ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
イガラムを乗せた小舟が、少しずつゴーイング・メリー号から離れていく。
船尾に立つビビは、遠ざかる船影を不安そうに見つめていた。
「イガラム……」
「大丈夫だ、ビビ。あいつなら、きっと無事に戻ってくる」
ルフィはいつもの調子で言った。根拠があるわけではない。それでも、その言葉には不思議と迷いがなかった。
「……そうね」
ビビは小さく頷いたものの、視線を外すことはできなかった。
ミナトも、離れていく小舟を見つめていた。
イガラムが出発する直前、彼の背中に触れたときの感触を思い出す。
――間に合う距離だ。
メリー号と小舟は、まだ飛雷神で移動できる範囲にいる。ミナトは手元の三叉のクナイを、誰にも気づかれないように握り直した。
そのときだった。
遠くの海上で、突然、閃光が走った。
「――え?」
ビビが声を上げる。
次の瞬間、轟音が海を揺らした。
ドォォォンッ!!
イガラムの乗った小舟が、巨大な爆炎に包まれた。
「イガラムーーーッ!!」
ビビの悲鳴が響き渡る。
「なっ……!」
ウソップが目を見開き、サンジは煙の上がる海へ身を乗り出した。ナミも表情を強張らせ、ゾロは即座に腰の刀へ手をかける。
ルフィは船縁を掴み、爆炎の向こうを睨みつけていた。
誰もが、目の前で起きた爆発に意識を奪われていた。
その一瞬。
ミナトの姿が、メリー号の甲板から消えていた。
爆炎が小舟を呑み込む、その寸前。
ミナトは飛雷神の術を発動させ、イガラムのもとへ跳んでいた。
「なっ……!?」
状況を理解する間もなく、イガラムの視界が切り替わる。
爆発の熱と衝撃が迫るなか、ミナトは彼の身体を抱えて跳躍するように移動した。
次の瞬間、二人の姿は爆炎の中心から消え、メリー号の甲板へ戻っていた。
ミナトは勢いを殺しながら着地し、イガラムを支えてその場に降ろす。
少し離れた場所では、仲間たちが爆発した小舟を見つめたままだった。誰もこちらを振り返っていない。
「…………」
イガラムは、ぽかんと口を開けていた。
つい先ほどまで、自分は爆発に呑まれかけていたはずだ。
それなのに、なぜ自分は無事なのか。
なぜ、船の上にいるのか。
「い、いったい……何が……?」
「詳しい話はあとで」
ミナトは短く告げると、イガラムを甲板の物陰へ促した。
「今は、ビビを心配させないようにしてあげてください」
イガラムはまだ呆然としていたが、やがて小さく頷いた。
ミナトはそれ以上説明せず、何事もなかったかのように甲板の端へ移動する。
そして、仲間たちの視線が爆発の跡を追っている隙に、何気ない足取りで彼らの輪へ戻った。
「イガラム……!」
ビビは海を見つめたまま、唇を震わせていた。
「……あいつが、あんな簡単にやられるわけねェ」
ルフィはそう言い切った。しかし、煙の向こうに小舟の姿はない。
「ルフィ……」
ビビが顔を伏せかけた、そのときだった。
「そんなに悲観する必要はないんじゃないかしら?」
聞き覚えのない女の声が、船上に響いた。
全員が振り返る。
いつの間に乗り込んだのか、メリー号の甲板には、黒い髪の女が立っていた。
落ち着いた表情。余裕のある微笑み。そして、場違いなほど悠然とした佇まい。
「だ、誰だ、お前!?」
ウソップが叫ぶ。
「いつの間に船に……!」
サンジは驚きながらも、女性の姿を見て一瞬だけ目を輝かせた。
「おやおや、こんなところに美しいお嬢さんが……」
「サンジくん、今それどころじゃないでしょ!」
ナミがすかさず怒鳴る。
女は仲間たちの反応を気にする様子もなく、ビビへ視線を向けた。
「あなたが探している人物について、少しばかり情報を持っているのだけれど」
「……何ですって?」
ビビの表情が変わる。
女は手にしていた小さな物体を掲げた。
「アラバスタへ向かうための、エターナルポースよ」
その言葉に、ナミがすぐさま反応する。
「エターナルポース!? それがあれば、アラバスタへ一直線に向かえるってこと!?」
「ええ。通常のログポースの記録を待つ必要はないわ」
女は穏やかな口調で説明を続けた。
「あなたたちが急いでいるのなら、役に立つと思うのだけれど」
「それを渡してくれるっていうのか?」
ルフィが尋ねる。
「そうね。あなたたちにとって、悪い話ではないはずよ」
女は微笑みを崩さなかった。
しかし、ルフィは差し出されたエターナルポースをじっと見つめたあと、あっさりと言った。
「いらねェ」
「……え?」
ナミが目を剥く。
「ちょっと、ルフィ! 何言ってんのよ! それがあれば早くアラバスタへ行けるのよ!?」
「そんなもんに頼る必要はねェ」
ルフィは女からエターナルポースを受け取ると、ためらいもなく両手で握り締めた。
「オレたちはオレたちの航海で行くんだ!」
バキッ!!
乾いた音が響く。
エターナルポースは、ルフィの手の中で砕け散った。
「なっ……!?」
ナミの顔が引きつる。
「このバカ船長ーーーっ!! 何てことしてんのよーーーっ!!」
「だって、いらねェって言っただろ!」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
ウソップが頭を抱え、サンジは呆れたように煙草をくわえ直した。ゾロは腕を組んだまま、いつものことだと言わんばかりに目を細めている。
女は砕けたエターナルポースを一瞥し、くすりと笑った。
「なるほど。あなたたちは、ずいぶんと面白い一味なのね」
「面白がってる場合じゃないわよ!」
ナミが食ってかかるが、女は気にした様子もない。
「でも、少し安心したわ。あなたたちなら、彼女を連れていけるかもしれない」
その言葉に、ビビが反応した。
「あなた……いったい何者なの?」
「ただの通りすがり、とでも言っておこうかしら」
女は答えをはぐらかすと、踵を返そうとした。
その瞬間。
「――動かないで」
女の背後から、静かな声が落ちた。
首筋に、冷たい金属が触れる。
三叉のクナイを構えたミナトが、いつの間にか彼女の背後に立っていた。
甲板の空気が一変する。
「ミナト!?」
ナミが驚いて声を上げた。
「お、お前、いつの間にそこに……!?」
ウソップも目を丸くする。
ルフィたちが爆発に気を取られていた間、ミナトが甲板から姿を消していたことに、誰も気づいていなかったのだ。
ゾロだけは、ミナトの姿と、少し離れた物陰にいるイガラムを見比べていた。
そして、ふっと目を細める。
「……やっぱり何かしてやがったのか」
ミナトはゾロへ一瞬だけ視線を向けた。
「あとで話すよ」
「……チッ。まあいい」
ゾロはそれ以上追及しなかった。
一方、クナイを突きつけられた女は、首筋の刃を気にする様子もなく、ゆっくりと目だけを動かした。
「ずいぶんと物騒な挨拶ね」
「さっきの爆発……あんたが関わっているのか?」
ミナトの声は低かった。
「イガラムを狙った連中と、あなたが無関係だと判断できる材料がない」
「なるほど。用心深いのね」
女は微笑んだままだった。
「でも、私が何をしたのか、あなたにはまだ分からない。そうでしょう?」
ミナトは答えなかった。
確かに、爆発の直後に現れたこの女が、すべての黒幕だという証拠はない。だが、何も知らない通りすがりとして片づけるには、彼女の登場はあまりにも不自然だった。
「……質問に答えてもらおうか」
「答えられることなら、いずれね」
女の声には、焦りも恐怖もなかった。
その落ち着きが、かえって不気味だった。
「それに、今ここで私を斬ったところで、あなたたちが知りたいことは何も分からないわ」
ミナトは彼女の反応を注意深く見極める。
相手は武器を突きつけられても動揺していない。むやみに刺激すれば、こちらが知らない手段で反撃される可能性もある。
やがてミナトは、クナイを突きつけたまま静かに告げた。
「……なら、せめて名前くらい聞かせてもらおうか」
女はわずかに笑みを深めた。
「ミス・オールサンデー」
それが本当の名前なのか、それとも組織内での呼び名なのか。
今のミナトには、判断できなかった。
ただ一つ確かなのは、彼女が自分たちの航海に深く関わる何かを知っているということだった。
爆炎の向こうで何が起きたのか。
イガラムを狙ったのは誰なのか。
そして、この女は何を目的にメリー号へ現れたのか。
答えは、まだ何一つ見えていない。
ゴーイング・メリー号の甲板に、張り詰めた沈黙が流れていた。