ド派手な展開やらシリアスやらお涙頂戴やらは一切ありません。ほのぼのとした日常です。
それでは、どうぞ。
思考を現実にする程度の能力。少し前に、幻想郷どころか世界にいるほぼ全ての存在を消滅させた恐るべき能力。思考次第ではほぼ何でもできる能力があったのも、今は過去の話。
その能力の持ち主である子狐の妖怪、氷狐は“愛し愛される程度の能力”という元から持っていた能力によってその存在を新たに形作り、変わらぬ日々を送っている。新たに形作るとは言っても、その姿や在り方は以前となんら変わらない。
これは、“思考を現実にする程度の能力”を失った氷狐が過ごしていく“これからの日常”を記す……ただ、それだけのお話。
ゆっくりと、氷狐は瞼を開いた。その先に見えるのは、すっかり見慣れた和風の寝室と綺麗な長い金髪の美女の寝顔。男ならその美しい寝顔に色々と思うことはあるかもしれないが、生憎と彼は劣情を抱えたりはしない。なぜなら見た目も中身も子供だから。
むくりと上半身を起こした氷狐は眠そうに目を擦り、布団から出れば部屋からも出る。その際に金髪の美女……八雲 紫に掛け布団を掛け直すことも忘れない。
向かう先は台所。そこには、既に起きていた八雲 藍の姿がある。
「あーう、らん」
「おはよう氷狐。いつも早起きだな」
少し肌蹴た寝巻きを着ながら眠そうにしているというなんとも愛らしい姿を微笑ましく思いながら、藍は朝食を作る手を止めて朝の挨拶を交わす。その後は桶に汲んであった水を使って氷狐の顔を洗ってやり、すっきりと意識を覚醒させる。すっかり目が覚めた氷狐は藍の寝室に行き、まだ眠っているであろう橙を起こしに行く。案の定寝ていた橙をやんわりと起こし、手を繋いでいつものように居間へと向かう。
居間には、既に朝食の準備がしてあった。いつの間に起きたのか、普段着に着替えた紫が上座に座り、藍は氷狐が連れてきた橙を連れて台所へと向かった。その間に氷狐はいつもの位置へと座り、笑みを浮かべる紫と朝の挨拶を交わす。
「おはよう氷狐。橙を起こしてくれてありがとうね」
「あーう、ゆーり。うーあーうー♪」
台所に行っていた2人が戻ってくれば、いつものように始まる食事。おかわりだの醤油取ってだのうーだのにゃーだの言葉が飛び交い、笑顔溢れる食卓は人間の家族となんら変わらない。人外であろうがなかろうが、愛する者と取る食事が美味しくない筈が、楽しくない筈がないのだ。
そして、この光景はこれからも続いていくことだろう。それは、彼らが家族である故に。
紫のスキマによって妖怪の森にやってきた氷狐は、そこで待っていた犬走 椛と手を繋いで山の中を歩いていた。空を飛ぶよりも地を歩くほうが、果実の匂いや食材そのものを見つけやすいからである。
手が届かない所に生っている木の実は椛に取ってもらい、自分で採れるモノは自分で採るのが氷狐のスタイル。山菜際の発見速度と見つける嗅覚で彼の右に出るものはいないが、採れるかどうかは別なのだ。
「もみじ、あーうー」
「ん? ……ああ、見つけた。少し待っててくれ」
早速果実を発見したものの、その位置は巨木の遥か上の枝。無論下にも生っているが、椛は目もくれずに飛び上がり、氷狐が指差した物を採って降りてくる。彼が選ぶのは程よく熟成した美味しいもののみであり、成長段階のものは決して採らないのだ。
小1時間もすれば大量までは行かないまでも売るには充分な量が集まった。尚、集まった山菜や果実は八雲家から持ってきた藍作の背負うタイプの籠の中に入ってある。
時間もいい頃になり、氷狐と椛は人里へと向かう。その際は彼女が氷狐を抱きかかえながら飛んでいくのだが、椛はこの時間が一番好きだったりする。
「氷狐。怖くない怖くない」
「うー、う~」
少し震えている体を抱きしめ、飛んでる最中はあやすように声を掛け続ける椛。今まで語ったことはなかったが、彼は高所恐怖症である。それでも飛ぶのは、時間の都合なので仕方ない。真面目に山を歩けば昼を越えてしまう。
非常に不謹慎ではあるが、椛はこうして氷狐と触れ合える時間が大好きなのだ。異性のそれではないが、紫やその他の存在に比べれば会える時間や触れ合える時間は規則的。朝のこの時間だけなのだから仕方ない。
人里に着けば、椛は仕事の時間なので山に帰ってしまった。その背に向かって手を振った後、氷狐はいつもの八百屋へと足を運ぶ。採ってきた物を売るためだ。
「あーうー」
「氷狐じゃないか。いらっしゃい」
「もーう!」
「妹紅だってば」
八百屋にいたのはいつもの店主ではなく、藤原 妹紅。なぜ彼女がここにいるのかと言えば、以前に彼女が店を手伝ったことを切欠にたまに手伝うようになったからである。その結果として、彼女が開いている屋台にも客が増えたとかなんとか。
資金を得た氷狐はまっすぐ甘味処へ。体を動かした後に食べる、食後のデザートとして食べる好物の甘味……彼のみならず大半の存在にとって至福のひと時となるだろう。
「あや、氷狐じゃないですか」
「おはよう、氷狐」
「あや、ゆーか!」
向かった先にいたのは射命丸 文と風見 幽香の2人。組み合わせとしては珍しいかもしれないが、文は甘味処の取材で、幽香は甘味を食べによくこの場所に訪れるため、出会うことは多い。最初は幽香を怖がっていた文だが、そうして出会う回数を増やしていく内に恐怖が薄れていっているようだ。
2人の手にあるのは、ここ最近人気となっているかすていら。幽香の隣にある皿には3色団子も置いてある。相変わらず3色が好きらしい。
「氷狐も一緒にどうかしら?」
「うー♪ あーう、あーうー」
「はいはい、みたらしと3色団子を1つずつですね」
商品を頼まれたであろう店員が店の奥に消え、少しして2種類の団子を持ってくる。尚、この間に文は袋に包まれたかすていらを持ってこの場から離れている。向かう先は紅魔館。理由は……言わずもがなである。
幽香と共に美味しそうに3色団子を頬張る氷狐……そんな彼に近づく白黒の影が1つ。その影は氷狐がみたらし団子に手を伸ばした瞬間、その団子を素早く奪い盗った。
「いただきだぜ」
「!? まーさ! あーうー!」
「あなたも懲りないわね」
無論、その影とは白黒魔法使いこと霧雨 魔理沙である。幾度となく氷狐から団子を奪い、その度に色々とお仕置きされているにも関わらず彼女はこうして団子を奪う。何が彼女を駆り立てるのだろうか。フラワーマスターも呆れ顔である。
いつもならこの辺りで素敵な楽園の巫女がやってくるのだが、今回はその気配がない。これ幸いと魔理沙は奪った団子を口へと……。
「返します。返しますからその危ないものを降ろして下さいませんか」
「よろしい」
運ぶ前に彼女の頭に矢を突き付けることで止めたのは八意 永琳。その表情こそ笑っているが、額には青筋がある。すぐに返さなければ魔理沙の頭はスプラッタなことになっていたに違いない。
「えーり!」
「おはよう氷狐。そこの白黒。次に私の前で同じことをやったら……剥がすわよ」
「何を!?」
後に魔理沙は語る……あれは本気の目だったと。
魔理沙、幽香と別れた氷狐は永琳と共に人里の中を歩いていた。その理由は、永琳が行っている置き薬の集金に同行しているからである。本来ならば、彼女の助手である鈴仙・優曇華院・イナバが行っているのだが、稀にこうして永琳自身が出ることもある。顔も知らない医者から薬を貰う存在はそうそういない。
そんな理由もあり、今日は永琳自身が集金に来ていた。もしかしたら氷狐に会えるかも、などという下心はあるに決まっている。実際に会えているので内心狂喜乱舞していることだろう。
「はい、お大事に……ここで最後よ。ありがとう氷狐」
「うー♪」
そんな時間も、もう終わってしまった。回るべき家屋は全て回りきった。ならば永遠亭に戻らねばならない。しかし、もっと氷狐と一緒にいたい。だが、永遠亭にいる姫の世話を助手に任せっきりなのはいけない。
そんな考えがぐるぐると脳内で渦巻くが、そんなことをしている内に氷狐は永琳に手を振ってその場から離れてしまっている。そのことに彼女が気づき、自分の失態を嘆くまで……後半刻。
永琳と別れた氷狐がやってきたのは博麗神社。その理由は当然、そこにいる少女と会うため。
長い階段を登りきれば、視界に入る鳥居と神社まで伸びる石畳。その上で箒を使って掃除をしている紅白の巫女服に身を包んだ長い黒髪の少女の姿。少女も氷狐に気づいたようで、箒に向いていた目線が彼に向けられる。
少女は少しだけ頬を赤らめ、にこりと笑みを浮かべる。氷狐は以前とは少し違う少女の笑みに気づくも、何が違うのかは分からない。が、彼も同じように笑みを浮かべた。それは、互いが互いを想っているが故に。
「いらっしゃい、氷狐」
「あーう、れーむ」
という感じで前とは少し変わった挨拶を交わしたところで、2人の行動が劇的に変わるものでもない。一緒にお昼を食べるのは以前と変わらない。変わったといえば、以前は少女……博麗 霊夢が用意していたのだが今は2人で作っているくらい。その際、意外にも手際が良かった氷狐の姿を見て霊夢が少しびっくりしていたことは彼女の記憶に新しい。
食後のお茶を飲んだ後、2人は人里へと出かける。これはいつもという訳ではなく、その時によって行く理由も違うが、今回は単純にお買いものである。博麗神社は物資の減りが激しいのだ。主に白黒とか胡散臭い妖怪とか鬼の居候とかのせいで。
食材やら米やら日用品やらを買った霊夢の両手には重そうな買い物カゴ。それに対し、氷狐はリンゴが1つと肩に担いだ米俵が一俵。重そうではないところを見るに流石は妖怪というところだが、体の大きさに合っていないのでよろよろと覚束ない足取りである。
そんなこんなで神社に戻ってくる頃には夕方の手前くらいになっていた。今日一日がほぼ買い物で終わってしまったことに霊夢が嘆く……なんてことはなく、むしろずっと一緒に居られたことを嬉しく思っていた。
「あーうー、れーむ」
「お疲れ様氷狐」
「うー♪ あーうー」
「……?」
労いの言葉を互いに投げた後、氷狐は手にしたリンゴを右手で持ち、左手の爪を鋭く伸ばす。少年の見た目でも狐、爪や牙くらいはあるのだ。その鋭く伸ばした爪をどうするのか……それは、スパッと切られたリンゴの姿を見た霊夢には分かった。同時に、懐かしい記憶を思い出す。
それは、霊夢が彼と出会って本当に間もない頃。おまけで貰ったリンゴを彼に渡し、そして彼が能力を使って半分こした。うまくいかなかったのか、今手にある半分になったリンゴはその記憶ほど綺麗ではないが……それでいい。この手の物が、彼の“思考を現実にする程度の能力”がなくなっているということを示しているのだから。
それでいて。
「う!」
「……ありがとね、氷狐」
「うー♪」
彼が何も変わっていないことも示しているのだから。
すっかり日も暮れた時間に、紫は氷狐を迎えにやってきた。当然、霊夢は彼女を強く睨みつける。何しにきやがった、と言わんばかりの眼差しで。
「氷狐ー帰るわよー」
「うー!」
そんな視線など知らないとばかりに、紫は氷狐を催促する。彼も霊夢から離れ、紫に向かっていく。そのことを霊夢が少し寂しく思っていると、何を思ったのか彼は反転、霊夢に向かって飛びついた。
「っと……氷狐?」
「れーむ!」
「なあに?」
ちゅ、と幼さを感じさせる音と感触が右の頬から霊夢の頭へと響く。突然の出来事に彼女の頭は真っ白になり、口をあんぐりと開けた紫の間抜け顔もどこか遠くに感じる。
いま、じぶんは、なにをされた。理解は遅く、未だ棒立ち。いつの間にか離れた氷狐と覚醒した紫がこの場にいないことにも気付かないほど、彼女は混乱している。
ただ、それを理解した時には霊夢は何とも言えない幸福感に包まれていた。顔は熱く、火が噴きそうなほど。それ以上に、今まで感じたことのない幸福感が心地よかった。
今日は、良い夢が見れそうだ。それは、変わらない日常の中の、少し変わった出来事に出合った素敵な楽園の巫女が抱いた思い。
「ねえ氷狐。あんなこと、誰に教わったの?」
「う? すーこ、ふらん!」
「ああ、そう……」
「「っ!?」」
「「どうしました? 諏訪子(妹)様」」
「「な、なんか背筋に寒気が……」」
これにて子狐幻想記の執筆は終了し、作品も完結となります。ここまでのご愛読、ありがとうございました。
書き始めてから約4~5カ月ほどの執筆期間ですかね。長かったような短かったような。
次回作の希望や続編の希望などのお声は頂いていますが、どちらもまだ解りません。学校を卒業しますのでしばらくは更新できないでしょうし。就職すれば忙しくなりますからね。小説を書くことを止める気はないですが。
それでは改めまして、ここまでのご愛読、並びにお気に入り登録と評価をして下さった方々、本当にありがとうございました。