着ていたネグリジェを脱ぎ、ハンガーにかける。露になる薄く透き通る白い肌は艶めかしく、けれど人形を思わせるかのように血の気を感じられない。釣り上がり気味の目尻、黒艶の髪も相俟って少女に冷たい印象を与えるが、ふっくらとした唇、線の柔らかく愛らしい顔立ちがそれを打ち消している。胸囲は慎ましいが手足は細く腰も引き締まり、人形を思わせる肌とは対照的に身体つきは確かな人間であると分かる。相反する要素が絡み合い、少女には一種独特の美しさと愛らしさが醸し出されていた。
ハンガーにかけられている黒のブレザージャケット、紺のプリーツスカート。通っていた私立中学校の制服を着ることはもうないのだと、今更のように思う。今日から三年間の学園生活で着ることになる制服へと目をやる。白を基調とし、所々に黒と赤の配色があるワンピースジャケット。腰の部分にはバックルが備え付けられている。
IS学園の制服。入学試験を受けた者の一割未満しか存在しない合格者の、学園に入学する生徒の証。
箪笥から取り出した膝頭が透ける程度の黒タイツに足を通す。膝下丈の長さがある黒艶のペティコートを穿き、ブラウスのボタンを全て留め、襟元に青いネクタイを締める。ジャケットには袖を通さず、代わりに小物を入れている箪笥の引き出しから普段は使わない化粧道具を取り出した。
楓は普段、化粧などをしない。それは通っていた中学校の校則もあるが、楓自身が特に化粧をする気がなかったことが大きい。けれども今日はIS学園の入学式が行われるため薄く化粧はしておいたほうがいいと楓は思った。幸いにも兄の親戚や知り合い、詳しくは知らない仕事関係のパーティや晩餐会に招かれることがあったため化粧には慣れている。とはいえ、そこまで濃い化粧はしないが。
アイラインは釣り上がり気味の目尻を強調するように引き、切れ長な目に仕立て上げる。瞼に塗った薄い寒色系のアイシャドウは元から白い肌との違和感を最小限に抑えている。リップライナーで唇の輪郭を、特に口角が繋がるように強調し、淡い桃色の口紅を塗る。元から薄く透き通った肌であることも手伝って、あくまで目元と唇のみで化粧は終わった。
化粧道具を片付けヘアゴムで二つに結った髪を下ろすと、ハンガーにかけられたままの制服に白く細い手を伸ばす。ハンガーから取り外し、ゆっくりと羽織り、袖に手を通していく。ボタンを一つ一つ留め、腰のバックルを調整して強く締めると、姿見で自分を写した。
白を基調としたワンピース型のジャケットを着込み、襟元にはネクタイを締めている。膝丈のスカートからは膝下丈のペティコートが裾を出しており、膝頭がうっすらと透けている黒いタイツに足は包まれていた。薄く施した化粧によって切れ長の目に仕立て上げられ、淡い桃色の唇は口角が繋がるように強調されている。二つに結って降ろされた艶のある黒髪や透き通るような肌も相まって、線の柔らかく愛らしい顔立ちは消え失せ、代わりに知的で大人びた雰囲気を醸し出す。
IS学園は個人による制服の改造や着こなしを自由に認めていた。楓が着る制服も標準の制服と若干異なっていた。標準は膝上丈であるスカートの長さを膝丈にし、下に着込んだペティコートとタイツによって足の露出を抑えている。ブラウスの襟元には本来リボンタイを結ぶが、通っていた私立中学校の制服がネクタイでそちらのほうが慣れていることもあり、襟元にはネクタイを締めている。
何処もおかしな箇所は確認できないことを確認し、黒革の指定された鞄を手にした楓は住み慣れたこの部屋を見渡す。机の上や本棚は整理整頓され、床に散らかっている物は何一つない。IS学園の生徒は三年間、寮で生活することになっている。必要な荷物は既に送っており、残るは自分だけ。今日から三年間、寮での生活。
名残惜し気に部屋を出た楓は兄の待つ玄関へと向かう。黒革のローファーを履き玄関を出ようとして、後ろを振り返る。住み慣れたこの家と三年間の別れになる。行ってきます、そう心の中で暫しの別れを告げる。自分は、IS学園の生徒なのだから。
▽
一年二組、それが楓のクラスだった。入学式を終えた一年生たちはそれぞれの教室でホームルームが行われていた。
一言で表すのなら二組の教室には張り詰めた空気があった。私語を慎む少女たちは、ただ席に座って担任の教師が現れるのを待っている。
楓の席は左から二列目、後ろから二列目にあり教室内を比較的見渡しやすい。それぞれの席に座る同い年の少女たちは皆がエリートと言っても過言ではない。入学試験を受けた者の一割未満しか合格者は存在しないのだ。IS学園の入学試験は最難関と知られている。その上、IS学園の生徒という肩書きを持つことはそれだけで有利になる。この場にいるのは、IS学園へ入学するに足る証を持った才女たち。
いや、一つ訂正したほうがいいかもしれない。隣の一組には異例の特待生がいるとのことだ。まぁ、興味こそあれクラスの違う楓にはあまり関わりのないことかもしれないが。
これから一年間同じクラスになる少女たちは全員が日本人ではない。IS学園には海外からも入学してくる少女もいる。二組の場合、半数とまでは行かなくとも外国人の割合はそこそこある。見た所、白人が多い。もしかしたら日本人と思っている中には東洋系の少女が混じっているのかもしれないが、一目で外国人と分かるのは白人が殆どだった。
やがて廊下から二人の女性の話し声が聞こえてくると、教室の前で止まった。音を立てながら扉を開け、教壇に二人の女性が上がる。一人はセミロングほどの長さに切り揃えた茶髪に、黒い瞳。人当たりの良さそうな微笑みを浮かべている。ベージュのスーツ姿で脇には出席簿らしき物を挟み、いかにも教師といった東洋系の女性。もう一人は氷のような透き通った肌に海を思わせる青い瞳、輝きを発しているかのように錯覚してしまう銀髪をうなじの辺りで一つに結った白人の女性。楓は顔立ちからスラブ系だと察した。
「皆さんはじめまして。私は一年二組を受け持つことになりました担任の広瀬沙織です」
「同じく副担任のユリーナ・イェレシェンコです」
流暢な日本語だった。
「はじめての学園生活で分からないことや不安なこともあるでしょうけど、先生たちもサポートします。これから一年間、よろしくお願いしますね」
人を落ち着かせやすいのか、沙織の微笑みに張り詰めた空気が少しだけではあるが緩んだ。教室内を見渡してから、空気が緩んだことを確認した沙織は言葉を続ける。
「それでは皆さんの自己紹介をしてもらいましょう。出席番号一番の方からお願いしますね」
沙織の言葉を受けて右側最前列、扉付近の席に座る少女がその場に立ち上がり、教室中の視線はその少女へと集中する。無論、楓もその一人だった。
背の中央あたりまで伸ばした黒髪は手入れが行き届いており、艶やかな瞳や制服の上からでも身体の線が細いことが見て取れる。制服は特に改造などをしている様子はないが、スカートの丈が標準よりも長くペティコートの裾が覗いていた。恐らくは楓と同じくらいの長さだろう。
少女はくるりと後ろに身体を向けると一礼してから言葉を紡いだ。
「
胸元に右手を、スカートに左手を遣った椿は腰を折り礼をする。その動作には気品が溢れ、高貴な育ちであるが容易に察せられた。
「趣味は読書、特に中世ヨーロッパの物や平安時代の物を愛読しています。皆さんと同じクラスになれたことを誇りに思います」
最後にもう一度礼をすると、教室中から自然と拍手が起こった。照れ臭そうに微笑みながら席に着く椿の姿を目で追いながら、椿が旧華族の伯爵令嬢であることが分かった。飛鳥井家は蹴鞠や和歌に秀で、遡れば藤原氏が源流でもある。世が世ならば椿は伯爵令嬢にあたる。気品に溢れ、高貴な立ち振る舞いから考えても間違いない。
その後も自己紹介は続いて行く。出席番号順だから楓の番はまだ先である。日本人の少女たちに混じって外国人の少女が日本語で自己紹介をするのは国際的だと思った。この学園で学ぶISという存在が、今や日本語を国際的な言語にしたのだ。
驚いたことに外国人の生徒は白人しかいないようだ。黒人や東洋系の外国人は未だ一人も出てきておらず、そして楓で見渡す限り黒人の生徒はいない。前の席に座る少女は白人であり、その前の席で自己紹介をしている少女は日本人。楓の後に自己紹介をする生徒たちに東洋系の外国人が紛れているかもしれないが、可能性は低いだろう。
やがて前の席に座る白人の少女が自己紹介を終え、楓の番が回ってきた。一度息を吐いてから、音を立てずに立ち上がり教室を見渡す。自分へ視線を向けてくる同い年の少女たちに微笑み、楓は口を開いた。
「御船楓です。趣味や特技と呼べるものは特にありませんが、文学が好きです。皆さんと素晴らしい学園生活を送りたいです」
両手をスカートに重ね深く腰を折る。顔を上げて微笑むと、拍手の中を席に着く。後ろの席に座る少女が自己紹介を始めた時、ふと楓は視線を感じた。後ろの少女にではなく、自分に。
視線の主はすぐに見つかった。一番最初に自己紹介をした飛鳥井椿である。目が合うと椿は静かに微笑んでから視線を別の方向に向ける。どうして自分に視線を向けていたのだろうかと疑問に思いつつも、楓は新たに自己紹介を始めた少女へと視線を向けた。
▽
自己紹介が終わり、休み時間になった。IS学園は徹底したカリキュラムにより入学式から授業が行われる。休み時間ともなると教室内でも改めて自己紹介をする声が聞こえてくるなど、幾分か打ち解けてきた雰囲気ではあったが、人の数が少ない。半数以上が隣のクラスにいるという異例の特待生を見に行っているのだろう。
楓も興味はある。けれど他のクラスからも見物しに行ってる生徒で廊下は人だかりが出来ており、いつか目にする機会もあるだろうと教室に残っていた。
「少しよろしいでしょうか?」
落ち着きを持った静かな声の主は、飛鳥井椿。座ったまま対応するのは礼に失するため楓は立ち上がる。
「何か私に御用でしょうか?」
静かだが凛とした声で尋ねると、椿は口元を手で隠して微笑んだ。
「いえ、挨拶に参りました。私、飛鳥井椿と申します」
先ほどと同じように胸元とスカートへ手をやり腰を小さく折る。確かにそれだけを見ればただ挨拶をしに来ただけかもしれないが、先ほどは自分に視線を向けていた。疑う、というほどのものではないが楓はこの飛鳥井椿という少女が気になった。
「これは御丁寧にありがとうございます。御船楓です、よろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします。楓さん、と呼んでもよろしいですか?」
「えぇ、その代わり私も椿さんと呼んでも?」
「よろしいですよ。私としてはそちらのほうが嬉しいですし」
嬉しそうに微笑んだ椿は続ける。
「私、楓さんのことは予てよりご存知でしたの」
「え?」
驚いた。いつ、どこで知ったのだろうか。記憶を辿るが、この飛鳥井椿という少女と出会い声を交わしたのは今日が初めてのはずである。少なくとも楓の記憶には、過去に彼女と接点を持つようなことはなかった。
「私、飛鳥井家は旧伯爵家でして。その関係で晩餐会などには幼い頃から私も参加していました。ある晩餐会で私と同い年の方が招待されていて、その方が楓さんだったのです」
「そうでしたか。申し訳ありません、私のほうは存じていなくて……」
合点がいった。兄の親戚や詳しくは知らない仕事の関係で晩餐会やパーティには参加したことがある。そのどれかに飛鳥井家も招かれていて、偶々彼女が自分の存在を知ったというだけのこと。自分に視線を向けていたのも、それが理由なのだろう。
「謝る必要はありませんよ。その代わりと言ってはなんですが、私と友だちになってくださいませんか?」
「こちらこそ、椿さんのような方と友だちになれるなんて光栄です。よろしくお願いしますね」
どちらからともなく手を差し出し、互いの手を握る。ふと気がつけば教室に残っている生徒たちから視線が集中していた。知的で大人びた雰囲気を醸し出す楓と、気品に満ちた清楚な椿は例の特待生ほどではないにしろ注目を集めた。変に目立ったことに羞恥心が湧き、すぐに手を離したが視線は収まりそうにない。幸いにもチャイムが鳴ったことで視線は消え、一組へ見物しに行っていた生徒たちも各々の席に着く。
「そ、それではまた」
「えぇ」
恥ずかしげに自分の席へ戻る椿に頷き返し楓も席に着く。
教室に入ってきた沙織は全員が着席していることに満足そうな微笑みを浮かべ教壇に上がる。ユリーナはその傍に控え、青い瞳で生徒たちを見渡す。
「え〜、本格的な授業の前にまずクラス代表を決めたいと思います」
そう言って沙織は次のように説明した。クラス代表とは簡単に言うと学級委員のようなものであり、生徒会や各種の委員会に参加しなければならない。また、五月の始めに行われるクラス対抗戦にも出場するとのことだ。
「自薦、他薦を問いません。やってみたいという方がいれば立候補してもいいですし、この方にやってほしいのであれば他薦も構いません。誰かいませんか?」
先生の声に、けれど誰もが困惑の表情を浮かべながら沈黙する。ある意味では面倒な仕事をこなさなければならない。IS学園に入学してくる生徒はエリートだと思い込んでいたが、やはり普通の少女でもあった。
沈黙が続く中、楓は一人考える。クラス代表になれば学園が所有する訓練用ISの使用について幾分か融通が利くかもしれない。何よりも良い子であろうと心がけ、通っていた私立中学校では優等生として通っていた楓である。学級委員も務めた経験があり、クラス代表は面倒な役職ではなく、寧ろ自分のためになると結論に達した。
「私が立候補します」
凛と響く落ち着いた声。全員が声の主に視線を集中するが、椿は口元を隠しながら微笑んでいるのが見えた。
「御船楓さん、立候補した理由を聞いてもいいですか?」
そう言ったのは担任の沙織ではなく副担任のユリーナだった。沙織自身も少々驚いていたが、ユリーナに任せるのか口を閉じる。
「はい、私は通っていた中学校で学級委員を務めていましたのでクラス代表の仕事は苦ではないと思っています。それに、クラス代表になればISに触れる機会も増えると思い、私のためにもなると考えたので立候補しました」
早過ぎず遅過ぎず、聞き取りやすい声で言った楓をユリーナは見つめ、やがて微かに笑顔を見せてから他に立候補する者がいないか尋ねた。何人かは躊躇っていたが、結局は立候補する者は楓を除いて一人も出なかった。
「立候補や他薦が無いようですので、我が二組のクラス代表は御船楓さんに決まりです。御船さん、貴女はクラスの代表です。二組に恥をかかせないよう心がけて下さい」
聞き様によっては冷たい言葉かもしれないが、楓は冷静に受け止めた。クラスの代表としての責務。自分の失敗は即ち二組の失敗、恥をかかせてはいけない。
「私、御船楓は皆さんの、二組の代表として恥じない振る舞いを心がけます。皆さん、よろしくお願いします」
リハビリの執筆です。前よりもかなり酷く、執筆だけで3日かかりました。