もしも毛利小五郎が常に本領発揮して捜査一課長になっていたら?という妄想です
※作者にわかかつAI利用のため細かい矛盾点などがあるかもしれませんが多めに見てください

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第1話

米花町の夜は、いつも少しだけ湿り気を帯びている。

警視庁本部庁舎、八階の一課長室。

 

使い込まれた革張りの椅子に深く腰掛け、毛利小五郎は煙草の煙を天井に向けて吐き出した。卓上の灰皿には、すでに短くなった吸い殻が三本。

 

「……明日の非番、本当に取れそうですか?」

 

ドアをノックして入ってきたのは、目暮十三警部だった。

手には分厚い捜査資料のファイルを抱えている。

 

小五郎は煙草を指に挟んだまま、苦笑交じりに肩をすくめた。

 

「目暮、お前がその重そうなファイルを抱えて入ってきた時点で、俺の非番は半分消し飛んだようなもんだよ」

 

「申し訳ありません……。ですが、明日から蘭さんと工藤新一君がトロピカルランドへ行く予定だと伺っていましたので」

 

「まあな。蘭は一か月前から楽しみにしてやがった。新一の奴が都大会で優勝した祝いだとか何とか言ってな……。あいつは相変わらず調子に乗ってるか?」

 

「相変わらずですよ。先日も東都銀行の強盗事件で、我々が到着する前に解決してしまいましてね。メディアは『平成のホームズ』だの『日本の警察の救世主』だの大騒ぎです」

 

目暮が困ったように笑うと、小五郎はフッと息を漏らし、煙草を揉み消した。

 

「救世主、ねえ……。現場の鑑識や足で稼いだ捜査員の苦労を横取りして新聞の一面を飾るなんざ、生意気なクソガキ以外の何物でもないさ。……まあ、推理の筋道だけは確かに一筋縄じゃいかんがね」

 

小五郎の目は、笑っていなかった。

 

「現場を荒らさず、証拠の優先順位を正確に見極める。あの歳のガキにしては目が肥えすぎている。……目暮、報告書を置いていけ。今夜中に目を通しておく」

 

「感謝します。助かります」

 

目暮が礼をして部屋を出ていくと、室内は再び静寂に包まれた。

小五郎はポケットから携帯電話を取り出し、見慣れた番号に発信した。

二回の呼び出し音で、相手が出た。

 

『もしもし、小五郎? こんな時間に珍しいじゃない』

 

落ち着いた、しかしどこか芯のある女性の声。妻の妃英理だ。

 

「英理か。今日の夕飯は何だ?」

 

『あら、今日は家に戻ってくる気? 蘭は明日トロピカルランドに行く準備で、もう買い出しを終えて自分の部屋にこもってるわよ。夕飯は私が作ったロールキャベツだけど……』

 

小五郎の背中に、冷や汗が一筋流れた。

 

「……いや、待て。英理、お前、隠し味に妙なワインとか変なハーブとか入れてないだろうな?」

 

『失礼ね。隠し味は特製のマスタードソースとチョコレートよ。完璧な味付けなんだから』

 

「……すまん、やっぱり今夜は庁舎の地下食堂でラーメン食ってから帰る」

 

『なによ、人がせっかく作ってあげたのに! 相変わらず味覚が粗野なんだから……。まあいいわ、書類の整理が終わったら早く帰りなさいよ。蘭も待ってるんだから』

 

「ああ。……じゃあな」

 

通話を切り、小五郎は小さく息を吐いた。

法曹界の女王と恐れられる弁護士の妻と、空手で都大会を制する娘。

そして日々の激務。

 

「やれやれ……殺人犯の相手をする方が、よっぽど気が楽だぜ」

 

小五郎は上着を羽織ると、机の上の書類を整え、部屋の明かりを消した。

これが、すべての始まりの夜だった。

 

 

翌日。夕刻。

小五郎は自宅の居間で、缶ビールを片手にテレビのニュースを眺めていた。

 

休日とはいえ、携帯電話はいつでも出られるよう胸ポケットに収めてある。

 

英理はリビングのテーブルで法律書類の精査をしており、室内には静かな紙のめくる音だけが響いていた。

 

「……遅いわね、蘭」

 

英理が時計に目をやる。時刻は午後七時を回っていた。

 

「トロピカルランドから米花町までは、電車を使えば三十分もかからん。まあ、あいつのことだ、新一のガキと買い食いでもして遅くなってるんだろう」

 

「でも、あの二人、ジェットコースターで事件に巻き込まれたって目暮警部から連絡があったんでしょ? 無事に終わったとはいえ、女の子をこんな時間まで引きずり回すなんて、新一君も少し配慮が足りないわ」

 

「事件か……」

 

小五郎の目がわずかに細くなった。

 

先ほど目暮から入った簡易報告によれば、トロピカルランドのジェットコースター車内で発生した首切断殺人事件。

 

容疑者は複数いたが、工藤新一の推理により、被害者の元恋人である女性の仕業と判明。

 

凶器はピアノ線とフックを利用した仕掛けで、事件自体はすでに解決し、現場検証も終了している。

 

だが、目暮の報告の中に、小五郎の引っかかる点が一つあった。

 

『――事件現場の乗客の中に、全身黒づくめの不審な男が二人おりましてね。新一君がやたらと気にとめていた様子でしたが、事件とは無関係だったため、身元を確認した上で引き揚げさせました』

 

黒づくめの二人組。

 

直感が、かすかな警鐘を鳴らしていた。

その時、玄関のドアが開く音がした。

 

「ただいま……」

 

弱々しい声。蘭だった。

 

「蘭! 遅かったじゃない。……どうしたの、その顔?」

 

英理が立ち上がり、玄関へ向かう。

 

小五郎も缶ビールを置き、ゆっくりと廊下へ出た。

 

蘭の表情は暗く、どこか怯えたように肩を落としていた。

 

「お母さん……お父さん……」

 

「新一はどうした? 一緒じゃなかったのか?」

 

小五郎が静かな声で尋ねる。

蘭は首を横に振った。

 

「うん……。事件が終わった後、新一、急に走っていっちゃって……。『先に行ってろ』って言われたんだけど、待っても待っても戻ってこなくて……。新一の家に電話しても誰も出ないし……」

 

「途中でいなくなっただと?」

 

「うん……。なんだか、事件の時、黒い服を着た男の人たちをすごく気にしていたの。その人たちを追いかけていっちゃったみたいで……」

 

小五郎の眉間に深いシワが刻まれた。

 

「黒い服の男……。目暮が言っていた連中か」

 

「父さん、新一になんかあったのかな……。あんな風に急にいなくなるなんて、今までなかったのに……」

 

蘭の瞳に不安の涙が浮かぶ。小五郎は蘭の肩にポンと手を置いた。

 

「心配するな、蘭。あの生意気なガキがそう簡単にどうにかなるかよ。どこかで推理に夢中になって、時間を忘れているだけだ」

 

「でも……」

 

「英理、蘭を部屋に連れていって温かいものでも飲ませてやれ。俺はちょっと出かけてくる」

 

英理は小五郎の目を見た。夫が「警察官」の顔になっていることを、長年の付き合いで瞬時に悟った。

 

「……気をつけてね、小五郎」

 

「ああ」

 

小五郎は上着を掴むと、夜の街へと飛び出した。

_________

 

小五郎は自家用車を走らせ、警視庁本部へと向かった。

道中、車載ハンズフリーで目暮に電話を繋ぐ。

 

「目暮、俺だ。トロピカルランドの事件、現場に残っている鑑識と連絡を取れ。俺が今から向かう」

 

『えっ!? ご自身がですか? 事件はすでに解決し、容疑者も確保しておりますが……』

 

「事件そのものの話じゃない。工藤新一が姿を消した。蘭の証言によれば、現場にいた『黒づくめの男二人』を追って行った可能性が高い」

 

『な、なんですと!? 新一君が?』

 

「現場の防犯カメラの映像をすべて保全させろ。遊園地の管理責任者を通じて、閉園後の敷地内に立ち入る許可を正式に取れ。手続きを踏んで、二十分後に正門前で落ち合うぞ」

 

『は、はいッ! ただちに手配します!』

電話を切ると、小五郎はアクセルを強く踏み込んだ。

 

二十分後。

 

閉園し、消灯されたトロピカルランドの正門前で、目暮警部と二人の捜査員、そして遊園地の警備長が小五郎を出迎えた。

 

「手続きは完了しております。管理責任者の立ち会いのもと、防犯カメラの保全と現場の確認を行います」

 

「ご協力感謝する」

 

小五郎は警備長に短く一礼すると、鋭い眼光で敷地内を見渡した。

 

「目暮、新一が男たちを追いかけたとしたら、どのルートだ?」

 

「ええと、ジェットコースターの乗り場付近から、敷地の奥……裏手にある観覧車やアトラクションの建設予定地方面へ向かう通路がございます。あそこは夜間、灯りが少なく死角になります」

 

「そこへ案内しろ」

 

一行は懐中電灯の光を頼りに、暗闇の遊園地を進んだ。

 

小五郎の頭の中では、論理の組み立てが始まっていた。

 

まず、工藤新一は事件解決直後、黒づくめの男たちを追って特定の方向へ向かったという事実がある。

 

しかし現在、その新一の消息は完全に絶たれており、携帯電話の呼び出し音にも一切応答がない。

 

もしこれが単なる事件捜査の延長であるならば、新一の性格上、警察関係者に何らかの一報を入れるはずだ。

 

それを怠り、あろうことか蘭をその場に置き去りにしてまで姿を消したということは、彼の前に「咄嗟の判断で追わざるを得ない緊急事態」が発生したことを明確に示していた。

 

「ここです」

 

警備長が指さしたのは、コースターの裏手、裏通りの人通りが完全に途絶える通路だった。

 

小五郎は懐中電灯の光を地面に当て、慎重に歩みを進めた。

 

通路の土には無数の足跡が交錯していたが、雨が降っていないにもかかわらず、特定のポイントだけ土が荒く散らばっていた。

 

つい最近、誰かが激しい勢いで駆け抜けた痕跡だった。

 

さらに奥へ進むと、敷地の最奥部にあたる、資材置き場のようなスペースに出た。

 

「何かありましたか?」

 

「待て。動くな」

 

小五郎の制止に、目暮たちが足を止める。

 

小五郎は地面に光を集中させた。

 

アスファルトの上に、小さな、しかし明確な痕跡が残されていた。

 

「……血痕か?」

 

目暮が息をのむ。

 

「鑑識を呼べ。……いや、これは少量だ。頭部か顔面を殴打された際に飛散した程度の量だな」

 

小五郎は膝をつき、血痕の周囲を精査した。

 

現場に人を引きずった痕跡はなく、取っ組み合ったような激しい暴行の形跡も残っていない。

 

これは、背後から一撃で叩きのめされたことを物語っていた。

 

この事実から導き出される推論は一つだった。

 

新一は男たちの不審な行動を目撃するため、この死角に潜入した。

 

しかし、目の前の標的に注意が集中するあまり、複数いた男のうちの別の者に背後を取られたのだ。

 

そして頭部を殴打され、抵抗する間もなく行動不能へと追いやられた。

 

「まさか新一君は、ここで殺されて……?」

 

目暮の声が震える。

 

「いや、殺すのが目的(ホシ)なら、遺体を隠すか持ち去るはずだ。だが引きずった跡も、車両がここまで侵入したタイヤ痕もない。犯人は新一を殴打したのち、その場に放置して逃走したか……あるいは、別の手段を用いた」

 

小五郎の目が、血痕から数十センチ離れた地面に留まった。

 

そこには、ほんのわずかな水滴の跡があった。

 

単なる水にしては粘度があり、夜露とは明らかに異なる成分の液体に見えた。

 

(……なんだ? 薬品の瓶でも開けたか? いや、勝手な推測は禁物だ。現時点で確認できるのは『新一がここで殴打され、何らかの事態に見舞われた』という事実のみ)

 

「目暮。防犯カメラの映像はどうなった?」

 

「はい、管理室で捜査員が確認中です。ですが、この裏通りはカメラの死角になっておりまして……」

 

「入口と出口の映像だけでいい。この資材置き場に通じる通路に入った人間、出てきた人間を時間軸で洗い出せ。黒づくめの男二人、そして工藤新一。彼らがいつ入り、誰がいつ出て行ったか。それを特定する」

 

「了解しました!」

 

小五郎は立ち上がり、夜空を見上げた。

 

直感が、冷たい静けさをもって告げていた。

 

――これは、単なる突発的な暴行事件ではない。

 

白昼堂々、遊園地という不特定多数が集まる場所で、警察の目を盗んで不審な行動をとる男たち。

 

警察を恐れず、目撃した高校生探偵を即座に躊躇なく排除しようとする手慣れた手口。

 

「……組織的背景を持つ連中か」

 

小五郎の呟きは、暗闇の遊園地に静かに消えていった。

_________

 

 

翌朝。毛利家。

 

小五郎は昨夜、警視庁で防犯カメラの解析結果を確認したのち、明け方に帰宅していた。

 

警察の管理室で解析された防犯カメラの映像は、奇妙な時間経過を記録していた。

 

まず午後八時十二分、黒づくめの男二人が資材置き場方面へ移動し、そのわずか十秒後、彼らを追うように工藤新一が同じ通路へ入っていった。

 

その後、午後八時二十五分に黒づくめの男二人が反対側の通路から退出しているのが確認された。

 

しかし、不可解なことに、あとから入ったはずの工藤新一が同じエリアから退出する映像は、どのカメラにも存在しなかった。

 

姿を消した工藤新一。

現場に遺体は見つからず、近隣病院への搬送記録もない。

 

(一体、どうやってあの死角から消えた……?)

 

小五郎がソファーで煙草をふかしていると、リビングのドアが開き、蘭が入ってきた。

 

「お父さん……新一、やっぱり連絡ないの?」

 

「……警察で捜索を出している。心配するな、目暮たちが動いている」

 

「うん……」

 

その時、玄関のインターホンが鳴った。

 

「私、見てくる!」

 

蘭が駆け出していく。

 

小五郎は煙草を灰皿に押し付け、ゆっくりと立ち上がった。

 

(……阿笠の博士か?)

 

新一の隣家に住む阿笠博士の存在は、小五郎もよく知っている。

 

もし新一に何かあれば、博士のところへ連絡が行く可能性がある。

 

しかし、階段を上がってくる足音は、二つ。

 

一つは蘭の足音。そしてもう一つは――小さく、頼りない、子どもの足音だった。

 

「お父さん! 阿笠博士が……それに、この子を連れてきたの!」

 

ドアが開き、阿笠博士とともに、大きすぎるジャケットと眼鏡を身につけた一人の少年が姿を現した。

 

「毛利君! 急に押しかけてすまんのう!」

 

「博士……。で、そのガキは誰だ?」

 

小五郎は視線を低くし、少年の顔を見つめた。

 

少年はビクッと体を強張らせ、眼鏡の奥の瞳を泳がせた。

 

「え、あ……僕、江戸川コナンっていうんだ! 親が海外に行っちゃって、博士の知り合いの親戚で……それで、ここに預かってもらえないかと思って……!」

 

上ずった声。子ども特有の舌足らずさを装った話し方。

 

しかし。

 

小五郎の眼光が、一瞬で冷たく研ぎ澄まされた。

 

(……なんだ、この違和感は?)

 

数え切れないほどの人間を観察してきた小五郎にとって、人の嘘を見抜くのは呼吸と同じだ。

 

小五郎は少年の前に歩み寄り、片膝をついて目線を合わせた。

 

「江戸川……コナン、か」

「う、うん……!」

 

小五郎の観察眼が、眼前の少年の立ち振る舞いを細部まで解体していく。

 

まず異常だったのは、その視線と仕草だった。

 

幼い子どもが大人に見つめられた際、通常は恐怖や戸惑いから視線を逸らすか、保護者の後ろに隠れるような仕草を見せる。

 

しかし、この少年の鋭い視線は、小五郎の顔立ちや服装、さらには上着のポケットのわずかな膨らみ――警察手帳や携帯電話の位置――を観察するように微細に動いていた。

 

これは訓練された捜査員か、極めて洞察力に優れた人間特有の観察癖だった。

 

次に向けるべきは、立ち振る舞いと距離感だ。

 

蘭が後ろから近づいた際、少年が一瞬見せた表情は、見知らぬ大人に対する警戒などではなく、「身近で親しい人間に対する気まずさと照れ」そのものだった。

 

 

そして何より決定打となったのが、思考時の癖だった。

 

少年は小五郎の問いかけにどう答えるべきか判断を巡らせる際、無意識に左手をズボンのポケットに突っこみ、右手の指先を自分の顎に当てて鋭く視線を走らせた。

 

それは、小五郎が幼少期から嫌というほど見てきた、工藤新一が難解な謎に直面したときに無意識に見せる全く同じ癖だった。

 

最後に、少年が小五郎自身に向けた視線の質がある。少年は小五郎を見た瞬間、ただの子どもが大人に向けような怯えではなく、「自分の正体や嘘を一瞬で見抜かれかねない」という強い警戒と、幼少期から知る蘭の父親に対する気まずさが入り混じった目を向けたのだ。

 

(……バカな)

 

小五郎の脳内で、論理が目まぐるしく回転する。

 

工藤新一は昨夜、遊園地で血痕を残して姿を消した。

 

そして今、目の前に現れた「江戸川コナン」という少年は、工藤新一の癖、視線、思考パターン、蘭への距離感を完全に持ち合わせている。

 

導き出される仮説は一つ――江戸川コナン=工藤新一。

 

(……あり得ん。生物学的に、一晩で人間が幼児化するなど不可能なはずだ)

 

理性が、その結論を拒否しようとする。

 

しかし、小五郎の鉄則は――「すべての不可能な可能性を除外して残ったものが、いかに信じられぬことであっても真実である」。

 

遊園地の防犯カメラの死角。

 

あの場所から退出した人間は、黒づくめの男二人と――監視カメラの画角にすら映り込まないほど小さな子ども一人だったのだ。

 

もし、新一が「この姿」に変えられていたとしたら。

 

だからこそ、カメラの映像に「大人としての工藤新一」の退出記録は残っていなかったのだ。すべての矛盾が、美しい一本の線で繋がった。

 

「……毛利君? どうしたんじゃ?」

 

阿笠博士が不審そうに尋ねる。

 

小五郎はゆっくりと立ち上がった。

 

その顔には、いつもの呑気な父親の表情が戻っていた。

 

「いやなに、妙な名前のガキだなと思ってな。江戸川乱歩とコナン・ドイルの焼き増しみたいな名前だ」

 

「ギクッ……!」

 

コナンが分かりやすく肩を跳ねさせた。

 

(確定だ。……間違いねえ。このガキ、新一だ)

 

小五郎は腹の中で冷や汗をかきながら、同時に猛烈な怒りと冷徹な計算を巡らせていた。

 

一体、誰が新一をこんな姿にした?

あの黒づくめの男たちか?

 

どんな毒薬を使えば、人間を殺さずに幼児化させるなんて悪夢のような芸当ができる?

 

そして何より――このバカガキは、危険な組織に狙われている身でありながら、蘭のいるこの家に転がり込んできただと?

 

「いいぜ、博士。そのガキ、うちで預かってやる」

 

「えっ!? 本当なの、お父さん!?」

 

蘭がぱっと表情を明るくして声を弾ませた。

 

「ああ。ただし……」

 

小五郎はコナンを見下ろし、ニヤリと笑ってみせた。

 

「行儀の悪いガキは、俺が徹底的に叩き直してやるから、覚悟しておけよ。『コナン』君」

 

コナンの背筋に、ゾクリと恐ろしいほどの寒気が走った。

 

(な、なんだ……? おっちゃん、目が全然笑ってねえ……!)

_________

 

その夜。

 

蘭がコナン(新一)のために風呂を沸かし、買い出しに出かけている隙を狙い、小五郎は動き出した。

 

英理は自身の法律事務所で明日の裁判の準備をしており、自宅の居間には小五郎とコナンの二人だけだった。

 

コナンはソファーに座り、テレビアニメをボーッと眺めるフリをしていた。

 

「おい」

 

低い声。

 

コナンが振り返ると、小五郎が煙草に火をつけながら、冷ややかな瞳で自分を見下ろしていた。

 

「……何? おじさん」

 

子どもっぽい声を出すコナン。

 

小五郎は溜息をつき、ポケットから警察手帳を取り出すと、テーブルの上に放り投げた。

 

「芝居はやめろ、工藤」

 

「……!!」

 

コナンの身体が凍りついた。

 

「な、何言ってるの? おじさん、僕は江戸川コナン――」

 

「話し方、推理する時の視線、考えをまとめる時の指の癖、そして蘭を見る時の距離感。お前が小学校に入る前から見てる俺を騙せると思うな」

 

小五郎は椅子に深く腰掛け、煙草の煙を吐き出した。

 

「それに、昨夜のトロピカルランドの資材置き場。お前の血痕と、防犯カメラのタイムラグ。……説明してみろ、新一」

 

コナンは息を呑み、言葉を失った。

 

(おっちゃん……全部、気づいてたのか……!?)

 

小五郎の雰囲気が一変していた。

 

本物の捜査官だけが纏う、圧倒的な威圧感。

 

「さあ、吐け。お前の身に何が起きた? あの黒づくめの男たちは何者だ?」

 

コナンはゴクリと唾を飲み込んだ。隠し通すことは不可能だと悟った。

 

「……すまねえ、おっちゃん」

 

コナンの声が、本来の高校生探偵・工藤新一のものに戻った。

 

「信じられないかもしれないけど……俺、薬を飲まされたんだ」

 

「薬だと?」

 

「ああ。トロピカルランドで事件が終わった後、黒い服を着た男二人組が怪しい取引をしているのを見かけて、後を追ったんだ。一人が現金を受け取っているところに見とれてたら、背後からもう一人に殴られて……」

 

小五郎は静かに頷いた。

 

「俺の推測通りだな。背後の死角だ」

 

「……うぐっ。で、男たちは俺に……開発中の試作段階の薬だって言ってた。『身体から検出されない毒薬』だって……それを飲まされて、意識を失って……目が覚めたら、体が縮んでたんだ」

 

「……」

 

小五郎は沈黙した。

 

化学的、医学的には常識を逸脱している。

 

だが、目の前にある「幼児化した工藤新一」という明確な物証が、それを事実だと証明していた。

 

「男たちの名前は?」

 

「分からねえ……。コードネームかどうかも分からない。ただ、二人とも全身黒づくめで、一人は長髪の背が高い男、もう一人はサングラスをかけた体格のいい男だった」

 

「組織の名称は? 目的は?」

 

「それも分からない……。ただ、莫大な金が動く裏取引を平然と行い、警察の手が及ばないような試作段階の薬を持っている。……巨大な裏組織が存在することだけは確かだ」

 

小五郎は煙草を消し、腕を組んだ。

 

「……なるほどな。『長髪の男』と『サングラスの男』。そして未完成の危険な薬品を作る組織、か」

 

「おっちゃん……警察を動かしてくれ! あの男たちを捕まえないと、俺の体も元に戻らないし、また同じ被害者が出る!」

 

コナンが必死に訴える。

 

だが、小五郎は冷酷なまでに首を横に振った。

 

「ダメだ」

 

「な、なんでだよ!?」

 

「バカ野郎!」

 

小五郎の怒声が室内に響いた。コナンは思わず肩をすくめる。

 

「いいか、よく聞け工藤。相手はお前のような青二才を一瞬で返り討ちにし、証拠を残さず消せる連中だ。そんな組織に、警察が『身体が縮む薬を飲まされた高校生を探している』と悟らせてみろ。どうなる?」

 

「あ……」

 

「お前が生きていると知れば、連中は確実に消しに来る。お前だけじゃない。お前と接点のある人間――阿笠の博士や、蘭まで巻き込まれるんだぞ!!」

 

コナンの顔から血の気が引いた。

 

「蘭を……巻き込む……」

 

「そうだ。だからこそ、この件は絶対に公にできない。警察の正規の捜査機関を大々的に動かすことも不可能だ。警察内部に奴らの内通者がいないという保証すら、現時点ではないんだからな」

 

小五郎の言葉は、完璧な論理に基づいていた。

 

「……じゃあ、どうすればいいんだよ……」

 

「隠し通すんだよ」

 

小五郎はコナンの目を見た。

 

「お前は今日から『江戸川コナン』だ。工藤新一は姿を消した、あるいは事件に巻き込まれて死んだかもしれない――世間にはそう思わせておけ。そして、蘭には絶対に正体を明かすな。あいつを巻き込まないためにだ」

「……蘭に、言わない……」

 

「そうだ。俺とお前の二人だけの秘密だ」

 

小五郎はポケットから手帳を取り出し、小さなメモ用紙に何かを書き走らせた。

 

「お前は現場で気づいた情報や違和感を俺に報告しろ。俺は警察の捜査権限を使ってそれを裏付ける。……いいか、工藤。表向きは『小やかましい一課長と居候のガキ』、裏では『秘密の捜査パートナー』だ」

 

小五郎の差し出した手に、コナンは自分の小さな手を重ねた。

 

「……分かったよ、おっちゃん。……いや、毛利課長」

 

「ふん。家の中では『おっちゃん』でいい。蘭や英理の前でボロを出すなよ」

 

その時、玄関のドアが開く音がした。

 

「ただいまー! コナン君の着替え、買ってきたわよー!」

 

蘭の声だ。

 

瞬時に、ふたりの顔つきが変わった。

 

「あ、蘭お姉ちゃん! おかえりー!」

 

コナンが甲高い声を張り上げて駆け寄っていく。

 

小五郎はソファーで深くもたれかかり、再び煙草に火をつけた。

 

(長髪の黒づくめの男……未知の薬品……巨大な組織……)

 

胸の奥で、冷徹な炎が燃え上がっていた。

 

(新一をここまで追い詰めた連中だ。……米花町で好き勝手やらせておくと思うなよ。必ず尻尾を掴んで、警察の前に引きずり出してやる)

 

長い闘いが今、始まった。


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