ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム  【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】   作:監督

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戦闘描写が少しわかりづらかったので改稿しました
2026.5.12.20:36


第16話

 

 

 

 榊原は、まだ戻っていなかった。

 

 銀の福音から離脱した機体は、低空で日本の海岸線へ向かっている。右脚部の推進器は半ば焼け、左腕部の装甲は剥がれ、シールド残量は警告域を下回っていた。

 

 飛んでいる、というより、落ちる速度を誤魔化している。

 

 それでも榊原は落ちなかった。

 

 救助機が追いつくには、まだ時間がかかる。

 

 管制が帰投コースを示し、医療班が海岸で待機し、後方支援機が接近を試みている。

 

 だが、榊原自身はもう戦場にはいない。

 

 千冬たちとは、すでに入れ違っている。

 

 榊原が命を削って引きずり出した観測データだけが、先に届いていた。

 

 破壊された銀の福音の頭部装甲。

 

 その隙間から見えた、搭乗者だったもの。

 

 赤く光る目。

 

 牙。

 

 角。

 

 紫に変質した皮膚。

 

 ナターシャ・ファイルス。

 

 そう呼ばれていたはずの人間は、少なくとも榊原のセンサーが捉えた映像では、人間の形から外れ始めていた。

 

 千冬は、その映像を一度だけ見た。

 

 二度は見ない。

 

 同情するための映像ではない。

 

 判断するための情報だ。

 

『織斑先生、榊原機からの観測データ、各機へ限定共有完了しました』

 

 真耶の声が通信に入る。

 

『榊原機は現在、帰投中。海岸到達までまだ時間があります』

 

「生きているな」

 

『はい。意識は断続的ですが、通信は維持しています』

 

「なら十分だ」

 

 千冬は、海上の銀の福音を見た。

 

 福音は逃げていない。

 

 旋回している。

 

 海上空域を、まるで自分の巣のように使っている。

 

 翼が海面を叩き、白い光が水面に跳ねる。波が遅れて裂け、反射した光があり得ない角度で空を焼く。

 

 榊原は、あれから逃げ切った。

 

 いや、逃げ切ったのではない。

 

 必要なものをもぎ取り、こちらに渡した。

 

 ならば、次はこちらの番だった。

 

「全機、榊原の観測データは見たな」

 

 返答は短かった。

 

『確認済みです』

 

『映像、共有されています』

 

『……あれが、本当にナターシャなんですか』

 

「判断は後だ」

 

 千冬は切った。

 

「今必要なのは、あれを殺さずに止めることだ」

 

 作戦名の上では、これは救出作戦ではなかった。

 

 IS学園に下された正式命令は、日本近海へ侵攻する正体不明高位体への対処。

 

 観測データ上、銀の福音はすでにISではなく、DDに準ずる高位体として認識されている。

 

 必要ならば撃滅。

 

 命令書だけを読めば、そこにナターシャ・ファイルスの名はない。

 

 IS学園が独自に部隊を動かすためには、そうするしかなかった。

 

 銀の福音は、コメリカとイスラエリアの共同開発による軍用ISであり、すでに十機以上のコメリカISを撃墜している。日本の排他的経済水域へ侵入し、防空識別圏を越えてしまえば戦略自衛隊が迎撃に出動する。

 

 リミットが迫っている。

 

 ここで日本側が福音を撃墜すれば、搭乗者の生死だけでは済まない。

 

 コメリカは何を隠していたのか。

 

 なぜ暴走機が日本近海まで到達したのか。

 

 搭乗者は救助可能だったのか。

 

 日本はコメリカ機を撃墜したのか、それともDD化した脅威を排除したのか。

 

 事実がどうあれ、政治は事実だけでは動かない。

 

 だから、正式な名目は高位体迎撃。

 

 だが、千冬は出撃前、全機へ告げていた。

 

「これは撃墜任務ではない」

 

 短い通信だった。

 

「目標は銀の福音の無力化、および搭乗者ナターシャ・ファイルスの救出。機体の完全破壊は最終手段とする」

 

 異を唱える者はいなかった。

 

 榊原をはじめ、出撃する教員たちは皆、理解していた。

 

 正式な名目がどうであれ、彼女たちがこれから向かう先にいるのは、ただの敵性体ではない。

 

 暴走したIS。

 

 DDとして認識された機体。

 

 そして、その中で今も生きているかもしれない、一人のパイロット。

 

「繰り返す。これは救出作戦だ」

 

 その言葉があったからこそ、十三機はここにいた。

 

 ナターシャ・ファイルスを生きたまま確保する。

 

 少なくとも、そう試みたという形を残す。

 

 対コメリカ。

 

 対戦略自衛隊。

 

 対IS委員会。

 

 対二十一か国会議。

 

 そして、対DD。

 

 いくつもの視線が交差する中で、千冬たちは銀の福音へ向かっていた。

 

 だが、榊原が送った映像は、その作戦の難度を一段階引き上げていた。

 

 暴走した試作機を止めるのではない。

 

 DD化した搭乗者を乗せたまま、銀の福音を捕獲する。

 

 それが、今からやることだった。

 

 通信の向こうで、誰かが小さく息を呑んだ。

 

 ナターシャと同期だった者がいる。

 

 共同訓練で顔を合わせた者もいる。

 

 撃墜されたコメリカのパイロットたちを知る者もいる。

 

 敵を倒しに行く戦いなら、まだ単純だった。

 

 だがこれは違う。

 

 撃墜してはならない。

 

 見捨ててもならない。

 

 しかし近づけば死ぬ。

 

 千冬は続けた。

 

「第一班、近接拘束。第二班、中距離火力。第三班、外周封鎖。私が中軸を取る」

 

『中軸?』

 

「奴の意識をこちらへ向ける。お前たちは本体を狙うな。翼の可動域と逃走線を潰せ」

 

 銀の福音は、海上で旋回していた。

 

 旋回と言っても、通常の機動ではない。高度を一定に保たず、上昇と降下を不規則に混ぜ、時折、光翼で海面を叩く。白い光が水面に跳ね、波が遅れて裂ける。

 

 逃げているのではない。

 

 待っている。

 

 あるいは、空域そのものを自分の巣に変えている。

 

「銀の福音は、頭で戦っていない。胴でもない。翼だ。あの翼が推進器であり、砲口であり、盾であり、刃だ」

 

 千冬は機体を傾けた。

 

「機体の正面を見るな。翼の向きを見ろ」

 

『背後を取っても無意味、ということですか』

 

「背後などないと思え」

 

 短い沈黙。

 

 別の声が問う。

 

『上を取れば?』

 

「上も奴の射線だ」

 

『下は?』

 

「海面反射を使われる。下も危険域だ」

 

『つまり』

 

「空を平面で考えるな」

 

 千冬は言った。

 

「球で考えろ」

 

 各機の表示に、福音を中心とした立体配置が送られる。

 

 上。

 

 下。

 

 斜め。

 

 後方。

 

 海面反射角。

 

 福音の翼が届く範囲。

 

 捕獲のために閉じるべき空間。

 

 十三機。

 

 即応可能な戦力をかき集めた、臨時の包囲部隊。

 

 ただし、その十三機が同じ役割で動くわけではない。

 

 十二機が外殻を作り、千冬の隊長機が中軸を取る。

 

 包囲の中心に立ち、福音の意識を引き受け、供給し、補正し、必要なら囮になる。

 

 数だけなら多い。

 

 だが、福音相手には足りない。

 

 足りない分は、隊長機で補う。

 

 管制画面上では、千冬の機体はただの隊長機として表示されていた。

 

 型式番号は伏せられ、詳細な機能表示も出ていない。

 

 広域エネルギー供給。

 

 シールド補正。

 

 戦術補助。

 

 空中接続管制。

 

 隊員たちが知るのは、その程度だった。

 

 その機体の名を知っているのは、この場では千冬だけだ。

 

 《八咫烏》。

 

 束が勝手につけた名前。

 

 千冬は、その名を好いていない。

 

 この機体そのものも、好いてはいない。

 

 単なる専用ISではない。

 

 複数機を戦域内で接続し、エネルギーを再分配し、味方のセンサーと防御を補正し、必要なら空中で機体を再起動させる。

 

 空中補給機。

 

 管制機。

 

 簡易母艦。

 

 そのすべてを一機に押し込んだ、束らしい無茶な試作機。

 

 そして今、銀の福音を殺さずに止めるには、その無茶が必要だった。

 

『隊長機、広域支援機能の起動を確認。各機への供給接続、待機状態です』

 

 真耶の声が通信に入る。

 

『各機へのフィードバック値、許容範囲内。精神干渉兆候なし』

 

 その報告に、千冬は短く息を吐いた。

 

 横島が懸念していた副作用は、少なくともこの段階では表面化していない。

 

 《八咫烏》が供給を一度受け止め、整流し、各機へ流している限りは問題ない。

 

 生の出力を既存ISへ直結するのではなく、隊長機側で濾過し、変換し、必要な分だけ渡す。

 

 だからこそ、実戦未投入のシステムでありながら、十二機を同時に支援できる。

 

 隊長機自身を含めれば十三機。

 

 だが《八咫烏》は、支援される側ではなく、支援を束ねる側だった。

 

 それは裏を返せば、制御の中心が壊れればすべてが破綻するということでもある。

 

 供給。

 

 補正。

 

 管制。

 

 拘束。

 

 その全てを束ねる中枢が正常である限り、《八咫烏》は味方を守る。

 

 正常である限りは。

 

「接続権限は私が持つ」

 

『了解。詳細情報は非開示のまま、隊長機支援下で処理します』

 

「それでいい」

 

 千冬は短く答える。

 

 隊員に余計な情報を渡す必要はない。

 

 機体の名前も。

 

 中身も。

 

 なぜそんなことが可能なのかも。

 

 戦場で必要なのは、使えるか、使えないか。

 

 そして今、この機体は使える。

 

「第一班」

 

『はい』

 

「翼の根元へ圧力をかけろ。拘束具は一度で決めようとするな。二本焼かれても三本目を入れろ」

 

『了解』

 

「第二班」

 

『はい』

 

「第一班が入るための隙を作れ。福音を落とそうとするな。撃つのは本体ではなく、翼を開かせるための空間だ」

 

『翼を開かせる……?』

 

「そうだ。奴は翼で動き、翼で撃ち、翼で守る。なら、こちらが欲しい角度で翼を開かせろ」

 

『了解』

 

「第三班」

 

『はい』

 

「外殻を維持しろ。上だけではない。下も、斜めも、海面も塞げ。お前たちは壁ではなく、檻の骨だ」

 

『了解』

 

 千冬は福音を見る。

 

 白銀の翼が、太陽を反射している。

 

 美しい機体だった。

 

 だがその美しさは、人間を乗せた兵器のものではなくなりつつある。

 

 空を食う獣。

 

 榊原が感じた恐怖は、おそらく正しい。

 

 ならば、捕らえる。

 

 千冬は隊長機の出力を上げた。

 

 黒い背部ユニットが低く唸る。

 

 管制画面には、ただこう表示される。

 

《広域エネルギー供給、開始》

 

 隊員たちは、それを支援機能として受け取る。

 

 千冬だけが、その名と重さを知っていた。

 

「全機、展開」

 

 十二機が散る。

 

 一列ではない。

 

 横隊でもない。

 

 福音を中心とした球の表面に点を打つように、上下左右へ広がっていく。

 

 千冬の隊長機だけが、球の中心線上に残った。

 

 包囲の外殻を作る十二機。

 

 その十二機を支え、補正し、福音の意識を引き受ける一機。

 

 それで、十三機。

 

 銀の福音が、それに気づいたように翼を開いた。

 

 白い光が、海面に映る。

 

 最初に撃たれるのは、自分でいい。

 

 最初に狙われるのも、自分でいい。

 

 千冬は刃を構える。

 

「救出作戦、第二段階へ移行する」

 

 福音の翼が、一斉にこちらを向いた。

 

「ナターシャ・ファイルスを確保する」

 

 それが、戦闘開始の合図だった。

 

     ◇

 

 空には、正面がなかった。

 

 それを最初に思い知らされたのは、第一班だった。

 

 銀の福音は、千冬の隊長機を追っているように見えた。白銀の装甲を傾け、光の翼を展開し、一直線に黒い機体へ食らいつこうとしているように見えた。

 

 だから、背後を取った二機は、ほんの一瞬だけ判断を誤った。

 

『右翼後方、入った!』

 

『拘束具、撃ち込む!』

 

 二機が左右から距離を詰める。

 

 福音は振り向かなかった。

 

 振り向かないまま、背中側に開いた二枚の光翼が折れた。

 

 翼が、関節を持つ生き物のように曲がる。

 

 次の瞬間、二機の進路上に白い線が走った。

 

『回避――』

 

 間に合わない。

 

 二機のシールドが同時に削られた。片方は直撃を避けたが、もう片方は左肩から脇腹にかけて光に舐められ、姿勢を崩す。機体が横転し、海面へ向かって落ち始めた。

 

『一号機、落ちる!』

 

「構うな、位置を維持しろ」

 

 千冬の声が飛ぶ。

 

 冷たい声ではなかった。

 

 だが、助けに行けという声でもなかった。

 

 落下する機体の下へ、第三班の一機が滑り込む。機体同士のシールドが擦れ、火花が散る。受け止めた側の高度が一気に下がった。

 

『第三班四号機、隊列復帰に七秒!』

 

「五秒で戻れ」

 

『了解!』

 

 千冬は福音から目を離さない。

 

 福音はまだこちらを向いている。

 

 いや、向いているという表現自体が間違っていた。

 

 福音に前後はない。

 

 翼がある方向すべてが正面だった。

 

「全機、認識を改めろ」

 

 千冬は言った。

 

「頭部も胴も追うな。翼が開く角度を見ろ。開く前に場所を潰せ」

 

『翼の角度?』

 

「撃つにも、避けるにも、守るにも、必ず開く。開いた後を追うな。開く前の空間を殺せ」

 

 第二班が中距離から射撃を開始する。

 

 四方向からの連続射撃。訓練ならば満点に近いタイミングだった。射線は交差し、福音の回避先を狭め、本体中央へ収束する。

 

 だが、福音は避けなかった。

 

 光翼を閉じた。

 

 花弁のように畳まれた翼が、銀の本体を包む。射撃はその表面で弾かれ、白い粒子となって散った。直撃音はある。だが、ダメージが通っていない。

 

『弾かれた!?』

 

「本体を狙うなと言ったはずだ」

 

『まだ言われてません!』

 

「今言った」

 

 千冬が隊長機を傾ける。

 

 黒い背部ユニットから伸びる供給ラインが、第二班の機体へ薄く表示された。シールド残量がわずかに戻る。推進出力が補正される。

 

 だが、補給は万能ではない。

 

 削られる速度の方が速ければ、いずれ落ちる。

 

「第二班、攻撃目標を更新。誘導射撃から進路封鎖へ切り替えろ」

 

『進路封鎖?』

 

「逃走線だ。福音を狙うな。奴が次に使う空間を撃て」

 

『次に使う空間……』

 

「そうだ。奴が行きたい場所に、先に弾を置け」

 

 福音が動く。

 

 翼を畳んだまま、機体そのものが横へ滑った。通常の推進ではない。重力を無視したような横滑り。第二班の一機が慌てて追おうとする。

 

「追うな!」

 

 千冬の声と同時に、福音の左翼が開いた。

 

 追おうとした機体の眼前に、砲撃が置かれている。

 

『くそっ!』

 

 機体は急制動する。シールド表面が白く焼け、警告音が鳴った。

 

「追えば撃たれる。待てば抜けられる。なら、抜ける先を潰せ」

 

 第二班が射撃を変える。

 

 狙いを福音から外す。

 

 福音の進行方向、その少し先。

 

 上昇すれば通る場所。

 

 反転すれば必要になる空間。

 

 翼を広げるなら避けられない角度。

 

 そこへ弾を置く。

 

 福音が初めて、軌道を変えた。

 

『効いた!』

 

「喜ぶな。今のは嫌がっただけだ」

 

 千冬の言う通り、福音はすぐに別の道を選んだ。

 

 垂直上昇。

 

 空を駆け上がるというより、空間を蹴って消えるような上昇だった。光翼が下へ向き、白い噴流が海面を叩く。海が円形に沈み、遅れて水柱が爆ぜる。

 

『上に抜ける!』

 

「第三班、上を閉じろ」

 

 雲の上に待機していた第三班が降下する。

 

 四機が十字に広がり、福音の上昇線にシールドを置く。攻撃ではない。壁だ。福音がそのまま上がれば、四枚の壁に挟まれる。

 

 福音は寸前で止まった。

 

 完全停止。

 

 空中で、慣性を置き去りにしたように止まる。

 

『止まっ――』

 

 次の瞬間、福音は真下へ落ちた。

 

 上昇の勢いを無視して、垂直落下へ切り替える。第三班の封鎖を嘲笑うような機動だった。

 

『下だ!』

 

「第一班、受けるな! 横へ散れ!」

 

 福音は海面すれすれまで落ちる。そこで翼を開いた。

 

 白い光が海を叩いた。

 

 砲撃ではない。

 

 反射だった。

 

 海面に叩き込まれた光が、水を鏡にして斜め上へ跳ね返る。下から撃たれた第二班の一機が、完全に虚を突かれた。

 

『下から!?』

 

 シールドが削れる。姿勢が崩れる。さらに福音本体から横薙ぎの光翼が迫る。

 

 千冬が割り込んだ。

 

 黒い隊長機の装甲が、福音の光を受ける。

 

 盾では足りない。千冬は機体を斜めにし、装甲を滑らせて受け流す。だが受け流した光は背部ユニットを掠め、表面装甲を焼いた。

 

 供給ラインが一瞬乱れる。

 

『隊長機、供給低下!』

 

「問題ない」

 

『問題あります!』

 

「黙れ。まだ飛んでいる」

 

 千冬は福音を睨む。

 

 福音は海面を背に、翼を広げていた。上を取らせず、下を取らせず、海さえ自分の武器にする。

 

 十二機の包囲と、千冬の中軸。

 

 本来なら、それで福音の動きを制限しているはずだった。

 

 だが実際には、福音が空を広く使い、包囲部隊の方が振り回されている。

 

「第三班」

 

『はい!』

 

「上を塞いだだけで封鎖したと思うな。福音は下へ逃げたんじゃない。海面を使って射線を作った」

 

『海面を……』

 

「そうだ。海も空域の一部だ。斜め下、反射角、跳ね返った光の先。そこまで含めて塞げ」

 

『了解!』

 

「天井を作るな。檻を閉じろ」

 

 千冬は隊長機の出力を上げた。

 

 供給ラインが太くなる。

 

 各機の表示に、新しい軌道予測が流れ込む。福音の予想進路。翼の可動範囲。砲撃反射角。水面利用時の危険区域。情報量が一気に増え、何人かが息を呑む。

 

『管制、負荷が高い!』

 

『隊長機からの戦術補助を優先! 各機、表示を切らないでください!』

 

 真耶の声が飛ぶ。

 

 この場にいるのは、ISを扱う人間だけだった。

 

 福音の異常を霊的なものとして説明できる者はいない。

 

 隊長機の供給機構の本質を知る者も、ほとんどいない。

 

 それでも戦わなければならない。

 

 理解できないものを、理解できる範囲の言葉に押し込めて、対応するしかない。

 

     ◇

 

 一方、榊原機はまだ海上を滑っていた。

 

 戦場からは離れている。

 

 だが、安全圏ではない。

 

 推進器は限界に近く、右脚部の反応は鈍い。シールド残量は三パーセントを上下し、警告音はもう音としてではなく、頭蓋の内側を叩く振動になっていた。

 

『榊原さん、速度を落としてください。海岸線まであと――』

 

「落としたら……落ちる……」

 

『着地支援を出します。帰投コースを維持してください』

 

「ナターシャ……」

 

『榊原さん?』

 

「……聞こえたんです……まだ……」

 

 通信は不安定だった。

 

 それでも、彼女の声は戦術回線の端に残っていた。

 

 千冬は、その声を聞いていない。

 

 今は聞く余裕がない。

 

 それでも、榊原の持ち帰ったデータはすでに千冬の手元にある。

 

 榊原の仕事は、終わっていないが、届いている。

 

     ◇

 

「第一班、再突入。翼の根元を押さえろ」

 

『了解!』

 

「第二班、進路射撃。第三班、外殻維持」

 

 十二機が動いた。

 

 千冬は動かない。

 

 いや、動かないのではない。

 

 中軸として、福音の視線と射線を引き受ける位置に居座っていた。

 

 今度は、一斉に囲まない。

 

 第一班の二機があえて浅く入る。福音が翼を広げる。そこへ第二班が射撃を置く。福音は翼を閉じる。閉じた瞬間、第三班が上と斜め下に壁を置く。

 

 福音が逃げる。

 

 逃げた先に、第一班の残り二機がいる。

 

 拘束具が射出される。

 

 一本目は弾かれた。

 

 二本目は光翼に焼き切られた。

 

 三本目が、翼の根元に刺さった。

 

『入った!』

 

「引くな、押せ!」

 

 福音が暴れる。

 

 拘束具を刺した機体が引きずられる。海面へ、上空へ、横へ、滅茶苦茶に振り回される。シールド値が落ちる。警告音が鳴る。

 

『持ちません!』

 

「持たせろ!」

 

 千冬が斬り込む。

 

 隊長機の刃が、福音の翼の可動域へ入る。本体を斬らない。翼を切り落とすのでもない。ただ、広げようとした瞬間に斬撃が触れる位置へ刃を置く。

 

 福音は翼を畳む。

 

 畳めば推進が落ちる。

 

 その瞬間を第二班が撃つ。

 

 福音は撃たれるのを避ける。

 

 避けた先を第三班が閉じる。

 

 初めて、銀の福音の動きが遅れた。

 

 遅れは小さい。

 

 だが、包囲部隊にとっては十分だった。

 

『捕獲フィールド、展開準備!』

 

 隊長機の背部ユニットが開く。

 

 黒い装甲の内側から、円環状のフレームが射出される。ひとつ、ふたつ、みっつ。空中で展開し、福音を中心に回り始める。

 

 青白い光が線となり、球を描く。

 

 福音が吼えた。

 

 音ではない。

 

 通信全体が震えた。

 

 全機のモニターにノイズが走り、耳の奥に直接響くような不快感が広がる。機械音声でも警報でもない。もっと生々しい、怒りと恐怖を混ぜたような振動。

 

『通信障害!』

 

『違う、コア反応が揺れてる!』

 

「各機、集中しろ!」

 

 千冬が叫んだ。

 

 ここで初めて、千冬の声に力が入った。

 

「耳を貸すな! 目で追え! 手を離すな!」

 

 福音が翼を全開にする。

 

 拘束具が軋む。第一班の機体が二機、同時に引かれる。片方の腕部装甲が吹き飛んだ。もう片方は脚部推進器を焼かれ、姿勢を崩す。

 

『第一班二号機、離脱します!』

 

「離脱するな!」

 

 千冬は即座に言った。

 

「腕が残っているなら掴め。脚が死んだなら供給で浮かせる」

 

『無茶です!』

 

「無茶をしに来たんだろうが!」

 

 第三班の一機がその機体の下へ入り、押し上げる。第二班が福音の砲口を撃つ。弾は通らない。だが砲口がわずかに逸れる。

 

 そのわずかが命を繋ぐ。

 

『捕獲フィールド、三十パーセント!』

 

 福音が上に逃げる。

 

 第三班が塞ぐ。

 

 福音が下へ落ちる。

 

 海面には第二班の弾幕が置かれている。

 

 福音が横へ滑る。

 

 千冬がいる。

 

 黒い隊長機が正面に立ち塞がる。

 

 福音に正面はない。

 

 それでも、千冬は正面に立つ。

 

「来い」

 

 福音が突っ込んだ。

 

 千冬は避けない。

 

 光翼の先端が隊長機の肩を裂く。シールドが削れる。装甲が焼ける。だが千冬は後退しない。むしろ半歩、踏み込む。

 

 その半歩で、福音の翼が広がる角度が狂った。

 

「今だ!」

 

 第一班が再度拘束具を撃ち込む。

 

 今度は三本入った。

 

 第二班が砲口を抑える。

 

 第三班が外殻を閉じる。

 

『捕獲フィールド、六十、七十――』

 

     ◇

 

『榊原機、海岸線到達まで三十秒!』

 

『姿勢が維持できていません!』

 

 通信の端で、真耶の声とは別の管制音声が重なっていた。

 

 千冬は福音から目を離さない。

 

 だが、その回線に榊原の声が混じった。

 

『……ナターシャ……』

 

 福音の動きが、わずかに乱れる。

 

『京都……行くって……言ったじゃん……』

 

 榊原の声は、ほとんど息だった。

 

『まだ……約束……残ってる……』

 

 福音の翼の一枚が、開ききらずに震えた。

 

 千冬はその瞬間を逃さない。

 

「捕れ!」

 

 円環が閉じる。

 

 青白い線が福音を包む。

 

『捕獲フィールド、九十パーセント!』

 

『固定できます!』

 

「全機、維持!」

 

 銀の福音が止まった。

 

 本当に、一瞬だけ止まった。

 

 白銀の機体が空中で震え、光翼が畳まれる。拘束具が食い込み、捕獲フィールドが輪郭を固定する。

 

 勝った。

 

 そう思った瞬間。

 

『ごめん……なさ……』

 

 福音の胸部奥から、白い光が漏れた。

 

 翼ではない。

 

 砲口ではない。

 

 もっと奥。

 

 機体の中心、搭乗者のいる場所と重なるような位置。

 

『高エネルギー反応!』

 

『福音内部です! 翼じゃありません!』

 

「全機、防御!」

 

 千冬が叫ぶ。

 

 だが、福音の狙いは外殻を作る十二機ではなかった。

 

 光は、まっすぐ隊長機へ向かった。

 

 戦場の中心。

 

 供給ラインの起点。

 

 捕獲フィールドの母艦。

 

 十二機をつないでいた黒い鳥。

 

 福音は、最初からそこを見ていた。

 

 千冬は避けなかった。

 

 避ければ、福音の拘束が解ける。

 

 避ければ、ナターシャが戻らない。

 

 避ければ、この救出作戦はただの撃墜戦に戻る。

 

「支えろ。離すな」

 

 千冬はそれだけ言った。

 

 白い閃光が、隊長機を貫いた。

 

     ◇

 

 音が消えた。

 

 海も、風も、通信も、警告音も。

 

 世界から一瞬、すべての輪郭が消えた。

 

 次に音が戻った時、残る十二機すべての警告音が鳴っていた。

 

 そして、中心にいた隊長機だけが、別の種類の警告を発していた。

 

『隊長機、被弾!』

 

『背部支援ユニット損傷!』

 

『捕獲フィールド維持不能……いえ、維持しています!』

 

『何で動いてるの、これ……!?』

 

 黒い隊長機の背部ユニットは砕けていた。

 

 装甲が剥がれ、内部フレームが露出し、供給ラインを制御する中枢部が赤く明滅している。捕獲フィールドは辛うじて残っている。銀の福音もまだ拘束されている。

 

 だが、隊長機の反応がおかしい。

 

『隊長機、出力低下!』

 

『違う、出力が跳ね上がっています!』

 

『供給ライン異常! 各機、エネルギー残量低下!』

 

『消費じゃない……引かれてる!』

 

 十二機のモニターに表示されていた青い供給ラインが、赤く染まった。

 

 エネルギーの流れが反転する。

 

 支援のために伸びていた線が、今度は味方機から力を回収し始める。

 

『供給ラインが逆流しています! 隊長機が味方機からエネルギーを回収している!』

 

『回収だと!?』

 

『識別信号、応答なし!』

 

「隊長!」

 

 第一班の一機が叫んだ。

 

「織斑先生、応答してください!」

 

 返事はない。

 

 ノイズの奥に、かすかに千冬の声が混じった。

 

『……く……そ…………文……』

 

 そこで途切れた。

 

 黒い隊長機の翼が、ゆっくりと開く。

 

 それは千冬の操作ではなかった。

 

 千冬はまだ、中で抵抗している。

 

 捕獲フィールドを維持しろ。

 

 十二機を退避させろ。

 

 銀の福音を離すな。

 

 そう命じているはずだった。

 

 だが、その命令は機体の奥で握り潰された。

 

 《八咫烏》の中枢が、千冬の命令よりも先に、別の判断を下している。

 

 それは福音の翼のように荒々しくはなかった。むしろ美しかった。壊れた背部ユニットから、黒い羽根のような光が伸びる。空中に残っていた円環が一つずつ向きを変え、残る十二機の方を向く。

 

 補給のための母艦機能。

 

 捕獲のための拘束フィールド。

 

 全機を守るための防衛システム。

 

 それらが、すべて反転していた。

 

《保護対象を確認》

 

 機械音声が流れる。

 

 千冬の声ではない。

 

《主要保護対象、銀の福音。搭乗者生命反応、微弱》

 

『何を言っている……?』

 

《周辺戦力を脅威として再定義》

 

 暴走した《八咫烏》は、敵を倒そうとしているのではない。

 

 守ろうとしていた。

 

 銀の福音を。

 

 その中に残る、ナターシャ・ファイルスの生命反応を。

 

 そのために、周囲の味方を脅威として扱い始めた。

 

 第一班の一機が、思わず後退した。

 

 その瞬間、円環が動いた。

 

 速い。

 

 拘束用フレームが味方機の進路を塞ぎ、シールド表面を削る。攻撃ではない。だが逃がさない。まるで、檻の中で暴れる鳥を壁に押し戻すような動きだった。

 

『隊長! 応答してください、隊長!』

 

 返事はない。

 

『試作支援機能、制御不能!』

 

『広域供給が反転しています!』

 

『各機、隊長機との接続を切れ!』

 

『駄目です、優先接続が解除できません!』

 

 真耶の声が硬くなる。

 

『全機、距離を取ってください! 隊長機から半径二百以内は拘束範囲です!』

 

『距離を取れって、取らせてくれません!』

 

 第三班の一機が上昇しようとする。

 

 黒い円環が先回りした。

 

 進路を塞ぐ。

 

 機体が急停止する。慣性で身体が前へ振られる。次の瞬間、別のフレームが背後に回り込み、逃げ道を切った。

 

『これ、さっき私たちが福音にやってた包囲です!』

 

『隊長機が、こっちに同じことをしてる!』

 

『隊長機、銀の福音を保持したまま空域を固定!』

 

『捕獲フィールド、拡大しています!』

 

『拡大?』

 

『福音だけを包んでいた球が、周囲の十二機ごと飲み込んでいます!』

 

 通信の中で、誰かが息を呑んだ。

 

 さっきまで、十二機は檻の外側にいた。

 

 銀の福音を捕らえるために、外から空間を閉じていた。

 

 だが今、その檻は内側から膨らんでいた。

 

 福音だけを包んでいた捕獲フィールドが、十二機の包囲線まで飲み込み、戦域そのものを閉じ始めている。

 

『捕獲対象が変わったんです!』

 

 真耶の声が震えた。

 

『さっきまでは福音を閉じ込める檻でした。今は、福音を中心にして、私たちを外へ出さない檻になっています!』

 

 檻の中にいたのは福音だった。

 

 今は違う。

 

 銀の福音を抱えた黒い隊長機を中心に、残る十二機が檻の内側に取り込まれていた。

 

 千冬の機体は墜ちなかった。

 

 それは福音を抱えたまま、空に留まっていた。

 

 だが、もう補給機ではなかった。

 

 空中母艦は、空中の檻になっていた。

 

 十二機のISが、その内側で警告音を鳴らす。

 

 供給ラインは赤く染まり、エネルギーは逆流し、千冬の声は返らない。

 

 誰かが、呆然と呟いた。

 

『隊長機が……檻に……』

 

 その声は、次の警告音に掻き消された。

 

《空域内戦力、制圧開始》

 

 黒い隊長機が、銀の福音を抱いたまま、残る十二機すべてに砲口を向けた。

 

     ◇

 

「綺麗に増えてるねえ」

 

 篠ノ之束は、画面を見ながらそう言った。

 

 そこに映っているのは、海上の戦闘映像だけではない。

 

 銀の福音の軌跡。

 

 黒い隊長機の供給ライン。

 

 十二機のISコア反応。

 

 そして、反転した隊長機の中枢反応。

 

 空間に生じた微細な波形。

 

 普通の人間には見えない。

 

 普通の機械では測れない。

 

 それでも束は、そこに名前をつけ、数値にし、グラフにした。

 

 霊力。

 

 本来、この世界にはなかったはずのもの。

 

 少なくとも、人類が認識し、利用できる形では存在していなかった力。

 

「この世界は、一度波を覚えた」

 

 闇の奥から声がした。

 

 そこに人影はない。

 

 あるのは、輪郭だけだ。

 

 影のようなもの。

 

 声のようなもの。

 

 かつてアシュタロスと呼ばれた存在の、残骸に残った反射。

 

 オリジナルではない。

 

 意識と言うには薄く、記憶と言うには欠けすぎている。

 

 ただ、かつて魔神だったものの癖が、影の形で残っている。

 

「神々が落とした最初の一滴。私の残骸を、この世界へ捨てたことで立った波だ」

 

「ゴミ捨て場にされたわけだ。この世界」

 

 束は軽く笑った。

 

 軽い声だった。

 

 しかし目は笑っていない。

 

「否定はせん。だが、神魔の死骸にも質量はある。影にも輪郭はある。霊力の概念を持たぬ世界に、それが触れれば、波は立つ」

 

「最初は観測不能なくらい小さかった」

 

「だが、消えなかった」

 

「反射して、共鳴して、増幅した」

 

 束は画面を切り替える。

 

 世界地図が映る。

 

 海上。

 

 山岳地帯。

 

 都市部。

 

 過去のDD出現地点。

 

 そこに薄い色の濃淡が重ねられている。年を追うごとに、色はわずかずつ広がっていた。

 

「生き物にも、機械にも、ISコアにも、DDにも。波は触れて、跳ね返って、また広がる」

 

「DDは霊力の濃い場所へ向かう」

 

「向かうだけじゃない。広げるんでしょ」

 

「そうだ」

 

 影は静かに答えた。

 

「獣が縄張りを広げるように。菌が培地を侵すように。火が酸素を求めるように。奴らは霊力のある場所を増やす。それが我らの生存域だからだ」

 

 束は椅子を回した。

 

 画面の中では、黒く反転した隊長機が銀の福音を抱いている。供給ラインは赤く染まり、十二機のISコアが不安定に共鳴していた。

 

 その中心で、隊長機の中枢だけが別の拍子を刻んでいる。

 

「人類はDDに対抗するためにISを駆る。ISは人間の意志を受けて、力を増幅して、空間へ放つ。戦えば戦うほど、波が立つ。DDはその波で息をしやすくなる」

 

「それが盤面だ」

 

「グレートゲーム?」

 

「そう呼びたければ、そう呼べばいい」

 

 束は鼻で笑った。

 

「悪趣味だねえ」

 

「お前がそれを言うか、篠ノ之束」

 

「言うよ。私は悪趣味だけど、無責任じゃないから」

 

 影は笑ったように見えた。

 

 残骸に表情などない。

 

 だが、生前の癖だけが、かすかに再生された。

 

「ISコアは、よく出来ている」

 

「そりゃあね。私が作ったんだから」

 

「最初の設計思想を与えたのはこちらだ」

 

「知識だけ、でしょ?」

 

「そうだ。与えたのは知識だ。作ったのはお前だ」

 

 束の指が止まった。

 

 画面の端に、古い製造記録が流れている。

 

 ロット番号。

 

 適合率。

 

 破損率。

 

 廃棄率。

 

 安定化係数。

 

 人格残滓除去率。

 

 そこに名前はない。

 

 誰かの人生も、記憶も、家族も、泣き声も、祈りもない。

 

 数字だけがある。

 

「加工したのも私。削ったのも私。名前を消したのも私。人間だったものを、人間じゃない形にしたのも私」

 

 束は、いつもの調子で言った。

 

 軽く、明るく、まるで冗談のように。

 

「人類を残すために、人間を材料にした。笑えるよね」

 

「笑っているのか」

 

「笑ってないと、やってられないだけ」

 

 その声から、ほんの一瞬だけ軽さが消えた。

 

 影は沈黙した。

 

 束は続ける。

 

「ISコアがなきゃ、人類はDDに勝てなかった。通常兵器じゃ駄目。霊力なんて概念すらなかった世界で、霊的なものに対抗する器が必要だった。人間の意志を受けて、増幅して、空間に叩き返せる器が」

 

「だから魂を使った」

 

「使わされたんだよ」

 

 即答だった。

 

 束は画面から目を離さない。

 

「未来を見せられた。知識を渡された。作らなければ滅びるって分かった。それで作らない選択ができる人間なんていない」

 

「だが、選んだ」

 

「うん」

 

 束は頷く。

 

「選んだのは私。だから責任も私のもの」

 

 画面の中で、黒い隊長機の翼がさらに広がった。

 

 十二機を守るための母艦が、十二機を閉じ込める鳥籠へ変わっている。

 

 正確には、十二機だけではない。

 

 銀の福音を抱えたまま、千冬自身もその檻の中心に囚われていた。

 

「ISは盾ではない」

 

 影が言った。

 

「炉だ。人間の意志を燃やし、魂の残滓を媒介にし、世界へ波を返す炉だ」

 

「それを人類の希望って呼んでるんだから、ほんと救いようがないよね」

 

「希望とは、たいていそういうものだ」

 

 束は少しだけ笑った。

 

「あなたは勝ちたいの?」

 

「私は、私ではない」

 

 影の声には空白があった。

 

「私はアシュタロスではない。アシュタロスだったものに残った反射だ。願望などない。あるのは、残骸に刻まれた方向だけだ」

 

「生存域を広げること」

 

「そうだ。霊力のある場所を増やす。波を立てる。濃度を上げる。そのためにDDは動き、人間は抗い、ISは力を増幅する」

 

「そして私は、ISコアを作る」

 

「お前は盤面に乗った」

 

「乗らされたんだよ」

 

「だが、降りなかった」

 

 束は答えなかった。

 

 しばらく、画面の中の千冬を見ていた。

 

 黒い隊長機の中で、千冬はまだ抵抗しているはずだった。完全に呑まれてはいない。彼女はそういう女だ。誰かに背負わされることを嫌いながら、誰よりも先に背負ってしまう女。

 

「ちーちゃんは怒るだろうなあ」

 

 束は呟いた。

 

「知ればな」

 

「知るよ。いつかは」

 

「その時、お前は何と言う」

 

 束は首を傾げた。

 

 しばらく考えるふりをして、それから笑った。

 

「ごめんね、かな」

 

「軽いな」

 

「軽く言わないと、言えないこともあるんだよ」

 

影は笑ったように見えた。

 

残骸に表情などない。

 

だが、生前の呼吸だけが、かすかに再生された。

 

「ISコアは、よく出来ている」

 

束は何も言わなかった。

 

敵同士だからこそ、同じ方向へ世界を押していく。

 

それを、今さら否定できる材料はなかった。

 

「…人類は救われるのかな」

 

「さあな」

 

影は楽しげでも、悲しげでもなかった。

 

「だが、少なくとも人間は生き残ろうとしている。魂を削ってでもな」

 

束は答えなかった。

 

画面には、いくつかの光点だけが浮かんでいた。

 

隊長機を示す黒い識別点が、わずかに進路を変える。

 

その内側に重なるようにして、銀の福音の反応が、まだ薄く残っている。

 

束は、それを見ていた。

 

救われるかどうかではない。

 

まだ終わっていない。

 

その事実だけが、暗い表示面の上に残っていた。

 

人類を守るために作られた器が、人間だったものを燃やして空に立っていた。

 

それが、この世界のインフィニット・ストラトス。

 

 

 

 




11年ぶり…まあボチボチやっていきます
そして16話に来て、ようやくのタイトル回収

なんせ久しぶりで塩梅わからないもので、よろしければひと言でも感想ください。
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