カーテンの隙間から差し込む光が、灰色から薄い青へとゆっくり色を変えていく。俺はそれをずっと見つめていた。
夏用の薄いタオルケットは足元に押しやられたままで、ベッドのシーツは体温を吸って生ぬるい。寝返りを打つたびにスプリングがきしむ小さな音が、誰も起きていない早朝の家の中に響いた。
昨夜、部屋の明かりを消したのは日付が変わる前だった。だが目を閉じても頭の芯の熱は少しも冷めず、暗闇の裏側に焼き付いた数字と球場の残像が何度も網膜の上を明滅し続けていた。
百四十九キロ。
電光掲示板に灯ったその数字は前世の俺が高校最後の夏、甲子園の準決勝で右肘を壊す直前に投げ込んだ、生涯最速の球速とまったく同じだった。
昨日の準々決勝、桐原学園との試合。
最後の打者を仕留めたあの一球。
あいつは高校に入ってから野球を始めている。
春から握り方と腕の振り方を教え、キャッチボールを重ねてまだ四ヶ月も経っていない。それなのにあいつはいともあっさりと俺が前世の十数年を費やし、身を削り、最後には関節を砕いてまで到達したあの数字へ並んでみせたのだ。
頭の芯が酷く重い。
頭蓋の内側に熱い靄が立ち込めているような鈍い感覚があるのに、眠気だけがどこにも降りてこなかった。壁掛け時計の秒針がチクタクと規則正しく時を刻む音が、耳の奥に障る。
胃のあたりには、鉛を飲み込んだような重苦しい感覚があった。昨日もスタンドで大原さんと横山さんに見張られながらパンを少し口にしたきりで、食欲らしい食欲は湧いてこない。
このまま横になっていても、同じ考えが頭の中を空回りするだけだ。
壁掛け時計の文字盤に目をやると、針はすでに午前五時を回っていた。いつもの朝のランニングに出る時間だ。体を動かして疲れてしまえば、少しは眠気も下りてくるかもしれない。
俺はベッドから上体を起こし、深く息を吐き出した。
フローリングに足を下ろすと、床板の冷たさが素足の裏から伝わってくる。部屋の隅にある姿見の前に立ち、着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
鏡の中に、白く細い手足を持つ小柄な少女が立っている。
自分の姿を見るたびに、胸の奥底から苦い塊がせり上がってくるのを抑えられなかった。
華奢な鎖骨、薄い肋骨、そして運動の邪魔にしかならない胸の膨らみ。
前世の俺の体にあったはずの、厚みのある胸板も、背中を覆う逞しい筋肉も、地面を力強く蹴り出す太い脚も、ここには何一つ存在しない。
俺は引き出しから、ランニング用のきつめのスポーツブラを取り出した。
両腕を通し、胸の膨らみを力任せに押し潰すようにして身につける。ぎゅうぎゅうと締め付けられる圧迫感で苦しくなるが、走る際の揺れに比べれば耐えられた。その上から紺色のランニングシャツを被り、ハーフパンツに足を通す。
靴下を履き、階段を静かに下りて玄関へ向かった。
靴箱から走り慣れたシューズを取り出し、靴紐をきつく締め上げる。足首の頼りない細さが目に入り、またしても奥歯を噛み締めた。
早朝五時過ぎの空気は、真夏とはいえまだ冷気を微かに含んでいた。
東の空が淡い朱色と群青色のグラデーションに染まり始めている。住宅街はまだ眠りの中にあり、遠くの幹線道路を走るトラックの走行音だけが低く響いていた。
俺は軽く首と肩を回し、アキレス腱を伸ばしてから、アスファルトの上へ走り出した。
川沿いへ続く緩やかな下り坂を進む。
シューズの底が地面を叩く規則正しいリズムが、静まり返った坂道に小さく反響した。
歩幅を広げすぎず、足を前へ投げ出さないように静かに着地を重ねる。上体を真っ直ぐ保ち、余計なブレーキをかけずに体を前へ運ぶ。頭の中に染み付いた効率の良いフォームをなぞるように走る。
だが、どんなに綺麗に体を運ぼうとしても、一歩ごとの進み方には限界があった。
絶対的な脚の長さが足りず、地面を押し出す筋力にも乏しい。前世の感覚なら軽く歩幅を伸ばすだけで届いたはずの距離を、今の体は何歩も細かく刻まなければ進まない。少しペースを上げただけで、スポーツブラに押さえつけられた胸のあたりが重苦しく痛み、かいた汗が皮膚と生地の間にまとわりついて熱を閉じ込める。
思い通りに動かないこの四肢も、熱を溜め込みやすい細い体も、すべてが鬱陶しかった。
坂を下りきり、川沿いの土手道へと上がる。
視界が一気に開ける。川面からは白い朝靄が立ち上り、昇り始めた朝日に照らされて淡い金色に光っていた。川風が生い茂る夏草を揺らし、露の青臭い匂いが鼻をつく。
ペースを一定に保ち、砂利の混ざった土の道を走る。
息を吸い、吐き、心拍数を徐々に上げていく。
真夏の早朝、汗をかいて走っているというのに、握りしめた左右の指先だけがひんやりと冷え切っていた。
指先を掌の中で擦り合わせてみるが、冷たさは消えない。
朝風のせいだろうか。
俺は深く考えず、指先を軽く握り直して前を見据えた。
足を動かし、筋肉を使い切って、この冴え返った頭を疲労で沈めたい。
靄の中を数百メートルほど進んだときだった。
行く手の白い景色の向こうから、一定のリズムを刻む足音が聞こえてきた。
濡れた草を踏みしめ、大きな人影が前方を走っている。
白の練習用シャツに、紺色のハーフパンツ。背筋を伸ばし、大柄な体をゆったりと揺らしながら進んでいるその姿は、見紛うことのない城ヶ崎だった。
俺は足を少し緩め、息を整えながらその背中へと近づいた。
百八十センチを超える頑丈な体躯。広い肩幅と、厚みのある背中。踏み出すたびに、太ももの筋肉が逞しく動いている。
昨日、四イニングを投げて桐原学園を抑え込んだばかりの少年が、なぜこんな早朝に走っているのか。
俺は隣にまで駆け寄り、声をかけた。
「城ヶ崎君、おはよう」
「うわぁっ!?」
城ヶ崎は飛び上がるように驚き、慌てて足を止めた。
勢い余って前へつんのめりそうになりながら、振り返ったその顔には丸く見開かれた大きな瞳があった。
「ひ、姫宮……!? な、なんでこんな時間に、こんなところにいるんだよ……!」
「走ってるんだよ。見ればわかるでしょ」
俺は足を完全に止めず、その場で軽く足踏みをしながら呼吸を落ち着かせた。
「城ヶ崎君こそ、どうしたの。今日は午前中に学校で短い調整があるだけで、朝練なんてないはずでしょ」
「あ、うん。そうなんだけどさ」
城ヶ崎は首筋に巻いていたタオルで顔の汗を拭いながら、照れくさそうに笑った。
額に汗は浮かんでいたが、息がひどく乱れている様子はない。
「昨日の夜はちゃんと寝たんだけどさ。今朝起きたら、本当にベスト四に残ったんだって実感が湧いてきちゃってさ。じっとしてられなくなって、少し走ろうと思って出てきちゃったんだ」
「ベスト四の興奮ね……」
「うん。布団の中で天井見てたら、明日の準決勝のことがどんどん頭に浮かんできてさ。少し走って落ち着こうかなって」
城ヶ崎は照れくさそうに頭を掻いた。
その表情には強敵を倒した高揚感と、大舞台を控えた少年らしい落ち着きのなさがそのまま滲み出ていた。
俺の胸の奥で、何かが冷たくきしりと音を立てた。
頭の奥が重く澱み、体を鉛のように引き摺り下ろしている俺の横で、目の前のこの少年は勝ち上がった実感と次の試合への高揚で早く目を覚まし、朝の空気を吸い込んでいる。
「気持ちは分かるけど、明日の試合に響かないくらいにしておきなよ。朝から無駄に体力を削ったら意味がないんだから」
「うん、分かってるよ。軽く汗を流すくらいのつもりだったから。姫宮は、どこまで走るの?」
「川沿いをあと少し行って、水門のところで折り返すつもりだけど」
「じゃあ、俺もそこまで一緒に行っていいか? ゆっくり走るからさ」
一人で走らせておけば、高揚感のままにペースを上げて余計な疲れを溜め込むかもしれない。隣について走れば、無駄に飛ばさないよう監視することもできる。
「いいけど……スピードを上げちゃダメだよ。あくまで体をほぐすためのジョギングなんだからね」
「うん!」
城ヶ崎は嬉しそうに頷き、俺の隣へと並んだ。
二人は再び朝露の光る土手道を踏みしめて走り出した。
並んで走ると、体格の差は歴然としていた。
俺の目の高さは城ヶ崎の肩のあたりにしかなかった。あいつが一歩を踏み出すたびに、厚い胸板が上下し、長い腕が自然に前後に振られる。地面を捉えるシューズの音が低く、安定している。
体重はおそらく八十キロ近くあるはずだ。それだけの質量を、あいつの頑丈な下半身はいとも容易く前へと運んでいた。
走り始めてしばらくすると、隣の足音がわずかに前のめりになっていくのが分かった。
歩幅が少し広がり、城ヶ崎の体が半歩ほど前へ出ようとする。
「城ヶ崎君、少し速くなってるよ」
「あ、ごめん! なんか足が勝手に前に出ちゃって」
城ヶ崎は慌ててスピードを落とし、照れくさそうに頭を掻いた。
「昨日投げたあとなんだから、下半身に余計な負担をかけたらダメだよ。地面を力任せに蹴ったり、歩幅を広げすぎたりしないで。足を前へ出しすぎず、静かに着地する意識で走るんだ」
「静かに着地……こうかな」
城ヶ崎は言われた通りに走りを修正した。
歩幅を少し狭め、上体の無駄な上下動を抑える。
ほんの一言注意しただけで、あいつのフォームは驚くほど滑らかになった。長い手足が無理なく連動し、着地音がすっと静かな音へと変わる。
教えたことを、その場ですぐに形にしてしまう。
だが、その呑み込みの早さを目の当たりにするたびに、俺の喉の奥に苦い肝を噛み締めたような味が広がっていく。
「すごいな、姫宮。言われた通りにすると、足がすごく軽くなるよ」
城ヶ崎は並走しながら、感嘆の声を漏らした。
「歩幅を欲張らずに上下動を抑えれば、無駄な力を使わずに進めるからね」
「やっぱり姫宮はなんでも知ってるんだな。俺、走るのってただ前へ進めばいいと思ってたよ」
淡々と答える俺の横で、城ヶ崎は楽しそうに前を見据えている。
朝靄が晴れ、昇り始めた太陽が川面を眩しく照らし出していた。草むらから蝉の声がぽつりぽつりと響き始め、朝の清涼な空気が少しずつ熱を帯びていく。
水門が見えてきたところで俺は足を緩め、歩行へと切り替えた。
城ヶ崎もそれに合わせて立ち止まり、息を整えながら首のタオルで汗を拭った。
「ふぅ……! 風が気持ちいいな」
「汗をかいたまま風に当たると体が冷えるから、しっかり拭いておきなよ」
俺はハーフパンツのポケットからハンドタオルを取り出し、額の汗を押さえた。
呼吸を整えながら城ヶ崎の様子を見る。首筋や腕は朝の光の中で赤く火照っていたが、足取りに重さは感じられない。昨日の登板による大きな疲労の残りは、ひとまずなさそうだった。
「腕を軽く回してみて。昨日の登板で、肩の奥や肘に重い張りは残ってない?」
「うん」
城ヶ崎は素直に頷き、右腕を大きく前後に回した。
滑らかな動きとともに、背中の筋肉が連動して動く。
「引っかかる感じは全然ないよ。昨日、姫宮が言ってた通りに八割の力で投げて、チェンジアップを使ったからかな。全力で投げてた頃より、腕の振りが楽だった気がするんだ」
「相手が待球作戦を取ってきたからね。ストライクゾーンに来る球を見送ってくれるなら、わざわざ力任せに腕を振る必要はないんだよ。チェンジアップで体勢を崩して、打たせて取る。七回と八回は相手にかなり粘られて球数が増えたけど、最後まで低めへの意識を切らさなかったのはよかったよ」
「うん! 七回に五番バッターに真っ直ぐを思い切り引っ張られたときは本当に焦ったけど、堂本キャプテンがすぐにチェンジアップを挟んでくれて助かったよ。内角にも投げて、最後は外角低めで打ち取れて……成瀬先輩が五回まで粘ってくれたおかげだし、俺、本当に周りに助けられてばっかりだ」
城ヶ崎は頭を掻きながら、心底からそう思っているような顔で笑った。
謙虚で、驕りがない。
秋の県大会王者を相手に完封リレーを演じ、自己最速の球速を叩き出しておきながら、自分の手柄を誇示しようとする素振りが少しもなかった。すべての功績を先輩や捕手、そして俺への感謝へと素直に向けてくる。
その屈託のなさが眩しかった。
もし前世の俺がこの少年の体を持っていたらどうだっただろうか。
百八十センチを超える長身、柔軟で頑丈な骨格、酷使しても簡単には壊れない強靭な関節。それらを持ち合わせていたなら、高校最後の夏にあんな形で肘を壊すこともなく、甲子園の頂点に立ち、その先の舞台へと進めていたのではないか。
あるいは、今のこの女の体ではなく、最初から男の体として生まれていたなら。前世の記憶と技術をそのまま自分の筋肉に注ぎ込み、自らの右腕でマウンドに立ち、あの大歓声を一身に浴びることができたのではないか。
だが、現実は違う。
俺に与えられたのは、どれだけ鍛えても限界の低い、華奢で小さな女の体だった。
そして俺が喉から手が出るほど欲しかった恵まれた体格と才能は、野球のルールすら知らなかったこの呑気な少年に、いとも無造作に与えられている。
「周りに感謝できるのはいいことだよ。でも、最後に腕を振って抑えたのは城ヶ崎君自身の力だからね。そこはちゃんと自信を持っていい」
「へへ……ありがとう、姫宮」
城ヶ崎は嬉しそうに目を細める。
俺は水門のコンクリートの柵に背中を預け、川面を見つめた。
「明日の相手、明徳学園のことは頭に入ってる?」
「うん。昨日のミーティングで堂本キャプテンが言ってたよ。初球からどんどん振ってくる強力打線だって」
「そう。桐原学園とは完全に野球の質が違う。甘い球を待ってくれるようなチームじゃないよ。カウントを取りにいった不用意な直球を、初球からスタンドまで持っていく力がある。特に四番打者は、長打力も技術も抜けているからね」
「四番打者……」
「成瀬先輩が中一日で先発して、あの制球力と緩急でどこまで相手を翻弄できるかが前半の鍵になる。でも、明徳の打線は二巡目、三巡目と回るうちに、成瀬先輩の球筋に目を慣らしてくるはずだよ」
「……そこで、俺が救援に入るんだね」
城ヶ崎の声がわずかに引き締まった。
あいつの瞳の奥に、勝負師の静かな光が宿る。
「そう。成瀬先輩の球に目が慣れてきた相手の前に、城ヶ崎君の速い直球とチェンジアップを投げ込むんだ。成瀬先輩が作ってくれた試合の流れを受け継いで、球速差で相手の狙いを狂わせる。ピンチで登板することになっても、堂本キャプテンのミットだけを見て腕を振るんだよ」
「うん。分かってる」
城ヶ崎は大きく息を吸い込み、自分の右手をじっと見つめた。
ボールを握り続けたことで、指先には厚いタコができ、掌は硬く引き締まっている。
「昨日さ、成瀬先輩が言ってくれたんだ。『次の試合は先発して、いけるところまで試合を作るよ。後ろは任せた』って」
「成瀬先輩らしいね」
「うん。俺、すごく嬉しかった。先輩がそこまで俺を信じてくれてるんだから、絶対にマウンドを守らなきゃいけないって思ったんだ。成瀬先輩と一緒に、絶対に決勝へ行くよ」
迷いのない、澄み切った決意だった。
仲間を信じ、尊敬する先輩のために腕を振る。
まさに夢を追いかけるスポーツ少年だ。
あいつがマウンドで輝けば輝くほど。
百四十九キロという数字を叩き出し、周囲から喝采を浴びれば浴びるほど。
俺自身の手には何一つ残らず、ただ観客席から見つめるだけの存在であることが、容赦なく突きつけられる。
「城ヶ崎君、そろそろ戻ろうか」
俺は息を整えて、短く言った。
「あんまり長い時間外にいると、朝とはいえ日差しで体力を消耗するからね。帰ったらすぐにシャワーを浴びて、朝ごはんをしっかり食べること。午前中の部活の練習が終わったら、午後は部屋でゆっくり体を休めるんだよ」
「うん、分かった! 母さんに頼んで、朝ごはんの材料をいっぱい買っておいてもらってるんだ」
二人は並んで、再び土手道を歩き出した。
帰りは走らず、クールダウンを兼ねてゆっくりと歩みを進める。
照りつけ始めた陽光が、川面を眩しく反射していた。朝靄は完全に消え去り、遠くの街並みがくっきりと輪郭を現している。
住宅街の入り口まで戻ってきたところで、城ヶ崎が立ち止まり、こちらを振り返った。
「姫宮、一緒に走ってくれてありがとう! 体がすごくほぐれたよ」
「それはよかったよ。午前中の練習も、無理して投げ込みすぎちゃダメだからね」
「うん! 明日の準決勝、スタンドから見ててくれよな! 絶対、いいピッチングするから!」
城ヶ崎は眩しい笑顔を浮かべ、大きく手を振って角を曲がっていった。
長い手足を弾ませて走っていくその背中を、俺は立ち止まったまま見送る。
あいつの姿が完全に住宅街の影へと消えるまで、その場を動くことができなかった。
一人残された道路の上で、俺は深く息を吐き出した。
走って体を疲れさせれば、少しは眠れるかと思った。だが、脳の芯は冷たく冴え返ったままで、胸の奥には燻るような焦燥感だけが澱のように溜まっていた。
ポケットから両手を出し、指先を見つめてみる。
夏の強い日差しを浴びているというのに、指先は相変わらず、ひんやりと冷え切っていた。指先を擦り合わせてみても、血の巡りが戻るような温かさは伝わってこない。
俺は冷たい指先を軽く握り込み、自宅へ向かって歩き出した。
蝉の声が容赦なく降り注ぐ坂道を、俯き加減に上っていく。アスファルトの熱気が靴底を通して伝わってきた。
そして玄関のドアを開け、家の中へ足を踏み入れたその瞬間だった。
こめかみの奥を、鋭い針で抉られたような激痛が走った。
頭蓋の内側がどくどくと激しく波打ち、視界の端が白く弾ける。立っていることすらおぼつかないほどの痛みが、頭全体を容赦なく締め上げてきた。
それと同時に、胃の底から猛烈な吐き気がせり上がってくる。
靴を脱ぐのもそこそこに、俺は壁に肩をぶつけながら廊下をよろめき、トイレへと駆け込んだ。
トイレの前に崩れ落ち、すがりつくようにして胃の中のものを吐き出す。昨日からろくに固形物を入れていなかった胃袋が激しく痙攣し、わずかに残っていたものと酸っぱい胃液が、喉を焼きながら一気に吐き出されていく。
胃が完全に空っぽになっても吐き気は止まらず、喉の奥が引き攣るように何度もえずいた。
トイレの縁に額を押し当て、荒い息を吐き出す。
背中と額から冷たい汗がどっと吹き出していた。頭の芯ががんがんと激しく鐘を乱打するように痛む。
昨夜から一睡もしていないまま、ほとんど食事も取らずに朝から走ったせいだろう。
体調管理を怠ったツケが回ってきた。
震える手で水を流し、口元を拭って立ち上がった。
膝の力が抜けそうになりながら壁を伝い、階段を一段ずつ這うようにして自室へと戻る。シャワーを浴びる気力も、机の上のノートを開く余裕も、今の体には微塵も残っていなかった。
ベッドの縁に倒れ込み、そのままシーツの上へ崩れ落ちる。
枕に顔を埋めた瞬間、急速に意識の輪郭が溶けていった。割れるような頭痛の残響ごと引き摺り込まれるようにして、俺は気絶するように深い眠りへと落ちた。