ISクロスGS ザ・グレート・ゲーム 【IS世界に横島忠夫を放り込んでみた】 作:監督
2026.5.12.20:36
榊原は、まだ戻っていなかった。
銀の福音から離脱した機体は、低空で日本の海岸線へ向かっている。右脚部の推進器は半ば焼け、左腕部の装甲は剥がれ、シールド残量は警告域を下回っていた。
飛んでいる、というより、落ちる速度を誤魔化している。
それでも榊原は落ちなかった。
救助機が追いつくには、まだ時間がかかる。
管制が帰投コースを示し、医療班が海岸で待機し、後方支援機が接近を試みている。
だが、榊原自身はもう戦場にはいない。
千冬たちとは、すでに入れ違っている。
榊原が命を削って引きずり出した観測データだけが、先に届いていた。
破壊された銀の福音の頭部装甲。
その隙間から見えた、搭乗者だったもの。
赤く光る目。
牙。
角。
紫に変質した皮膚。
ナターシャ・ファイルス。
そう呼ばれていたはずの人間は、少なくとも榊原のセンサーが捉えた映像では、人間の形から外れ始めていた。
千冬は、その映像を一度だけ見た。
二度は見ない。
同情するための映像ではない。
判断するための情報だ。
『織斑先生、榊原機からの観測データ、各機へ限定共有完了しました』
真耶の声が通信に入る。
『榊原機は現在、帰投中。海岸到達までまだ時間があります』
「生きているな」
『はい。意識は断続的ですが、通信は維持しています』
「なら十分だ」
千冬は、海上の銀の福音を見た。
福音は逃げていない。
旋回している。
海上空域を、まるで自分の巣のように使っている。
翼が海面を叩き、白い光が水面に跳ねる。波が遅れて裂け、反射した光があり得ない角度で空を焼く。
榊原は、あれから逃げ切った。
いや、逃げ切ったのではない。
必要なものをもぎ取り、こちらに渡した。
ならば、次はこちらの番だった。
「全機、榊原の観測データは見たな」
返答は短かった。
『確認済みです』
『映像、共有されています』
『……あれが、本当にナターシャなんですか』
「判断は後だ」
千冬は切った。
「今必要なのは、あれを殺さずに止めることだ」
作戦名の上では、これは救出作戦ではなかった。
IS学園に下された正式命令は、日本近海へ侵攻する正体不明高位体への対処。
観測データ上、銀の福音はすでにISではなく、DDに準ずる高位体として認識されている。
必要ならば撃滅。
命令書だけを読めば、そこにナターシャ・ファイルスの名はない。
IS学園が独自に部隊を動かすためには、そうするしかなかった。
銀の福音は、コメリカとイスラエリアの共同開発による軍用ISであり、すでに十機以上のコメリカISを撃墜している。日本の排他的経済水域へ侵入し、防空識別圏を越えてしまえば戦略自衛隊が迎撃に出動する。
リミットが迫っている。
ここで日本側が福音を撃墜すれば、搭乗者の生死だけでは済まない。
コメリカは何を隠していたのか。
なぜ暴走機が日本近海まで到達したのか。
搭乗者は救助可能だったのか。
日本はコメリカ機を撃墜したのか、それともDD化した脅威を排除したのか。
事実がどうあれ、政治は事実だけでは動かない。
だから、正式な名目は高位体迎撃。
だが、千冬は出撃前、全機へ告げていた。
「これは撃墜任務ではない」
短い通信だった。
「目標は銀の福音の無力化、および搭乗者ナターシャ・ファイルスの救出。機体の完全破壊は最終手段とする」
異を唱える者はいなかった。
榊原をはじめ、出撃する教員たちは皆、理解していた。
正式な名目がどうであれ、彼女たちがこれから向かう先にいるのは、ただの敵性体ではない。
暴走したIS。
DDとして認識された機体。
そして、その中で今も生きているかもしれない、一人のパイロット。
「繰り返す。これは救出作戦だ」
その言葉があったからこそ、十三機はここにいた。
ナターシャ・ファイルスを生きたまま確保する。
少なくとも、そう試みたという形を残す。
対コメリカ。
対戦略自衛隊。
対IS委員会。
対二十一か国会議。
そして、対DD。
いくつもの視線が交差する中で、千冬たちは銀の福音へ向かっていた。
だが、榊原が送った映像は、その作戦の難度を一段階引き上げていた。
暴走した試作機を止めるのではない。
DD化した搭乗者を乗せたまま、銀の福音を捕獲する。
それが、今からやることだった。
通信の向こうで、誰かが小さく息を呑んだ。
ナターシャと同期だった者がいる。
共同訓練で顔を合わせた者もいる。
撃墜されたコメリカのパイロットたちを知る者もいる。
敵を倒しに行く戦いなら、まだ単純だった。
だがこれは違う。
撃墜してはならない。
見捨ててもならない。
しかし近づけば死ぬ。
千冬は続けた。
「第一班、近接拘束。第二班、中距離火力。第三班、外周封鎖。私が中軸を取る」
『中軸?』
「奴の意識をこちらへ向ける。お前たちは本体を狙うな。翼の可動域と逃走線を潰せ」
銀の福音は、海上で旋回していた。
旋回と言っても、通常の機動ではない。高度を一定に保たず、上昇と降下を不規則に混ぜ、時折、光翼で海面を叩く。白い光が水面に跳ね、波が遅れて裂ける。
逃げているのではない。
待っている。
あるいは、空域そのものを自分の巣に変えている。
「銀の福音は、頭で戦っていない。胴でもない。翼だ。あの翼が推進器であり、砲口であり、盾であり、刃だ」
千冬は機体を傾けた。
「機体の正面を見るな。翼の向きを見ろ」
『背後を取っても無意味、ということですか』
「背後などないと思え」
短い沈黙。
別の声が問う。
『上を取れば?』
「上も奴の射線だ」
『下は?』
「海面反射を使われる。下も危険域だ」
『つまり』
「空を平面で考えるな」
千冬は言った。
「球で考えろ」
各機の表示に、福音を中心とした立体配置が送られる。
上。
下。
斜め。
後方。
海面反射角。
福音の翼が届く範囲。
捕獲のために閉じるべき空間。
十三機。
即応可能な戦力をかき集めた、臨時の包囲部隊。
ただし、その十三機が同じ役割で動くわけではない。
十二機が外殻を作り、千冬の隊長機が中軸を取る。
包囲の中心に立ち、福音の意識を引き受け、供給し、補正し、必要なら囮になる。
数だけなら多い。
だが、福音相手には足りない。
足りない分は、隊長機で補う。
管制画面上では、千冬の機体はただの隊長機として表示されていた。
型式番号は伏せられ、詳細な機能表示も出ていない。
広域エネルギー供給。
シールド補正。
戦術補助。
空中接続管制。
隊員たちが知るのは、その程度だった。
その機体の名を知っているのは、この場では千冬だけだ。
《八咫烏》。
束が勝手につけた名前。
千冬は、その名を好いていない。
この機体そのものも、好いてはいない。
単なる専用ISではない。
複数機を戦域内で接続し、エネルギーを再分配し、味方のセンサーと防御を補正し、必要なら空中で機体を再起動させる。
空中補給機。
管制機。
簡易母艦。
そのすべてを一機に押し込んだ、束らしい無茶な試作機。
そして今、銀の福音を殺さずに止めるには、その無茶が必要だった。
『隊長機、広域支援機能の起動を確認。各機への供給接続、待機状態です』
真耶の声が通信に入る。
『各機へのフィードバック値、許容範囲内。精神干渉兆候なし』
その報告に、千冬は短く息を吐いた。
横島が懸念していた副作用は、少なくともこの段階では表面化していない。
《八咫烏》が供給を一度受け止め、整流し、各機へ流している限りは問題ない。
生の出力を既存ISへ直結するのではなく、隊長機側で濾過し、変換し、必要な分だけ渡す。
だからこそ、実戦未投入のシステムでありながら、十二機を同時に支援できる。
隊長機自身を含めれば十三機。
だが《八咫烏》は、支援される側ではなく、支援を束ねる側だった。
それは裏を返せば、制御の中心が壊れればすべてが破綻するということでもある。
供給。
補正。
管制。
拘束。
その全てを束ねる中枢が正常である限り、《八咫烏》は味方を守る。
正常である限りは。
「接続権限は私が持つ」
『了解。詳細情報は非開示のまま、隊長機支援下で処理します』
「それでいい」
千冬は短く答える。
隊員に余計な情報を渡す必要はない。
機体の名前も。
中身も。
なぜそんなことが可能なのかも。
戦場で必要なのは、使えるか、使えないか。
そして今、この機体は使える。
「第一班」
『はい』
「翼の根元へ圧力をかけろ。拘束具は一度で決めようとするな。二本焼かれても三本目を入れろ」
『了解』
「第二班」
『はい』
「第一班が入るための隙を作れ。福音を落とそうとするな。撃つのは本体ではなく、翼を開かせるための空間だ」
『翼を開かせる……?』
「そうだ。奴は翼で動き、翼で撃ち、翼で守る。なら、こちらが欲しい角度で翼を開かせろ」
『了解』
「第三班」
『はい』
「外殻を維持しろ。上だけではない。下も、斜めも、海面も塞げ。お前たちは壁ではなく、檻の骨だ」
『了解』
千冬は福音を見る。
白銀の翼が、太陽を反射している。
美しい機体だった。
だがその美しさは、人間を乗せた兵器のものではなくなりつつある。
空を食う獣。
榊原が感じた恐怖は、おそらく正しい。
ならば、捕らえる。
千冬は隊長機の出力を上げた。
黒い背部ユニットが低く唸る。
管制画面には、ただこう表示される。
《広域エネルギー供給、開始》
隊員たちは、それを支援機能として受け取る。
千冬だけが、その名と重さを知っていた。
「全機、展開」
十二機が散る。
一列ではない。
横隊でもない。
福音を中心とした球の表面に点を打つように、上下左右へ広がっていく。
千冬の隊長機だけが、球の中心線上に残った。
包囲の外殻を作る十二機。
その十二機を支え、補正し、福音の意識を引き受ける一機。
それで、十三機。
銀の福音が、それに気づいたように翼を開いた。
白い光が、海面に映る。
最初に撃たれるのは、自分でいい。
最初に狙われるのも、自分でいい。
千冬は刃を構える。
「救出作戦、第二段階へ移行する」
福音の翼が、一斉にこちらを向いた。
「ナターシャ・ファイルスを確保する」
それが、戦闘開始の合図だった。
◇
空には、正面がなかった。
それを最初に思い知らされたのは、第一班だった。
銀の福音は、千冬の隊長機を追っているように見えた。白銀の装甲を傾け、光の翼を展開し、一直線に黒い機体へ食らいつこうとしているように見えた。
だから、背後を取った二機は、ほんの一瞬だけ判断を誤った。
『右翼後方、入った!』
『拘束具、撃ち込む!』
二機が左右から距離を詰める。
福音は振り向かなかった。
振り向かないまま、背中側に開いた二枚の光翼が折れた。
翼が、関節を持つ生き物のように曲がる。
次の瞬間、二機の進路上に白い線が走った。
『回避――』
間に合わない。
二機のシールドが同時に削られた。片方は直撃を避けたが、もう片方は左肩から脇腹にかけて光に舐められ、姿勢を崩す。機体が横転し、海面へ向かって落ち始めた。
『一号機、落ちる!』
「構うな、位置を維持しろ」
千冬の声が飛ぶ。
冷たい声ではなかった。
だが、助けに行けという声でもなかった。
落下する機体の下へ、第三班の一機が滑り込む。機体同士のシールドが擦れ、火花が散る。受け止めた側の高度が一気に下がった。
『第三班四号機、隊列復帰に七秒!』
「五秒で戻れ」
『了解!』
千冬は福音から目を離さない。
福音はまだこちらを向いている。
いや、向いているという表現自体が間違っていた。
福音に前後はない。
翼がある方向すべてが正面だった。
「全機、認識を改めろ」
千冬は言った。
「頭部も胴も追うな。翼が開く角度を見ろ。開く前に場所を潰せ」
『翼の角度?』
「撃つにも、避けるにも、守るにも、必ず開く。開いた後を追うな。開く前の空間を殺せ」
第二班が中距離から射撃を開始する。
四方向からの連続射撃。訓練ならば満点に近いタイミングだった。射線は交差し、福音の回避先を狭め、本体中央へ収束する。
だが、福音は避けなかった。
光翼を閉じた。
花弁のように畳まれた翼が、銀の本体を包む。射撃はその表面で弾かれ、白い粒子となって散った。直撃音はある。だが、ダメージが通っていない。
『弾かれた!?』
「本体を狙うなと言ったはずだ」
『まだ言われてません!』
「今言った」
千冬が隊長機を傾ける。
黒い背部ユニットから伸びる供給ラインが、第二班の機体へ薄く表示された。シールド残量がわずかに戻る。推進出力が補正される。
だが、補給は万能ではない。
削られる速度の方が速ければ、いずれ落ちる。
「第二班、攻撃目標を更新。誘導射撃から進路封鎖へ切り替えろ」
『進路封鎖?』
「逃走線だ。福音を狙うな。奴が次に使う空間を撃て」
『次に使う空間……』
「そうだ。奴が行きたい場所に、先に弾を置け」
福音が動く。
翼を畳んだまま、機体そのものが横へ滑った。通常の推進ではない。重力を無視したような横滑り。第二班の一機が慌てて追おうとする。
「追うな!」
千冬の声と同時に、福音の左翼が開いた。
追おうとした機体の眼前に、砲撃が置かれている。
『くそっ!』
機体は急制動する。シールド表面が白く焼け、警告音が鳴った。
「追えば撃たれる。待てば抜けられる。なら、抜ける先を潰せ」
第二班が射撃を変える。
狙いを福音から外す。
福音の進行方向、その少し先。
上昇すれば通る場所。
反転すれば必要になる空間。
翼を広げるなら避けられない角度。
そこへ弾を置く。
福音が初めて、軌道を変えた。
『効いた!』
「喜ぶな。今のは嫌がっただけだ」
千冬の言う通り、福音はすぐに別の道を選んだ。
垂直上昇。
空を駆け上がるというより、空間を蹴って消えるような上昇だった。光翼が下へ向き、白い噴流が海面を叩く。海が円形に沈み、遅れて水柱が爆ぜる。
『上に抜ける!』
「第三班、上を閉じろ」
雲の上に待機していた第三班が降下する。
四機が十字に広がり、福音の上昇線にシールドを置く。攻撃ではない。壁だ。福音がそのまま上がれば、四枚の壁に挟まれる。
福音は寸前で止まった。
完全停止。
空中で、慣性を置き去りにしたように止まる。
『止まっ――』
次の瞬間、福音は真下へ落ちた。
上昇の勢いを無視して、垂直落下へ切り替える。第三班の封鎖を嘲笑うような機動だった。
『下だ!』
「第一班、受けるな! 横へ散れ!」
福音は海面すれすれまで落ちる。そこで翼を開いた。
白い光が海を叩いた。
砲撃ではない。
反射だった。
海面に叩き込まれた光が、水を鏡にして斜め上へ跳ね返る。下から撃たれた第二班の一機が、完全に虚を突かれた。
『下から!?』
シールドが削れる。姿勢が崩れる。さらに福音本体から横薙ぎの光翼が迫る。
千冬が割り込んだ。
黒い隊長機の装甲が、福音の光を受ける。
盾では足りない。千冬は機体を斜めにし、装甲を滑らせて受け流す。だが受け流した光は背部ユニットを掠め、表面装甲を焼いた。
供給ラインが一瞬乱れる。
『隊長機、供給低下!』
「問題ない」
『問題あります!』
「黙れ。まだ飛んでいる」
千冬は福音を睨む。
福音は海面を背に、翼を広げていた。上を取らせず、下を取らせず、海さえ自分の武器にする。
十二機の包囲と、千冬の中軸。
本来なら、それで福音の動きを制限しているはずだった。
だが実際には、福音が空を広く使い、包囲部隊の方が振り回されている。
「第三班」
『はい!』
「上を塞いだだけで封鎖したと思うな。福音は下へ逃げたんじゃない。海面を使って射線を作った」
『海面を……』
「そうだ。海も空域の一部だ。斜め下、反射角、跳ね返った光の先。そこまで含めて塞げ」
『了解!』
「天井を作るな。檻を閉じろ」
千冬は隊長機の出力を上げた。
供給ラインが太くなる。
各機の表示に、新しい軌道予測が流れ込む。福音の予想進路。翼の可動範囲。砲撃反射角。水面利用時の危険区域。情報量が一気に増え、何人かが息を呑む。
『管制、負荷が高い!』
『隊長機からの戦術補助を優先! 各機、表示を切らないでください!』
真耶の声が飛ぶ。
この場にいるのは、ISを扱う人間だけだった。
福音の異常を霊的なものとして説明できる者はいない。
隊長機の供給機構の本質を知る者も、ほとんどいない。
それでも戦わなければならない。
理解できないものを、理解できる範囲の言葉に押し込めて、対応するしかない。
◇
一方、榊原機はまだ海上を滑っていた。
戦場からは離れている。
だが、安全圏ではない。
推進器は限界に近く、右脚部の反応は鈍い。シールド残量は三パーセントを上下し、警告音はもう音としてではなく、頭蓋の内側を叩く振動になっていた。
『榊原さん、速度を落としてください。海岸線まであと――』
「落としたら……落ちる……」
『着地支援を出します。帰投コースを維持してください』
「ナターシャ……」
『榊原さん?』
「……聞こえたんです……まだ……」
通信は不安定だった。
それでも、彼女の声は戦術回線の端に残っていた。
千冬は、その声を聞いていない。
今は聞く余裕がない。
それでも、榊原の持ち帰ったデータはすでに千冬の手元にある。
榊原の仕事は、終わっていないが、届いている。
◇
「第一班、再突入。翼の根元を押さえろ」
『了解!』
「第二班、進路射撃。第三班、外殻維持」
十二機が動いた。
千冬は動かない。
いや、動かないのではない。
中軸として、福音の視線と射線を引き受ける位置に居座っていた。
今度は、一斉に囲まない。
第一班の二機があえて浅く入る。福音が翼を広げる。そこへ第二班が射撃を置く。福音は翼を閉じる。閉じた瞬間、第三班が上と斜め下に壁を置く。
福音が逃げる。
逃げた先に、第一班の残り二機がいる。
拘束具が射出される。
一本目は弾かれた。
二本目は光翼に焼き切られた。
三本目が、翼の根元に刺さった。
『入った!』
「引くな、押せ!」
福音が暴れる。
拘束具を刺した機体が引きずられる。海面へ、上空へ、横へ、滅茶苦茶に振り回される。シールド値が落ちる。警告音が鳴る。
『持ちません!』
「持たせろ!」
千冬が斬り込む。
隊長機の刃が、福音の翼の可動域へ入る。本体を斬らない。翼を切り落とすのでもない。ただ、広げようとした瞬間に斬撃が触れる位置へ刃を置く。
福音は翼を畳む。
畳めば推進が落ちる。
その瞬間を第二班が撃つ。
福音は撃たれるのを避ける。
避けた先を第三班が閉じる。
初めて、銀の福音の動きが遅れた。
遅れは小さい。
だが、包囲部隊にとっては十分だった。
『捕獲フィールド、展開準備!』
隊長機の背部ユニットが開く。
黒い装甲の内側から、円環状のフレームが射出される。ひとつ、ふたつ、みっつ。空中で展開し、福音を中心に回り始める。
青白い光が線となり、球を描く。
福音が吼えた。
音ではない。
通信全体が震えた。
全機のモニターにノイズが走り、耳の奥に直接響くような不快感が広がる。機械音声でも警報でもない。もっと生々しい、怒りと恐怖を混ぜたような振動。
『通信障害!』
『違う、コア反応が揺れてる!』
「各機、集中しろ!」
千冬が叫んだ。
ここで初めて、千冬の声に力が入った。
「耳を貸すな! 目で追え! 手を離すな!」
福音が翼を全開にする。
拘束具が軋む。第一班の機体が二機、同時に引かれる。片方の腕部装甲が吹き飛んだ。もう片方は脚部推進器を焼かれ、姿勢を崩す。
『第一班二号機、離脱します!』
「離脱するな!」
千冬は即座に言った。
「腕が残っているなら掴め。脚が死んだなら供給で浮かせる」
『無茶です!』
「無茶をしに来たんだろうが!」
第三班の一機がその機体の下へ入り、押し上げる。第二班が福音の砲口を撃つ。弾は通らない。だが砲口がわずかに逸れる。
そのわずかが命を繋ぐ。
『捕獲フィールド、三十パーセント!』
福音が上に逃げる。
第三班が塞ぐ。
福音が下へ落ちる。
海面には第二班の弾幕が置かれている。
福音が横へ滑る。
千冬がいる。
黒い隊長機が正面に立ち塞がる。
福音に正面はない。
それでも、千冬は正面に立つ。
「来い」
福音が突っ込んだ。
千冬は避けない。
光翼の先端が隊長機の肩を裂く。シールドが削れる。装甲が焼ける。だが千冬は後退しない。むしろ半歩、踏み込む。
その半歩で、福音の翼が広がる角度が狂った。
「今だ!」
第一班が再度拘束具を撃ち込む。
今度は三本入った。
第二班が砲口を抑える。
第三班が外殻を閉じる。
『捕獲フィールド、六十、七十――』
◇
『榊原機、海岸線到達まで三十秒!』
『姿勢が維持できていません!』
通信の端で、真耶の声とは別の管制音声が重なっていた。
千冬は福音から目を離さない。
だが、その回線に榊原の声が混じった。
『……ナターシャ……』
福音の動きが、わずかに乱れる。
『京都……行くって……言ったじゃん……』
榊原の声は、ほとんど息だった。
『まだ……約束……残ってる……』
福音の翼の一枚が、開ききらずに震えた。
千冬はその瞬間を逃さない。
「捕れ!」
円環が閉じる。
青白い線が福音を包む。
『捕獲フィールド、九十パーセント!』
『固定できます!』
「全機、維持!」
銀の福音が止まった。
本当に、一瞬だけ止まった。
白銀の機体が空中で震え、光翼が畳まれる。拘束具が食い込み、捕獲フィールドが輪郭を固定する。
勝った。
そう思った瞬間。
『ごめん……なさ……』
福音の胸部奥から、白い光が漏れた。
翼ではない。
砲口ではない。
もっと奥。
機体の中心、搭乗者のいる場所と重なるような位置。
『高エネルギー反応!』
『福音内部です! 翼じゃありません!』
「全機、防御!」
千冬が叫ぶ。
だが、福音の狙いは外殻を作る十二機ではなかった。
光は、まっすぐ隊長機へ向かった。
戦場の中心。
供給ラインの起点。
捕獲フィールドの母艦。
十二機をつないでいた黒い鳥。
福音は、最初からそこを見ていた。
千冬は避けなかった。
避ければ、福音の拘束が解ける。
避ければ、ナターシャが戻らない。
避ければ、この救出作戦はただの撃墜戦に戻る。
「支えろ。離すな」
千冬はそれだけ言った。
白い閃光が、隊長機を貫いた。
◇
音が消えた。
海も、風も、通信も、警告音も。
世界から一瞬、すべての輪郭が消えた。
次に音が戻った時、残る十二機すべての警告音が鳴っていた。
そして、中心にいた隊長機だけが、別の種類の警告を発していた。
『隊長機、被弾!』
『背部支援ユニット損傷!』
『捕獲フィールド維持不能……いえ、維持しています!』
『何で動いてるの、これ……!?』
黒い隊長機の背部ユニットは砕けていた。
装甲が剥がれ、内部フレームが露出し、供給ラインを制御する中枢部が赤く明滅している。捕獲フィールドは辛うじて残っている。銀の福音もまだ拘束されている。
だが、隊長機の反応がおかしい。
『隊長機、出力低下!』
『違う、出力が跳ね上がっています!』
『供給ライン異常! 各機、エネルギー残量低下!』
『消費じゃない……引かれてる!』
十二機のモニターに表示されていた青い供給ラインが、赤く染まった。
エネルギーの流れが反転する。
支援のために伸びていた線が、今度は味方機から力を回収し始める。
『供給ラインが逆流しています! 隊長機が味方機からエネルギーを回収している!』
『回収だと!?』
『識別信号、応答なし!』
「隊長!」
第一班の一機が叫んだ。
「織斑先生、応答してください!」
返事はない。
ノイズの奥に、かすかに千冬の声が混じった。
『……く……そ…………文……』
そこで途切れた。
黒い隊長機の翼が、ゆっくりと開く。
それは千冬の操作ではなかった。
千冬はまだ、中で抵抗している。
捕獲フィールドを維持しろ。
十二機を退避させろ。
銀の福音を離すな。
そう命じているはずだった。
だが、その命令は機体の奥で握り潰された。
《八咫烏》の中枢が、千冬の命令よりも先に、別の判断を下している。
それは福音の翼のように荒々しくはなかった。むしろ美しかった。壊れた背部ユニットから、黒い羽根のような光が伸びる。空中に残っていた円環が一つずつ向きを変え、残る十二機の方を向く。
補給のための母艦機能。
捕獲のための拘束フィールド。
全機を守るための防衛システム。
それらが、すべて反転していた。
《保護対象を確認》
機械音声が流れる。
千冬の声ではない。
《主要保護対象、銀の福音。搭乗者生命反応、微弱》
『何を言っている……?』
《周辺戦力を脅威として再定義》
暴走した《八咫烏》は、敵を倒そうとしているのではない。
守ろうとしていた。
銀の福音を。
その中に残る、ナターシャ・ファイルスの生命反応を。
そのために、周囲の味方を脅威として扱い始めた。
第一班の一機が、思わず後退した。
その瞬間、円環が動いた。
速い。
拘束用フレームが味方機の進路を塞ぎ、シールド表面を削る。攻撃ではない。だが逃がさない。まるで、檻の中で暴れる鳥を壁に押し戻すような動きだった。
『隊長! 応答してください、隊長!』
返事はない。
『試作支援機能、制御不能!』
『広域供給が反転しています!』
『各機、隊長機との接続を切れ!』
『駄目です、優先接続が解除できません!』
真耶の声が硬くなる。
『全機、距離を取ってください! 隊長機から半径二百以内は拘束範囲です!』
『距離を取れって、取らせてくれません!』
第三班の一機が上昇しようとする。
黒い円環が先回りした。
進路を塞ぐ。
機体が急停止する。慣性で身体が前へ振られる。次の瞬間、別のフレームが背後に回り込み、逃げ道を切った。
『これ、さっき私たちが福音にやってた包囲です!』
『隊長機が、こっちに同じことをしてる!』
『隊長機、銀の福音を保持したまま空域を固定!』
『捕獲フィールド、拡大しています!』
『拡大?』
『福音だけを包んでいた球が、周囲の十二機ごと飲み込んでいます!』
通信の中で、誰かが息を呑んだ。
さっきまで、十二機は檻の外側にいた。
銀の福音を捕らえるために、外から空間を閉じていた。
だが今、その檻は内側から膨らんでいた。
福音だけを包んでいた捕獲フィールドが、十二機の包囲線まで飲み込み、戦域そのものを閉じ始めている。
『捕獲対象が変わったんです!』
真耶の声が震えた。
『さっきまでは福音を閉じ込める檻でした。今は、福音を中心にして、私たちを外へ出さない檻になっています!』
檻の中にいたのは福音だった。
今は違う。
銀の福音を抱えた黒い隊長機を中心に、残る十二機が檻の内側に取り込まれていた。
千冬の機体は墜ちなかった。
それは福音を抱えたまま、空に留まっていた。
だが、もう補給機ではなかった。
空中母艦は、空中の檻になっていた。
十二機のISが、その内側で警告音を鳴らす。
供給ラインは赤く染まり、エネルギーは逆流し、千冬の声は返らない。
誰かが、呆然と呟いた。
『隊長機が……檻に……』
その声は、次の警告音に掻き消された。
《空域内戦力、制圧開始》
黒い隊長機が、銀の福音を抱いたまま、残る十二機すべてに砲口を向けた。
◇
「綺麗に増えてるねえ」
篠ノ之束は、画面を見ながらそう言った。
そこに映っているのは、海上の戦闘映像だけではない。
銀の福音の軌跡。
黒い隊長機の供給ライン。
十二機のISコア反応。
そして、反転した隊長機の中枢反応。
空間に生じた微細な波形。
普通の人間には見えない。
普通の機械では測れない。
それでも束は、そこに名前をつけ、数値にし、グラフにした。
霊力。
本来、この世界にはなかったはずのもの。
少なくとも、人類が認識し、利用できる形では存在していなかった力。
「この世界は、一度波を覚えた」
闇の奥から声がした。
そこに人影はない。
あるのは、輪郭だけだ。
影のようなもの。
声のようなもの。
かつてアシュタロスと呼ばれた存在の、残骸に残った反射。
オリジナルではない。
意識と言うには薄く、記憶と言うには欠けすぎている。
ただ、かつて魔神だったものの癖が、影の形で残っている。
「神々が落とした最初の一滴。私の残骸を、この世界へ捨てたことで立った波だ」
「ゴミ捨て場にされたわけだ。この世界」
束は軽く笑った。
軽い声だった。
しかし目は笑っていない。
「否定はせん。だが、神魔の死骸にも質量はある。影にも輪郭はある。霊力の概念を持たぬ世界に、それが触れれば、波は立つ」
「最初は観測不能なくらい小さかった」
「だが、消えなかった」
「反射して、共鳴して、増幅した」
束は画面を切り替える。
世界地図が映る。
海上。
山岳地帯。
都市部。
過去のDD出現地点。
そこに薄い色の濃淡が重ねられている。年を追うごとに、色はわずかずつ広がっていた。
「生き物にも、機械にも、ISコアにも、DDにも。波は触れて、跳ね返って、また広がる」
「DDは霊力の濃い場所へ向かう」
「向かうだけじゃない。広げるんでしょ」
「そうだ」
影は静かに答えた。
「獣が縄張りを広げるように。菌が培地を侵すように。火が酸素を求めるように。奴らは霊力のある場所を増やす。それが我らの生存域だからだ」
束は椅子を回した。
画面の中では、黒く反転した隊長機が銀の福音を抱いている。供給ラインは赤く染まり、十二機のISコアが不安定に共鳴していた。
その中心で、隊長機の中枢だけが別の拍子を刻んでいる。
「人類はDDに対抗するためにISを駆る。ISは人間の意志を受けて、力を増幅して、空間へ放つ。戦えば戦うほど、波が立つ。DDはその波で息をしやすくなる」
「それが盤面だ」
「グレートゲーム?」
「そう呼びたければ、そう呼べばいい」
束は鼻で笑った。
「悪趣味だねえ」
「お前がそれを言うか、篠ノ之束」
「言うよ。私は悪趣味だけど、無責任じゃないから」
影は笑ったように見えた。
残骸に表情などない。
だが、生前の癖だけが、かすかに再生された。
「ISコアは、よく出来ている」
「そりゃあね。私が作ったんだから」
「最初の設計思想を与えたのはこちらだ」
「知識だけ、でしょ?」
「そうだ。与えたのは知識だ。作ったのはお前だ」
束の指が止まった。
画面の端に、古い製造記録が流れている。
ロット番号。
適合率。
破損率。
廃棄率。
安定化係数。
人格残滓除去率。
そこに名前はない。
誰かの人生も、記憶も、家族も、泣き声も、祈りもない。
数字だけがある。
「加工したのも私。削ったのも私。名前を消したのも私。人間だったものを、人間じゃない形にしたのも私」
束は、いつもの調子で言った。
軽く、明るく、まるで冗談のように。
「人類を残すために、人間を材料にした。笑えるよね」
「笑っているのか」
「笑ってないと、やってられないだけ」
その声から、ほんの一瞬だけ軽さが消えた。
影は沈黙した。
束は続ける。
「ISコアがなきゃ、人類はDDに勝てなかった。通常兵器じゃ駄目。霊力なんて概念すらなかった世界で、霊的なものに対抗する器が必要だった。人間の意志を受けて、増幅して、空間に叩き返せる器が」
「だから魂を使った」
「使わされたんだよ」
即答だった。
束は画面から目を離さない。
「未来を見せられた。知識を渡された。作らなければ滅びるって分かった。それで作らない選択ができる人間なんていない」
「だが、選んだ」
「うん」
束は頷く。
「選んだのは私。だから責任も私のもの」
画面の中で、黒い隊長機の翼がさらに広がった。
十二機を守るための母艦が、十二機を閉じ込める鳥籠へ変わっている。
正確には、十二機だけではない。
銀の福音を抱えたまま、千冬自身もその檻の中心に囚われていた。
「ISは盾ではない」
影が言った。
「炉だ。人間の意志を燃やし、魂の残滓を媒介にし、世界へ波を返す炉だ」
「それを人類の希望って呼んでるんだから、ほんと救いようがないよね」
「希望とは、たいていそういうものだ」
束は少しだけ笑った。
「あなたは勝ちたいの?」
「私は、私ではない」
影の声には空白があった。
「私はアシュタロスではない。アシュタロスだったものに残った反射だ。願望などない。あるのは、残骸に刻まれた方向だけだ」
「生存域を広げること」
「そうだ。霊力のある場所を増やす。波を立てる。濃度を上げる。そのためにDDは動き、人間は抗い、ISは力を増幅する」
「そして私は、ISコアを作る」
「お前は盤面に乗った」
「乗らされたんだよ」
「だが、降りなかった」
束は答えなかった。
しばらく、画面の中の千冬を見ていた。
黒い隊長機の中で、千冬はまだ抵抗しているはずだった。完全に呑まれてはいない。彼女はそういう女だ。誰かに背負わされることを嫌いながら、誰よりも先に背負ってしまう女。
「ちーちゃんは怒るだろうなあ」
束は呟いた。
「知ればな」
「知るよ。いつかは」
「その時、お前は何と言う」
束は首を傾げた。
しばらく考えるふりをして、それから笑った。
「ごめんね、かな」
「軽いな」
「軽く言わないと、言えないこともあるんだよ」
影は笑ったように見えた。
残骸に表情などない。
だが、生前の呼吸だけが、かすかに再生された。
「ISコアは、よく出来ている」
束は何も言わなかった。
敵同士だからこそ、同じ方向へ世界を押していく。
それを、今さら否定できる材料はなかった。
「…人類は救われるのかな」
「さあな」
影は楽しげでも、悲しげでもなかった。
「だが、少なくとも人間は生き残ろうとしている。魂を削ってでもな」
束は答えなかった。
画面には、いくつかの光点だけが浮かんでいた。
隊長機を示す黒い識別点が、わずかに進路を変える。
その内側に重なるようにして、銀の福音の反応が、まだ薄く残っている。
束は、それを見ていた。
救われるかどうかではない。
まだ終わっていない。
その事実だけが、暗い表示面の上に残っていた。
人類を守るために作られた器が、人間だったものを燃やして空に立っていた。
それが、この世界のインフィニット・ストラトス。
11年ぶり…まあボチボチやっていきます
そして16話に来て、ようやくのタイトル回収
なんせ久しぶりで塩梅わからないもので、よろしければひと言でも感想ください。
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