沖縄編開始です。
第二十五話〜仕返し〜
五月のゴールデンウィークから、季節の針は一気に進んでいき、七月の夏の景色に移り変わっていた。
その間、学校では、麗美の先回りと、それに応える鬼塚の破天荒な包容力、更にみやび達の協力によって、三年四組を襲うはずだった陰湿なトラブルは、面白いように未然に潰されていき、既に全員がしがらみから解放され、心から笑えるようになっていた。
そして、以前までは最低最悪とまで言われていた三年四組はかつてないほど穏やかに、学校内でも最も仲の良い最高のクラスとして沖縄の臨海学校へと出発した。
ただ一人、朋子だけは仕事の都合で不参加だったが――。
ー
ー
ー
宿泊先のロビーで、麗美とみやびは並んでソファに腰を下ろしていた。
「ふふ。那覇に着いた時はどうなるかと思ったけど、今のところ順調ね」
「本当よ。というか、あの時の朋子の顔を思い出しちゃったわ。あの子ったら……」
二人は臨海学校直前の学校での出来事を思い出し、小さく吹き出した。
沖縄に行けないと思い出した瞬間、この世の終わりのように泣き出した朋子を、麗美とみやびが「お土産、たくさん買ってきてあげるから」とあやしたときのことだ。
現金な朋子は一瞬で喜びを爆発させ、あろうことか嬉しさのあまり犬のように二人のまわりを四足歩行で『キャンキャン!』と走り回っていた。
あの純粋すぎる奇行を思い出すだけで、南国の暑さも少し和らぐ気がした。
しかし、そんな和気藹々と会話する生徒たちの平和な空気とは対照的に、担任の鬼塚英吉だけは、白シャツの襟をがしがしと引っ張りながら、深刻な顔で悶絶していた。
(クソッ……大問題発生だ……!)
問題の元凶は、部屋割りだった。
鬼塚の脳裏をたびたび襲う「夢のノイズ」。
その奇妙な残像の中では、彼は麗美の部屋割りに困り、『あいつは男みたいなもんだからセーフ!』などとバカな供述をしながら、ガンダム三兄弟の野郎部屋に彼女を容赦なくぶち込んでいた。
もちろん、それはただの不吉な夢の断片でしかない。
しかし、今の鬼塚にそんな真似ができるはずがなかった。
(できるわけねぇだろ、バカヤロー!! あいつは……麗美は、俺の、その……本気で付き合ってる、れっきとした女の子なんだぞコラァ!!)
いくら無害なガンダム三兄弟とはいえ、多感な男子の部屋に自分の彼女を数日間も寝泊まりさせるなど、一人の男としての理性が全力で拒絶していた。
絶対に、一秒たりとも他の男どもと同じ部屋になどしたくない。
かと言って、女子の部屋割りを今から動かすことも不可能だった。
三年四組の女子たちは、すでに一分の隙もなく完璧な振り分けを終えてしまっている。
朋子も参加出来ていれば麗美と二人部屋で良かったのだが、いかんせん仕事の事情で不参加となっている。
朋子の芸能界入りを手助けしたことがこういう形で裏目に出るとは思わず、かといって防犯の観点から麗美だけ一人部屋にする訳にもいかず、鬼塚は表情を更に険しくする。
「おい、鬼塚。さっきから何難しい顔してんだよ。エロ本でも落としたか? それとも、彼女にまた何かされたのか?」
隣で村井がニヤニヤしながら小突いてくる。
「うるせえ村井! 男にはなぁ、脳細胞が沸騰するほどの深刻な悩みってやつがあんだよ!」
「へーへー。何が深刻な悩みだよ。 どうせ部屋割りの書類が間に合ってないとかいうしょうもないことだろ。菊地ー、先生を助けてやれよ」
「断るよ。俺に泣きつかれても困るからな」
離れた席から持参したノートパソコンを叩く菊地が、眼鏡の奥の目をすっと細めてこちらを見ていた。
鬼塚の葛藤の理由を百パーセント察して、面白そうに口元を歪めている。
(あいつ、絶対に全部知ってて楽しんでやがるな……っ!)
鬼塚は必死に頭を回転させていた。
麗美をガンダム三兄弟の部屋に入れないための、現実的かつ最も安全な代替案。
それは一つしか思いつかなかった。
「……そうだ、冬月ちゃんの部屋だ!」
同じ三年四組の引率教官であり、真面目で常識人の冬月あずさの部屋なら、麗美を預けるのにこれ以上ない適任だ。
鬼塚は「これぞ名案!」とばかりに、ロビーのソファから立ち上がった麗美の元へとドタドタと駆け寄った。
「お、おい神崎! 朗報だ! お前の部屋割りなんだがな、冬月ちゃんにお願いして、先生の部屋のツインの片側に泊めてもらうことになったからよ! それなら女子一人でも安心だろ!?」
完璧な解決策を提示したつもりの鬼塚。
しかし、麗美はラフな涼しげなシャツの襟元を軽く整えながら、冷ややかな、しかしどこか楽しげな視線を鬼塚に送った。
「嫌よ」
「……え?」
「断るわ。あたし、冬月先生の部屋になんか入らない」
「な、何でだよ!? 冬月ちゃんだぞ? 優しくて綺麗で、お前のことも心配してくれてる最高の先生じゃねえか!」
麗美はミニスカートの裾を揺らし、スラリと伸びた美しい生脚で一歩、鬼塚に歩み寄った。
そして、周囲に聞こえないような低い声で、けれど有無を言わせない確固たるトーンで告げた。
「あの先生、真面目すぎて夜中まで林間学校のスケジュール確認や生徒の体調管理でバタバタしてるのよ。あたしの計算だと、そんな部屋にいたら頭が休まらないわ」
――というのは、もちろん麗美が並べ立てた完璧な「体裁上の理由」に過ぎなかった。
実際のところ、麗美の本音はもっとシンプルで、かつ極めてプライベートな独占欲に基づいている。
この世界で、麗美はすでに鬼塚と本気で付き合っているのだ。
いくら鬼塚の仕事の同僚とはいえ、自分の『恋敵』である冬月あずさと、わざわざ同じ部屋で数日間も一緒に過ごすなど、プライベートの感情として絶対に真っ平ご免だ。
「それに……何より、あたしが沖縄で一緒に夜を過ごしたいのは、冬月先生じゃないもの」
「う、うぐっ……! じゃ、じゃあどうすんだよ! 他の部屋はどこも満室だし、まさかガンダム三兄弟の男部屋に――」
「それこそ論外ね。あんた、あたしをオタク達の野郎部屋に放り込もうとでも考えてたの? ……あたしを他の男の部屋に入れたくなくて、さっきからずっとオロオロしてたのは、どこの誰かしら?」
麗美はいたずらっぽくオッドアイの瞳を細め、フッと距離を詰めてくる。
南国の熱気の中に、彼女の甘いシャンプーの香りが混ざり合う。
冬月先生のカードをあっさりと拒絶され、さらに自分の無意識の独占欲を完璧に見抜かれ、鬼塚は完全に退路を断たれた。
「……あ、あのよ、神崎。 じゃあ、もう本当に、ここしか空いてねえんだよ」
「どこが?」
「……俺の、引率教官用の部屋」
「へえ……」
麗美の唇の端が、綺麗な弧を描いた。すべてはIQ200の彼女の計算通り。
冬月先生の部屋を徹底的に嫌がり、鬼塚がこうして自分の部屋に入れるしかなくなるルートを、彼女は完璧に手繰り寄せていたのだ。
恋敵を回避し、最愛の男の部屋を独占する――まさに一石二鳥の完璧な勝利だった。
「それって、つまり……あたしとあんたが、数日間、同じ屋根の下で二人きりで夜を過ごすってこと?」
「ち、違う! 断じて下心じゃねぇ! ただの緊急避難だ! 学校では『神崎』、プライベートでは『麗美』ってケジメをつけてる俺が、お前に手を出すわけねぇだろ!」
「ふふ、声が大きいわよ。 いくらあたし達の関係を知ってる人しか周りに居ないといってもそれがバレたらあんたは嫌でしょ?……でも、良いわよ。あたしを他の男の部屋に入れたくなくて、そうやってドギマギして悩んでくれたんだもの。……その緊急避難、喜んで受け入れてあげる」
麗美は一歩近付くと、鬼塚の大きな手のひらから、最上階の部屋の鍵をすっと指先で奪い取った。
そして、その美しい生脚をわずかに揺らしながら、耳元で小悪魔のように囁く。
「学校の建前(神崎呼び)は守ってあげる。……でも、そのドアを閉めたら、そこは完全にプライベートね。覚悟しておいて、せ、ん、せ、い?」
「うぐっ……っ!!」
麗美が鍵を指でくるくると回しながら、満足そうに最上階の部屋へと歩いていく。
その完璧な後ろ姿を見送りながら、鬼塚は真夏の太陽の下で、「これ、俺の理性が臨海学校の終わりまで持つのか……?」と、本気で武者震いを始めるのだった。
みやびは、その後ろ姿を穏やかに静かに見送っていた。
杏子は、吉川と同じ部屋となったことを内心では喜びながらも、まだ少し心配そうにしていた。
吉川は、そんな彼女を気遣う。
村井は、鬼塚と麗美のやり取りにニヤニヤしながら言った。
「……鬼塚も、大変だな」
草野が、小さく笑った。
藤吉も腕を組んだまま苦笑した。
菊地は、ノートパソコンを閉じながら、小さく笑い言った。
「……面白くなるね、これは」
クラスの一部は、まだざわついていた。
でも、麗美は、ただ小さく笑っていた。
ー
ー
ー
沖縄の臨海学校、初日の夜。
夕方に生徒全員で行われたオリエンテーションと、内山田教頭が地元のハブに怯えて発狂したバーベキュー大会がようやく幕を閉じ、夜の帳がすっかりと降りた頃。
最上階にある広々とした引率教官用のツインルームに、鬼塚英吉は一人、完全に魂の抜けた顔で硬直していた。
パタン、と重厚な玄関のドアが閉まったあの瞬間から、この部屋は完全に二人のための密室となった。
「クソッ……あいつ、風呂長ぇな……。何分入ってんだよ、もう四十分は経ってんぞ……っ」
鬼塚は、部屋に備え付けられた一人用のソファに深く腰掛け、不自然なほど背筋をピンと伸ばしたまま、テレビの画面を凝視していた。
画面の中で流れているのは、沖縄のローカルな深夜番組だ。
ゴーヤの栽培方法について熱く語るおじさんの映像など、一ミリも頭に入ってこない。
耳が勝手に、洗面所の奥から聞こえてくるかすかな水の音、およびシャワーの振動をリアルに拾ってしまう。
そのたびに、一糸纏わぬ姿の麗美の入浴シーンを想像してしまい、鬼塚の脳細胞は沸騰寸前の熱を帯び、ワークシャツの襟元を何度も指で引っ張ってガシガシと風を通した。
(落ち着け……落ち着け俺……! 相手はIQ200の天才だぞ。へタな真似してみろ、明日には、俺の人生のデータごと跡形もなく消去されてこの沖縄の海のもずくにされる……ッ!)
動揺から藻屑をもずくと間違え(ただ馬鹿なだけかもしれない)、必死に煩悩の化身と戦い、心の中で般若心経を唱える鬼塚の脳裏に、不意にまた、あの不吉な「夢のノイズ」がよぎった。
みやびによって出生の秘密を暴露され、絶望の果てにあの真っ白な屋内スキー場の冷気の中で凍えて死のうとしていた光景。
何故か死にかけて病院のベッドが植物状態になっている自分に絶望し、後を追おうと、泣きながらカッターで自身の手首を切り、自殺を図ろうとした光景。
(……あんな冷たい思いや、怖い思いは、こいつには二度とさせねぇ。何があっても、俺が絶対にこいつを守るって決めたんだ)
無意識の過保護さと、一人の男としての凄まじい煩悩。
その二つの感情が、鬼塚の胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、奇妙な武者震いとなって全身を駆け巡る。
数分後、カチャリ、と静かな部屋に、洗面所のドアが開く小さな音が響いた。
途端に、南国の生ぬるい夜気を一瞬で塗り替えるような、きめ細やかな湯気とともに立ち上る極上の甘いシャンプーの香りが、リビング全体へとふわリと広がっていく。
「お待たせ、英吉。ずいぶん行儀よく座ってるのね。……テレビ、そんなに面白いの?」
背後からかけられた、鈴を転がすような涼しげな声。
鬼塚が恐る恐る、オイル切れのロボットのようにギギギと首を回すと、そこには昼間のラフなシャツ姿をさらに過激にアップデートした、破壊力抜群の『部屋着姿』の麗美が立っていた。
「う、うおっ……おま、お前……その格好……ッ!!」
鬼塚は思わずソファから天井に頭をぶつけるほどの勢いで飛び上がり、背もたれを盾にするようにして叫んだ。
麗美が身に纏っていたのは、肩紐が細く心許ない、薄手のルーズなキャミソール。
大人の女性へと脱皮しつつある、しなやかなデコルテラインが露わになっている。
そしてボトムスには、スラリと伸びた長い生脚をこれでもかと強調する、驚くほど丈の短いショートパンツを穿いていた。
エアコンの風に揺れるキャミソールの隙間。
および、短い短パンの裾から覗く、滑らかな太ももの境界線――。
完璧な素肌の『際どいライン』が、部屋の柔らかな間接照明を浴びて、信じられないほどの妖艶な光を放っている。
風呂上がり特有の、ほんのりと上気した桜色の肌が覗き、細い首筋からは未だ乾ききっていない水滴が、一筋、鎖骨へと伝い落ちていた。
「なによ、そんなに驚いて。あたしの部屋着、何か変かしら?」
「変とかそういう次元じゃねえだろバカヤロー!! お前、ここがどこだか分かってんのか!? 引率教官の部屋、つまり男の部屋だぞオラァ! なんだそのキャミソールは! なんでそんな短パン穿いてんだよクソッ!」
「ふふ、これ? 暑い夏の沖縄だもの、完璧な涼しさ重視のルームウェアよ。……それとも、何か不都合でもあるの?」
一歩、また一歩と、すらりと長い生脚をわずかに揺らしながら、麗美が妖麗な笑みを浮かべて鬼塚の方へと距離を詰めてくる。
明らかに確信犯である。
風呂上がりの彼女の体温が混ざり合い、鬼塚の鼻腔をダイレクトに直撃した。
「おい、来るな! 来るんじゃねぇ! 離れろ神崎!」
「学校の外、しかもこの部屋の中では『麗美』って呼ぶ約束でしょ? え、い、き、ち?」
麗美はソファの背もたれに、すっと両手を突いた。
鬼塚を完全にキャビネットとソファの間に追い詰めるような形で、二人の距離は、五月の観覧車でのデートの時を遥かに超える『ゼロ距離』へと突入する。
麗美が少しだけ小首をかしげると、結び目を解かれたサラリとした金髪が、鬼塚のワークシャツの胸元に触れた。
至近距離で見つめてくる彼女の大きなオッドアイ、およびキャミソールの隙間から覗く眩しい肌は、鬼塚の狼狽ぶりを完全に楽しんでいる、最高に愉悦に満ちた小悪魔のそれだった。
「ふふ。 ねえ、英吉。さっきから、何がそんなに気になるの?」
「き、気になるに決まってんだろーが! こっちは二十二歳の、ピチピチのド健康な男子だぞ!? そんな距離で……そんな、際どい格好で見せつけられたら、俺の理性が、限界突破して、お前をどうにかしちまうかもしれないんだぞオラァ!!」
「ふーん……どうにか、ね。たとえば……どんな風に?」
麗美はさらに一歩踏み込み、自身のキャミソールの胸元が鬼塚の腕に微かに触れるほどの位置で、上目遣いに彼を見上げた。
「あたしは別に、あんたになら、どうにかされたって構わないんだけどなー……」
「お、おい待て! その目はマジなやつだろ!?」
「気になるなら……もっと近くで見てみる?」
麗美はキャミソールの肩紐をずらし、そのまま下に下げようとする。
「うわあああああ!! み、見たい! 見たいけど! 止めろ! 止めてくれえええ!! 通報されるわ、俺の教員免許が剥奪されるわあああ!!」
鬼塚が本気で頭を抱えて悲鳴を上げ、バッと顔を両手で覆い隠してガタガタと震え出した。
その瞬間、麗美はくすくすと喉を鳴らして、キャミソールを元に戻すと、弾けるような声を上げて笑い出した。
「ふふ、あはははは! 本当に面白いわね、あんたって。元の不良の特攻隊長が、中学の一女子生徒の部屋着姿くらいで、そんなに本気で怯えるなんて! 初々しくて最高!」
麗美は満足そうにソファから離れ、ダブルベッドの上に腰を下ろした。
実は、この麗美の過激なお色気攻撃には、隠された本当の理由があった。
前の世界の沖縄臨海学校初日。
鬼塚によって、よりによってあのオタク男子三人衆『ガンダム三兄弟』の野郎部屋に放り込まれた麗美。
彼らのノンストップなガンダムマニアックトークには、IQ200の頭脳を持つ麗美ですら一ミリもついていくことができず、多大な精神的苦痛を味わった。
ようやく寝る時間になっても、夢の中でまでモビルスーツの駆動音にうなされ、初日は一分も眠れずに完全な睡眠不足に陥ったのだ。
その後、前の世界の鬼塚に様々な報復はしたが、その時のことをこの世界でも沖縄に来たことで思い出し、内心で苛立っていた為、この世界の鬼塚に見事白羽の矢が立ってしまったのである。
(あの時の恨み、ここでしっかり晴らさせてもらうわよ、英吉。 恨むんなら前の世界のあんたを恨むことね……今日は絶対に寝かしてやらないんだから)
もちろん、この世界の鬼塚にしてみれば、やらかしてもいない罪による、完全なとばっちりである。
しかし、麗美の計算通りの仕返しは見事に炸裂していた。
「冬月先生の部屋を断ったのもね、ただスケジュール管理がどうとかって理由だけじゃないのよ。あんたが、あたしを他の男の部屋に入れたくなくて一人でオロオロして、最終的に自分の部屋に入れるしかないって腹をくくる瞬間が見たかったから」
麗美はシーツの上にコロンと横になると、クッションを抱きしめながら、いたずらっぽい瞳でソファの鬼塚を見た。
「さ、英吉。疲れてるでしょ? こっち来てあんたも早く横になりなさいよ。ソファじゃ疲れも取れないわよ?」
「行くかバカヤロー!! 俺はこっちのソファで十分だ!! ほら、さっさと寝ろ!!」
「えー……来てくれないの……あたしのこと嫌いになった?……」
「うっ!?……だああぁ!! わかった、わかったよ! 一緒に寝りゃ良いんだろ! 寝りゃ!」
先程から打って変わって泣きそうな声になる麗美に、鬼塚は慌ててテレビを消すと、部屋の照明を真っ暗に落とし、麗美の居るベッドに向かい、そのまま布団に入る。
その様子に同じく布団に入りながらチョロいとほくそ笑む麗美。
「それじゃおやすみ英吉」
「お、おう」
「大好き❤」
「っ!?………」
不意に麗美からキスをされ、瞬時に固まる鬼塚。
ー
ー
ー
それからしばらく経ち、鬼塚の地獄の深夜が始まった。
暗闇の中、エアコンの静かな稼働音だけが響く。
隣からは、麗美の小さく規則正しい、実につまらなそうなくらいに深い寝息が聞こえてくる。
ガンダム三兄弟の悪夢を乗り越え、最愛の男のすぐ隣という完璧な安全圏を手に入れた麗美は、更に自身と彼の片手を繋ぎ、心底リラックスして大満足の熟睡モードに入っていた。
しかし、鬼塚は違った。
目を閉じれば、風呂に入る麗美の姿の妄想や、さっき至近距離で見たキャミソールの隙間の眩しすぎる肌や、スラリと伸びた生脚の残像、寝る前にされたキスなど様々な光景が網膜にこれでもかとフラッシュバックする。
さらに、寝返りを打つたびにシーツが擦れるかすかな音、そこから漂ってくる甘いシャンプーの香りが、彼の理性を一秒ごとにゴリゴリと削っていった。
トドメは片手を繋がれている為、全く逃げることすら出来ないという……正に詰みの状態である。
(寝れねぇ……ッ! 全く寝れねえぞクソっ!! なんだってあいつはこんなにスヤスヤ寝てんだよバカヤロー!!)
羊を数えてもゴーヤを数えても、脳内を過激な姿の麗美が横切るだけ。
しかも、先程のようにキャミソールを脱ごうとするのだ……
結局、鬼塚は己の凄まじい煩悩と、夢のノイズから来る「絶対に守る」という義務感の板挟みに遭い、一睡もできないまま、窓の外がじわじわと白んでいくのを見つめる羽目になった。
逆に麗美は100%のエネルギーをチャージしきっているにも関わらず、尚も過充電を続けていた。
ー
ー
ー
翌朝。
ピピッ、とアラームが鳴ると同時に、麗美は弾けるような完璧な笑顔で目覚めた。
「おはよう、英吉。すごくよく眠れたわ。やっぱりあんたの隣って最高ね」
「……お、おう。そりゃよかったな、麗美……」
対照的に、目の下にドス黒いクマを浮かべ、完全に干からびたゾンビのようになった鬼塚は、ガタガタと震える声でそう返すのが精一杯だった。
同時に煩悩に打ち勝った自身を褒め称え、完全に燃え尽き、真っ白となった。
真夏の沖縄、二日目の朝。
麗美の完璧な仕返しを喰らった鬼塚は、徹夜明けのふらふらな体を引きずりながら、食事後の眠気と戦いながら、最悪のコンディションで三年四組のビーチ海水浴の引率へと向かうのだった。