『超かぐや姫!』×『Dr.STONE』クロスオーバー短編。
月へ戻ったかぐやが、もう一度地球へ向かっていた――はずだった。
しかし途中で隕石と衝突。
故障したたけのこ型宇宙船が辿り着いたのは、ツクヨミもスマコンも存在しない、全人類が石になった別の地球だった。
しかも宇宙船の故障で実体も作れない。
仕方なくウミウシ型のFUSHIを身体代わりにして島へ上陸したかぐやは、そこで宇宙から帰還した石神白夜たちと出会う。
「月に戻れれば、たけのこ直せるんだけどなー」
そんなかぐやに白夜が教えたのは、一人の少年の名前だった。
石神千空。
いつか石化を解き、文明を取り戻し、月にまで辿り着くはずの自慢の息子。
なら、それまで待ってみよう。
そうして始まった、かぐやの約3700年にも及ぶ寄り道。
白夜たちの時代から宝島、世界航海、そして月まで。
石の世界で、月から来たかぐや姫が人類の復活を見届けるお話です。
地球が見えた。
青と白に覆われた丸い星が、宇宙船の窓いっぱいに広がっている。それを見つけた瞬間、かぐやは操縦席からぐっと身を乗り出した。
「地球だーっ!」
当然ながら真空の宇宙に声は届かない。もっとも、今叫んでいるのは船内なので何の問題もなかった。
「いろP待ってろー! かぐや、帰還しまーす!」
月へ戻ってから、それほど時間は経っていない。少なくとも本人の感覚では、という話だ。月に帰って、あれこれ説明して、あれこれ怒られて、あれこれ誤魔化した。それでも結局、地球へ行きたいという気持ちは変わらなかった。
彩葉がいる。ヤッチョがいる。ツクヨミがある。歌って、踊って、騒いで、配信して。楽しいものがいくらでもあるのだから、帰らない理由がない。多少時間が経ってしまっていても、タイムマシンを使えば問題ない。
「犬DOGEー、地球帰ったら何するー?」
操縦席の隣にちょこんと座っていた犬型データ端末が、ぴこ、と耳を動かした。
「かぐやはねー、まずいろPに会うでしょー。それからー……」
指を折って予定を数え始める。途中で両手の指が足りなくなり、かぐやは少し考えた末に数えるのをやめた。
「まあ全部やればいっか!」
非常にかぐやらしい結論へ到達した、その時だった。甲高い警告音が船内に響き、正面モニターへ赤い表示が弾ける。接近物、相対速度、衝突予測。次々と現れる数字が凄まじい勢いで変化し、その横を小さな光点が横切った。
「……んん?」
首を傾げたかぐやだったが、次の瞬間にはそれが何なのか理解した。
「えっ」
隕石だった。
「ちょ、待っ――」
言い終えるより先に船体を衝撃が貫き、たけのこの形をした宇宙船が宇宙空間で盛大に回転した。
「ぎゃあああああああああっ!?」
宇宙に天地などない。それでも身体を振り回される感覚は嫌というほどあった。照明が落ち、非常灯が点き、また消える。犬DOGEが転がり、かぐやも座席から投げ出され、何に使うのか分からない部品まで船内を飛び回った。
「犬DOGEー!」
床を滑っていく小さな端末へ手を伸ばし、どうにか掴み取る。
「よし!」
そう思った直後に二度目の衝撃が来た。
「よくなーい!」
モニターへ大量のエラーが流れ始める。航法系異常、空間座標演算異常、通信不能、姿勢制御不能。その他にも警告が次々と増えていった。
「読めない読めない読めなーい!」
いや、読める。読めるからこそ困る。表示されている内容を乱暴にまとめれば、どれもだいたい「ヤバい」と書いてあった。
かぐやが必死に操縦系へ手を伸ばしたところで、窓の向こうが白く染まる。星が糸のように引き伸ばされ、青い地球の輪郭までぐにゃりと歪んだ。
「……え?」
次の瞬間、景色が裏返った。
次に目を覚ました時、そこには海があった。
「…………」
かぐやは何度か瞬きをした。頭上は青空で、窓の下にも青い景色が広がっている。寝ぼけた頭でしばらく眺めてから、下にあるのは空ではなく水だと気づいた。
「海だーっ!?」
たけのこ型宇宙船は半分ほど海へ突っ込んでいた。窓の向こうでは、小魚が何事もなかったように泳いでいる。
「なんで!?」
どうやら帰ってきたらしい。少なくとも空気があり、海があり、遠くには島らしきものまで見えている。
「地球……だよね?」
当然、誰も答えない。かぐやは操縦席から立ち上がろうとして、身体に力が入らないことに気づいた。
「……あれ?」
視界へ入った自分の手が透けている。腹も足も髪も同じで、身体の輪郭そのものが安定せず、ところどころ砂嵐のように乱れていた。
「うわー」
嫌な予感しかしないまま船内診断を開いてみれば、その予感は綺麗に当たっていた。
「実体形成機、死んでるー……」
月由来の装置で構成されていたかぐやの肉体は、宇宙船の損傷に引きずられるように維持できなくなっていた。完全に消滅するわけではないものの、この状態のまま船外へ出れば身体の形を保てないらしい。
「えー。せっかく地球帰ってきたのにー」
窓へ額を押しつける。向こうには緑に覆われた島と浜辺があるが、街も建物も見えなかった。
「いろPに連絡……」
通信は圏外。
「ツクヨミ」
接続先なし。
「ヤッチョ」
応答なし。
「スマコン」
該当ネットワークなし。
「…………」
何度試しても結果は変わらず、かぐやの顔から少しずつ笑みが消えていった。その足元では犬DOGEが小さく鳴いている。
「んー?」
しゃがみ込み、自分で作った小さな犬型端末を見つめる。
「……犬DOGE。ちょっと身体貸して」
耳が伏せた。
「だいじょぶだいじょぶ。たぶん」
さらに伏せる。
「たぶん!」
三十分後、たけのこ船の非常用作業スペースを、一匹の奇妙な生き物がもぞもぞと這っていた。白くて、ふわふわしていて、丸っこい。頭らしき位置からは触角のようなものが二本伸びている。
どう見てもウミウシだった。
「完成ー!」
ウミウシが両方の触角を勢いよく持ち上げる。正確には犬DOGEをベースに余剰パーツを組み直し、かぐやの意識を接続した簡易端末である。どうしてこの形になったのかは本人にもよく分かっていないが、なぜかFUSHIによく似ていた。
「うーん」
床に落ちていた金属板へ身体を映し、右へ傾き、左へ傾いてみる。
「ヤッチョに見せたら怒るかなー」
どう見てもFUSHIっぽいし、かなりFUSHIっぽい。
「ま、いっか!」
よくないかもしれないが、本人は気にしなかった。小さなウミウシは開いたハッチから海へ飛び込んだ。
島へ辿り着くまで、思ったより時間がかかった。
「ウミウシ、泳ぐのおっそーい!」
自分でこの身体にしておいて文句を言いながら、かぐやはようやく浅瀬へ這い上がった。身体へまとわりついた砂を払うつもりで、ぶるぶると身を震わせる。
「ぺっぺっ」
口はないので、完全に気分だけである。
改めて周囲を見回してみても、あるのは森と海、それに鳥くらいだった。街も家も道路も電柱も見えず、スマコンを片手に歩いている人間など当然どこにもいない。
「いろPー!」
呼んでみるが、波の音しか返ってこない。
「ヤッチョー!」
やはり返事はなかった。
「犬DOGEー!」
そこまで叫んで、自分が犬DOGEの身体に入っていることを思い出す。
「あっ」
少しだけ寂しくなった、その時だった。
「おーい!」
人の声がした。
かぐやの触角がぴんと立つ。
「人!」
砂浜の向こうから男が走ってくる。その後ろにも何人かの姿が見えた。服装は妙に簡素で、現代人に見えなくもないが、靴も服も装備もあまりにも使い込まれている。
「いたー! 人いたー!」
かぐやも駆け寄ろうとしたが、ウミウシなので遅い。向こうの男は途中まで笑顔で走ってきて、突然足を止めた。
「……ん?」
かぐやも止まる。
「こんにちはー!」
「…………」
「聞こえてるー?」
「…………」
男はしばらく足元のかぐやを見つめ、それからゆっくり後ろを振り返った。
「みんなー」
「なに、白夜?」
少し離れたところにいた女性が答える。白夜と呼ばれた男は、かぐやを指さした。
「ウミウシが喋ってる」
「は?」
「ウミウシが喋ってる」
「疲れてるんじゃない?」
「俺もそう思う」
「失礼だなー!」
「二回喋った!」
騒ぎになった。
「つまり、月から来た?」
「そーだよー」
「それで宇宙船が壊れた?」
「そー」
「身体を作れなくなったから、その……」
「犬DOGE」
「犬、どーじ?」
「犬DOGE」
「を、ウミウシ型に改造して入ってる?」
「だいたいそんな感じー」
焚き火の周りを六人の大人が囲んでいた。白夜、リリアン、シャミール、コニー、ヤコフ、ダリヤ。話を聞いた限り、どうやら全員が宇宙飛行士らしい。
そこまでは理解できたが、その先から話が噛み合わなくなった。
「で、ツクヨミにつながらないんだけどー」
「ツクヨミ?」
白夜が首を傾げる。
「知らない?」
「知らんな」
「え」
「何かの衛星?」
「え」
かぐやの触角が下がる。
「ヤッチョは?」
「誰?」
「月見ヤチヨ!」
「有名人?」
「超有名人!」
「知らねえなあ」
「ええー!?」
かぐやは飛び上がった。三センチくらい。
「じゃ、スマコン!」
「……スマ、何?」
「いろP!」
「それは人だろ?」
「そうだけどー!」
ただ知らないというだけではない。何かが根本から噛み合っていなかった。
砂の上をぐるぐる回りながら考えていたかぐやは、不意に動きを止めた。
「待って待って。今何年?」
その言葉に、六人の表情が変わる。白夜が頭を掻いた。
「正確なのは分からん」
「なんで?」
「世界中の人間が石になったからな」
「…………石?」
「ああ」
「石って?」
「そのままの意味だ。人間が全員、一瞬で石になった」
冗談を言っている顔ではなかった。
そこから、かぐやは事情を聞いた。謎の光によって地球上の全人類が石化し、宇宙にいた六人だけが免れたこと。地上へ帰還した時には文明が消えていて、日本を目指した末にこの島へ流れ着いたこと。
「それ、いつ?」
「俺らが宇宙にいた時代なら、西暦2019年だ」
知らない。かぐやの知る歴史とは違う。スマコンもツクヨミもなく、月面設備も、かぐやの知る月人も存在していない。
「もしかして」
自然と声が小さくなった。
「ここ、かぐやの地球じゃない?」
誰も答えられなかったし、答えられるはずもなかった。
その日の夜、皆が眠った後も白夜だけが焚き火の前に残っていた。
「別の地球か」
「たぶん」
「へえー」
「反応うすくない?」
「全人類石化した後だぞ。喋る月のウミウシくらい今さらだろ」
「その基準おかしいよー」
白夜が笑った。
「で、帰れそうなのか?」
「月に行ければ」
「月?」
「うん。船ね、かぐやじゃ直せないところが壊れてるの。月の設備につなげれば、たぶん直る」
「今の地球じゃ無理か」
「無理ー」
即答だった。
「パーツもないし、ネットもないし、電気もないし」
「そっか」
白夜は満天の星が広がる空を見上げた。余計な人工光が一つもない空には、月もはっきり浮かんでいる。
「じゃあ、ちょっと待ってろ」
「ん?」
「そのうち誰かが行く」
「月に?」
「ああ」
「誰が?」
「俺の息子」
白夜は、まるで明日迎えが来るとでも言うように簡単に答えた。
「すっげえ奴なんだ。科学が大好きでな」
「科学?」
「この石化だって、あいつなら絶対なんとかする」
「全員石なんでしょ?」
「それでもだ」
「いつ来るか分かんないよ?」
「来るさ」
そこに迷いはなかった。
「名前は?」
「石神千空」
「せんくう」
「ああ」
「センクウ」
かぐやはその名前を忘れないように、もう一度口の中で転がした。
「じゃあ、かぐや待ってよっかなー」
「気長だな」
「かぐや、長生きだし」
「そりゃ助かる」
白夜は笑い、かぐやも笑った。その時はまだ、本当にどれだけ待つことになるのか、二人とも知らなかった。
島での暮らしは、それなりに楽しかった。
「草ー」
「くさ?」
「面白いときに言うの」
「何で?」
「昔そうだったからー」
「くさー!」
「草ー!」
子供たちへ変な言葉を教えて、リリアンに怒られた。
「かぐや! 変な文化を残さない!」
「文化だもーん!」
「絶対ろくな残り方しないわよ!」
そして数十年後、リリアンの予言は綺麗に当たった。なぜか笑った時に地面の草を一本抜いて相手へ渡す風習ができており、かぐやが必死に「違う違う違う!」と訂正しても誰も聞いてくれなかった。
文化というものは、本人の手を離れれば勝手に育つらしい。
季節が巡り、子供が生まれ、その子供が成長し、また次の子供が生まれた。最初の六人は少しずつ老いていき、コニーが倒れ、シャミールが黙って空を眺める時間が増えた。ヤコフとダリヤは薬を求めて島を出て、そのまま帰ってこなかった。リリアンの歌声も、いつしか聞こえなくなった。
それでも、かぐやだけは白くて小さなウミウシの姿から変わらず、昨日と同じ姿で変わっていく人間たちを見続けていた。
「不公平だなー」
「何が?」
ある日、川辺で砂をさらしていた白夜が聞いた。
「みんな、変わっちゃう」
「そりゃ人間だからな」
「かぐやは変わんない」
「いいじゃねえか」
「よくないよー」
白夜はもう若くなかった。髪にも髭にも白いものが混じっている。それでも毎日のように川へ来て、砂をさらし、小さな粒を探していた。何年も、何十年も、同じ作業を続けている。
「何してるの?」
「宝探し」
「知ってる。でも何の宝?」
「千空へのお土産」
「センクウに?」
「ああ」
かぐやは川岸へ腰を落とした。
「いつ来るか分かんないのに?」
「お前も待ってるだろ」
「かぐやは壊れなきゃずっといるよ」
「俺はずっとはいられねえからな」
白夜は手を止めず、砂をさらい、水で流し、その中からほんのわずかな金属片を拾い上げる。かぐやにはそれが何なのか分からなかったが、白夜には分かっているらしい。
「センクウ、本当に来ると思う?」
「来る」
「何千年後でも?」
「来る」
「なんで?」
「千空だから」
何度聞いても、それだった。理屈にはなっていないし、科学者の父親の答えとしては随分と雑だった。
けれど、かぐやはその答えが嫌いではなかった。
さらに年月が流れ、白夜はとうとう川へ来なくなった。
かぐやは巨木の根元にいた。その近くには宇宙船ソユーズの残骸と、白夜が集めて残したものがある。少し離れた海中には、かぐやのたけのこ船も沈んでいた。
「なあ、かぐや」
「なーに?」
「千空が来たらさ」
「うん」
「よろしく言っといて」
「自分で言えばいいじゃん」
「そりゃ無理だろ」
「まだ分かんないよ?」
「分かるよ」
白夜は笑った。ずっと笑っていた男だった。
「親父は最後まで楽しくやってたってな」
「それだけ?」
「それだけでいい」
「センクウの話、いっぱいしてたくせに」
「それは言わなくていい」
「言うー」
「やめろよ」
「絶対言うー」
「ったく」
笑い声に風と波の音が重なり、頭上で葉が擦れた。
それから、白夜のいない日が来た。
百年、二百年、五百年と時間が流れ、やがてそれは、かぐやにとって数字ではなくなっていった。
島には村ができ、争いも起きれば仲直りもした。海へ出ようとする者が現れ、木を削り、縄で縛り、風を受けるだけの小さな船を作った。
「本当に行くのー?」
「ああ」
「海、めっちゃ広いよ?」
「それでも行く」
そう言った人間たちを、かぐやは浜辺から見送った。目指すのは日本の本土。白夜たちが、生涯辿り着けなかった場所だった。
帰ってこなかった船もあれば、帰ってきた船もある。遠くの土地で暮らし始めた者も、島に残った者もいた。そうして人は分かれ、かぐやについて語られる話も少しずつ姿を変えていった。
月から来た白い獣。海の神。島を見守るもの。喋る貝。喋るナメクジ。
「ウミウシだよー!」
そこだけは何度も訂正したが、いつの間にか呼び名は「月より来たりし、かぐや姫」なんて大げさなものにまでなっていた。
「姫は合ってるかもー」
そこは訂正しなかった。
やがて船のエネルギーが危険域へ入り、かぐやは起きている時間そのものを減らすようになった。一年、十年、百年と眠り、目を覚ますたびに人の顔が変わっている。
「白夜は?」
最初の頃は寝ぼけてそう聞くこともあったが、すぐにもういないことを思い出した。また眠り、次に目を覚ませば、今度は別の顔が自分を覗き込んでいる。
「センクウは?」
誰も知らない。
その繰り返しの中で、木は大きくなり、根を伸ばし、かぐやの船とソユーズの残骸を少しずつ覆っていった。それでも、かぐやは石神千空を待ち続けた。
白夜が、いつか必ず来ると言ったからだ。
何千回目かも分からない眠りの中、かぐやのセンサーが人の声を拾った。
「ホワイマンは月にいる。となりゃ話は単純だ。こっちから会いに行きゃいい」
その若い男の声に含まれていた「月」という一語だけで、かぐやの意識は一気に浮上した。システムを起動し、回線を接続し、犬DOGE端末を稼働させる。
長い眠りで固まった土の中から白いウミウシが頭を出すと、外には大勢の人間がいた。島の住人だけではなく、見たことのない服や道具を身につけた者たちも混じっている。
その中に、緑色の髪をした少年がいた。髪の先端だけが妙に尖っている。
かぐやは根の隙間から這い出した。
「今、月って言ったー?」
「うわああああああっ!?」
誰かが飛び上がった。
「ウミウシが喋ったぞ千空ー!」
「見りゃ分かるわ」
緑髪の少年だけは、ほとんど驚かなかった。しゃがみ込み、かぐやと目を合わせる。
「テメー、何モンだ?」
「かぐや」
「それ名前か?」
「そー」
「なんでウミウシが喋ってやがる」
「いろいろあってー」
「説明が雑すぎんだろ」
かぐやは男の顔をじっと見た。声でも顔でもない。それでも何かが引っかかる。ずっと昔に聞いた何かが、頭の奥に残っていた。
「ねー」
「あ?」
「名前は?」
男はあっさり答えた。
「石神千空」
その瞬間だけ、周囲の音が遠くなったような気がした。
「…………」
「何だよ」
「もう一回」
「あ?」
「名前」
「石神千空だっつってんだろ」
「センクウ?」
「だからそう言ってんだろ」
白夜の声が蘇る。俺の息子。すっげえ奴。科学が大好きで、この石化だってあいつなら絶対なんとかする。
「…………白夜の?」
今度は千空が黙った。その後ろで、ゲンもコハクもクロムもソユーズも二人を見比べている。
「白夜の、息子?」
「……親父を知ってんのか、テメー」
「知ってるよ」
かぐやは笑った。
「ずーっと待ってたよ、センクウ」
何年待ったのかは、もう数えるのもやめていた。
巨木の根元を掘り返すのに、それほど時間はかからなかった。
「おおおおおおっ! 何だこれ! 何だこれ!?」
「二回言うほど分かんねえのか」
「分かるわけねえだろ!」
クロムが騒ぐ先には、ソユーズの残骸と白夜が残したものが埋まっていた。そのさらに奥、海へ続く岩盤の空洞には、たけのこ型の物体が斜めに突き刺さっている。
「……たけのこ?」
「たけのこだな」
コハクの感想にゲンも同意した。
「宇宙船だよー」
「宇宙船!?」
クロムの声がひっくり返る一方で、千空はすでに船体へ近づき、叩き、削ろうとし、光まで当てて調べていた。
「傷一つつかねえ」
「すごいでしょー」
「素材は?」
「知らなーい」
「動力」
「知らなーい」
「推進方式」
「知らなーい」
「制御系」
「なんとなく」
「テメー本当にこれ乗ってきたのか?」
「乗ってきたよ!」
千空が顔をしかめる。
「未来人が車のエンジン知らねえようなモンか」
「たぶんそれー」
その横では、クロムが船体へ張り付いていた。
「千空! これ作れるか!?」
「無理だな」
「即答!?」
「材料も原理も何も分からねえ。科学は魔法じゃねえんだよ」
「センクウでも無理ー?」
「現時点じゃな」
かぐやの触角が垂れた。
「そっかー」
「ただし」
千空が船体を指で叩く。
「テメー言ったな。月に行きゃ直せるって」
「うん」
「ちょうどいい。俺らも月に用がある」
「……行くの?」
「ああ」
「月に?」
「月に」
「いつ?」
「今すぐじゃねえ」
「どれくらい?」
「知らねえよ。ゼロからロケット作んだぞ」
「えー」
「だが」
千空が笑った。その笑い方を見て、かぐやは少しだけ白夜を思い出した。
「100億パーセント連れてってやる」
何千年も前、同じ月を見上げながら聞いた言葉が、ようやく続きを始めた。
その夜、島の騒ぎが落ち着いた頃、千空は一人で巨木の根元へ来た。かぐやは古い船体の上から月を見ている。
「ねー」
「何だ」
「白夜のこと聞かないの?」
「忙しかったからな」
「そっか」
「で、親父どうだった?」
「うるさかったー」
「知ってる」
「無茶するし」
「知ってる」
「毎日なんかしてた」
「だろうな」
「歌下手だった」
「そいつは知らねえ」
「リリアンにめっちゃ怒られてた」
「想像つくわ」
かぐやが笑うと、千空の口元もほんの少しだけ上がった。
「あとねー、センクウの話ばっかりしてた」
「…………」
「科学がすごいとか。絶対復活するとか。石化も解くとか。月まで来るとか」
「ククク。ハードル盛りすぎだろ、あのジジイ」
「でも来たね」
「まだ月には行ってねえ」
「でも、ここには来た」
千空が黙り、かぐやもそれ以上は続けなかった。しばらくの間、波の音だけが二人の間を通り過ぎていく。
「最後は?」
「ん?」
「親父の最後」
かぐやは少し考えた。白夜は何と言っていたか。よろしく。楽しくやってた。それだけでいい。
「楽しかったって」
「……そーかよ」
「あと、よろしくって」
「雑だな」
「白夜だもん」
「違いねえ」
千空は月を見た。かぐやも同じ月を見上げる。
「ねー、センクウ」
「あ?」
「白夜ね、ずっと信じてたよ」
千空は答えなかった。
ただ、月から目を逸らさなかった。
それからの世界は、かぐやにとってあまりにも速かった。
何百年経っても木の船で海を渡っていた世界で、千空たちは数年のうちに海を越え、アメリカへ辿り着いた。そこで別の科学者とぶつかり、銃弾まで飛び交う騒ぎになったかと思えば、最後にはその相手まで仲間に引き込んでいる。
「これ、人類復興RTA?」
「何だそれ」
「気にしないでー」
その別の科学者――ゼノは、戦いが一段落すると案の定かぐやにも興味を示した。
「実にエレガントだ」
「その言い方、なんか怖いんだけどー」
作業台の上に乗せられたかぐやの周囲を、見たことのない測定器が行き来している。ゼノは表示された数値へ目を落としたまま、さらりと言った。
「分解しても?」
「やだー!」
「では非破壊検査からで構わない」
「最初からそっちにしてよー!」
少し離れた場所で作業していた千空が鼻で笑う。
「ククク。テメーが中身分かってねえ以上、調べたくなるのは100億%当然だろ」
「センクウまでそっち側ー?」
「俺なら先に外から全部測る」
「結局調べるんじゃん!」
ゼノは二人のやり取りなど気にせず、かぐやの身体へ弱い光を当てていった。
「少なくとも生物ではない。現在のボディには細胞構造も代謝も見当たらない。それでいて自律的な判断と、長期にわたる記憶の連続性を保っている」
「犬DOGEだからねー」
「その説明で理解できる人間はいない」
「でも本当だもん」
「では、この端末の演算方式は?」
「知らなーい」
「記憶媒体は?」
「知らなーい」
「エネルギー源」
「なんとなく動いてるー」
そこでゼノが初めて顔を上げた。
「君は本当に未来文明から来たのか?」
「来たよ!」
千空が作業の手を止めずに口を挟む。
「未来人だからって、全員がスマホのCPUから設計できるわけじゃねえだろ。完成品を使ってた側ならそんなモンだ」
「かぐや一般人じゃないけどねー」
「そこはどうでもいい」
「よくなーい!」
ゼノはしばらく測定結果を眺めてから、小さく笑った。
「未知の技術を、未知のまま使用できる存在か。実に興味深い」
「その顔やっぱ怖いー」
「安心したまえ。壊せば継続データが取れなくなる」
「安心できる要素そこ!?」
龍水との会話は、もっと単純だった。かぐやを初めてじっくり見た龍水は、腕を組んで数秒考えた後、迷いなく指を突きつけた。
「欲しい!」
「かぐやは物じゃないよー!」
「なら雇う!」
「切り替え早っ」
「報酬は何が欲しい?」
「いろP!」
「誰だそれは!」
「かぐやのプロデューサー」
「ならそいつも欲しい!」
「勝手に欲しがらないでー!」
笑う龍水を見て、かぐやは触角を揺らした。
「龍水って何でも欲しいって言うよね」
「当然だ! 世界は欲しい物で溢れている!」
「じゃあ月も?」
「欲しい!」
即答だった。
「かぐや、月に帰りたいんだけど」
「知っている。なら話は早いな」
龍水は何でもないことのように空を指さした。
「俺たちが月まで行ける文明を作る。お前は帰れる。俺は月へ行ける。双方、欲しい物が手に入る!」
「……月まで行くって、そんな簡単に言う?」
「難しいことと、諦めることは別だ。欲しいなら手に入れる。そのために船が要るなら船を作る。ロケットが要るならロケットを作る。それだけだ!」
「うわー」
「何だ!」
「センクウと別方向にめんどくさい人だー」
「ハッハー! 褒め言葉だな!」
「褒めてないよー!」
その後も世界は騒がしかった。飛行機が飛び、車が走り、途切れていた通信が再び繋がっていく。白夜たち六人から始まった世界に次々と人の声が戻り、ゼノは顔を合わせるたびにかぐやの船を調べたがり、龍水は相変わらず月も船も技術も全部欲しいと言った。スタンリーは喋るウミウシを見ても、ほとんど眉を動かさなかった。
そんな騒がしくて賑やかな世界を、かぐやは見るのが好きだった。だからこそ、その声が一つずつ消えていく光景は、嫌というほど怖かった。
南米で始まったスタンリーたちとの戦いは、どう見ても科学王国側が押されていた。森の向こうからは途切れることなく銃声が響き、ときおり爆発音が重なるたびに地面が揺れ、木々から細かな葉や土が降ってくる。敵の通信を断つために先行したコハク、司、氷月とは、すでにまともな連絡が取れなくなっていた。
「……コハクたち、まだ返事ないの?」
かぐやが尋ねても、誰もすぐには答えなかった。ウキョウは何かを拾おうとするように耳を澄ませていたが、その表情は硬い。何をしに行ったのかはかぐやも知っている。メデューサを再び動かすために必要なダイヤモンド電池が完成するまで、スタンリーたちをここへ近づけさせない。そのために、戦える者たちが前へ出たのだ。
「あとちょっとなんじゃろうが……!」
カセキは作業台へ身体を寄せ、震える指先で小さなダイヤモンドの加工を続けていた。いつもの豪快さは影を潜め、額には大粒の汗が浮かんでいる。そのそばではクロムたちが必要な道具を渡しながら作業を支えていたが、森の中から聞こえる銃声は少しずつ、確実に近づいていた。
「センクウ、これかなりヤバいやつだよね?」
「見りゃ100億%分かんだろ」
「そういう意味じゃなーい!」
千空の返事はいつも通りだったが、その視線は絶えず周囲を動いていた。カセキの作業状況、敵との距離、まだ動ける仲間の数、手元の通信機。使えるものを一つ残らず頭の中へ並べ、次に切れる札を探しているようだった。
その時、ひときわ近くで乾いた銃声が弾けた。
「大樹!」
ゲンの声にかぐやも振り向く。少し離れた場所にいた大樹の身体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れ込んだ。ゲンが駆け寄り、肩へ手をかけながら何度も名前を呼んでいる。それでも大樹は起き上がらなかった。
「……大樹?」
かぐやもそちらへ向かおうとしたが、小さなウミウシの身体ではすぐには辿り着けない。その間にも銃声は止まらず、別の方向では龍水がゼノを背に庇いながら応戦していた。捕虜であるゼノを生かしたまま、迫ってくるスタンリー隊まで止めるという無茶な状況でも、龍水だけはいつものように声を張り上げている。
「まだ終わってはいない! 一秒稼げば、その一秒が科学王国の勝利へ繋がる!」
「龍水ー!」
かぐやが呼ぶと、龍水はこちらを振り返った。ほんの一瞬だったが、いつものように笑っていた。
直後、銃声が響いた。
龍水の身体が大きく揺れ、胸元から赤いものが広がっていく。何かを言おうと口を動かしたように見えたが、そのまま膝から崩れ落ちた。
「龍水!? ねー、龍水!」
かぐやは必死に這った。けれど、この身体ではどうしても遅い。ようやく近くまで辿り着いたところで、傷口を押さえる手も、人間一人を運ぶ力も、自分にはないことを思い知らされる。薬の知識だってなく、できることといえば名前を呼ぶことくらいだった。
「ねえ、龍水。起きてよー」
返事が来るより先に、今度はカセキたちのいる場所で爆発が起こった。土煙と木片が一気に舞い上がり、作業台が吹き飛ばされる。加工途中だったダイヤモンドが地面へ散り、クロムが咳き込みながら瓦礫をどかし、その奥にいるカセキを引っ張り出そうとしていた。
メデューサはまだ動かず、ダイヤモンド電池も完成していない。それなのに、戦える仲間だけが次々と倒れていく。
かぐやはその光景を見ながら、身体の芯が冷えていくような感覚を覚えた。知っている光景だった。こうして一人ずつ声が消えていくところを、何千年も前の島で何度も見た。コニーがいなくなり、シャミールがいなくなり、リリアンがいなくなり、最後には白夜もいなくなった。
そして今度は、千空たちが同じように一人ずつ倒れていく。
「……やだよ」
漏れた声は、自分でも驚くほど弱かった。それでも千空だけは止まっていなかった。
「クロム! 通信は生きてっか!」
「ギリギリだ!」
「よこせ」
千空は通信機を受け取ると、すぐに周波数を切り替えた。繋ごうとしている先は南米の仲間ではなく、遥か遠く離れたアメリカのコーンシティだった。そこにはジョエルが修理したもう一つのメデューサがあり、今も仲間たちが残っている。
「向こうの連中に伝えろ。作戦続行だ」
「作戦って……まだ何かあるの?」
かぐやが見上げても、千空は通信機へ短い指示を飛ばし続けた。激しいノイズが混ざり、向こうの声まではほとんど聞き取れない。それでも、コーンシティ側でも誰かが動き始めたことだけは分かった。
ジョエルたちが敵に押さえられたメデューサを取り返し、それをもう一度起動させる。それが、こちらが完全に動けなくなる前に打てる最後の手だった。
「でもさ、取り返してどうするの? ここからアメリカなんてすっごく遠いよ?」
今から一つのメデューサを動かせたとしても、南米にいるスタンリー隊まで石化させられるとは思えない。かぐやがそう考えていると、千空は通信機から目を離さないまま答えた。
「地球ごと包む」
「……え?」
「全員まとめて石化させる」
かぐやの触角が止まった。
「全員って、スタンリーたちだけじゃなくて?」
「全員だ。スタンリーもゼノも、俺らもまとめてな」
「センクウたちも石になるの?」
「ああ」
あまりにも簡単に答えるので、一瞬意味を理解できなかった。だが千空は、かぐやが何か言うより先に倒れている仲間たちへ視線を向けた。
「石化は死じゃねえ。粉々に砕かれねえ限り復活できる。だったらこのまま全員蜂の巣にされるより100億倍マシだろ」
その視線の先には、動かなくなった大樹と龍水がいる。連絡が途絶えたコハクたちも、負傷したカセキも、まだ必死に動き回っているクロムたちもいる。
全員を助けるために、一度全員を石にする。とんでもない作戦だったが、今の状況ではそれ以外に全員を生かしておく方法がないことくらい、科学者ではないかぐやにも分かった。
「……むちゃくちゃだよー」
「知ってる」
「失敗したら?」
「終わりだな」
「センクウ」
「だから成功させんだろ」
絶対に安全だからやるわけではない。失敗できないから、成功させるしかない。何千年も前に白夜から聞いていた通りの男だった。
遠く離れたアメリカでも、その頃にはメデューサを巡る戦いが始まっていた。こちらから状況を見ることはできず、断続的な通信とノイズの向こうから誰かの怒鳴り声や銃声が聞こえるだけだった。それでもジョエルたちが動いていることだけは分かり、通信が途切れるたびにクロムが機材を確かめ、ゲンが必死に返事を求め、千空は余計なことを言わず待ち続けた。
一方でスタンリー隊は確実に迫っており、もはや時間と呼べるほどの猶予は残っていなかった。
やがて激しいノイズに混じって、通信の向こうから聞き覚えのある機械的な声が響いた。Why-manがこれまで何度も繰り返していた音声で、地球全体を覆う距離と一秒という作動時間を指定する声だった。それがジョエルの腕時計を通して、奪還されたメデューサへ届いている。
「……センクウ」
かぐやが名前を呼ぶと、千空は答える代わりに空を見た。
遠い地平線の向こうが緑色に染まり始めていた。最初は細い線にしか見えなかった光が、見る間に大きさを増し、空も森も地面も呑み込みながらこちらへ迫ってくる。
科学王国かスタンリー隊かなど、その光には何の関係もない。味方も敵も、地球に残っている人間ならまとめて石にするための光だった。
「センクウ、来たよ!」
かぐやが叫んだのと、銃声が響いたのはほとんど同時だった。
千空の身体が揺れ、胸元から赤いものが広がった。そのまま一歩よろめき、力が抜けるように地面へ崩れ落ちる。
「センクウ!?」
かぐやは龍水の時と同じように必死に這ったが、やはり遅い。ようやく千空のそばへ辿り着いても、何もしてやれなかった。
「ねえ、センクウ! センクウってば!」
それでも千空にはまだ意識が残っていた。地面に倒れたまま、こちらへ迫ってくる緑色の光を見ている。不思議なことに、その顔には焦りがなかった。追い詰められて失敗した人間の顔ではなく、長い計算の末にようやく答えが合ったことを確認した時のような顔だった。
「……これで、全員助かる」
かぐやが返事をするより早く、光が届いた。
倒れていた大樹の皮膚が灰色へ変わり、身体全体が瞬く間に石へ覆われていく。少し離れた場所では龍水も、クロムも、ゲンも、カセキも次々と石になり、森の向こうから迫っていたスタンリーたちも、捕らえられていたゼノも同じ光へ呑まれていった。
そして最後には、目の前の千空まで完全な石像へ変わった。
ほんの少し前まで響き続けていた銃声も、怒鳴り声も、機械の駆動音もなくなった。敵も味方も関係なく、人間という人間が動かなくなり、光が通り過ぎた後に残ったのは、風が木々を揺らす音だけだった。
その中で、かぐやだけが変わらない姿で残っている。人間ではなく、細胞もなく、今の身体は犬DOGEを改造した端末にすぎないから、石化の光もかぐやには何の変化も起こさなかった。
目の前には千空がいる。少し離れたところには龍水も、大樹も、ゲンも、クロムもいる。みんな確かにそこにいるのに、誰の声も聞こえない。
「……センクウ?」
石像になった千空のすぐそばまで這っていき、触角の先で足元へ触れる。
「ねー、起きてよー」
当然返事はなく、かぐやはこの静けさを嫌というほど知っていた。何千年も前、この世界へ迷い込んだ直後にも経験したし、白夜たちが一人ずついなくなった後にも何度も味わった。周囲に誰もいなくなるというのは、何度経験しても慣れるものではない。
「……やだなー」
石になった千空の隣で小さく呟き、そのまましばらく動けなかった。
それからどれだけ時間が経ったのか、かぐやにも正確には分からない。ただ、次に聞こえてきた人間の声だけは、千空のものではなかった。
最初に目覚めたのは、スイカだった。
「……う?」
石の殻が割れ、小さな身体が地面へ倒れる。息を吸い、咳き込んだ。
「スイカ!」
「……かぐ、や?」
「スイカー!」
ウミウシがものすごい勢いで突っ込んだ。実際の速度は遅かったが、気持ちだけは速い。
「よかったー!」
「みんなは……?」
スイカが周囲を見る。そこにあるのは石像ばかりで、動いている人間は自分一人だった。
「……みんな、石なんだよ」
「千空も?」
「うん」
「コハクも?」
「うん」
「ゲンも?」
「うん」
スイカは泣いた。かぐやにはその手を握ることも、抱きしめることもできなかったから、ただ隣にいることしかできなかった。
それからスイカの生活が始まった。食べ物を探し、水を確保し、寝る場所を作る。仲間の石像を集め、千空たちが残した記録を追いながら復活液を探したが、そう簡単には見つからなかった。
「かぐや、復活液の作り方知ってる?」
「知らない」
「未来から来たのに?」
「かぐや科学者じゃないもん」
「そっか……」
「ごめんね」
「謝らなくていいんだよ」
そう言って、スイカはまた立ち上がった。
千空の残した文字や記録、材料を一つずつ追った。それでも失敗は続き、容器が割れ、材料が足りなくなり、雨に火を消され、風邪までひいた。
「もうやだ……」
ある夜、スイカが膝を抱えた。
「うん」
かぐやは隣へ座った。
「みんな起きないかも……」
「起きるよー」
「どうして分かるの?」
その問いを聞いて、かぐやは遠い昔に白夜へ尋ねたことを思い出した。センクウは本当に来るのか。何千年後でも来るのか。どうしてそう言い切れるのか。
答えは決まっていた。
「センクウだから」
スイカが顔を上げる。
「白夜が言ってた」
「白夜?」
「センクウのお父さん」
かぐやは月を見た。
「あの人もね、ずーっと言ってた。センクウならなんとかするって」
「……うん」
「だから今度は、スイカがなんとかする番なんじゃない?」
「スイカが?」
「そー」
「できるかな」
「知らなーい」
「ええっ!?」
「でもやるんでしょ?」
スイカは鼻をすすった。
「……やるんだよ」
「じゃ、できるまでやろー」
次の日も、その次の日も、スイカは続けた。
一年、二年、三年と時間が過ぎ、子供だった身体が伸び、声が変わり、服を作り直した。手つきも変わり、失敗した数だけできることが増えていった。
かぐやだけは相変わらず、小さな白いウミウシの姿から変わらない。
「スイカ、大きくなったねー」
「かぐやは全然変わらないんだよ」
「いいでしょー」
「ちょっと羨ましいんだよ」
四年、五年、六年と過ぎ、そして七年目。
「……できた」
スイカの手の中に復活液があった。
「できた……!」
「できたー!」
二人で叫んだ声に驚き、森中の鳥が飛び立った。
最初に起こす人間は決まっていた。
石像へ液体をかけると、表面へひびが走り、石の殻が砕けていく。その中から緑色の髪が現れ、千空が目を開けた。
ほんの数秒で周囲の状況を確認し、目の前に立つ成長した少女を見る。
「よう」
スイカは泣きながら笑った。
「千空」
千空の顔が、珍しく止まる。
「……何年経った?」
「七年なんだよ」
千空は息を吐き、周囲の設備や生活跡、復活液、それを持つスイカの手まで順番に見た。
「テメーが作ったのか」
「うん」
「一人で?」
スイカは隣にいる白いウミウシを見る。
「人間は、スイカ一人だったんだよ」
「かぐやはいたけどねー」
「こいつ、何の役にも立たなかったんだよ」
「ひどーい!」
「褒めてるんだよ」
「どこが!?」
千空は笑い、スイカの頭へ手を乗せた。
「やるじゃねえか、スイカ」
その一言で、七年分の涙が全部出た。
かぐやは少し離れた場所から、それを見ていた。
白夜、見てるかな。
センクウ、ちゃんと来たよ。それどころか、この世界にはセンクウみたいな人が、もう一人増えたよ。
人類は再び動き出した。今度は以前より速く、街ができ、工場ができ、コンピューターが作られ、世界中に仲間が増えていった。
そしてついに、月へ向かうためのロケットが立った。
「でっかー」
発射場で、かぐやはほとんど真上まで身体を傾け、完成したロケットを見上げていた。
「これで月まで行くの?」
「そのために作ったんだよ」
「爆発しない?」
「する可能性はある」
「やだー!」
「ロケットってのはそういうモンだ」
「たけのこの方が安全だよー」
「壊れて3700年放置されてた船が言うな」
「事故は隕石のせい!」
「宇宙じゃ隕石もリスクの内だ」
「センクウ細かーい」
月を目指す人間は千空、コハク、スタンリーの三人で、そこへ人間ではない一匹も乗り込む。
「勝手に動いて機材の隙間に入るなよ」
「かぐやゴミ扱いされてない?」
「精密機械の間に入り込むウミウシの方が悪い」
「ウミウシ差別だー!」
さらに貨物として、何千年も宝島の土の下で眠っていたたけのこ型宇宙船も、宇宙へ運び上げる計画になっていた。
「白夜」
かぐやは発射台から空を見上げる。
「行ってくるねー」
カウントダウンが終わり、点火と同時に轟音と炎が地面を押し下げる。身体を潰すような加速が始まった。
「ぎゃあああああああっ!」
「うるせえぞ、かぐや!」
「怖いもんは怖いんだよー!」
「月から来たんじゃなかったのか貴様!」
「スタンリーまでひどーい!」
「喋ってる余裕あんじゃねえか」
地面が遠ざかり、海と雲が小さくなり、やがて地球が丸くなっていった。何千年も前、この世界へ迷い込む直前にも見た景色だが、今度は一人ではなかった。
宇宙へ出てからも旅は簡単ではなかった。地上から順番に打ち上げられてくる機体を軌道上で繋ぎ、一つの宇宙船へ組み上げていく。途中では電装系に異常まで起き、かぐやには何が起きているのか分からないまま船内だけが慌ただしくなった。
「ねー、これ大丈夫?」
「大丈夫じゃねえから直してんだろ」
「聞かなきゃよかったー」
そんな時、次に接続するはずの機体が予定と違う動きをした。
かぐやが窓へ張り付く。
「……あれ、自分で動いてない?」
「動いてやがるな」
本来なら無人のはずだった機体が自分で姿勢を変えながらこちらへ接近し、どうにか接続を終えると、そのハッチが開いた。
「ハッハー!」
聞き覚えのある笑い声とともに、宇宙服姿の七海龍水が当然のような顔で現れた。
「龍水ー!?」
「欲しいと言っただろう! 宇宙も、月も!」
「いや来たの!?」
「来た!」
千空が盛大に顔をしかめた。
「勝手に人数増やしてんじゃねえぞ、この欲しがり野郎」
「だが俺が持ってきた予備部品は欲しいだろう?」
「……チッ」
「ハッハー!」
「センクウ負けたー」
「テメーは黙ってろ」
龍水が持ち込んだ部品のおかげで、止まりかけていた作業は再び進み始めた。
そして数日後、月が窓いっぱいに広がった。灰色の大地と黒い空を前に、かぐやは窓へ触角を押しつける。
「帰ってきた……」
「まだ降りてねえぞ」
「雰囲気だよー」
月面へ降りる直前、龍水だけが操縦席側へ残った。
「龍水、降りないの?」
「俺はここを預かる」
「月欲しいって言ってたのに?」
「欲しいとも!」
龍水は笑った。
「月面も欲しい。全員の生還も欲しい。なら今、一番必要な場所に俺がいる。それだけだ!」
「……やっぱ欲張りだねー」
「当然だ!」
月面へ降りるのは千空、コハク、スタンリー、そして小さな白いウミウシが一匹。長い長い時間を経て、かぐやはもう一度月へ降りた。
そこで人類を石にした存在と出会い、話し、長かった謎に一つの答えが出た。
ホワイマンたちが去った後、かぐやが千空へ近づく。
「終わったー?」
「ああ」
「じゃあ次、かぐやー?」
「そうなるな」
千空たちは持ち込んだたけのこ船を月面へ降ろした。長い年月を経ても船体の中枢だけは生きていたが、地球側からは起動できなかった。
「月面設備を探すって言っても何もねえぞ」
コハクが周囲を見渡す。
「昔のかぐや側の文明と、この月が完全に同一とは限らねえからな」
千空はすでに船内へ潜り込んでいた。
「えー」
「だが、月面まで来た時点で使えるシステムがあるっつったな」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「昔すぎて覚えてなーい」
「3700年待たせた挙句それか」
配線や端子、用途の分からない装置が並ぶ未来技術の塊を前に、千空は一つずつ目で追っていった。
やがて、その手が止まる。
「…………」
「どしたの?」
「かぐや。これ」
「ん?」
指の先に、小さな四角い端子があった。
「……LAN?」
「少なくとも形状は100億%それ系だな」
「なんで?」
「こっちが聞きてえよ」
千空は内部を覗き込み、接点の数を確認する。
「完全に同一規格とは限らねえ。だが保守用の物理端子なら、古い規格を互換性込みで残す理由はある」
「超未来文明なのに?」
「新しくすりゃ偉いってモンじゃねえ。何世代も機械を繋ぐなら、変えねえ方が便利な規格もある」
「LAN強ーい」
「まだLANと決まってねえ」
千空が持ち込んでいたケーブルを取り出す。
「刺していい?」
「やってみよー」
「軽いな」
カチッ、と音を立てて端子へ刺さった。
「……刺さったね」
「ああ」
「LANじゃん」
「物理的にはな」
直後、死んでいた表示灯が一つ点き、続いて二つ、三つと光が増えていった。
「…………」
「センクウ」
「見りゃ分かる」
船内モニターへ何千年ぶりの光が戻り、かぐやにとって懐かしい声が流れた。
『接続確認。月面ネットワークへの再接続を確認しました』
触角が震える。
『登録個体照合――かぐや。帰還を確認』
「……ただいま」
声は自然と小さくなった。
たけのこ船の内部が光で満ち、白いウミウシの身体が浮き上がる。犬DOGEへ預けていた意識が船へ戻り、失われていた構築システムが月面側から補完されていった。
足が、手が、身体が、髪が、少しずつ形を得て、やがて光の中から一人の少女が降り立った。
「……ふー」
自分の手を開いて、握る。足踏みもしてみる。
「戻ったー!」
コハクが目を見開き、スタンリーも珍しく凝視していた。千空だけが面倒そうに眉を上げる。
「それが本体かよ」
「そーだよ」
かぐやはくるりと回った。
「かわいい?」
「ウミウシよりはな」
「比較対象そこ!?」
「事実だろ」
「もっとあるでしょー!」
何千年ぶりかに、自分の身体で、自分の足で立っている。その感触をしばらく確かめてから、かぐやは千空へ向き直った。
「ありがと」
「何が」
「月、連れてきてくれた」
「俺らのついでだ」
「知ってるー」
「親父との約束でもねえ」
「それも知ってる」
それでも、かぐやは笑う。
「でも、白夜との約束は守ったね」
「テメーと親父が勝手にした約束だろ」
「そーだよ」
「俺を巻き込むな」
「もう巻き込まれてるよー」
「うぜえ」
「白夜もそんなこと言ってた」
「そりゃ気が合うな」
千空が笑った。
その顔を、かぐやは白夜の顔やスイカの顔と一緒に、石の世界で出会った人たちすべての記憶へしまっておくことにした。
「じゃ」
船のハッチが閉じていく。
「元気でねー!」
「おう」
「スイカによろしく!」
「自分で言え」
「ゲンにも!」
「自分で言え」
「龍水にも!」
「うるせえ、さっさと行け!」
「はーい!」
最後に、かぐやは大きく手を振った。
「ばいばい、センクウ!」
たけのこ船が光り、月面から一瞬で消えた。
こうして、かぐやは元の世界へ帰った。
「帰ってきたー!」
見覚えのある月に、知っている設備と空。時間座標もようやく合っている。
「長かったー!」
何千年だったのかは、もう考えないことにした。
「よーし!」
修復されたたけのこ船へ乗り込み、進路を地球へ設定する。
「今度こそ、いろPのところへ――」
そこで警告音が鳴り、赤い表示が現れた。
「…………え?」
接近物、相対速度、衝突予測。
「待って待って待って待って」
窓の向こうに、見覚えのありすぎる隕石が迫っていた。
「またあああああああああああああっ!?」
衝撃と光の中で星が歪み、座標が狂う。
そうして、八千年というもう一つの長い時間が始まった。
◇
《こんヤッチョー》
《こんヤッチョ》
《今日なんかいつもよりテンション高くない?》
《ヤッチョかわいい》
《8000歳》
《↑設定な》
《消されるぞ》
仮想空間ツクヨミを無数のコメントが流れる中、月見ヤチヨはいつもの笑顔で手を振った。
「こんヤッチョー! みんな元気ー?」
《元気》
《仕事終わった》
《ヤッチョ今日なにするの?》
「今日はねー」
ヤチヨは指を一本立てる。
「昔話をしようと思いまーす!」
《珍しい》
《竹取物語?》
《8000年前の実話?》
《縄文実況》
「縄文実況じゃないよー!」
《じゃあ何》
「その前にさー」
ヤチヨは顎へ指を当てた。
「ヤッチョって八千歳でしょ?」
《設定上は》
「設定言うなー!」
《はい》
《8000歳ですね》
《どうした》
「そこにさー……三千七百年くらい足したら、何歳?」
コメントが一瞬止まり、直後に大量の文字が流れ始めた。
《??????》
《待て》
《11700》
《何を足した》
《年齢に加算イベントある?》
《8000+3700=11700》
《ヤッチョ1万歳超えてて草》
《年齢詐称してるじゃん》
《逆サバ》
《むしろ減らしてたのかよ》
《8000歳(若く申告)》
「違う違う違う! そうじゃないのー!」
ヤチヨが慌てて手を振る。
《じゃあなんだよ》
《説明しろ11700歳》
「だから今から説明するってー!」
《草》
《草》
《草》
流れていく「草」の文字を見て、ヤチヨはほんの少しだけ目を細めた。遠い昔、インターネットなんてどこにもなかった島で、笑う時に「草」と言うのだと教えたことがある。どうして今それを思い出したのか、本人にも分からない。
「じゃあ、始めるね」
ヤチヨは座り直した。
《はーい》
《昔話待機》
《1万歳の実体験》
「もう!」
笑ってから、少しだけ声を落とす。
「昔々、ある日突然、世界中の人間、七十億人が謎の光でぜーんぶ石になっちゃいました」
コメントの流れが目に見えて緩やかになった。
《???》
《急に怖い》
《滅亡してるじゃん》
《昔話とは》
《何それ》
《続き気になる》
「でもね、一人の科学少年が何千年も経って目を覚ますの」
《主人公?》
《科学少年》
《石から復活できるの?》
「できるよ」
《なんで》
「センクウだから」
《誰》
《知らん名前出てきた》
《センクウ?》
「そこから、その子はね」
石器しかない世界で火を作り、薬を作り、電気を作る。船を作って海を渡り、世界中を巡って人を救い、最後には月へ行く。
「すっごく長いお話」
《タイトルは?》
《作品名ある?》
《ヤッチョの創作?》
《聞きたい》
ヤチヨは少しだけ考えるふりをした。
本当は、ずっと前から決めていた。
「タイトルはね」
笑った。
「『Dr.STONE』」
《何それ面白そう》
《第1話はよ》
《配信シリーズ化希望》
《11700歳の昔話》
「だから年齢の話は忘れてー!」
ツクヨミに笑い声が響き、そのずっと上には本物の月が浮かんでいた。
かつて一人の少女がそこから地球を目指し、石になった世界へ迷い込み、何千年も誰かを待ち、また月へ戻り、もう一度長い時間を巡ったことを、この世界で知る者はほとんどいない。
それでも物語だけは、人から人へ、声から声へ残っていく。何千年でも、何万年でも、誰かが覚えている限り、きっとずっと。
《早く続きー》
「はいはい」
ヤチヨは笑った。
「じゃあまずは――何もない石の世界で、一人の少年が目を覚ますところから」
流れていたコメントが少しだけ静かになる。
「第一話、始めよっか」