夕暮れの人里のはずれ。
最近はアガサクリスQこと阿求がまた新作の推理小説を出したおかげで、ここ鈴奈庵は大変繁盛していた。貸本屋の店主としては本が沢山読まれるのは手放しで喜ばしいことなのだが、連日休む間もないほどの働き詰めとなると、流石に身に堪えるものがある。
なのできょうは少し早めに店仕舞いにし、凝り固まった身体をほぐすための気晴らしとして、人里のはずれまで散歩をしていたのだった。
「はぁ……。阿求ったら、筆が乗るのは良いことだけど、私の体力も少しは考慮してほしいなぁ……」
独り言を呟きながら、私は重い足取りで歩いていた。
朱色に染まる空を見上げながら、暗くなる前に帰らないと、と考えていると、ふと地面になにか光っているものが落ちていることに気がついた。
気になって立ち止まり、目をやると、それは一本の矢だった。
なんでこんな所に? と思ってしゃがみ込み、よく見てみる。矢尻のあたりが鈍い金色に輝き、なんとも言えない豪奢で緻密な装飾が施されている。表面には不思議な紋様が刻まれており、とても人間の里の鍛冶屋が実用品として作ったような代物には見えなかった。かと言って、山の天狗や河童たちが使うような道具とも、少し毛色が違うような気がする。外の世界の工芸品だろうか。
私は、本読みとしての強い好奇心に負け、拾い上げてよく見て見ようと手を伸ばした。
その瞬間だった。
矢。
まるで生き物のように勢いよく跳ね上がる。
私の掌。
ブスリと突き刺さり、そのまま手の甲へと貫いた。
「わっ!?」
驚きと恐怖で短い悲鳴を上げ、慌てて手をブンブンと振り乱して矢を放り投げた。矢はカランと音を立てて地面に転がる。
恐る恐る自分の手を見つめる。
どれほどの血が流れているのかと身構えたが、不思議なことに痛みはまったく感じなかった。震える手を見裏返しても、矢が刺さっていたはずの場所には一滴の血も流れておらず、傷跡すら残っていない。
「あれ? 気のせい……?」
いくらなんでも疲れてるのかな、と私は思った。
しかし、さっきの掌を突き破る感触と、黄金の矢が飛び込んでくる光景はやけにリアルだった。だが手は無傷だし、痛みもない。とすれば、一瞬の幻覚と思う他ない。
とはいえ、目の前の地面に転がっている矢は、先程の美しい装飾品という印象からうってかわり、何かひどく不気味で恐ろしい呪物のように見えた。もう一度触れる気には到底なれず、私は矢をそのまま放置し、逃げるようにして家路についた。
◆
一晩寝て朝を迎えると、昨日あった矢の件はなんだか悪い夢でも見ていたみたいに思えてきた。けれど、心の奥底にはまだ薄暗いモヤモヤとしたものが残っていた。
「いらっしゃいませー。あ、その本なら返却期限は来週の今日になりますからね」
丸眼鏡をかけ、いつものように店番をしつつ、お客さんの対応の合間を縫って適当な外来本を読んでいた。活字を追っている時間は至福の時だが、やはり昨日の疲労が抜けきっていないのか、すぐに目がしょぼしょぼとしてきた。
眼鏡を外し、本を閉じて目を休めようと思った。
だが、その時に異変に気づいた。
本が動かないのだ。
私の手は確実に本の表紙と裏表紙を合わせようと力を入れているのに、まるで本そのものが空中のその場にガッチリと固定されたかのように、ビクともしない。
「あれ……? おかしいな」
強めに押し込んでみたが、やはり動かない。
しばらくその状態が続いた後、ふっと指先の抵抗が消え、本は何事もなくパタンと閉じた。
「まさか、外の世界産の妖魔本……? いや、そんなはずは……」
ごくりと息を呑み、その本をよく観察してもう一度開き、そして閉じようとしてみた。だが、さっきみたいな現象が起こることはなく、本はごく普通に開閉できた。
やっぱり、まだ疲れているのかもしれない。
昨日の矢の幻覚といい、今日のこれといい、ちょっと働きすぎのサインなのだろうか。
そうやって一人で納得しようとしていると、ガラッと戸が開いて阿求が入ってきた。
「ごきげんよう、小鈴。どうかしら、私の新作の売れ行きは?」
目が合うなり、阿求は得意げな笑みを浮かべてそう訊いてきた。
「大好評、お陰様でね。補充が追いつかなくて大変なくらいよ」
私は、ため息交じりに、半ば本心の軽口で返す。
「それは重畳。今回のトリックはね、前世の記憶を元に作ったから、ある程度は史実に基づいているのよ。だからリアリティが違うの。読者の反応が楽しみだわ」
阿求はこちらの連日の苦労など知る由もなく、自作の出来栄えについて楽しそうに語っている。そんな阿求を見て少しぶー垂れたくなるが、同時にひとつのことを思いついた。
正直言って半信半疑ではあるが、阿求は自称・前世の記憶を持っていると言う。
幻想郷の歴史を編纂する彼女なら、何かわかるかもしれない。
なので、昨日の矢の出来事を訊いてみることにした。
「ねぇ、阿求」
「ん? 何かしら?」
「あんたの今までの長い経験とか記憶の中でさ、人に幻覚を見せたりするような『金色の矢』を見たり聞いた事はない?」
「矢?」
阿求は、不思議そうに首を傾げた。
「普通の武器としての矢ではなくて?」
「うん。矢尻が金色で、すごく緻密で豪華な装飾が施されてる綺麗な矢なの。人間の鍛冶屋が作ったものじゃなさそうな……」
私が一生懸命に特徴を伝えてみるが、阿求は少し考え込んだ後、小さくかぶりを振った。
「妖の類いや天狗の道具ならともかく、そういう特定の呪物やマジックアイテムみたいなものは、見た事も聞いた事もないわね。急にどうしたの? また変な妖魔本でも仕入れた?」
阿求に訊き返され、意を決して、昨日の夕暮れに起きた出来事を詳細に話した。矢を見つけたこと、拾おうとして掌を貫かれたこと、しかし傷も痛みもなく、気のせいかと思って逃げ帰ったこと。
「……体に不調はないし、今日の様子もおかしくないから、多分ただの幻覚だったと思うんだけどね……」
私がそう締めくくると、阿求は扇子を口元に当てて、しばらく真剣な表情で考え込んでいた。
「ふぅむ。実害がないとはいえ、幻想郷で起こる不可解な現象を『気のせい』で済ませるのは三流のやることね。……まぁ、念の為に霊夢を呼んで、その矢があった場所を直接確認してもらった方が良いわね」
「霊夢さんを? でも、もう矢はないかもしれないし、ただの私の勘違いだったら申し訳なくないかなぁ」
「いいのよ。それが博麗の巫女の仕事なんだから」
阿求の提案により、私たちは早速神社に使いを出して霊夢さんを呼び出し、昨日の現場へと訪れた。
◆
「……で? その怪しい矢があったのってここら辺なの?」
やって来た霊夢さんは、あからさまに面倒くさそうな顔をしていた。
「アガサクリスQの新作、ちょうど犯人が分かりそうな良いところ読んでる途中だったのに……」
とぶつぶつ文句を言っている。どうやらやや不機嫌らしい。
「す、すみません霊夢さん。でも、本当にこの辺りの地面に落ちてたんです」
「はぁ……まったく、しょうがないわね」
私と阿求、そして霊夢さんの三人で、草むらや道の端など、それらしいものをいくら探してみても、金色の矢はおろか、普通の矢すら見当たらなかった。
「霊夢さん、どうですか? 何か妖気みたいなものは感じますか?」
私が恐る恐る尋ねるも、霊夢さんは周囲を軽く見渡した後、大きなため息をついた。
「あのねぇ、小鈴ちゃん。あんた、ちょっと疲れてるんじゃない?」
「えっ……」
「ここには妖気や呪力類の残穢なんて欠片もないわよ。そもそも、そんな金色の矢なんて最初からなかったんじゃない? 夕日に反射したただの石ころか何かを見間違えたんでしょ」
霊夢さんの身も蓋もない言葉に、私は口ごもる。確かに、今日も本が急に閉じなくなるというあり得ない錯覚に陥ったばかりだ。連日の大繁盛による疲労が溜まっているのは、自分でも否定できない事実だった。
「確かに。最近の小鈴はちょっと働きすぎな気もするけど。目の下に少し隈ができてるわよ」
阿求まで霊夢さんに同調してそんなことを言う。
「それ、誰のせいだと思ってんの……」
私は阿求をじろりと睨みつけた。
元はと言えばあんたの小説が大ヒットしているせいじゃあないか。
「まあまあ。とにかく、事件性がないなら私は帰って本の続きを読むから。暇があったらもう一度この辺りを調べておいてあげるけど、小鈴ちゃんは少し休むべきね」
霊夢さんは早く帰りたそうにそう言うと、ふわりと宙に浮き上がり、神社の方へと飛び去っていった。
「霊夢の言う通りね。私もそれには同意よ。小鈴、明日はお店を閉めてしっかり休みなさい」
阿求にまで諭され、私は渋々ながらも頷くしかなかった。
◆
──確実な異変に気づいたのは、三日目だった。
二人に言われた通り、昨日は鈴奈庵を臨時休業にし、一日中布団でゴロゴロしたり美味しいものを食べたりして、しっかり休息を取った。おかげで肉体的にも、特に精神面では非常に好調で、きょうは朝から元気に鈴奈庵を開いている。
昨日、律儀に霊夢さんがやって来て伝えてくれたが、やっぱりあの現場や周辺一帯には、不審な妖気も何も感じなかったとのことだった。それを聞いて、あの矢のことはただの疲労が見せた幻覚だったのだと、私自身も完全に自己完結できたところだった。
客足が落ち着いた昼下がり、鈴奈庵の中で本棚の整理をする。返却された本を元の位置に戻したり、入れ替えたりする作業だ。
一冊の本を棚から取ろうとしたが、目当ての場所は本棚のかなり上の方だった。いつもなら踏み台を持ってくるのだが、少しものぐさをしてしまい、背伸びをしてそのまま取ろうとした。
ぐっと腕を伸ばすが、あと少し、指先が触れるか触れないかというところで届かない。
「んん……あともうちょっと……」
その時だった。
私のすぐ背後から、謎の──明らかに人間のそれではない、奇妙な意匠の手がすっと現れ、それが私の代わりに棚の上の本を掴み、事もなげに引き抜いたのだ。
「うわっ!?」
私は驚愕し、バランスを崩して尻餅をつきそうになりながら横を見た。
そこに、「それ」はいた。
体表は銀色を基調とし、深い青色を配合色とした、まるで昆虫の外骨格に覆われたような人型の怪物が、ぬらりと宙に浮いていた。頭部には昆虫のような無機質で大きな眼があり、口元からはぎらりとした鋭い歯が覗いている。そして何より異様なのは、その全身が半透明のように透けていて、向こう側の本棚の景色がうっすらと見えていることだった。
見るからに不気味な雰囲気を醸し出している。
私は、腰を抜かしそうになり、息を呑んだ。
まさか妖怪!? それとも幽霊!?
鈴奈庵に迷い込んだ恐ろしい化け物だと思い、強烈な恐怖を感じて悲鳴を上げそうになった。
だが、怪物は私に襲いかかってくるわけでもなく、ただ静かにそこに佇んでいた。そして、ただ無言で先ほど棚から取った本を私に向かって差し出してきたのだ。
「え……? あ、ありがとう……?」
訳も分からず、震える手でその本を受け取った。その瞬間だった。
私は直感で『理解』した。
言葉で説明するのはとても難しい。強いて言うなら、魂の底から湧き上がるような『凄み』とでも言うのだろうか。圧倒的な存在感を放つそれは、決して外部からやって来た見知らぬ妖怪などではない。
これは、他でもない「自分自身の精神力」が、像を結んで実体化したものなのだと、理屈ではなく魂で感じ取ることが出来たのだ。自分の手足の延長線上にあるような、奇妙だが確かな繋がり。
「貴方は……私なの?」
恐る恐る尋ねてみるが、それは声を発して返事をすることはない。ただ、無機質な眼差しで私を見つめ返しているだけだ。
(動いて……右腕を上げて)
念じてみる。
すると怪物は、滑らかな動作で右腕をスッと持ち上げた。
(一回転して!)
怪物はコマのようにその場でくるりと一回転した。間違いない。完全に私の意思で自由自在に動かすことができる。
さっき私の体から飛び出てきたような感覚があったから、戻るように念じてみる。すると怪物は私の体に向かって吸い込まれるように、すっと溶け込んで消えてしまった。
「……っ!」
三日前の、あの夕暮れの矢を思い出す。
思えば、あの日以来から私の体には奇妙な異変が起こっていた。やはりあれは、ただの幻覚なんかじゃなかったのかもしれない。もしかしたら、あの金色の矢が私の体に突き刺さったことで、何か決定的な変化をもたらしたのだろうか。
そう考えると、確かに体の奥底から、今まで感じたことのないような未知の力が漲る感覚がある。
さらに、一昨日起きた「本が空間に固定された」ような現象。もしかして、あれはこの像が持つ固有の能力が暴発したものだったのかもしれない。
私は、ゆっくりと立ち上がり、深呼吸をした。
そして、もう一度念じてその像を体から出現させた。
銀色と青の人型の像が、私の横に音もなく顕現する。
手近にあった本を一冊取り、像の手に触れさせてみた。そして、そのまま私の手を離す。
本来であれば、そのまま本は床に落ちてしまう。
しかし、本は床に落ちることなく、空中にぴたっと固定されていた。私が指で突っついても、上から押さえつけても、まるでそこに透明な机があるかのように、空間のその位置から一ミリたりとも動かない。
「間違いない……。これが、私の新しい能力なんだわ」
いくつかの本を無造作に取り出し、次々と像に触れさせて固定してみた。空中に五、六冊の本が、階段のように静止している。
「すごい……!」
私は思わず感嘆の声を漏らして呟いた。
さらに色々と試してみると、この像は幽霊の様に空中を自由に飛び回ることができ、私を中心としておよそ六尺六寸までの範囲内であれば、意のままに動かせることがわかった。さらに、精神力の実体化であるためか、本棚や壁などの物理的な障害物をすり抜けさせることも出来る。
これだけでも、自分がもう一人増えたみたいで日常生活や本の整理がかなり便利になる。だが驚くべきことに、なんとこの像の視界と自身の視界を共有することも出来るようだった。像を本棚の裏側に回らせれば、自分の目と像の目の、二つの視点から同時に景色を見ることができるのだ。
「これは便利、どころの騒ぎじゃないわ……! 高いところの本も取れるし、重い荷物も運べるし……私、すごい力を手に入れちゃったんじゃ……!」
どんな言語で書かれた文字でも読めるという私の生来の能力に加え、物質を空間に固定し、物理法則を無視して活動できる分身を出す自分だけの新しい能力。その万能感に、私は思わず有頂天になって舞い上がりそうになった。
だが、その時だった。
チクリと、胸の奥で警鐘が鳴った。
(……待って。私、また調子に乗ろうとしてる……?)
そこでふと冷水に浸かったように我に返った。
過去の苦い記憶がフラッシュバックする。妖怪に憧れ、妖魔本の力に魅入られ、自らに妖怪を憑依させてしまったあの事件。結果として紫さんや霊夢さんたちを巻き込み、一歩間違えれば取り返しのつかない事態になっていたかもしれない一悶着があった。
「いけない、いけない……」
両頬をパンと叩いて、心を落ち着かせる。
形こそ違えど、また未知の力に酔いしれ、己を見失うような真似は二度としてはならない。私は、本を扱う者。知識を御する者として、常に冷静でなければ。
冷静さを取り戻したことにより、私は、はっと周囲の状況に気がついた。
今、私の横には明らかに人間じゃない、不気味な人型の実体がフワフワと浮いている。まぁ、これが私の精神力そのものなのだとしたら、他の人にこの子の姿が見えるのかどうかは分からないが。
だが、問題はそこではない。
この像によって空間に固定され、何もない空中にプカプカと浮いている数冊の本だ。
今、何も知らないお客さんがふらりと店に入ってきてこの光景を見たら、誰がどう見ても明らかな怪奇現象だ。もし霊夢さんや魔理沙さんあたりが来店してこれを見たら、「ポルターガイストの仕業ね。詳しく調べなくちゃ」やら「新しい付喪神が湧いたか!」と勘違いされて、問答無用でお札を投げつけられたり、面倒なことになりかねない。
「あわわわ! 解除、解除してぇ!」
私は慌てて本の固定を解除し、落ちてくる本を像を使って回収し、棚へと戻していく。
すると、どうやらこの像は人間の私よりもずっと速いスピードと精密な動きが出来るらしく、数秒も経たずに空中にあった沢山の本は、寸分の狂いもなく元通りの本棚に収められた。
「ふぅ……危なかった」
私はカウンターの椅子にどさりと座り、考える。
阿求や霊夢さんに、この不思議な力に目覚めたことを伝えるべきなのだろうか……。いや、さっきも考えた通り、下手に言えばまた「異変」として処理されるか、危険視されてあの矢のことをぶり返す事になるかもしれない。特に今の霊夢さんを怒らせると怖そうなので、しばらくは隠しておいた方が無難だろう。
それよりも、だ。
まずは、この新しい力に「名前」が欲しい。
貸本屋の店主として、何事も名付けるのが肝心だと私は思っている。名前を持たない事象や存在は、いつまで経っても未知で、恐ろしいままだからだ。名前を与えることで、それは自分のコントロール下に置ける「概念」となる。
「うーん……『守護霊』? いや、私が操ってるんだから違うかなぁ。『悪霊』なんて縁起でもないし、『念動力』だとありきたりすぎるし……」
色々な名称を頭の中で転がしてみるが、中々良いのが思いつかない。
が、ふと外の世界の言語、カタカナ言葉が頭に浮かんだ。
あの像は、常に私のそばに立っていた。
「そばに立つ……スタンド・バイ・ミー……『スタンド』。これだっ!」
ぽんと手を叩いた。
「スタンド能力」。
響きも良いし、なんとなく外の世界の神秘的なオカルトめいた格好良さがあるじゃあないか。
しかし、すぐに「あ」となった。
この精神の実体化という「概念」自体に『スタンド』という名前を付けることは出来たが、肝心の、私自身の能力の固有名称をつけられていない。
「また振り出しね。うーん……」
腕を組み、唸りながら考える。
精神力を像として実体化させる能力か、それとも物をその場に固定する能力か……。いや、そもそも、自分の分身たるスタンド像を「〜能力」と呼ぶのは何だか違和感があった。普通に妖怪の種族名や、あるいは神様のような立派な名前を付けるべきではないだろうか。
そうやって思考を巡らせていると、カウンターの机に無造作に置かれた一冊の外来本が目に入った。
それは以前仕入れたもので、内容は外の世界のバンド……いわゆる、音楽を奏でる集団に関する情報が色々と記載されている雑誌だ。
気分転換にそれをパラパラとめくっていると、ある一つの音楽団の名前が目に留まった。
『kraft werk』
「……クラフト・ワーク」
思わず、声に出してその文字を読んだ。
解説を読むと、直訳すれば「手仕事」や「発電所」などを意味するドイツという場所の言葉らしい。
だが、意味よりも何よりも、その「カチッ」とした無機質で、どこか冷たくも響きの良い語感が、私のこの昆虫のようなスタンド像にひどくしっくりと馴染んだのだ。
それに、空間に物を固定し、まるで空中に見えない足場や壁を『工作』するように自在に配置できるこの能力の性質にも、非常に合っている気がする。
「クラフト・ワーク……」
もう一度呟いてみる。うん、その響きが最高にしっくり来る。
店の外を見やり、誰もいないことを確認してから、私はもう一度背後からスタンドを出現させた。
銀と青の無機質な像が、静かに私の傍らに立つ。
「貴方の名前は『クラフト・ワーク』よ」
私は、そのスタンド像に向け、まるで新しい友人に挨拶をするかのように微笑みかけた。
「これからよろしくね。私のスタンド、クラフト・ワーク!」