黒檻島を離れてから二日目の朝。
九蛇海賊団と、俺らが別れることになった。
九蛇の戦士たちは、救出した仲間を連れて、自分たちの故郷へ帰るらしい。今回の作戦で助け出された少女たちも、すっかり元気になっとった。昨日なんか、甲板で弓の稽古を再開しようとしてグロリオーサに怒られとったからな。さすがにもうちょっと休んだ方がええと思うで。
俺らは俺らで、解放した人々をそれぞれの故郷へ送り届けなあかん。帰る場所がなくなっとる人もおるし、まだまだ仕事は山積みや。
「ガルド。九蛇の船、出航準備が終わったで」
ミラが海図を畳みながら声をかけてきた。
「せやな。ほな、挨拶してこよか」
俺は荒凪を背中へ戻し、白羊号の甲板へ出た。そこにはダグをはじめとする仲間たちが揃っとる。九蛇の戦士たちも向こうの甲板に並び、解放された少女たちが俺らに向かって手を振ってくれとった。
ええ光景やな。最初に会うたときは互いに武器を向け合っとったのに、今ではこうして笑って別れの挨拶ができるんやから。
ただし、一人だけ様子のおかしい奴がおる。
「グロリオーサ! そろそろ出航やろ!?」
「う、うむ!」
九蛇の船首に立っとる女帝様が、びくっと肩を揺らした。
何や。俺、そんな大声出したか?
昨日の晩から、グロリオーサはずっとこんな調子や。話しかけようとしたら目を逸らすし、俺が近づいたら顔を赤くするし、かと思えば遠くからこっちを見とる。
もしかして、昨日の竜巻の件をまだ怒っとるんやろか。
あれは俺も反省しとるで。九蛇の船を危うく巻き込みかけたんやから、そら怒られてもしゃあない。せやけど、ダグにも散々怒られたし、そろそろ勘弁してほしいんやけどな。
「ほな、達者でな! またどっかの海で会おうや!」
俺が手を振ると、グロリオーサが慌てて身を乗り出した。
「ま、待て!」
「ん?」
「その前に、妾から話がある!」
女帝様は、ものすごい勢いで深呼吸を始めた。
吸って、吐いて、また吸って。
……長ない?
「グロリオーサ? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃ!」
「ほんまに? 今からネネ呼ぼか?」
「医者は要らぬ!!」
そこまで元気に怒鳴れるんやったら、大丈夫そうやな。
ただ、本人は真剣そのものらしい。俺らの間を行き来しとった九蛇の戦士たちまで、何やら期待に満ちた顔でこっちを見とる。
ダグに至っては、さっきから妙にニヤニヤしとった。おい。何か知っとるんやったら教えてくれへん?
「ガルド。そなたには、今回の件で大きな借りができた」
グロリオーサが、まっすぐ俺を見つめた。
「妾の仲間を救い、奴隷市場を壊滅させ、あの大艦隊すら一人で打ち破った。そなたほどの男、妾はこれまで見たことがない」
突然の大絶賛やった。
いや、照れるやん。女帝様にそこまで褒められたん、今回が初めてちゃうか?
「いやいや、グロリオーサも強かったで! 昨日の共闘、ほんまに楽しかったわ!」
「そ、そうか! そなたも、そう思うておったのか!」
「当たり前やろ! あんだけ強い女と一緒に戦える機会なんか、そうそうないで!」
グロリオーサの顔が、一瞬で真っ赤になった。
どうやら褒め返したんが、だいぶ嬉しかったらしい。
そのまま九蛇の戦士たちを振り返ると、彼女は一度だけ大きく頷いた。向こうの甲板では、何人かの戦士が両手を握り締めて見守っとる。
何や、これ。
今から船の進水式でも始まるんか?
俺が首を傾げとると、グロリオーサは意を決したように胸を張った。
「ガルド。妾は決めたぞ。そなたを妾の夫にしてやろう!」
……。
「……誰を?」
「そなたじゃ!」
「……イッツミー?」
「他に誰がおる!」
……。
……。
……。
ちょっと待てぇぇぇぇえええええええ!!
何でやねん!! 何でいきなり結婚の話になっとんねん!! さっきまで普通に別れの挨拶しとったやろ!! 俺、今から故郷へ人を送り届ける仕事があるんやぞ!? 結婚式の日取りなんか考えとる場合ちゃうねん!!
「いや、待って!? 今、何の話しとった!?」
「妾の夫になる話じゃ!」
「その前や!!」
「そなたの強さについてじゃな」
「何で強さの話から結婚に飛ぶねん!!」
「妾より強い男など、そうそうおらぬからじゃ!」
「強さで配偶者決めるんか!? 腕相撲大会の優勝商品みたいに言うなや!!」
すると、グロリオーサは少しだけ不満そうに眉をひそめた。
「強さだけではないぞ! そなたは仲間を信頼し、弱き者を守る。しかも、妾と剣を交えても臆することがなかった!」
「そら、剣を向けられたら受けるやろ!」
「そして、妾を打ち負かした!」
「それが結婚の決め手なん!?」
「決定打じゃ!!」
決定打て!!
俺、昨日の勝負で何に勝って何に負けたんや!?
助けを求めてダグを振り返ると、あいつはすでに甲板へ崩れ落ちとった。
「ぶっはははははは!! あかん!! 腹痛い!!」
「ダグゥゥゥ!! 笑っとらんと助けろや!!」
「お、お前……! 世界中の男が羨むような求婚を受けとるのに……! よりによって腕相撲大会って!!」
「ほな、お前が代わりに返事してくれや!!」
「嫌や!! 俺、女帝様に斬られたない!!」
そこだけ判断力発揮すな!!
「ガルド! おめでとう!」
横からミラまで拍手し始めた。
「おめでとうちゃうわ!! 俺、まだ何も返事してへんで!!」
「ええやん。あんた、昨日から女帝様のこと褒めまくっとったやろ?」
「強いから褒めたんや!!」
「しかも綺麗や言うてたやん?」
「言うたけど!!」
「ほな、ちょうどええやん」
「何がちょうどええねん!! 結婚って、買い物ついでに決めるもんちゃうやろ!!」
もうええ。ミラも頼りにならへん。
俺はゴルドへ視線を向けた。
「ゴルド! お前、人生の先輩として何か言うたれ!」
「そうやな……新婚用の船室、増築せなあかんな」
「話が早いわ!!」
ゴルドはすでに白羊号の船体を眺め、何やら寸法を測り始めとった。
おい。やめろ。
俺の知らんところで、勝手に新居を建てるな。
「ガロ! お前はどう思う!?」
「九蛇の女帝が嫁に来るんやったら、船の守りも盤石やな!」
「軍事同盟の話しとんのちゃうぞ!!」
あかん。
戦力として計算し始めよった。
「ネネ! せめてお前だけは――」
「いやあ、船長もついに春が来たんやねえ」
「診察せえや!! 女帝様の体調不良、診察するって話はどこ行ったん!!」
「診断なら、もうついたで」
「何や!?」
「恋煩い」
「治療法は!?」
「責任取ることやな」
「俺が患者になっとるやないかァァァ!!」
船医にまで見捨てられた。
もう嫌や。
今から一人で海へ逃げてもええかな。アカン能力者やった。
普通に溺れるわ。
「バオ!!」
俺は食料担当へ振り返った。
こいつなら、こんな騒ぎより晩飯の方が大事なはずや。
「お前からも何か言うたれ!」
「せやな。披露宴やるんやったら、最低でも何人分の飯が必要やろ」
「バオォォォ!!」
「九蛇の戦士が全員来るとしたら、相当な量になるな」
「献立考えるな!!」
「いや、今から準備せんと間に合わへんで?」
「開催決定しとらんわァァァ!!」
その横では、トーマとトーラが勝手に乾杯を始めとった。
「船長! 結婚式には呼んでくれよ!」
「新婚旅行は凪岩島か!?」
「父ちゃんへの挨拶、いつ行くんや!?」
「お前ら二人、何でそんなに楽しそうなん!?」
「そら、船長が結婚するんやから!」
「まだせえへんっちゅうねん!!」
しかも、双子の片方が、どこから持ってきたんか分からん花束まで差し出してきよった。
早い。
何もかも早い。
俺がまだ状況を理解できてへんのに、周りだけ勝手に披露宴へ向かっとる。
キットに助けを求めようとしたら、あいつはすでにマストの上からこっちを観察しとった。
「キット! お前まで何しとんねん!!」
「いや、船長の求婚現場、見晴らしのええところから見ようと思って」
「偵察対象を間違えとるぞォォォ!!」
さらにボンゴが、電伝虫を持って近づいてきた。
「ガルド! 凪岩島に速報入れとこか!?」
「やめろォォォ!! 父ちゃんに報告するなァァァ!!」
「いや、めでたい話やし」
「その前に本人の了承取れや!!」
俺の頭の中に、父ちゃんの姿が浮かんだ。
もし「九蛇の女帝に求婚されました」なんて報告したら、あの人、どんな顔するやろな。
……いや。
たぶん、最初に言うのは「そいつ、強いんか?」やな。
その次に「ほな、一回連れてこい」。
最後に、俺も含めて剣の稽古。
新婚旅行が地獄の稽古合宿になってまう。
それだけは阻止せなあかん!!
「ゼン!!」
俺は最後の希望を託して、会計担当へ振り返った。
「お前だけは、まともなこと言うてくれるよな!?」
ゼンは、しばらく真剣に考え込んだ。
そして。
「九蛇の女帝との婚姻となれば、交易面で非常に大きな利益が見込めるな」
「……。」
政略結婚の話すなァァァァァ!!
何でやねん!! 俺の結婚を交易協定みたいに扱うな!! そもそも、まだ付き合うとも言うてへんやろ!!
「それに、結婚祝いとして九蛇から物資の提供があれば――」
「計算すな!! 人の人生を帳簿に載せるな!!」
ゼンは俺の抗議を聞き流し、すでに新しい帳簿を開いとった。表紙には、何やら『九蛇との交易計画』と書かれとる。
仕事が早すぎる。
こんなところで有能さを発揮せんといてくれ。
最後にイヴォを振り返ると、あいつは上品な笑顔で一礼した。
「団長。外交上の正式な回答は、慎重になさることをお勧めいたします」
ありがとう!!
ようやく、まともな奴がおった!!
「ほな、どうしたらええ!?」
「まずは先方の意向を確認し、婚姻に伴う各種条件を整理したうえで――」
「結局結婚前提やないかァァァ!!」
あかん。
うちの乗員、全滅や。
今まであんなに頼りやった仲間たちが俺の人生相談になった途端、全員敵に回りよった。
しかも、九蛇の船では戦士たちがこっちを見ながら大騒ぎしとる。
「女帝様! おめでとうございます!」
「さすが女帝様! 求婚も堂々としておられる!」
「お相手は、あの嵐の男ですぞ!」
「きっと強い子が生まれますね!」
「まだ何も決まっとらんわァァァ!!」
俺は、両方の船へ向かって叫んだ。
海の上を、俺の声が虚しく響いていく。
四十二隻の大艦隊を一人で壊滅させた男が、たった一人の女帝に求婚されて、味方全員から集中砲火を浴びとる。
これ、冷静に考えたら、昨日の海戦より絶望的な状況ちゃうか?
―――
しばらくして、俺はようやくグロリオーサと向き合うことができた。
ダグたちは、まだ後ろで笑っとる。ほんま、あいつら、あとで覚えとけよ。
「なあ、グロリオーサ」
「な、何じゃ!?」
「俺ら、まだ出会って二日くらいやで?」
「日数など関係あるまい!」
「いや、あるやろ!!」
グロリオーサは、真っ赤な顔のまま胸を張った。
「妾は、そなたほどの強者を見たことがない。妾の剣を受け止め、妾を上回る力を持ち、それでいて仲間を信頼し、弱き者を守る。そのような男を、妾が放っておくと思うか!?」
真正面から言われると、さすがに照れる。
こっちはさっきから、仲間に散々からかわれとるんやぞ。そんなところへ本人から追撃が来たら、俺の精神がもたへんわ。
「いや、グロリオーサもええ女やと思うで。強いし、綺麗やし、仲間思いやし」
「……っ!」
「昨日、背中合わせで戦ったときなんか、めっちゃ頼もしかったしな」
「そ、そうか……!」
グロリオーサの顔が、さらに赤くなった。
その背後では、九蛇の戦士たちが小さく拳を握っとる。
何を応援しとんねん。
そんな目で見られたら、こっちまで緊張してまうやろ。
「せやけど、俺ら、お互いのことをまだ全然知らんやん。せやから、結婚の話は、もうちょい仲良うなってから考えようや」
これなら、問題ないはずや。
少なくとも、今ここで結婚を決めるよりは、よっぽどまともな判断やと思う。
ところが、グロリオーサは急に口元を緩めた。
「なるほど。つまり、妾との婚姻を拒絶しておるわけではないのじゃな?」
「まあ、今すぐ決められへんってだけで……」
「ならば、問題ない!」
嫌な予感がした。
「妾は、そなたに相応しい女であることを証明してみせよう! 次に会うときまでに、さらに腕を磨いておくぞ!」
「ちょっと待て!! 何で求婚の返事が修行の話になるん!?」
「妾がさらに強くなれば、そなたも文句はあるまい!」
「そういう問題ちゃうねん!!」
「では、何が問題じゃ!」
「まずは普通に仲良うなるところから始めようって話や!!」
「それならば、次に会うたときは十本勝負じゃな!」
「何でデートが決闘になるん!?」
あかん。
この人、ほんまに戦闘民族や。
何を言うても、最終的に剣の勝負へ戻ってくる。
いや、まあ、俺も強い奴と戦うんは好きやで?
でも、そういう話をしとるんちゃうねん。
「ほな、次に会うたら、とりあえず飯でも食おうや」
「……め、飯じゃと!?」
「せや。ゆっくり話でもしながらな」
「そ、それは……二人きりでか?」
「そら、二人で話した方がお互いのこと分かるやろ」
グロリオーサが、口を開けたまま固まった。
おい。大丈夫か?
「ガルド!!」
背後から、ダグの怒号が響いた。
「お前! 今、自分からデートに誘ったで!!」
「は!? 飯食うだけやろ!?」
「二人きりで飯食って、お互いのことを知るんやろ!? それをデートって言うんや!!」
「そうなん!?」
知らんかった。
俺、今、デートの約束してもうたんか。
グロリオーサは、さっきまでよりもさらに顔を真っ赤にしとった。
あかん。
これは、さすがにネネへ診てもらった方がええかもしれへん。
「グロリオーサ? ほんまに大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃ! 妾は、何も問題ない!」
「いや、さっきから顔真っ赤やで?」
「そなたが原因じゃ!!」
「俺!? 何でやねん!!」
また俺のせいにされた。
もう嫌や。
俺、何も悪いことしてへんやろ。
「とにかく! 次に会うたときは、妾と二人で食事をするのじゃな!」
「お、おう!」
「そして、剣の勝負もする!」
「結局それもやるんかい!!」
グロリオーサは、ようやく満足そうに笑った。
何やら、本人の中では全部決着したらしい。
俺だけが、置いてけぼりである。
まあ、ええか。
とりあえず、結婚式が今日やないことだけは確かやしな。
―――
「ガルド。これを受け取るがよい」
グロリオーサが懐から取り出したんは、小さな紙切れやった。
「何や? 結婚届?」
「何故そうなる!!」
「いや、さっきから結婚の話ばっかりやから……」
「ビブルカードじゃ!!」
あっ。
ビブルカードか。
そういや、そんな便利なもんがあったな。
持っとる本人の居場所を示してくれる特殊な紙や。前世の知識で存在は知っとるけど、実物を見るんは初めてや。
「これを持っておれば、妾がどこにおろうと、そなたなら辿り着ける」
俺は紙切れを受け取り、手のひらに乗せた。
すると、小さな紙がゆっくりと九蛇の船の方へ動き始めた。
「ほんまや。めっちゃ便利やん!」
「そなたも、いつか妾にビブルカードを渡すがよい」
「ええで! 作り方知らんけど!」
「そこは調べておけ!」
はい。
また怒られた。
せやけど、このビブルカード、これからの旅でも役に立ちそうやな。俺らが別々の海を進んどっても、これがあればまた会えるんやろ?
俺は、紙切れを大事に懐へしまった。
「ほな、グロリオーサ。また会おうや!」
「うむ。必ず再会するぞ!」
グロリオーサが力強く頷いた。
そのとき、ふと思いついた。
「なあ、そういや、お前の名前ってちょっと長いよな」
「……何じゃ、藪から棒に」
「毎回グロリオーサって呼ぶんも大変やし、何かあだ名つけてもええ?」
「あ、あだ名……!?」
グロリオーサの顔が、また赤くなった。
いや、今度は何やねん。ただ名前を短くするだけやで?
「そ、そのように妾を親しげに呼びたいと申すのか?」
「せや。仲良うなるんやったら、呼びやすい方がええやろ」
「……そ、そうか。ならば、特別に許してやらぬこともないぞ」
何や。
めっちゃ嬉しそうやん。
俺は、腕を組んで考えた。
グロリオーサ。
グロリオーサ。
グロ……。
あっ。
ええの思いついたわ。
「ほな、グロちゃんで!」
「誰がグロちゃんじゃァァァァ!!」
次の瞬間、覇気をまとった拳が飛んできた。
「うおおおおお!? 何でやねん!?」
俺は、慌ててその拳を受け止めた。
おいおいおい!!
さっきまであんなに嬉しそうやったやん!!
何であだ名つけた瞬間に攻撃してくるん!?
「グロちゃんって何じゃ!! 何故、よりによってそこを取る!!」
「いや、最初の二文字やし、覚えやすいやん!」
「もっとほかにあったじゃろうが!!」
「ほな、グロっち?」
「同じじゃァァァ!!」
「グロさん?」
「余計に嫌じゃ!!」
「グロリオちゃん?」
「もはや何を目指しておるのじゃ、そなたは!!」
あかん。
全然お気に召さへんらしい。
何やねん。俺、あだ名考える才能ないんかな。
しかも、後ろのダグたちが大爆笑し始めとる。
「ぶっはははは!! グロちゃん!!」
「ちょっと可愛いやん!!」
「ガルド、お前、ほんまに命知らずやな!!」
おい、ダグ。お前までグロちゃん言うたら、女帝様に斬られるで。
俺がそう思った瞬間、グロリオーサがダグへ鋭い視線を向けた。
「そこの副船長!!」
「はいっ!!」
ダグが、ものすごい速さで姿勢を正した。
「妾をその名で呼ぶことは許さぬぞ!!」
「了解しましたァァァ!!」
何やねん。
普段、俺にはあんなに偉そうなくせに、女帝様にはめっちゃ従順やんけ。
「ほな、グロリオーサ。結局、何て呼んだらええん?」
「……ローサじゃ」
「ん?」
「ローサと呼べ、と申しておる!」
グロリオーサは、ぷいっと顔を背けた。
ただし、耳まで真っ赤や。
……ああ。
なるほど。
ローサ。
確かに、そっちの方が呼びやすいな。
「分かった! ほな、これからはローサやな!」
「う、うむ! それでよい!」
俺が笑うと、ローサは満足そうに頷いた。
せやけど、何やろな。
急に親しみやすくなった気がするわ。
「なあ、ローサ」
「な、何じゃ!?」
「次に会うたときは、絶対もっと強うなっとけよ!」
「当然じゃ! そなたこそ、妾を失望させるでないぞ!」
俺は、ニヤリと笑って手を差し出した。
「ほな、約束や!」
ローサは、その手をしっかり握り返した。
昨日、あんなに本気で斬り合った相手と、今日はこうして握手しとる。
ほんま、何が起こるか分からんもんやな。
ちなみに、その握手の瞬間、九蛇の船から凄まじい歓声が上がった。
「女帝様が、ローサと呼ぶことをお許しになられた!!」
「ガルド殿だけの特別な呼び名ですぞ!!」
「これで婚約成立ですか!?」
「成立してへんわァァァァ!!」
何で名前を短くしただけで婚約せなあかんねん!?
世界中のローサさん、全員既婚者になってまうやろ!!
グロリオーサ改めローサは、俺の手を握ったまま、やたらと嬉しそうにしとった。
いや、ちょっと待て。
「ローサ。そろそろ手、離してくれへん?」
「……もう少しじゃ」
「いや、九蛇の船、出航するんやろ?」
「もう少しじゃ!」
「どんだけやねん!!」
その横で、ミラが腕を組んだまま笑っとった。
「ガルド。あんた、ほんまに罪な男やな」
「何もしてへんやろ!!」
「本人にだけ特別な呼び名を許されて、二人きりの食事まで約束しとるやん」
「せやけど、結婚はまだやで!?」
「『まだ』なんや」
「言葉尻を取るなァァァ!!」
完全に墓穴を掘った。
しかも、ローサがその一言を聞き逃すわけがない。
「うむ! 妾も、その『まだ』という言葉、しかと覚えておくぞ!」
「忘れてくれてええで!?」
「断る!!」
あかん。
この人、ほんまに強い。
剣でも強いし、押しも強いし、話の主導権まで全部持っていきよる。
昨日は雷になって背後を取れたのに、今日は一歩も逃げられる気がせえへん。
「ローサ。次に会うまで、達者でな」
「うむ。そなたもな。妾との約束、決して忘れるでないぞ」
「分かっとる! 飯と剣の勝負やろ!」
「婚姻の話もじゃ!!」
「まだ決まってへんっちゅうねん!!」
最後まで、一歩も譲らへん女やった。
―――
ようやく握手から解放され、ローサは九蛇の船へ戻っていった。
向こうの甲板では、戦士たちが女帝様を盛大に迎えとる。
「ローサ様! おめでとうございます!」
「やかましい! その名で呼んでよいとは言うておらぬ!」
「ええっ!? ガルド殿だけなのですか!?」
「そ、そうじゃ! 何か文句があるか!?」
……おいおい。
俺だけなん?
何や、それ。
特別扱いされとるみたいで、ちょっと照れるやん。
もっとも、照れとる場合やない。ローサは俺と目が合うなり、満面の笑みを浮かべて大きく手を振ってきた。
「ガルド! 必ず迎えに行くぞ!!」
「いや、迎えに来るって何や!? 俺、どこにも嫁がへんで!?」
「そなたが来ぬなら、妾が行くまでじゃ!!」
「そういう問題ちゃうやろ!!」
ダグが隣で、また腹を抱えて笑い始めた。
「ぶっはははは!! ガルド!! お前、完全に逃げ道塞がれとるやんけ!!」
「お前、戦場指揮が得意なんやろ!? この包囲網、何とかしてくれや!!」
「無理や!! 相手が悪すぎる!!」
何やねん。
四十二隻の敵艦隊は見事に捌いたくせに、女帝一人には白旗かいな。
せめて、もうちょい頑張ってくれや。
俺がそんなことを考えとる間に、九蛇の船がゆっくりと動き始めた。
ローサは船尾に立ち、最後までこっちへ手を振っとった。
「またな、ガルド!!」
「おう! またな、ローサ!!」
その名前を呼んだ途端、彼女がものすごく嬉しそうな顔をした。
九蛇の戦士たちからは、また歓声が上がっとる。
何や。
名前を呼んだだけやのに、えらい盛り上がるな。
まあ、ええか。
きっと、向こうでは女帝様のあだ名が珍しいんやろ。
こうして、九蛇海賊団は満足げな女帝様を乗せ、故郷へ向かって出航していった。
俺は、遠ざかる船を見送りながら、深々とため息をついた。
「ダグ。俺、今回の黒檻島で、ほんまに大変な目に遭うたわ」
「海楼石の罠か?」
「いや」
「四十二隻の大艦隊か?」
「いや」
「……ほな、何や?」
「女帝様や」
ダグは、しばらく俺の顔を見つめた。
そして、今日一番の大笑いを始めよった。
「ぶっはははははは!! お前、完全に惚れられとるやんけ!!」
「せやから、まだ結婚は決まってへんって!!」
「ほな、何でローサって呼んどるんや!?」
「本人がそう呼べ言うたんやろ!!」
あかん。
こいつ、あとで絶対しばいたろ。
ちなみに、俺はまだ知らんかった。
この日交わした『ローサ』という呼び名と、二人きりの飯の約束が、これから先、俺の人生をどれほど騒がしくすることになるのかを。
知っとったら、あのとき『グロちゃん』で押し通しとったかもしれへん。
……いや。
それはそれで、確実に斬られるな。
どっちに転んでも地獄やないか!!
ひとまず黒檻島編はここまで。蛇足編に続きます。