皿をしまい終えると、口元を緩めるお燐を横目に急いで部屋へと戻った。筆を手に取り、はきはきと手紙を書き始める。おかしい、力が入らないぞ。
*
二日後、よれよれになりながらも書類の山を片付けたさとりは、お燐を部屋に呼んだ。朝食の支度に入っていたお燐はエプロンを纏ったまま、さとりの元へ駆けつけた。
「こんな朝からどうしたんですか。早くしないと食材が焦げてしまいますよって、凄い顔じゃないですか!」
扉を開けた瞬間、げっそりとしたさとりの様子にお燐は顔が真っ青になった。
「大事な話があるの。とりあえず水をもらってもいいかしら……」
「水ですね、今持ってきます!」
お燐はドタドタと廊下を駆け抜けてキッチンへ向かうと、コップに水を汲み、大急ぎでさとりの元へ戻ってきた。水がこぼれないように優しく、でも速く。そして部屋に着いた彼女は急いでさとりにコップを手渡した。床には一滴もこぼれていなかった。
「っはぁ。生き返ったわ。ではさっそく、地霊殿の主としてあなたに命を下します」
さとりは大きく背伸びをして椅子に座り、手を組んで顎を乗せた。
「何でもお命じください。私は何をしたらいいですか。早くしないと……早」
「今日一日、地上を楽しんできなさい。拒否することは認めないわ」
「……はい?」
一瞬何を言われたのかわからず、お燐は呆然としていた。部屋の時計が、けたたましく鳴り響いた。
「体の方は大丈夫よ。ちょっと徹夜しただけだから」
「大丈夫なわけないですよ! いくら妖怪にだって限界はあるはずです」
平然を装うさとりに対して、お燐は必死にそれを否定した。
「いいのよ。それよりも今日の話をさせて」
しかしさとりも引かず、丁寧に話を続ける。
「……わかりました」
お燐は彼女の真剣な表情を見て、ついに折れた。
「あなたが毎日真面目に仕事をこなしているのはよく知っている。でもそれじゃいけない。だから一昨日の夜、あなたの心を読んだの」
お燐は一昨日の皿洗いを思い出し、不可解な言動の意味を理解した。
「読んでみて驚いたわ。自由奔放なお空にあなたは憧れを抱いていて、それも地上に行きたいだなんて」
「そ、それは」
お燐が口を挟もうとすると、さとりは人差し指を口に当て、首を振った。
「いいのよ」
さとりの声は、とても柔らかかった。
「ですが待ってください。私がいなくなったら、今日一日家事はどうするんですか」
お燐が尋ねると、さとりは待ってましたと言わんばかりに『降りてきて』と天井を見上げた。そこには大きな目玉のついた唐笠が一本、天井にくっついていた。
「ばぁ! ……まあ人間じゃあるまいし、驚いてはくれないよね。多々良小傘、参上!」
小傘は天井を蹴り、お燐の前にひらりと舞い降りた。
「聞いたよ。暇だったし、家事くらいやってやるから遊んできなさいよ。案外地上はいいところだよ。みんなが驚いてくれないのは……ちょっと残念だけど」
お燐は一歩引いて身構えるも、小傘に敵意がないことを悟り、軽く会釈をした。
「それに、私もあの子の対処法を考えたいから丁度いいの。徹夜で書類を片付けた私への恩返しだと思って、行ってらっしゃい。明日の朝までに帰ってくればいいから」
「……わかりました。お言葉に甘えます。小傘さん、主のことをよろしくお願いします」
お燐が手を差し出すと、小傘も『まかせて!』と手を差し出し握手をした。
「そういえばなんか煙くさいような」
廊下に出てみると、奥の方から黒い煙が上がっている。
「いけない、食材を焼きっぱなしだった! 失礼します!」
お燐は二人に軽く会釈をすると、大急ぎでキッチンに戻った。
『いい火力だったぞ~』と、お空が火を緩めてくれたのは、まさに奇跡だった。
第一章:地上へ
「結局、小傘さんに朝食をご馳走になっちゃった。美味しかったな」
旧地獄は朝だというのに、吹き抜ける熱風は相変わらず。厳しい暑さはいつ時も変わらない。お燐にとってはいつものことなので、汗が噴き出したりその場に倒れ込むことは無い。黒のスカートが、風で微かに揺れていた。
旧地獄を通り過ぎると橋が見えてきた。嫉妬深い橋姫の横を通り過ぎ、降ってくる桶に気を付けながら縦穴を登っていく。視界に広がる光の穴は次第に大きくなっていった。
「……眩しい」
目前には青々とした空と、真っ白な太陽。遠くから水のゴウゴウという音が聞こえる。足元に広がる落ち葉。ほのかに薫る木々。そして一面に広がる紅葉。お燐は初めて、地上に降り立った。
「ここが地上……。旧地獄よりも涼しくて鮮やかね。……綺麗」
お燐は腰を下ろすとしばらく景色を見つめ、感傷に浸っていた。
「さて、この薫りの正体も突き止めないとね」
風任せの雲を見送った後、お燐は歩き始める。匂いに惹かれて斜面を下っていくと、そこには沢山の柿の木が見渡す限りに生えていた。一つもぎってかぶりつく。口の中に優しい甘みと芳醇な香りが広がった。
「うーん美味しい! やっぱもう一つ……」
手を伸ばした瞬間、背後から風を伝って鋭い気配が流れ込んできた。
「おい、そこのやつ止まりなさい。ゆっくりとこっちを向いて」
お燐の前に大きな黒い羽根を纏った天狗が舞い降りる。お燐は持っていた柿を口に放り込み、両手を上げた。
「ちょっと、何勝手に食べているんですか! ……別にかまいませんが」
お燐は柿を飲み込むと、木から柿を一つもいで天狗に与えた。
「なんだ。ならあなたも一つどう? 甘くておいしいよ」
天狗は柿を受け取り頬張った。表情が少しだけ緩み、笑みがこぼれる。
「……敵意は無いようですね。まったく、紛らわしいことをしてくれる」
天狗は警戒をほどき、羽を畳んで筆を執った。
「地上に来て早々、戦闘になるのはまっぴらごめんだよ」
お燐は高を括っていたが、内心はホッとしていた。
「へえ、あんた新聞書いてんの。迷惑なこった」
二人は柿の木の下に腰を下ろして向かい合った。警戒を解いたとはいえ、天狗の鋭い目つきはお燐をじっと離さない。
「さあ、わざわざ妖怪の山に単独で乗り込んできた理由を教えてもらいますよ」
「そんなもんないよ。ただの地上観光さ」
天狗の手が止まる。
「……まさか、地底から来たんですか?」
「地霊殿てわからない? 古明地さとり、あたいの主」
天狗は顎に手を乗せ頷いた。そして生き生きと手を動かした。
「もちろん知ってますよ。定期購読、楽しみにしてますし」
お燐の脳内に『何で取り消せないの!!』と頭を抱えていたさとりが思い浮ぶ。天狗の顔をひっかいてやろうと思ったが、面倒なことになりそうなのでやめた。その代わりに『そうかい』と思いっきり鼻で笑ってやった。
「いいことを思いつきました。今日一日、観光ガイドをしてあげますよ」
天狗は手帳を閉じると、お燐の肩を掴んで笑みを浮かべた。
「ちょっと、放してくれよ。あたい何もしていないだろ」
「もちろん。ですがすぐに無罪放免とはいかないのですよ。ざーんねんながら、あなたが地底に帰るまでは監視しないといけないんですよね~。いやあ困った」
天狗は終始笑っていた。あからさますぎる演技に、お燐は無性に腹が立った。
「どうせ記事のネタにでもするつもりなんだろ? 見え見えの嘘つきやがって」
「嘘だなんて人聞きの悪い。嘘にちょっとのホントを混ぜれば、それは真実になるんですよ?」
「屁理屈を……」
「いずれにしろ、あなたに拒否権はありません。とっとと名乗って私の言う通りにすればいいんです」
肩を掴む力が強くなる。正直、非常に気分が悪い。だが徹夜してまでさとりがひねり出してくれた休暇をこんなことで終わらせるわけにもいかない。返答は決まっていた。
「いいよ。あたいも今日は楽しみたいからね。ぜひお願いしようじゃないか」
「物分かりが良くて助かります。これで両者幸せ。いいことです」
文は手帳をぱたんと閉じると、『よかったよかった』と頷いた。
「……火焔猫燐だ。お燐でいいよ」
「清く正しい射命丸文です。早速行きましょう!」
文は羽を広げてお燐の手を掴み、そのまま空へと飛び立った。
「……尻尾は掴むなよ」
せめてもの抵抗に、お燐は心の底から笑ってやった。
第二章:博麗の巫女
幻想郷の空はどこまでも澄んでいて、時折吹き抜ける風が非常に心地よい。まあ一人で飛んでいるのならの話だが。皮肉なことに今は文の力で飛べている。ああ、情けない。
「それで、どこか行きたい所はありますか」
「うーん。地上のことはよくわからないからなあ」
お燐は頭の中で、地底に来た人間を思い浮かべる。そうだ、丁度いいのがいる。
「博麗靈夢ってわかるかい? 一度会ったことがあるんだ」
「ええもちろん。きっと今頃、境内で昼寝してますよ」
「構わない。彼女の元へ連れていってくれ」
「わっかりましたぁ!」
文は元気よく返事すると、勢いよく羽を羽ばたかせて速度を上げた。
「振り落とされないようにしっかりと捕まっていてくださいね!」
「おう、ってわぁぁぁ!!」
お燐の視界は細切れのフィルムのように、超高速で進んでいった。
*
鳥居を目印に、二人は博麗神社にたどり着いた。ああ、腕がしびれる。
「ここが博麗神社です! あっという間でしたね」
お燐は自分が飛べないことを心底後悔した。こいつ人のことを何だと思ってんだ。
「そんな顔しないでください。ほら、いい景色でしょ」
文は鳥居の先を指さした。石作りの階段は遥か先まで続き、両側には雄大な森が広がっている。
「へえ。なかなかいいじゃん」
お燐は急な階段に足をすくめながら景色に見入っていた。芳醇な薫りの強い妖怪の山に比べて、ここは木々そのものの香りが強い。足元の落ち葉もなかなか癖になりそうだ。くしゃくしゃと鳴って面白い。
「いい景色だが、参拝客は大変だろうな。人間には過酷すぎるだろ」
「その心配はありませんよ。ちょっと耳を澄ましてみてください」
お燐は目をつむり、言われた通り耳に意識を向けた。時折草木のこすれる音が聞こえるだけで、周囲は異常なまでに静まり返っていた。
「ほら、聞こえるでしょう。閑古鳥の鳴き声が」
「……確かに聞こえるな」
「珍しい鳴き声でしょう。ここでしか聞けないんですよ。守矢神社、妖怪の山にある神社ではまず聞けません」
文は吹き出しそうになるのをこらえながら、平然を装って話し続ける。なんだか霊夢がかわいそうに思えてきた。その直後、お燐の前に鋭い気配が広がった。あの時よりもずっと強く、もはや殺気に近い。
「あ、文、後ろ」
「そうそうここにはもう一つ、珍しい声が聞こえるんですよ……いだだだだだ!!」
恐る恐る文の背後の人影を見ると、そこには上着を羽織った巫女が立っていた。巫女は文の羽を思いっきり握りしめ、肩に手をまわした。
「さっきから黙って聞いていれば随分と言ってくれるじゃない? あ・や・さん?」
「い、いやあ霊夢さん。今日はお日柄もよく……」
「ちょうど焚火をしていたのよね。試しにちょっと炙られてみない? ここまで寒かったでしょう」
「いや、私は普段から風の扱いには慣れてますし」
「遠慮なさらずに、ねえ」
霊夢は思いっきり羽を握り締め、強引に文を引っ張った。
「は、羽がもげう……い、いやぁぁぁ~~!!」
お燐の体中に悪寒が走る。境内は賑やかになった。あの時助かったのは霊夢が手を抜いてくれたからだ。そうに違いない。
「ああ、私の手帳が……特ダネが……」
「ああすっきりした。まったく……ここは妖怪のたまり場じゃないっての」
とはいえ千年以上生きている鴉天狗に焚火程度の熱など効くわけもなく、犠牲になったのは手帳のみであった。
文は心の底からガックシと肩を落とした。お燐も心の中がすっきりした。ちょっとかわいそうだけど。霊夢も満足したようで、すっかり気配は落ち着いている。ほっと一息ついて顔を上げると、霊夢はこちらを見つめていた。
「そういえば見ない顔ね。猫かしら」
「火焔猫燐ていうんだ。さとり様、旧地獄の地霊殿ていう屋敷の……」
「冗談よ。久しぶり」
お燐はちょっと戸惑ったが、景気よく返事を返した。
「あ、ああ。間欠泉の節は世話になったね」
「さとりから手紙で伺ってる。働きつめの猫を休ませてあげたいって」
霊夢は『こっち』と手で招くと、縁側を指さし『猫なんだからくつろいでいいわよ』と微笑んだ。
「私も座っていいですか?」
「烏は落ち葉まみれの地面の方がいいんじゃない」
「そんなこと言わないでくださいよ~」
霊夢はため息をつき、『お茶うけはないわよ』と座布団を二つ縁側に出した。
文はわかりやすく嬉しそうに縁側に座った。境内には再び閑古鳥が鳴き始めた。
「ああしみる。丁度冷えてきたんだよね」
湯気に包まれながら、お燐は入れたばかりの緑茶をすする。晴れているとはいえ、あれだけ風にあおられた体は思ったよりも冷えていた。
お茶のおかげで体は程よく熱を帯び始めた。
「別に薄着ってわけではなさそうだけど、旧地獄と比べたら地上は極寒よね」
霊夢もお燐の隣に座り、お茶をすする。
「涼しいってのは新鮮だよ。いうほど辛くないさ」
「やっぱ生身の人間とは根本の作りが違うのね。あの時の旧地獄は暑くて本当にまいった」
「私も旧地獄への取材は命がけですよ。肌が焼けます」
「烏はどんな暑さにも耐えられるんじゃないの? あいつは人口太陽にもびくともしなかったわよ」
ため息をつく文に対し、霊夢は挑発気味に首を傾げた。
「無茶言わないでくださいよ。八咫烏と鴉天狗じゃ天と地ほどの差がありますよ」
それはそうだ。うん、間違いない。お燐はしきりに頷き、お茶を飲み干した。
「もう一杯、いただいてもいいかな」
「それでどうするの? 別にこのままいてもいいけど、どうせなら別の所に行ったほうがいいわよ。お茶くらいしか出せないし、なんもないし」
「うーん。でも霊夢以外だと魔理沙くらいしか知り合いがいないや」
「あいつは今頃どっかを飛んでいるわよ。饅頭ばっか食べて行くし」
「紅魔館とかどうです? あそこは特ダネのたまり場ですよ」
「あんたが行きたいだけじゃないの。まあこいしがフランとよく遊んでいるみたいだし、悪くはないわね」
「うーん」
お燐は腕を組み、ぼんやりと空を眺めた。ひらひらと舞う枯れ葉は趣があった。
「……できればさ、さとり様が喜ぶようなものを持っていきたいんだよね。それが一番いい」
霊夢の方を覗くと、彼女は『そうね』とだけ言ってお茶をすすった。
「確かに字がよれよれだったし、滋養のある物がいいわね」
「永遠亭とかどうですか。こちらから出向けば喜んで売ってくれますよ」
「そうね、それが一番いいんじゃない?」
「ちょっと、二人で納得されてもついていけないよ。説明してくれ」
お燐はお茶を廊下に置くと、二人を交互に見た。
「永遠亭っていう薬屋みたいなところがあるの」
「鈴仙とかわかりません? 地底にもたまに見かけますよ」
お燐は思い当たる節を頭の中で探してみたが、わからなかった。
「その人は知らないけど……そこにしようかな。ここにいるよりもさとり様のためになりそう」
「だってよ、文」
霊夢はお燐の眼差しを受け取ると、手で『ほら』と、文を煽った。
「わかりました。行きましょう。お燐さん」
文はその意向を受け取ると、腰を上げて大きく背伸びをした。
「ああ、頼むよ。今度はゆっくりな」
「天狗に常識が通用するとでも?」
「あ~や~?」
「わ、わかりました。安全飛行で行きますよ」
霊夢はお燐に近寄ると『主も喜ぶといいわね』と背中を軽くたたいた。
「今度はお賽銭を持ってくるのよ~」
文は大きく羽を広げ、博麗神社を飛び立った。次第に霊夢の姿が小さくなっていく。コマ送りだった視界は、観光にはもってこいの大パノラマに変わった。次来るときは音が鳴る程度に賽銭を入れてあげよう。心の中でお燐は誓う。まったく、最高で最悪の立地だよ。
第三章:永遠亭
「しかし地上というものは色々な植物が生えているんだな。この緑色のとげみたいなのは何?」
「これはタケっていうんですよ。永遠亭の周りには嫌って程生えてます。竹林のおかげで人間は迷子になる」
空飛べるって便利なもんだ。確かに、竹林の中にひっそりと建っている屋敷がある。
「地上の建物はどれも人間に厳しいものばかりだな。たどり着く前に息切れしそうだ」
「旧地獄の方がよっぽど過酷ですよ。ここには張り裂けるような熱の痛みも、鬼や霊に襲われる心配もありませんから」
「その代わりあんたみたいな妖怪がいるだろ」
「言葉は通じますから」
どの口がいってんだか。お燐は軽く息を吐き捨てた。
「ほら見えてきましたよ。あれが永遠亭です」
現れたのは地霊殿に引けを取らないほどの大屋敷であった。
「ここが永遠亭……」
竹林の中にこんな立派な屋敷があるとは。お燐は思わず息を飲んだ。
「すみませーん。鈴仙でも兎でもいいから、出てきてくださーい」
文は木製の門を叩き、反応を伺う。一分ほどして『はーい』と軽い返事が返ってきた。
「いらっしゃい。といっても私はここの者ではないけどね」
「これは妹紅さん。……体中ボロボロですね」
「なあに、ちょっと輝夜に一撃入れただけさ。それでどうしたんだ。取材するような場所でもないだろ」
「ちょっと疲れ切った妖怪がいるもので、滋養のあるものをいただこうと。ねえ」
「ああ。うちの主が働きづめでさ。何とかしてあげたんだよ」
「へえ。立派な従者なこった。だが今はやめた方がいいぜ。とても薬を売っている場合じゃないみたいだ」
「どういうこと?」
そうお燐が首を傾げた瞬間、建物の中から破裂音が聞こえ、一匹の兎と医者が出てきた。
「毎日毎日働きづめ。もう限界です! しばらく休ませていただきます!
「ちょっと鈴仙、今日一日頑張ってくれればしっかり休ませてあげるから」
「いーえ、もう我慢できません。堪忍袋の緒が切れました。それでは」
「待って!」
お燐の目前に飛び出してきた兎はお燐の横を通り過ぎたと思ったら、そのままの勢いで竹林に消えていった。『これは……大スクープだぁ』と文は羽を広げ、生き生きとし始めた。いやあんた、さっき手帳燃やされてるじゃん。『控えがあるんですよ』だって? こいつ、ハプニングに慣れてやがる。
永遠亭には涼しい風が吹き、竹林は静かに揺れていた。
「すみませんね。お見苦しいところをお見せして」
妹紅と別れ、二人は永遠亭へ上がった。居間は広々としていて、くつろぐには十分だ。
「いえ。ただ私も、従者としてあの兎の気持ちはよくわかるよ」
「やっぱり無理させるのはよくないですよね。ちょっと仕事を与えすぎました。反省です」
さっきの反応を見る感じ、相当過酷だったんだろう。一瞬見えた目は真っ赤だったし。
「そして運の悪いことに、こうやって新聞のネタにされようとしている。いいことないです」
「失礼な。ジャーナリストとして、ありのままを伝えようとしているだけです」
お燐は文のことを目にもくれず、前のめりになって医者に詰め寄った。
「それで、お……医者さん」
「八意永琳。好きなように呼んでください」
「では永琳さん。疲れに効く薬って何かないかな?」
「ありますよ、とっておきのものが。ちょっとお待ちを」
日差しがだんだんと傾き始め、屋敷の中に差し込む光も多くなってきた。まるで竹林が燃えているようだった。
「お待たせしました。これです」
永琳は居間の奥の方へ行くと、五分ほどして戻ってきた。
「これは国士無双の薬じゃないですか! 本物を見られるとは」
「国士無双の、薬?」
「鈴仙ご用達の万能薬ですよ。永遠亭の傑作のひとつです」
「ばかね。あれは鈴仙専用。原液は効果が強い分反動も大きいの。これはそれを十倍に薄めたもの。一週間連続で徹夜したとか、一日で三百キロ走ったとか。そういうちょっとした疲れにはこれで十分よ」
お燐は具体的な数字と外れた常識に驚愕した。妖怪にも色々なやつがいるんだな。
「とっても強力な薬なんだな。ちょっと心配だけど」
「そんな何本も飲むもんじゃないです。一本しか処方しませんし、間違いなく元気にはなりますから」
「へえ~。ありがたい。いただくとするよ」
「まいどありがとうございます」
お燐は永琳から薬を受け取ると、ポケットに丁寧にしまった。
「では私はこれで。仕事を片付けちゃいます」
永琳がいなくなった後、二人は居間でくつろいでいた。
「うーん、いい畳だねえ」
お燐は寝転がり、肌を畳に擦りあてた。
「相変わらず居心地は悪くないですね。とはいえ日も傾いてきましたし、そろそろ帰ります?」
「……そうだな。そろそろ地底が恋しくなってきたし」
お燐が腰をあげたその瞬間、二人のお腹からぐうと腹の虫が鳴った。
「……何か食べてから帰ろうかな。まだ地上で何も食べてない」
「同意です。一日中動きっぱなしでしたからね」
文は背中を伸ばし、縁側の柱に身を預けた。
「なんかいい所教えてくれよ」
「そうですねえ……」
近寄るお燐から距離を取りながら、文は顎に手を当て考え始めた。
「すみません。ちょっといいですか?」
お燐は縁側に腰を下ろしていると、後ろから永琳に話しかけられた。
「ああごめんなさい! すぐ帰りますから」
慌てて振り返って立ち上がると、永琳は首を振った。
「いえ、休んでいていいんですが……よろしければ屋台に行ってくれないでしょうか」
首を傾げるお燐に対し、文は筆を揺らす。
「ミスティアさんの所ですね。別にかまいませんが、何か?」
「多分あの子、あそこでやけ酒してると思うんです。さっきそちらの猫さんは鈴仙に共感していましたし、会話相手になってほしいなって」
お燐はすれ違った時の真っ赤な瞳を思い出した。確かに話してみたくは、ある。
「……いいよ。別に場所はどこでもいいわけだし」
「本当ですか」
「同じ従者として気になるからさ。それにこいつと二人きりで呑むのは嫌だ」
「ひどい! 今日一日連れ添った仲じゃないですか」
「今日一日連れ添ったからだよ。もうこりごりだ」
「なんですかそれ」
お燐は口角を緩め、ジト目で文を見つめる。ほのかな笑いに包まれた。
「鈴仙のこと、お願いします」
永琳は深くお辞儀した。
「ま、あなたもたまには従者の心を読むことだね」
「それは無理……ではないですね。わかりました」
永琳の表情は柔らかかった。二人は居間から中庭に降りて、そのまま飛び立った。
「なんかあの太陽、暗くない?」
「ああ、あれは月ですね。おまけに今宵は満月です」
「へえ~。こっちも悪くないね」
「私たちの常識を未知のものだと楽しめるその感覚、もの書きとして羨ましいですよ」
「そうかなあ?」
第四章:屋台
「ああ、寒い。温かいものが食べたいよ。それにしても素晴らしい景色だ」
夜の風は冷え切っていて、流石のお燐も寒く感じてきた。
「星を見るのも初めてですか。天気もいいですし、今の季節はよく見える方ですよ」
星は多様な輝きを見せ、白、青、赤と宝石のように輝いている。
「そういえば地底との行き来は普段どうしているんだ?」
「間欠泉地下センターを通るんですよ。あんな縦穴をよじ登ってくるのはあなたくらいです」
「あそこか。観光客ばかりで嫌になるんだよ」
「そんな理由で過酷な道を選ぶんですから、あなたも十分『妖怪』してます」
「こんな姿でいわれてもなあ……」
お燐もう片方の手で頭を書き、ため息をついた。
「ほら、見えてきましたよ。あそこの移動式屋台です」
目線を落とすと、人里の外れにひっそりと佇む屋台があった。湯気と一緒に出汁の香りが広がる。
「いいにおい。何の料理?」
「百聞は一見に如かず。実物は目で見て食えって話です。行きますよ!」
「そうだな……あぁぁぁ!!」
文は急降下すると、屋台のすぐ近くへ降り立った。すっかり肝まで冷えてしまった。
「まったく永琳様ときたら、私のことを何だと思っているんですかねぇ~。もう一杯!」
「ほい、中ジョッキ。今日は一段といい飲みっぷりだねぇ」
「呑んでないとやってられないわよ~。この前だってぇ~」
屋台には『おでん』に『八目鰻』と書かれたのぼりと共に、でろでろの鈴仙がいた。
「あれが鈴仙さん?」
「ありゃ、あれはかなり呑んでますねえ。私たちも行きましょう!」
「ちょ、ちょっと待って……」
文は休む間もなく羽をたたむと、その勢いで屋台に特攻した。
「ミスティアさん、ちくわぶと蒲焼き一つ。あと熱燗を一合」
「あいよ。お隣の猫さんはどうします?」
「うーん。おすすめは?」
「蒲焼きと言いたいところだけど……そうだなぁ」
「私と同じのでいいじゃないですか。味は保証しますよ」
「へえ、言ってくれるじゃん」
「じゃあ、……あたいも同じので」
「あいよ。はい、ちくわぶと熱燗。ウナギは七輪で焼くからちょっと待ってね」
ミスティアは袖をまくり、火を入れた。話すなら今だな。お燐は肩の力を抜き、ゆっくりと話し始めた。
「鈴仙さん、ですよね」
「ん~そうだけど~」
「さっき永遠亭に伺ったものです。覚えてますか?」
「ん~…………ええ!! み、見てたの?」
「ええ、そりゃあもう一部始終を」
鈴仙は真っ赤な顔を手で覆い、声にならない叫び声を出した。
「ちょ、びっくりしたなぁ。団扇を落とすところだったよ」
「まったく……すっかり酔いが醒めちゃったよ」
鈴仙は耳を垂れてしょんぼりしてしまった。話しやすくなったのはいいけど、すごく心が痛むなあ。
「それで何の用? 別に知り合いでもないし」
「別に吞みに来ただけだよ。ねえ」
お燐はしらをきった。まずは仲良くならないと。……うまいなこのちくわぶ。
ただ鈴仙はお燐のことをじっと見つめ、目を真っ赤にした。
「私の目を見ておいて言い逃れはできませんよ。どうせ永琳様に言われたんでしょ。大丈夫ですよ、すぐ戻りますから。永琳様だって忙しいわけだし」
鈴仙はそう吐き捨てると、ジョッキをくびっと飲み干した。
「従者たるもの、こうなるのはわかってますよ。ただちょっと反抗してみたかっただけです。おかわり!」
「あいよ~」
鈴仙は顔を上げ、どこか遠くを見つめていた。お燐は熱燗を口に含んで飲み込むと、そっと鈴仙の隣に座った。
「わかるよ。あたいも地霊殿の家事を一手に担っているし」
「……あんたも逃げ出してきたの?」
「お空、親友を見ていたら地上ってのが面白そうに感じてさ。それを読まれたってわけ」
「読まれたってなに? ……でも、いい飼い主みたいね」
「ああ、さとり様はこの世で一番の苦労人だよ」
「なんだそういうこと。さとり妖怪なら当然ね」
「案外そうじゃないかもよ」
『さあね』と鈴仙は鼻で笑った。
「それより、苦労しているのは永琳様だって同じさ! この前だって急患に対して仮眠中だってのに目を擦ってまで……ああ、もう!」
鈴仙は緩んだ顔をパンと叩き、また厳しい目つきになった。
「ま、お互い愛されているってことさ。あんたはちょっとかわいそうだけど」
「勝手に哀れに思わないでよ。おかわり!」
「はいよ~」
ミスティアはジョッキを置くと、振り向き様に『もう少しで焼けるよ』とささやいた。
ヤツメウナギの脂とタレの絡まった甘い匂いが、お燐の五感を刺激した。
「はい、上手く焼けたよ」
程よい焼き目を付けられた蒲焼きは湯気を立て、深い茶色に輝いていた。
口に入れた瞬間、口中に程よい柔らかさのウナギが広がる。お燐は舌鼓を打った。
「……やばいな、これ」
「でしょうでしょう! ここの看板メニューですからね。熱燗、おかわりお願いします!」
「あいよ~」
文は二杯目を注ぐと、グイっと飲み干して『いい空気ですねぇ』と陽気だった。
「そうだこれ。鈴仙が飲んだらいいよ」
お燐はポケットから薬と取り出して鈴仙に渡した。
「ん~? これは……国士無双の薬じゃない! 私は飲みすぎて効かないわよ」
「いやでもこれは十倍に薄めてあるらしいから」
「へえ~って、それじゃあ余計に効かないわよ。それにあんたが永琳様から買ったものなんでしょ? 本当にいいの?」
「ああ、それよりもいいお土産を見つけたからね。それに鈴仙の言う優しさってのがここには入っているからさ」
お燐は薬の入った瓶を揺らすと、鈴仙に手渡した。
「ふうん、じゃあ遠慮なく。…………。眠気覚ましにもならないわね、これ」
鈴仙は薬を一気に飲みため息をついた。
「ま、あんたの言いたいことはわかったよ。永琳様の作る薬は幻想郷一だよ」
彼女は微笑み、『やっぱこれだよねぇ』と腕を組み感傷に浸った。
「あんたはちょっと『のみ』すぎだと思うけど」
「今何杯目だっけか? おーい、ミスティア。今何杯目かわかる?」
「自分のお腹に聞けばいいじゃないか。それかお勘定すればわかるよ」
「酔いが醒めてきたわ……」
財布の中身を見つめ、鈴仙はジョッキをそっと置いた。
「ま、何とか駆け寄ってみるよ。地上に来たら遊びに来なさい。それじゃあね。猫さん」
鈴仙は勘定を終えると、森の中に帰っていった。お燐も地底が恋しくなってきた。
「文、あたいらもそろそろ帰るか」
「もっと行きたいところですが、鈴仙も帰っちゃいましたし、そうしますか」
二人は勘定を済ませ、席を立った。夜風が寒くも心地よい。
「そうだ、おでんのお持ち帰りってできますか?」
「問題ないよ。何にするんだい?」
「ちくわぶと……」
夜は次第に深まっていく。月は輝きを増していた。
第五章:帰還
「ただ今戻りました!」
「お帰り。その顔は……楽しめたみたいね」
「おかげさまでとても。そういえばお土産があるんですよ」
「夜も更けてお腹が空いていたことだし、早速もらおうかな」
「わかりました。さっそく作ってきますね!」
「そ、そんなレベルなのね……」
お燐はキッチンに向かうと、数分の内におでんを作り上げた。あらかじめ下処理をしてくれたミスティアと、旧地獄の狂った火力のおかげである。お燐は尻尾を振って、さとりの元へと駆け出した。
「さとり様、できましたよ」
「これは……おでん?」
「ええ、出来立てほやほやです」
お燐はさとりの机におでんの器を置いた。さとりは口にちくわぶを運ぶと、幸せそうに笑った。
「旧地獄におでんをお土産に選ぶとは、あなたも面白いものね」
「その方が温まると思いましたから」
「……その表情が見れただけで、私は満足だわ。ああ、温かい」
さとりの部屋は、ほのかな湯気と出汁の香りに包まれた。
エピローグ:文々。新聞
「『地底の従者、休暇を地上で過ごす。従者同士の苦難も』……ふう。柄にもなくいい話を書いてしまいました。まったく、いい笑顔だこと」
文は筆を置いて大きく背伸びをした。右下には談笑するお燐と鈴仙の笑顔が写っている。
ただ残念ながら、背後にいる上司には気付かなかったようだ。
「へえ……よく書けてるじゃない。あ・や」
「こ、これは飯綱丸様。お褒めにいただき光栄です」
龍は文の背中をぽんと叩くと、羽を握って耳もとでささやいた。
「けれど上司に言うことがあるわよねえ……」
「い、いやあ、それは……あれですよ、あれ」
「問答無用。あなたが侵入者の報告をせず、おまけに柿を勝手に食べるなんてねえ。どうなるか、言わなくてもわかってるわよね……?」
龍は肩に手をまわして笑みを浮かべた。こわいこわい。
「い、いやあ~~!! ごめんなさいぃぃ!!」
【完】