漆黒の機体が、再び動き出した。
その動きは、先ほどまでとは違っていた。より機械的で、より正確でより無機質。まるで、感情というものを一切排除したかのような、冷たい動き。一夏は白鴉を操作しながら、その違和感の正体を探っていた。
(なんだ……? さっきまでとは、動きが違う)
最初のうちはあの漆黒の機体には、どこか「意志」のようなものを感じた。獲物を値踏みするような、そんな気配があった。だが今は違う。ただ、淡々と一夏と鈴音を、排除しようとしている。まるで、プログラムされた作業を、こなすかのように。
(こいつ……もしかして)
一夏が、そう思った瞬間だった。
(——気づいたか)
頭の中の声が静かに、響いた。
(あれは、無人機だ)
一夏は、その言葉に、はっとした。無人機。パイロットが、乗っていないIS。いや、ISですらない何か。だから、あの動きなのだ。意志がない。感情がない。ただ、与えられた任務を、遂行するだけの機械。
(——あの装甲の厚さも、動きの正確さもすべては無人機だからだ。パイロットがいなければ、人間の限界に縛られることはない。機体の、スペックをそのまま、引き出せる)
頭の中の声が、そう、続けた。一夏は、その分析に心の中で、同意した。確かにあの機体の動きは、人間のそれではなかった。人間が、あれだけの機動を、長時間維持することは、不可能だ。だが無人機なら、できる。疲労も恐怖も、迷いもない。ただ、任務を遂行するだけの、機械なら。
「鈴!」
「何よ!」
「あの機体、無人機だ!」
一夏は、叫んだ。鈴音はその言葉に、一瞬、動きを止めた。そして、驚愕の表情を、浮かべた。
「無人機!? そんな、馬鹿な! ISにパイロットが、いないなんて——」
「あの動きを見ろ! 機械的で、正確で、一切の、迷いがない! 人間が、あんな動きをできるわけが、ない!」
「で、でも、どうして、そんなことが分かるのよ!?」
鈴音の問いに一夏は、一瞬、言葉を詰まらせた。どうして、分かるのか。それは一夏自身にも、説明がつかない。ただ、頭の中の声がそう、告げただけだ。だが、それをそのまま、鈴音に、伝えるわけにはいかない。
「——あの装甲の、継ぎ目を見ろ! 人間が乗る機体なら、コックピットのスペースが、必要だ! だがあの機体には、それが、ない! あの装甲はすべて、内部機構で埋め尽くされて、いる! つまり、あの機体は——」
「パイロットが、乗ることを、想定していない……」
鈴音は、一夏の説明に納得した、ようだった。その声はまだ、震えていたが、その目には確かな、理解の色が、浮かんでいた。一夏は、そんな鈴音の様子に心の中で、ほっと息を、ついた。嘘は、言っていない。ただ、本当のことを隠しただけだ。頭の中の声のことを、話すわけには、いかない。それは、あまりにも異常すぎる。
(——で、どうするんだ)
頭の中の声が、そう、問いかけた。一夏はその声に、心の中で答えた。
(ああ。無人機なら話は、早い。パイロットが、いないならコックピット以外を、狙う、必要もない。なら、やることは一つだ)
一夏は、白鴉の、センサーを通して、漆黒の機体の構造を、分析した。装甲の、厚さ。関節の可動域。駆動系の、配置。それらを瞬時に、頭の中で組み上げる。すると、自然と、最適な攻撃の、手順が浮かんで、きた。
(——まず、脚部の、駆動系を狙う。動きを、止めれば、攻撃の選択肢は、減る。次に背部の、スラスター。これを潰せば、機動力を、奪える。最後に、胴体の中枢。これで、止めだ)
一夏は、その手順を、頭の中で確認した。だが、そのためには時間が、かかる。漆黒の機体は動きが、速い。一夏と、鈴音の攻撃を、かわしながら正確に、狙ってくる。このままでは、狙いを定める、前に、やられて、しまう。
(——なら、使うか)
一夏は、心の中で呟いた。白鴉の単一仕様能力。聖天月華。搭乗者の能力を限界まで引き出す。だが、制約がある。発動時間は五分。それを超えれば搭乗者に深刻な負荷がかかる。最悪意識を失う。それでも、今は使うしかない。この状況を打破するには、一夏自身の能力を、限界まで、引き出す必要が、ある。
「鈴。俺が、あの機体の動きを止める。その間にお前は龍咆をチャージしておけ」
「え? でも、それじゃあ、あんたが——」
「大丈夫だ。俺はあの機体の動きを読んでる。だから何とかなる。信じろ」
一夏の、声は、静かだった。だがその中には、確かな、決意が、滲んでいた。鈴音は、その声を聞いて、少しだけ迷った。だが、すぐに頷いた。
「分かったわ。でも、無茶は、しないでね」
「ああ。約束する」
一夏は、そう、答えた。そして白鴉の、システムを、切り替えた。単一仕様能力聖天月華。その、起動、コードを入力する。
(——来い)
一夏は心の中でそう呟いた。その瞬間白鴉の全身が淡い白光に包まれた。まるで機体そのものが呼吸を始めたかのように。そして一夏の意識が研ぎ澄まされていくのを感じた。視界がより、鮮明になる。音がより明確になる。体の隅々まで力が漲ってくる。まるで体のリミッターが外れたかのような感覚。
(——これが聖天月華)
一夏は、その感覚に、一瞬、戸惑った。だが、すぐに意識を、切り替えた。今は、この力で戦う。それだけだ。
「——行くぞ、鈴!」
「ええ!」
一夏と鈴音の声が重なった。白鴉が駆け出す。その動きはさっきまでとはまるで違っていた。より速く。より鋭く。より正確に。漆黒の機体が、その動きに反応する。だが、一夏はその反応すら読んでいた。漆黒の機体の腕が薙ぎ払われる。だが一夏はそれを紙一重でかわした。そしてすかさずリニアライフルを脚部の駆動系に向ける。
「——もらった!」
一夏の、声と、同時にリニアライフルの、連射が放たれた。高速で、連射された徹甲弾が、漆黒の機体の脚部の、駆動系を、正確に撃ち抜く。漆黒の機体が、大きくよろめいた。その動きが、明らかに鈍くなる。
「今よ!」
鈴音の声が響いた。龍咆がチャージを完了し漆黒の機体に向けて放たれる。至近距離からの衝撃砲。さすがの漆黒の機体も大きく吹き飛ばされた。アリーナの壁に激しく叩きつけられる。
「やった……!」
鈴音が、そう、叫んだ。だが一夏は、油断、しなかった。
(まだだ。あの機体は、まだ、動ける)
頭の中の声が、そう、告げた。一夏はその声に、心の中で同意した。漆黒の機体は、壁に、叩きつけられた後すぐに、体勢を立て直そうと、していた。その装甲にはいくつもの傷がついている。だが、致命的な損傷では、ない。
(——次で、決める)
一夏はそう心の中で呟いた。聖天月華の効果時間は五分。まだ時間はある。だが油断はできない。一夏は白鴉のリニアライフルをチャージショットに切り替えた。エネルギーを収束させる。大口径弾を形成する。それを漆黒の機体の胴体の中枢に向ける。
「——これで、終わりだ!」
一夏はそう叫んだ。リニアライフルのチャージショットが放たれる。収束されたエネルギーが漆黒の機体の中枢を正確に捉えた。着弾と同時に爆発的な運動エネルギーが放出される。漆黒の機体がアリーナの壁にさらに深くめり込んだ。
「——どうだ……!」
一夏はそう呟いた。白鴉のセンサーが漆黒の機体の状態を分析する。機体の駆動系は完全に停止。スラスターも沈黙。中枢も破壊。もはや動くことは不可能だろう。漆黒の機体はその場に力なく崩れ落ちた。その姿はまるで、役目を終えた機械のようだった。
「やったの……?」
「ああ。どうやら、な」
一夏は鈴音の問いにそう答えた。その声には確かな疲労が滲んでいた。聖天月華の効果が切れかけている。体の隅々に重い疲労感がのしかかってくる。だがそれでも一夏は白鴉を立たせ続けた。まだ油断はできない。そう思っていた。
―――
目が覚めた時最初に感じたのは、ひどい倦怠感だった。
体の芯から、力が抜けていくような感覚。まるで、重い荷物を何時間も運び続けた後のような疲労。一夏は、ベッドの上でゆっくりと、上体を起こした。保健室の白い天井が、ぼんやりと視界に、映る。
「……何時間、経ったんだ」
一夏はそう呟いて窓の外を見た。カーテンの隙間から夕暮れのオレンジ色の光が差し込んでいる。どうやらかなりの時間眠っていたらしい。体を動かそうとすると節々に鈍い痛みが走った。聖天月華の反動だ。あの能力は搭乗者の限界を超えた出力を引き出す。その代償は大きい。
「……無茶したな、俺」
一夏はそう呟いて小さく苦笑した。あの時はあれしか方法がなかった。あの漆黒の無人機を止めるには聖天月華を使うしかなかった。だがその結果こうして保健室に運ばれることになった。鈴音には迷惑をかけた。そう思った時だった。
保健室の扉が開いた。
「一夏」
低いだがどこか安心したような声。一夏は顔を上げた。そこには織斑千冬が立っていた。その表情はいつもの冷徹さを保っていたがその目にはわずかに安堵の色が浮かんでいた。
「千冬姉」
「生きてるな」
千冬はそう言って一夏のベッドの傍らに立った。その声は相変わらずぶっきらぼうだった。だがその中には確かな労いの色があった。
「お前の無茶はいつものことだが今回は特に無茶だったな」
「……すみません」
「謝る必要はない。結果的に被害は最小限で済んだ。お前と凰のおかげだ。……よくやった」
千冬のその言葉に一夏は少しだけ目を見開いた。姉が自分を褒めるなんて珍しい。いや初めてかもしれない。一夏はそのことに少しだけ照れくささを覚えた。
「あの、無人機は」
「ああ。回収して現在分析中だ。だが分かっていることは少ない。製造元も、開発者も一切不明。あの機体はまるでどこからともなく現れたかのようだ」
千冬の声に一夏は少しだけ考え込んだ。どこからともなく現れた機体。
「……お前はもう休め。今回のことは上に報告しておく。お前が気にすることはない」
「はい。……千冬姉。ありがとうございました」
一夏がそう言うと千冬は一瞬動きを止めた。そして小さく息を吐いた。
「……礼を言われるようなことはしていない」
千冬はそう言って保健室を出ていった。その背中はどこか照れくさそうに見えた。一夏はそんな姉の背中を見送りながら小さく笑った。やはり姉は姉だった。
千冬が出ていった直後だった。入れ違いに保健室の扉が開いた。
「一夏」
今度は鈴音だった。その表情にはどこか気まずさと心配が混ざり合っていた。一夏はそんな鈴音を見て少しだけ体を起こした。
「鈴。……来てくれたのか」
「当たり前でしょ。あんたが倒れたって聞いたら来るに決まってるじゃない」
「……そうか。ありがとう」
「礼なんていいわよ。……それより体大丈夫なの」
「ああ。ちょっと疲れてるだけだ。もう大丈夫」
一夏はそう言って笑った。だがその顔色はまだ優れない。鈴音はそんな一夏を見て少しだけ眉をひそめた。だがそれ以上何も言わなかった。一夏が大丈夫と言うなら大丈夫なのだ。そう思うことにした。
「なあ、鈴」
「何よ」
「また、お前の親父さんの料理食いたいな」
一夏のその言葉に鈴音は一瞬動きを止めた。そして少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「……無理よ」
「え?」
「あたしの両親、中学の頃に離婚したの。それであたしは中国に帰ることになったのよ」
鈴音のその言葉に一夏は言葉を失った。鈴音の両親が離婚した。それで鈴音は中国に帰ること、になった。それは一夏の知らない鈴音の過去だった。
「……そう、だったのか。知らなかった。ごめん」
「謝ることじゃないわよ。あたしが言ってなかった、だけだし。……それにもう昔の話よ」
「でも、鈴にとっては辛い話だったんじゃないか」
一夏のその言葉に鈴音は少しだけ目を見開いた。そしてすぐにふっと笑った。
「……あんたって本当にそういうところあるわよね。人の痛いところにずけずけと踏み込んで、くるくせにそれが嫌味に聞こえないのよ。……まあ、それがあんたのいいところなんだろうけど」
鈴音はそう言って少しだけ照れくさそうに笑った。一夏もつられて笑った。だがその笑顔の奥には確かな想いがあった。鈴音は辛い経験をしてきた。だがそれを乗り越えて今ここにいる。それなら自分にできることは何だろう。一夏は少しだけ考えた。そして一つの答えを思いついた。
「なあ、鈴」
「何よ」
「今度の、休みの日、四人で遊びに、行かないか」
「四人で?」
「ああ。俺と鈴と箒とセシリア。四人でどこか遊びに行こう。……鈴が辛い話をしたお詫びじゃないけど」
一夏のその言葉に鈴音はしばらく黙って一夏の顔をじっと見つめていた。そしてふっと笑った。その笑顔はさっきまでの寂しそうな笑顔とはまるで違っていた。明るくて温かくてどこか照れくさそうなそんな笑顔だった。
「……あんたって、本当にそういうことさらっと言うのよね。……いいわよ。付き合ってあげる」
「本当か!」
「ええ。でもあたし遊びに行くなら美味しいもの食べたいわ。あんた奢りなさいよ」
「ああ。任せろ。……あ、でも俺、お金そんなに持ってないけど」
「……あんた、それでよく誘ったわね」
鈴音はそう言って呆れたように笑った。一夏もつられて笑った。保健室の窓の外では夕日が、ゆっくりと沈んでいこうとしていた。そのオレンジ色の光が二人を優しく包み込んでいた。
(——いいのかそれで)
頭の中の、声が、そう、呟いた。
(何がだよ)
一夏は、心の中で、そう、答えた。
(お前は、あの娘に過去を話させた。そしてそれを受け止めた。それはいいことだ。だが、お前自身の過去はどうするんだ。お前の中の『俺たち』のことをどうするんだ)
頭の中の声はそう続けた。一夏はその言葉に少しだけ黙り込んだ。確かに自分の中の『何か』のことはまだ誰にも話していない。話す勇気がなかった。だがいつか、話さなければならない日が来るかもしれない。その時、自分はどうするのだろう。一夏はそんなことをぼんやりと考えていた。だが今は、やめておいた。今は鈴音とのこの時間を大切にしたかった。一夏は鈴音と並んで夕日を見つめながらそんなことを思っていた。
―――
IS学園の地下五十メートル。
そこは、学園の地上部分とはまるで空気の質が違っていた。鉄とコンクリートと、かすかなオゾンの匂い。蛍光灯の白い光が、廊下の奥まで等間隔に並んでいる。レベル4の権限を持つ関係者しか立ち入れないこの区域は、普段はほとんど人の気配がない。だが今は、重厚な隔壁の向こうから低い駆動音と解析機器の作動音が漏れていた。
千冬は、その扉の前に立っていた。腕を組み、無表情のまま開くのを待っている。隣には山田真耶が立っていた。手にはタブレット端末を抱えている。その表情は、どこか緊張していた。
「織斑先生。本当によろしいのですか」
「構わん。どうせいずれは見に来るつもりだった」
千冬はそう短く答えた。真耶はその声にそれ以上何も言わず端末を操作して扉のロックを解除した。重い音を立てて隔壁が左右に滑り開く。
中は広い。天井が高く奥には大型の解析装置が並んでいる。その中央にあの漆黒の機体が横たえられていた。いや横たえられているという表現は正しくない。固定具でがっちりと拘束され、作業用のクレーンで吊り下げられた状態で解析台の上に設置されている。その装甲には一夏のリニアライフルと鈴音の龍咆がつけた傷が生々しく残っていた。
千冬はその機体の傍らまで歩いていった。そしてじっとその姿を見下ろした。漆黒の装甲。赤いライン。角張った装甲板の集合体。背部の大型スラスター。その姿は、やはりISの様式からは外れていた。どこか、一夏の白鴉に似ている。いや、白鴉以上にこの機体は——
「解析結果は」
千冬は、振り返らずに言った。真耶が端末を操作しながら答えた。
「はい。まず、機体の素材ですがIS学園のデータベースに登録されているものと一致しません。いえ、それ以前にこの機体の装甲材は、現在のIS技術では製造が困難なレベルの強度を持っています。リニアライフルの徹甲弾を弾いたのも、当然と言えます」
「武装は」
「大型のブレードが一基。それと、背部に小型のミサイルランチャーが確認されています。ただし、いずれも使用された形跡はありません。おそらく、近接戦闘を主目的とした機体だったのでしょう」
千冬は、その説明を黙って聞いていた。そして、ある一点について問いかけた。
「コアは」
真耶は、一瞬、言葉を詰まらせた。そして意を決したように、口を開いた。
「……それが、織斑先生。この機体ISコアが搭載されているのですが」
「だろうな。でなければ、あれだけの機動はできん」
「ええ。ですが——このコア、IS学園の登録リストに存在しないのです」
千冬は、その言葉に、ゆっくりと振り返った。その目が、わずかに細められる。
「……どういうことだ」
「文字通りです。この機体に搭載されているISコアは、IS学園はおろか世界各国のIS管理機関の登録リストにも存在しない。つまり——このコアは、どこにも登録されていない正規のルートで製造されたものではないということです」
真耶の声は震えていた。無理もない。ISコアはISの中枢にして最大の機密。その製造ある人物しか作れない。登録されていないコアが存在するなど、普通ならあり得ない話だ。だが、現に、ここにある。
千冬は、しばらく黙ってその機体を見つめていた。そして、静かに口を開いた。
「この機体は無人機だったな」
「はい。コックピットは存在せず内部はすべて駆動系と制御系で埋め尽くされています。パイロットが搭乗することを最初から想定していない構造です」
「つまり、この機体は——ISコアを搭載した、完全な無人兵器というわけか」
千冬のその言葉に真耶は静かに頷いた。ISコアを搭載した無人兵器。それはISの歴史において前例のないものだった。ISはあくまで人間が操縦することを前提に設計された兵器だ。無人機としての運用は想定されていない。だがこの機体はその前提を根底から覆している。
千冬は、腕を組んだまま目を閉じた。
(——この機体を作れる人物)
その頭の中に一人の人間の顔が浮かんだ。だが、すぐにその顔を、振り払うように首を振った。
(まだ、決まったわけではない)
千冬は、そう心の中で呟いた。確かにその人物ならばこれを作れるかもしれない。いや、その人物以外にこれを作れる者など、思い当たらない。だがまだ決まったわけではない。決めつけるのは早すぎる。千冬はその考えを記憶の片隅に置くことにした。そして真耶の方を振り返った。
「解析は、続けろ。この機体の製造元開発者、そしてこのコアの出所。すべてを、明らかにするんだ」
「はい。ですが、織斑先生。このレベルの解析には、時間がかかります。おそらく数日は」
「構わん。時間は、かけていい。だが手は抜くな」
「分かりました」
真耶はそう答えて端末を操作した。千冬はそんな真耶の様子を一瞥してから、再び漆黒の機体に目を戻した。
(——一夏。お前が戦った相手は、ただの無人機ではなかった。これは、誰かが意図的に、送り込んだものだ)
千冬は、そう心の中で呟いた。その目には、静かな警戒の色が浮かんでいた。この機体を送り込んだ者は何を目的としているのか。そしてその目的は一夏とどう関わってくるのか。千冬はそんなことを考えながらしばらくその場に立ち尽くしていた。地下五十メートルの静かな空気の中で漆黒の機体はただ、黙って横たわっていた。
―――
夜。IS学園の寮。
一夏の部屋には箒の姿があった。床に置かれた荷物の傍らに座り、一夏はベッドの端に腰かけている。部屋の明かりはスタンドライトだけ。その柔らかな光が二人の影を壁にぼんやりと映していた。
「休みの日、か」
「ああ。鈴とセシリアも誘って、四人で遊びに行こうと思うんだ。鈴がな、いろいろあってさ。気晴らしにもなるかなって」
一夏はそう言って少しだけ照れくさそうに笑った。箒はその笑顔を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「いいんじゃないか。私も、賛成だ」
「本当か。なら、箒も来るだろ」
「ああ。行く」
箒は即答した。その声には迷いがなかった。一夏はその返事の速さに少しだけ驚いて、それから嬉しそうに笑った。
「そっか。じゃあ、どこに行くか考えないとな。鈴が美味しいもの食べたいって言ってたから、まずは飯の店を——」
「一夏」
「ん?」
箒が一夏の言葉を遮った。その声は、少しだけ硬かった。一夏は箒の方を向いた。箒は一夏をじっと見つめていた。その目には、どこか言いにくそうな色が浮かんでいる。
「どうした、箒」
「……今日の戦いのことだ。お前、聖天月華を使ったそうだな」
「ああ。あれしか方法がなかったからな」
「あれは、お前の体に負担がかかるのだろう。山田先生から聞いた。発動時間は五分。それを超えれば意識を失うこともあると」
「……まあ、そうらしいな」
「無茶をするな」
箒の声は、真剣だった。一夏はその声に少しだけ言葉を詰まらせた。だが、すぐにふっと笑った。
「心配してくれてるのか」
「当たり前だ。お前は私の幼馴染だぞ」
「……ありがとう箒。でも大丈夫だ。あの時はあれしかなかった。俺がやらなきゃ誰かが危なかった。それに鈴も一緒に戦ってくれた。二人でなら何とかなると思ったんだ」
一夏の声は、穏やかだった。箒はその声を聞いて、少しだけ表情を緩めた。だがまだどこか納得していない様子だった。そんな時だった。
コンコン、と扉がノックされた。
「織斑君、入りますね」
山田真耶の声だった。一夏が返事をすると、扉が開いて真耶が入ってきた。手にはタブレット端末を持っている。その表情は、どこか申し訳なさそうだった。
「どうしたんですか、山田先生」
「ええ、それがですね。箒さんの部屋の調整が終わりまして。今晩から、そちらに移動していただくことになりました」
真耶の言葉に一夏と箒は同時に動きを止めた。箒の部屋の調整。そういえば、箒はもともと別の部屋にいるはずだった。だが、何かの手違いで一夏の部屋に荷物を置いていたのだ。それが、ようやく調整できたということらしい。
「……そうか」
箒は、そう呟いた。その声にはわずかな名残惜しさが滲んでいた。一夏も、その声を聞いて少しだけ寂しさを覚えた。だが、口には出さなかった。
「箒。大丈夫か」
「何がだ」
「俺のこと。心配、してくれてたんだろ」
「……ああ。だが、お前が大丈夫と言うなら信じる。お前は、そういうやつだからな」
箒はそう言って、立ち上がった。そして荷物をまとめ始めた。その手つきは、どこかゆっくりとしていた。名残惜しそうに、一つ一つ荷物を鞄に詰めていく。一夏は、そんな箒の様子を黙って見つめていた。
「箒さん、準備できましたか」
「はい。できました」
箒はそう答えて鞄を肩にかけた。そして、一夏の方を振り返った。
「一夏。休みの日のこと、楽しみにしている」
「ああ。俺も」
「じゃあ、な」
「ああ。また明日」
箒はそう言って部屋を出ていった。真耶もその後を追うようにして出ていった。扉が閉まる。その音が、妙に大きく聞こえた。
一人になった部屋は、急に広く感じられた。さっきまで箒がいた場所が、なんだかぽっかりと空いているような気がする。一夏は、ベッドの上に寝転がった。天井を見上げる。スタンドライトの光が、ぼんやりと視界に映った。
「……ちょっとだけ、寂しいな」
一夏は、そう呟いた。声は誰にも届かない。だが、すぐにふっと笑った。
「でも、明日また会えるしな。休みの日も、四人で遊びに行く。それに箒も来るって言ってくれた。鈴も、セシリアも。……楽しみだな」
一夏は、そう呟いて、目を閉じた。体の疲労がゆっくりと押し寄せてくる。聖天月華の反動が、まだ残っているのだろう。だが、不思議と心は軽かった。明日また、箒に会える。休みの日には四人で遊びに行く。そのことが、一夏の心を温かくしていた。
(——明日、か)
頭の中の声が、ぼんやりと響いた。
(明日が、来るといいな)
一夏は、その声に、心の中で笑った。そしてゆっくりと眠りに落ちていった。部屋の明かりは、まだつけたままだった。だが一夏はそれを消すことも忘れて、静かな寝息を立て始めていた。窓の外では、月が静かに輝いていた。