私は今、運送業者をしている。
いや、正確に言えば、以前からしていた。
南の湿地を利用して、白淵族の交易品を運ぶ仕事だ。
人間が荷物を抱えて歩けば半日かかる道も、闘蛇ならずっと早く進める。
特に湿地は、私たちの得意分野である。
(……そういえば、最近あんまりやってませんでしたね)
南の道で騒ぎがあったり、黒角族との揉め事があったり。
何かと落ち着かなかったのだ。
おかげで、交易も必要最低限になっていた。
けれど、今日は久しぶりの運送日。
私の背中には、薬草を詰めた籠が二つ。
その後ろには、獣皮を束ねた荷物が括りつけられている。
隣には、もう一頭の闘蛇。
その背にも、似たような荷物が積まれていた。
「よし、行くぞ!」
ハクが声を上げる。
(……はいはい、出発ですね)
私は、ゆっくりと歩き出した。
◇◇◇
白淵族には、五十頭ほどの闘蛇がいる。
ただし、その全てが戦えるわけではない。
戦闘に出られるのは、十五頭ほど。
私やガンのように、大きく育ち、戦士を背に乗せて戦うことができる闘蛇たちだ。
一方で、戦闘には向かない闘蛇もいる。
身体が小さかったり、気性が穏やかだったり。
人を背に乗せることはできても、戦場の騒音や血の匂いを嫌う個体もいる。
そんな闘蛇たちは、主に荷運びを担当していた。
ほかにも、まだ若い闘蛇や、年を取って戦いを退いた闘蛇たちがいる。
白淵族にとって、闘蛇は戦の道具ではない。
それぞれの性質に合わせて、一族の暮らしを支える仲間なのだ。
◇◇◇
今日、私の隣を歩いているのも、運搬を得意とする闘蛇だった。
私より少し小柄で、背中が広い。
歩き方はゆっくりしているけれど、荷物を積んだときの安定感が違う。
(……お上手ですねえ)
私は、ちらりと隣を見た。
その闘蛇は、泥の深い場所でも身体をほとんど揺らさずに進んでいる。
一方、私はというと。
「スイ、ちょっと待て!」
ハクが声を上げた。
(……え?)
振り返ると、背中の籠が傾いていた。
「また荷がずれてるぞ!」
(……あら)
私は、慌てて身体を止めた。
ハクが、縄を締め直す。
「お前、歩くのが速すぎるんだよ」
(……すみません)
私は、少しだけ鼻を鳴らした。
隣の闘蛇は、何事もなかったように立っている。
(……負けました)
戦闘なら、私の方が得意だと思う。
でも、荷運びなら、どうやら相手の方が一枚上手らしい。
◇◇◇
「こいつは、昔から荷運びが得意なんだ」
ハクが、隣の闘蛇を軽く叩いた。
「戦いには向かないけど、重い荷を運ばせたら大したもんだぞ」
(……なるほど)
私は、改めてその闘蛇を見た。
穏やかな目。
落ち着いた足取り。
確かに、戦場で暴れ回る姿は想像しにくい。
でも、こうして一族の荷物を運ぶ姿は、とても頼もしい。
(……適材適所ってやつですね)
私は、少しだけ感心した。
◇◇◇
南の湿地に入ると、私たちは速度を落とした。
足元はぬかるみ、ところどころ水が溜まっている。
人間なら、歩くだけでも苦労する場所だ。
けれど、闘蛇にとっては大したことではない。
特に、運搬を得意とする闘蛇は、こういう道に慣れている。
(……本当に上手)
私は、隣の闘蛇の歩き方を真似してみた。
身体を揺らさず、ゆっくりと足を運ぶ。
すると。
「お、今日はいい感じだな」
ハクが笑った。
(……先生のおかげです)
私は、隣の闘蛇に軽く鼻先を向けた。
相手は、何事もなかったように歩き続けた。
(……渋い)
◇◇◇
交易場所は、湿地の端にある小さな岩場だった。
平地から来る商人は、そこより先へは入れない。
白淵族も、必要以上に平地へ出ない。
互いに決めた場所で品を交換し、それぞれの土地へ帰る。
それが、この交易の約束だった。
岩場には、すでに荷車が一台停まっていた。
その隣に、見覚えのある男が立っている。
「おお、来たか!」
商人は、私たちを見ると手を上げた。
「相変わらず、大きな獣だなあ」
(……どうも)
私は、軽く鼻を鳴らした。
商人は、少しだけ後ずさった。
「……まだ慣れん」
(……失礼な)
何度も会っているでしょうに。
◇◇◇
セイランが、商人と品を確かめ始めた。
「薬草は、頼まれた分だ」
「助かる。こいつは平地じゃなかなか手に入らん」
商人は、籠の中身を確認した。
「獣皮も、いいものだな」
「そちらは?」
「塩と鉄の道具だ。頼まれた分は揃えてある」
セイランが、品を一つずつ確かめる。
私は、その様子を眺めていた。
(……こういうの、なんかいいですね)
物々交換。
前世では、あまり経験したことがなかった。
でも、ここでは当たり前のように行われている。
白淵族にとって必要なものを手に入れるために、私たちが荷物を運ぶ。
(……立派なお仕事じゃないですか)
私は、少しだけ誇らしくなった。
◇◇◇
「そういや、平地は大変なことになってるぞ」
品をまとめながら、商人が言った。
セイランは、顔を上げなかった。
「……そうか」
「大きな戦があってな。秦の偉い将が死んだらしい」
(……へえ)
私は、少しだけ耳を傾けた。
偉い将。
ということは、結構な大物なのだろう。
「それで?」
セイランが尋ねた。
商人は、少し驚いた顔をした。
「それでって……大騒ぎだぞ、平地じゃ」
「この道に影響はあるか」
「……今のところは、ないな」
「ならいい」
(……ですよね)
私は、静かに鼻を鳴らした。
セイランにとって大切なのは、誰が死んだかではない。
交易の道が使えるか。
山へ危険が及ばないか。
それだけなのだ。
◇◇◇
「しかし、戦が続くと困るな」
商人が、荷車の縄を締めながら言った。
「道が塞がれれば、ここまで来られなくなる」
「そのときは、取引を止める」
セイランが答えた。
「……あっさり言うなあ」
「無理に続ける必要はない」
商人は、少しだけ苦笑した。
「まあ、お前さんたちらしい」
私は、その会話を聞きながら考えた。
(……確かに)
白淵族は、交易をしている。
でも、交易がなければ生きていけないわけではない。
必要なものを手に入れるための手段の一つ。
だからこそ、危険を冒してまで続けるつもりはないのだろう。
◇◇◇
取引が終わると、今度は塩や鉄の道具を背に積んだ。
(……帰りも荷物いっぱい)
私は、少しだけため息をついた。
「スイ、頼むぞ」
セイランが、私の首筋を軽く叩く。
(……任せてください)
私は、ゆっくりと立ち上がった。
そのとき。
商人が、ふと思い出したように言った。
「そうだ。しばらくは、ここへ来られんかもしれん」
セイランが振り返る。
「なぜだ」
「平地の道が、落ち着かなくてな。戦が終わっても、しばらくは人が動く」
「……そうか」
「次に来るときは、前もって知らせを出す」
「分かった」
それで、話は終わった。
◇◇◇
帰り道。
私は、南の湿地をゆっくりと進んでいた。
背中には、塩と鉄の道具。
隣には、同じように荷物を運ぶ闘蛇。
少し前を、ハクが歩いている。
「なあ、セイラン」
「何だ」
「平地って、そんなに戦ばっかりしてるのかな」
「さあな」
「大変だなあ」
「……ああ」
ハクは、それ以上何も言わなかった。
私も、特に考えなかった。
(……戦が終わったなら、少しは静かになるのかな)
そうだといい。
南の道で騒ぎが起きると、私たちの仕事も減ってしまう。
(……せっかく運送業者になったのに)
私は、少しだけ鼻を鳴らした。
◇◇◇
集落へ戻ると、レンが迎えてくれた。
「おかえり!」
(……ただいま!)
私は、嬉しくなって尻尾を揺らした。
「おい、荷物が落ちる!」
(……あ)
慌てて止める。
レンが、声を上げて笑った。
「スイ、相変わらずだなあ」
(……すみませんね)
私は、少しだけ鼻を鳴らした。
◇◇◇
荷物を下ろし終えると、レンが魚を持ってきてくれた。
しかも、いつもより大きい。
(……素晴らしい)
私は、満足して魚を受け取った。
ハクが、隣で笑っている。
「今日もよく働いたな、スイ!」
(……ええ、働きましたとも)
私は、少しだけ胸を張った。
山の外では、大きな戦が終わったらしい。
その戦で、偉い将が死んだという。
でも、私にはその人の名前も分からない。
白淵族の人たちも、気にしていない。
それよりも、今日の交易が無事に終わったこと。
必要な塩と道具が手に入ったこと。
そして、私が大きな魚を食べられたこと。
(……最後が一番大事ですね)
私は、満足して目を閉じた。
今日も、無事に仕事が終わった。
闘蛇運送、営業再開。
(……明日も頑張りますか)
私は、そんなことを考えながら、ゆっくりと川へ戻った。