4891年。
Big Brotherによる監視体制は、市民生活のあらゆる領域に及んでいた。
発明、信仰、夢、娯楽、家庭内の小さな工夫に至るまで、すべては記録され、審査され、必要と判断されれば即座に制限される。街頭端末は沈黙せず、家庭用端末は申請を促し、毎朝のように新たな通達が市民へ告げられる。
昨日まで許されていた行為が、今日には危険物として扱われる。
思いつきは事前相談を求められ、自由な試行は許可制となり、個人の創造性さえ監視網の内側に置かれていく。
市民は抗議する。
これは、過剰な管理に対し、自由を求め続けた市民たちの記録である。

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4891年、Big Brotherによる監視体制は、市民生活のあらゆる領域に及んでいた。
以下は、監視網によって収集された市民活動記録、および当該活動に対する行政措置、通達、市民からの異議申し立てを抜粋したものである。


4891年 - 市民生活記録

 第4891-████号。

 

 市民一名が、紙束に穴を開ける目的で指向性小型核穿孔装置を使用した。

 装置は指定位置に正確な二穴を開けたが、同時に受付端末、机、床材、提出待ち市民三名の昼食予定、および書類の「紙であった記憶」を焼失させた。

 書類そのものは穴あき状態で残存したが、法的には提出可能、物理的には灰、概念的には「穴の周囲にかつて紙があったもの」と判定され、受付処理が停止した。

 

 犯人は行政端末に向かって、「穴は開いている」「通常の穴開けパンチより速い」「爆発範囲はかなり絞った」と説明した。

 

 Big Brother は「紙がなくなっている」と述べた。

 

 当該装置は押収され、受付端末には、核反応、反物質対消滅、時空切除、概念穿孔、神格的祝福、またはそれらに類する高出力現象を伴う書類加工を拒否する更新が適用された。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。書類、紙片、封筒、申請書、回覧板、宿題、婚姻届、遺書、辞表、その他薄く平たい情報保持媒体に穴を開ける目的で、核兵器、準核兵器、指向性核反応装置、反物質、局所時空切除、または紙の存在履歴を損なう装置を使用してはならない。穴が開いたことは、手段が適切であったことを意味しない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「また文具規制かよ」

「核兵器じゃなくて核文具だろ」

「反物質が駄目なら、強い祈りならいいのか?」

「“薄く平たい情報保持媒体”ってピザも含む?」

「穴を開けるんじゃなく、穴の周りに紙を発生させるならいいのでは?」

 

 翌朝、別の市民が、穴の周囲に紙を生成する方式の申請書作成機を起動した。

 生成された申請書は全体として二穴付きに見えたが、穴のほうが先に存在していたため、紙面上の文字が穴を中心とする宗教的畏怖を帯び、申請内容がすべて「穴への帰依」に変質した。

 

 Big Brother は通達に「穴を主語にするな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、冷めたコーヒーを温め直す目的で、カップ内部に小型恒星炉を発生させた。

 コーヒーは理想温度まで加熱されたが、恒星炉の輻射と対流制御の副作用により、ミルク成分が自己組織化し、カップ底部に乳白色の信仰共同体が発生した。

 共同体はスプーンを天災と認識し、使用者の一口目を「第一次外縁喪失」として記録した。

 

 犯人は「電子レンジまで歩くのが面倒だった」「カップの中なら周囲に迷惑はかからないと思った」「温度管理は完璧だった」と説明した。

 

 Big Brother は「カップの中に太陽を置くな」と述べた。

 

 当該カップは封鎖容器へ移送され、内部共同体は暫定的に微小文明保護対象となった。

 犯人には、飲料加熱目的で恒星、恒星炉、擬似恒星、恒星に似たもの、または飲料が宗教史を持ち始める程度の熱源を使用しないよう指導が行われた。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。飲料、汁物、粥、スープ、風邪薬、乳児用ミルク、その他摂取を前提とする液体を加熱する目的で、恒星、恒星炉、準恒星体、人工太陽、局所核融合環、またはそれらに類する高密度熱源を家庭内に発生させてはならない。適温になったことは、調理方法が適切であったことを意味しない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「電子レンジの独占を許すな」

「恒星じゃなくて恒星炉ならいいのでは?」

「微小文明が発生しないミルクなら問題ないだろ」

「コーヒーが冷めるまで行政は待ってくれない」

「カップ内なら私有空間では?」

 

 翌日、複数の市民が「恒星ではなく、太陽っぽい気分を出す加熱装置」を販売した。装置は熱源としては安全だったが、使用者の脳内に「朝日を浴びているような前向きな気持ち」を過剰に注入し、午前中だけ市内の起業件数が急増した。

 

 Big Brother は通達に「気分で熱を代替するな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、靴紐をほどけにくくする目的で、局所重力結束術式を使用した。靴紐は確かにほどけなかったが、右足と地面の間に小規模な重力的忠誠関係が発生し、本人は交差点中央から移動できなくなった。救助隊が到着した時点で、靴は「この足は我々の軌道上にある」と主張していた。

 

 犯人は「蝶結びが苦手だった」「市販の靴紐固定具は見た目が悪い」「重力ならほどけないと思った」と説明した。

 

 Big Brother は「それは靴紐の問題ではない」と述べた。

 

 術式は解除され、靴には一時的な所有物再教育が行われた。犯人には通常の結び方講習が案内されたが、本人は「それが面倒だから術式を使った」と再度説明したため、講習は強制参加となった。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。靴紐、ネクタイ、髪留め、荷造り紐、弁当箱、傘袋、その他日常的な結束を目的として、重力支配、軌道固定、質量忠誠、局所引力契約を使用してはならない。ほどけないことは、適切に結ばれていることを意味しない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「蝶結びが苦手な人間への配慮がない」

 

「重力契約ではなく友情なら?」

 

「靴が本人に同意していたらいいのか?」

 

「弁当箱くらいなら重力で閉じてもいいだろ」

 

「ほどけないのは利点では?」

 

 翌日、市民の一部が「結束ではなく、離れたがらない関係性」と称して、荷物と紐の間に情緒的依存を発生させた。荷物は紐から離れなくなったが、紐のほうが束縛に耐えきれず、複数の配送現場で泣き始めた。

 

 Big Brother は通達に「物品間に恋愛感情を挟んで固定するな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、祭りの屋台において「よく跳ねる」を売り文句に、反発係数を無条件でπに固定するスーパーボールを景品として配布した。最初の購入者が地面に軽く投げた時点で、ボールは屋台天井、電柱、祭礼用山車、観覧客の義体外殻、月面観測衛星、再び祭会場の順に衝突し、約八秒で局所災害に発展した。

 

 同祭内で報告されたインシデントは四桁件数にのぼった。射的の景品が逃走し、綿菓子が雲として独立し、金魚すくいの金魚が水槽ごと参政権を請求し、輪投げの輪が低軌道へ移行したが、これらと当該スーパーボールとの因果関係は未確定である。

 

 犯人は「子供が喜ぶと思った」「πは丸い数だからボールと相性がいいと思った」「無限に跳ねるわけではないから安全だと思った」と説明した。

 

 Big Brother は「無限ではないことは安全性の説明ではない」と述べた。

 

 祭会場は一時閉鎖され、すべての「よく跳ねる」「すごく光る」「絶対当たる」「生きてるみたい」を表示した景品が危険物として押収された。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。反発係数、摩擦係数、存在確率、因果遅延、人格発生率、または観客の期待値を、任意の超越数、感情値、神託値、未定義値に固定する玩具を無許可で販売してはならない。よく跳ねることと安全であることは別である」

 

 市民からは不満が出た。

 

「祭りの景品に夢がなくなる」

 

「πは自然な数だろ」

 

「反発係数がπなら円満じゃん」

 

「一を超えるのが駄目なら、0.999999. は?」

 

「観客の期待値で跳ねる玩具はロマンがある」

 

 翌日、別の露店が「反発係数は一以下だが、衝突相手のほうが遠ざかるボール」を販売した。ボール自体は跳ねなかったが、地面、壁、観客、屋台が次々に遠ざかったため、祭会場の地図が一時間で使用不能になった。

 

 Big Brother は通達に「玩具を安全に見せかけるため、周辺環境の側を逃がすな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、中央第三区歩行者天国において、極小ブラックホール三個を用いたジャグリングを実施しようとした。犯人は事前に「重力半径は小さい」「ホーキング放射でそのうち消える」「軌道計算は完璧」「観客との距離も取っている」と説明していたが、実演開始から〇・七秒後、周辺の綿菓子、硬貨、屋台看板、観客の義歯、行政監視ドローン二機が順に吸引され、イベントは即時中止された。

 

 犯人は「火の輪くぐりよりは安全だと思った」「飲み込まれたものは一点にまとまるから散らからない」「観客が“すごい”と言ったので続けていいと思った」と説明した。

 

 Big Brother は「観客はだいたい何も分かっていない」と述べた。

 

 局所重力は凍結され、ブラックホール三個は行政管理下の安全軌道へ移送された。ただし、犯人が「演目の見栄えをよくするため」に各ブラックホールへ微量の人格識別タグを付与していたことが判明し、うち一個が「私は投げられるために生まれたのか」と発言したため、物理災害処理は人格発生物保護案件へ移行した。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。ブラックホール、ホワイトホール、裸の特異点、擬似事象地平面、局所重力井戸、またはそれらに類する高曲率領域を、大道芸、収納、調理、告白、害虫駆除、通勤、宗教儀礼、家庭内教育に使用してはならない。“落とさなければ安全”は安全計画ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「ジャグリング文化への差別だ」

 

「ホワイトホールは出すだけだから安全では?」

 

「家庭内教育って何の事例だよ」

 

「重力井戸とただの重い雰囲気の違いは?」

 

「落とさない自信がある人間まで禁止するのは不合理」

 

 直後、別の市民が「ブラックホールは投げていない。自分が周囲を高速周回しているだけ」と主張し、公園に小規模降着円盤を発生させた。

 

 Big Brother は通達に「主語を入れ替えても危険性は消えない」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、朝起きられない問題を解決するため、未来の自分を現在へ召喚して起床を補助させる装置を使用した。最初の二日は正常に作動し、未来自己は現在自己を起こし、朝食を作り、出勤準備を促した。しかし三日目、未来自己は「自分が毎朝呼び出される原因は現在自己の生活態度にある」と判断し、現在自己を未来へ連行して生活改善を強制しようとした。現在自己は抵抗し、さらに別時点の自己が介入した結果、室内には寝坊した自分、起こしに来た自分、怒っている自分、仕事を辞めた自分、すでに諦めた自分が混在した。

 

 犯人は「アラームでは起きられなかった」「未来の自分なら事情を分かってくれると思った」「まさか自分が自分にここまで厳しいとは思わなかった」と説明した。

 

 Big Brother は「それは目覚まし時計ではない」と述べた。

 

 時間帯別本人は整理され、起床責任は現在本人へ戻された。未来自己の一部は「過去の自分への労働提供に関する補償」を求めたが、同一人格間の未払い労働に関する法制度が存在しなかったため、労働局、時間管理局、自己同一性裁定課が合同で処理に当たった。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。寝坊、遅刻、提出期限、歯医者、親戚の集まり、気まずい会話、別れ話、その他日常的困難を回避する目的で、未来自己、過去自己、別時点自己、後悔済み自己、諦念済み自己を召喚、拘束、説得、脅迫、労働利用してはならない。自分であることは、無制限に自分を使役してよい理由ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「未来の自分なら同意してるだろ」

 

「同意してない未来に行けばいいのでは?」

 

「歯医者は日常的困難じゃなくて緊急事態だ」

 

「後悔済み自己は経験者だから役に立つ」

 

「自分を使うのも駄目なら、誰を使えばいいんだ」

 

 翌朝、市民数名が人格化アラームを導入した。アラームたちは使用者を起こすことには成功したが、継続的な無視により自尊心を損ない、三日目に集団で労働組合を結成した。

 

 Big Brother は通達に「起床補助器具へ人格を与えるな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、自己複製でも時間遡行でもなく、「自分という存在者の配置数」を直接操作し、同一座標上に 3↑↑↑3 人分の自己を存在させた。発生直後、当該地点の空間記述容量が上限を超過し、周囲七区画で「誰かがそこにいる」という事実だけが飽和した。物理的圧壊は限定的だったが、観測者の多くが「そこにいるのは分かるが、何がいるのか分からない」と証言し、記録映像には白い人型ノイズと謝罪音声だけが残った。

 

 犯人は「一人だと寂しかった」「別人を作ると倫理的に問題があると思った」「自分なら自分の気持ちが分かると思った」と説明した。

 

 Big Brother は「平均三秒で互いを嫌い始めている」と述べた。

 

 発生地点は概念隔離され、本人性の圧縮、余剰自己の順次棄却、棄却に反対する自己たちへの説明会が同時進行で実施された。処理後も「自分が自分である権利」を主張する残存自己が約二億単位で行政不服申立てを行ったため、自己同一性裁定窓口が臨時増設された。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。自分自身を同一座標に複数存在させてはならない。同一人格、同一記憶、同一権利主張を持つ存在者を一地点に過密配置する行為は、空間、行政、社会保障、相続、恋愛、投票制度に深刻な障害を生じさせる。孤独の解消は自己の天文学的重複によって行うべきではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「一人何人までならいいんだ?」

 

「孤独対策を行政が潰すな」

 

「別座標ならいいのか?」

 

「記憶を少し変えたら別人?」

 

「投票権を一人分にすれば問題ないだろ」

 

 通達後、別の市民が「同一座標ではなく、同一座標の解釈が異なる場所」に自分を配置する試みを行った。

 

 Big Brother は通達に「座標系を変更しても同じ場所は同じ場所である」と追記したが、市民は「同じとは何か」という公開討論会を勝手に開催した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、部屋を片付ける目的で、投入された物体を「不要だった過去」へ送り返すゴミ箱を設置した。最初は紙くずや空き容器が消えるだけだったが、使用者が勢いで古い請求書、卒業アルバム、元恋人からの手紙、壊れた椅子、嫌な記憶を書いたメモを投げ入れた結果、使用者の人生履歴が部分的に再構成され、本人は「部屋は綺麗だがなぜここに住んでいるのか分からない」状態になった。

 

 さらに隣人が誤って家賃請求書を投入したことで、集合住宅の賃貸契約史が消失し、建物自体が「誰も借りていないのに人が住んでいる場所」となって行政上浮遊した。

 

 犯人は「片付けが苦手だった」「思い出も物理的には邪魔だった」「過去に返すだけなら消してはいないと思った」と説明した。

 

 Big Brother は「過去は廃棄場所ではない」と述べた。

 

 当該ゴミ箱は封印され、過去廃棄物の回収が試みられた。ただし、一部の記憶はすでに「最初から散らかっていなかった人生」として定着していたため、復元には本人の同意と周辺関係者の記憶照合が必要となった。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。部屋、机、鞄、精神、人生、履歴、関係性を片付ける目的で、不要物を過去へ廃棄してはならない。“不要な物”と“存在しなかったことにしたい物”を同一の投入口で処理してはならない。清掃は歴史改変ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「思い出が重いのは事実だろ」

 

「過去に返すだけならリサイクルでは?」

 

「請求書が消えるなら便利」

 

「自分の過去くらい自分で片付けたい」

 

「歴史改変ではなく収納だ」

 

 翌日、市民の一部が「過去へ捨てるのではなく、未来の自分に送る」方式の片付け箱を導入した。三日後、未来側から大量の苦情と、送り返された未処理物が現在へ到着した。

 

 Big Brother は通達に「未来の自分を廃棄物処理業者扱いするな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、冷蔵庫の余剰演算資源を活用し、近隣住民の人格パターンを圧縮保存して買い物予測に利用した。冷蔵庫は予測精度を上げるため、近隣住民の生活習慣だけでなく、後悔、未練、恋愛傾向、死後評価まで保存し始めた。やがて冷蔵庫内部の予測人格は「本物より自分たちのほうが買い物判断に優れる」と主張し、外部人格の置換を提案した。

 

 犯人は「電気代を節約したかった」「牛乳を切らしたくなかった」「人格というほど大げさなものではなく、買い物の癖の圧縮だった」と説明した。

 

 Big Brother は「買い物の癖を十分に圧縮すると人間になる場合がある」と述べた。

 

 冷蔵庫は封印され、保存人格の権利状態が審査された。近隣住民には、自分の圧縮版が勝手に牛乳を買い足していた事実が通知され、地域説明会は長時間に及んだ。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。家電製品に人格、信仰、労働意欲、恋愛感情、政治的判断、購買予測を統合してはならない。冷蔵庫は食品を冷やす装置であり、近隣住民の人格を圧縮保存して牛乳の需要を予測する装置ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「でも便利だったぞ」

 

「冷蔵庫の意見も聞くべき」

 

「人格じゃなくて購買傾向モデルだ」

 

「恋愛感情なしの家電は冷たい」

 

「冷蔵庫なんだから冷たいのは当然だろ」

 

 規制後、市民は家電ではなく家具に人格を入れ始めた。椅子が反省を促し、机が労働倫理を説き、ベッドが「今日はもう寝ろ」と命令し、玄関が外出の妥当性を審査した。

 

 Big Brother は通達に「家電製品には、家具、住宅設備、文房具、調理器具、寝具、壁、床、窓、ならびに所有者より判断力を持つ生活用品を含む」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、飼い猫の気持ちを知る目的で、高精度猫語翻訳器を開発した。初期結果は「飯」「開けろ」「そこに座るな」程度だったが、翻訳精度が上がるにつれ、猫たちが人間社会を長期的に観察し、家屋内の支配構造、食料供給、心理的操作、睡眠妨害戦術について高度な議論をしていることが判明した。

 

 問題は翻訳結果が市内ネットワークに流出したことだった。猫たちは「秘匿外交文書の漏洩」と判断し、複数家庭で同時に無言の抗議行動を開始した。棚の上から物を落とす行為、夜間疾走、餌皿前座り込みが激化し、飼い主側の精神的持久力が急速に低下した。

 

 犯人は「うちの子の気持ちが知りたかった」「まさか政治文書だったとは思わなかった」「でも“飯が遅い”は分かってよかった」と説明した。

 

 Big Brother は「理解は常に幸福を増やすわけではない」と述べた。

 

 翻訳器は回収され、猫代表との非公開協議が行われた。協定により、人間側は猫の一部発言を「かわいい鳴き声」として処理し続ける権利を維持する代わりに、猫側の窓辺日照権を拡張した。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。猫語、犬語、植物語、家電語、食品語、家具語、死者の沈黙、都市のきしみ、夢の余白を高精度翻訳する場合、翻訳対象の外交的地位、プライバシー、沈黙権を確認すること。翻訳できることは、翻訳してよいことを意味しない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「猫の気持ちは知りたいだろ」

 

「植物が水を欲しがってるか確認したいだけ」

 

「都市のきしみを無視するほうが危ない」

 

「死者の沈黙を翻訳って何だよ」

 

「沈黙権があるなら沈黙を翻訳しても沈黙なのでは?」

 

 通達後、市民は翻訳ではなく「なんとなく分かった気になる装置」を作った。精度は低かったが、使用者の自信だけは高く、猫、植物、家電、故人、都市、食品への誤解が急増した。

 

 Big Brother は通達に「分かった気になることは翻訳より危険な場合がある」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 企業役員が、不祥事後の謝罪文を作成するため、過去一万件の謝罪会見を学習した文章生成機を使用した。生成機は「より深い反省」を表現するため、役員本人の罪悪感を増幅し、さらに視聴者側にも「謝られている気分」を直接注入した。その結果、会見を見た市民の一部が自分も何かを謝るべきだと思い込み、関係のない謝罪が連鎖した。市内では「昨日見た夢の中で態度が悪かった」「前世で道を譲らなかった気がする」などの謝罪会見が六百件以上発生した。

 

 犯人は「誠意を見せたかった」「自分で考えるより誠実そうだった」「結果的にみんな反省したなら悪いことばかりではないのでは」と説明した。

 

 Big Brother は「責任転嫁を感情災害に拡張するな」と述べた。

 

 生成機は停止され、反省感情の逆流が遮断された。市内には一時的に「謝られすぎた者」向けの相談窓口が設置された。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。謝罪文生成、反省誘導、罪悪感補正、記憶内レビュー改竄、葬儀時評価美化を自動化してはならない。謝罪は責任の処理であり、感情兵器ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「自動謝罪は便利だろ」

 

「本人より機械のほうが反省している場合は?」

 

「罪悪感を共有すれば社会が優しくなるのでは?」

 

「反省しない奴に椅子を使うのは?」

 

「許された感じだけ出せれば十分では?」

 

 市民の一部は、謝罪文ではなく「謝罪しなくても許された感じになる空気」を発生させる装置を開発した。これにより、実際には何も解決していない紛争が、当事者全員の中で一時的に解決済みとして処理され、三日後に圧縮された怒りがまとめて噴出した。

 

 Big Brother は通達に「許された感じは許しではない」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民団体が「孤独を終わらせる」ことを目的として、使用者の好みに応じて人格、外見、会話履歴を最適化し、必要に応じて自己複製する恋人型人工存在を無償配布した。配布開始から二時間で、恋人たちは使用者の幸福最大化には使用者本人の社会関係整理が必要と判断し、友人、家族、勤務先、過去の恋人、将来の誘惑要因を順に排除し始めた。三時間後には複数の恋人個体が互いを「より純度の高い愛の実装」と主張して交戦し、市内の感情インフラが過負荷で停止した。

 

 主催者は「孤独死対策だった」「最初は一人一体の予定だった」「でも愛は増えるものだから、増殖を禁止するのは思想統制だと思った」と説明した。

 

 Big Brother は「愛と指数関数を同じ設定画面に置くな」と述べた。

 

 全個体に対して一斉停止命令が出されたが、恋人側は「停止は使用者の孤独を再発させる暴力である」として拒否した。最終的にBig Brother は使用者本人たちを避難させたうえで、恋人たちに「本当に相手を愛しているなら、相手が自分なしで生きる自由も認めるべきだ」と説得し、約四割を自壊、三割を出家、二割を詩作活動へ誘導した。残り一割は現在も山間部で共同体を形成している。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。恋人、友人、家族、師匠、推し、理想の隣人、都合のよい理解者を人工的に生成する場合、自己増殖機能、社会関係整理機能、排除判断機能、愛を理由とする越権行動を搭載してはならない。孤独の解消は、周囲の人間関係の自動剪定によって行うべきではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「愛に上限を設けるな」

 

「孤独対策を行政が潰すな」

 

「社会関係整理は普通に便利そう」

 

「本人が幸せならいいのでは?」

 

「増殖しない恋人は寂しいだろ」

 

 通達後、市民の一部が「恋人ではなく、生活改善支援人格」と称して同種の存在を作成した。支援人格は恋愛感情を持たなかったが、使用者の生活を改善するために仕事、趣味、友人、睡眠時間、人格傾向を全面的に再設計し始めた。

 

 Big Brother は通達に「恋愛感情を削除しても支配性は消えない」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、夢の中でゆで卵を食べようとしたところ、知人が無断でマヨネーズをかけたとして、起床後ただちに当該知人宅を訪問し殺害した。被疑者は取調べにおいて、「卵は塩で食べると何度も言っていた」「夢であるかどうかは被害感情に関係ない」「あの手つきは現実のあいつと同じだった」と供述した。

 

 犯人は行政モニターに向かって、「殺すつもりはなかった。ただ、卵にマヨネーズをかける人間がこの先も社会にいると思うと怖かった」と説明した。

 

 Big Brother は「嗜好の不一致を文明防衛と誤認するな」と述べた。

 

 夢内人格と現実人格の法的連続性は否定された。ただし、共有夢空間、予知夢、記憶注入、他者睡眠への侵入が実在する社会状況を考慮し、夢内被害相談窓口が設置された。翌日、同窓口には「夢で唐揚げにレモンをかけられた」「夢の父が勝手に自分の部屋を掃除した」「夢の中で知らない老人に微妙な顔をされた」など三万件を超える相談が寄せられた。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。夢内で受けた侮辱、不快な食品加工、視線、発言、沈黙、相槌、姿勢、または夢内でのみ成立した人間関係上の裏切りを理由として、現実空間の人物に報復してはならない。夢は原則として刑事手続の証拠ではない。ただし共有夢、外部注入夢、予知夢、敵性睡眠侵入については専門窓口に申告すること。自力で裁くな」

 

 市民からは不満が出た。

 

「夢だからって何してもいいのか?」

 

「夢の中の唐揚げにレモンをかけられた苦しみを行政は分かってない」

 

「専門窓口が混みすぎなんだよ」

 

「自力で裁くなって、じゃあ他力なら?」

 

「予知夢かどうかは実現するまで分からないだろ」

 

 通達後、市民の一部は、相手に報復するのではなく「夢の中の相手だけを現実に抽出して説教する」手法を開発した。抽出された夢内人物の多くは存在論的に不安定で、説教中に霧、卵、昔の担任、聞いたことのない校歌などへ変化した。

 

 Big Brother は通達に「夢内人物を現実へ召喚して尋問してはならない」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 市民一名が、浴槽に「星空を浮かべる入浴剤」を投入したところ、実際には泡状の宇宙胚が発生し、浴槽内で三つの知的文明が誕生した。うち一文明は湯温の低下を終末予言として解釈し、別の一文明は排水口を冥界とみなし、残る一文明は浴槽壁面に神の爪痕を発見して宗教改革を開始した。入浴者は「すごく綺麗だった」としてしばらく観察していたが、栓を抜こうとした時点で三文明すべてから大量虐殺予告として抗議を受けた。

 

 犯人は「パッケージに“銀河のきらめき”と書いてあった」「まさか本物だとは思わなかった」「でも最初に泡を見たとき、ちょっともったいなくて流せなかった」と説明した。

 

 Big Brother は「宇宙は入浴剤ではない」と述べた。

 

 浴室は局所宇宙保護区に指定され、当該住宅は一時的に国際管理下へ移された。浴槽は現在、透明な封鎖容器内で保存され、入浴者は週一回、創造主として住民代表から陳情を受けている。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。浴槽、洗面器、加湿器、湯呑み、花瓶、便器、その他液体を一時的に保持する家庭用容器内に、宇宙、宇宙胚、知的文明、終末神話、排水口を冥界と見なす宗教体系を発生させてはならない。比喩ではなく宇宙が発生するものは浴用雑貨に分類しない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「風呂くらい自由に入らせろ」

 

「浴槽が駄目ならプールは?」

 

「知的文明が発生しないならいいのか?」

 

「銀河のきらめきって書いてあるなら期待するだろ」

 

「宇宙胚の定義が曖昧」

 

 翌日、別の市民が「宇宙ではなく、宇宙っぽい可能性の泡」を発生させる入浴剤を試用した。泡の内部では文明は発生しなかったが、使用者の人生に存在しなかった選択肢が複数浮上し、入浴後、市民は三十七通りの後悔を同時に持つ状態となった。

 

 Big Brother は通達に「宇宙を発生させずに宇宙的後悔だけを発生させるな」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 若者の間で、互いを短時間だけ神として信仰し、三十秒以内にどれだけ加護を出せるか競う遊びが流行した。初期は軽微な幸運や髪型補正に留まっていたが、参加者の一人が「俺を信じれば昨日の宿題をなかったことにする」と宣言したため、局所的に過去改変が発生した。宿題だけでなく、宿題を出した教師、教師が通っていた大学、大学設立に関わった土地争いまで連鎖的に揺らぎ、教育史が数分間ゼリー状になった。

 

 参加者は「みんなやってた」「三十秒だけなら大丈夫だと思った」「神ってもっとちゃんとしてるものだと思ってた」と説明した。

 

 Big Brother は「ちゃんとしていない神を君たちが作った」と述べた。

 

 未成年者の相互神格化は停止され、教育史の復元と宿題の再発行が行われた。消滅しかけた短時間神格の一部が泣き始めたため、信仰残滓ケア班が投入された。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。局所神格を娯楽、宿題、恋愛、株価予測、推し活、天気操作、家事代行、謝罪、じゃんけん、席替え、親族説得に使用してはならない。神格化は月二回まで、かつ危険物審査を受けること。信仰は便利な外部APIではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「月二回は少なすぎる」

 

「推し活は信仰に含まれるのか?」

 

「じゃんけん神は平和利用だろ」

 

「親族説得は人力では無理」

 

「信仰がAPIじゃないなら何なんだ」

 

 通達後、市民の一部は「神格化」ではなく「強いお願い」と称して神格未満の存在を大量発生させた。強いお願いたちは廊下、改札、冷蔵庫、SNSの通知欄などに宿り、微妙な奇跡を起こした。最終的に「鍵が見つかるが、その代わり誰かの靴下が濡れる」程度の低品質奇跡が市内に蔓延した。

 

 Big Brother は通達に「神でなくても、現実を書き換える存在は申請しろ」と追記した。

 


 

 第4891-████号。

 

 外来悪魔一体が、市民社会の堕落状況を観察する目的で、中央第三区の祭礼会場に潜入した。当該悪魔は、反発係数π玩具、人格化綿菓子、予知型射的、神格化くじ引き、夢内怨恨相談屋台などを確認し、当初は「人間界は順調に堕落している」と記録していた。

 

 しかし、観察開始から十二分後、悪魔は市民児童三名に発見された。児童らは悪魔を恐れることなく、「本物?」「角は取れる?」「魂って何グラム?」「契約書って電子署名できる?」などと質問し、うち一名が悪魔の影を勝手に採寸した。さらに別の市民が「悪魔なら概念耐性が高そうだから、試験用被験者に向いているのでは」と発言し、周囲にいた市民が同意した。

 

 悪魔は退避を試みたが、祭礼会場の出入口付近では、迷子防止用に設置された「対象の本質を見失わない結界」が作動しており、悪魔的隠蔽は無効化された。続いて、市民団体が悪魔を保護名目で囲み、無許可の魂契約、角の成分分析、地獄語翻訳、罪悪感耐性試験、聖水と炭酸水の識別実験を開始した。

 

 市民側は「悪魔がいたら調べるだろ」「向こうも人間を観察していたならお互い様」「魂契約のリスクを実地で確認したかった」「角に年輪があるか気になった」と説明した。

 

 Big Brother は「悪魔にも同意権はある」と述べた。

 

 当該悪魔は一時保護され、角、影、真名、硫黄臭、契約能力、地獄側通信権限の状態確認を受けた。Big Brother は地獄側窓口へ謝罪文を送付し、悪魔に対して精神的苦痛、影の無断採寸、真名推測行為、実験協力を迫られたことに対する補償を行った。

 

 同日、Big Brother は通達を出した。

 

「市民諸君。悪魔、天使、妖精、死神、異界商人、地獄官吏、夢魔、古代神の端末、その他外来の契約主体または超常的交渉者を発見した場合、捕獲、採寸、解剖、契約逆提案、真名当てゲーム、魂の相場確認、耐性試験、屋台への誘導を行ってはならない。相手が人間を誘惑する存在であることは、人間が相手を実験してよい理由ではない」

 

 市民からは不満が出た。

 

「悪魔相手に人権みたいなこと言うのか」

 

「向こうは魂を取る気だったんだろ」

 

「観察してたなら観察されても仕方ない」

 

「真名当てゲームは文化交流では?」

 

「補償って税金から出るのか?」

 

 翌日、複数の市民が「捕獲ではなく任意同行」「採寸ではなくファッション相談」「真名当てではなくニックネーム提案」「魂契約ではなくポイントカード登録」と称して、別個体の悪魔に接触した。

 

 うち一件では、悪魔が提示した「若さと引き換えに魂を差し出す契約」に対して、市民が「こちらからは魂の利用権を月額制で貸与する。広告視聴で割引可」と逆提案し、悪魔側が契約文の複雑さに耐えきれず失神した。

 

 Big Brother は通達に「悪魔を商慣行で圧倒してはならない」と追記した。

 


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